1 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:45:38.67VN96ned20 (1/12)


2月12日の夜。

わたしはキッチンにて、自身の成果を見つめている。

それはバレンタインのチョコレート。

ここ数日の試行錯誤の末に、ようやく完成した贈り物だ。

渡す相手は、事務所のプロデューサーさん。

霧子「でも……どうしよう……」

わたしは迷っていた。

チョコレートの形状は正方形に近い長方形。

お菓子作りに慣れているわけではないので、シンプルな形にしか出来ない。

その分メッセージを入れようと、そう思っての四角形だ。

迷っているのは、まさにその部分。

霧子(何を……書くべきなのかな……)

文字を書くための、白と黒のチョコレートペンは近くに置いてある。

絵を描くかもしれないと思って、緑・赤・黄の色も少量だが用意した。

準備は万端。

そう思っていたけれど、肝心要のところが抜けていたようである。

自分の考えの中で、チョコレートを渡すことだけが先走っていたのだ。

だから考えよう。

わたしは何故、チョコレートを贈ろうと思ったのだろう。

わたしは一体、プロデューサーさんに何を伝えたいのだろう。

霧子(やっぱり、感謝の気持ち……かな……)

すぐに思いつくのは、そういったこと。

だけどひょっとすれば、あるいは……

霧子(これは、恋の──)

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2 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:47:16.01VN96ned20 (2/12)


霧子「おはよう……ございます……」

翌13日の学校帰り、わたしは事務所に出社していた。

咲耶「おはよう、霧子」

摩美々「霧子おはよー」

事務所に居たユニットのメンバーは3人。

咲耶さん、摩美々ちゃん、結華ちゃん。

結華ちゃんは何やらノートと格闘していて、忙しそうにしていた。

こちらに気付いてはいるようで、軽く手を振ってくれる。

霧子「……ふあ……」

事務所に来て落ち着いたからか、急にあくびが出た。

咲耶「おや、霧子。昨日は遅かったのかい?」

霧子「あ、その……ちょっと考えごとをしていて……」

咲耶「考えごと、か……何か私に手伝えることはあるかな?」

霧子「ううん……大丈夫。ありがとう、咲耶さん……」

チョコレートのメッセージ問題。

その答えは、一晩考えても見つからなかった。

だからといって、咲耶さんに相談するようなことでもない。

それを知ってか知らずか、咲耶さんは黙って紅茶を注いでくれる。

霧子「そういえば、恋鐘ちゃん……」

今日の予定は、わたしと恋鐘ちゃんがダンスレッスンで、残りの3人が雑誌のインタビュー。

その恋鐘ちゃんだけ見当たらないのが気にかかった。

摩美々「朝から急な仕事だってさー」

霧子「朝から……」

咲耶「朝市の取材だと言っていたかな。早くから出かけていったよ」

摩美々「漁港だったけー?」

霧子「た、大変だね。恋鐘ちゃん……」

朝の寒い時間に出かけるのを想像して震える。

とは言え、仕事自体は恋鐘ちゃんが喜びそうだな、とも思ってしまう。



3 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:48:05.92VN96ned20 (3/12)


結華「よし、これで一段落!」

咲耶「お疲れ、結華。こっちで紅茶でもどうだい?」

結華「おお! ありがとねー、さくやん」

咲耶「ふふふ、礼を言われるほどの事じゃないさ」

結華ちゃんが隣に座る。

その表情からは、若干の疲労の色が見て取れた。

霧子「何をしてたの……?」

結華「んー? ただの大学の課題だよ。明日提出の」

霧子「その……焦ってたみたいだけど……」

結華「全然進んでなかったからね。こうして、空き時間に頑張る羽目になっちゃったのです」

妙に芝居掛かった口調で、結華ちゃんが言う。

珍しいと思った。

今まで結華ちゃんが、その手の事に追われているのを見たことがない。

学校の課題などは、出たその日に終わらせているか、綿密なスケジューリングの下で消化しているイメージがあった。

結華「いやさ。8日にアンティーカの皆で、撮影の仕事があったじゃん? それも丸一日」

霧子「うん……」

結華「その日も、もちろん講義があったわけだけど……教授が三峰の欠席を把握してなかったみたいで」

ちゃんと連絡してたのに、と結華ちゃんが困った顔で付け加える。

遡ること5日前、アンティーカ全員での撮影があった。

遠出となり、その仕事の為にわたしも学校を休んだのを覚えている。



4 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:49:23.84VN96ned20 (4/12)

結華「まあ、『ちゃんとしたアイドルになれましたー!』って感じだよね。これはこれでさ」

咲耶「たしかに、そういう意味では喜ぶべき所なのかもかもね」

結華「そうそう。半年前からは考えられなかったことだよ」

半年前、つまりデビューしたばかりの頃。

レッスンなどで忙しかったことに間違いはないが、学校を休むようなことはなかった。

摩美々「授業がサボれるだけで、私は嬉しいケドー」

結華「またまた、まみみんはそういうこと言ってー」

摩美々「だって、どうでもいい授業がある日だったし」

結華「そうなの? 何の科目?」

摩美々「音楽。先生のキャラがメンドー」

摩美々ちゃんが嫌そうな顔をして、結華ちゃんが『あらら』と苦笑する。

微笑ましいと、そう思った。

咲耶「霧子は? 何か気になる授業はあったかい?」

霧子「わたし……? わたしは……」

その日の授業日程に考えを巡らす。

と言えるほど考え込む間も無く、あっさりと1つの教科に思い至った。

それはまるで、予め用意されていたかのように。

霧子「……体育……」

それはまるで、ずっと気になっていたかのように。

霧子「フォークダンスの、授業があったの……」

喉に刺さった、魚の小骨。



5 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:50:20.30VN96ned20 (5/12)

