1 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:49:27.39Vqcr7VCy0 (1/86)

昔、途中まで書いたものです。スレが見つからなかったというか、多分もう書き込めないでしょうし新しく立てさせてください。

その時はメインヒロインの声優さんの病死があって、ショックで最後まで書ききれなかったものなんですが、

5年たちますね。早いものです。

なんか昔のフォルダが見つかったので、いろんな意味での供養もかねて投下していきます。


前作がありまして、これを読まないと理解できないかもしれません。

狸吉「アンナ先輩に拉致監禁」綾女「SOXイ○ポッシブル!」
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5772445

これも懐かしいですね。R-18ですので読む際はお気をつけてください。

では投下していきます。量が多いので、気を付けてください。




2 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:51:56.61Vqcr7VCy0 (2/86)


 足がひたすら重い。飢えたアナコンダの檻に向かう気分だ。しかもそのアナコンダは猛毒ももっている。ところでアナコンダのアナはどのアナなんだろう。

 現実逃避の思考は時間稼ぎにならず、僕は生徒会室に向かっていた。

 今日は華城先輩もゴリ先輩もいない。アンナ先輩と二人きりの生徒会室。何も起こらないわけがなかった。

 僕の誘拐事件から、アンナ先輩に決定的な変化が起きてから十日。

 アンナ先輩の家を出てから、二日が経っていた。

 僕は色々あってアンナ先輩の家にずっと泊まる羽目になっていたのだけど、そこでアンナ先輩といちゃいちゃのぐちょぐちょなことをやっていたけど、僕の逃げ口上やアンナ先輩のプレイスタイルによって初日以外は辛うじてB止まりでおさまっていた。昨日から学校にも登校を再開して、それを機に自分のアパートに戻っている。アンナ先輩は引き止めたのだけど、僕の母さんにいつまでも甘えてるわけにはいかないみたいなことを言ってもらって、何とか自分のアパートに戻ったのだ。

 生徒会室の前に立つ。背筋がゾワゾワする。今日は誰も止める人がいない。かと言って他に用事も思いつかず、華城先輩も休んでいてゴリ先輩も受験であまり生徒会の方に顔を出せず、生徒会の業務をほとんど一人でやっているアンナ先輩の負担は大きくて、僕が行かないわけにもいかなかった。

 すー、はー、と息を整える。ついでに息子の調子も確認しておく。大丈夫、まだ理性はきくはずだ。

 アンナ先輩は、あの事件以来、ひたすら飢えた肉食獣から媚薬という猛毒を持った蛇のように、襲い貪ることから誘い焦らすことを覚えてしまった。襲われていたころより、僕から求めるように焦らしながら誘うことを覚えたアンナ先輩は、以前よりよっぽど愉しそうでそして恐ろしかった。

 ん? もうそういう仲なんだしいいじゃんって? それ華城先輩にも言われたよ。アンナ先輩のセックスのテクは日に日に向上してたしね。そのうち視線だけで僕をイカせるようになったとしても、僕は全く驚かないよ? 顔も身体も声もテクニックも何もかもが最上級の人だよ? 正直、アンナ先輩がちょっとこっちを刺激するだけですぐ発射しそうになっちゃうよ?

 でもそれでも、逃げ続けなければならない理由があるのだ。

 コン、コンと、ゆっくりめにノックする。

 扉を開けると、生徒会室の主、アンナ・錦ノ宮が上品で穏やかな笑顔を浮かべながら、僕を迎えた。

「奥間君……、一日会えなかっただけですのに、ずいぶん長い間会えなかったような気がしますわ」

 上品で穏やかな笑顔は、僕だと認めた瞬間、捕食者の笑みに変わる。以前とは違って余裕こそ持ってるけど、むしろ危険度は増している。

「!?」

「んん……!」

 え、今座ってたよね? 立った瞬間から扉にいる僕のところまで一瞬で肉薄すると、僕を壁に押し付けつつ唇を重ね、舌を器用に使って唾液を送り込んでくる。

 以前のただ貪るだけのキスではなく、僕を昂ぶらせ、誘惑し、堕とすためのキス。

 アンナ先輩の唾液は媚薬のように、一気に僕を昂ぶらせ、僕の息子に一気に血液が集まってくる。

 どれくらい唾液を送り込まれたのか、二回くらいは飲み込んだ気がする。アンナ先輩は一旦離れると、僕の首筋に顔を埋め、鼻をクンクンと鳴らして、

「奥間君……ふふふ、わたくしとの約束は守ってくださっているみたいですね? 勝手に愛の蜜を出してはいけないというあの約束を」

 アンナ先輩、僕の愛の蜜(ようは精液だ)をより濃く美味しくいただくため、オナ禁を僕に命じていたのだった。勿論アンナ先輩には性知識がないからオナ禁って言葉も意味も分かってないんだけど、どうもアンナ先輩は愛の蜜は溜めた方がより濃く美味しくなると考えていて、実際それが当たっているから困る。性知識はないのに本能ですべてを習得してくる。この人本当に何か出来ないことってあるのかな。

 完全に空っぽになってから十日、朱門温泉で鍛えられた僕は普段なら我慢しようと思えばできる範囲なんだけど、アンナ先輩は事あるごとに僕を挑発してきて、僕からアンナ先輩を求めるように仕向けてくる。以前は喰われる恐怖から萎える面もあったのは否定しないけど、今のアンナ先輩はひたすら僕が堕ちるのを待てるようになってしまった。正直、今のキスだけで発射しそうになってる。

 その様子がわかるのか、くすくすと嬉しそうに愉しそうに笑うと、

「奥間君がおねだりしてくれれば、わたくしはいつでも構いませんのよ? ただ、愛の蜜を一滴も零したくないだけなんですの」

 アンナ先輩は敢えて見せつけるように、扇情的に舌をチロチロと動かす。アンナ先輩の下腹部からそこは以前と変わらず、粘り気のある水音が溢れんばかりに聞こえてくる。その下腹部を、僕の勃ちきった息子に強すぎず弱すぎない絶妙の腰使いで押し付け、僕の理性を飛ばそうとする。

「ああ、どちらがいいでしょう? ……舌を愉しませるべきか、私のお腹の中で奥間君の愛の蜜が広がり、染み渡るのがいいか……!」

 そう、僕が今でもアンナ先輩から逃げないといけない理由。

 アンナ先輩、中出しの味を覚えてしまったのだった。




3 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:52:23.84Vqcr7VCy0 (3/86)

 正直ゴム有なら僕ももう、アンナ先輩の言うとおりにしてもいいかと思っていたりも正直あるけど、アンナ先輩が妊娠したらアンナ先輩の両親からは社会的に命を絶たれ、僕の母さんからは生命的な意味で命を絶たれる。そして僕の死体はアンナ先輩が美味しく戴いてお腹の中でずっと一緒、ハッピーエンドだ。アンナ先輩、僕を傷付けないようにはしてくれてるんだけど、どうも食人趣味にも目覚めかけてて、この前喉元や小指を食い千切られそうになったんだよなあ。……あれは一時的な混乱と駆け引きの為のものだったと思いたい。

 とにかく中出しだけは絶対に出来ない。アンナ先輩は妊娠を望んでいるから避妊が出来ない。避妊抜きにゴムを着けなければならない理由も思いつかない。何よりアンナ先輩は上も下もどちらの口でも、僕の愛の蜜で満たすことが何よりも最上級の愛で快感らしく、故により美味しくいただきたいと、そういう発想に至ってしまっているらしい。

「ふふふひっ、忘れてはいませんわよね? ……わたくしの許可なく愛の蜜を出したら、オシオキですわよ? それとも、オシオキを望むなら、それでもわたくしは……ふふふふ、はあ、あはあ、あ、それも、いいですわね……! 奥間君が愛に悶える顔も見たいですの……!」

「ひ!」

 捕食者が悦びの声に思わず反射的な悲鳴が出た。強制的に快楽を与えられ続けて発狂しそうになった悪夢が蘇る。今のアンナ先輩なら間違いなくあれ以上のことが出来る。

「ああ、我慢はよくありませんわよ? ……ずっとわたくしの為に愛を確かめ合うことを我慢していたのはすごくうれしかったですけど、もう愛の試練は乗り越えましたし、奥間君が我慢する必要はもうありませんわ」

 さらに追い打ちでぐぐ、と腰が押し付けられる!

「たった一言でいいんですのよ? 『僕の愛の蜜を飲み干してください』と、それさえ言えばいいんですの」

 発射が目前だった。でもアンナ先輩が上で飲むのか下で飲むのかわからない以上、答えられない。ついでに言うならアンナ先輩もずっと僕と繋がってないから、下で飲みたがる可能性が高い。

「あら、……奥間君はオシオキがお望みですのね? それもいいですわね……!!」

 とうとう手が股間に伸び、僕の言葉を待たず息子を発射させようと「あ、先輩、ここ、ここじゃちょっと!」僕は両手を使ってアンナ先輩の手を押しのけようとするけど、アンナ先輩の怪力には当然敵わず、むしろ獲物の最期の抵抗を愉しむように嫣然と笑って、


『――皆さん、騙されてはいけません!』


 ――PMの強制放送が始まった。

 僕らの勝利ともいえるデモが行われてから、政府はその主張を否定する為に毎日PMで強制的に放送をしている。

 アンナ先輩の顔が、陰った。

「…………」

 さすがに萎えたようで、アンナ先輩は何も言わずに自分の席に戻る。

「奥間君、続きはまた今度にしましょう? 今日は申し訳ありませんが、綾女さんの分も仕事を頑張っていかなければ」

「……はい」

 寸止めで終わったけど、助かったとは思えなかった。

 僕がアンナ先輩の家からなかなか出なかった理由の一つに、このPMによる政府の強制配信があった。

 アンナ先輩はそのそぶりを見せないけど、この件でアンナ先輩の家は揉めている。僕を拉致監禁なんて暴挙に及んだのも、この件が無関係だったとは思っていない。アンナ先輩が気に病んでないわけがないのだ。

「大丈夫ですか?」

 思わず安っぽい声をかけてしまった。だけどアンナ先輩は、性欲とは全く関係なく、本当に嬉しそうに、

「ありがとうございます。その言葉だけで、わたくしは……」

 政府の強制配信はまだ続いている。真実がどちらかにあるか、《SOX》の一員である僕にはわかっているけど、アンナ先輩はわからない。本能で分かっていても、性衝動や愛が満たされて安定しつつあっても、知識という判断材料がなければどちらが正しいのかなんてわからないのだから。

 僕も何とか性知識を、真実を伝えたいのだけど、そうするとアンナ先輩は今まで自分の行ってきた崇高な愛が卑猥というアンナ先輩にとっての絶対悪だったことを教えることになるわけで、どうすればいいのかわからない。アンナ先輩が壊れたらどれほど恐ろしいことになるか、僕は十日前にさんざん思い知っている。ついでに言うなら僕はアンナ先輩に限らず他の時岡学園の生徒にも性知識を教えたら即退学になることをアンナ先輩の母親であるソフィア・錦ノ宮と約束させられている。

 本当に情けないけど、この期に及んで僕は何もアンナ先輩に伝えられていなかった。

「アンナ先輩」

 とっさに呼びかけてしまったが、かけるべき言葉は見つからず、

「あの、よければ……えっと、今日帰り、華城先輩のお見舞い行きましょうよ」

 今の僕だけじゃ、アンナ先輩の負担を軽くすることはきっと出来ないと思った。

 アンナ先輩には、僕だけじゃ駄目なんだ。

「ええ、そうですわね」

 アンナ先輩は強制放送が続く中、それでも喜びの顔を見せる。同時に悪戯っぽい笑みも浮かべて、

「綾女さんには内緒で行きましょうね。奥間君、一緒に病院に行く前にお見舞いの品物、買っていきましょう」

 その笑顔は可愛らしくも大人っぽく、以前の天使の笑みとはやはりベクトルが違っているけど、魅力の大きさは変わらずに僕の胸をドキドキさせる。

 だけど、無理しているように見えるのは、きっと気のせいじゃなかった。

 やっぱりアンナ先輩には、心の底から笑っていてほしい。

 政府の強制配信は、まだ続いていた。



4 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:53:29.47Vqcr7VCy0 (4/86)

「「「…………」」」

「あら、鼓修理ちゃんもいらしてたの。……えーと、そちらの方は? 確か、奥間君の中学生時代の……?」

「わ、わたしの小学生時代の友達でもあるのよ、アンナ!」

 とっさに眼鏡をかけた華城先輩、鼓修理、ゆとりがアンナ先輩に怯え、僕に非難の視線を浴びせてきた。

 本当、ごめんなさい。せめてメールしようと思ったのだけど、アンナ先輩がサプライズで驚かせたいなんて言うから無理だった。隙を見つけたかったけど、無理でした、本当ごめんなさい!

 ゆとりにはす、と目線を一瞬細めたが、すぐに僕や愛を育むものを邪魔する敵以外に見せる、上品で淑やかな会長モードに戻った。た、助かった? 正妻の余裕ってやつだろうか。

 ちなみに《SOX》はデモの効果が消えないうちに色々画策して、華城先輩は怪我で動けないながらも的確な指示と下ネタを言って更なる上の段階の性知識流布を行っている。結果は上々だ。《SOX》を敵視を通り越して殲滅すら望んでいるアンナ先輩にとっては腹立だしい結果だろうけど、感触としては第一清麗指定都市を中心に、政府よりも《SOX》の意見を支持している方が多数だ。今もその打ち合わせ中だったんだろう。本当に申し訳ない。

「えっと、邪魔ならすぐ帰ろうと」

「いえ、わたくしの方こそお邪魔して申し訳ありません。先客がいるとは知らなかったもので」

 完璧なお辞儀を披露し相手に一切不快感を与えない丁寧な所作は、ゆとりの怯えや毒気を抜いてしまう。困ったように僕に視線を向けてきた。僕に向けられても、正直本当に困る。

「奥間君の中学時代はどんな方でしたの?」

 さらりと当然のように雑談に入っていた。獣性に火がつくと本当にヤバい人なんだけど、それ以外では本当に人の心の隙間を埋めていく優しさと慈愛を持った人なのだ。獣性に火がつかなければ。

「狸、奥間の話訊きたいのか?……ですか?」

 ゆとりが慣れない敬語を使っている。鼓修理が話さないなと見てみると、あれ? いつの間にアンナ先輩の膝の上に乗ってるの? なんか姉が妹をあやすみたいに膝の上に乗せて頭をなでなでしていた。妹ががちがちに凍りついているのを無視すれば仲のいい姉妹に見えなくもない。なんか僕の愚息をなでなでしている時のアンナ先輩の嬉しそうな顔を思い出してしまった。

「普段の話し方で結構ですわ。それに、呼び方も普段通りに。その、以前はほんの少し、わたくしも我を忘れてしまった面は多少あったので」

 そのほんの少しでゆとりは縊り殺されそうになってたんだけどね。僕の名前を呼んだというだけで。

「えーと、その……」

 ゆとりは難しい顔をしてしまう。イメージとは一切違う、アンナ先輩の慈愛の一面に触れたからだろう。実際アンナ先輩は水が染み渡るように、すっと人の心に入り込んでしまう。これは僕がアンナ先輩と初めて会った小学生時代からそうで、アンナ先輩の本質の一部なんだろうと思う。

 ただゆとりは僕がアンナ先輩に襲われたこと、華城先輩を傷付けたことを最も怒っていて、その怒りはまだ消化できていなかった。華城先輩に関しては大事な人が狙われたという想いから理解は出来ても、僕の件に関しては本当にキレていた。

「……あんたに憧れて、卑猥を取り締まりまくってたよ」

 怯えと怒りから、その一言だけしかゆとりは言えなかった。

 事情は分からなくても、ゆとりが非常に複雑な、しかも負の思いを抱いていることはわかったのだろう。アンナ先輩は決して鈍い人間ではない。理解はするし察するが、それがどういうものなのかを実際に自分で経験したことがなかっただけで。

 その経験をさせなかったのがアンナ先輩の母親であるソフィア・錦ノ宮の教育なのだろう。

 汚いものを徹底的に廃し、それらから子供を守り、正しい事だけで子供たちを育てていく。

 その想いだけで《公序良俗健全育成法》を夫と共に作り上げ、実際に国の方針として通した女傑。

 それがアンナ先輩の母親だった。そしてアンナ先輩は、その方針の最大の成功例として一番に挙げられる子供だった。

 僕や華城先輩から言わせれば、それこそがアンナ先輩を歪ませた最も大きな原因なのに。

「失礼しましたわ。……そうそう、綾女さん。わたくしと奥間君で選んだお見舞いの品を持ってきましたのよ」

 華城先輩なら官能小説(オトナ小説と《育成法》以降は呼ばれているけど)が本当なら喜ぶだろうけど、無論今の日本にはそんなものは売っていないので、アンナ先輩だとどうしてもお堅い小説を選んでしまうところを僕がなんとか華城先輩の好みそうな、比較的気軽に読める娯楽小説をいくつか選んで買ってみた。



5 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:53:58.96Vqcr7VCy0 (5/86)



「退院はいつになるんでしたっけ?」

「あー、再来週の土曜予定よ」

 本ありがとうと、生徒会モードの華城先輩が仏頂面で、それでもそれなりに嬉しそうに差し入れを喜んだ。ゆとりや鼓修理はそれを複雑そうに見ている。

 《雪原と青》として、アンナ先輩には左肩を外され、肋骨の八か所にひびが入る重傷を負わされた。華城先輩は知らせるつもりもないが、アンナ先輩は自分自身が親友を傷付けたことを知らずただ心配しているだけというのは、ゆとりや鼓修理でなくても怒りや気持ち悪さを覚えるかもしれない。

 ただ僕が関わらないところでは、華城先輩が差し入れを素直に嬉しく思っている様子も、アンナ先輩が心配しつつ励まし勉強のノートなどをフォローする様子も、本当に親友として、友情がちゃんとあるのだと、二人の他愛ない表情から分かって。

 僕も複雑な思いを抱いていた。親友同士で敵同士という複雑な関係は、非常に危うく思えてしまって。

 破綻がすぐそこにあるような、ひび割れたガラスがあとちょっとの力で完全に割れてしまいそうな、そんな危険を感じてしまって。

 ピピピピピピピ

「――失礼しますわ」

 アンナ先輩が席を立ち、病室から出て行く。緊張していた空気が少し和らぐと、

「本当にごめんなさい」

 まず開口一番全員に謝った。全員から非難の視線。うう。視線で孕んじゃうよお。

「まあ済んだことは仕方ないけど」

 華城先輩が仏頂面のまま、アンナ先輩の取ったノートをぱらぱらとめくる。ちらっと見ただけでも非常に丁寧にまとめられているのがわかる。僕も勉強を教わったことがあるけど、非常に本質を捉えた分かりやすい教え方をしてくれた。足コキされたから逃げたけど。

「あの化け物はどう出るつもりなんスかね。《SOX》にとって善導課よりヤバい敵じゃないッスか」

 鼓修理が強張りきった身体を何とか緩めようとしている。心底同情してやると、「気持ち悪い目で見るんじゃないッスこの狸サル!」意味不明な罵倒を言われた。どうも女性陣からはアンナ先輩とひたすらヤリまくってる印象しかないらしい。針のむしろだ。味方がいない状況に溜息を吐きつつ、

「アンナ先輩も一人の学生だし、簡単に情報は手に入らないと思うよ」

 アンナ先輩から僅かに聞いた話を統合してそう判断していることを伝えた。今は華城先輩が動けないこともあって、水面下で性知識を流布していく事を地道にやっているだけだ。派手な動きが出来ないししていない以上、アンナ先輩でなく善導課も新たな情報はロクに挿入っていないだろうと思う。性衝動と違って少しずつ情報を与えて発散させるわけにもいかないしね。

 でもこのまま上手くいくかというと、正直不安ではあるんだよな。アンナ先輩や善導課も、あんな騒ぎを起こしたソフィアの動きも。

「奥間君」

「はいっ!!」

 淑やかモードだったけど今しがたの思考のせいで思わず仕込まれた奴隷のように背筋を伸ばすと、僅かにアンナ先輩の表情にその反応を愉しむ愉悦が混じった。だがすぐに掻き消すと、

「申し訳ありません。慌ただしいのですが、今お母様から連絡がありまして。わたくしの家で話し合いをするということですので、今すぐ帰らないと」

「話し合いって、アンナのお父さんも?」

 華城先輩が探りを入れると、

「いえ、どうも奥間君のお義母様とみたいですわ。母とは親友らしいですの。大事な話があるらしく、わたくしのマンションを使わせてほしいと言われてしまって、おもてなしの準備をしなくてはならないので」

「「「「…………」」」」

 それではまた、と慌ただしくアンナ先輩は病室を出て行った。

 ソフィア・錦ノ宮。《公序良俗健全育成法》成立の立役者。

 そして僕の母親、奥間爛子は、下ネタテロリスト最大の恐怖であり《鋼鉄の鬼女》の異名を持つ善導課の生きる伝説。

 あとアンナ先輩。

 《SOX》の敵ボスラッシュだった。想像するだけで気絶しそうなんだけど、助けてほしいんだけど、女性陣もみんな恐慌状態で期待できそうになかった。




6 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:54:42.86Vqcr7VCy0 (6/86)




 奥間爛子は既に狸吉とアンナの仲は把握している。この娘が何故我が息子を選んだのか理解できないほど、よく出来た娘だった。

「どうぞ。粗茶ですが」

 優雅で上品な所作で、紅茶を二人分、自分とソフィアの前に置く。母親に対しても、あくまでホストがゲストを迎える丁寧さ。ソフィアはこういうところもきちんと躾けてきたのだろう。ソフィアは感情的な面はあるが、躾という点では本当に母親としては敵わないなと爛子は思った。

「すまないな。君も大変だろうに」

「いえ。お母様方の考えがあることなのでしょうから」

 自分たちの起こしたことで心労がかかっているだろうに、微塵も見せない貞淑な笑顔だった。

「それに、奥」

「あー、すまない。トイレは何処にあるだろうか」

 わざと遮り、立ち上がる。近くまで行くと、ソフィアに聞こえないように囁く。

「今のソフィアにうちの愚息と君のことを話したらややこしいことになる。時期を見て私からも話そう」

 あのバカ息子もまさか手を出してはいないとは思うが、男女交際なんて爆弾を今のソフィアにぶつけるのは自分も避けたい。ソフィアが感情的になって振り回されてきた過去を思い出すと、頭が痛くなってきた。強引さにかけては自分も人のことは言えないが。

 くすり、とあくまでも上品さを崩さない程度に秘密を共有する少女の笑みを零すと、

「分かりましたわ。お手洗いは、あちらにありますの」

 それでは、と、アンナは簡単な軽食を作りにキッチンに入った。

 不自然に見られないように一応トイレを済ませて戻ると、ソフィアは難しい顔をしていた。

「今の状況が厳しいのはわかるが、世論はまだ揺れ動いている。政府の言葉を無条件に信用しているのは少ないだろう」

「…………」

 ソフィアは言葉に反応しなかった。キッチンの方を見ている。

「どうした? 何か懸念でもあるのか?」

「……いえ、アンナが変わったように思っただけです」

「まあ、最近色々あったからな」

「いえ、そういうことではなく……」

 ソフィアも言葉にするのが難しいのか、黙り込んでしまった。




7 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:55:11.57Vqcr7VCy0 (7/86)



「夏休み前から、どうも私に反抗するようになって。以前はそういうことはなかったのに、何があったのか」

「反抗期というものはどんな子供にも存在するだろう。それに転校に反対する娘の為にこの汚染された第一清麗指定都市に私を呼んだのは貴様ではないか」

 ソフィアは感情的だし厳しすぎる面もあるが、決して子供のことを思ってないわけではなかった。むしろ信念を持って、子供の為を思って、《公序良俗健全育成法》を夫である錦ノ宮祠影と共に国に通し、成立させた。

 一人娘のアンナのことだって、あれほどまでの理想的な娘を誇りに思ってないわけがない。転校したくないという娘の意思をソフィアなりに考えたうえで、自分をこの都市に呼んだのだ。

「まあ、そうですが。このままだと、それも無意味になりそうですね」

 今もソフィアは子供たちの未来について考えている。だからこそ自分は協力しているのだ。

「貴様の夫は何と言っているのだ?」

「この件に関しては対立してます」

 あんな自爆テロみたいなやり方では当然だろうと爛子でも思った。

「あのやり方だけではなく、夫は政府の主張に反対していません。むしろ推進する方向で動いているようです」

 ソフィアのプロレス技のような拷問にかけられてそうなら、祠影はその方向で動いていくのだろう。

「ああもう! あの人も金子玉子も!! 腹立だしい!!」

 突然ヒステリックに叫ぶが、爛子としては慣れた反応だったし、心情としては自分もそうだった。

 金子玉子は与党所属の国会議員の一人でありソフィアと同じくPTA組織の幹部で、自分たちが反対している政府の方針を勧めようとPMの強制配信で自分たちの主張を潰そうとしている、自分たちの敵だ。

 今こそ世論は様子見と言ったところだが、政府の強制配信がこれからも続けば、一回のデモ程度の動きは簡単に塗りつぶされるだろう。

 性悪な頭脳を持つソフィアでも、簡単には打開案を思いつかないようだ。

 今日はどちらかといえば、作戦会議よりは疲れを癒すためという意味合いが強い。自分は傷痕が目立つしソフィアの容姿も娘に負けず目立ち、アンナには悪いがこのマンションの一室で軽く酒を交わすことにさせてもらいにきた。無論、酒は自分達で買ってきたものだ。

 がらん、と何かが落ちる音がしたのは、ワインの蓋を開けようとした時だった。

「――アンナ?」

 キッチンからだった。まずソフィアが動き、自分も追う形でキッチンに向かう。

 見るとアンナが蹲って、両腕で体の震えを抑えるように掻き抱いていた。ソフィアが背中をさすっている。傍には包丁が落ちていて、自分たちの為の料理を作っていた最中だったのだとわかる。爛子はとりあえずコンロの火を止め、包丁をまな板の上に戻した。

「アンナ!?」

「大丈夫か?」

 よく見ると頬が上気し、眼には僅かに涙が浮かんでいる。一瞬、爛子の動きが止まってしまった。

「あ、お母様……大丈夫、ですわ」

「熱でもあるのでは? 救急箱は……!」

「いえ、本当に大丈夫ですの、お母様」

 す、と一瞬で元の淑やかで上品な笑顔に戻る。あまりの突然の変化に、ソフィアも爛子も呆気にとられる。

「いや、君も心労がかかっていると思う。私達のことはいいから、もう休みたまえ」

「そうね。アンナ、あなたは休みなさい」

 はい、お母様と、あくまで貞淑に、出迎えた時と同じように上品に一礼すると、ソフィアの言うとおりに寝室と思われる方に向かっていった。

 蹲っていた時に一瞬見えた、自分が一瞬止まってしまうほどの不吉さを湛えた飢えた肉食獣のような笑みは、おそらく見間違いだろう。あのようないい子が、自分が見てきたどの犯罪者よりも不吉な笑みを浮かべるなど、そんなことがある訳がないのだから。




8 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:56:48.74Vqcr7VCy0 (8/86)



「奥間君」

 母と義母の言うとおりに、寝室に戻り着替えてベッドで休む。

 愛しい人と一緒にいる時には、感じなかった、思い出さなかった衝動を、料理している最中に、包丁を持った瞬間に思い出してしまった。



 ――敵を追い詰めた時の快感。

 ――敵の悲鳴、痛みに喘ぐ声を聞いた時の昂ぶり。

 ――どんな罰を与えようか考え、実際に痛めつけた瞬間のあの恍惚。

 ――足の腱を切ると包丁を取り出した瞬間に生まれた気丈な瞳からの怯えを見た時の、あの興奮。



「奥間君」

 愛しい人の名前を呼ぶ。使っていた鎖と、下着の匂いを嗅いで無理矢理に落ち着かせる。

 包丁を持った瞬間にフラッシュバックのように、あの気持ち良さを思い出してしまった。愛しい人が傍にいる時は、何も思い出さなかったのに。

 次に《SOX》に、《雪原の青》と会った時は、無傷捕縛を目指している。それが自分を変えてくれた人への誓いであり、周りからの祝福を得るための禊だと考えていた。そのために軍事や警察の捕縛術関連の本も購入して知識を蓄えている。

 だけど、衝動を解放するのは、愉しい。

 自分は覚えてしまった。壊す悦びを、恍惚を。

 誰にも相談できなかった。愛しい人にはこんな自分を見せたくなかった。嫌わないでいてくれるとは言ってくれたけど、そういう部分があるとわかってくれたけど、だからこそ尚更簡単に呑まれそうな自分を見せたくなかった。

 それが子供の、自分たちの為だからと信じ切って、大人たちから汚いもの、醜いモノから排されてきたアンナは、あらゆる衝動を抑圧したまま、昇華も発散もされないまま、無自覚のままにずっと溜め込まれて生きてきた。

 だから、どうやって発散すればいいのか、そんなのは全くわからなかった。解放することもいけないとすら思っていた。

 性衝動は満たされても、破壊衝動は全く満たされずに、ただ募っていく。

「奥間君」

 愛しい人の名前と匂いで、愛の蜜が溢れてくる。くちゅくちゅと指で愛を思い出して、辛うじて記憶の中の残虐な恍惚から逃げる。

 声も聞きたいと思ったけど、今の自分の声がどう聞こえるのか怖くて、電話はかけられなかった。




9 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:57:57.17Vqcr7VCy0 (9/86)



 夢うつつの中、僕は目が覚めた。十二月の朝は寒い。布団の中は暖かい。ぼーっとした頭で予定を思い出す。

 うーん、今日は土曜で学校側の予定は特にない。本来なら生徒会業務である政府の方針推進の為の冊子作成と流布という仕事が溜まっているけど、どうも先生方がアンナ先輩の家の事情やアンナ先輩、僕、華城先輩が一気に休んだことを考慮したみたいで、一時的に休んでいいと言われたのだ。冊子作成自体は単純作業だから、別にアンナ先輩や華城先輩みたいな実務能力に優れてなくても、代わりに出来る人がいると判断してくれたらしい。その他の生徒会でしか出来ない業務は全部済ませてるみたいだしね。

 アンナ先輩もあれだけ愛し(ヤリ)まくって当面満足だろうし、一回ちゃんと《SOX》の会議にも参加しないといけない。今日は昨日と同じく早乙女先輩以外は参加だっけ。アジトの方でエロイラストをいつものように生産するだろう。会議の方はどうしても、華城先輩の病室に行かないといけないからな……窓から漏れる光は弱く、まだ朝は早いのがわかる。

 よし、二度寝しよう。まだ朝は早いし布団の中は暖かいし柔らかいし、

「ぁぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」

 声が漏れないようにするように必死だった。何でアンナ先輩が一緒の布団の中で寝てるんだ!?

