◆XkFHc6ejAk さんの作品一覧
http://s2-d2.com/archives/16909679.html
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1: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 14:30:34.98:OOMGAyot0 (1/29)
男(俺にはある特技があった)
男(それは、人の能力を盗む事だ)
男(全神経を研ぎ澄ませて相手を注意深く観察する)
男(そうする事で、相手の能力のポイントや流れを理解し、模倣する事が出来た)
男(だが、俺にはコンプレックスがある)
男(それは、何かで一番を取った事が無いと言う事)
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1598160634
男(俺にはある特技があった)
男(それは、人の能力を盗む事だ)
男(全神経を研ぎ澄ませて相手を注意深く観察する)
男(そうする事で、相手の能力のポイントや流れを理解し、模倣する事が出来た)
男(だが、俺にはコンプレックスがある)
男(それは、何かで一番を取った事が無いと言う事)
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モバP「泰葉からチョコもらった時の話?」
絵里「なんとかストロガノフ!」穂乃果「そう、カレーです」
タマ「ニャー」タラオ「タマ口臭いですぅ!」タマ「!!!!!!!」
玲音「風邪を引いてしまったようだ…」
苗木「霧切さん、この蝶ネクタイつけてみてよ」
2: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 14:48:18.76:OOMGAyot0 (2/29)
男(よく人は俺を要領が良いと褒めてくる)
男(だが、俺はただ人の猿真似をしているだけだ)
男(どんなに努力した所で、本当の才能って奴には勝てた試しが無い)
男(所詮俺は劣化の模倣品なんだ)
男(『覚えが早いね』……その言葉を投げられる度に、どうしようもない苛立ちに苛まれる)
男(一位になりたい。本物になりたい)
男(そんな苦しみを育てながら、俺は今日もみっともなく生きている)
男(よく人は俺を要領が良いと褒めてくる)
男(だが、俺はただ人の猿真似をしているだけだ)
男(どんなに努力した所で、本当の才能って奴には勝てた試しが無い)
男(所詮俺は劣化の模倣品なんだ)
男(『覚えが早いね』……その言葉を投げられる度に、どうしようもない苛立ちに苛まれる)
男(一位になりたい。本物になりたい)
男(そんな苦しみを育てながら、俺は今日もみっともなく生きている)
3: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 14:50:21.59:OOMGAyot0 (3/29)
男(町を歩く奴らは、どいつもこいつも平然と歩いている)
男(まるで自分には何の悩みも無いとでも言う風に)
男(どうしてそんなに堂々としていられる、お前たちはそんなに有能なのか)
男(骨の髄まで怒りが走る。世の中は不平等だ)
男(俺に力を寄越せ。どうして俺だけが苦しまないといけない)
男(道端に捨てられている空き缶を、俺は力任せに蹴り飛ばす)
男(圧倒的な才が欲しい。悪魔ですら黙らせるほどの)
男(町を歩く奴らは、どいつもこいつも平然と歩いている)
男(まるで自分には何の悩みも無いとでも言う風に)
男(どうしてそんなに堂々としていられる、お前たちはそんなに有能なのか)
男(骨の髄まで怒りが走る。世の中は不平等だ)
男(俺に力を寄越せ。どうして俺だけが苦しまないといけない)
男(道端に捨てられている空き缶を、俺は力任せに蹴り飛ばす)
男(圧倒的な才が欲しい。悪魔ですら黙らせるほどの)
4: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 14:57:00.28:OOMGAyot0 (4/29)
男(つまらない風景。どれもこれも平凡だ)
男(町を歩いていると、公園のベンチに座って空を眺めている老人が目についた)
男(随分と暇なんだろうな)
男(俺はそいつを一瞥し、無関心に歩みを進める)
男「!」
男(うっかり目が合ってしまった)
男(老人は何も言わず、ただ穏やかな表情で笑みを浮かべた)
男「……ッ!」
男(どうして人にそんな表情を向ける事が出来る)ギリ
男(見下していた俺の器の狭さが、浮き彫りにされてしまったようで)
男(俺は決まりが悪くなり、なんとも言えず足早に立ち去った)
男(つまらない風景。どれもこれも平凡だ)
男(町を歩いていると、公園のベンチに座って空を眺めている老人が目についた)
男(随分と暇なんだろうな)
男(俺はそいつを一瞥し、無関心に歩みを進める)
男「!」
男(うっかり目が合ってしまった)
男(老人は何も言わず、ただ穏やかな表情で笑みを浮かべた)
男「……ッ!」
男(どうして人にそんな表情を向ける事が出来る)ギリ
男(見下していた俺の器の狭さが、浮き彫りにされてしまったようで)
男(俺は決まりが悪くなり、なんとも言えず足早に立ち去った)
5: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 14:59:22.13:OOMGAyot0 (5/29)
男(俺は町を彷徨う)
男(その姿は海月に似ている)
男(だが、俺は奴らとは違う)
男(海月は泳ぐ事が出来ない。自分を持たずにただ流れに任せて海を揺蕩う)
男(俺は自分で進む事が出来る。俺の行き先は俺のものだ)
男(俺は――)
男「……馬鹿らしい」
男(海月にすら必死に張り合う自分の滑稽さに気付き、俺は舌打ちをする)
男(苦しい。苦しい)
男(息が詰まる。どうすれば楽に生きられるんだろう)
男(俺は町を彷徨う)
男(その姿は海月に似ている)
男(だが、俺は奴らとは違う)
男(海月は泳ぐ事が出来ない。自分を持たずにただ流れに任せて海を揺蕩う)
男(俺は自分で進む事が出来る。俺の行き先は俺のものだ)
男(俺は――)
男「……馬鹿らしい」
男(海月にすら必死に張り合う自分の滑稽さに気付き、俺は舌打ちをする)
男(苦しい。苦しい)
男(息が詰まる。どうすれば楽に生きられるんだろう)
6: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:03:52.07:OOMGAyot0 (6/29)
男「……ん」クン
男(何処からともなく流れてきた珈琲の香りが、ふと鼻をくすぐった)
男(かなり遠くから来ているらしい、ほんの微かな香りだ)
男(それは、俺が今まで感じた事の無い香りだった)
男(たかが珈琲ごときに、心を奪われて立ち止まったのは初めての事だった)
男「これは……一体何処から」
男(俺の頭は、その出所を突き止める事のみに支配されていた)
男(犬のように意識を鼻に集中させ、俺はゆっくりと歩きだした)
男「……ん」クン
男(何処からともなく流れてきた珈琲の香りが、ふと鼻をくすぐった)
男(かなり遠くから来ているらしい、ほんの微かな香りだ)
男(それは、俺が今まで感じた事の無い香りだった)
男(たかが珈琲ごときに、心を奪われて立ち止まったのは初めての事だった)
男「これは……一体何処から」
男(俺の頭は、その出所を突き止める事のみに支配されていた)
男(犬のように意識を鼻に集中させ、俺はゆっくりと歩きだした)
7: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:05:50.55:OOMGAyot0 (7/29)
男「こんな所に店が……」
【珈琲 芍薬】
男(町から少し外れた、長い坂道を上った所)
男(目の前には木々が広がり、目ぼしい物は他に見当たらない)
男(そんな辺鄙な場所に、その店は立っていた)
男(よくもまあ先ほどの場所から気が付いたものだ)
男(こんな立地じゃ、対して客も入らないだろうに)
男(だが……)
男(扉を開ける前から漂う、この素晴らしい香り)
男(その香りの中には、確かな才を感じられる)
男(俺はその香りに負けないように、心の重心をどしりと下げて扉を開けた)
男「こんな所に店が……」
【珈琲 芍薬】
男(町から少し外れた、長い坂道を上った所)
男(目の前には木々が広がり、目ぼしい物は他に見当たらない)
男(そんな辺鄙な場所に、その店は立っていた)
男(よくもまあ先ほどの場所から気が付いたものだ)
男(こんな立地じゃ、対して客も入らないだろうに)
男(だが……)
男(扉を開ける前から漂う、この素晴らしい香り)
男(その香りの中には、確かな才を感じられる)
男(俺はその香りに負けないように、心の重心をどしりと下げて扉を開けた)
8: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:10:28.94:OOMGAyot0 (8/29)
りん りん りん
男(ガラス製のドアベルの音が、静やかに空間に染み渡る)
女「いらっしゃいませ」ニコ
男「一人です」
男(店の中は、四人用、二人用、一人用の席がそれぞれ二つずつ配置されている)
男(壁には年季の入った時計が掛けられており、珈琲ミルやランプが飾られている)
男(俺は壁際の一人席に座った)
男(木製の机は艶があり、何とも落ち着く)
男(机には金魚鉢のような、ガラスの花器が飾られている)
男(活けられているのは薄紫の紫陽花だ。水の中には赤や青のビー玉が入っている)
男(BGMのようなものは無く、木々のさらさらとした音のみが広がっている)
男(何だろう……安心感がある)
女「お決まりでしたらお呼び下さいね」
男「あ……では本日の珈琲で」
女「かしこまりました」
男(席からキッチンを盗み見る事が出来る)
男(店員はあの女一人だけなのだろうか?)