結華「あー、三峰もやったやった。なんか思い出すと懐かしいや」

咲耶「へえ。結華と霧子の学校では、そんな授業があるんだね」

結華「さくやんの学校では無いの? フォークダンス」

咲耶「聞いたことはないかな」

霧子「摩美々ちゃんは……」

摩美々「私の学校もありませんねー。まぁ、あってもサボりますケドー」

結華「その心は?」

摩美々ちゃんは先程から、怪訝な顔つきのままだ。

とは言え、こう言う時の摩美々ちゃんが、ちゃんと会話を楽しんでいるのは知っている。

摩美々「……人の手に触れるのって、普通に抵抗あるじゃないですかぁ。特に、男子のとかは」

咲耶「私は別にあってもいいかな。学校でのフォークダンス」

摩美々「いや、咲耶は女子校じゃん」

結華「三峰はそこまで抵抗ないけどね。兄と弟いるわけだし」

摩美々「じゃあ三峰は、実際に触ったことあるの?」

結華「ううん。出席番号順で組んだら余った女子同士になった。三峰『み』だし」

摩美々「いや、『ら』行『わ』行の人いなさすぎでしょ、それ……」

摩美々ちゃんが溜息を吐いてから、わたしの方を見る。

目で問い正されている。

咲耶「ふふふ、霧子は『ゆうこく』で『ゆ』だから、結華よりもその可能性有りだね」

結華「おぉ! さくやん、上手~っ! ドンドンパフパフ~」

摩美々「……ほっとこ」

咲耶「おや、摩美々には不評のようだね。これは残念だ」

摩美々「……それで、霧子はどうなのー?」

質問の意図は、『男の人に触れる事に抵抗がないのか?』ということ。



6 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:51:24.52VN96ned20 (6/12)

霧子「わたしは……抵抗ない、かな……」

摩美々ちゃんが少しギョッとして、ようやく、その不満気な表情に変化が生じた。

摩美々「ホントに?」

霧子「うん……それなりに、慣れてるから……」

結華「え」

咲耶「ふむ……」

今度は結華ちゃんと咲耶さんが驚きの声を上げた。

結華「な、慣れてるって……?」

霧子「病院のお手伝いで、触れる機会あるから……」

結華「病院?」

霧子「うん……包帯を巻き直したり、小さい子をあやしたり……他だと、患者さんを起き上がらせたりとか……」

人に触れながらの動作は難しい。

上手く出来るのか、手伝いを始めた頃はとても不安だった。

当時はそれなりに心理的抵抗があったけれど、今ではもうすっかり消えてしまっている。

咲耶「……ちなみに同年代くらいの男性に、そういった医療行為で触れた経験は?」

霧子「えっと……たしか、少しくらいは……」

摩美々「その時のその人、挙動不審だったりしませんでしたー?」

結華「そうだね。きりりん、かなり整った顔立ちしてるし」

霧子「わたしの、顔……?」

摩美々「答えて、とにかく」

霧子「ちょっとだけ……落ち着きがなかったような……」

直近の一例を思い返してみれば、目を逸らし続けられていた気がする。

結華「きりりんは、その……ドキドキしなかった?」

霧子「……? ううん。そういうのは、別に……」

「「「……」」」

結華ちゃん、咲耶さん、摩美々ちゃん。

3人とも、わたしをじっと見つめて黙り込んでしまった。



7 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:52:06.16VN96ned20 (7/12)

結華「……きりりん、まさかの悪女の才能有り説」

霧子「え……! あ、悪……!?」

そんなことを言われたのは、生まれて初めてだった。

結華「ま、有り得ないか」

咲耶「有り得ないだろうね。霧子の行動はいつも、善意100パーセントだもの」

摩美々「ですねー」

3人が朗らかに笑う。

その理由はよく分からないけれど、こういう風に笑ってくれるなら、まあ良いかと思えてしまう。

嫌味のない笑顔だった。

咲耶「悪女になるには、霧子は根が善良すぎるよ」

霧子「善良……」

だけど何故か『善』という言葉が、強く引っかかってしまう。

またまた魚の小骨のように。

わたしは善良なのだろうか?

本当に?