 一気に目が覚める。アンナ先輩はすやすやと寝ている。何もしてないよね? あれ?

(いぎゃあああああ!!?)

 ヤバい、アンナ先輩寝ている間に僕に何かしたのか!? 僕のトランクスがガビガビになってる! まさか夢精した!?

「――ん」

 鼻をすんすんと鳴らすと、銀髪の陰に隠れていた瞼が開いていく。計算してるんじゃないかというぐらい可愛らしくあどけない表情で、

「おはようございますですわ、奥間君」

 まだ寝起きでボーっとしているのか、それでも僕の愛の蜜の匂いは嗅ぎつけたようで、

「あら……? 何やら、いい香りが」

 パジャマの上から僕の股間に顔を埋めてきた!

「あ、いや、先輩これはまず訳を聞いて」

「……約束を、破ったのですね? 奥間君」

 怒ってはいない。むしろいたぶる理由が出来て、心底嬉しそうな、凶悪な光が瞳に走る。

「あ、あ、あの! 先輩、いつから僕の布団に!?」

「昨夜の二時頃でしょうか……お母様方が帰ってから、我慢しようとしたのですが、どうしても奥間君が……恋しくなって」

 丑三つ時に布団に入り込まれるってそれなんて怪談?

「眠れなくて、つい。……奥間君の香りを嗅ぐと、安心できますので」

「……えーっと」





10 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:58:35.01Vqcr7VCy0 (10/86)


 アンナ先輩、僕と結ばれたことで変化はあっても安定したと思ったのだけど、それは僕が傍にいる時限定なのかもしれない。今の何かに怯える瞳はそうとしか考えられなかった。一回僕がいなくなっているから、その時の恐怖が蘇るのかな。この時の僕は、そう解釈していた。

 しかしすぐにその怯えは消え、僕をいたぶることに興味を戻してしまった。いや、その、これ見よがしに唇を濡らすのは止めてください朝っぱらから搾り取られる助けて!

「ああ、勿体ないですわ……せっかく溜めていたのに」

 僕の返事を聞くつもりなんてあるはずもなく、あっという間に僕の下のパジャマと下着をはぎ取ると、まず寝ているうちに出てしまった愛の蜜の香りと味を堪能する。

「スー、ハー、スー、ハー、スー、ハー、ああ、やっぱり溜めるとより濃くて美味しい味になるのですね……!? ふふ、奥間君が寝ている間はただ触れるだけでいたのですけど、それだけで奥間君の突起物が大きくなっていって、夢の中でもわたくしを愛しているのだと思うと幸せで、ゆっくり眠ろうと思っていたのに逆に眠れませんでしたわ」

 夢精した原因やっぱアンナ先輩か! 予想通りだったけど!!

「でも、約束を破ったのには変わりませんので……オシオキ、ですわね?」

「あああ、あの、その僕の話も」

「奥間君? 夢の中でもわたくしを愛してくださっているなんて、わたくしは本当に幸せ者ですわ。怒っているわけではありませんのよ? むしろ、嬉しいんですの」

 違うんですいや違わなくはないかもしれない夢の内容覚えてないけどここ数日さんざんアンナ先輩の悦ぶことをやってきたしそういう夢にアンナ先輩が出てきてもおかしくないんだけどとりあえず夢精は生理現象なんです!

「でも、約束を破ったことは、また別の話。このオシオキは、愛故のことなんですわ。それに、奥間君も……ふふふひっ、準備は整っているみたいですしね?」

 これは朝勃ちといってこれも生理現象なんです女性にはわからないでしょうけど!

 あ、やばい。喰われる。もう完全に捕食者の目だ。

 頬にかかっていた銀髪を耳にかける。その仕草だけでも殆どの男は落ちると思う。上目づかいで僕の動きをその視線だけで完全に止めて、

「ん……!」


 ぬる、ぐちゅっ


「はうっ!」

 ハーモニカのように僕の息子を下から唇で滑らせると、そのふくよかな唇に吸い込まれた。

 もう僕も上の口に出すだけなら、抵抗しなかった。というか、抵抗したら余計にアンナ先輩の獣性に火がついてしまうのがアンナ先輩の家に泊まっていた間にさんざん思い知らされていた。

 頭が振られる。動きに合わせて愛の蜜を啜ろうと吸われる感触と音。だけどアンナ先輩の習得したテクは絶妙な加減で、痛みは全くなく、ただ快感だけ。

「先輩、出、ます!」

 声と同時にアンナ先輩の頭の動きが止まり、先端部分、尿道口の部分を舌でこじ開けるようにねじ込んでいく。そして射精のタイミングと同時に一気に啜られるっ!

「は! はあ、はあ……!」

 僕が早漏なのか、アンナ先輩が上手過ぎるのか、それともフェラだけでイく時はみんなこんな感じなのだろうか。

 射精した後も、管に残った愛の蜜を啜ってお掃除フェラもきちんとしてくれると、

「はう……やっぱり、美味しいですわ……奥間君の、味……」

 心底幸せそうに、切なそうに身を捩らせながら十二月の朝という寒さなのにそれを吹き飛ばすほどの熱気を纏う。

 だけど経験から、アンナ先輩がこの程度で満足するわけがなかった。次は下のおクチを満足させに来る、オシオキとまで言い切ったのだから絶対来る!






11 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 09:59:04.83Vqcr7VCy0 (11/86)


(ゴム、ゴムは!?)

 華城先輩からコンドームをもらっている。せめて中出しをしないようにとのことだが、妊娠を望んでいるアンナ先輩にどう説明すればいいのかまだ上手い考えが浮かんでいない。

 でもこれ逆だよね。普通中出し求めるのって男だよね?

 僕の愛の蜜の味の余韻に浸っていたアンナ先輩だったが、不意に立ち上がる。

「さて、今回はここまでにしますわね。オシオキは次回に持ち越しですわ」

「え?」

 不可解過ぎた。え? 何故? アンナ先輩が人目とか関係ない場所で止まるなんてそれなんて天変地異?

「その、わたくしも奥間君の蜜の匂いを嗅いで、わたくし自身すっかり忘れていたのですが……奥間君がそれでもいいのなら、いいのですが……その、昨日から、生理が来ているんですの」

「……あー、それは」

 さすがに性知識の一切ないアンナ先輩でも、今ぐちょぐちょして血で汚れるのは良くないことはわかるのか。

「それは、駄目ですね」

「本当はお腹の中で奥間君を感じて、わたくしの愛を掻き混ぜてほしいのですけど、やっぱり血で汚れるのは、嫌でしょう?」

「嫌というか、アンナ先輩の身体によくないですよね」

 思わずそのまま言葉を選ばず言ってしまった。何で寝ている間に手を出してこないかと思ったら、そういう理由だったのか。いや手は出されてたけど。

「ですからオシオキは、また数日後……生理が終わったら、すぐにでも」

 唇の周りが涎と僕の蜜で濡れまくっていて、そんな唇でそんなことを言われたら、エロさより肉食獣が極上の餌を前に我慢しているようにしか見えないよお。

「奥間君。今日は予定、あるんですの?」

「え、えーっと……その」

「今日、本当は綾女さんのお見舞いに行ったあと、実家で話し合いをする予定だったのですが、お母様からわたくしは休んでいいと言われましたの。ですからその、デートしたいのですが……駄目ですの?」

「……うーん」

 今日は青姦の可能性もなさそうだし、《SOX》の女性陣からはアンナ先輩が誘って来たら中出ししない限りそちらを優先して《SOX》のことを考えさせないように言われている。まああの様子じゃ、アンナ先輩が《SOX》のことを諦めるなんてあり得ないんだけど。

「綾女さんには昨日、メールして、今日は行けないことを伝えましたのよ。昨日も行きましたし、たまには息抜きをした方がいいと仰ってくれましたわ」

 おいそんな大事なことちゃんと伝えとけよ。おかげで真冬の怪談味わったじゃねえか。

 ってか、もう決定か。一応後で華城先輩には確認するけど、アンナ先輩はそういう部分でウソつかないしな。

「じゃあちょっとゆっくりして、それから出かけましょうか。どこか行きたいところ、あります?」

「うふふ、すべて奥間君にお任せしますわ。奥間君が連れて行ってくれるところなら、どこでも楽しいに決まってますもの」

 期待に満ちた目で、アンナ先輩はキッチンに入って朝食を作ろうとしてくれる。……なんでこんな完璧に僕の家の台所事情を把握してるのかは考えないでおく。

 あと、僕の夢精したトランクスがいつの間にか消えていることももう気にしちゃいけない。朝食作ってくれている間に、とりあえずシャワー浴びて、ぬるぬるの股間を洗っとこう。




12 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:01:27.10Vqcr7VCy0 (12/86)



 メールで華城先輩に確認したらその通りだったようで、何だろう、《SOX》から自分ハブられているんだろうか。メンバーからのアタリやたらと強いんですけど。

 しかしいきなりデートと言われても思い浮かばない。この前はアンナ先輩が行きたい場所を指定したけど、今回はお任せになったからな。メールでいつもの喫茶店のマスターにテーブルの下に鉄の処女膜を用意してもらっておくけど、それ以外のところも行かないといけないよなあ。一応は。

 映画館? 水族館? ショッピング? 全然思い浮かばなかった。

「あ、あの、とりあえず午前中は街をぶらぶら歩きませんか?」

 計画も何もなかったが、アンナ先輩は僕といるだけで嬉しいのか、

「奥間君となら、どこへでも」

 若干俯きながら恥じらうアンナ先輩の顔は、性獣状態とは比べ物にならない、僕が憧れていた時の綺麗で健全で清楚そのものの笑顔だった。

 ただ正直、その笑顔を見ると自分が悩んでいたことを思い出した。アンナ先輩はまだ、性知識を知らない。僕の意思を無視したのもそうだし、僕自身もも貞操を散らせてしまった責任が、やっぱりあると思ってる。あの状況でどう抵抗すればいいのかわからなかったけど、あれ以上の言葉が他にあったんじゃないかと思っている。後悔は残ったままだ。

 それに華城先輩は気にしてないようだったけど、アンナ先輩は無邪気に華城先輩の怪我を心配していた。自分自身が大怪我を負わせたにも拘らず。

 それは知らないから、それで許される罪じゃないと思う。ゆとりが言っていたように。

 ただ知らせることも出来ないし、僕も責任を清算しないといけないとは思ってるんだけど、華城先輩のことは伝えられないし僕もあれ以上のことを伝えることがどう言えばいいのかわからなかった。エロ本見せるわけにもいかないしな。

「奥間君?」

「え、あ……」

 アンナ先輩もシャワーを浴びて、起きた時とは違う服を着ていた。

 お出かけ用なのだと一目で分かった。白にパステルピンクカラーの小さい花柄のチュニック。網掛けタイプのカーディガンを羽織り、ロングのふわっとしたスカートは薄いグレーだった。マフラーの色が臙脂色でそこだけが色を主張していて、それがアンナ先輩の銀の髪と肌の白さを際立たせていた。

「あ、その……変ですか?」

「い、いえ! やっぱり制服姿が一番印象に残ってて、アンナ先輩の家ではもっとラフな服だから、お出かけの服を見るとまた別の感想が生まれるというかなんというか、見惚れてしまって」

「……もう。奥間君は、そういう言い方されると……狡いですの」

 ちょっと口をとがらせて、でも嬉しそうに笑う。獣欲のない、ただ嬉しいだけの笑顔。

 変化はあっても、こういう部分が消えなかったのは、ホント良かったと思う。いっつもビーストモードじゃ持たないし。

「い、行きましょうか」

 とりあえず目的も何もなく、街をぶらぶらすることにした。

 本当にこれでいいのかなあと、心にしこりを残しつつ。しこしこで解消できたらいいけどそれするとアンナ先輩ビーストモードに入るから絶対やらないんだからねっ。

「奥間君と歩くと、また街も違って見えますわね」

 第一清麗指定都市の地理はアンナ先輩の方が詳しいはずだけど、目的もなくぶらぶらしながら歩くというのは、もっと言えば学校の帰りにちょっと寄り道なんて経験すらもあまりないのかもしれない。

 ちなみに聞いて驚け、今僕とアンナ先輩は手すら繋いでいない。アンナ先輩は僕の袖をちょこんと摘まんで後ろをついてきている。昼は貞淑、夜は妖艶を通り越した性獣、何だろうこのギャップ。ずっとこのままがよかった。

 と、アンナ先輩に摘ままれた裾が僅かに引っ張られる。

「どうしましたか?」

「あ、奥間君、その……あれは……」

「う」





13 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:02:39.95Vqcr7VCy0 (13/86)



 看板には『Arcana's door』とある。タロットと占星術占い、そしてパワーストーンの店とあった。

「奥間君から以前もらったパワーストーンがあれば、一人でも寂しさを紛らわせそうなんですの……あそこで買ったものですの?」

「いやあれはかなり特殊なパワーストーンで、あそこには置いてないかと……!」

 というかアレ、パワー(物理)だから。チャクラとかそんなんじゃないから。

 でも占いか。ぼったくり値段とかじゃないなら女の子は好きかも。PMのネットで評判を調べてみる。

「あ、結構評判いいみたいですね」

 どうやら占い師は恋愛の神様とまで呼ばれているらしい。値段もさほど高くないようだ。

「えっと、どうします?」

 OPENとは出てるけど、なんか嫌な予感もする。

「わたくしと奥間君の将来について占ってほしいですわ」

 ほらやっぱりこんな感じになるよね! せめて占い師がまともな結果を言ってくれたらいいけど、そしてそれをアンナ先輩が聞いてくれたらいいけど、無理だろうなあ。

 店は少し地下にあった。扉を開けるとからんからんとベルの音がなる。レンガの壁に間接照明のランプで、外からの光は遮断されていた。いかにも占いの館っぽい。なんかのアロマの香りがして、クラシックのピアノが流れていて、店内には様々な色の石が綺麗に整頓されて、なんか不思議な空間を形成している。

「シューベルトの即興曲集第3番ですわね。ピアノを習っていた時、この曲が好きでよく弾いてましたわ」

 なんか懐かしそうに耳を澄ませている。そう言えばこの人ピアノのコンクールでも何度か入賞してるんだった。なんだろう、ピアノ上手い人の細く長い指が挑発的に僕を刺激していたのかと思うと、なんかこう、クるよね。あれ、僕だけ?

 扉を開けると黒づくめのいかにも占い師さんって恰好をした女性が出てきた。

「いらっしゃいませ」

 アンナ先輩に負けないくらい穏やかな声で出迎えてくれた。丸顔の童顔で多分僕の母さんとさほど変わらない歳だと思うけど、可愛いという感じの人だった。

「初めてのお客様ですね? ようこそ、Arcana's doorへ」

 丁寧で落ち着きのある接客で僕達に笑いかけると、

「本日は占いですか? パワーストーンを選びますか?」

「えっと、予算どれくらいかかります?」

「占いは1回3000円ですね。カップル二人の運命を占うのも、一回なら3000円ですよ。パワーストーンは、ピンキリなのでなんとも言えないですけど、予算に合わせて作れます」

「あの、愛を感じるパワーストーンを探しているのですけども」

 だからアンナ先輩そんなのここにはないんだってぇぇぇ! ほら占い師さんが困惑してるじゃないか!

「お二人は恋人同士ではない……?」

 なんか若干嬉しそうに見えるのは気のせいかな。「いえそうではなく」とアンナ先輩が説明不足だったことに気付いて、

「以前奥間君、この人からもらったプレゼントがあって、それがパワーストーンだったのですけど、どこにも同じものがなくて」

 そりゃないよ。パワーストーンじゃなく、不破さん手作りのピ○ローだもん。

「でも、壊れてしまって。あれがあると奥間君が、彼がいなくても寂しさを紛らわせそうなのですけど、なかなか入手できないみたいで」

 なんか卵形の、とかピンク色の、といった色や形状の説明がさらに加えられると、

「うーん、愛に関しているパワーストーンでピンク色って言ったら、ローズクォーツが一般的なんだけどね」

 占い師さんの言葉が砕けてきた。まあ自分の娘ぐらいの年だろうし学生の人気も高いから、接客はもともとこういう感じの人なんだろう。






14 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:03:42.31Vqcr7VCy0 (14/86)


 店の奥に引っ込むと、形状と色の一致した、ローズクォーツというやつらしい石を持ってきた。だけどもちろんアンナ先輩の求めるものではなくて、

「もっと軽かったですわ……他にはわかりませんの?」

「うーん、ごめんね。石も本当に種類があって、私もね、勉強中だから」

「いえそんな。こちらこそ、失礼しましたわ」

 落胆はしているのだろうが、誠実な対応に好感を持てたのか、アンナ先輩はこの店と店主が気に入ったようで、機嫌はよかった。

「あの、では是非占ってほしいですわ。わたくしと奥間君の将来を」

 ガハッ!

 く、予想はしてたけど効いた。男にとって結婚とか将来とかそういう話はものすごく重い話で強烈なボディーブローなんだってことに気付いてほしい。あと何故占い師さんが僕と同じような反応してるんだ。

「と、とりあえず現在の二人の状態を見てみましょうね。えっと、生年月日教えてくれる?」

 僕とアンナ先輩がそれぞれ誕生日を言い合うと、占い師さんは自分のPMに入力して、何か天文図?みたいなものを表示していく。

「これね、二人が生まれた時の星の位置なんだよ。さて、じゃあタロットの方も見ていこっか」

 占い師さんってもっと重々しい口調なのかと思ったけど、案外フランクだな。こんなものなんだろうか。

「カードをね、『~~をお願いします』って願うんじゃなくて、『どうなりますか?』って尋ねる感じで、念じてながら混ぜてね。えっと、二人の将来についてどうですか?ってカードに訊く感じかな。そんなふうに思いながら混ぜてみて」

 僕とアンナ先輩、二人で一応真面目に念じながら混ぜあう。結構混ぜただろうか。

「もういい? はい、じゃあそれじゃ、三つの山に分けるから……よいしょっと。じゃあこの三つの山から、二人が別の山から一枚ずつ選んで」

 先に僕が選んで、次にアンナ先輩が選んだ。二枚のカードが占い師の前に並べられる。

 残ったカードを片づけると、選んだ二枚のカードだけが残された。

「じゃあ出たカードと、この星の位置から二人の将来を視てみます。心の準備はいいかな?」

「な、なんか緊張しますわ」

「緊張するよね、わかるわかる。でも開いちゃうぞー、えい!」

 カードが開かれた。といっても、全く知識のない僕にはなんのこっちゃだった。アンナ先輩も同じなのだろう。

「えっとね、まずタロットは正位置と逆位置っていってね、向きがあるの。占い師側から見ての結果なんだけど、奥間君は節制の正位置で、錦ノ宮さんは法王の逆位置になってるんだけど……」

 ちょっと待ってね、と天文図の方を見ている。確認すると、まずアンナ先輩の方から問いかけてきた。

「えっとね、彼女さんはね、すごく白黒はっきりつけたがるタイプじゃないかな? どう?」

 おお、当たってる。悪・即・斬!の人だからね。

「すごくね、秩序とか、規則とか、ルールとかね、そういうのに厳しい人なんだよね。法王ってそういう意味のカードなんだけど、これが逆位置に出ちゃってる」

「あまり、よくない結果なんですの?」

 若干不安そうに訊ねる。占いなんだから気楽に聞けばいいと思うんだけどな。

「逆位置だから悪いってことはないよー。カード次第だから。ただね、ルールに縛られて何も出来なくなっちゃったり、あるいは今、ルールが絶対で聞く耳を持たなくなったりしてないかなって、そういう暗示は出てる。自己完結しちゃったり、だけど実はその自分ってものが所属している集団の考えであって自分の考えじゃなかったり、そんな不安定な状態になっちゃってるんじゃないかなって」

「…………」

「あ、でもそんな悪い結果じゃないよー。あなたはね、すごく恵まれた星の下で生まれているから、なんでもこなせちゃう人。で、すごくパワフルな人で、もうこれと決めたらすごいパワーを発揮できる人なんだよ。これだけ潜在的なパワーを持った人って、私初めて見たな」

 占い師さんは半分本気で感心しているらしい。僕はというと占いってここまでわかるのかと結構驚いていた。

「でね、一直線で突っ走って、それが正しい方向に行けばすごくいい方向に働くんだけど、ちょっと道がずれると自分でも修正が効かなくなって、止められなくなっちゃう。カードの結果はね、今ちょっと、自分の中のルールとかを見直した方がいいっていう暗示だね」

 でね、と次は僕のカードを指差した。





15 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:04:15.57Vqcr7VCy0 (15/86)



「彼氏さんはね、節制の正位置が出ててね、これは調節とか適応とか、そういう意味を持ってるんだけど」

 彼氏さん彼女さん呼びはもう置いといて、PMの天文図が切り替わる。多分僕の生まれた時の星の位置なのだろう、星の位置が僅かに動いた。

「彼女さんと違って、白黒はっきりつけるより、グレーゾーンが広い人。これはね、優柔不断に繋がることもあるけど、本質は善悪両方を呑みこむ度量を持っていて、これとカードの結果を合わせると、彼氏さんはね。組織で言う、バランサーだね。まず人の話を聞いて、上手く流れを作っていける人。だからね」

 占い師さんはアンナ先輩に笑いかけると、

「何か重大な決断を決断する時は、一人で決めずに、彼氏さんの意見を聞くといいよ。この彼氏さんはね、視野が広いし、ちゃんと周りのことも考えて、その上であなたにとって最良の考えを言ってくれる人だから。彼氏さんはね、彼女さんがいろんなものに縛られて動けなくなった時が来ても、その能力をうまく引き出せる人だから、安心していいよ」

 いやアンナ先輩の手綱を引っ張る事なんてとても無理だと思いますが、でもわりと説得力のある結果だった。こちらのことをちゃんと考えてくれているのが伝わっているからだろうか。

「なんというか、説得力ありますわね。恋愛の神様と言われていると聞きましたが、素晴らしいアドバイスでしたわ」

「……うん。なんかね、私自分の恋愛運を人に分け与えることが出来るみたいで、周りが幸せになるのは私が恋愛運を分けてくれるからだって誰かが言ったからそのあだ名がついたんだよね。おかげで私はいい人に巡り合えないけど」

 何だろう、いきなりどす黒いオーラを発揮し始めた。羅武マシーンの腐のオーラやアンナ先輩の嫉妬時の絶対零度暗黒オーラとはまた違った黒い瘴気みたいなのが出始めたんだけど、「いいの、私、おくりびとだからいいの」とかぶつぶつ言い始めたんだけど。

「あ、あの、大丈夫ですの?」

 アンナ先輩の呼びかけに占い師さんははっと我に返ると、「何かパワーストーンも買ってみます?」と無理矢理話を変えてきた。まあ僕としても何かしら買って帰るつもりではあったけど、この人大丈夫なのか、さっきまでの感嘆が薄らいでちょっと不安になってきた。

 結局それぞれの誕生石をメインに合わせて、二人おそろいの石を選んで、同じデザインの三連石のペンダントを作ってもらった。浄化とかよくわからないけどなんか霊的なパワーを補充する意味合いの説明を受けている間、アンナ先輩は楽しそうで、とりあえず選択としては悪くなかったならよかった。

 別の予約していたお客さんが来たので、僕達は退散することにする。また来ますわとアンナ先輩は微笑むと、僕達は店を後にした。

 ずっと薄暗いところにいたせいか、冬なのに太陽の光がやたら眩しく感じる。

「占いというものはよくわかりませんが、あの方がいい人なのはわかりますわ」

 おそろいのセミオーダーペンダントというのはアンナ先輩にとってきっとものすごくいい買い物をしたのだろうけど、僕にとってはまた引き返せなくなるなあと若干絶望していた。

「じゃ、じゃあお昼になりましたし、前に行った喫茶店に行きましょうか」

 そのままペンダントをしまおうと思ったのだけど、アンナ先輩はマフラーを再び巻く前に自分のペンダントを付け、

「……奥間君も」

 ネクタイを直すみたいな感じで、人目が僕達に注目していないのを確認してから、僕にもペンダントを付けた。

「おそろい、ですわね」

 アンナ先輩は恥ずかしくなったのか、自分のペンダントは服の中に仕舞ってしまった。

 僕もそれに倣うことにする。く、華城先輩たちが見てなくて良かった、絶対ゆでたこになってる、鏡を見なくてもわかるったらわかる。

「い、行きましょうか」

 いつもの喫茶店は歩いてもすぐ近かった。やっぱりアンナ先輩は僕の袖をつまみながら、恥ずかしそうにだけど幸せそうについてくる。

 ああ、ずっとこの時間が続くなら、僕はそれはそれで幸せだったと思う。

 喫茶店に入る。ぴし、と僕は固まってしまった。

「あら、お義母様」

 アンナ先輩は摘まんでいた袖を離し、珍しく慌てた様子でお辞儀する。その様子はむしろ初々しさを印象付ける。

 けど僕はそれどころじゃ無い。相席していたもう一人がなんでここにいるのかわかってないからだ。

「不破さん? どうして?」

 助けてください、と無表情ながら冷や汗をだらだらかいてこちらにいつもより更に濃いクマの上の目で訴えてきたけど、アンナ先輩の姿を見てその瞳は一気に絶望に染まった。

「お義母様、うちの学園の生徒が何かしましたの?」

 あ、アンナ先輩の気配が獲物をいたぶる蛇のそれに変わった。ごめん、不破さん、君の棺桶にはBL本をたくさん入れるよ。僕も生きて帰れるかわからないけど。





16 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:05:11.65Vqcr7VCy0 (16/86)