男(俺と同じくらいの年だ。まだ若いのに一人で店を回しているのか)
女「本日の豆は、「向日葵」ブレンドです」
男「!」
男(見ているのがバレた⁉ こちらを向いていないのに?)
男(偶然か? いや、明らかに俺の視線に呼応していた)
男(俺は窃盗がバレたような気持ちになり、逃げるようにコップの水を飲む)
男(あ……レモンの香りがする。旨い)
りん りん りん
男(ガラス製のドアベルの音が、静やかに空間に染み渡る)
女「いらっしゃいませ」ニコ
男「一人です」
男(店の中は、四人用、二人用、一人用の席がそれぞれ二つずつ配置されている)
男(壁には年季の入った時計が掛けられており、珈琲ミルやランプが飾られている)
男(俺は壁際の一人席に座った)
男(木製の机は艶があり、何とも落ち着く)
男(机には金魚鉢のような、ガラスの花器が飾られている)
男(活けられているのは薄紫の紫陽花だ。水の中には赤や青のビー玉が入っている)
男(BGMのようなものは無く、木々のさらさらとした音のみが広がっている)
男(何だろう……安心感がある)
女「お決まりでしたらお呼び下さいね」
男「あ……では本日の珈琲で」
女「かしこまりました」
男(席からキッチンを盗み見る事が出来る)
男(店員はあの女一人だけなのだろうか?)
男(俺と同じくらいの年だ。まだ若いのに一人で店を回しているのか)
女「本日の豆は、「向日葵」ブレンドです」
男「!」
男(見ているのがバレた⁉ こちらを向いていないのに?)
男(偶然か? いや、明らかに俺の視線に呼応していた)
男(俺は窃盗がバレたような気持ちになり、逃げるようにコップの水を飲む)
男(あ……レモンの香りがする。旨い)
9: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:12:58.75:OOMGAyot0 (9/29)
ざっ
男(店に漂う香りが強くなった。手動の珈琲ミルに豆が入れられたからだ)
しゃらららら……
男「……⁉」
男(な、な……何が起きている⁉)
男(ま、まず音だ! 豆を挽く音が違う!)
男(がりがりとした耳障りな音では無く、まるで砂時計の砂が流れていくような)
男(あまりにも純粋で繊細で、清潔な音だった。こんな美しい音は聞いた事が無い)
ふわ……
男「え……あ……!」
男(どうなっている⁉ 理解が出来ない!)
男(そのままを言葉にするならば)
男(豆を挽く音が、香りが、色を纏っている!)
男(鮮やかな赤が広がり、青や緑が混ざって渦を描いていく)
男(実際に色は見えないが、確実にその色合いを感じる事が出来る)
男(何が起こっているんだ⁉)
ざっ
男(店に漂う香りが強くなった。手動の珈琲ミルに豆が入れられたからだ)
しゃらららら……
男「……⁉」
男(な、な……何が起きている⁉)
男(ま、まず音だ! 豆を挽く音が違う!)
男(がりがりとした耳障りな音では無く、まるで砂時計の砂が流れていくような)
男(あまりにも純粋で繊細で、清潔な音だった。こんな美しい音は聞いた事が無い)
ふわ……
男「え……あ……!」
男(どうなっている⁉ 理解が出来ない!)
男(そのままを言葉にするならば)
男(豆を挽く音が、香りが、色を纏っている!)
男(鮮やかな赤が広がり、青や緑が混ざって渦を描いていく)
男(実際に色は見えないが、確実にその色合いを感じる事が出来る)
男(何が起こっているんだ⁉)
10: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:16:49.51:OOMGAyot0 (10/29)
男(彼女はそうして出来た粉を、紙のフィルターを広げてドリッパーにセットする)
男(専用の珈琲ケトルから、細い細い湯を満遍なく注いでいく)
男(遠目からなのでよく見えないが、粉が膨れ上がっているようだ。一度蒸らしているのだろうか)
男(少し待って蒸らし終わったそれに、再び湯を注ぎ始める)
男(もしかして、俺はとんでもない才を目にしているのかもしれない)
男(たかが珈琲ごときに、こんなにも緊張して待つ事は初めてだ……!)ゴク
男(彼女はそうして出来た粉を、紙のフィルターを広げてドリッパーにセットする)
男(専用の珈琲ケトルから、細い細い湯を満遍なく注いでいく)
男(遠目からなのでよく見えないが、粉が膨れ上がっているようだ。一度蒸らしているのだろうか)
男(少し待って蒸らし終わったそれに、再び湯を注ぎ始める)
男(もしかして、俺はとんでもない才を目にしているのかもしれない)
男(たかが珈琲ごときに、こんなにも緊張して待つ事は初めてだ……!)ゴク
11: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:20:10.03:OOMGAyot0 (11/29)
女「お待たせしました。どうぞごゆっくり」
男(飴色の茶托の上には、有田焼か何かの和風のコーヒーカップ)
男(その落ち着いた色合いのカップからは、信じられないほど鮮やかな虹色が溢れていた)
男(一体どうなっているんだ。これは珈琲なのか?)
男(俺は恐る恐る、それを口に含む)
男(あ……)
男「……旨い!」
女「良かった」
男(穏やかな深みを湛えながら、舌を刺すように鋭い苦み)
男(だが、それはしつこく残る事なく、さっと消える。素晴らしい味のキレだ)
男(むせ返りそうな程に香ばしいのに、その香りの中にはかすかな甘みがある)
男(衝撃のあまり、俺は我を忘れてその珈琲の味を感じ取っていた)
女「いかがでしょうか。軽やかな味わいとしっかりした苦さの、夏向けのブレンドです」
男「……こんなにも珈琲を旨いと思ったのは初めてです」
女「ありがとうございます」ニコ
男(何と言えば良いのか、身体が明るくなった気がする)
男(信じられないほど旨かった……)
男「ご馳走様でした……」
男(俺は半分夢心地のまま、会計を済ませる)
女「ありがとうございました。暑いのでお気をつけて」
男「……」
男「……また、来ます」
男(それが「芍薬」との出会いだった)
女「お待たせしました。どうぞごゆっくり」
男(飴色の茶托の上には、有田焼か何かの和風のコーヒーカップ)
男(その落ち着いた色合いのカップからは、信じられないほど鮮やかな虹色が溢れていた)
男(一体どうなっているんだ。これは珈琲なのか?)