……自分では、そうとは思えない。

霧子「あの……」

だから、その小骨を取ろうとした。

その為に何かを聞こうとして、聞くべきことに迷って。

結局、その摘出に失敗した。

いわゆるタイムアップ。

P「おはようございます」

いつのまにか、もうレッスンに出かける時間になっている。

社用車のキーを片手に、プロデューサーさんが事務所に入ってきた。



8 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:52:59.17VN96ned20 (8/12)

P「よし、霧子は忘れ物ないか?」

霧子「は、はい……何度も確認したので、大丈夫です……」

P「了解。それじゃあ出発だ」

社用車のエンジンが唸る。

行き先は外部のレッスンスタジオ。

レッスンと言うと、今までは事務所のスタジオで、はづきさんによるレッスンというのが常だった。

だけど近頃は、外部のスタジオを借りることも当たり前になってきている。

みんな、それだけ忙しくなったのだ。

プロデューサーさんは4ユニット16人のアイドルを抱えていて、スケジュールに頭を捻っている事が増えている。

1度、聞いたことがある。

『ちゃんと休めていますか?』と。

そしたらプロデューサーさんは、笑って答えてくれた。

『これが仕事だからな。でも、楽しんでやっているよ』

プロデューサーさんの言葉を疑うつもりはない。

それでも思ってしまう。

『いつも、お疲れ様です』などと。

……チョコレートに書くべき言葉は、これなのかもしれない。

思慕や感謝より、慰労。

霧子(でも……それも違うような……)

何かヒントを求めて、プロデューサーさんの横顔を盗み見る。

いつも通りの優しげな表情。

答えはなかったけれど、気付きはあった。

霧子(……そっか。伝えたい気持ちが、多すぎるんだ)

チョコレート問題。

その解決が、一気に遠のいた気がした。



9 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:55:00.96VN96ned20 (9/12)

P「……はい。はい、分かりました」

プロデューサーさんが電話の対応をしていた。

P「ええ、了解です。打診してみます。いえいえ! いつもお世話になっております」

2ヶ月ほど前に、プロデューサーさんがハンズフリーキットを新調していたのを思い出す。

使う頻度が増えたので、使いやすい物を会社として新調したらしい。

P「はい。はい、失礼いたします。それではー……」

通話が切れる。

P「……ふぅ」

霧子「お、お疲れ様です……」

イヤホンタイプのキットなので、通話の内容は聞こえていない。

プロデューサーさんはスピーカータイプにしたかったらしいのだが、社長さんに一刀両断されたと聞いている。

はづきさん情報だ。

P「……霧子」

霧子「は、はい……」

P「今週の金曜日……15日って、学校休めないか?」

霧子「……お仕事、ですか?」

P「ああ、〇〇局のディレクターさんからでな。霧子を番組に使いたいそうだ。それで、その収録が15日の午前中」

喜ぶべき事柄であるはずなのに、プロデューサーさんは浮かない顔をしている。

P「先週に引き続きだからな。断るなら断ってくれてもいいぞ。その時は、他の子を推してみるから」

霧子「……あ……」

前に休んだ8日の金曜日には、体育の授業があった。

今度の15日だって体育の、フォークダンスの授業がある。

P「出来ることなら、学校には……」

『ちゃんと行くもんだよな』と、聞こえないくらい小さな声で、プロデューサーが言い捨てる。



10 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:56:04.64VN96ned20 (10/12)

ほんの一瞬だけ、言う通りに断ってしまおうかと思った。

フォークダンスの授業が、とても気になってしまっていたから。

その理由は不明だと言うのに。

霧子(……ううん。ダメ、だよね……)

直ぐに考え直す。

プロデューサーさんに悟られないように、素早く考えを改める。

わたしが断ったら、またプロデューサーさんがスケージューリングに頭を悩ませることになる。

それは嫌だな、と思う。

霧子「……大丈夫ですよ、プロデューサーさん」

P「霧子、いいのか?」

霧子「はい。お仕事があるのは、アイドルとして喜ぶべきこと……ですから」

P「……そうか」

嘘はついていない。

アンティーカのみんなと話していたこと。

『ちゃんとしたアイドルになれましたー!』という感じだ。

そこに間違いはない。

P「……」

霧子「プロデューサーさん?」

P「……いや、何でもない。それじゃあ着くまで、仕事の段取りの確認をしようか」

霧子「はい、お願いします……♪」

それに、プロデューサーとする仕事の話は、やっぱり楽しいのだ。



11 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:57:28.05VN96ned20 (11/12)

階段を上る。

今日は荷物が多い。

ダンスシューズが合計3組と、その他に恋鐘ちゃんに渡す届け物が2つ。

届け物の1つは、恋鐘ちゃんのスマートフォン。

朝の仕事の送迎の時に車内に忘れてしまったそうだ。

そしてもう1つの届け物は伝言。

そのどちらも、プロデューサーさんに頼まれたものだ。

恋鐘「お、霧子! おっはよ~!」

霧子「ふふ、おはよう……恋鐘ちゃん……」

レッスンスタジオの扉を開けると、恋鐘ちゃんが元気よくストレッチをしていた。

朝から仕事だったはずなのに、全然疲れている様子がない。

霧子(恋鐘ちゃん、さすがだな……)

恋鐘「霧子? うちの顔に何かついとると?」

霧子「……あ、ううん。なんでも、ないよ……」

見惚れていても仕方がない。

取り敢えず、頼まれごとをやり遂げてしまおう。

霧子「恋鐘ちゃん、これ……プロデューサーさんから……」

恋鐘「おお、うちのスマホやね!」

霧子「それと、これも……」

恋鐘「これは……ダンスシューズ? うちに?」

霧子「恋鐘ちゃんの、靴底が擦り切れてきてたから……危ないかなって……」

恋鐘「う、うちに買うて来てきれたと……!?」

霧子「うん……プロデューサーさんが、経費で落としてくれて……」

3組のうちの1つを渡して、残りを足元に置く。



12 ◆/rHuADhITI2019/02/14(木) 23:58:48.82VN96ned20 (12/12)