「むう……」

「…………」

 前回の事件で大怪我を負った綾女に代わって、鼓修理とゆとりが主に動き回って《SOX》は以前よりさらに上の段階の性知識を流布している。結果は上々で、本来ならもう少し空気が軽くてもいいはずなのだが、

「綾女様、狸吉と化け物のデート、見張りに行かなくて良かったんスか?」

 まともに動けない綾女でも、一応鼓修理やゆとりがPMの動画機能を使ってリアルタイムで中継することは出来て、見張ろうと思えば見張れた。前回は見張っていたというか覗いていたに近い状態だったが、今回もてっきりそうするのかと思いきや、綾女もゆとりも動かなかった。

「なんというかね……悩んではいるのよ」

「あの化け物女に喰われる狸吉をほっとけってのか?」

 ゆとりが苛立ちを交えた声で糾弾する。綾女はというと、いつもの歯切れのいい口調はどこに行ったのか、

「もう喰われたでしょう、そう、下のオクチで」

 クチは上にしかねえよ!という狸吉のツッコミが本来ならあるはずなのに、ツッコミはおろか誰からも声すら返ってこなかった。

 《SOX》は狸吉がいない場所ではずっとこんな感じだった。組織として動いてはいるし結果も出ているが、女だけになるとどうしても狸吉の処遇について意見がまとまらない。

 とにかく綾女とゆとりの意見が対立しているのだ。狸吉と化け物の関係については、《SOX》の手から離して本人に任せるべきだという綾女の主張と、あくまで狸吉を化け物から守るべきだというゆとりの主張。

 自分としては綾女に従う以外にないが、ゆとりの意見も正直わかる。というより、心情的にはゆとり側だった。

 性別が逆だからわかりにくいが、狸吉は性被害者で、あの化け物は性加害者なのだ。狸吉はそうなった原因が《公序良俗健全育成法》で化け物が一切の性知識がないため、それが相手や自分自身も傷つける行為だとわかっていないだと言っていた。それを教えることが出来なかったから、だからその罪悪感の延長線で付き合っているようにしか見えない。

 卑猥な事象一切を徹底的に排除しようとするくせに、本人は卑猥自体が何かを知らないが故に超えてはいけない一線を越えてしまった、《育成法》の正負どちらの側面で見ても象徴的な子供。

「綾女様は狸吉があの化け物とくっついた方がいいと考えてるんスか?」

 何度か繰り返した問いだったが、また改めて聞く。






17 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:05:46.65Vqcr7VCy0 (17/86)





「くっつけばいいとかじゃない。狸吉はアンナの貞操を奪ったの。その責任は、きちんと取らないといけない。そこに《SOX》がどうという意見はないわ。別に恋愛は自由だもの。《SOX》が絡むと、またアンナが暴走する。狸吉自身が判断するべきことよ」

「あれを恋愛だとかいうのか? 狸吉は奪ったんじゃなく、あの化け物女が勝手に暴走して狸吉の意思を無視して、そんなのに責任だのなんだのおかしいだろ! 《SOX》としても完全にあの化け物女は敵として動いていて、そんなやつのもとに狸吉をおいとくのかよ! ばれたら殺されるより酷い目に遭わされるぞ!」

 ずっとこの調子で、二人は平行線だった。

 結局はあの化け物を昔から知っている親友でもある綾女と、もはや人間とすら思ってないゆとりの、どうしようもない壁だった。

 鼓修理はと言えば、ゆとりよりはあの化け物の近くにいる。時岡学園は中高一貫校で、鼓修理は中等部に春から編入していた。遠くはあるが、高等部の生徒会長としての演説や仕事ぶりは、中等部の奴隷男子ネットワークでもたくさん耳にしている。最近変わったという噂もそうだが、それ以前から、狸吉が入学する前から中等部にもファンがいるほどの人気だった。

 その人気は、鼓修理みたいに人心掌握を意識してやって獲得したわけではない。狸吉が絡まないところでは、ひたすらに完璧だからだった。容姿も、能力も、悪に対する姿勢も、それでいて悪事を犯さない弱者にはひたすらに手を差し伸べるその人徳も。

 その一面を知ってしまうと、《育成法》の被害者といいたくなる気持ちはわからなくもない。

 知識さえあったなら。

 綾女と狸吉が口を揃えて言う言葉だった。なら知らないなら許されるのかというゆとりの疑問には、二人とも答えてはいなかった。

 《育成法》の矛盾を考えさせられる問題に、最初はただ暴れたくて、次に綾女に憧れて、テロリストとしての考えなど持っていなかった鼓修理にも、流石に思うところは出てきてくる。

「ったく、何度目なんだぜコレ……!」

 ゆとりは頭を抱える。綾女はそんなゆとりを見ようとせず、窓の外をぼーっと見ている。今世論はガンガン動いていて、本来ならば《SOX》も動かなければならないのに、動いているはずなのに、停滞している。

「《育成法》の被害者だとか、ごちゃごちゃと……ややこしいんだぜ……」

「ゆとりは負の部分の被害者っスからね。あの化け物とはまた違って、ただ制定された時の余波を被っただけっスから、綾女様とも意見違ってくるんスよ」

 鼓修理の指摘にゆとりは俯く。ゆとりはあの化け物とはまた違った側面の《育成法》の被害者だった。それは綾女や狸吉も同じ。

 卑猥な犯罪を犯したり卑猥な職業に就いていた親のもとに生まれた子供。

 それだけで、本人は何もしていなくても、差別を受けてきた子供。

 化け物が“成功例”としての被害者なら、ゆとりは今の日本で賤業とされる酪農家の娘だった。動物の交配や交尾、去勢などのその職業に必要な、しかし卑猥な知識とされるものを持たざるを得なかったゆとりは、ずっと差別を受けてきたと聞く。

 知らないから超えてはいけない一線を越えた化け物に対して、知識を持たざるを得なかったがために差別を受け続けたゆとりにとっては複雑過ぎるのだろう。狸吉に惚れているとかそういうことを抜きに考えても。

「まあ、とにかく、今は狸サルのことは置いといて、《SOX》の今後を」

 話を切り替えた途端、視界が暗くなった。

 自分だけではないようで、綾女もゆとりも天井を見上げる。

「蛍光灯切れ? ――照明全部が、同時に?」

「停電……病院でか?」

 だだ、と、廊下から激しい音が聞こえてきた。

 全員、《SOX》として、下ネタテロリストとしてそれなりに場数をくぐってきた全員が、不穏さに気付く。だけど気付いた時には、もうどうしようもなかった。




18 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:07:04.80Vqcr7VCy0 (18/86)




(堪忍して下さい、助けてください)

(無茶言わないでこの二人に僕が逆らえるわけないでしょ)

 視線だけで不破さんとやり取りする。四人がけのテーブルに、母さんと不破さんを奥に押し込む形で、僕が母さんの側に、アンナ先輩が不破さんの隣に座る。

「えっと、どうして不破さんと僕の母さんが一緒にお茶を飲んでるの?」

 どうにかして助けてあげたいが、事情によっては不破さんの命はここまでだ。多分ついでに僕の命も。

「貴様がこの女を私に楯突いてまで救おうとしていたからな。事情聴取だ」

 ああああ、以前もこの話したっけ月見草が入ってきたから有耶無耶になったけどごめん不破さんこれ僕無理というかむしろ僕が危ない。

「そう言えば、その話について詳しく聞いていませんでしたわね」

 ひい、アンナ先輩からにこやかな暗黒オーラが立ち上ってる! 浮気相手認定されたら僕と不破さんの命が危ない! 弁解しないと!

「だから、母さんには何度も言ってるんですけど、別に不破さんだから助けたとかじゃなくて、あれは生き物が相手だったから納得できなかっただけなんですよ!」

 アンナ先輩は僕が不破さんを善導課に楯突いてまで助けた、ということしか知らないため、僕と不破さんと説明してアンナ先輩が母さんに確認を取る。

 簡単に言うと、不破さんが飼っているペスと名付けられた犬が繁殖用にタマタマとサオを残した本来なら処分されるはずの犬で、《子供を犯罪の被害から守り健全に育てる条例》に引っかかる表現“物”として、生き物としてみていた僕や不破さん、本心がどうあろうと立場上“物”として扱わないといけない母さんと対立した。不破さんはその件で善導課に捕まり、その間に“物”は処理された。

 不破さんはその時、非常に危うくなり、実際に善導課に自爆テロのようなやり方で殆ど意味のない体制への攻撃を仕掛けた。ただの八つ当たりに近い、自身の将来も考えないオナニーのようなことを、いやオナニーを馬鹿にしてほしくはないけど、とにかく不破さんは一回やらかしている。その為僕の母さんとも面識があったのだ。

「ああ、そういう理由でしたの」

 アンナ先輩はあの時の第一清麗指定都市の騒ぎに、非常に心を痛めていた。不破さんも自暴自棄となっていた面はあったし、あの一連の騒動に関してはアンナ先輩も不破さんを被害者と認識したらしい。

「そういう理由なら、奥間君なら助けるかもしれませんわね。奥間君は、優しいから」

 ペスの件に関しては、アンナ先輩の中では僕はそういう位置づけになったようだ。白認定されてホッとする。

 母さんが意外そうにアンナ先輩を見ていた。いやガン飛ばしてるだけにしか見えないけど、アンナ先輩は幸い容姿で人を判断する人じゃないし、なんというか、むしろ気が合っているというか、何故か着々と外堀が埋められていっている。アンナ先輩、性獣なのになんで外堀埋めるのこんなに上手いんだよ。そういうとこの如才のなさが獣の面とはまた別の意味で本当に怖い。

「意外だな。君もそういう意見なのか」

「無論、規制されるべき卑猥な物を持っていたことに関してはわたくしなら没収し捕縛しますが」

 アンナ先輩が、なんだろう、上手く表現できないけど眩しいものを見るような眼で僕を見ている。

「奥間君はそれでいいんだと、そう思いますの」

「ふむ」

 母さんが珈琲を啜ると、

「やはり君は、変わったか?」





19 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:07:49.00Vqcr7VCy0 (19/86)




 ああ、やっぱりそうなるのか。アンナ先輩の変化は顕著だからなあ。愛の儀式について語られたら僕殺されるなともはや悟りのような境地で聞いていた。

「奥間君がわたくしを深く愛してくれていることに、先日ようやく気付いたんですの。わたくしが思っていたより、ずっと強く」

 アンナ先輩は、僕に笑いかけた。

「確かに奥間君がわたくしを変えてくれましたわ。ですがその変化はわたくし自身が研鑽を怠れば、悪い方向へ向かっていきますでしょう。わたくしは奥間君がわたくしを変えたのだと誇りを持って言える女性になるよう、努力していきたいと思っています」

 穏やかさの中に、強い決意があった。僕が圧倒されるほどの。

「そうか」

 母さんはアンナ先輩の様子に満足したのか、

「アンナのようになりたいと言っていたお前が、アンナにここまで言わせるようになったか」

「…………」

 何も言えなかった。ただ何も知らずにその歪んだ健全さに憧れていた僕しか知らない母さんは、そう思っている母さんには、何も言えなかった。

 不破さんは完全に外野の人間の筈だが、アンナ先輩が変化して一連の出来事に関わってたし、何か思うところがあるのかもしれない。ただじっと、無機質な瞳の中に何かを込めて、じっと僕を見つめていた。『それでいいのですか?』と問いかけているように聞こえたのは、僕の思い込みだろうか。

「……それで、わたしは解放していただけるのでしょうか?」

「わたくしは理由はありませんわね。今は生徒会長ではありませんから、持ち物検査をするつもりもありませんわ」

「残念ながら私も貴様のような要注意人物の所持品を見せてもらいたいところだが、今は休暇中だ」

 不破さんは何とか無罪放免になったらしい。でもこれ、僕がむしろヤバくなってない?

「不破さんには以前お世話になりましたし、わたくしが支払いますわ。マスター、彼女と奥間君のお会計はわたくしが支払いますので」

「狸吉を奢る必要はない。アンナ、狸吉を甘やかしてはいかん」

「いえ、ここに寄る前に、奥間君にはプレゼントを買っていただきましたの。その分を考えると、むしろわたくしの方がお世話になっていますわ。奥間君はわたくしが世話をしようとしても自分でやってしまったり、むしろもっと甘えてほしいぐらいですの」

「本当に愚息には出来過ぎた娘だな、君は」

 いやここでの世話ってもうほとんどペット的な扱いだから。家事とかだけじゃなく、勉強を教えてもらったりグチャグチャしたりご飯を食べさせたりお風呂に入れたりグチャグチャしたりグチャグチャしたり、とにかく隙あらば挑発してくるから。アンナ先輩、僕を学校辞めさせて自分のお部屋で飼いたいと思ってる節があるんだよなあ。

「せっかくですが、アンナ会長。自分の分は自分で支払います。もしわたしに何かを返してくれるというのであれば、わたしは別のことを求めます」

「え? 不破さん?」

 僕だったら即刻逃げるようなこの状況で、何を言いだすんだ?

「せっかくですから、アンナ会長と奥間さんのお母様、善導課の幹部でもあるあなたにも問いたい」

 不破さんの瞳はいつも通り無感情な、だけど何かを秘めた、挑戦的な光を込めていた。

「何故卑猥は悪なのですか? 行為の規制だけでなく、知識を求めることすら悪なのですか? それが社会のルールだから、正義だから、悪だから、嫌いだからという曖昧かつ感情的な理由ではなく、論理的かつ具体的な理由をわたしは知りたい」





20 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:08:19.29Vqcr7VCy0 (20/86)



「…………」

 あ、母さんは無理だ。卑猥を取り締まる動機が正義ではなく憎しみだから不破さんの求める答えは持っていないし、理論や理屈に関しては僕は不破さんを上回る人を知らない。

「殺人はなぜいけないのかと同じレベルの稚拙な疑問だな。小学生レベルだ」

「そう思われるならばそれで構いません。何故ですか?」

「貴様のような小娘が知る必要はない。また答える義務も私にはない」

 議論する気はない、と母さんはバッサリ断ち切った。

「でしょうね。善導課の幹部なら、そう言うしかない。ならばわたしは、アンナ会長の解釈を知りたいと思います」

 意外にあっさりと引き下がり、おそらく最初からこれが目的だったのだろう、矛先がアンナ先輩に向けられた。不破さんの瞳に宿る挑戦的な光が強くなる。

「アンナ会長、お聞かせ願いますか? 卑猥は悪だからと教えられたからではなく、何故悪なのか、あなたの中に理由はありますか?」

 不破さんも、あの一夜に関して思うところがあったのか、わからない。

 ただここでアンナ先輩の暴走を止められる母さんがいるからこそ、不破さんは訊いているのだろうと思った。母さんが不破さんの指揮する特攻隊をポイポイと投げ捨てていく様子を見ているから、不破さんの観察力ならアンナ先輩と母さんが同等の身体能力を持っていることには気付いているだろうし。

「わたくしの考えでよろしいですの?」

 アンナ先輩が困惑しているように見えた。なんでそんな当然のことを聞くのだと言いたげな。

「そういうテーマのディベートをしたい、ということでよろしいですの?」

「そうですね。もしよければ、奥間さん親子にはそのジャッジをしていただきたいかと」

「……奥間君とお義母様がいいなら、かまいませんけど」

 どうしますの?と視線で問いかけられる。僕は母さんの方を見た。

「私は構わん。若い世代が考えるのは悪いことではないからな。ただ私は善導課の人間だ。狸吉、お前が決めろ」

 丸投げじゃねーかそれ。母さん、理屈で丸めこむんじゃなくて力業でねじ伏せて従わせるタイプだからな。

 でも正直、アンナ先輩が卑猥についてどう考えているかは僕も興味あった。というより、卑猥をどう捉えているか、何故絶対悪とするのか、社会は何故そう教え知識からすら一切を切り離していると思っているのか、アンナ先輩の頭脳ならある程度答えを持っているはずだった。それが僕らから見てどう歪んでいるにせよ、それがこの社会の在り方として、僕も理解する必要があると思えた。

「あの、アンナ先輩。不破さん、本当にしつこいですから、答えてあげた方がいいと思いますよ」

「いえ、その、意外でして」

 アンナ先輩の困惑は続いていた。

「不破さんがそういう方なのはわかっているつもりではありますが、不破さんはわたくしのことが嫌いだとばかり思っていましたわ」

「嫌い、ではありません。見解は絶対重ならないかとは思っていますが。ただ」

 不破さんが初めて、真正面から見るのではなく、眼を伏せた。いつも科学者として事実を追い求めていたあの強い好奇心の光はなかった。

「わたしも、大事な存在を奪われた時、自分で自分を止められなくなったことがありますので」

 それ以上のことは、不破さんは言葉を重ねようとはしなかった。

 そうか。

 ペスが善導課に没収され去勢された時の事と、アンナ先輩の目線では僕が奪われて怒りと憎しみに酔っていた時のこと、重ねているのか。

 それにあの時不破さんは、不破さんも含めた時岡学園の生徒たちの為に何も出来ないながら走り回っていたアンナ先輩を陥れようとしていた。そのことも、罪悪感が残っているのかもしれない。

 僕も不破さんはアンナ先輩のことを嫌っているのかと思っていたけど、むしろ反対で、心配しているのかもしれない。

 それがアンナ先輩にも伝わったのだろうか。あの夜を境に変化した、しかしやはり人を救う天使ではなく女神の微笑で、

「わたくしの考えで良ければ」

 少しだけ嬉しそうに申し訳なさそうに、不破さんの問いを受け止めた。





21 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:09:17.30Vqcr7VCy0 (21/86)



「卑猥と最も近い性質の犯罪は何だと思いますか?」

 まずアンナ先輩が問いかけた。僕も考えてみるけど、正直卑猥だけでは範囲が広すぎてすぐには思いつかない。

 不破さんも似たような感じだったのか、僅かに悩んだ。だがすぐに、

「暴力でしょうか」

 そう答えた。そうなの?

「単語を口にするだけで、行動だけで、特別な道具も何もなく非常に身近に、そしてすぐに行える部分が、該当するかと思います」

 そうかもしれないと思えた。アンナ先輩はいきなりは否定しなかった。

「そういう側面はあるかもしれませんわね。ですが窃盗なども同じことが言えると思いますわ」

 不破さんは反論しない。というより、アンナ先輩の考えを引き出すための呼び水としての意見だったらしく、強くは主張しなかった。

「実は、この国において完全に規制されている犯罪はたったの二つですわ」

 え? 

「卑猥と違法薬物、この二つのみなのです」

「???」

 え? アンナ先輩の日本ではそうなってるの? だから刃物向けたりするのもアンナ先輩の中ではOKなの? いやいや、六法全書に色んな犯罪が明記されていると思うんですけど、エロ本にエロがないみたいな言い方じゃないの、それ?

「なるほど、そういう捉え方ですか」

 え? 不破さん、なんで理解できてるの? ついていけない僕がおかしいの? いや、母さんも困惑してたから、まあ僕しかわからないだろうけども、とりあえず僕の頭どうこうという訳じゃないらしいのはよかった。

 僕の困惑が伝わったのか、アンナ先輩が改めて分かりやすく言葉を重ねる。

「今の日本で殺人は完全に規制はされていませんわ。日本には死刑制度があります。死刑を殺人というならば、殺人は暴力の延長線上にある犯罪と言えるでしょう。懲役刑も無辜の人間に行えば監禁罪に、罰金も個人の財産の窃盗に当たりますわ」

 言われた瞬間は面食らっていたけど、理解が進むとなるほどと思えてきた……気がする。

「司法の定める刑罰の中ですら行われていないのが、違法薬物と、そして卑猥に関する全てなのですわ」

 不破さんは反論せず、アンナ先輩の意見を最後まで聞く姿勢を取っていた。アンナ先輩もそれに応える。
「卑猥の蔓延していくその様子は、違法薬物が蔓延する様子と酷似していますわ。特に青少年に伝わりやすい面も含めて。わたくしにはよくわかりませんが、卑猥は違法薬物と同じように、手に入れることである種の快楽があるのでしょう。卑猥が蔓延してしまった学園の生徒の様子を見れば、それは歴然としています」

 いやアンナ先輩が多分学園内でもトップクラスに卑猥の快楽に嵌ってる人だと思うんだけど、それはツッコまないしツッコめないというか僕がもうアンナ先輩の中にツッコんでしまってるから何かを言うなんて出来るわけないよね。

「知識を一切切り離す理由もこれで説明がつきますわね。そもそも存在を知らなければ、違法薬物を試そうと思わないでしょう。だから卑猥は知識も含めて徹底的に排除されるべきなのですわ」

「知識がないからこそ、身近に迫った時に自分の身を守ることが出来なくなるのでは? 護身としての最低限の知識すら制限することは、むしろ危険性を認知できずに知らない間に被害に遭ってしまうのではないでしょうか」

 初めて不破さんが反論らしい反論を唱えた。だけどアンナ先輩は聞き分けのない子供を苦笑交じりに説き伏せるように、

「少しでも知ってしまえば、好奇心というものがどうしても生まれてしまいます。それが快楽に結びついているのならばなおさらそうですわ。むしろ危険性があると知れば、そちらの方が好奇心を刺激されてしまいます。どのような分野でも、知識というのは完全に教えるのは不可能ですの。ならば一切を切り離し、徹底的に排除するのが、大人の、行政の、国の役目でしょう」

「…………」




22 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:09:57.16Vqcr7VCy0 (22/86)




 不破さんは何か僕に問いたげに見てくる。正直、僕はアンナ先輩の言葉に一瞬納得しかけてしまった。演説の上手さもそうだし、何より綺麗な理屈に聞こえたから。

 だけど。

 アンナ先輩の理屈は、綺麗すぎた。

 アンナ先輩は卑猥を違法薬物と一緒にした。そもそも存在を知らなければ手を出すこともない、と。

 だけど現実は、アンナ先輩は今でも性知識を知らないのに、卑猥の快楽に最も嵌っている子供の一人だ。

 違法薬物に関しては、そうかもしれない。タバコやお酒も、知らなければ試そうとは思わない。そもそも知らないのだから。それはアンナ先輩の言うとおりだと思う。

 けれど卑猥は、性は、一切の知識がなくても、辿り着ける。それは人間の中に眠る本能から来る衝動だから。

 だからこの二つは、明確に違う性質の事柄なんだ。

 この程度のこと、僕が思いつくのに、不破さんが思いつかないわけがなかった。不破さんが最初に暴力と卑猥が似ていると言ったのも、人間は凶暴な部分が、破壊を求める本能的な部分があるからなんだろう。その類似を指摘したんだろう。

「奥間さんは、どう思いますか?」

 不破さんが、問いかけた。

「えっと」

 正直、どう答えればいいかわからない。知識を最低限必要という不破さんの主張に賛同したいけど、なんというのか、アンナ先輩の綺麗すぎる理屈に上手く反論できない。

 それに少しでも知ってしまえば、好奇心が刺激され、試したくなるというのも現実にそうだ。不破さんが代表格だしね。

「僕は風紀優良度、最底辺校の出身です。卑猥な知識は、今の時岡学園よりずっと多く触れる機会がありました。そこでの同級生を見る限り」

 息を吸い、善導課に補導される昔の同級生たちを思い出す。

「卑猥の危険性より、卑猥の魅力に取りつかれる奴の方が、多かったです。でも」

 何も知らないからこそ間違ってしまった、憧れていた女性を見つめる。

「アンナ先輩も、最初《雪原の青》とすれ違った時、それが卑猥なイラストをばらまいていたのだとわからなかったと言ってたじゃないですか。だから僕なんかが生徒会に入れて……その、だから、不破さんの主張も一概には否定できないんです。自分の身を守るのに、最低限の知識は、やっぱり必要なんじゃないかとは思います。でも知ってしまえば、好奇心に負けてしまうやつが多いのもそうで」

 なんだか伝えたいことはたくさんあるはずなのに、どう伝えればいいかわからなくなった。というより、混乱してきた。

「知識そのものには善悪はないというか……結局人それぞれというか……」

 しどろもどろになってしまった。それでも何とか伝えたくて言葉を重ねようとするけど、

 ピピピピピピピピ
 ピピピピピピピピ

「あれ」

「誰だ、休暇中に」

 僕と母さんに、ほぼ同時にPMに電話が入った。僕からの相手は、『華城先輩』?

「えっと、華城先輩からなんですけど、出てもいいですか?」

「構いませんけど……わたくしにも聞こえるようにしてもらえません?」

 浮気の電話だと思ってるのかなあ、アンナ先輩がにこやか暗黒オーラをまた立ち上らせていく。華城先輩、僕の心を削って楽しいですか?