男(俺は恐る恐る、それを口に含む)
男(あ……)
男「……旨い!」
女「良かった」
男(穏やかな深みを湛えながら、舌を刺すように鋭い苦み)
男(だが、それはしつこく残る事なく、さっと消える。素晴らしい味のキレだ)
男(むせ返りそうな程に香ばしいのに、その香りの中にはかすかな甘みがある)
男(衝撃のあまり、俺は我を忘れてその珈琲の味を感じ取っていた)
女「いかがでしょうか。軽やかな味わいとしっかりした苦さの、夏向けのブレンドです」
男「……こんなにも珈琲を旨いと思ったのは初めてです」
女「ありがとうございます」ニコ
男(何と言えば良いのか、身体が明るくなった気がする)
男(信じられないほど旨かった……)
男「ご馳走様でした……」
男(俺は半分夢心地のまま、会計を済ませる)
女「ありがとうございました。暑いのでお気をつけて」
男「……」
男「……また、来ます」
男(それが「芍薬」との出会いだった)
12: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:21:55.36:OOMGAyot0 (12/29)
男(暑い)
男(茹だるような暑さとはこの事だろう。自分の息すらも熱風に感じる)
男(狂ったように鳴く蝉が耳障りだ)
男(こうもしつこく喚いて惨めにならないのだろうか)
男(あまりに必死で、不毛な喚き声だ)
男(……)
男(分かっている。行動すらせずに見下している俺の方が惨めなんだ)
男(俺は蝉以下の存在だ)
男(そんな自己嫌悪を振り払うように、俺は足を進める)
男(嫌な事も、考えなければ何も無い。俺は自由でいられるはず)
男(「芍薬」はすぐそこだ)
男(暑い)
男(茹だるような暑さとはこの事だろう。自分の息すらも熱風に感じる)
男(狂ったように鳴く蝉が耳障りだ)
男(こうもしつこく喚いて惨めにならないのだろうか)
男(あまりに必死で、不毛な喚き声だ)
男(……)
男(分かっている。行動すらせずに見下している俺の方が惨めなんだ)
男(俺は蝉以下の存在だ)
男(そんな自己嫌悪を振り払うように、俺は足を進める)
男(嫌な事も、考えなければ何も無い。俺は自由でいられるはず)
男(「芍薬」はすぐそこだ)
13: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:23:09.87:OOMGAyot0 (13/29)
ミーンミンミンミンミン……
男(暑い)
男(茹だるような暑さとはこの事だろう。自分の息すらも熱風に感じる)
男(狂ったように鳴く蝉が耳障りだ)
男(こうもしつこく喚いて惨めにならないのだろうか)
男(あまりに必死で、不毛な喚き声だ)
男(……)
男(分かっている。行動すらせずに見下している俺の方が惨めなんだ)
男(俺は蝉以下の存在だ)
男(そんな自己嫌悪を振り払うように、俺は足を進める)
男(嫌な事も、考えなければ何も無い。俺は自由でいられるはず)
男(「芍薬」はすぐそこだ)
ミーンミンミンミンミン……
男(暑い)
男(茹だるような暑さとはこの事だろう。自分の息すらも熱風に感じる)
男(狂ったように鳴く蝉が耳障りだ)
男(こうもしつこく喚いて惨めにならないのだろうか)
男(あまりに必死で、不毛な喚き声だ)
男(……)
男(分かっている。行動すらせずに見下している俺の方が惨めなんだ)
男(俺は蝉以下の存在だ)
男(そんな自己嫌悪を振り払うように、俺は足を進める)
男(嫌な事も、考えなければ何も無い。俺は自由でいられるはず)
男(「芍薬」はすぐそこだ)
14: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:29:04.20:OOMGAyot0 (14/29)
りん りん りん
女「いらっしゃいませ。暑かったでしょう」
男「どうも」
男(差し出された手ぬぐいは、きりっと冷やされていた)
男(熱を帯びた身体が一気に冷やされていく)
男(店の中には、一人の老人が座っていた。俺はそれを見てどきりとする)
男(以前、空を見ていた老人だ)
男(俺は目を合わせず、メニューを開く)
男(「芍薬」は、その日のブレンドとアイスの二つしか飲み物が無い)
男(もっと増やせばいいのに、それはこだわりと言う奴なんだろうか)
男「アイスで」
女「はい。少々お待ち下さい」
男(老人は珈琲を飲みながら、何かの本を読んでいる)
しゃららららら……
男(この音だ。この音を聴きにやってきたんだ)
男(色鮮やかな音が店内に広がる)
男(美しい。心が浄化されるようだ)
男(そうだ、あの老人には見えているのか?)チラ
老人「……」
男(……穏やかな表情をしている。目線は本に向いたままだ)
男(見えていないのか……? 分からない。どちらとも取れる)
男(キッチンに目線を戻すと、コーヒーカップにたっぷりの氷が入れられていた)
男(茶色い氷だ。まさか珈琲を凍らせているのだろうか)
女「……」
男(あの店主の淹れる様は、見ていて飽きない)
男(それほどまでに美しく無駄が無い。まるで雲が流れていくようだ)
男(俺は意識を集中する。どんな音も逃さないように)
ちりちりちり……
男(熱い珈琲が、氷にぶつかって急速に冷えていく)
男(ちりちりとした氷が溶けていく音の中に、時折ぱきっとそれが割れる音がする)
男(うざったい外の暑さを砕くような清涼音だ)
男(ああ)
男(此処は落ち着く)
りん りん りん
女「いらっしゃいませ。暑かったでしょう」
男「どうも」
男(差し出された手ぬぐいは、きりっと冷やされていた)
男(熱を帯びた身体が一気に冷やされていく)
男(店の中には、一人の老人が座っていた。俺はそれを見てどきりとする)
男(以前、空を見ていた老人だ)
男(俺は目を合わせず、メニューを開く)
男(「芍薬」は、その日のブレンドとアイスの二つしか飲み物が無い)
男(もっと増やせばいいのに、それはこだわりと言う奴なんだろうか)
男「アイスで」
女「はい。少々お待ち下さい」
男(老人は珈琲を飲みながら、何かの本を読んでいる)
しゃららららら……
男(この音だ。この音を聴きにやってきたんだ)
男(色鮮やかな音が店内に広がる)
男(美しい。心が浄化されるようだ)
男(そうだ、あの老人には見えているのか?)チラ
老人「……」
男(……穏やかな表情をしている。目線は本に向いたままだ)
男(見えていないのか……? 分からない。どちらとも取れる)
男(キッチンに目線を戻すと、コーヒーカップにたっぷりの氷が入れられていた)
男(茶色い氷だ。まさか珈琲を凍らせているのだろうか)
女「……」
男(あの店主の淹れる様は、見ていて飽きない)
男(それほどまでに美しく無駄が無い。まるで雲が流れていくようだ)
男(俺は意識を集中する。どんな音も逃さないように)
ちりちりちり……
男(熱い珈琲が、氷にぶつかって急速に冷えていく)
男(ちりちりとした氷が溶けていく音の中に、時折ぱきっとそれが割れる音がする)
男(うざったい外の暑さを砕くような清涼音だ)
男(ああ)
男(此処は落ち着く)
15: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:34:24.40:OOMGAyot0 (15/29)
女「お待たせしました」
男(運ばれたカップからは、やはり虹色が溢れていた。まるで冷気のようだ)
男(! カップまで冷たい。わざわざ冷やしていたのか)
男「……」ゴク
男「……おお、旨い」
男(以前の鋭い苦みとはまた違う。ほどよい苦みが口に広がる)
男(柔らかな酸味を感じる。それらがきりっと冷やされていて喉が引き締まる)
男(旨い……)
老人「いやあ、旨いねえ。若いのに大した腕前だ」
女「いえ、そんな……ありがとうございます」
老人「この珈琲から虹色を感じるよ。私もボケてしまったのかな」
女「お気付きになられましたか、人によって感じられる方とそうでない方がいらっしゃいます」
老人「不思議な珈琲だねえ」
男(! やはり、他の人にも虹色が感じられるのか)
老人「あんたのおかげでリラックス出来ますよ。ありがとうなあ」
女「そう言って頂けると報われます」
男(優しい会話)
男(いつもなら心の中で突っかかっていただろう)
男(だが、今はそんな気になれなかった)
男(……何故だろう?)