恋鐘「プロデューサー? 一緒に買いに行ったと?」

霧子「わたしもダンスシューズを新しくしたくて、プロデューサーさんに付いて来てもらったの……」

わたしの靴も使い潰して寿命が来ていた。

霧子「そこで、恋鐘ちゃんの靴のことを思い出したんだ……」

恋鐘「そんで買うて来てくれたんね。ありがとーね、霧子!」

どうせ消耗品だから、と言ってプロデューサーさんは5組ほど購入していた。

事務所に取り置いておくそうだ。

結果としてだが、ユニット全員お揃いのダンスシューズになる日も遠くないのかもしれない。

恋鐘「……そやったら霧子、なして昔の靴も持って来てると?」

恋鐘ちゃんが、わたしの足元に目を向ける。

新品の靴とボロボロになってしまった靴が並んでいる。

霧子「その……最後に、見学してもらおうと思ったの……」

恋鐘「見学……」

霧子「捨てちゃうんだけど……お世話になったから、何かしてあげたくて……」

ダンスシューズはこれが4足目。

2足目も3足目も、捨ててしまう直前には同じことをした。

その時もボロボロの靴が、とても悲しく感じられたのを覚えている。

恋鐘「……そんなら、うちも真似するたい」

恋鐘ちゃんが自分の靴を、わたしの靴の隣に置く。

そして満足気に胸を張る。

恋鐘「よし! 今日のレッスンもば~りばりに頑張るたい!」

いつでも来い、といった風にガッツポーズをした。

それはとっても、恋鐘ちゃんらしい動作だ。

だけどレッスンの開始までには、もう少し時間がある。

そう言うところも含めて、恋鐘ちゃんらしい。



13 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:00:19.10zDo8rKZ40 (1/18)

霧子「恋鐘ちゃん。その……伝言、なんだけど……」

まだ時間があるのなら、最後の頼まれごとまで果たしてしまおう。

恋鐘「伝言? プロデューサーから?」

霧子「うん。その……『これからは、そういう時には必ず一声かけること』」

伝言の意味するところは知らない。

プロデューサーさんには『言えば伝わるから』と聞いていた。

実際その通りだったようで、恋鐘ちゃんの顔がみるみる青くなる。

恋鐘「うっ……プロデューサーの言う通りたい。こればっかりは、ちゃーんと反省せんといかんばい……」

恋鐘ちゃんがガックリと肩を落とした。

だから慌てて、その伝言の続きを言う。

霧子「『だけど、よくやったぞ』」

恋鐘「……! ホント!? ホントに、そう言っとったと!?」

霧子「う、うん……」

恋鐘「~~っ! やっぱりプロデューサーは、よーく分かっとるたいねっ!」

今度は黄色い笑顔。

霧子「……『あと、スマホ忘れには絶対に厳禁。気をつけること。覗かれたって文句は言えないぞ』」

恋鐘「あ……」

霧子「『俺は覗いたりしないけどさ』」

恋鐘「……っ! そ、それはいかんばいっ! プロデューサーは、絶対にいかんよ!!」

最後に、シュッと赤く染まる。

恋鐘「プロデューサーに見られたら、うち、死んでしまうけん……」

コロコロと表情を変える恋鐘ちゃんを見ていると、こちらまで楽しい気持ちにさせられる。

それでいて、そんな恋鐘ちゃんはとても可愛らしい。

おそらく誰が見たってそう思う。



14 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:00:56.80zDo8rKZ40 (2/18)

恋鐘「そ、その……今朝のことなんやけどね」

霧子「うん……漁港の取材、だったっけ…」

恋鐘「そうたい」

照れを誤魔化すためか、恋鐘ちゃんが話を変える。

ちょうど聞きたいと思っていた話だ。

恋鐘「そんでね。うち、歌ってしまったんよ」

霧子「歌? えっと……その朝市で、ってことだよね……?」

恋鐘「そうなんよ。日の出前に入って、色々と回って……あ、どっちかと言えば卸しの市やったんやけどね?」

小売りではなく卸し。

一般の人より業者の人のほうが多かった、ということだろうか。

恋鐘「最後の方までは良かばってん。人ば減ってきて、そろそろ撤収せんね~……って時に話しかけられたと」

霧子「歌え、みたいなことを?」

恋鐘「ううん。そうやね……」

そこで1度切って、恋鐘ちゃんが考え込む。

恋鐘「『お前など本物の長崎もんじゃない!』」

霧子「……!」

恋鐘「みたいな感じやろか?」

その言葉が、キツイ方言で発せられたのだろうと直感できた。

さっきの間は、翻訳の時間だったらしい。

そしてその人は……なんと言うか、過激な人だ。



15 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:01:46.09zDo8rKZ40 (3/18)