23 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:10:22.87Vqcr7VCy0 (23/86)



 隣では母さんの気配が険しくなっていく。それにも不吉な予感を覚えつつ、PMの音量を操作する。

「もしもし」

『奥間君? アンナもそこにいるでしょう?』

 生徒会モードの、だけど切迫した声に、僕もアンナ先輩も不破さんも思わず聞き耳を立てた。

「どうしたんですか?」

『奥間君、アンナから離れないで。傍にいてあげて、いいわね』

 ぶつん、とあまりに不自然にPMが切れた。様子のおかしさに、僕達は顔を見合わせる。

「すぐ戻る」

 隣では母さんが立ち上がった。今の華城先輩の声も聞こえていたみたいで、

「今の女は鬼頭厚生病院に入院か病院に見舞いに行っていたりするのか?」

 母さんの顔が、いつになく真剣で険しかった。

「わたくしの親友が入院してますわ」

「すぐにニュースになるだろうから伝えておく」

 ちっと舌打ちする。僕は母さんが通れるように立ち上がり、その先の言葉を待つ。

「鬼頭厚生病院の最上階で入院患者、病院関係者、見舞客全員が人質となって立て籠もる事件が起こった。私は現場で指揮を執る」

 がたん、とアンナ先輩が立ち上がった。目を見開き、戦慄きながら。

「狸吉、その女の言葉通り、アンナの傍にいてやれ。いいな」

 その言葉を残して、母さんは出て行った。

「アンナ先輩」

 思わず呼びかける。アンナ先輩の表情は、銀髪で隠れて見えない。

 ただ僕の視線から逃れるように顔を逸らしたことだけがわかって、だけどその意味よりも華城先輩たちが気になって心配過ぎて、だからアンナ先輩が何に怯えたのか、わからないどころか気付きすらしなかった。





24 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:11:01.74Vqcr7VCy0 (24/86)



  ――緊急ニュース速報――  


『本日午前十一時半頃、第一清麗指定都市にあります鬼頭厚生病院にて人質立てこもり事件が発生しました。

 犯人グループは武装していると情報が入っておりますが、規模は不明とのことです。

 ――今入ってきた情報があります、どうやら犯人グループの要求は、

 《公序良俗健全育成法》そしてそれにまつわる全ての条例の廃止とのことです。

 警察では人質のPMは外されており、人質の人数は把握できていると発表がありました。

 第一清麗指定都市では《SOX》などによる卑猥なテロ活動が頻発しており、この事件に触発される犯罪の増加も懸念されます。

 政府は卑劣なテロ行為には屈しないとの声明を発表しました。

 人質には各界の著名人も多数いるとの情報もあり、現在は警察の情報の発表が待たれます』





25 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:11:44.27Vqcr7VCy0 (25/86)



「なんだよそれ……!」

 ニュースは母さんが出て行ってから、二十分後にPMで流された。

 華城先輩の下ネタよりもタチが悪いニュースだ。こんなやり方で《育成法》が撤回できるわけないのに。

 だからこそ僕達が色んな人たちの力を借りて、ようやく開けた体制への小さな風穴が、ついこの間出来たのに。

 直感する。この事件は、《SOX》の開けた風穴を、全て無に帰す。

 政府はきっとこの事件を利用して、《SOX》と関連付けて、体制の強化への口実に乗り出す。

 だけどそれ以上に何よりも、華城先輩やゆとりや鼓修理が人質になっていて、今現在危険な目に遭っている。

 小さく、袖が引っ張られた。

「奥間君」

 アンナ先輩はまだ顔を逸らしたまま、

「警察に、任せましょう……わたくしたちがやることは、何もありませんわ」

「え?」

 何を言っているのか、わからなかった。

 僕がいなくなった時、あれほど憎しみに身を任せていたアンナ先輩が、そうでなくても悪を絶対に許さないアンナ先輩が、親友を人質に取られて何もしないことを選ぶだなんて。

 バスジャックも銃器を持った相手に一瞬で決着をつけ、《群れた布地》のスタンガンなどをもった数十人相手にも無双できるような、最強の最終兵器彼女なのに。

「アンナ先輩?」

 華城先輩はアンナ先輩の傍にいるように言った。暴走しないように見張っておけという事なのだとすぐ分かった。僕も事件を知った時、そうするべきだと思った。

 だけど実際は、暴走どころか、ひたすらに沈み込んでいる。予想と違う反応に困惑してしまう。

「アンナ会長、大丈夫ですか?」

 不破さんも異変に気付き、声をかける。多分不破さんも似たように感じたんだろう。

「……民間人に、未成年であるわたくし達は、待つしか出来ないと思うんですの。心配……もちろん、心配で、不安で……ですけど……」

 身体が震え、息が荒くなっている。発情とかそんな時のものとは明らかに違う。






26 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:12:13.49Vqcr7VCy0 (26/86)


「厄介なことになっておるようじゃの」

「うわ!?」

 いきなり現れた座敷童に思わず声が出る。いやアジトでイラストを描いていたのは確かに予定通りだったのだけど、正直ちょっと忘れていた。

「マスターよ、悪いがわしらの貸切にしてくれんかの? それと、アンナが休めるような部屋はあるかの?」

 華城先輩たちが人質になっているという異常事態、アンナ先輩のあまりの調子の悪そうな様子に、真剣ではあったけどいつものペースを崩さない早乙女先輩の声は正直ありがたかった。

「あの、アンナ先輩。家に帰った方がよくないですか?」

 とにかくあまりにも調子が悪そうで、暴走どころかこのまま倒れてしまいそうだった。アンナ先輩の背中をさすりつつ、月見草に連絡して迎えに来てもらおうとPMを操作しようとして、

「奥間よ、今アンナを動かすとはまずいと思うのじゃ」

 早乙女先輩が、僕の動作を遮った。真剣な様子に、僕の手が止まる。

「マスターよ、悪いが今からここは貸し切りにしてもらうぞ。アンナ、奥の個室にはアンナが休めるぐらい大きなソファがあるからの、そこで一旦休むといい」

「え、ええ……」

 アンナ先輩は言葉を発するのも難しい程息が荒くなっていた。ここ数週間の疲れが、一気に堰を切って体調に現れたのかもしれない。

「アンナ先輩、僕がついて」

「奥間と不破は薬を買ってきてくれんかの?」

「は?」

 多分僕の目には苛立ちが込められていたと思う。小声で早乙女先輩の耳打つ。

「華城先輩にはアンナ先輩から離れないように言われました。今の状態を思うと、僕もそう思います」

「じゃが《SOX》としてもこの事件はどうにかせねばなるまい。それぐらいのことはわしにもわかるぞ」

「わかってますよ、でも今は……!」

「わしに任せてくれんかの、奥間」

 ふざけた調子の一切ない言葉に、僕は思わず黙り込む。

「多分じゃが、今おぬしが傍にいると逆にアンナは悪くなっていくじゃろう」

「……信じていいんですね?」

 早乙女先輩はニヤ、と不敵に笑うと、僕から離れた。

「不破よ、すまぬが」

「ええ。少なくとも奥間さんは、副会長を助けに行くのでしょう? ネットワークを使って必要な情報を集めておきましょう」

「頭がいいと助かるわい。奥間よ、おぬしは月見草に連絡をとれ。月見草も善導課の一員なら何かしら情報が入るかもしれん」

 不破さんがここにいるから言わないけど、早乙女先輩はそれ以外にも、《SOX》として出来ることを出来るだけしておけと視線で伝えてくる。

「その間のアンナは、任せておけ」

 いつになく頼もしく、早乙女先輩は親指を巻きつける卑猥な握り拳で、僕のお腹に軽く当てる。

「はい。よろしくお願いします」

 早乙女先輩を信じることにした。早乙女先輩は今のアンナ先輩の様子に、僕とは違って何かを確信している。

 それがわかったから、だから任せた。

 それがあんなに危険なことだとわかっていたら僕はきっと止めていただろうけど、それでもこの状態で何が最善かと言われたら、きっとこれしかなかった。




27 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:12:45.25Vqcr7VCy0 (27/86)



(ち○こま○こち○こま○こち○こま○こち○こま○こ……)

 PMが外されたことをいいことに、精神安定のようにもはや下ネタといっていいのかわからないただ性器の名前をぶつぶつと呟いている《雪原の青》こと華城綾女の様子に、これ割とダメだとゆとりは確信した。

 今現在、人質のPMは全て強引な手段で外されている。外部の連絡手段を断つためというだけではない、何か、別の主張みたいなものを感じた。

 《公序良俗健全育成法》の撤廃。

 PMは、その象徴。これを外して、差別されない自由な社会を。

 犯人グループの一人が呟いた言葉だった。この犯人グループは自分が見ても訓練されていると思う。動きに乱れがなかった。武装している銃器も、モデルガンではなく違法改造したエアガンみたいで、実際に壁に穴を空けてみせた。誰も動けなかった。

 人質は18人。自分、綾女、鼓修理に加えてナースステーションにいた看護師が3名、医師が1名、綾女以外の入院患者が4名、その他の見舞客が7名。

 ただ、ただの人質ではなかった。この階は政治家や芸能人が逃げの為の特別病室となっていて、政財界の大物が3名にゆとりも知ってる芸能人1名が人質になっている。警備も厳重な特別な階で、面会にも入院患者からの確認、そしてPMによる照会が必要なほどだ。許可された人間のみが直通のエレベーターにまで案内され、基本はそのエレベーターでしか出入りできない。非常階段もあるとは思うが、ゆとりはそこまでここの病院の警備に関して詳しくはない。

 今は全員が大きな休憩スペースに入れられ、手錠で後ろ手に拘束されている。犯人の三人がこの部屋の中にいて、自分たちを見張っている。

 綾女はPMが外される前に何とか狸吉に連絡をとれたようだが、それ以外はどうしようもない状態だった。テレビが付けられていて、外の情報は一応把握できる。犯人の余裕の表れなのか、不幸中の幸いと言っていいのか、とりあえず小声の会話ぐらいは許されていた。

 テレビでは早速、最近の第一清麗指定都市の風紀悪化やソフィアのデモとこの事件を一緒に扱っていて、国がこの事件をどう扱っていくかが手に取るように分かった。

 だからこそ綾女は殆ど錯乱して三角座りをしながら声が隣の鼓修理と自分にしか漏れないようにぶつぶつと現実逃避をしているのだ。それで何とかなるなら自分も何か唱えようか。狸吉好き狸吉好き狸吉……

(おい頭の中を侵食すんな!?)

(からかわなきゃやってらんないっすよこの状況!)

 使い物にならない綾女を挟んで全く実にならない喧嘩をする。《SOX》の主要メンバーは殆ど身動きが取れないし、狸吉もあの化け物女を抑え込むのに精いっぱいだろう。

(一回《群れた布地》やっつけてるだろう、お前達)

(装備も動きもかなり訓練されてるっスよ? 鼓修理の持ってるスタンガンレベルじゃなく、あの銃は人を殺せるッス……壁の穴を見ればわかるッス。それにあのときはその、あの化け物の力も借りての事っスよ)

 一体どうやってそんな協力を取り付けたのか、ゆとりは純粋に驚いた。どうやったのか詳しく聞きたいが、今はそういう場合じゃないと頭を切り替える。

(あいつら、他の下ネタテロリストのやつらか? 見た事ねえけど)

(多分、違うわ。鬼頭慶介がこんなこと、許すとは思えない)

 ようやく会話に綾女が入ってきた。なんとか眼には力が戻っているが、綾女の怪我はまだ重く、普通の動きも難しい。

(きっと、ずっと時機を見てたんだわ。いつ生まれるかわからないチャンスを逃さないよう、必死に訓練してきたのでしょうね。……見た限り、犯人グループの殆どは、まだ若いわ。私たちと同じぐらいじゃないかしら)

 そう言われて、ゆとりも気付いた。そう、犯人グループの殆どは、確かに自分達とさほど変わりのない年齢だった。

(要求からすると、きっと……ゆとりの方が理解できるんじゃないかしら)

 《育成法》の撤廃を、PMからの自由を。

 それは、昔のゆとりが守ろうとしてだけど無理だった、差別を受けてきた子供の叫びだった。

 この事件は歪んだ健全な社会に切り捨てられた子供の、捨て身の反抗だと気付いた。

 《SOX》と出会う前の自分そっくりで、だけど流されて終わることを選ばず、せめてもの反抗を選んだ子供たち。

 世間が、世論が、政府と対立して揺れた時機を見ての決行から見ても、流されていた自分よりもずっとしっかりとした頭を持っているんだろう。《雪原の青》のように。

 ゆとりは昔の自分を思い出してしまって、何も考えられなくなってた。

 綾女も同じだったのだろうか、綾女も黙る。

 《SOX》のしてきたことを全て無に帰すかもしれないこの事件に、責める感情は生まれなかった。

(どうして、待てなかったんだよ)

 ゆとりの呟きに、誰も答えない。答えはわかりきっていた。

 救いは今、欲しいのだから。その救いがいつか来るかもと期待することは出来ない程に、この世界に責められ続けてきたのだろうから。

 犯人たちはきっと下調べもしていろいろ準備もして訓練も自分たちなりに頑張って、それでもこの事件は無駄にしか終わらないだろうと思うと、これが《SOX》の末路にも思えて、ゆとりにはもう未来は見えなかった。

 やっぱり、駄目だったんだ。流されておけばよかった。期待するからこうなった。

 そんな昔の自分と同じ考えが生まれて、情けなさにどうしようもなくて、でもこの状況を狸吉が何とかできるとはとても思えなくて、もうどうしようもなくなってた。




28 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:14:04.78Vqcr7VCy0 (28/86)



 外に出て、歩きながら考えるけど何も浮かばない。とにかく情報が欲しかった。PMを操作し、とにかく電話をかけてみる。

「あ、撫子さん! あの、何か連絡ありましたか!?」

『善導課から連絡が来た時はとうとう捕まったのだと思ったけどね。まさか別の奴らに捕まってるとは思わなかったよ』

 飄々としているが、華城先輩の育ての親である華城撫子の声は苦かった。当たり前だけどそんなに情報は持っているわけがないが、それでも保護者の立場から何か聞いているかもしれない。

「あいつら、下ネタテロ組織のやつらですか?」

『違うだろうね。多分、あんたらに触発されて自分も動きたいと勇み足踏んだ奴らだろうさ』

「うちのメンバーが、殆ど……早乙女先輩以外、全員があの病院に……」

『それでうちの綾女は怪我してるんだろう? お荷物だね』

「華城先輩はお荷物なんかじゃ!」

『で、あんたは善導課の連中にこの事件を任せる気かい?』

「そんなつもりはありません! ありませんけど……!」

 はあ、と溜息がPM越しにも聞こえてきた。当然だろう。

『あんた、泣き言言うために電話してきたのかい? こっちはそんな暇ないんだけどね』

「鬼頭慶介に、コンタクト取れないですか? 電話でも構いません」

 鬼頭慶介。鼓修理の父親であり、日本中の下ネタテロリストを影から支援し、コントロールしている

 鼓修理が捕まっているというだけでない。犯行の舞台は、鬼頭系列の病院なのだ。

 かなり曲者で僕一人じゃ交渉は難しいだろうけど、それでもやるしかない。

『連絡は取れる。だけど何を武器に、どんな交渉をするつもりだい?』

 ぐ、と詰まる。何の考えもなしにはやっぱり、交渉は無理か。

「分かりました。一旦頭を冷やします。……連絡の準備は、いつでもできるようにしていただけますか?」

『ああ。まあ一筋縄じゃいかないだろうけどね。あれはなかなかの親バカだし、娘が捕まってるなら向こうは何かしら対策をとるだろうさ』

 親バカというよりはバカ親だけど、その対策がおそらく《SOX》とは相いれないものになると思うからこそ、連絡を取りたかった。だけど今は何も浮かばない。童貞の早漏連射砲じゃなく、何かテクが必要な相手だ。

 撫子さんの電話を切り、一旦冬の冷たい空気で頭を冷やそうとするけど、外の空気は身近で起きた大きな事件に浮かれまくっていた。関係のない人間からすれば、政府の動きも《SOX》の主張もこの事件の目的も、きっとただの乱痴気騒ぎでしかないんだろう。ところで乱痴気騒ぎってやっぱり乱交パーティーの事かな。つまり今、この街は乱交パーティー真っ最中なのか。

「奥間さん」

 白衣姿の不破さんが戻ってきていた。ついでに月見草も一緒だ。

「月見草、お前も来てくれたのか」

 前回一番の功労者といっても過言ではないこいつが来てくれたのは、アンナ先輩対策としてありがたい。

 そう言えば、アンナ先輩のことも非常に気になるのだけど、まだ月見草には連絡を取っていないのにどうしてここにいるんだ?

「先程アンナ様から連絡がありました。喫茶店前に来て待機するように、と」

「待機? 理由は」

「存じません」




29 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:15:06.19Vqcr7VCy0 (29/86)




 やっぱコイツ役に立たないか。いないよりはマシだろうけど。

 喫茶店前で待機……僕が帰ってくるのを待っているのかな。一緒に帰りたいとか。

「単純に調子が悪いだけならばいいんですけどね」

 不破さんが僕の思考を読んだのか、不破さんなりにアンナ先輩のことが気になるのか、口を挟んできた。

「不破さんの方はどう?」

「芳しい情報は何も。テレビで言われている以上のことはわかりかねます。ただ、情報の確度は高くないのですが、犯人たちは十代中心という情報があります」

 うーん、不破さんのネットワークでもそんなふにゃちん程度の情報しか得られないのか。といってもまだ事件のニュースが流れて一時間も経っていないし、不破さんのネットワークも一般学生からのものだから、過度の期待をする方がむしろ酷だよね。

 とりあえず、アンナ先輩も心配だし、喫茶店に戻ることにする。アンナ先輩をほっといてから30分ぐらい経ってる。事件のニュースが流れてからは1時間ぐらいか。

 喫茶店に戻ると、ドアの前にマスターが立っていた。「?」と近づく。

「二人きりにさせてほしいと言われましてね」

 マスターはそれ以上何も言わなかった。とりあえず入ろうとしたドアノブに手をかけた瞬間、

「!!?」

 心臓を鷲掴みにされ、背骨に直接錐をねじ込まれるような、そんな最悪の感覚が全身を貫く。

 アンナ先輩から半年以上逃げ回り、《センチメンタル・ボマー》として鍛えた鋭敏な感覚が全身に撤退を求める。だけど動けない。

「……みんな。悪いけど、外で待ってて」

 あの夜に感じた空気の軋みをドア越しにも感じた。僕ほどでなくても、不破さんは気付いたらしく、この寒い中冷や汗をダラダラと流しながら、

「月見草、不破さん捕まえといて」

「かしこまりました」

「ちょっ」

 今にも逃げたそうにする不破さんだったけど、この中で僕の骨を拾ってくれそうなのは不破さんだけだから逃がさないよ?

 月見草に羽交い絞めにされ、身動きの取れなくなった不破さんは諦めたように、

「生きて帰ってきたら何かお返ししてもらいます」

 ちゃっかりと約束を取り付けた。でも僕は答える余裕なんてなかった。

 早乙女先輩は何をして、一体どうなったのか。

 喫茶店の扉を、精一杯力を込めて開く。

 いつもの喫茶店の筈なのに、まるで魔王の城みたいな強烈な圧迫感があった。奥の個室にいるはずだけど、そこが明らかに異質な空気になっている。

 あの夜の、人質交換の時のような、何かが完全に解き放たれた気配。

「――アンナ先輩?」

 奥の個室に、精一杯の勇気を込めて乗り込む。

「――奥間君」

 声は静かだった。だけどむしろその静かさが異常だった。

 部屋の中で破壊されていないものがソファ以外、殆どなかった。テーブルも椅子もバラバラになっていて、壁にはあちらこちらに穴が開いていて、窓のない部屋だからガラスなどは割れてないけど、そこだけ巨大地震でも発生したかのようだった。

「おおお、奥間!」

 しゃがみこみ後ずさって泣きそうになっている早乙女先輩を、アンナ先輩がいたぶるように一歩ずつ追いつめている。早乙女先輩が僕に気付いて叫ぶが、ただでさえ状況がわからない僕は、完全にこの空気に呑まれていた。

「ありがとうございますですわ、早乙女先輩。わたくし、感謝しています。本当ですわよ?」

 鈴の鳴るような涼やかな声に、か弱い獲物をいたぶる嗜虐が混じっていた。ただ僕をいじめる時とはわけが違う、相手の安全を考えない、僕を性的に襲う時とは全く違う衝動に酔いしれた声。

 アンナ先輩が早乙女先輩に手を伸ばし、無理矢理に立たせる。そしてそのまま僕の方へ投げ「うわっ!?」

「はわわわわ、お、思っていた以上に危ない状態だったみたいじゃ! い、いや予定通りではあるのじゃが、あとはおぬしに任せた!」

「おい!」

 僕から飛び降りると凄まじい勢いでいなくなった。スケッチブックだけはしっかりと回収してたけど。





30 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:15:50.89Vqcr7VCy0 (30/86)



「奥間君」

「ははは、はい!?」

 あの夜のような、迫力を持って他者を傅かせる圧倒的な美が、無条件に従わせるカリスマ性を持って、それらすべてを僕に向ける。

「ねえ、奥間君」

 どこか甘えるような、言い聞かせるような、そして獲物の抵抗を期待するような、陶酔しきった声。僕がどんな返事をしようとも、力尽くでねじ伏せられる。むしろそれを愉しみたいとすら思っている。

 本当、早乙女先輩は何をしたんだこの人に!?

 だけどその疑問は次のアンナ先輩の言葉に吹き飛ぶ。


「わたくしを、あの病院に行くことを、許してくださいまし。あそこには、正義に仇なす巨悪がいますの。悪を殲滅したいんですの」


 ぞわっとした。今のアンナ先輩は、人質を無傷で救おうとか、そもそも人質の安全を考えていないとはっきりわかる。

 「僕以外の人間はいらない」と、《雪原の青》に見せつけるように僕を無理矢理に発情させた、あの瞳そのままだったから。

 ただ衝動に任せて酔いしれたいだけ。

「――ダメです」

 そう答えるしかなかった。こんな言葉で止まるとは思えなかったけど、それでもこう答えるしかなかった。

「ふふ、ふふふひっ」

 舌で唇を濡らし、僕を完全に獲物としてロックオンしたことを、今の嬌声に近い笑い声で知った。

 これ、もう死ぬしかないよね? 僕死ぬよね? アンナ先輩のお腹の中に入ってずっと一緒エンドだよね?

「奥間君……どうしていかせてくれませんの?」

 アンナ先輩にとっては拒絶の言葉だったろうに、むしろわくわくしているかのように捕食者としての笑みが深くなっていく。今朝見た時よりもはるかに熱が大きく、周囲の空気が歪んでいた。

「病院にはとびっきりの悪がいますのに。あの悪を殲滅すれば、わたくしの正義はより強固なものとなって、奥間君への愛も深まりますのに」

「アンナ先輩……その、まずこの状況を説明してほしいんですけど……」

 とにかくなんでこんなあらゆる本能衝動全開モードになってるのか、経緯を知れば少しは対策が見えるかもしれない。

 と、アンナ先輩は胸の中から……胸? え、何挟んで

「何ですかそれぇぇぇ!?」

 な、な、な、な!?

 こ、これは昔の不健全図書で噂に聞く、ち○こを模したオトナの玩具……ディルドじゃないか!? なんでそんなものがアンナ先輩の胸に挟まってるんだ!?

「ああ、人肌で温めたら、より感覚が近くなりますわね……色も形も大きさも感触も、奥間君がわたくしを愛したいと最大に願っている時のもの、そのものですわ」

 アンナ先輩の瞳が僕の下半身を捕食したいという方の欲望で一気に染まる。愛おしそうにペロペロと舐めている姿は確かにフェラする時そのものだったけど、ってかあれ僕のカタチなの!? 僕に関しては不破さんと同じレベルの観察力を発揮するアンナ先輩が言い切るんだからそれだけ精巧に作られているんだろうけど、なんで!?

「早乙女先輩が、不破さんと一緒に作ってみたと仰っていましたわ」

 あの無駄な方向へ無駄に才能を発揮するバカ二人には男女平等パンチ見舞ってやる!! チョップじゃ済まさねえ!!

「奥間くぅん……ねえ、いかせて下さいまし」

 甘える調子が強くなる。このモードで外に出すと確実に死者が出る。まず真っ先に僕が死ぬ。病院より葬儀屋に直行する。あと『いく』の意味が違って聞こえるのは僕は悪くない。





31 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:16:31.39Vqcr7VCy0 (31/86)




「あああ、あの、その、えっと」

「それとも、わたくしと愛し合ってくれますの? 初めての夜のように、深く、熱く、激しく愛してくださる?」

 まずい、全然言葉が浮かばない。アンナ先輩、大人のこけしをペロペロしながら自分で胸を揉みしだき始めるほど発情してるし、もはや僕の言葉が聞ける状態じゃない。分かっていたけどこんなに一気にメルトダウン起こされるともうどうしようもない。

 だからといってアンナ先輩が僕の貞操を奪った時ほど愛し合う暇なんてない。っていうか、体力的に持たない。

「疲れたくないのであれば、これを使えばいいと思いますの」

 そういう意図かバカかぁ!

「でも、でも、やっぱりわたくしは悪を殲滅したいんですわ。……《SOX》を逃がしてから、ずっと募ってきた想いがありますの」

 瞳にピンクのハートっぽい何かを宿していたアンナ先輩が、またあの不吉過ぎる気配に戻る。

「奥間君。やっぱり、わたくしは」

 声には怯えがあった。様子が変わったアンナ先輩を、思わず僕は見つめてしまう。

 一瞬だけ、躊躇ったように見えた。だけどすぐにその熱に浮かされるままに、



「奥間君以外はいらないんですの。わたくし以外に優しさを向けないでほしいですわ。わたくし達の邪魔をする者に愛の罰を与えることを考えると胸がざわついてゾクゾクしますの。《更生プログラム》のことも、世界の悪をわたくし達の愛で塗り替えられたら、どれだけわたくしは満たされるでしょう」



 あの夜、人質交換の時に再会した時の恐怖がそのまま蘇る。

 性衝動と破壊衝動が、愛と憎しみから来る激情が、アンナ先輩の中で『愛とそれを邪魔するものへの罰』となって変換され、矛盾なく両立されていく。

 だけど両立されていくそのさまに、アンナ先輩がそれを自覚していて、そして傷付いていた。その様子に、少なからず僕の方が驚いていた。

「奥間君は言いましたわよね? 『こんなアンナ先輩は嫌です!! 僕が憧れたアンナ先輩は、僕の好きな先輩は、人を傷つけて悦ぶような、そういう人じゃない!!』……一言一句覚えていますわ」

 衝動も激情も先程からそのままに僕に向けられていて、けれど今はアンナ先輩に脆さを感じていた。

「だけど、こうも言ってくれましたわ」



 ――僕はそういう衝動を持つことだけで、アンナ先輩を嫌いになったりしません。絶対に。



「持つことだけでは嫌わないと、そう仰ってくれましたわね」

 衝動も激情も、アンナ先輩自身を傷付けるほどに極度に肥大していたから。

 知識もなく、機会もなく、それらを覚えることすら許されずに育てられたアンナ先輩は、

「では、今、この身を焦がしているこの熱は、どうすればいいんですの?」

 危うい、という言葉が僕の中で浮かんだ。

 命の危機を感じているのはこちらなのに、崩れ落ちそうなのはアンナ先輩の方だった。





32 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:17:50.87Vqcr7VCy0 (32/86)




 ――少し時間は遡る。



「ペットボトルで済まんの。水じゃ」

「あ、ありがとうございますですの……」

 義母から事件を聞き、PMでニュースが配信され、それが事実だと認識した瞬間、アンナはぐらぐらと頭が揺れる感覚に陥った。

 早乙女先輩が持ってきてくれた水を飲んで熱を冷ます。だけどこの程度の水では熱が冷めない。促されるまま、奥の個室のソファに横にさせてもらう。頭は熱に浮かされたように、ぼうっとして働かない。働かせたくない。

「奥間君は……奥間君は、どこですの?」

 愛しい人といれば、この熱も忘れられるのに。愛しい人の愛があれば、このこみ上げる熱と同じぐらいの熱を放ち、幸せを感じられ、忘れることが出来るのに。

 だけど返ってくるのは、アンナにとっては無慈悲な答えだった。

「奥間は薬を買いに行っている。薬局はちょっと遠いからの、しばらくはかかるじゃろうて」

 優しい声だったが、怒りを感じた。今一番の薬は奥間君からの愛なのに、なぜ奪う?