女「お待たせしました」
男(運ばれたカップからは、やはり虹色が溢れていた。まるで冷気のようだ)
男(! カップまで冷たい。わざわざ冷やしていたのか)
男「……」ゴク
男「……おお、旨い」
男(以前の鋭い苦みとはまた違う。ほどよい苦みが口に広がる)
男(柔らかな酸味を感じる。それらがきりっと冷やされていて喉が引き締まる)
男(旨い……)
老人「いやあ、旨いねえ。若いのに大した腕前だ」
女「いえ、そんな……ありがとうございます」
老人「この珈琲から虹色を感じるよ。私もボケてしまったのかな」
女「お気付きになられましたか、人によって感じられる方とそうでない方がいらっしゃいます」
老人「不思議な珈琲だねえ」
男(! やはり、他の人にも虹色が感じられるのか)
老人「あんたのおかげでリラックス出来ますよ。ありがとうなあ」
女「そう言って頂けると報われます」
男(優しい会話)
男(いつもなら心の中で突っかかっていただろう)
男(だが、今はそんな気になれなかった)
男(……何故だろう?)
16: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:36:48.55:OOMGAyot0 (16/29)
老人「へえ、まるでペンが生きているみたいだ」
男「いや、ただの下らないペン回しですよ」ヒュンヒュン
老人「そんな事は無いよ、指の間を駆け巡るなんて見た事無い。他にも出来るのかな?」
男「ええ、では……」
男(俺はいつしか、「芍薬」の常連となっていた)
男(あの老人ともすっかり顔見知りになり、少しばかりの会話をする事もあった)
男(俺の中で、何かが変わり始めている)
男(人の声が、空の色が、歩く音が以前とは違うように感じられる)
男(不思議と、あの店主の才を盗もうとは思わなかった)
男(そんな事を考える自分を、何処か恥ずかしく感じていた)
男(考えて見れば、俺はあの店主の事を何も知らない)
男(どうやって虹色の珈琲を淹れられるようになったんだろう)
男(いつしか、俺は珈琲よりも彼女に興味を持っていた)
老人「へえ、まるでペンが生きているみたいだ」
男「いや、ただの下らないペン回しですよ」ヒュンヒュン
老人「そんな事は無いよ、指の間を駆け巡るなんて見た事無い。他にも出来るのかな?」
男「ええ、では……」
男(俺はいつしか、「芍薬」の常連となっていた)
男(あの老人ともすっかり顔見知りになり、少しばかりの会話をする事もあった)
男(俺の中で、何かが変わり始めている)
男(人の声が、空の色が、歩く音が以前とは違うように感じられる)
男(不思議と、あの店主の才を盗もうとは思わなかった)
男(そんな事を考える自分を、何処か恥ずかしく感じていた)
男(考えて見れば、俺はあの店主の事を何も知らない)
男(どうやって虹色の珈琲を淹れられるようになったんだろう)
男(いつしか、俺は珈琲よりも彼女に興味を持っていた)
17: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:42:40.85:OOMGAyot0 (17/29)
さらさらさら……
男(やはり、この店は静かで良い)
男(木々の葉の音が何とも心地良い。清涼な気分にさせてくれる)
男「……旨い」
男(今日の珈琲はナッツのような香りがする。素晴らしい香りに特化した一杯だ)
女「あら、その本私も読んだ事があります」
老人「有名な作品だからねえ。何度も読み返してしまうよ」
老人「名作は良いものだ。誰もが一度は読むべき価値がある」
男(その言葉に胸がちくりと痛む。俺もそんな事を言われてみたい)
女「親友が最後に死んでしまうのが悲しいんですよね」
老人「ああ、「本当の幸せ」とは、何なんだろうなあ」
女「自分が死ぬことすらいとわない他者への思いやり……でしょうか」
男「……そんなの、綺麗事でしょう。自分が死んだらそれで全部おしまいだ」
男「自分が救われなければ、全部が無駄じゃないですか」
老人「ううむ。分からん。分からんなあ」
老人「けれども、物語の彼にとってはそれが幸せなんだろう」
男(理解に苦しむ。俺の人生は俺の物だ)
男(自分が犠牲になって人を救ったとして、俺は満足出来ない)
男(ただの綺麗事だけで、人は生きていられないんだよ)
老人「私は身体に不自由無く生きていられる、それだけで幸せだなあ」
女「ええ、とても幸せな事ですね」
男(……)
老人「君達にとっての幸せとは、何だい?」
男「……!」
男(答える事が出来なかった)
女「私は……私の作った珈琲で笑顔になって貰えれば、それで」
老人「ほほう」
男(違和感があった。以前からも時々気になっていた事だ)
男(女さんの笑顔は、何処か壁がある)
男(その場しのぎと言うか、嘘はついていないのだろうが……)
男(後ろめたさ、のような何かを感じる)
さらさらさら……
男(やはり、この店は静かで良い)
男(木々の葉の音が何とも心地良い。清涼な気分にさせてくれる)
男「……旨い」
男(今日の珈琲はナッツのような香りがする。素晴らしい香りに特化した一杯だ)
女「あら、その本私も読んだ事があります」
老人「有名な作品だからねえ。何度も読み返してしまうよ」
老人「名作は良いものだ。誰もが一度は読むべき価値がある」
男(その言葉に胸がちくりと痛む。俺もそんな事を言われてみたい)
女「親友が最後に死んでしまうのが悲しいんですよね」
老人「ああ、「本当の幸せ」とは、何なんだろうなあ」
女「自分が死ぬことすらいとわない他者への思いやり……でしょうか」
男「……そんなの、綺麗事でしょう。自分が死んだらそれで全部おしまいだ」
男「自分が救われなければ、全部が無駄じゃないですか」
老人「ううむ。分からん。分からんなあ」
老人「けれども、物語の彼にとってはそれが幸せなんだろう」
男(理解に苦しむ。俺の人生は俺の物だ)
男(自分が犠牲になって人を救ったとして、俺は満足出来ない)
男(ただの綺麗事だけで、人は生きていられないんだよ)
老人「私は身体に不自由無く生きていられる、それだけで幸せだなあ」
女「ええ、とても幸せな事ですね」
男(……)
老人「君達にとっての幸せとは、何だい?」
男「……!」
男(答える事が出来なかった)
女「私は……私の作った珈琲で笑顔になって貰えれば、それで」
老人「ほほう」
男(違和感があった。以前からも時々気になっていた事だ)
男(女さんの笑顔は、何処か壁がある)
男(その場しのぎと言うか、嘘はついていないのだろうが……)
男(後ろめたさ、のような何かを感じる)
18: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:44:57.20:OOMGAyot0 (18/29)
むわっ……
男(暑苦しい)
男(何とも不愉快な熱帯夜だ。一向に眠気がやってこない)
男(老人さんの話が頭から離れない)
男(俺にとっての幸せとは、何なのだろう)
男(それが見つかれば、俺は楽になれるのだろうか)
男(俺は何を求めているんだ?)