恋鐘「それから……『長崎もんのアイドルなら、長崎の歌を歌ってみろ!』って言われたばい」

霧子「プロデューサーさんは……?」

恋鐘「ちょうど外しとって、おらんかった」

霧子「それで、歌を……」

恋鐘ちゃんの気持ちも分かる。

その人の言い草には、トゲがあるように思う。

恋鐘「うち、佐世保のみんなの歌ば歌ったんよ。漁師のオッチャン達に教えて貰った、大切なもん」

霧子「そしたら……」

恋鐘「思いっきり泣かれたばい。『お母ちゃん、お父ちゃん……!』って」

霧子「そ、その人……ホームシックだったんだね……」

衝撃的な展開だ。

私も親元を離れれば、そんな風になる時が来るのだろうか。

恋鐘「そいで……うちは歌ってしまったし、泣いとる人はおるしで、人が集まってくるやろ?」

霧子「そう……だよね……」

恋鐘「そこで誰かが、自分の国の歌ば歌い始めよったと。いつのまにか、そういう雰囲気になっとった」

……その時点で、事態は恋鐘ちゃんの制御を離れたのだろう。

その先を、恋鐘ちゃんが語ってくれる。

気が付いたら、色んな人が持ち回りで歌っていたこと。

それが楽しくて、一緒に歌ったりしたこと。

多くの人が笑顔だったこと。

そして、その話の小さなオチ。

恋鐘「プロデューサーが戻ってきた頃には、小さなライブみたいになっとったんよ」

絶句するプロデューサーさんの姿が、目に浮かぶ。


16 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:03:07.46zDo8rKZ40 (4/18)

最初の所から、その光景たちを想像してみた。

初めて行った場所で、見知らぬ人に絡まれて、『歌ってみろ』と凄まれて。

それなのに逃げ出さないで、ちゃんと歌って見せて、誰かを感動までさせて。

挙句の果てに、その場の空気を変えて、その場に居る多くの人を笑顔にした。

……全くもって、破天荒すぎだと思う。

『一声かけてくれ』というプロデューサーの言葉はもっともだ。

非日常的な状況を引き起こしたのは事実。

一歩間違えていれば、恋鐘ちゃん自身が危険な目にあっていたかもしれない。

だけど、それ以上に憧れてしまう。

その後のプロデューサーさんの、『よくやったぞ』という言葉に頷いてしまう。

パフォーマンスで人の心を動かして、その行動を変えて、1つの世界を作りだす。

まさしくアイドルだ。

そんなことが出来てしまう恋鐘ちゃんは、本当の本当に凄い人。

霧子「……恋鐘ちゃんは、さすがだね」

思っていることが口を衝く。

霧子「怖くは……なかったの?」

恋鐘「それは全然よ。昔、お父ちゃんが言っとったけん」

誇らしげに、恋鐘ちゃんが言う。

恋鐘「『海の男に悪いもんはおらんー!』って!」

霧子「……」

そういう問題なのか、とも思う。

だけど、その言葉で理解できた。

恋鐘ちゃんとわたしの違い、恋鐘ちゃんがそう出来た理由。

きっと恋鐘ちゃんは、どこまでも自然体なのだろう。

恋鐘「それによ? うちら、こんなに頑張っとるんやけん。そやったら……」

底の擦り切れた靴を拾い上げる。

恋鐘ちゃんは、そういうものだって誇らしげに、こう言えてしまうのだ。


17 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:04:06.99zDo8rKZ40 (5/18)




恋鐘「その成果を見せたい思うんは、ぜーんぜん悪いことじゃなかろ?」





18 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:04:59.05zDo8rKZ40 (6/18)

ガタンゴトンと音を立てて、目的の駅に電車が停まった。

事務所の最寄駅だ。

わたしはイヤホンを外し、スマホを鞄にしまって立ち上がる。

霧子(恋鐘ちゃん、カッコよかったな……)

帰りの電車の中で恋鐘ちゃんを見ていた。

今朝の漁港での一幕、その一部始終。

誰かが撮影されていたらしく、その動画がツイスタに投稿されていたのだ。

それを見終えて、わたしは喉をさする。

霧子(……魚の、小骨……)

勿論、そんなものは実在しない。

気になるけど、気にせずにいることはできて、気づかないうちに消えてしまうもの。

些細なわだかまりの比喩表現。

そのはずだったのに。

霧子(……わたし、フォークダンスの授業に行きたかったんだ……)

恋鐘ちゃんの言葉を聞いたら、その正体が見えてしまった。

そうして分かったら、その痛みは鋭さを増してしまった。

霧子(……わたし、誰かに認めて欲しかったんだ……)

頑張っていたから、その成果を誰かに見せたかった。

練習して得意になったから、それを誰かに見て欲しかった。

咲耶『霧子は根が善良すぎるよ』

霧子(……それは違うよ、咲耶さん……)

わたしは『見てもらいたい』という欲を、この感情を、とても『善』とは思えない。

自分の中にある普遍的な思いを『善』だと信じれない。

だってそれは

ひけらかす、ということじゃないか。


19 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:06:19.82zDo8rKZ40 (7/18)