 熱が強くなり、持ってきてもらった毛布に頭ごとかぶり、外からの音を遮る。息が荒くなっていくのがわかる。「んっ」指を口の中に入れて震えを止めようとするけど、うまくいかない。

「辛そうじゃの、アンナ」

 トントンと背中に一定のリズムで優しく叩かれる。善意から来るものだとは分かっていたが、今は止めてほしかった。

「奥間には愛してもらってるのかの?」

「ん、ええ……まあ……」

「アンナがいいなら構わんのじゃが、どうもアンナも奥間に遠慮しているように見えての」

「……わかるんですの?」

「そりゃあ、儂はおぬしと奥間が愛し合っている姿が最高のモデルだと確信しておるからの。奥間からも少しは話を聞かせてもらってるのじゃが、とにかくアンナらしくない気がしての」

「…………」

 別に遠慮という訳ではないのだが、愛されていると確信があるし不満というほどではないが、満ち足りているか、と言えば正直嘘になる。

「その、奥間君にはわたくしのお腹に入って愛をもっと激しく掻き乱してほしいのですが、……どうも、そこだけは避けられているようで、正直寂しいですの」

 ただアンナからは直接求めるような真似はしていなかった。その他の愛情表現には応えてくれているし、身体の中から溢れる愛の熱はそれなりに解放できている。だけどやっぱり、あの初めての夜のように、とにかく激しくひたすらに愛しい人の身体を貪りたいという欲求は間違いなくある。

 それでもそれをしないのは、

「その、奥間君の愛の蜜もわたくしと同じように流れ出るのかと思っていたのですが、どうも限界があるみたいで……それに、愛の蜜を出した後、奥間君、すごく体力がなくなっているようで、だから男性にとって愛し合う行為は非常に体力がいるのではないかと、そう思いまして」

 だから自分から求めるようにお誘いをかけているだけに留めているのだ。向こうから求めてきてくれる方が満ち足りるし、“お誘い”する行為も楽しいし、その時の奥間君の顔も可愛くて、だからそれが不満という訳ではない。

 実際あの夜の後の奥間君は2~3日は足腰が立たなくなっていて、どうもそれが愛し合った為だと薄々は気付いてた。確かに自分も愛し合った後、幸せではあったが確かにどんなスポーツをするよりも体力を消耗した。愛の蜜を放った後の愛しい人の顔を見るとすごく可愛い反面、自分よりも明らかに体力を消耗していて、回数を重ねるごとに味も薄くなって量も減って、だから男性は自分と違って一旦溜めないといけないのではないかと、そう考えたのだ。お誘いをかけて向こうがそれに乗って、向こうのペースでお腹の中に愛の蜜を入れてくれるのが一番いいのではないかと、アンナなりに愛しい人のペースを考えてはいたのだった。

 実際は体力はアンナが異常すぎるのと、愛の蜜どうこうはシタノクチの中で出すわけにはいかない向こう側の理由と、あと実際にはそのお誘いは挑発であり、アンナの捕食者としての本質が獲物を追いつめ甘噛みする快感に変わってしまってその様が恐怖を与えていた為に逃げ回っているという現実があったが、それはアンナにはわからないし知らないことだった。





33 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:18:33.74Vqcr7VCy0 (33/86)



「あー、アンナの体力に奥間がついていけんのか。おぬしはそう考えているのじゃな」

「ええ、女性に体力が劣るというのは、奥間君を傷付けてしまうのではないのかと思うと、それは言えなくて」

 別のことを考えていたためか、熱でぼうっとしていた頭は少しは回ってきた。ただその代わり、下腹部から愛の蜜が湧き出る感覚が生まれ、愛しい人に傍にいてほしいという気持ちはむしろ強まるばかりだった。

「ふむ、じゃあこれが役に立ちそうじゃの」

「はふぁん!?」

 アンナがお腹の中に入れたいとずっと願っていたものがそこにあった。一瞬で身体が発情し、奪い取ってぺろぺろする。お腹に入れた過ぎて、思わず腰を蠢かしてしまうほど、色も形も愛しい人の完全戦闘態勢時の突起物そのままだった。

「はあはあはあはあ、そ、そっくりですわね、奥間君に……こ、これはいったい?」

「儂もあまり三次元は得意じゃないからの。不破に協力してもらって、一度試しに作ってみたんじゃ。ああ、舐めても色は落ちんぞ、練り込んであるからの。カタチはまあ、頑張って観察させてもらっての。ちなみに感触はどうなのじゃ? そのあたりは不破が材料を決めていたが」

「は、うん、はあ、はあああ!」

「答えなくていいぞ、その反応で十分にわかる」

 うんうんと早乙女先輩は満足げだった。口に含み、ためしに僅かに軽く噛んでみる。さすがに味や匂いや温度はなかったが、触感や固さはそっくりだった。

「ちょ、彫刻も手掛けていくつもりですの?」

「いや、それは試しに作ってみただけじゃ。儂はあくまで絵描きなのでの。まあそれはデッサン人形のようなものじゃったが、多分アンナは喜ぶじゃろうと思うてな。冷たく感じる時は、人肌で温めると良いと不破は言っておったぞ」

 なるほどと思って、胸に挟んでみる。冷たいけどすぐに慣れて、胸を寄せて感触を楽しんでいると本物を挟んだ時の触感を思い出して「はふぅ」思い出すと更に奥間君が欲しくなった。愛の蜜があふれ出してくる。これなら今日は奥間君を血で汚すこともないし、これで思い切りお腹の中を掻き混ぜてもらおうとおねだりすることを考えてみると幸せな気持ちになれた。

 だけど。

「のう、アンナ。ここには今、儂とおぬししかおらん。奥間はおらん。だからの」

 真剣な声だった。

「無理に隠そうとしなくてもいい。儂は誰にも言わんよ」

 奥間君が欲しいとずっと思い続けていたためだろうか。愛が溢れてきているからだろうか。

「おぬし、奥間に隠してることがあるじゃろ」



「――――っ!!」



 ゾクゾクゾク!と熱が電流に変化した。電流が身を焼いていく感覚に、「あああん……!」身体をもぞもぞと動かす。ギリギリで我慢する。できた。

「な、何をおっしゃっていますの? わたくしは奥間君に何も隠し事など」

「儂はあの夜、おぬしと一緒にいたんじゃぞ? 今更取り繕うことも無かろう」

 あの夜。

 熱が更に電流に変化し、頭にわだかまる霞を飛ばそうとする。興奮のあまり目に涙が溜まってきたが、構っていられない。毛布にしがみつく。だけど込める力が強すぎて、引き千切ってしまう。

「おぬし、本当に《SOX》の殲滅を諦めたのか?」

 無遠慮に考えてこなかったことに入り込んでくる声に、だけどそれでもアンナはギリギリで耐えた。

「あ、諦めたとかではなく、《SOX》は今まで通り、無傷捕縛を目指して」

「それがおぬしの本心なのかの? では愛の罰とやらを与えたいと《雪原の青》を追いかけまわしていたのは何だったのじゃ?」

「そ、それは」





34 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:19:10.70Vqcr7VCy0 (34/86)




 記憶を刺激されて無意識に口角が上がってくる。にやつく口元を必死で抑えた。

「アンナよ、これを見てくれんかの」

「――――ッ!!」

 見せられたのは、《雪原の青》に馬乗りになって恍惚に酔い切った、自分自身の絵だった。

 圧倒的な描写力で持って、自分が周りにどう見られていたかを思い知らされる。

「アンナよ、今無理矢理に我慢していることが、儂にはわかる。この夜のおぬしの魅力が今のおぬしにはない。何を言われたかは知らんが、特に奥間に見せたくない面かもしれんがの。でも、ここには奥間はおらん」

「――奥間君が、いない?」

 思い出して、しまった。

 愛しい人がいなくなった時、それを実感した瞬間、憎悪で満たされると同時に感じた、あの頭がクリアになっていく感覚。

 あの時と同じように、頭の中の霞が消えていく。

「あは、ふふ、ふふふふふふひっ!」

 飛び起きる。テーブルを殴りつける。椅子を壁に投げつける。だけど求めているのはこれじゃなかった。

「ひ、ひぃ!」

 怯えて隅で丸くなる早乙女先輩の姿が目に入る。一歩近づいてみた。必死に後ずさる姿がむしろ可愛くすら思える。

「先程までのわたくしには、あの夜の魅力がないと仰いましたね?」

 割れたテーブルに更に踏みつけ、砕いていく。だけど《雪原の青》の肩を外したあの恍惚にはとても敵わない。鳩尾に肘を落とした時に伝わった骨がみしみしと悲鳴を上げる感触とは全然違う。

「今のわたくしでは、どうでしょうか?」

「あああ、ある!! そ、そうじゃ、やっぱりその、偽りのない姿というのじゃろうか!?」

「これが、わたくしの……偽りのない……」

 間違いなかった。

 どう偽っても、あの夜感じた恍惚は忘れられないし、無かったことには出来ない。

 そして知ってしまったからには、誤魔化すのも限界だった。

 悪に罰を与えるのが、自分はやっぱり愉しい。

 そして今、この熱を発散させるに十分すぎるほどの悪が、すぐそばにある。

「でも、奥間君は止めるでしょうね」

 あの夜と同じように。それがわかった。自分の愛しい、大好きな人は、そういう人だった。

 この姿を見せるのは、「嫌です」とまた拒絶されるだろうと思うと、それはあまりにも怖すぎた。

 もし、また拒絶されたら、その時は?

 く、と喉が興奮で引き攣る。それでももう、隠すことは出来ない。

 気配が近づいてくる。すぐに匂いで誰かわかった。更に下腹部に熱が集まってくる。蜜があふれ出してくる。



「――アンナ先輩?」

「――奥間君」



 もし、拒絶されて、離れていこうとするならば。

 それならばもう、この衝動と激情で愛しい人の気持ち全てを塗りつぶして、自分のものにするしか、それしか思いつかなかった。

 それが世界にとって間違いであっても、自分にとって絶対の正しさは、この人への愛だけしか、それしかないのだから。






35 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:20:25.32Vqcr7VCy0 (35/86)




 アンナ先輩の言葉に、やはり僕と二人きりの世界を望んでいたことに、ショックがなかったと言えば嘘になる。

「それが、アンナ先輩の本心ですか?」

「ええ。間違いなく」

 でもよく考えると、いやよく考えなくても、

「今更、ですよね」

 恐怖で僕もおかしくなっていたのかもしれない。僕は思わず笑ってしまっていた。

「……?」

「知ってましたよ、そんなこと」

 アンナ先輩の嫉妬の炎でどれだけ色んな人間が犠牲になりかけたと思っているのか、親友の華城先輩ですら刃物で刻み殺そうとしていたような人が望む世界なんて、そんなものだろう。あの夜以前から、獲物を、敵を追い詰めることがある種の快感を生む人なんだというのは、ハエの交尾実況の時に屋上で追い詰められたの恍惚の微笑から気付いていた。

 うん、知ってた。

「アンナ先輩、ずっと我慢してたんですね。……すみません。どうすればいいか一緒に覚えていこうと言っておきながら、僕は何も考えず、一人で全部抱え込ませてしまって。気付きもしなくて」

 アンナ先輩の気配は変わらない。隠そうとしない。

 本心を包み隠さず、全てをさらけ出している。

 本人が傷付くほどに、怯えるほどに深い部分までを、アンナ先輩にとって最も大事であろう僕に対して。

 剥き出しの心は酷く傷つきやすくて、やっぱり純粋だった。

「アンナ先輩が、あの病院に悪がいると、そう断言するのは、ただ社会的な判断だからとかそういうことじゃなくて」

 僕自身、ニュースを聞いた時の怒りを思い出す。

「華城先輩が、親友が人質に囚われて、それに怒らない方がおかしいですよ。正義とか、悪とか、そういうことじゃなくて、アンナ先輩はただ、助けに行きたいんですよね」

「…………」

 だけど僕の言葉を、アンナ先輩は否定する。

「わかっているのでしょう? 目的と手段が入れ替わっていることに。あの夜、わたくしを止めた奥間君なら、気付いておられるはずですわ」

 どうしてこういう時まで観察力を発揮するのかな。やっぱりアンナ先輩相手に誤魔化しは利かない。

「月見草のプレゼントを買いに行った時も、似たようなことを言ってませんでしたっけ。プレゼントを買いたいというのは口実で、僕とデートしたいだけだって」

 月見草の誕生日プレゼントを買いに行きたいと一緒にデートした時、アンナ先輩はそんなことを言っていた。

「だけど、月見草を思ってプレゼントを選んでいた時のアンナ先輩の優しさは、本物だったと思ってます」

 僕は続ける。

「あの夜、僕を助けたいと思っていた気持ちも、嘘じゃないですよね」





36 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:21:27.97Vqcr7VCy0 (36/86)




 暴走してしまって、終わってしまいそうになったけど、心が壊れそうになるほどに僕を助けようとしていたあのアンナ先輩を、嘘だとは思いたくはなかった。

「アンナ先輩。今、アンナ先輩の心の中は、華城先輩のことが心配で、華城先輩に危害を加えるかもしれない犯人たちが憎くて、だから助けに行きたくて、きっとそれだけなんです」

「奥間君」

 気配は変わらないけど、どこか自嘲的な昏さが加わった気がする。

「わたくしはただ、綾女さんのことを口実に、悪を殲滅する気持ち良さを味わいたいだけですの」

「人質が華城先輩じゃなかったら、悪を殲滅したいという気持ちは、ここまで強く起こらなかったはずです」

 強く言い切る。アンナ先輩はやっぱり、潔癖過ぎるのかもしれない。変わってから、心の負の部分を覚えてから清濁を併せ持ちつつあっても、本質はやっぱり、醜さを徹底的に排除する、その清廉さにあるんだろう。

「悪を殲滅したいという気持ちが華城先輩たちを助けることに繋がるなら、僕はその気持ちを間違ってるなんて言いません」

 衝動の解放の仕方は、とりあえず今の事態が解決してから改めて考えよう。

 やっぱりどうしても、アンナ先輩の能力は、この事態を解決するのに最も強力な戦力なんだ。

「その、本当なら、危ない場所にアンナ先輩を行かせたくはないとは思ってます」

 それも本音だ。アンナ先輩が危ういのは事実だ。だから。

「僕達がサポートします。この事件は早期に解決しないといけないんです。だから、お願いします。

 ――華城先輩たちを、助けてください」

 ぴく、とアンナ先輩が震えた。

「人質の安全を最優先に考えるなら、相手が無抵抗でないなら、犯人に対してちょっとぐらいは罰を愉しんだって……親友を傷付けようとした人間に怒りを露わにしたって、誰も間違ってるなんて言いません。言うやつがいたら僕がそいつをぶん殴ってやります。だから」

「奥間君」

 それ以上の言葉は、言葉では意味がなかった。

「それでも、今のわたくしでは、悪に罰を与える愉しみに溺れるでしょう。この熱を、どこかに逃がさない限りは」

 切実な期待で満ちた声。う、やっぱりそうなるか。このままだとヤバいのは僕から見てもそうだ。

 一発やらかしてストレス解消させないといけないんだろうなあ。あのバカ二人の作ったモノが大丈夫かわからないけど、使わせてもらわないとダメなんだろうな。

「奥間君。わたくしを愛してくださいまし。奥間君の愛で、わたくしを満たして……!」

 もうこの熱に耐え切れないとばかりに服を脱いでいく。あっという間に下着姿だけになる。PMを使って何やらメールを送った後、そこだけ無事なソファに仰向けになる。

「奥間君、来てくださいまし」

 ああ、断る権利はなさそうですね。ってか断ったらむしろ僕を捕食して僕の愛の蜜全てがカラッカラになるだろうから、とにかく僕からアンナ先輩の身体にご奉仕することに決めた。

 なんかアンナ先輩が従順で働き者の奴隷を見て満足するような女王様のように見えたけど、それは気のせいということにする。気のせいったら気のせいだ。

 薄い水色の上下お揃いの下着に黒のニーハイソックスのみとなったアンナ先輩が、僕を貪るのではなく僕に愛してもらおうと、僕のアクションを待っていた。

 ブラジャーのホックを外す。ぼろん、と本当に零れるように豊かなおっぱいが飛び出てきた。「んっ」先端はビンビンに尖っていて、空気に触れるだけで感じたのが身体の跳ね方から分かった。アンナ先輩は完全に僕に身を任せることに決めたようで、僕に強制したりはせず、されるがままに腕を上げて、ブラジャーを剥いでいく僕の様子をうっとりと眺めていた。

 問題は下の方なんだけど……アンナ先輩、生理だって言ってたけど、その状態で異物を挿入れて大丈夫かな。といっても、もうアンナ先輩は準備万端で待ち構えているし。あと個人的な趣味から靴下はそのままにしておく。これぐらいはいいと思うんだ。

「アンナ先輩、痛かったり、気持ち悪かったら、すぐ言ってくださいね」

 こくん、と頷くだけだった。興奮のあまり目には涙が溜まっていて、早く早く!と無垢な子犬のように光っている。

 かなり勇気が必要だったけど、もうこの状態に来てしまった以上は避けられない。パンツをゆっくりと脱がしていく。





37 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:22:08.35Vqcr7VCy0 (37/86)




「???」

 あれ、アンナ先輩生理だって言ってたよね? ナプキンしてるし本当にそうなんだろうけど、アンナ先輩は量が少ない体質なのか、それとも愛の蜜の分泌量が凄まじすぎて血を薄めてしまっているのか、思っていたほど血で真っ赤ということはなかった。

「奥間君、は、早く」

 じれったそうに腰を蠢かす。でも僕の懸念としては、バカ二人の作ったこのこけしが大丈夫なのかという問題がある。

「――挿入ますね」

 とりあえず、カリ首の部分だけ入れてみることにした。


 ぬるっ


「はうぁああん!!」

 ビクンビクンと腰回りが痙攣した。けど思い出せるだけでも、あの夜ほど深く激しい痙攣ではないから、アンナ先輩はこれでは満足しないだろう。

 アンナ先輩の中の浅めの部分を、カリで引っ掻くように混ぜていく。「ふわ、は、あああ……!」押し返してくる力が思ったより強い。お、おま○こってこんなに圧力強かったのか。アンナ先輩が特別なだけかもしれないけど。

「お、奥間君……焦らさないでくださいまし」

「…………」

 や、やばい。いつも喰われる側だから、こうやって懇願してくるアンナ先輩って実は新鮮だ。乞う暇があったら喰ってるからね。その、主導権がこちら側にあるってパターンがあまりないから、ちょっとこの表情を見ていたいとか思ってしまう。別に焦らすつもりとかではなくこけしを入れて大丈夫かどうかの確認のつもりだったのだけど、もう少しだけ切なそうにこちらを見るアンナ先輩を見てみたいとか思ってしまう。

「気持ちよくは、無いんですか?」

 浅い部分をもう少しだけゆるゆると混ぜてると、表情に切なさがより強くなっていく。か、かわいい。

「き、気持ちいいですけど、このままじゃ満たされませんの……もっと深く、激しいのが欲しいんですの」

 正直もう少し見ていたかったけど、時間もないしアンナ先輩が襲って来たら元も子もないので、アンナ先輩の望みどおりにすることにした。

 一気に力を入れ、奥まで突き入れ、こけし全部を呑みこませるっ!

「はうっ……!」

 またびくんびくんと痙攣した。さっきよりも激しい痙攣。でもアンナ先輩がこの程度で満足するわけがない。

 だから僕は手を休めることなく、こけしのピストンを強く開始していく。アンナ先輩の唇から涎が大量に零れ、眼は焦点を合わせず、

「これ、これ! これが欲しかったんですの!! あ、あ、あ、ああああ!!」

 悲鳴に近い嬌声を上げてまた腰が跳ねる。多分今、アンナ先輩はイキっぱなしの状態になってる。もうこのまま押し通そう。刺激に慣れないようにピストンの動きから変えて奥をこじ開けるように掻き混ぜるように動かしていく。

 ぶるんぶるんと震えるおっぱいが目に入る。僕も理性が飛んでたんだと思う。きっと中出しさえしなければいいなんて最低の発想があった。でもこんな極上の女性が僕をこんなにも求めていて、それに抗う方が無理だった。

 こけしの動きを止めないままに、空いた手の方でおっぱいを掴む。

「そ、、そんなつ、強く、また、愛が、あああ、あ!」

 またびくんと跳ねた。下を掻き混ぜ、空いた手で片方のおっぱいを揉みながら、僕の口はもう一つの山頂に吸い付いていた。

「そ、それも、それも欲しかったんですの! 奥間君、もっと、もっと! はあああ!!」

 掻き混ぜる音、掌に吸い付く感触、啜るときの甘い汗の味、熱すぎる体温、感じきった声、全部が僕を刺激する。

 いったん胸から唇を離し、完全に別の世界に飛んでるアンナ先輩の唇に舌を挿入てこじ開け、唾液を啜っていく。

「ふ、んんんん!! んぁ、うぅぅぅんんんあ!!」

 こんな状態でもアンナ先輩のキステクは的確に僕の口腔内全てを挑発する。息継ぎすら惜しく、アンナ先輩の唾液をひたすらに貪っていく。おっぱいを揉む手にもこけしに込める力も勝手に強くなり、乱暴に突き上げる。

「ん―――――ふぁあああん!!」

 ひときわ大きく痙攣した後、一瞬ぐた、と力が抜けた。

「――あ、アンナ先輩!?」

 ヤバい、やりすぎた!? 我に返っておっぱいからもこけしからも手を離し、アンナ先輩の肩を軽く叩く。

「……あ、う、ああ、お、おくま、くん?」





38 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:22:40.80Vqcr7VCy0 (38/86)




 陶酔しきったとろんとした声で、辛うじて僕の呼びかけには答えた。反応の鈍さが僕のやらかしたことの大きさを物語っていた。

「す、すみません、大丈夫ですか!?」

「う、あ、え、ええ……あは。うぇふふふふひっ……!!」

 ちょ、完全に別世界にイッてる! どうしようコレ!

「おくまくん、いぢわるしましたわ……わたくしに」

 え? 何言ってるの?

「おくまくん、じらしましたの……わたくしはもっとはやくほしいと、いったのに」

 上の口が締まりがなくなってにへらにへらと笑ってる。まるで子供返りしたみたいに。

 あ、あばばばばばばばば、これマジでヤバい!! 直感する、今この人には最低限の理性もない!!

「えへ、えへへへへ、おくまくん、いぢわるしたから、おしおき……!」

「へ? あえええええ!?」

 体勢があっという間に上下逆に変わる。とろんとした余韻の恍惚に酔いしれているのに、素早さと手際と怪力だけは変わってない。

「えへへへへへへ、おくまくんの、あいのみつ、ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶのみますの」

 抵抗する間もなくベルトは外されズボンごと下着も下ろされる。僕の愚息は一連のアンナ先輩の反応で100%まで大きく育っていた。

 じゅぶっ

「あ、あアンナ先輩!? あの、お願いです今オシオキだけは――あqswでrftgひゅじk!!」

 極上のフェラテクを惜しげもなく披露してあっという間に発射しそうになるけど、竿の中ほどでアンナ先輩がぎゅっと絞めて出させないようにしていた。

「ああああああそれ駄目、駄目な奴です先輩お願いですそれだけは!!」

 強制的な寸止めに勝手に腰がビクビクと跳ねる。さっきと全く逆の立場に、だけどアンナ先輩はとろんと幸せそうに笑うだけ。

「うふふふふふ、おくまくんのあいのみつは、ためるとおいしくなりますの。おくまくんのあいのみつ、ぜんぶおいしくのむんですのっ」

 いったん僕のビクンビクンが収まったのを見て手を離し、またじゅぶじゅぶと飲み込んでいく。ま、まさかこれを繰り返す気か!? 寸止めって炎症起こしたりしてヤバいってあの父さんでも言ってたのに! 強制寸止めのせいでタマタマが痛くてこれ絶対ヤバい!

「あはあ、おくまくんの、こくておいしいの、のみたいですの」

「あああああの、こ、これだけは、許してください、あの、本当に、これは、その!!」

 僕の悲鳴じみた懇願にも幸せそうに笑うアンナ先輩の顔に、僕はもうカマキリの雄のように喰われることを覚悟した。その時だった。





39 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:23:08.98Vqcr7VCy0 (39/86)




 きゅいーんきゅいーんきゅいーんきゅいーん



 PMに内蔵されているアラーム音の一つが、アンナ先輩のPMから大音量で鳴り響いた。

「…………」

 幸せに蕩けきった顔から、何とか現実に戻ってきた。気怠そうにPMを操作し、アラームを解除する。

「……時間切れ、みたいですわね」

 心底残念そうだったけど、助かった。多分さっき、PMでメールを送るついでにアラームもセットしたんだろう。多分自分でも僕にも止められなくなることをアンナ先輩なりに危惧して予め時間を決めておいたのだろう。その思考が働く理性があって本当に助かった。

「ね、奥間君……一回だけ、愛の蜜、飲ませていただけませんか?」

「い、一回だけですよね? その、はい」

 アンナ先輩がいなくなったらこっそり抜いておこうと思っていたけど、一回だけなら上のオクチに出しても大丈夫だろう。僕の体力的には。

「んっ」

 またじゅぶじゅぶとウエノクチに僕の竿が呑み込まれていく。いつの間にか僕はこけしを手放していたんだけど、今見たら辛うじてカリ首のとこで引っかかっていた。アンナ先輩はウエノクチで僕の愚息を呑みこみながら、シタノクチでもこけしを自分で押し込んで呑みこんでいく。

「は、あ、で、出ます!」

 一回強制寸止めさせられて、出したくて仕方なかったらしい愚息は自分でもわかるほど普段より強い勢いで、どぴゅどぴゅと愛の蜜を放出していく。

 それを満足そうに、管に残った分まで啜りきって呑みこむと、ようやくアンナ先輩は顔を上げた。まだこけしをお腹の中に入れたままだけど、理性の光はまた少し戻っていた。

「幸せ」

 アンナ先輩は本当に幸せそうに呟く。

「わたくし、本当に幸せですわ」

 その幸せそうな瞳に、決意の炎がみなぎってくる。

 華城先輩と僕の前で《SOX》を捕縛し善導課に引き渡すと宣言した、あの決意の炎と同じもの。

「この幸せを、壊そうとする不届き者がいるみたいですわね」

 アンナ先輩の手が、先ほど作ったおそろいのペンダントを握りしめる。

 獰猛な肉食獣の恐ろしい笑みを浮かべ、あの夜見せた絶対的なオーラを放ちながら。

「ふふっ、あの夜のように、霞が晴れる感覚がありますわ。力も思考も湯水のように湧き出て、今のわたくしなら何でもできる気がしますの」

 本当に、何でもできるだろうと思う。だからこそ。

「少しオシオキに行きますわね。奥間君、手伝ってくださる?」

「――はい」

 あの夜、性を解放したことで起きた変化が、憎しみを覚えたことで知ってしまった破壊衝動による変化が、それがいいものかどうかはやっぱり僕にはわからない。

 だけど今はその変化が凄まじく頼もしかった。今のアンナ先輩なら、何でも任せられると思えた。

「お願いします。助けてください」

 駆け引きや収めるための言葉じゃなく、心から素直にそう言えた。

 アンナ先輩がその言葉を聞いて嬉しそうに笑ってて、だからなおさら大丈夫だと、そう思えた。





40 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:24:00.34Vqcr7VCy0 (40/86)



 ぐちょぐちょになったアンナ先輩にはシャワーを浴びてもらって、僕はトイレのウォシュレットで後始末をして、マスターに器物損壊や勝手にシャワーを借りたことを詫びて、そしてバカ二人に拳骨を喰らわせた。

「なんてものを作ったんだよお前ら!」

「お、おぬしはそれで助かったんじゃろうが!」

「別にわたしは実験的に作っただけで実用するつもりはありませんでしたし」

「するなよ? ゼッタイするなよ!? っつかなんで僕のカタチ知ってるんだよ!? ……いやいい、どうせ早乙女先輩が覗いたんだろうってことはわかる」

 はあ、と諦めて溜息を吐く。今はそれどころじゃ無いし。

「……また派手に……」

 マスターが惨状に嘆いていた。アンナ先輩から修理費とかは出してもらえるだろうけど、本当に申し訳ない。といっても、アンナ先輩のことは《SOX》メンバーからよく聞いているので、それ以上は何も言わなかった。というか、あの母娘にはもう関わりたくないオーラが出てた。仕方ないね。

 テレビをつけ、報道番組を垂れ流す。情報は何も変わらない。

「ちなみに、覗いてないよね?」

「あの瘴気に勝る防護服は用意していませんでした」

 アンナ先輩を放射性物質扱いするなよ。まあ確かにあのオーラはそう呼びたくなるかもしれないけど。早乙女先輩は「またアンナの合体を見逃した!」とか嘆いているし。合体自体はしてないからね?