男(重々しい汗が首筋を流れる。こんな事を考えているのも夜のせいだ)
男(さっさと眠ってしまおう。眠っている間は楽でいられる)
むわっ……
男(暑苦しい)
男(何とも不愉快な熱帯夜だ。一向に眠気がやってこない)
男(老人さんの話が頭から離れない)
男(俺にとっての幸せとは、何なのだろう)
男(それが見つかれば、俺は楽になれるのだろうか)
男(俺は何を求めているんだ?)
男(重々しい汗が首筋を流れる。こんな事を考えているのも夜のせいだ)
男(さっさと眠ってしまおう。眠っている間は楽でいられる)
19: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:46:22.98:OOMGAyot0 (19/29)
男「な……!」
男(いつもの「芍薬」の扉には、しばらく休業するとの知らせがあった)
男(何故だ、どうして突然……)
男「……落ち着け、たかが珈琲だ」
男(そうだ、別に何処でだって飲める)
男(何を残念がっている。期待するだけ無駄だと分かっていただろう)
男「な……!」
男(いつもの「芍薬」の扉には、しばらく休業するとの知らせがあった)
男(何故だ、どうして突然……)
男「……落ち着け、たかが珈琲だ」
男(そうだ、別に何処でだって飲める)
男(何を残念がっている。期待するだけ無駄だと分かっていただろう)
20: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:47:47.99:OOMGAyot0 (20/29)
男「……」
男(ふと目についた適当な喫茶店で飲んだ珈琲は、大した事の無い味だった)
男(どうにも居心地が悪い。一人で居るのが場違いのようだ)
男(店員の態度? 店の配置?)
男(どれもこれも違う、いや――)
男「……ああ」
男(認めよう。俺はあの店が好きだったんだ)
男(そう思った瞬間、とんでもない虚無感に襲われる)
男(もう「芍薬」の扉を開ける事は無いのか)
男(俺はしょうもない珈琲を飲み干した。味なんて分からなかった)
男「……」
男(ふと目についた適当な喫茶店で飲んだ珈琲は、大した事の無い味だった)
男(どうにも居心地が悪い。一人で居るのが場違いのようだ)
男(店員の態度? 店の配置?)
男(どれもこれも違う、いや――)
男「……ああ」
男(認めよう。俺はあの店が好きだったんだ)
男(そう思った瞬間、とんでもない虚無感に襲われる)
男(もう「芍薬」の扉を開ける事は無いのか)
男(俺はしょうもない珈琲を飲み干した。味なんて分からなかった)
21: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:49:40.96:OOMGAyot0 (21/29)
男(それ以来、俺は以前のような生活を送っていた)
男(下らない事ばかりが溢れている。何をしても満たされない)
男(そう思いながらも、縋るように「芍薬」の前まで歩いている)
男(今日こそは、営業しているのでは無いかと期待して)
男「……ちっ」
男(都合良く開いている訳も無い)
男(俺はぶらぶらと時間つぶしに歩き回る)
男(店から少し離れた場所に、小さな公園があった)
男(申し訳程度のブランコとタイヤの遊具、他には何もない)
男(誰からも忘れられているような、そんな公園だ)
男(だが)
女「……あ」
男「女さん……?」
男(彼女はそこに居た)
男(それ以来、俺は以前のような生活を送っていた)
男(下らない事ばかりが溢れている。何をしても満たされない)
男(そう思いながらも、縋るように「芍薬」の前まで歩いている)
男(今日こそは、営業しているのでは無いかと期待して)
男「……ちっ」
男(都合良く開いている訳も無い)
男(俺はぶらぶらと時間つぶしに歩き回る)
男(店から少し離れた場所に、小さな公園があった)
男(申し訳程度のブランコとタイヤの遊具、他には何もない)
男(誰からも忘れられているような、そんな公園だ)
男(だが)
女「……あ」
男「女さん……?」
男(彼女はそこに居た)
22: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:57:17.20:OOMGAyot0 (22/29)
男(気が付けば、空は茜色に染まっていた。何処かでツクツクボウシが鳴いている)
男「どうして……店、閉めたんですか」
女「怒ってますよね……ごめんなさい」
女「もう、辛くなったんです。珈琲を淹れるのが」
男「それは……働く事とは別の問題ですか」
女「……考えてみたんです。私にとっての幸せ」
男(彼女はそう言うと、ぽつりぽつりと話し始めた)
女「私は自分の淹れる珈琲で人を笑顔にしたかった」
女「けれど、もう昔のような珈琲を淹れる事が出来ないんです」
女「……昔、付き合っていた彼が居たんです」
女「一緒に小さな店を開いて、ただ二人で静かに生きていたかった」
女「けれどある日、貯めていた資金を持って、彼は姿を消しました」
女「……それからは死に物狂いで頑張って、ようやく店を開く事が出来ました」
女「誓ったんです。二人でやるはずだった店を、私一人でやりきってみせるって」
女「私は復讐のために生きているんです。私の珈琲にはどす黒い怒りが入っているんです」
女「そんな珈琲を人様に出す事に、私はもう耐えられません」
女「もう、疲れてしまいました」
男(初めて彼女の本心を聞いた気がする)
男(少し妙だと思っていた。あの空間はあまりにも居心地が良すぎるし、彼女の気配りは細やかすぎる)
男(普通の感覚ではあそこまでたどり着けない。その力の源は……怒りだったのか)
男「どうしても、辞めてしまうんですか」
女「もう良いんです……男さんも言ってたでしょう」
女「自分が救われなければ無駄だって」
男「……!」
男(何も言えない。全ては愚かな俺のせいだ)
男「……俺は、あの店が好きです」
男「だから、賭けをしましょう」
女「……?」
男「一ヵ月後、俺があの虹色の珈琲を作る事が出来たら」
男「辞めないで貰えませんか?」
女「……良いですよ。出来るものならば」
女「私の珈琲は、そうそう真似出来る物ではありませんが」
男(彼女の目が鋭さを帯びる。珈琲への侮辱と思われて当然だな)
男(大見得を切ってしまった。後先なんて考えていなかった)
男(けれど、何もせずに黙っている事なんて出来なかっただろう)
男「……やるぞ」グッ
男(こんな気持ちは初めてかもしれない)
男(気が付けば、空は茜色に染まっていた。何処かでツクツクボウシが鳴いている)
男「どうして……店、閉めたんですか」
女「怒ってますよね……ごめんなさい」
女「もう、辛くなったんです。珈琲を淹れるのが」
男「それは……働く事とは別の問題ですか」
女「……考えてみたんです。私にとっての幸せ」
男(彼女はそう言うと、ぽつりぽつりと話し始めた)
女「私は自分の淹れる珈琲で人を笑顔にしたかった」
女「けれど、もう昔のような珈琲を淹れる事が出来ないんです」
女「……昔、付き合っていた彼が居たんです」
女「一緒に小さな店を開いて、ただ二人で静かに生きていたかった」
女「けれどある日、貯めていた資金を持って、彼は姿を消しました」
女「……それからは死に物狂いで頑張って、ようやく店を開く事が出来ました」
女「誓ったんです。二人でやるはずだった店を、私一人でやりきってみせるって」
女「私は復讐のために生きているんです。私の珈琲にはどす黒い怒りが入っているんです」
女「そんな珈琲を人様に出す事に、私はもう耐えられません」
女「もう、疲れてしまいました」
男(初めて彼女の本心を聞いた気がする)
男(少し妙だと思っていた。あの空間はあまりにも居心地が良すぎるし、彼女の気配りは細やかすぎる)
男(普通の感覚ではあそこまでたどり着けない。その力の源は……怒りだったのか)
男「どうしても、辞めてしまうんですか」
女「もう良いんです……男さんも言ってたでしょう」
女「自分が救われなければ無駄だって」
男「……!」
男(何も言えない。全ては愚かな俺のせいだ)
男「……俺は、あの店が好きです」
男「だから、賭けをしましょう」
女「……?」
男「一ヵ月後、俺があの虹色の珈琲を作る事が出来たら」