もし仮に、恋鐘ちゃんが同じクラスの女の子だったとしよう。

フォークダンスの授業で、恋鐘ちゃんが踊る。

綺麗に、華麗に、魅力的に、誰よりも人目を引いて踊る。

そして、わたしは拍手をする。

それが咲耶さんでも、摩美々ちゃんでも、結華ちゃんでも、わたしは同じことをするだろう。

焦がれて、賞賛して、素直に拍手をしているに違いない。

だけれども、踊るのが自分ならそうならない。

それらは容易に逆転してしまうのだ。

ひけらかしている、という意識が真っ先にやってくる。

自分だけの為じゃないか、という考えが鎌首をもたげる。

わたしは自分の行いを、『悪』だと断じてしまう。

周囲の反応など関係なく、わたしはその行為自体を恥じてしまう。

……つまり、他人が行えば受け入れられる『善』で、自分が行えば恥じるべき『悪』になる。

そこに理論的な帰結など無い。

感性の話に、そんなものは持てない。

ただ『わたし』という人間が、そういう風に出来ているという話。

元より、魚の小骨は存在しなかった。

この痛みは、外部からもたらされた鋭い棘ではない。

自身の代謝にによって作られた、刺す痛みを持つ炎症だったのだ。

踊ってみたかったのは、本当の気持ち。

誰かに認められたいという気持ちも、嘘じゃない。

だけれども、自身のそれを『悪』だと思ってしまうから。

だから、わたしはフォークダンスを踊らない。

……そう決めた判断は、決して不正解じゃない。

そう、思いたいのだ。


20 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:07:09.66zDo8rKZ40 (8/18)

歩いて、目的地にたどり着く。

明かりが点いている事務所を見上げる。

そうした時に、ふと呟きがもれた。

霧子「……まだ、いるのかな……」

息が白くなっている。

初めて事務所を見上げた時には、色はついていなかった。

それは春先のことだったから。

あの時のわたしは、何を思って事務所を見上げていたのだろう。

霧子(たしか……『変わらなくちゃ』って、ずっと考えてた……)

不安で包帯を巻いてしまう自分。

人とズレた感性を持つ自分。

今日みたいに、自由になれない自分。

それらを隠して、消してしまいたいと思っていた。

それらを『矯正』してしまいたくて、わたしはアイドルになった。

霧子(今もそれは変わらないけど……だけど……)

『変わらなくちゃ』から『変わりたい』へと、その思いは弱くなった。

そうしたのは、プロデューサーさん。

プロデューサーさんと過ごしている日々の中で、それは不思議と弱くなっている。

霧子「……まだ、いるよね……」

もう1度だけ、呟きがもれる。

階段を上る。

酸素を求めて息を吸う。

わたしの中の何かを、また弱めてもらいたくて。

わたしは階段を駆け上がる。


21 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:08:36.14zDo8rKZ40 (9/18)

P「……き、霧子か。驚いたぞ」

プロデューサーさんが目を丸くしている。

それを見て、扉を開けるのに勢いがつき過ぎてしまったことを理解した。

霧子「はぁ……はぁ……プロデューサー……さん……」

P「どうしたんだ、霧子? トラブルか? それとも何か……」

霧子「い、いえ……! 何でも、ないんです……! 何でも……」

急いで息を整える。

プロデューサーさんが居たのは嬉しい。

だけど、プロデューサーさんに余計な心配はかけたくない。

霧子「その……駅からここまで、走ってきたので……」

P「そ、そうか。あまり無理はするなよ?」

霧子「はい……プロデューサーさんは、ご休憩中ですか……?」

プロデューサーさんは、くつろいでいる様子だった。

最近にしては珍しい。

ノートパソコンの目の前に座って、熱心にその画面を見つめている。

P「まあ、そんなところだ。今日は仕事がトントン拍子に進んでな」

手に持っている飲み物は、コーヒーでなく紅茶。

それだけのことが何だか嬉しい。

霧子(……邪魔は、しない方がいいよね)

レッスンに行く時には入り切らなかった荷物を、急いで鞄に詰める。

プロデューサーさんが休めているのを見て、少しだけ心が満たされた。

だから、今日はもう帰ろう。

伝えたいこと、聞いて欲しいこと、してもらいたいこと。

多くのものがあった気がするけれど、それらはしまい込んでおこう。

上手く言葉に出来なさそうだから、今はそうしてしまおう。

霧子「それでは、プロデューサーさん……」

言葉を口にしながら、出口の方に振り返る。



22 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:09:31.91zDo8rKZ40 (10/18)

P「……待ってくれ、霧子」

プロデューサーさんが、その行動を言葉で制した。

心が微かに震える。

P「俺は、霧子が来るのを待ってたんだ」

霧子「わたしを……ですか……?」

P「そうだ。霧子を、だ」

プロデューサーさんが立ち上がる。

それから、ノートパソコンの画面をわたしの方に向ける。

そこに映っていたのは、フォークダンスの動画だった。

P「……咲耶たちから話を聞いた。霧子の授業のことも聞いた」

その動画はプロの踊りや、イベントを収めたものではない。

もっと教育的な、言うなれば授業で使うようなものだった。

P「他にも霧子の様子とか。そういった見聞きしたことの中から、色々と考えたよ」

プロデューサーさんが言葉を続ける。

つとめて優しい声色で、どこか間違いを恐れるように。

P「正直、確信なんてない。間違えてたら笑ってくれていい。その上で言わせてもらうぞ」

わたしは何も言えずに、いつか聞いた言葉を思い出していた。

P「霧子は……フォークダンスをしてみたかったんじゃないのか?」

それはたしか、結華ちゃんの言っていた言葉。

『プロデューサーはずるい人』



23 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:10:47.59zDo8rKZ40 (11/18)