「そういえば、月見草は?」

「メールを受け取った後、どこかに行きましたよ」

 アンナ先輩の指示かな。メール送ってたし。

「あー、その、不破さんはまだ僕達に協力してくれるの? アンナ先輩も動くことになったけど」

「ま、そうなるだろうとは思っていました」

 不破さんは冷静な無表情を崩さずにマスターの出した珈琲を啜る。

「わたしとしては現在のアンナ会長の状態次第、でしょうか」

 理論派だがアグレッシブで行動力の高い不破さんにしては、慎重な意見だった。まあ前に巻き込んだこともあるし、保留にしてくれているだけでもありがたい。今の僕らには圧倒的に足りないものがある。

「不破さんのネットワークに引っかかったものはある?」

「あると言えばありますが、まだ協力すると決めたわけではありません」

 そう、情報が足りない。情報を集めるという点では僕は《SOX》の中で一番弱い。早乙女先輩はまあ、そういう面は期待してないし他に役割のある人だから仕方ない。

 だから不破さんのネットワークだったり分析力は今一番欲しいんだけど、アンナ先輩が参戦するとなると不破さんは慎重になってしまった。僕相手ならまだ、協力すれば生徒会として見逃したり卑猥の知識を得られるかもしれないというリターンを意識出来るんだろうけど、アンナ先輩相手にそれは効かないどころか不破さんは《SOX》の協力者という認識をアンナ先輩は持っているから、むしろ僕だったら即逃げる案件だ。

 からんからんからん

「月見草か」

 『Cloosd』の看板が掛けられているのに入ってきた人物は、月見草だった。何やら鞄を手に持っている。

「アンナ様の着替えをお持ちしました。アンナ様は今どちらに?」

「あー、早乙女先輩、持ってってくれませんか?」

 場所を説明するのが面倒だったので早乙女先輩に任せた。月見草に聞きたいこともあったし。

「アンナ先輩から何か指示を聞いてるの?」

「善導課を通じてこの件の情報を得られるだけ得てくるようにと言われました」

「で、結果は!?」

 身を乗り出す。けど月見草の返答は芳しくなく、

「最上階の見取り図は手に入ったのですが、私は所属する部署が違うので」

「うーん。それは……そうだね」

 善導課だけではなく人質籠城事件に特化した警察の部隊も出ているんだろう。

 でも見取り図だけでもありがたい。月見草がPMの投影機能を使って画面を虚空に表示する。

「やっぱりセキュリティが厳しい分、忍び込んで不意打ちは無理か」

 《群れた布地》の時は占領した範囲が総司ヶ岡学園と広く、鼓修理が見つけていた抜け道も存在していたため、そこから善導課の目を盗んで《SOX》や時岡学園の生徒会や風紀委員たちも入ってこられた。だけど今は、あの病院の特殊なセキュリティによって、特別階に行く道は直通のエレベーターと非常階段二つの三か所しかない。人質の場所も犯人たちがどのような配置についているのかもわからないのであれば手の出しようがない。





41 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:24:40.84Vqcr7VCy0 (41/86)



「不破さん、双眼鏡で確認って」

「出来るわけがないでしょう、常識的に考えて」

 くっそ不破さんに常識を説かれると腹立つ! だけど正論だ。そもそも入院患者のプライバシーを守るためにあんな厳重なセキュリティが施されているのだ。報道を見る限りでも窓にはカーテンが引かれていたし、所詮学生である僕達に手に入る情報なんて限られている。

「お待たせしましたわ」

 ふわっと、一気に室内が華やいだ。あくまでも落ち着いた穏やかな生徒会モードのアンナ先輩だった……あれ?

「アンナ先輩、制服なんですか?」

 アンナ先輩は時岡学園の制服を着ていた。さっきまで着ていたお出かけ用の服じゃない。まだ髪は濡れているけど、一番見慣れたアンナ先輩の姿だ。

「この制服が一番身も心も引き締まりますので。今の局面には一番ふさわしいかと」

 月見草に取りに行かせたのは制服だったのか。勝負服ということなのだろうか。ところで勝負下着って女性はどういう基準で選んでるんだろうね。黒とか赤とか紫より白とかパステルカラーの方が清純さを醸し出すから好きなんだけど、時岡学園の女生徒を思い出すとそうでもねえなって思えてきた。華城先輩に始まり、アンナ先輩も早乙女先輩も不破さんもその他もろもろ。

「さて、では作戦会議を始めたいのですが」

 いつもの喫茶店が、真面目な話をするときの生徒会の雰囲気に染まる。アンナ先輩が不破さんの方を見る。

「その前に、改めて皆様の意思確認をさせてください。わたくしどもに、ご協力をお願いします」

 早乙女先輩は無条件にこちら側に来て、月見草も当然アンナ先輩の傍に立つ。僕もアンナ先輩の隣に座る。

 動かなかったのは、不破さんだけだった。

「不破さんは、ご協力頂けないと?」

「何故協力してもらえると思うのですか?」

 なんでいきなり胃がキリキリするようなやり取りになるんだ。アンナ先輩の気配を不穏にするのは止めてくれ本当に。

「アンナ会長たちが助けに行きたいという想いはわかります。副会長が人質になっているのですから。ですがそれはわたしには関係ない話です。わたしと副会長には個人的なやり取りはありません」

 不破さんの考えをそのマグロのごとき無表情から読むことは難しい。多分アンナ先輩も同じだろう。

「先日の件で恨んでいる、と?」

「そういうわけではありません。まあいい迷惑でしたが、貴重な話も聞けましたし体験しましたし」

 あの愛の再現実験については僕許してないからね?

「素人のわたし達が現場を引っ掻き回してプロの警察たちを混乱させる方が問題でしょう」

「不破さん、それは」

「奥間君、大丈夫です」

 アンナ先輩が遮った。目は真っ直ぐに不破さんを見つめている。

「不破さん、わたくしどもに、あなたのアナリストとしての能力をお借りしたいのです」

 アナ、リスト!? そ、そんな言葉がアンナ先輩から!? 早乙女先輩もビックリしてるし

「……分析官、ということですね」

 おい今一瞬不破さんの目も泳いだぞ。発想は同じか。

「人質籠城事件の基本は早期に鎮圧すること。ですが警察では難しいでしょう。人質の中には政財界で貴重な人材もいますから」

 むしろ上の、国からの指示と現場との指揮系統が混乱しているだろうとアンナ先輩は言った。報道を視線を移したので釣られて僕も見ると、《育成法》について色々といい部分だけをコメンテーターがそれらしく言っている。

「こういった思想犯に対しては国は引けませんわ。人質を無傷で救出するより、思想犯の要求を突っぱねたという姿勢の方がしばしば重視されます」

 実際、国は『卑劣なテロリストには屈しない』とはっきり明言している。水面下でどのような交渉が行われているにせよ。そしてこの事件は解決後も国によってうまく使われていくんだろう。

 《SOX》としての僕はそれも阻止していきたいのだけど、いい案が思い浮かばない。





42 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:25:07.55Vqcr7VCy0 (42/86)




「それも国にとっての正義ならば仕方ない事なのでは?」

 冷たい言葉だった。だけど僕はもう言葉を挟まなかった。

「綾女さんを犠牲にしなければ為せない正義ならば、わたくしはそれを否定します」

「アンナ先輩……」

 政府と対立した母親に対してすら、あれほど思い悩んでいたアンナ先輩が、親友のためとはいえこれほどキッパリと正義を否定するとは、正直僕は意外だった。

 アンナ先輩の根幹の正義は、国が押し込んだ理想そのままの筈なのに。

「協力出来ないならば仕方ありません。無理強いは出来ませんから。ただ手伝っていただけるのであれば、それ相応の報酬は支払うことを約束しましょう。金銭的な面でも、その他の部分でわたくしに出来ることでも」

「もし、わたしに対して卑猥の取り締まりを無くせ、というのが要求だったらどうするんですか?」

「……わたくしや奥間君は見て見ぬふり、ということになりますわね。風紀委員の方にも不破さんをブラックリストから外すよう通達しましょう。先生方や綾女さんに関しては、わたくしからは何も言えません。それが限界ですわね」

「…………、本気、なんですね」

 不破さんが驚いた、と思う。やっぱり無表情で分かりにくいけど、言葉の間が長かった。

 僕にしたって意外過ぎる言葉だ。アンナ先輩にとって卑猥は絶対悪で、それを見逃すような発言をするなんて、絶対にあり得なかった。以前なら。

 アンナ先輩の表情は変わらない。平然としているように見える。だけど僕が見てもアンナ先輩の考えていることがわからないのは、本来嘘を吐くのが苦手なアンナ先輩が、一見して何を考えているのかわからないのは、つまり本心を隠しているからだ。

 アンナ先輩にとっても、この持ちかけは苦渋の決断なんだ。それだけの覚悟を持って、アンナ先輩はこの事件と向き合おうとしている。

 単に本能のままに暴れるためじゃなく、華城先輩を助けるために。

「折角ですが、自分で言っておいてなんですが、その申し出はお断りします。ですが、別のことを提案させていただきます」

「何でしょうか」

「……心配なさらずとも、その提案が実行不可能であっても、わたしに出来ることなら協力します。いくつか条件が重ならないと実現出来ない話ですので。その条件がクリア出来たら、改めて提案させていただきます」

「回りくどかったが、つまりここにいる全員が綾女たちを助けに行くということでいいのかの?」

 早乙女先輩がまとめると、不破さんがこくんと頷いた。ただ、不破さんの提案ってなんだろう? 恥的好奇心ぐらいしか不破さんが動くことって無いと思うんだけど、不破さんはやたら真剣な顔に見えて、その真剣さがペスが奪われた時の不穏な空気とすごく似ていて、何も聞かなくていいのか迷った。

「しかし、ずいぶん買ってくれているようですが、現在の情報量ではわたしにもわかりかねますね」

「そうですわね。とにかく情報が足りませんわ」

 不破さんとアンナ先輩、この場にいる知能派二人揃っての言葉に全員が悩んでしまう。

 どう動くにしても、とにかく情報が欲しい。発情しきった状態のアンナ先輩が僕の愛の蜜を求めるレベルで情報が欲しい。もうそれぐらいなりふり構わず情報が欲しい。





43 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:25:48.47Vqcr7VCy0 (43/86)


「《SOX》出てこねえな」

「なんか一言欲しかったけどね」

 犯人たちの会話から漏れ聞こえる《SOX》への期待感に、綾女は苛まれていた。

(自分でぶち壊しにするような真似しといてよく言うッス!)

 鼓修理はキレていたが、ゆとりは自分と似たような絶望が伝わっているのか、黙っていた。

 人質の中で綾女だけが拘束されていない。単純に怪我の重さから、拘束する必要がないと判断されているだけだ。実際左の肩は固定してあるし、肋骨のヒビも箇所が多くこの特別階において、綾女は最も重傷人だった。だけどそんなことは正直どうでもよかった。

(下ネタ言いたい)

 犯人たちが期待する、政府への叛逆とかそんなのは、全て後付けの理由だ。

 綾女はあくまで下ネタを言いたいだけで、下ネタが好きな自分を否定するこの世界が嫌いで、だから反抗しただけだ。

 最初は助けてくれる大人がいても、あくまで一人だけの戦いだった。

 いつから若い世代の期待は、《雪原の青》から《SOX》になったのだろう。

 答えはわかりきっていた。

(狸吉……)

 狸吉とともに《SOX》を立ち上げてからだ。

(下ネタ言いたい)

 そして聞いてほしい。ツッコんでほしい。律儀に全部返してくれる狸吉に安らぎを覚え始めたのはいつからだったろう。

 でも今の自分にそんな資格はないと思った。

(私は、見捨てた)

 あの夜、自分は親友であるアンナの心を切り捨てた。

 狸吉は見捨てず、自分とアンナ両方を生かす道を探して、そして今、自分もアンナも終わらずに今ここにいる。

 自分だったら無理だ。自分が正しいと思わないと生きていけない。世界が間違っているとしか、そんな子供じみた事しか言えないような自分では。

 ソフィアの件でも、その他の事でも、狸吉は《SOX》以外のことも考えていて、《雪原の青》が見捨てようとした第一清麗指定都市も救おうとして、実際に繋げてみせた。

 なのに自分は、切り捨てた。自分も切り捨てられる側だったはずなのに、どうして、いつの間にこうなったんだろう。

(嫌われたくない)

 もうアンナはあの夜ですべて終わるものだと思ってた。だから《SOX》の延命を図った。それ自体は間違っていたとは思っていない。

 だけどアンナは自分の涙のない泣き顔を見逃さなかった。

 そして踏みとどまらせたのは、狸吉の涙と、泣いている人を見逃さないアンナの本来の優しさだった。

 誰よりも知っているはずの親友の優しさを信じられなかった自分がどうしようもなく醜い人間に思えて仕方なかった。それに、

(羨ましいなあ)

 アンナのことが、羨ましくて仕方なかった。





44 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:26:19.29Vqcr7VCy0 (44/86)




 愛する人に愛しているとてらいなく言えるその堂々とした姿に。愛する人が自分の変化に悲しむ姿を見て、だけど変化そのものを否定せず、あくまでもその変化を良きものとしていこうとするその姿勢に。

 アンナはいい子だ。能力もその性格も。極端から極端に行ってしまうけど、それは狸吉がカバーできる。あの夜のアンナですら止めてみせた狸吉なら、きっと出来る。

 親友や《SOX》の支持者がたくさんいるこの第一清麗指定都市の人間を切り捨てた自分なんかより、よっぽど相応しい。

 だけどどうして、自分はそこまで切り捨てるようになったのか。《SOX》を優先したのか。

(狸吉と一緒に下ネタ言いたい)

 そうか。

 狸吉との居場所を、自分は優先しただけ。

 組織の長としての判断ではなく、自分の欲望を優先した結果だ。

(嫌われたくない)

 このまま自分を変えることも出来ないまま、自分と意見の合わない他人を切り捨てていく自分を見て、いつか狸吉が自分に幻滅する時が来るのを待つよりは。

 このまま。

 このまま、アンナと狸吉は、親友とその彼氏という関係でもいいんじゃないかと思えてきた。

 狸吉は《SOX》を抜けて、アンナの彼氏になった方が、幸せなんじゃないか。

 少しでも傍にいるだけで、それでもう十分すぎるんじゃないか。下ネタを許してくれるだけで、それ以上を望むなんて、そんなことは――

 思考がぐるぐると回る。《雪原の青》としての判断も思い浮かばない。あの勝負パンツを履いてない自分なんて、こんなものだった。

 鼓修理とゆとりの二人が心配そうにこちらを見ていることはわかっていた。だからせめて《雪原の青》としては何も言わず、今は時機を見ているふりをして、二人の心配を誤魔化した。






45 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:27:14.19Vqcr7VCy0 (45/86)



「犯人が分かったぁぁ!!?」

 そういえば不破さんが一応進展はあったと言っていたので聞いてみると、大した情報ではないのですがと前置きした上でもたらされた情報は犯人の素性と思われるものだった。

「この状況を打破するのに優先順位の高い情報ではないので」

「説明してくださる?」

 アンナ先輩が促すと、不破さんがPMを起動し画面を表示し、虚空に映す。何かの掲示板のやり取りの一部だった。

「《育成法》に何となくレベルで反発している市民は多いですが、明確に悪法と言っている人間はそれほどいません。施工されてから十六年という年月はそういった声をさらっていきました」

 例えば僕達が生まれる前の話でいうと、消費税が導入された時はものすごく国民からの反発があったそうだ。だけど今は数%の値に右往左往しても、消費税そのものを悪法だと言わないように、《育成法》もPMの利便性から受け入れられている。

 元々ネットの検閲の激しいこの国だけど、《育成法》そのものに関しての反発は、もうほとんどない。潰されてしまった、流されてしまったという方が正しいだろうけど。

「《SOX》が人気を得たのも、PMという絶対的な枷を外して好き放題に卑猥な言葉を発することの出来るある種のダークヒーローとしての面があるからです」

 《SOX》の言葉に一瞬ひやっとするが、アンナ先輩は静かに不破さんの言葉に耳を傾けていた。

「とにかく、こんな時代で《育成法》そのものに本気で反発を唱える人間がいるとすれば、ネット上でも何らかの意思表示がきっとなされていると考え、調べてみました」

 すると声がやっぱりあったそうだ。

 《育成法》によって差別を受けざるを得なくなった人たちの声が。健全な社会に切り捨てられた人々の恨みの声が。

 僕や華城先輩の親みたいに犯罪として捕まっただけでなく、ゆとりみたいに卑猥な知識を持たざるを得ないがために中傷を受け続けた人々が集まる、愚痴の言い合うような場所が、とあるSNSのコミュニティで見つかったそうだ。

 不破さんが表示された画面にはこんなレスがあった。


『《育成法》が作ったモノを潰してやればいいんじゃね?』


「報道からすると、PMのことかの? 怖い言葉じゃな」

「ネット上では珍しくありません。とにかく、数年単位でネットの検閲に引っかからない範囲で、愚痴を言い合っていました。それが今年に入ってからにわかに活気づいてきたのです」

「《SOX》の活躍と比例して?」

 僕の疑問に不破さんは頷いた。撫子さんが言っていたように、やはり《SOX》に触発されたやつらなのか。

 そのSNSの中で立てられたスレッドに、意味不明なものがあった。他にもいくつか同じ名前のスレッドが、別のサイトでも立てられている。

「これは、日付、でしょうか? ですが、そのあとの数字は?」

 アンナ先輩が疑問の声を上げる。不破さんが簡潔に、

「緯度と経度です。当てはめると、第一清麗指定都市の、更にあの病院付近であることが判明しています」

「予告文、ってこと?」

「じゃが回りくどいやり方じゃの。国やマスコミに送りつけるわけじゃないなら、誰に対しての予告なんじゃ?」

 早乙女先輩のもっともな疑問に僕も考えるが、不破さんはとりあえず情報を吐きだすことを優先するようで、サクサク進めていく。

「まあ実はこれは、わたしが考えた事ではなく、ネット上で謎解きを楽しむ一定数の暇人が解読しただけです。その解読者たちは無駄なスキルをお持ちのようで、ある程度情報源は漏れています」

 不破さんも大概だけどねとは言わなかった、礼儀として。

「ネット上で言われているのは、風紀優良度最低辺校の中高生ではないかと。わたしも読みましたが、確度は高くないとはいえ、信憑性は高いと感じました。とにかく、《育成法》によって中傷を受けてきた人間であることは間違いないかと思われます」

「《SOX》も時岡学園の生徒でしょうし、同じ世代に共感を得たのかもしれませんわね」」

 アンナ先輩は冷静に言っていたけど、僅かに痛ましそうな、不破さん達が自暴自棄になった時のような悲しい目になったように見えたのは、僕の欲目だったかもしれない。

「ですが確かに、欲しい情報はこれではないですわね。いえ、不破さんは十分に情報を集めてくださいましたわ。ただ、今必要なのは、犯人と人質の配置、犯人の装備の情報ですわね」

「流石にネットではそのあたりの情報は集まらないですよね」

 僕も思わず溜息を吐く。不破さんが優先順位の高くない情報で進展がないと言った意味が分かった。犯人の生い立ちを知っても正直意味はない。

「奥間はそのあたりの情報を手に入れられる人物に心当たりがあるんでないかの?」

「あー、……そうなんですけど」





46 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:27:40.87Vqcr7VCy0 (46/86)



 早乙女先輩が突っ込んできた。ただ《SOX》でない不破さんやアンナ先輩にどう説明したらいいのか悩ましい。ただ話さないわけにもいかなかった。

「鼓修理の父親が、あの病院の経営のさらに上の人なんですよ」

「鼓修理ちゃんのお義父様は、奥間君のお義父様じゃないんですの?」

「えっと、それなんですけど」

 鼓修理、ごめん。後で合わせてくれ、お前の腹黒演技なら大丈夫だ。

「その、腹違いの娘なので、養子に出したんです。いろいろ厄介な手続きを経て。その、鼓修理のことは実は母さんも知らなくて、だからアンナ先輩も、鼓修理のことは母さんには黙っていてほしいのですけど……」

 何とかこれで通じてくれ、と神頼みする。日本はち○こやま○この神様もいるっていうけど、華城先輩経由のネタだからどこまで本当なんだろうか。

「奥間君も大変ですのね」

 なんとか通じたらしい。早乙女先輩も冷や汗かいたみたいだけど、だって、ねえ?

「鼓修理ちゃんの保護者はじゃあ」

「鬼頭慶介っていう。知ってますか?」

「母から聞いたことがありますわ。父とよく話しているらしいと」

 まあ不思議ではないか。色々裏工作が得意な親子だもんな。

 鼓修理の父親、鬼頭慶介は将来《育成法》が崩壊することを見越して、性産業を一手に手に入れようと企んでいる。そして《育成法》が崩壊する時期をコントロールする目的を持っていて、多分だけど鬼頭グループとしてはこの事件は、《SOX》の性知識流布によって政府の信用をいますぐ失うことを阻止する為に利用したいと考えている。

 ただものすごい親バカと言うかバカ親で、一人の父親としては、鼓修理を無事に守りたいという想いも、多分、あるはず、きっと、おそらく。

 そう言った相反する事情があることを説明し、とにかく取引材料がなければ交渉できない事を伝える。勿論《SOX》のこと、《育成法》崩壊による性産業の独占目的はぼかしたけど、アンナ先輩はそれでも複雑な事情を大体わかったようで、

「わたくしなら鼓修理ちゃんを一番に考えますけど、経営者としてはいろんな判断をしなければなりませんものね」

「取引材料、のう」

 どうする? と早乙女先輩がちらっと僕を見てきた。《SOX》としての切り札は早乙女先輩にあるけど、その他の貴重な不健全雑誌も、《雪原の青》の判断なしに勝手に動かすわけにはいかない。だけどそれぐらいしかこちらには慶介を揺さぶる材料がないのも事実だ。

「奥間さんのお母さんは」

「無理、絶対。まだこっちの方が脈ある」

 断言すると不破さんは黙る。あの母さんが聞いてくれるわけないじゃないか。

 しばらく無言の時間が過ぎた。月見草、お前も何か話せよ。反応がマグロなのは不破さんだけで十分だ。

「奥間君」

 しばらくして、アンナ先輩が口を開いた。

「わたくしに、交渉させていただけませんか?」

 う、と思わず黙り込む。

 これ、下手したら《SOX》どころか他の下ネタテロ組織まで壊滅の危機じゃないだろうか。けど他に手は思い浮かばない。

「何を、取引するんですか?」

「相手の出方次第なので、すみませんが、今は何も」

 アンナ先輩の答えは正直怖い。アンナ先輩の交渉術自体を疑っているわけじゃないんだけど、向こうの方が上手てだろうし。

「勝算はありますか?」

「ありますわ」

 強く言い切った。けど不安は拭えない。

 ……だけどこのまま言い合いを続けてもじり貧で他に打開策もなく、時間を無駄にするわけにもいかない。

「少し待ってもらえますか? あっちがすぐ繋がるかもわからないので」

 一手間違えれば何もかもが危なくなる、危険な綱渡りだった。でももう、これしかない。

 席を立ち、撫子さんに電話する。鬼頭慶介とのラインを繋ぐために。





47 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:28:37.08Vqcr7VCy0 (47/86)



「うわーん、鼓修理ぃぃぃ!!」

 ばたばたと手足をばたつかせ、大の大人が部屋中をごろごろしていた。

 ゴスロリドレスという森の妖精スタイルで。

 秘書はもう慣れていたが、やはり不気味だった。だが仕方ないだろうとここは見守ることにする。

 愛娘がジャックされた人質の中にいるのだ。思わず精神安定のために女装してゴロゴロ転がるのも仕方ないだろう。

「まったく、厄介なことになったもんだよ、本当に」

 一通り暴れ回ったところで、慶介は秘書に半ば愚痴のように零していく。

 鬼頭グループとしても、ここの判断は間違えれば危ないところだった。

 《育成法》に反対する犯人グループは《SOX》に触発された若い世代だ。憧れの《SOX》を人質に取っていることも知らずに。

 政府はこの事件を理由にした規制強化を目論んでいる。より過激に踊ってもらいたい、というのが本音だろう。

 だが鬼頭グループとしては、愛娘が人質に捕られていて、それでもこの事件を利用する姿勢をとったら、今従っている下ネタテロ組織にも簡単に切り捨てられるかもしれないという不信感を抱かせてしまう。かといって積極的な解決を国に持ちかけると、今まで築いてきた人脈からそっぽを向かれてしまうことになりかねない。

 故に消極的な介入、善導課への情報提供がせいぜいだった。一番身軽に動いてくれる肝心の《SOX》が捕まっていて、割と八方ふさがりなのだ。

 だからといって実質何もしない、という今のこの状態は、あまりよろしくない。早いうちに決め打ちしなければならない。

「会長、お電話が入りました」

「誰から? 僕今それどころじゃ」

「朱門温泉の清門荘の女将からです」

「……ふーん?」

 《雪原の青》か、狸小僧か。状況を見るに後者だろう。

「ま、聞くだけ聞いてやるか。回線回して」

 回線が届く。女将が出てすぐに向こうも回線が回される。

『――もしもし?』

 鈴の鳴るような、涼やかな声だった。《SOX》にこんな声の持ち主はいただろうか?

『突然のお電話失礼いたします。わたくし、アンナ・錦ノ宮と申します』

「錦ノ宮、もしかして祠影さんのお嬢さん?」

 意外なところからの電話に平然を装っていたが内心では驚いていた。

『そうですわ。父がいつもお世話になっております。このたびは、鼓修理ちゃんが大変なことに巻き込まれまして……』

「いや、はは。まあ何とかなると思ってますよ。それで、どのような用事ですか?」

 鼓修理が巻き込まれたことを知っているということは、向こうもある程度こちらの事情が分かっていると見た方がいい。

 要求は端的だった。

『この事件を長引かせたくはないんですの。あの病院の経営をなさっているなら、犯人の人数や装備、人質の場所なども報告が上がっていますでしょう? その情報をいただきたいんですの』

「直球だねえ、お嬢さん」

 アンナ・錦ノ宮についてはあまり接点がない。非常に良く出来た、《育成法》が作り上げた理想の子ども、という世間の評判と同じ程度の印象でしかなかった。

「一体何がしたいのかな」

『人質の救出、そして可能ならば犯人グループの殲滅ですわね』

 祠影やソフィアの誇っていたような“理想の子ども”が、こんなことを言うだろうか。電話越しだが、ソフィアに負けず劣らずの隙のなさを感じる。狸小僧が何か仕掛けたのか?