男「辞めないで貰えませんか?」
女「……良いですよ。出来るものならば」
女「私の珈琲は、そうそう真似出来る物ではありませんが」
男(彼女の目が鋭さを帯びる。珈琲への侮辱と思われて当然だな)
男(大見得を切ってしまった。後先なんて考えていなかった)
男(けれど、何もせずに黙っている事なんて出来なかっただろう)
男「……やるぞ」グッ
男(こんな気持ちは初めてかもしれない)
23: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 15:59:40.82:OOMGAyot0 (23/29)
男(俺は昔から、何でも人の能力を盗む事から始めていた)
男(出来る奴がやっている事を真似るのが、一番早かったからだ)
男(だから、自分の力のみで何かを身に着けるのは、初めての事だった)
男(珈琲の知識、器具に豆。必要な物はすぐに揃える事が出来た)
男(初めて珈琲豆を挽く。良い香りだ)
男「どれ」ゴク
男(……悪くは無いが、やはり遠く及ばない)
男(何度だって試してやる。俺だってやれば出来るんだ)
男(俺は昔から、何でも人の能力を盗む事から始めていた)
男(出来る奴がやっている事を真似るのが、一番早かったからだ)
男(だから、自分の力のみで何かを身に着けるのは、初めての事だった)
男(珈琲の知識、器具に豆。必要な物はすぐに揃える事が出来た)
男(初めて珈琲豆を挽く。良い香りだ)
男「どれ」ゴク
男(……悪くは無いが、やはり遠く及ばない)
男(何度だって試してやる。俺だってやれば出来るんだ)
24: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:04:13.28:OOMGAyot0 (24/29)
男(一週間が経った。虹色どころか、色の一つも現れない)
男(それが当たり前だとは分かっているが、こうも手応えが無いのは心に来る)
男(疲れてしまった俺は、気分転換に町を歩いている)
老人「おや」
男「お久しぶりです」
男(やはり此処に居た。老人さんとも久しぶりに会う)
老人「……なるほどねえ、それで来月に珈琲を」
男「ええ、ですが全く上手くいかなくて」
老人「そうだろうなあ、あれには彼女の執念が込められていた。人生とも言っていい」
男(この人は時々核心を突くような事を言う。物事の内側を覗いているかのように)
男(一体この人には、何が見えているんだろう)
老人「でもねえ、男さん。一朝一夕にはいかないだろうが、覚えておきなさい」
老人「人生はホットケーキなんだよ。ちょっとしたきっかけで、ある日ぺろんと世界の全てがひっくり返る」
老人「頑張ってなあ。私もその日に向かわせて貰うよ」
男「はい、では……」
男(人生はホットケーキ、か……)
男(諦めるのはまだ早い。もう少し頑張ってみよう)
男(一週間が経った。虹色どころか、色の一つも現れない)
男(それが当たり前だとは分かっているが、こうも手応えが無いのは心に来る)
男(疲れてしまった俺は、気分転換に町を歩いている)
老人「おや」
男「お久しぶりです」
男(やはり此処に居た。老人さんとも久しぶりに会う)
老人「……なるほどねえ、それで来月に珈琲を」
男「ええ、ですが全く上手くいかなくて」
老人「そうだろうなあ、あれには彼女の執念が込められていた。人生とも言っていい」
男(この人は時々核心を突くような事を言う。物事の内側を覗いているかのように)
男(一体この人には、何が見えているんだろう)
老人「でもねえ、男さん。一朝一夕にはいかないだろうが、覚えておきなさい」
老人「人生はホットケーキなんだよ。ちょっとしたきっかけで、ある日ぺろんと世界の全てがひっくり返る」
老人「頑張ってなあ。私もその日に向かわせて貰うよ」
男「はい、では……」
男(人生はホットケーキ、か……)
男(諦めるのはまだ早い。もう少し頑張ってみよう)
25: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:06:08.77:OOMGAyot0 (25/29)
男(三週間が経った)
男(三週間が経った)
26: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:11:04.37:OOMGAyot0 (26/29)
男「くそ、くそ! 何でだよ! 何が違うって言うんだ!」ドン
男(一向に進歩が無い。豆を変えても、様々な淹れ方を試しても、虹色は現れない)
男(最近はほとんど寝ずに頑張っている。それなのにどうして)
男(彼女の淹れるコツが怒りだと言うのなら、いくらでも注ぎ込んでいる)
男(呪いのように、深く煮えたぎる怒りだ。なのに旨くなる所かまずくなっている)
男(どうしてだ、どうして俺はいつもこうなんだ)
男(努力は報われない。どれだけ頑張っても時間の無駄だ)
男(出来上がった珈琲を飲む。まずい、まるで泥水だ)
男「クッソ……!」
男(ぶん投げたコーヒーカップが、がちゃんと音を立てて砕ける)
男(もう時間が無いのに、老人さんも期待してくれているのに)
男(本気で取り組んでいる。真剣に何百回も練習を重ねたんだ)
男(どうしてだ、どうして俺には何も出来ないんだ)
男(こんなに頑張っているのに……!)ギリ
男「ああ――!! あ――!」
男(怒鳴り声を上げながら珈琲ミルを壁に叩きつける)
男(買ってきた豆の袋を破く。黒い豆が床一面に散らばる)
男(苦しい。苦しい)
男(もうやめてくれよ。もういやなんだ)
男「あああああああああ――」
男(暴れに暴れた俺は、全ての力を失って床に倒れこんだ)
男(睡眠不足のせいで、一気に意識が遠のいていく)
男「……ごめんなさい……」
男(俺は眠ってしまうまで、両目から流れる熱さだけを感じていた)
男「くそ、くそ! 何でだよ! 何が違うって言うんだ!」ドン
男(一向に進歩が無い。豆を変えても、様々な淹れ方を試しても、虹色は現れない)
男(最近はほとんど寝ずに頑張っている。それなのにどうして)
男(彼女の淹れるコツが怒りだと言うのなら、いくらでも注ぎ込んでいる)
男(呪いのように、深く煮えたぎる怒りだ。なのに旨くなる所かまずくなっている)
男(どうしてだ、どうして俺はいつもこうなんだ)
男(努力は報われない。どれだけ頑張っても時間の無駄だ)
男(出来上がった珈琲を飲む。まずい、まるで泥水だ)
男「クッソ……!」
男(ぶん投げたコーヒーカップが、がちゃんと音を立てて砕ける)
男(もう時間が無いのに、老人さんも期待してくれているのに)
男(本気で取り組んでいる。真剣に何百回も練習を重ねたんだ)
男(どうしてだ、どうして俺には何も出来ないんだ)
男(こんなに頑張っているのに……!)ギリ
男「ああ――!! あ――!」
男(怒鳴り声を上げながら珈琲ミルを壁に叩きつける)
男(買ってきた豆の袋を破く。黒い豆が床一面に散らばる)
男(苦しい。苦しい)
男(もうやめてくれよ。もういやなんだ)
男「あああああああああ――」
男(暴れに暴れた俺は、全ての力を失って床に倒れこんだ)
男(睡眠不足のせいで、一気に意識が遠のいていく)
男「……ごめんなさい……」
男(俺は眠ってしまうまで、両目から流れる熱さだけを感じていた)
27: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:20:31.07:OOMGAyot0 (27/29)
男(夢を見ていた)
男(子供の頃の夢だ)
男(むっとするような草の匂い、じりじりと照り付ける炎天下)
男(プールの中から見える世界が、やけに美しかった事を覚えている)
男(あの頃は良かった。不安なんて何一つ無かった)
男(一体いつからこうなってしまったんだろう)
男(両親が事故で無くなってからだったかな)
男(弱い可哀そうな人間だと思われたくなかった)
男(人を見下して、自分より下を探して)
男(そんな事をしても、自分が強くなる訳でも無いのに)
男(俺には自信が無かったんだ。だからいつも人の目に怯えていた)
男(俺が何を求めていたか、ようやく理解出来た)
男(自尊心も何もかもを捨てて)
男(ただ、等身大の自分で生きたかったんだ……!)