事務所のレッスンスタジオ、そこの音響機材とノートパソコン。

それらを接続しようと、プロデューサーさんが作業をしている。

それを手伝うことができずに、わたしはそれを見つめている。

P「……俺さ」

間を気にしたのか、プロデューサーさんが語りかけてくれる。

P「俺はさ、プロデューサーだろ?」

霧子「……はい……」

P「プロデューサーが第一に考えるのはアイドルのことだ。良い意味だけじゃなく、悪い意味でも」

商品価値だとか企業戦略だとかさ、と寂しそうに付け加える。

P「そういう立場の人間だからさ。アイドル『幽谷霧子』を優先して、霧子本人に損を強いることもあると思う」

霧子「そ、損だなんて……!」

P「強いているよ。仕事の為に学校を休ませるなんて、その最たるものだ」

プロデューサーさんの声に、強い怒りとか悲しみは感じない。

P「その辺りはお互い納得できていることだと思ってるから、一々悩んで立ち止まったりはしないけどさ」

感じるのは諦観と哀憫。

P「そうは言っても、そこに罪悪感を覚えないわけじゃない。それを割り切れるほど俺は強くなれない」

そして、自嘲と決意。

P「だから、大切にしたいんだ。アイドルとして必要なものも、不必要なものも。霧子が感じたもの全部を」

そこでちょうど、音響機材が動き始める。

緩やかなBGMが空間を流れ出す。

プロデューサーさんの声に、力強さの様なものが宿る。

P「立場が最優先になってしまうけど、それでも、俺はそれ以外にだって全力を尽くしたい」

そこでようやく、わたしは勘違いに気が付いた。


24 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:11:44.69zDo8rKZ40 (12/18)

わたしは勘違いをしていた。

プロデューサーさんは、勘違いをしている。

フォークダンスの授業を受けたかった本当の理由まで、プロデューサーさんは辿り着いていない。

わたしが拘っているのは『フォークダンスの授業を受けること』だと思っている。

P「『授業に出たかった』って気持ちも、霧子がそう思ったのなら、俺は大切にしたい」

だけど、それに気が付いても、プロデューサーさんが滑稽には見えなかった。

それはきっと、プロデューサーさんがもっと大きな物によって動いているから。

P「付け焼き刃の先生で申し訳ないけど、俺に授業をさせて欲しい」

さっきまで、フォークダンスの動画を見ていた意味が分かる。

事務所に入ってきた時に、プロデューサーさんが驚いていたことへの解釈が変わる。

P「ええっと……こういう時の出だしは、たしか……」

感じていた威厳の様なものが立ち消えて、より親しみ深いものとなってまた現れる。

P「ああ、そうだ。しゃ……」

プロデューサーさんがピンと背筋を伸ばす。

そうしてから、わたしに手を差し伸べる。

P「……Shall we dance?」

霧子「……っ……」

プロデューサーさんは顔を赤くしていて、恥ずかしがっているのが、どうしようもなく分かる。

その上にコテコテな表現だから、まるで格好が付いていない。

それなのに、だと言うのに。

恥ずかしがりながらも、格好付けてくれることが分かってしまうから。

『恥』を感じながらも、自分の感性と真っ直ぐに向き合えているから。

その姿がとっても、カッコよく見えてしまう。


25 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:12:46.74zDo8rKZ40 (13/18)

霧子「I would lo……」

思わず、何かを口走ってしまいそうになる。

その大切な言葉だけは、取って置くためにじっと堪えて、プロデューサーさんの手を取る。

霧子「I would like to do……です。プロデューサーさん……」

触れた手が、じんわりと熱を帯びる。

P「まずは、右足から行くぞ」

霧子「はい……♪」

音楽に合わせて2人で動く。

かけ声と足音が重なる。

それだけで、もう心地が良い。

P「1、2、3、4……1、2、3、4……じゃあ次は……」

プロデューサーさんが時折たどたどしく指導を入れてくれて、わたしがそれに応える。

どちらにもちゃんとした知識が無いのだから、無意味にじゃれ合っているだけになってしまう。

でも、それだって楽しくて仕方がない。

霧子「いち、に、さん、し……いち、に、さん、し……♪」

P「いち、に、さん、し……いち、に、さん、し……」

この時間がずっと続いて欲しい。

心の底から、そんなことを願ってしまう。


26 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:14:16.01zDo8rKZ40 (14/18)

だから、それは不意打ちだった。

P「霧子のダンス、上手になったよな」

ゆったりとした曲の最中、プロデューサーさんがそう呟いた。

霧子「そう……なんでしょうか……?」

P「間違いないよ。俺はダンスの専門家じゃないけど、霧子のことはずっと見てきたから」

霧子「……ありがとう、ございます……」

P「俺に礼を言うことじゃないよ。霧子は、いつもレッスンに一生懸命だったからな。当然の結果だ」

霧子「……あ、あり……ご……ます……」

声が消え入りそうになる。

やっぱり、プロデューサーさんはずるい人だと思った。

『ダンスレッスンの成果を、誰かに認めて欲しかったんだ』

隠そうとしていたそんな気持ちを、プロデューサーさんは、あっさりと撃ち抜いた。

霧子(そうだよ……プロデューサーさんは、ずるい人だ……)