「あー、こう言ったら悪いけど、お嬢さんみたいないい子をあんな危ない場所に行かせるわけにはいかないなあ」

『ですが、その危ない場所に鼓修理ちゃんがいるんですのよ? 国は早期解決より犯人の主張を逆手にとっていろいろ進めていこうとしているようですが、それは人質を切り捨てるのと同じことですわ』

 政府のこれからの動きも理解している。単なる世間知らずのお嬢様という印象を改めた。

「ふうん。それで? 善導課にも出来ないようなことをあなたが出来ると?」

『わたくしだからこそ出来ますの。大人の事情に関係のない、わたくし達子どもだからこそ、自由に動けるのですわ』





48 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:29:02.61Vqcr7VCy0 (48/86)



「確か、《群れた布地》の事件、あなたも解決に関わっていたね」

 《SOX》が戦力不足を強化する為に時岡学園生徒会に掛け合い、風紀委員と共に解決に導いたのは記憶に大きく残っている。

『ああ、実力に関してはこう言えばわかると、とある方から伝言がありますわ。「アンナ会長は《鋼鉄の鬼女》と同じレベルですよ」……すみません、これはどういう意味なのでしょう?』

 電話の向こうで別の人間に問うような声音になったが、この言葉が狸小僧からのメッセージだとすれば、本当ならば実力は疑いようがない。何度部下が《鋼鉄の鬼女》の餌食になったことか。

 思い出すだけで冷や汗が出るが、こちらにメリットがない以上、ただ情報をくれと乞われるだけでは話にならい。

「いや、そのとある方のメッセージは伝わったよ。ただやっぱり親の立場から見ても、僕は君のようなお嬢さんが危ない場所で危ない真似をするのは大人として止めるよ」

 鼓修理が聞いたらまずその女装癖を何とかするッス!と怒り心頭になるだろうが、鼓修理はこの会話を聞いてないので全く問題はない。

『お父様と悪だくみをするような方がですか?』

 くすっと、少女らしい笑声が耳にくすぐったい。だが言葉は皮肉でこちらを牽制してくる。

『将来、わたくし達はどうなるのでしょうね』

 急に話が抽象的になった。意図が読めず、思わず聞く姿勢に入る。

『きっとわたくしはお父様とお母様の人脈を受け継いで、色々と為していくのでしょう。その時、鼓修理ちゃんが傍にいてくれたら、何を為していくにしても、また鼓修理ちゃんが何になるとしても、きっとお互いに手助けになるでしょうね』

 一見抽象的だが、意味は伝わった。

 この少女は、将来自分が受け継ぐ人脈という最大の財産を交渉に使っている。

『なんでしたら、その時期を早めてもいいかもしれませんわね。お父様とお母様の人脈を積極的に受け継いでいけば、時期を早めること自体は難しくはありませんから』

「それは、自分のご両親が作り上げてきたものを乗っ取ると取っていいのかな?」

『……ふふっ、怖い言い方なさるんですのね。お父様とお母様には内緒にしてくださいますか? 悪い子だと叱られてしまいますので』

 言葉とは裏腹に、意図が伝わったことが嬉しそうに、向こうの雰囲気があからさまに明るくなる。もう少し経験を積めばこのあたりも自然にこなせ、相手に演技だと気付かれないのだろうが、今の時点ではまだまだだ。無論、この年齢でここまで駆け引きをこなせるのであれば、十分すぎるほど将来が怖いが。

『ただわたくしと鼓修理ちゃんと、そのお父様であるあなたとの関係を密にしていくことは、鬼頭グループにとっても決して悪い事ではないと、そう言わせていただきたいだけですの』

「なるほどね」

 《SOX》と手を組んだりなど、この少女は自分の目的の為なら手段を選ばないタイプなのはわかった。血統も才能も能力も実績も備えている。あとはソフィア譲りのカリスマ性もおそらくは開花させていくだろう。今現在でも、他の人間が言えば失笑する交渉だが、この少女の言葉となると従ってみたいという気にさせられる。

 少女が受け継ぐ人脈も勿論だが、この少女の将来性も含めて抱き込むことは悪くはない。

「あー、そこにとある方っていう人、いるよね? いやわかってるんだよ、奥間狸吉君だろ? 替わってくれないかな」

 さて、狸小僧がどんなつもりでこの少女をけしかけたのか、どう操縦するつもりなのか、聞かせてもらおうじゃないか。






49 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:30:11.66Vqcr7VCy0 (49/86)



 し、心臓に悪い。

 鬼頭慶介とアンナ先輩のやり取りを聞いた感想はその一言に尽きた。スピーカーモードにしていたため、僕は勿論早乙女先輩や不破さん、ついでに月見草やマスターもやり取りを聞いていたが、多分きっと全員がアンナ先輩が自分の将来を切り売りし売り込むとは思っていなかっただろう。

 慶介が僕を指名したため、一旦保留にし、回線が僕に回ってくる。電話に出ようとして、それでもどうしても聞きたくなった。

「いいんですか? アンナ先輩」

「全てのことは後で聞かせてもらいますわ。今は相手方との取引を優先してくださいまし」

 生徒会モードにより深刻さが加わったアンナ先輩は、今しがたの余裕の声が嘘のように真剣な声で先にやるべきことを済ませろと言ってくる。

「すみません、内輪の話もあるので、外で話してもいいですか?」

 全員が頷いたので、喫茶店の外に出させてもらう。この状況でアンナ先輩が盗み聞きするとは思わないけど、色々聞かれたらまずい話もあるし、念には念を入れておきたい。

 外の風はやっぱり冷たい。喫茶店そばの路地裏に身を隠して、

「もしもし」

『いやあ、すごいお嬢さん捕まえたねえ。どうけしかけたの?』

 愛娘が人質に取られているというのに以前聞いた時と変わらない、どこか相手をおちょくるような口調だった。こういうところ鼓修理と似てるよな。逆か。

「アンナ会長は困っている人を見捨てないだけですよ」

 先輩ではなく会長と言い換える。あまり意味はないだろうけど、関係が察せられるようなことをわざわざ口にしなくていい。華城先輩みたいにPM無効化装置のような便利な道具がこっちにはないからね。あれば下ネタ言い放題、いいよなああれ。

『いやはや、子どもは親を良く見てるんだね。そして最近の子どもは怖いねえ』

「で、取引材料としてはみなしてくれるんでしょうか?」

 アンナ先輩は自分の将来までもカードに切ってきたのに、これでダメなら正直お手上げだ。

『どうやってあのお嬢さんを操縦するつもり? 割と結構、手段選ばないタイプみたいだけど』

「愛ですよ。愛は正義ってやつです」

 分かってほしくはないので適当に誤魔化すけど、勿論嘘ではなかった。

 アンナ先輩の世界は結局、愛と正義で構成されている。それ自体は以前も今もそのままなのだから。

『ふーん。教えてくれないんだね』

 特に落胆した様子も見せずに軽く流す。多分慶介にはわからない世界だろう。僕も正直アンナ先輩の価値観はよくわからなくなる時はある。

『《鋼鉄の鬼女》と同じレベルって、本当?』

「互角ですね。12階のビルから飛び降りても平然と追いかけてくるレベルです」

『それ人間の話?』

「言わないで上げてください……」





50 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:30:40.31Vqcr7VCy0 (50/86)



 思わずしみじみと頷いていた。それが逆に説得力をもたらしたのか、

『まあ、送ってあげてもいいよ、それぐらいの情報なら』

「本当ですか?」

 もっと足元を見られるかと思ってたけど、『鼓修理も人質だし』との一言に、一応親の気持ちがあるんだと思うことにした。時々森の妖精になるけど。

『将来有望な若者に貸しを作っておくのも悪くはないしね』

「言っておきますが、アンナ会長は下ネタテロ組織とは一切無関係ですよ」

 言うべきか迷ったが、もし誤解されたままだと全ての下ネタテロ組織が壊滅しかねないので一応言っておくことにした。

『君が《SOX》を名乗らない時点でそうだろうとは思ったよ。心配しなくても、これはあくまでアンナお嬢さんと僕との約束にしておくから』

 あまりの物わかりの良さに、裏があるんじゃないかと疑ってしまう。ただ向こうは僕の疑念に答える気はないようで、

『じゃあ使いの人間に分かる範囲のこっちの人質の配置と犯人の情報をもって行かせるよ。多分すぐ着くと思うから』

 そういうと、一方的に切られた。

 何か思惑があるかもしれない。多分向こうの事情も色々あるんだろう。

 だけどとにかく、一番大事な情報は何とか手に入りそうだ。


 ピピピピピピピピピ


「はい、もしもし」

『上手くやったのかい?』

 撫子さんからだった。ハイ、と頷くと

『一応私からも牽制しとくけどね。まあ貸しを作る相手は間違えない方がいい』

「肝に銘じます」

 多分華城先輩達を助けた後、華城先輩にも同じこと言われるんだろうなと思うと射精直後の賢者タイム並みに身体が重くなった。あの三人に怒られる未来しかないって嫌すぎる。

「撫子さんはこっちには来ないんですか?」

『女将の仕事は簡単には抜けられないんだよ。一応4時頃には病院前に一回様子見に行くつもりだけどね』

「4時……」

 時間を確認すると1時だった。事件が起きてから1時間半ほど経っている。

『鬼頭慶介の使いは割とすぐ来るさね。あんたも動けるようにした方がいい』

 ぷつっとすぐに切られた。みんな大変のはわかるけど、ガチャ切りよくない。

 しかしすぐって言ってもなあ、そもそも使いって誰だと思ったら、本当にすぐそれらしい人が来た。車で。慶介と電話してから10分も経ってないぞ。

 車から降りてきたのは優秀なキャリアウーマンっぽい、僕の母さんと同じぐらいの年齢の女性だった。手のひらサイズの小型タブレット端末を一方的に渡される。

「あ、あの」

「コンロ×鍋!」

 ぶわっと一気に周囲が腐海の森になった、そんなイメージが駆け巡る。

 こいつ、《羅武マシーン》かよ!? 素顔こんな感じの人だったの!?

 《ベーコンレタス母の会》という四大下ネタテロ組織の一つである組織の代表に何か挨拶するべきかと思ったが、

「注射器×点滴! 睡眠薬×カフェイン!」

 もう会話が成り立たなかった。というか何を言ってるかすらわからない。

「あ、ありがとうございます」

 一応礼を言うが一切反応せず、どこかよろよろと、禁断症状の末期患者のような青ざめた顔して去って行った。あの人社会生活やっていけるんだろうか。

 とにかく、おそらくこれで情報が手に入った。喫茶店に戻ってこのタブレットを見れば、きっと何かが進展するはずだ。






51 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:31:42.80Vqcr7VCy0 (51/86)



 外にいた時間は20分ほどだったと思う。女性陣(一名除く、あ、マスターも)は何をしているのかと思うと、不破さんがドライバー片手に何やら弄っていた。細かい作業をしているようで、アンナ先輩は見張るというより単純に作業自体が珍しそうに見ている。そのアンナ先輩はサンドイッチをつまんでいた。お昼食べてなかったな、そう言えば。

「奥間君、どうでしたの?」

「一応、これ渡されたんですけど」

 早乙女先輩と月見草の姿がなかった。多分それぞれ役目があるのだろうと思って、まず優先するのはこのタブレットの情報を精査することだと中身を見ることにする。

「作業と並行していきますので、そちらもどうぞ」

 何か不破さんは道具を作っているみたいだ。不破さんって何でも作れるよな。ピ○ローとか一から作り上げたし。これから不破えもんって呼ぼうかな。

 それはともかく、細かい作業をしているようなので、邪魔しないようにアンナ先輩と一緒に鬼頭慶介からもたらされた情報を見ていく。

 タブレット端末からVR投影機能を使って虚空に映す。

「これは、監視カメラのようですわね」

「あの階に監視カメラがあったのか」

 いくつかあったのは知っていた。だけどどうやらあの階は防犯などを予防するためのあからさまなカメラと、パッと見にはわからない仕込まれた監視カメラの二つのカメラがあったらしい。実際犯人たちが壊しているのは廊下の隅にあるあからさまなカメラで、それがこのカメラにも鮮明に映った。廊下に三点、ナースステーションに一点、そして休憩室に一点。

 そして人質はおそらくすべて、休憩室に集められている。魚眼レンズで顔まではわかりにくいけど、とにかく詰め込まれているのがわかる。

「装備はおそらくエアガンでしょう。壁に弾痕が見えます」

 不破さんがちらっと見ただけで断言した。不破さんが言うと弾痕が男根にしか聞こえないけどもうスルーで。

「空気銃も侮れませんわ。当たれば怪我をしますし、当たり所が悪ければ死にます」

 アンナ先輩がつぶやくけど、アンナ先輩が撃たれて死ぬ場面が一切想像できない。最小限の動きで躱して一瞬で相手を沈める図しか想像できないんだけど、仕方ないよね、アンナ先輩だもん。

「病室そのものにはカメラはないのですね。当然と言えば当然ですけども。人質が一か所に集められていることから、犯人の一部が病室にいるということはないと思うのですが、一か所ぐらいは作戦室として利用しているかもしれませんわ」

 しばらく見ると、アンナ先輩の考えの通り、一番大きな病室から犯人の一人が出てきて見張りをしていた一人と交代している。

 アンナ先輩は5か所のカメラを同時にチェックすると、先ほど月見草が手に入れた特別階の見取り図にチェックを入れていく。

 直通のエレベーター前に3人。

 非常階段にそれぞれ4人。

 人質のいる休憩室の内部に3人、その前の廊下に1人。

 そして大きな病室に?人と注釈をつけた。





52 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:32:32.16Vqcr7VCy0 (52/86)



「それが正しいでしょう」

 不破さんがちらっと見ただけで断言する。これらの分析は一瞬で行われて、正直僕が3つ目のカメラをチェックするのがやっとといったところでだった。アンナ先輩もだけど不破さんはさらに別の作業しながら横目でそれを確認したってことで、観察力と分析力本当に凄い。

 僕、まだ何も出来ていないなとふと思った。結局交渉もアンナ先輩の将来を切り売りする形になって、自分は安全圏で流れを見ているだけだった。

「奥間君、ありがとうございます」

「え?」

 だけどアンナ先輩は、本当に感謝していた。

「奥間君がいなければ、この情報は手に入りませんでしたわ。パイプ役も大変でしたでしょう?」

「いや、でも、交渉はアンナ先輩が……」

「奥間君がいなければ、そもそも交渉そのものが出来ずにいましたわ。これは奥間君のお手柄ですの」

 本当に自分の事のように誇らしげなアンナ先輩に、正直戸惑いがあった。

「そこは素直に受けておけばいいと思いますよ、奥間さん」

 不破さんがこちらを見ずにただ言葉だけを投げてくる。けど僕の中の「これでいいのか」という疑問は消えない。

「アンナ先輩。その、ご両親の人脈を乗っ取るとかそういうのって」

「乗っ取ると言うと聞こえが悪いですけど、この事件がなくても、いずれ受け継ぐことが決まっていたものですわ。その時期についてはともかく、これから鬼頭グループとの付き合いを密にしていくことは、先方にも言った通り、決して悪い事ではありません」

「でも、お父さんと悪だくみがどうのこうのって」

「お母様の愚痴をちょっと聞いたので、それを投げかけただけのことですわ。何も知らないと思われるのは、あの場合良くはないと思ったので」

 ブラフってやつか。確かに悪巧みしまくってたからな。多分、慶介にとってはソフィアの持つ人脈の方に魅力を感じたんだろう。祠影とソフィアだと人脈が重なるようできっと違うだろうから、その両方を手に入れるっていうのは非常に魅力的なのはわかる。

 だけど、これでいいのかという疑問はまだ消えない。何か、奥歯に物が挟まったような気持ち悪さがある。

「出来ました」

 その気持ち悪さがなんなのかよくわからないままに事態は進んでいく。不破さんが作っていたのは、何だろう、親指の爪より少し小さめの、U字型の金具みたいなやつだった。

「ちょっと試験してみます。ちょっと特殊な付け方なので、わたしが着けますね」

「お願いします」

 僕がよくわからない間に不破さんがアンナ先輩の耳にさっきの金具を装着する。

「それ何?」

「小型のスピーカーです」

「スピ、え?」

 不破さんがさっさと外に出て行く。出て行った不破さんに替わってアンナ先輩が説明してくれた。

「これ、耳付近の骨に直接振動を与えて音を伝えるんですって。……ん、月見草さんの声が聞こえますわ」

「え? 全然聞こえないんですけど」

「月見草さんは奥間君がいない間にこれのテストをするために外に出て行ってもらったんですの」

 ちょっと近くで聞いていいですかと耳元に近づく。テレビの報道の音もあるけど、耳元で耳を澄ませてようやく月見草の声がかすかに聞こえる程度だ。

「聞こえましたか?」

「ええ、わたくしには充分に。これなら使えそうですわ」

 不破さんがすぐに戻ってきたので、童貞の挿入れてもいいですか?並に素直に訊く。

「不破さん、これなんなの?」

「骨伝導型の小さなイヤホンスピーカーをイヤリングの留め具に付けたものです。飾り部分ではなく耳たぶの裏側の骨の部分に直接振動を伝えるものです」

「早乙女先輩は?」

 二人に問う。月見草はこの骨伝導ミニミニスピーカーのテストで外にいるのはわかったけど、あの座敷童がいない。

「このスピーカーをイヤリングにするため、材料を買ってくると。すぐ戻ると言っていましたが」

「これ自体は月見草さんに頼んで用意してもらったのですけど、身体検査された場合、どう誤魔化すか悩んでいたのですわ」

「身体検査?」




53 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:32:57.90Vqcr7VCy0 (53/86)


「会長、奥間さんにはまだ話してないでしょう」

 不破さんはいつものように冷静だった。

「そうでしたわね。奥間君。どうやって乗り込むか、奥間君が外に出ている間考えていたのですけど」

 アンナ先輩は少しだけ、少しだけ困ったように笑う。

「人質交換で、わたくしが人質となろうと思いますの」

「え……?」

 間抜けな声が漏れた。いや声だけがね、漏れた。

「PMは外されるでしょうから、他の連絡手段を考えていたのですわ」

「電話の仕組みを考えれば、結局はマイクとスピーカーの二つの機能さえあればいい。そのうちの一つがこれです」

 そういうと不破さんはもう一つ作るとまた別の金具と何か部品を小さなドライバーで分解し繋げていく。本当はイヤホンのように耳の中に挿入れる、間違った、入れる、うん、どっちも同じ意味か? とにかくそういうタイプのインカムのようなものはあるんだけど、身体検査でばれないようにとなるとそれは難しいらしかった。このイヤリングタイプのスピーカーと、集音器(つまり盗聴器だ)をを組み合わせて外の僕らが状況を把握できるようにするつもりらしい。

 意味は分かった。個人の戦闘力を考えたら、アンナ先輩以外にいないこともわかった。

 だけど受け入れられない気持ちがどうしてもあった。突入ではなく、人質となって敢えて囚われるというのは、全く違う。

「……わかりました。ですけど、アンナ先輩ひとりですか?」

 それでも現実的な案としてはそれ以外にないと思う。だけど問題は、アンナ先輩を一人で行かせるかどうか。

「それなんですけど、迷ったのですが」

 アンナ先輩は虚空に表示された犯人と人質の位置が配置された見取り図を見ている。

「わたくしと、おそらく月見草さんの二人で人質交換に臨むことになると思いますの」

「月見草と?」

 警察も同じように内部との連絡が取れるようなことをするだろうけど、アンナ先輩は上流階級の娘だから身体検査の時に危険に晒すような真似は出来ず、警察はアンナ先輩にはそれは出来ない。だから善導課の所属でもある月見草にその役割を担ってもらうのだという。

 月見草の所属と役目を考えたら、それは適当なんだろう。

 だけど、僕はこのまま何もかもをこの人の判断に任せていいのだろうか。

 言っていることはその通りなのだけど、何かを見落としている気がして不安だけが増してくる。何か、何かがずれている気がしてならないんだけど、言葉にならない。

「……もし、奥間君が少しでも傷付いたら、傷付く場面を見てしまったら、わたくしは自制出来なくなりますから」

 アンナ先輩がこの事件に関わると決めてから初めて見た不安の顔に、僕は何も言えなくなる。

 あの夜のことを思い出すと、もう何も言えなかった。

「だから、声をかけてほしいんですの。それで十分、わたくしは闘えますので」

「わたしもその方がいいと思います」

 不破さんの冷静な声に、その通りかもしれないとは思った。

 月見草ならいいのかと少し思ったけど、きっとアンナ先輩は僕とは全く別の信頼を月見草に寄せている。あの夜アンナ先輩の意向に逆らってアンナ先輩を守ることを選んだ月見草なら、アンナ先輩を守るだろう。傍にいるだけでも心を守るだろう。

「わかりました」

 無理はしないでください、と重ねて伝えると、大丈夫だとこちらを無条件に安心させる笑みを僕だけに向ける。

「ありがとうございます。本当に、わたくしが愛した人が奥間君で、よかった」

 その笑みを見て、さっき感じた何かがずれたような気持ち悪さは気のせいだったとはっきりわかった。

 アンナ先輩は、大丈夫だ。

「さて、連絡手段が整うまでしばらくかかりますわ。奥間君、またあなたにお願いしなくてはならないのですけど」

「はい」

「準備が整い次第、奥間君のお義母様と話さないといけないと思いますので。きっと、現場にいらっしゃるでしょう?」

「…………、そう、ですね」

 そうか、そりゃそうだよなあ、人質交換するには善導課の協力が不可欠でそのパイプは僕の母さんって必然だよね、アンナ先輩vs僕の母さんになるのかなあ。

「あと、おそらくわたくしの母も反対するので、説得の際には傍にいてくださると」

 アンナ先輩vs僕の母さん&ソフィアだった。ソフィアが現場にいるとは思えないけど、下手すれば病院乗り込む前に死人が出るよね、そしてその筆頭は僕だ。

 もとから楽なミッションじゃないのはわかってたけど、多分ここが膣とア○ルに二つ穴フィストフ○ックレベルの一番危ない場面じゃないかなあ、これ。



54 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:34:05.27Vqcr7VCy0 (54/86)



 不破氷菓の作業は一段落し、今現在自分が急いでやることはなくなった。これをイヤリングに見せるには、早乙女先輩の彩色感覚で仕上げてもらうのが一番いい。

「会長はどちらに?」

 ここを逃すと聞く機会がなくなるだろう。奥間に問いかける。

「ああうん、奥の個室で。何か考えたいことがあるって言ってたけど」

「そうですか。ではわたしはアンナ会長と報酬の件について話してきます」

「卑猥な実験の相手とかは止めてね?」

「そうですか、残念です。今なら奥間さんが許可したことならば何でもしてくれそうなのに」

「だからストップかけてるんでしょ何言ってんの?」

 奥間はこの先、どう人質交換を母親に伝えて交渉してもらうかで悩んでいるようで、それ以上は何も言わなかった。

 気付いていないのだろうか。今の言葉の意味に。気付いていないのだろう。伝えるべきかどうか迷ったが、自分の中でも確信があるわけではない。

 疑念を確認しに、奥の個室へと向かう。

 破壊し尽くされた中に、会長が一人、立っていた。暖房もついておらず、この部屋だけが寒い。

「何をなさってるんですか、アンナ会長」

 呼びかけると、すぐにこちらに振り向いた。いつものアンナ会長だ。余裕に見せているわけでもなく自然体だった。

「そちらこそ、何か問題でも?」

「今わたしに出来ることがなくなったので少しお話しさせてもらおうと思っただけです」

「そうですの。お話とは? 報酬の件でしょうか」

「まあそれもありますが。会長はずいぶんリラックスされてますね。今から敵陣に乗り込もうかという時に、緊張や恐怖心はないんですか?」

「そうですわね。まあどちらも集中するのには必要ですので、」

 いつもの生徒会長状態だったが、相手が氷菓だけでそして氷菓の求める答えではないとすぐに気付き、言葉を切る。

 次の瞬間には、見た者全てを安心させるような慈愛の微笑は消え去っていた。

「ふふっ、不破さんじゃ隠すことはできなさそうですわね。鋭すぎるというのも、なかなか厄介ですわ」

 そう言いつつも隠す必要がないことを嬉しそうに、獣の笑みへと変わっていた。

 唇を舐め、鼻をくんくんと鳴らしながら部屋の空気を深く吸い込んでいく。

「緊張や恐怖心はないのかと訊きましたわね。答えてしまうと、ありませんわ。むしろ、楽しみで待ちきれないぐらいですの」





55 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:34:49.00Vqcr7VCy0 (55/86)



 《雪原の青》を追い詰め、その手に捕えた時に聞いた、昂ぶりと恍惚の声だった。ある程度想定していて覚悟はしていたしここで氷菓が襲われることはないだろうとわかってはいるが、理性の分析より本能に訴えかける恐怖のほうが遥かに大きい。

「今は“熱”を蓄えているんですの。《雪原の青》や今あなたが見せたような、怯えた表情を思い出すと、ふ、ふふっ」

 指を唇に当て、笑みを抑える。それでもくつくつと笑う声も、寒さではなく期待に震える身体も抑えきれていない。

「あと先程ここでたくさん奥間君に愛してもらったことも思い出していて。その二つの熱をじっくりと思い出してる最中ですわ」

 視線だけでなく身体が完全に氷菓の方に向いた。氷菓の目にはテーブルも椅子も壁も破壊されたこの部屋で、会長の言う愛してもらったと思われるソファだけが無事でいることが、アンナ会長の心象風景に見えてくる。

 性と破壊の快感を覚えてしまった獣の檻はこのような感じじゃないだろうか。

「話をするならば、テーブルのある場所で。ここは向きませんわ」

 すっと横を過ぎ去り、作戦を立てているテーブルに戻る。どう母親に話すか悩む奥間がこちらに気付き、「あ、アンナ先輩?」多分こちらの顔色が明らかに悪かったのだろう、自分の顔を見て青ざめた奥間が立ち上がった。

「不破さんが話があるそうですので。申し訳ありません、奥間君は席を外していただけますか?」

「いや、その……」

「本当にすみません。ですけど、不破さんも奥間君がいると話しにくいようなので」

「いや、だけど」

「奥間さんは席を外してください」

 自分からも重ねて頼むと、奥間はわかったと渋々頷いて外に出て行った。

 カウンターでは早乙女先輩がイヤリングに仕立てるための作業中で、月見草は隣に座って待機している。

「先程は失礼しましたわ。ちょうどその、一番いいタイミングで入ってこられたので、つい」

 もう先程のような昂ぶりは見せていなかったが、楽しげな雰囲気は隠そうとしていなかった。

「そう言えば、報酬はどうしますの? その話じゃなかったんですの?」

「……一応、無いわけではなかったのですが、やはり保留でお願いします」

 正当な報酬とはいえ、ここで判断はしたくなかった。それよりも気になることを訊く方が大事だ。

「親友である副会長のことは心配ではないのですか?」

「心配ですわよ。だから乗り込むんじゃありませんの」

 心配している人間の態度じゃないと、言葉には出さなかったが氷菓にしては珍しくそのまま嫌悪感として表情に出ていたようで会長の微笑が深くなる。別に普段から表情を隠しているつもりはないのだが。

「不破さんはそう見てはくれませんのね」

「さっき、自分で乗り込むのが楽しみだと言ったではないですか。心配している人間の言葉だとは思えません。今のあなたは理由をつけて、《SOX》を潰せなかった鬱憤を晴らしたいようにしか見えません」

「そう見えますの?」

 周囲の空気がピリピリと張りつめていく感覚は氷菓は胃が痛くなってクマが更に濃くなりそうだったが、会長はそれも楽しめるようで、

「その通りだとして、不破さんに何の問題がありますの?」

 もう話を切り上げるべきか、一瞬悩んだ。その空白を見て取ったのか、

「不破さんは不思議なのでしょう? わたくしが卑猥を見逃すと言ってまで病院に乗り込む算段を付けようとしていることが」

 いきなり核心をついてきて、氷菓はやはり話を聞くことにする。

 もし会長が暴力の快感に取りつかれて、目的を選ばなくなっているのだとしたら。

 卑猥という会長にとっての絶対悪すら見逃してまで病院に乗り込もうとしている理由、動機。

 その動機がただの鬱憤晴らしなのか。目的のために手段を選ばないのか、手段の為に目的を正当化しようとしているのかでは全く違う。

 早乙女先輩の荒療治がどう響いたのか、奥間が何を言ったのかはわからない。だからこそ怖かった。

「以前に言いましたわね。正しいことを積み重ねてのみ、人は愛され、受け入れてもらえるのだと」

 どこか自嘲気味な声音だった。無言で続きを促す。

「でも、奥間君は違ったんですの。暴力に酔うのは間違っていますわ。でも、そういった部分も受け入れてくれたのです」

 なんとなくそうはなったんだろうとは思っていた。会長が事件のニュースを聞いて衝動をギリギリまで我慢していたところを自分も見ている。





56 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:35:22.16Vqcr7VCy0 (56/86)




「人は間違っても、許し愛されることが出来るのだと、奥間君に教えてもらったんですの」

 アンナ会長は、本当に純粋に、幸せそうに微笑む。

「奥間君はずっとわたくしを愛してくれていたのです。愛し合うことを避けていたのにも理由があっての事でした。奥間君はわたくしが正しかろうが間違えようが、関係なく愛してくれていたのですわ」

 谷津ヶ森の一件の前に話した時にも感じた、致命的な齟齬がそこで生まれた。

「ずっと想ってくれていた。わたくしの身を案じて、愛の儀式を避けていた。あれほど切ない幸福を感じることすら我慢してくれていた」

 アンナ会長は陶酔しきったまま、ブラインドの隙間から奥間の姿を見つめる。

「奥間君はわたくしのことを想ってくれている。奥間君のやることには理由がある。だからわたくしは、奥間君の願いを叶えたい。奥間君の願いがどのような事であっても、わたくしは全てを尽くして叶えますの」

「どんな事でも、全てを尽くして?」

 不吉さが増して、思わず問い返す。

「ええ。奥間君の願いの実現には手段を選ぶつもりはありません。だって奥間君は、わたくしが間違えても受け入れてくれるから。綺麗でなくなっても、愛してくれるのですから。奥間君の願いには、わたくしの想いや幸せが含まれているのですから」