男(夢を見ていた)
男(子供の頃の夢だ)
男(むっとするような草の匂い、じりじりと照り付ける炎天下)
男(プールの中から見える世界が、やけに美しかった事を覚えている)
男(あの頃は良かった。不安なんて何一つ無かった)
男(一体いつからこうなってしまったんだろう)
男(両親が事故で無くなってからだったかな)
男(弱い可哀そうな人間だと思われたくなかった)
男(人を見下して、自分より下を探して)
男(そんな事をしても、自分が強くなる訳でも無いのに)
男(俺には自信が無かったんだ。だからいつも人の目に怯えていた)
男(俺が何を求めていたか、ようやく理解出来た)
男(自尊心も何もかもを捨てて)
男(ただ、等身大の自分で生きたかったんだ……!)
28: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:23:35.80:OOMGAyot0 (28/29)
男「あ……」パチ
男(目が覚めると、朝の五時前だった)
男(随分と眠っていたらしい。身体のあちこちが痛む)
男(俺はベランダに出て、ゆっくりと深呼吸をする)
男(ひんやりした早朝の空気が、喉を通っていく)
男(何だか、心が軽い)
男「……おお」
男(日の出を見るのはいつぶりだろう)
男(そこから見る景色は、ただただ美しかった)
男(世界がこんなにも美しいと思えたのは、初めてかもしれない)
男「もう一度……やり直そう。何度だって」
男(もう自分の弱さも、失敗すらも肯定してやれる)
男(つまらなかった俺の世界が、ぺろんとひっくり返っていた)
男「あ……」パチ
男(目が覚めると、朝の五時前だった)
男(随分と眠っていたらしい。身体のあちこちが痛む)
男(俺はベランダに出て、ゆっくりと深呼吸をする)
男(ひんやりした早朝の空気が、喉を通っていく)
男(何だか、心が軽い)
男「……おお」
男(日の出を見るのはいつぶりだろう)
男(そこから見る景色は、ただただ美しかった)
男(世界がこんなにも美しいと思えたのは、初めてかもしれない)
男「もう一度……やり直そう。何度だって」
男(もう自分の弱さも、失敗すらも肯定してやれる)
男(つまらなかった俺の世界が、ぺろんとひっくり返っていた)
29: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:28:35.87:OOMGAyot0 (29/29)
男(壊してしまった物全てを買い直し、俺は再び珈琲と向き合う)
男(一つ気になる事があった。彼女の珈琲に込められていたのは、怒りだけだったのだろうか)
男(彼女はいつだって客の事を思っていた)
男(むしろ、慈しみの方が感じられたように思う)
男(怒りと慈しみ、矛盾する二つの感情がポイントだとしたら)
男(俺は豆を挽く。彼女のような音は当然出ない)
男(それでも良い。淹れる為の全ての動作を、時間をかけて丁寧に行っていく)
男(丁寧に、丁寧に。自分の全てを注ぎ込んで)
男(そうして、俺の珈琲が出来上がる)
ユラ……
男「……はは、何泣いてるんだ俺」
男(それには、僅かながらも虹色が立ち上っていた)
男(壊してしまった物全てを買い直し、俺は再び珈琲と向き合う)
男(一つ気になる事があった。彼女の珈琲に込められていたのは、怒りだけだったのだろうか)
男(彼女はいつだって客の事を思っていた)
男(むしろ、慈しみの方が感じられたように思う)
男(怒りと慈しみ、矛盾する二つの感情がポイントだとしたら)
男(俺は豆を挽く。彼女のような音は当然出ない)
男(それでも良い。淹れる為の全ての動作を、時間をかけて丁寧に行っていく)
男(丁寧に、丁寧に。自分の全てを注ぎ込んで)
男(そうして、俺の珈琲が出来上がる)
ユラ……
男「……はは、何泣いてるんだ俺」
男(それには、僅かながらも虹色が立ち上っていた)
30: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:43:08.57:Vh/l3eBb0 (1/5)
ごりごりごりごり……
かちゃ
さっ
とんとん
こぽぽ
つうっ……
「……よし」
ごりごりごりごり……
かちゃ
さっ
とんとん
こぽぽ
つうっ……
「……よし」
31: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:47:44.07:Vh/l3eBb0 (2/5)
女「……では、見せて貰いましょうか。キッチンはご自由にどうぞ」
老人「落ち着いてな」
男「はい」
男(全てが調和している。そんな感覚がある)
男(大丈夫。きっと上手く行く)
男「昔、俺は彗星について調べた事があります」
女「……彗星?」
男「一度だけ見た事があるんです。あの輝きは今でも忘れられない」
男「彗星って何で出来ているか知っていますか?」
女「ええと……隕石……岩や鉄、でしょうか」
男「ほとんどが氷や塵で出来ているんです。見た目からは想像もつきませんよね」
老人「ほう」
男「人はいつだって、光に惹きつけられるんだと思います」
男「彗星からしてみれば、自分は汚いゴミかもしれない」
男「けれど、自分では気付かないような光を持っているんです」
女「……」
男「出来ました。どうぞ」
女「……では、見せて貰いましょうか。キッチンはご自由にどうぞ」
老人「落ち着いてな」
男「はい」
男(全てが調和している。そんな感覚がある)
男(大丈夫。きっと上手く行く)
男「昔、俺は彗星について調べた事があります」
女「……彗星?」
男「一度だけ見た事があるんです。あの輝きは今でも忘れられない」
男「彗星って何で出来ているか知っていますか?」
女「ええと……隕石……岩や鉄、でしょうか」
男「ほとんどが氷や塵で出来ているんです。見た目からは想像もつきませんよね」
老人「ほう」
男「人はいつだって、光に惹きつけられるんだと思います」
男「彗星からしてみれば、自分は汚いゴミかもしれない」
男「けれど、自分では気付かないような光を持っているんです」
女「……」
男「出来ました。どうぞ」
32: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 16:57:14.53:Vh/l3eBb0 (3/5)
ユラ……
老人(! カップから、僅かな虹色が……!!)
女「いただきます」
女「……」
男(彼女はそれを一口飲んでから、沈黙する)
男(長い長い沈黙だ。心臓が大きな音を立てて評価を待つ)
女「……美味しい、です」
男「……!」
女(本当に美味しい)
女(私の作る物ほどでは無い。けれど、彼の淹れる一連の動作は、硝子細工のような繊細さが込められていた)
女(人の為を思って淹れた、その気持ちがひしひしと伝わってくる)
女(どれほどの努力をしたのだろう)
女(私以外の人間が、この虹色の珈琲を淹れられるなんて)
男「……俺は自尊心だけが膨れ上がったクズでした」
男「けれど、貴女の珈琲を淹れようと努力して、少しだけ変わる事が出来ました」
男「貴女の珈琲の秘訣は、怒りとそれ以上の慈しみだと分かりました」
男「貴女は復讐の珈琲だと言っていましたが、俺は優しさの珈琲だと思います」
男「許せなくても良いんです。それも人間の心の一部です」
男「お願いします、もう一度やり直して貰えませんか」
女(私は自分の淹れる珈琲が嫌いだった)
女(それは、自分の憂さ晴らしの為に作っていたから)
女(けれど、この人は私の知らない自分を気付かせてくれた)
女(私の珈琲は、無駄じゃなかったんだ)ポロ
女「私、また作っても……良いんでしょうか」
男「はい。みんなが貴女の珈琲を楽しみにしてますから」
女「ありがとう、ございます……!」
老人「うむうむ。良かったなあ、これにて一件落着だ」ニコ
老人「どれ、私にもその珈琲を淹れて貰えないかね?」
男「ええ、喜んで!」ニコ
ユラ……
老人(! カップから、僅かな虹色が……!!)