わたしが半日かけて自覚した気持ちを、殆ど話していないのに言い当ててしまう。

今のように、隠そうとしていた気持ちを軽々と暴き出してしまう。

そして、その上で、どんな気持ちも受け入れて肯定してくれる。

一番欲しい、言葉をくれる。

思えば、この人はずっとそうだった。

こんなに深く深く、汚い所も綺麗な所も、全て見抜いて受け入れてもらえるのならば

『変わらなくちゃ』なんて気持ち、弱まって当然だ。

そんなのずるい。

ずるくて、ずるくて、ずる過ぎて──

何より暖かくて、愛おしい。


27 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:15:18.99zDo8rKZ40 (15/18)

霧子(プロデューサーさんがずるい人なら、わたしは嘘つきな人だ……)

男の人に触れても何も感じないなんてのは、嘘だった。

触れるのには慣れてるからドキドキしないなんて、大嘘だった。

それが嘘になるなんて、全く考えもしなかった。

霧子(だって、こんなに暖かくて熱いから……)

2人だけのフォークダンス。

踊っていれば手と手が触れて、離れて、また触れて。

プロデューサーさんの手に触れるたび、何度も手の平と指先が熱くなる。

霧子(こんなに寒くて冷たいなんて、知らなかったから……)

離れるたびに体の芯まで冷たくなって、寂しくなって。

また触れた時に、もっともっと触れていたくなる。

その温もりを手放しがたくなる。

霧子(……だから、わたしは大嘘つきな人)

隠すくせに、本当は見つけて欲しくて。

何かしてあげたいのに、何でもないと言って。

自分では受け入れられない自分を、誰かと一緒に受け入れたくて。

霧子(だから、わたしは──)

プロデューサーさんは、その全てに寄り添ってくれる人だから。

霧子(──わたしは、この人が大好きなんだ)


28 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:16:14.42zDo8rKZ40 (16/18)

チョコレートに文字をのせる。

言葉の形を表面に薄く掘ってから、その部分に黒のチョコペンを走らせる。

『I love you』と、チョコレートしっかり刻み込む。

メッセージカードの方には、『お疲れ様です。いつも、ありがとうございます』と書いた。

慰労も感謝も慕情も、その全部が伝えたい気持ちだから。

霧子(あとは、仕上げをするだけ……)

買い足した白いチョコペンで、刻んだ文字の上に絵を描いていく。

絵を描いて、文字を見えなくしてしまう。

まだ伝えるには早すぎる気持ちだから、白い花の絵を使って隠してしまう。

選んだのは、白のツツジの花。

その花言葉は『初恋』。

気持ちを大切にしまい込んでおく、チョコレートにとっての包帯さんだ。

花びらを1枚1枚慎重に描いて、完成した頃には日付が回ってしまった。

もう2月14日、バレンタインの日だ。


29 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:17:31.54zDo8rKZ40 (17/18)

花言葉。

その意味に、プロデューサーさんは、気付いてくれるだろうか。

変に抜けていることがあるから、気付いてくれないかもしれない。

やっぱり博識だから、ちゃんと気付いてくれるかもしれない。

でもそれは、どちらだって良い。

わたしが好き放題に作ったこのチョコレートを、喜んでくれればそれでいい。

それだけで、わたしは幸せな気持ちになれるはずだ。

霧子(でも……どちらかと言えば……)

この想いが通じて欲しい。

恥じることなく、今はそう思える。

そんな気持ちごと、チョコレートを丁寧にラッピングして袋詰め。

そうして出来た小包みを、優しく胸の前で抱き締める。

霧子(ハッピーバレンタインです、プロデューサーさん……♪)

その場でステップ。

そしてわたしは、心の中で気持ちを伝える練習をする。

いつかのその日を思い描きながら。


30 ◆/rHuADhITI2019/02/15(金) 00:18:22.41zDo8rKZ40 (18/18)

終わりです。お目汚し失礼しました。


31以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2019/02/15(金) 07:18:22.075CFJIxcTO (1/1)

乙乙
たまらんな


32以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2019/02/15(金) 09:54:09.80zrfb4WLa0 (1/1)

ああもう霧子好き 乙です!


33以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2019/02/15(金) 20:44:55.48ZnDcgv+xO (1/1)

めっちゃ良い...


34以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/11/02(月) 14:06:33.239W7wMxCR0 (1/1)

>>2
人生は ありがとうに気づく旅


35以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/11/03(火) 11:52:48.257FTWJcaL0 (1/1)

霧子……
限界になる
かわいいなー霧子は!!!


36以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2021/10/29(金) 14:04:55.00qtGf7moG0 (1/1)

ー 心より中村さんのご冥福をお祈りいたします ―


37以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2021/12/08(水) 22:56:57.50RdzJTFzY0 (1/1)

>>3
人生は ありがとうに気づく旅