女「いただきます」
女「……」
男(彼女はそれを一口飲んでから、沈黙する)
男(長い長い沈黙だ。心臓が大きな音を立てて評価を待つ)
女「……美味しい、です」
男「……!」
女(本当に美味しい)
女(私の作る物ほどでは無い。けれど、彼の淹れる一連の動作は、硝子細工のような繊細さが込められていた)
女(人の為を思って淹れた、その気持ちがひしひしと伝わってくる)
女(どれほどの努力をしたのだろう)
女(私以外の人間が、この虹色の珈琲を淹れられるなんて)
男「……俺は自尊心だけが膨れ上がったクズでした」
男「けれど、貴女の珈琲を淹れようと努力して、少しだけ変わる事が出来ました」
男「貴女の珈琲の秘訣は、怒りとそれ以上の慈しみだと分かりました」
男「貴女は復讐の珈琲だと言っていましたが、俺は優しさの珈琲だと思います」
男「許せなくても良いんです。それも人間の心の一部です」
男「お願いします、もう一度やり直して貰えませんか」
女(私は自分の淹れる珈琲が嫌いだった)
女(それは、自分の憂さ晴らしの為に作っていたから)
女(けれど、この人は私の知らない自分を気付かせてくれた)
女(私の珈琲は、無駄じゃなかったんだ)ポロ
女「私、また作っても……良いんでしょうか」
男「はい。みんなが貴女の珈琲を楽しみにしてますから」
女「ありがとう、ございます……!」
老人「うむうむ。良かったなあ、これにて一件落着だ」ニコ
老人「どれ、私にもその珈琲を淹れて貰えないかね?」
男「ええ、喜んで!」ニコ
33: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 17:10:29.89:Vh/l3eBb0 (4/5)
りん りん りん
女「あら、男さん」ニコ
男「どうも。本日の珈琲で」
老人「やあやあ、元気かい」
男「ええ。まだまだ暑いですね」
男(あれ以来、再び「芍薬」は営業を再開した)
男(やはり、この店は居心地が良い。暇さえあれば来ている気がする)
男(老人さんはいつも居るな。未だにあの年で坂を上って来ているのが信じられない)
女「あの……」
男「?」
女「この前のお詫び……お礼と言うか……」
男「ああ、別に良いんですよそんなの」
女「いえ、受け取って下さい」
女「サービスの新メニュー、カフェ・コン・レチェです!」
男「おお、これは……!」
男(透明なグラスの底にはハチミツ、泡立てたミルク、珈琲、さらにまたミルクの順で層が出来ている)
男(ハチミツの黄金色と、白と黒のコントラストが実に綺麗だ)
男「……うおぉ、旨い!」
女「下の方のミルクはアーモンドミルクを使っているんです。さらにレモンの花のハチミツを使いました」
女「珈琲はチェリーのような甘い香りと酸味がある豆を濃い目に抽出しています」
男「今までとは一味違いますね! 味に変化があるのに一体感がある」
男(これは彼女なりの、新しい自分への決意表示なのだろう)
男(それにしても旨い。珈琲の奥深さには今でも驚かされるな)
ふわ……
男「……⁉」
男(飲み終えた瞬間、花が……咲いた?)
男(今までよりも、さらに美しい感覚だ)
男(花が咲く珈琲、か)
男(彼女の珈琲は、また一段と洗練されたようだ)
老人「うむうむ。新しい事に挑戦するのは良い事だ」
女「私、これからも頑張りますから」
女「見てて下さいね!」ニコ
男(そう言って笑う彼女には、もう以前のような壁を感じられない)
男(俺もよく笑うようになった。以前は愛想笑いしかしなかったのにな)
男(居心地の良い空間と珈琲の香り。この店は俺にとって大切な場所だ)
男(きっとこれからも、この店の珈琲は人々を幸せにしていくんだろう)
男(此処は珈琲「芍薬」。町から少し離れた場所にある小さな店)
りん りん りん
「あの、すごく良い香りがして……ひとりなんですけれど」
女「……いらっしゃいませ!」ニコ
男(今日もそのドアを開けて、新しい客がやってくる)
りん りん りん
女「あら、男さん」ニコ
男「どうも。本日の珈琲で」
老人「やあやあ、元気かい」
男「ええ。まだまだ暑いですね」
男(あれ以来、再び「芍薬」は営業を再開した)
男(やはり、この店は居心地が良い。暇さえあれば来ている気がする)
男(老人さんはいつも居るな。未だにあの年で坂を上って来ているのが信じられない)
女「あの……」
男「?」
女「この前のお詫び……お礼と言うか……」
男「ああ、別に良いんですよそんなの」
女「いえ、受け取って下さい」
女「サービスの新メニュー、カフェ・コン・レチェです!」
男「おお、これは……!」
男(透明なグラスの底にはハチミツ、泡立てたミルク、珈琲、さらにまたミルクの順で層が出来ている)
男(ハチミツの黄金色と、白と黒のコントラストが実に綺麗だ)
男「……うおぉ、旨い!」
女「下の方のミルクはアーモンドミルクを使っているんです。さらにレモンの花のハチミツを使いました」
女「珈琲はチェリーのような甘い香りと酸味がある豆を濃い目に抽出しています」
男「今までとは一味違いますね! 味に変化があるのに一体感がある」
男(これは彼女なりの、新しい自分への決意表示なのだろう)
男(それにしても旨い。珈琲の奥深さには今でも驚かされるな)
ふわ……
男「……⁉」
男(飲み終えた瞬間、花が……咲いた?)
男(今までよりも、さらに美しい感覚だ)
男(花が咲く珈琲、か)
男(彼女の珈琲は、また一段と洗練されたようだ)
老人「うむうむ。新しい事に挑戦するのは良い事だ」
女「私、これからも頑張りますから」
女「見てて下さいね!」ニコ
男(そう言って笑う彼女には、もう以前のような壁を感じられない)
男(俺もよく笑うようになった。以前は愛想笑いしかしなかったのにな)
男(居心地の良い空間と珈琲の香り。この店は俺にとって大切な場所だ)
男(きっとこれからも、この店の珈琲は人々を幸せにしていくんだろう)
男(此処は珈琲「芍薬」。町から少し離れた場所にある小さな店)
りん りん りん
「あの、すごく良い香りがして……ひとりなんですけれど」
女「……いらっしゃいませ!」ニコ
男(今日もそのドアを開けて、新しい客がやってくる)
34: ◆XkFHc6ejAk:2020/08/23(日) 17:11:22.06:Vh/l3eBb0 (5/5)
終わりです。ありがとうございました。
終わりです。ありがとうございました。
35:以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします:2020/08/26(水) 11:00:50.05:ugxggukIo (1/1)
良いね。落ち着いていて好き。乙。
良いね。落ち着いていて好き。乙。
◆XkFHc6ejAk さんの作品一覧
http://s2-d2.com/archives/16909679.html
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