 意味が分からなくなってきた。会長の言葉は論理的でなくなっている。

 辛うじて読み取れたのが、『奥間の願いが会長にとって最上位に位置している』ということだった。

「奥間君はわたくしの心を慮って、敢えてこう言ってくれましたの。『華城先輩を助けてください』と」

 奥間はアンナ会長の心情や葛藤も思いやった上で、敢えて頼んだ。だからこそアンナ会長は手段を選ばず全力で奥間の願いを叶えに行っている。

 絶対悪である卑猥を見逃してまで、自分の将来を切り売りしてまで。

 一体“どんな事でも”とは、どの範囲までなのだろうか。

「もし奥間さんが、例えば副会長を殺してほしいと頼んだら、あなたはどうしますか?」

「奥間君はそんなこと言いませんわよ? まあもし奥間君がそんなことを言うのであれば、奥間君にとってよほどの理由があるのでしょう」

 小首をかしげて、僅かに悩むと、

「殺し方ぐらいは選ばせてもらいたいですわね。やっぱり親友ですし、出来るだけ苦しみのない方法を選びたいと思いますわ」

「――――」




57 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:35:48.51Vqcr7VCy0 (57/86)




 意味が分からず、思考が止まってしまった。

 先ほど感じた暴力への恐怖とは全く違うベクトルの、理解できないものに対する恐怖が心臓の動きを早くする。

「それは、殺人は悪なのではないのですか?」

「悪ですわね。でも奥間君は、どんなわたくしでも受け入れてくれますから」

 以前のアンナ会長と今の会長で、一番明確に違う点が、ようやく分かった。

 以前の会長は、もっと言うなら昼間までの会長は、規範が社会のものだった。正しいこと、この社会の理想が詰め込まれていた。

 それが奥間の言葉、願いに変わってしまっている。奥間の行動は全て意味のあることで、それが全て自分の幸せに繋がっていると信じている。

 そして間違ってしまうという恐怖すらも今の会長にはない。最上位が奥間の願いであって、それを叶える行為は社会的に間違いであろうが、それは自分の幸せに繋がるのだから。

 以前の会長は、愛は絶対の正義であるが故に愛故の行動はすべて正しく、正当化というレベルを超えて罪を罪と意識していなかった。愛が正義という価値観は社会が刷り込んできた規範に基づいてのことであって、罪は社会が定めるものだから、だから会長の中では罪ではなかった。

 今の会長は、意識的に罪を犯せる。奥間の願いが社会の規範より上位にあるから。おそらく罪悪感があろうとなかろうと、それすら本人の中では関係ない。決めてしまっている。

 だから間違っているからという理由では、これからの会長は止められない。

「わかりました」

 何一つわからないし理解すら拒絶するが、それでもわかったことがある。

 奥間が望む、『人質を最優先に』を必ず守るだろう。この事件に関しては、それでいいとするしかない。

 だけど社会という強固な規範と違って、奥間個人の願いなんて簡単に揺れ動いてしまう。

 性と破壊の快感を覚えてしまった人間が意識して罪を犯せるというのは、最悪の予感しか生まない。

「アンナよ、あまり不破を不安にさせるのはどうかと思うぞ」

 早乙女先輩の言葉にアンナ会長がようやく気配を和らげ、恋人に対する陶酔から生徒会長として最もよく見慣れた慈愛に満ちた優しい微笑に切り替わる。

「奥間君を呼んできますわね」

 アンナ会長が立ち上がり、外に出て行く。無意識に息を深く吐いた。早乙女先輩が呟く。

「不破も大概心配性で、お人好しじゃな」

「どういう意味ですか?」

 自分が心配性でお人好しという評は誰からも聞いたことがなかった。だから問い返すが、早乙女先輩は自分の感じている不安や恐怖を共有していないようで、むしろそれが気になる。

「まだまだわしはアンナを描き足りん。今の話を聞いてよりそう思うた。それだけじゃ」

 画家としての感性が、アンナ会長の別の面を見ているのだろうか。氷菓には理解できなかった。





58 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:36:15.89Vqcr7VCy0 (58/86)



 アンナ先輩と不破さんは何を話しているんだろう。あの二人どうしてもそりが合わないというかなんというか、仲良しなのは早乙女先輩の描くイラストや漫画の中だけなんだよな。アンナ先輩は割とそういう視線を向けられやすいポジションだから慣れているというか鈍感なんだけど、不破さんは居た堪れないらしくよく僕に回収を求めてきて、そのあたりの話かな。だったらいいんだけどな。

 喫茶店の扉横の壁にもたれ、報道をチェックする。進展はなかった。

「奥間君」

「あ、アンナ先輩」

 カランカランとベルの音と共に外に出てきた。中に入ろうと思ったのだけど、

「すみません。少しだけ、一緒に外の空気を吸わせてほしいんですの」

「え、あ、はい。いいですよ」

 冷えが一段と強くなってきているけど、暖房の熱気よりも外の冷たい空気に触れる方が頭が冴える気がするし、アンナ先輩もそうしたいんだろう。

「不破さんと何を話したんですか?」

 それを訊くと、少しだけ困ったように微苦笑してきた。

「女同士の秘密のお話ですわ。殿方が聞くのは、野暮ですのよ?」

 人差し指を唇の前に立てる。う、こういう普通の女の子っぽい仕草はアンナ先輩本当に可愛いな。

「不破さんには嘘が付けませんわね。誤魔化せないのでありのままを伝えましたけど」

 やっぱりなにか言い合いになったのだろうか、微苦笑の苦みが増していた。精液みたいに、っていつもアンナ先輩は美味しそうに飲んでるけどどんな味がするのか訊いたら発情スイッチを押しそうなので絶対訊かないことに今決めた。

「わかってはいただけなかったようですわ。仕方ないことですが、寂しいですわね」

 きゅ、と袖が摘ままれる。もう片方の手は、さっき作ったペアのペンダントを握っていた。

「不破さんが心配するのも当然ですの。それはわかりますわ。ですけど……」

 俯いて力ない声は今にも消えそうで、アンナ先輩のPMの形状のように儚く溶けていきそうな気がした。さっきまであれほど頼もしく、本当に何でも任せられそうな気がしたのに、なんでこんなに哀しげになっているんだろう。不破さんは何を言ったんだ。

「奥間君。わたくしは必ず、人質救出を最優先にして、綾女さん達を助けますわ。それが奥間君の望むことで、わたくしの幸せに繋がる事ですから」

 空を見上げたアンナ先輩につられて、僕も空を見る。曇天だった。

「あ、雪……」

 アンナ先輩の呟きに良く見ると、確かに雪が舞っていた。アンナ先輩が掌を上にして雪を拾おうとするけど、雪は掌に落ちた途端、掌の熱ですぐに溶けてしまう。

 何かを堪えるような哀切さを漂わせてながら、雪を拾えなかった手は再びペンダントを握りしめる。僕はその光景が崇高なものに思えて、何も言えなかった。

「すみません。戻りましょうか。そろそろ早乙女先輩も作業が終わると思いますし、イヤリングの状態でも機能するかテストしないといけませんので」

 すぐに生徒会室で見る怜悧な横顔に戻って、ペンダントをブラウスの中に仕舞うと、喫茶店の中に戻ろうと袖を引っ張る。

「奥間君は、優しいから」

「え?」

「……わたくしだけを考える人じゃないから、大丈夫」

 呟きはあまりにも小さすぎて、聞こえなかった。




59 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:38:12.60Vqcr7VCy0 (59/86)



 用意されていたバンの三列シートの一番後ろに不破さんと早乙女先輩が詰め込まれ、僕とアンナ先輩が真ん中に座る。月見草は助手席で、免許を持っているアンナ先輩直属の風紀委員が運転して病院に向かっていた。距離は大したことがないのですぐに着くだろう。アンナ先輩と月見草が人質として潜入し、僕と不破さんと早乙女先輩は病院近くの駐車場に止めたこのバンの中から、監視カメラとアンナ先輩に仕込んだ盗聴器で状況を確認しつつ場合によっては指示を飛ばすという二つのグループに分かれることになる。

 早乙女先輩の作ったイヤリングは華美過ぎず主張しすぎすに、アンナ先輩の魅力を引き出す可愛らしいバラのようなデザインになっていた。本人の服は制服か作務衣ぐらいしか見たことないのだけど、流石に画家と言うべきか、こういったセンスは飛び抜けている。

「どうですの、奥間君?」

「あ、え、その、似合ってます……いや、本当に」

 言葉に詰まったことにちょっとジト目で唇をとがらせて、それでも褒められたことが嬉しそうだった。不破さんと早乙女先輩二人が後ろでにやにやなのかよくわからない反応してるけどつっこんでやるものか。

 息を吐いて、監視カメラをモニターする。音がないから会話はわからないけど、大きな変化はない、と思う。

「人質に危害を加えていない辺り、最低限の良心はあるのでしょうか」

 不破さんが呟いた。同情ではなく、あくまで観察者として犯人を分析していた。

「ここまで大規模な事件を起こしている以上、犯人も後がありません。良心に訴えかけて改心していただけると助かるのですけど、それは考えない方がいいですわね」

 不破さんの言葉が無機質なら、アンナ先輩の声はひたすら冷たかった。たった今僕に褒められた喜びの感情が微塵もない。その瞳だけが凶悪な獣となって、モニター越しに犯人たちをじっと睨んでいる。

「緊張しますわね」

 緊張というよりは昂ぶっている。アンナ先輩は少し考えると、

「奥間君を模したアレを下腹部に入れておけば、わたくしも少しは落ち着くでしょうか」

「すみませんそれだけは絶対やめてください」

 何その衆人環視プレイ、落ち着くどころか確実にビクンビクンして手加減できずに相手を殺してしまうじゃないですか! 憎しみに我を忘れているアンナ先輩も確かに怖いけど、アンナ先輩が一番怖い時は性獣モードなのを忘れてはいけない。愛に我を忘れている時は絶対に自制しないし僕の言葉も聞かないのは精液より明白な現実だ。

「動きが鈍くなったり動けなくなったら元も子もないじゃないですか、ね?」

 宥めるように、何とか必死に誤魔化した。月見草や運転手は事情が分からないから黙っているが、後ろバカ二人も説得に協力しろよ。

 そんなこんなでしばらく経過し、何とか説得が終わったのとほぼ同時に車は現場近くの駐車場に止められた。

「では、あとのことはお願いいたします。あ、そうそう」

 アンナ先輩はにこやかに後列の二人に笑いかけ、

「奥間君に変な気を起こしましたら、誰が何を言おうとも最大の愛の罰を与えますので、振る舞いには気を付けてくださいまし」

 暗黒オーラを放ちながらドアを閉めた。うん、このあたりだけはブレてないな。ブレていてほしかった。《センチメンタル・ボマー》の抹殺も絶対撤回しないんだろうなあ、これだけは。

 僕とアンナ先輩、月見草が病院に向かう。

「月見草さん、お願いがありますの」

 暗黒オーラは消え、歩きながら、後ろに付き添う月見草を見ず、ただ前を、病院を目指しつつ。

「人質交換が通りましたら、わたくしの安全より人質の安全確保に努めてくださいまし。わたくしなら自分で自分の身を守れますわ」

「それは……」

 月見草が迷っていた。判断を仰ぐように僕を見るが、僕も答えようがない。

「月見草さん。あなたにはわたくしの身の安全ではなく、心を守ってほしいのです」

「…………」

 月見草の無言は、現場前に到着するまで続いた。

「――かしこまりました。この件が終わるまで、『人質の安全』を最優先事項とします」

 アンナ先輩は返事をしなかった。

 後になって考えればこのお願いが最大の間違いだったのだけど、この時はその通りだと、そう思ってしまった。華城先輩や不破さんであっても、きっと同じくアンナ先輩のお願いに、アンナ先輩自身が我を忘れてしまうことを危惧していることに、安堵したと思う。

 『KEEP OUT』の黄色いテープが張られているのをアンナ先輩は当然のように潜り抜ける。

「おいこら、お前達!」

 善導課の職員が声を荒げるけど、

「奥間主任がいらっしゃいますでしょう? そこまで通してくださいまし」

 あくまで淑やかな、だけど有無を言わせない迫力を伴ったアンナ先輩のあまりに堂々とした佇まいに、職員は黙ってしまい、あろうことか母さんのいる場所まで案内してしまった。多分後で母さんに再教育されるだろう、ごめんなさい。

 母さんは小型のバスみたいなところにいた。多分ここが現場近くの臨時本部になっているんだろう。





60 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:39:07.34Vqcr7VCy0 (60/86)




「何故貴様らがここにいる?」

 ぴん!と無条件に背筋が伸びた。母さん、マジで苛々している時の声だコレ。

 そしてその声を聞いて、何故かアンナ先輩の微笑が深まった。これ周囲の人々に避難勧告出すべきじゃないかな、バトルになったら下手したら死人が出る。というか多分僕が死ぬ。


 ――重傷を負った親友がいる、だからせめて自分と護衛をしてくれる風紀委員一名で人質交換を交渉してほしい。


 アンナ先輩の言った言葉は、結局のところその二つだった。その二つの言葉を聞いた母さんは、

「ぶげあ!?!」

「貴様あぁ!?」

 怒声に周囲の空気がびりびりと震え、僕は頬を殴り飛ばされここまで案内してくれた職員も巻き添えにしてぶっ飛んだ。周囲の職員が一斉に佇まいを直す。調教すげえ。

「ま、待って、かあさ、おぼぁ!? は、話聞いて」

「貴様は! 女を! 危険な場所に! 行かせるのか!? 何故、貴様が、行かんのだ!?」

 ぎゃ、が、母さん、腹は、ボディは止めて! 背中を丸めると何とか背中に集中して、そうして少しだけダメージを減らす。あんまり意味はなかった。

「奥間主任さん」

 あまりの怒りに周囲は一切動けないというのに、アンナ先輩だけが平然として母さんの役職としての名前を呼ぶ。

 鈴のように涼やかで軽やかな声が、その場にしんと染み渡る。母さんの攻撃も一瞬止んだ。

「これはわたくしの我儘ですの。奥間君までも危険な目に遭ったら、わたくしは自分でもどうなるのかわからないので」

 アンナ先輩は僕をぼこぼこにしていた母さんに向き直る。

「わたくしはアンナ・錦ノ宮。《公序良俗健全育成法》を作り上げた、錦ノ宮祠影とソフィア・錦ノ宮の娘です」

 アンナ先輩の視線は、子供なら裸足で逃げ出すようなおっかない風貌の母さんから一切ブレないまま、

「犯人たちも、わたくしとお話ししたいと思いますわ。きっと」

 微笑を一切崩さずに言ってのけた。こういうことで引く人じゃないのはわかっていたけど、やっぱり母さん相手に一歩も引かないのはすごい。

「わたくしと奥間君なら、護身術の腕はわたくしの方が上ですわ。これでも、自分の身は自分で守れますのよ」

 ……護身術って言った? 今?

 アンナ先輩は手でピストルの形を作って、人差し指をこめかみに当てると、

「わたくしならこの状態でも、引き金を引かれる前に反応して相手を組み伏せてみせますわ。手錠程度の拘束なら、力で抜けられますのよ」

 出来るんだろうなあ、きっと。

 アンナ先輩に言わせっぱなしじゃあんまりなので、僕からも何とか説得する。

「母さん。母さんたちにとっても、中の状況を伝えられる人間は必要だろ? どう対処するにしても。あくまでアンナ先輩は目くらましで、内部の状況にあわせて指示に動くのは、こいつ」

 後ろでずっと立っていた、月見草を指す。

「月見草だよ」

「…………」

 一時的な感情による暴走ではなく、それなりに頭を使って考えてきて、こちらが本気であることが伝わったのか、母さんは僕に手を出すことを止めた。





61 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:39:41.86Vqcr7VCy0 (61/86)




「ガキが口出しすることではない」

 ただ、そう吐き捨てた。反射的な反発として怒りが湧くけど、ここで母さんと喧嘩したって何にもならない。

「母さん。アンナ先輩がどれだけ友達を心配してるか、事件を伝えた母さんならわかってるだろ?」

「子どもが何とかできる範囲を超えていると言っている。これは私達の仕事だ」

「では、その仕事の権限はどこまで与えられていますか?」

 アンナ先輩が言葉の刃を返していく。僕もそれに続く。

「母さん。僕達でもいろいろ考えたんだけど」

 まだ地面に突っ伏した体を、何とか起こす。あちこち痛みはあるけど動くには支障ない。さすがにこのあたりは母さんも加減をわかってくれている。

「この事件、全員が人質の解放に動いているの? 違うよね、国としては少しでも引き延ばそうとしてるよね」

「誰がそんな戯言を言った」

 即座に切り捨てるけど、僕にはわかる。母さんには届いている。

「今、政府はあのデモで揺らいだ信頼を何とか取り戻したい。このテロの要求、《育成法》の廃止に対して決して屈しない姿勢を見せつつ、《育成法》に繋げて《ラブホスピタル》にも反論するやつらを悪とレッテルづける。それにこの事件はうってつけだ」

 はっきり言ってしまえば、《育成法》そのものと《ラブホスピタル》は、無関係だ。最終的な目的がどうであれ、ソフィアの立ち位置を見ても《育成法》を支持していることと《ラブホスピタル》に反対していることは、相反しない。だけど政府としてはそんなものはどうでもよくて、ただ立場がより強くなればいい。

 傷病人のいる病院をジャックした犯人は極悪人で、そういうやつらが主張する『《育成法》の廃止』は間違っていて、だから国の決めたことに反対するやつらは全部間違っていて、だからソフィアたちが起こしたデモも間違っている。

 めちゃくちゃな論理だけど、ここに人命が関わってくると、全部ひっくり返る。政府は主張を通すために、人質を切り捨てることもあり得る。無論警察の無能さを突かれるだろうけど、主張の通すために人命を犠牲にしたら、その主張はどれほど正しくてももう通らない。政府は自滅するのを待っていればいい。

 だけどその人質は、政府にとっては大勢の国民の一人でも、僕達にとっては大切な人たちの一人なんだ。

「母さんが心配するの、わかる。現場の責任者として簡単に頷けないのもわかる。だけど、ごめん。酷い言い方をすれば、母さんでも僕達は信用できない。母さんがどう思っていても、上からの命令とかそういうのが、きっと邪魔するだろうから」

 だからそういうしがらみのない、僕達子どもが動いてやるんだ。

「君も同じ意見なのか?」

 母さんがアンナ先輩に問う。

「ええ。別に善導課の皆様の邪魔をしたいとかではありませんわ。ただ、長引けば長引くほど人質の危険は高まります。綾女さんは重傷を負ってますから、一番危険な位置にいると思いますの。わたくしは健康ですから、いざという時も動けますけど、綾女さんはそうはいかないのです」

 アンナ先輩は雪の降る中、病院の最上階、人質が閉じ込められているであろう場所を見上げた。

「国が何を考えているのか、お母様方が何を思ってあのような行動に出たのか、わたくしにはどちらの言葉が正しいのか、わかりません。ですが、はっきり言えることはあります。大切な方がいて、その方を助けたくて、なのに出来ることを何もしないことは、間違っていると、そのことだけは、絶対に」

 アンナ先輩は再び、僕の母さんと視線を合わせる。

「改めて、お願いします。奥間主任さん。わたくしの身柄を人質の交渉に使ってくださいまし」

 アンナ先輩は母さんをお義母様とは呼ばず、敢えて役職名で呼んでいる。

 その意味が伝わってくれたのか。

「そうか」

 母さんはそう呟き、アンナ先輩に近付く。

「不甲斐無い大人で済まない」





62 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:40:25.11Vqcr7VCy0 (62/86)




 パシン、と小さく何かがぶつかる音だけが聞こえた。

 アンナ先輩の瞳には凶悪な獣の光が、母さんの顔には驚愕が浮かんでいる。え、なにこれ?

「酷いですわ、お義母様」

 ぎゃあああああ! よく見たら母さん、アンナ先輩のボディに拳入れようとしている格好で、アンナ先輩は母さんの手首をつかんで力が拮抗してるんですけど!? 母さん言葉が通じないからって親友の娘に実力行使するか!?

「言いましたわ、わたくし。たとえピストルをこめかみに突き付けられたとしても、引き金を引かれる前に反応できる自信がある、と」

 言葉が終わる前に母さんがアンナ先輩を気絶させようと動く。だけどアンナ先輩は全て弾くかいなすか躱すかをして、全ての攻撃をしのぐ。

 ハッキリ言って目で追うのが精いっぱいで、何が起こっているのかさっぱりわからない。二人のあまりの気迫に、周囲の善導課の皆さんも絶句している。多分母さんと互角にやり合える人を初めて見たんだろうな。それがこんな絶世の美女だったら絶句もするわ。

 互いに距離を取り、一旦攻防は止む。アンナ先輩が僕の近くまで下がってきた。母さんはちっと舌打ちする。

「身体能力までソフィア譲りか。可愛らしいお嬢さんだと思っていたが、言い出したら絶対に実行するところもそっくりだ」

 母さんは背中を向けてバスの中に入る。「母さん!」呼びかけるけど返事はなかった。

「多分調整に入ってくれたんだと思いますわ。少し待ちましょう」

「そう、ですね」

 異次元の戦いに僕が入る込める隙間はなく、ただそう頷くしかなかった。しかし、言うべきことは言えたはずだ。

「アンナ先輩、母さんがすみません」

「いえ、あれも親心、大人としては当然でしょう。わたくしも似たようなことはすると思うので」

「アンナ先輩、全部かわすか避けるかしてましたよね。反撃はしてなかったように思うんですけど」

「ええ。……腕が少し痺れていますわ。流石ですわね。一度、本気の手合わせをお願いしたいですわ。奥間君とお義母様がよろしければ」

 そう言うアンナ先輩の獣の瞳には、歯ごたえのある獲物を見つけた歓喜の成分が混じっていた。

 アンナ先輩、ただ自分より下の人間をいたぶるより、強敵を徹底的に叩き潰す方が好みなのかもしれない。ある程度交渉や策略も出来るようにはなったけど、それは舞台を整えるためであって、舞台に上がってしまえばやはり正攻法で相手を存分に叩きのめすんだろうな。



『アンナが本気になったら誰だって敵わないわよ。つきいる隙のない完璧超人なんだから』



 もしかしたらアンナ先輩は自分と同じ実力を持つ相手と戦ったことがないんだろうな。身体能力も頭脳も人より飛び抜けている人だし、何でもできたアンナ先輩は負けたことがないんだろう。だから中々上手くいかない《SOX》の捕縛も憎悪を覚える前は愉しげにすら見えたし、母さんに対しても強敵として一度本気の勝負をしてみたいのかもしれない。弱い人間が怯えるさまを見ることにもある種の快感を得てはいるようだけど、多分困難な相手の方がより燃えるんだろう。……もしかしなくてもアンナ先輩が僕に執着したのって、僕が避け続けてたせいかなあ、やっぱり。

 しかし、ストレス解消になるんだったら、母さんとの手合わせというのもお願いしてみるのはいいかもしれない。それは考慮に入れておこう。

「奥間君」

 大人たちを強敵とみて、どこか嬉しそうなアンナ先輩だったけど、急に顔が陰る。

「今からきっと、お母様が猛反対すると思いますの」

「そうですね……説得できそうですか?」

「…………」

 少しだけ、哀しさと寂しさが等分に混ぜられていた。





63 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:40:52.75Vqcr7VCy0 (63/86)




「奥間君。奥間君がもし、わたくしのお母様を殺してほしいと願えば、わたくしはありとあらゆる手段を使って、お母様を殺しますわ」

 唐突な、あまりに物騒な告白に思わず面食らう。真意がわからず、僕はただ言葉を待つしかなかった。

「奥間君とお母様なら、わたくしは奥間君を選びます」

 これは、いいことなのだろうか。ソフィアの教育に、理想に縛り付けられていたアンナ先輩が母親以外の選択肢を見つけたことはいいんだけど、やっぱり危ういと感じてしまうのは、どうしてだ。

「奥間君が一言、お母様に逆らえと言えば、わたくしは何も怖くありませんわ」

「……それは、アンナ先輩が、自分の意思でお母さんと対決しないといけないと思います。僕が言ったからとか、そういう逃げ道作ってたら、いつまでたっても向き合えませんよ」

「…………」

 アンナ先輩は嬉しさと寂しさという矛盾する笑顔を浮かべて。

「そうですわね」

 アンナ先輩のPMが鳴り響いた。「お母様からですわ」だろうなあ。

「少し、席を空けますわね」

 そう言うと、僕達のいない場所で何やら会話が始める。聞こえはしないが、アンナ先輩の表情自体は平然としているように見える。

 けどついこの間まで絶対だった人に逆らうというのは、どれほどの勇気が必要なんだろう。

「月見草」 

 隣でただ見ていた月見草に、僕は頼んだ。

「アンナ先輩のこと、守ってやってくれ」

「かしこまりました」

 月見草は普段通りに無機質に定型文を返してくる。

 だけど不安定なアンナ先輩には、そういうのも必要なのかもしれないと思った。

 アンナ先輩が戻ってくる。

「だいぶ怒られてしまいましたわ。ですが、こちらが引く意思を持たないことをわかってくれたようです」

 また、人質たちのいる最上階を見上げる。

「もうすぐですわ、綾女さん。鼓修理ちゃんに、ゆとりさんも」

 アンナ先輩は制服のタイの下、ペアで作ったペンダントを握りしめる。

「必ず、助けますから」

 雪はちらほらと、ちょっとした風であっちこっちにふらふらと舞い落ちていく。




64 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:41:54.59Vqcr7VCy0 (64/86)


「――五人、解放する」

 犯人の一人からいきなりそう告げられ、人質たちはにわかに浮足立った。

(何か、交渉が成立したようね)

 《SOX》のリーダーである《雪原の青》こと華城綾女はどこか空ろに呟く。ゆとりはその様子にシンパシーと苛立ちを覚えた。

 狸吉とあの化け物女がくっつくのが嫌なら素直にそう言えばいいのに、このバカ。

(あんまりいい感じじゃなさそうッスけどね、犯人の様子を見た感じ)

 残念ながら、解放される人質に自分達は含まれなかった。一応病気という体で入院していた大物政治家や芸能人、それとその連れなど、そちらが優先されてしまっている。

(結構な人選ッスね。犯人にとっては余程の好条件を呑んだんじゃないッスか?)

(何だよ好条件って)

(知るかッス。報道だけじゃわかんないんスよ)

 だけどすぐに、その好条件の一端が見えた。



「綾女さん。鼓修理ちゃんに、ゆとりさんも……無事ですの?」



「「「…………」」」

 見る者を安心させる笑顔を浮かべる。その笑顔だけで何も知らない他の人質は心の疲労が癒されてしまってるが、何故化け物女が自分たちと同じように後ろ手に手錠をかけられてここにいるのだろう? あとついでにお付きの風紀委員もいるが、何故?

 化け物女が犯人に後ろから乱暴に突き飛ばされる。

「きゃっ」

「アンナ様!」

 反射なのか、確か月見草とかいう名前の風紀委員が叫ぶ。

「大丈夫ですわ」

 この程度であの化け物女がよろめくどころか突き飛ばされるわけがないので、多分というか絶対演技だ。

「本当にお友達を助けるためだけに自分から人質になったんだ。美談過ぎて気持ち悪い」

 突き飛ばした犯人が、女は本気で嫌っているのか、吐き気を堪えるような嫌悪感と共にそう呟いた。だけど化け物女は無視して殆ど抱きつくように綾女に近付く。





65 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:42:26.10Vqcr7VCy0 (65/86)




(少し、我慢してくださいまし)

(――――っひ)

 綾女が完全に固まった。見張りの犯人たちにも他の人質たちにも見えない角度だし、実際そんなことが行われているなんて思いもしないだろうから気付かれないだろうが、自分と鼓修理には見えていた。

 綾女の耳に舌を突き入れているところを。

(????????!!?!!!!?)

(ああああああ、あ、あんた、な、何を?)

「綾女さん? 大丈夫ですの?」

 一瞬見せた冷たい怒りの無表情は消え、再び安心させるような笑顔で綾女に笑いかける。ついでにこちらにも笑いかけられた。

「――ええ。大丈夫よ」

 綾女も一瞬、本気で恐怖に怯えていたが、綾女には今の行為が何か意味あることがわかったようで、すぐに頷いた。こちらは全然意味が分からないが。

 さっきまで見せていた消沈はなく、綾女は切り替えている。

 化け物女は綾女と鼓修理の間に割り込むように座る。ゆとりとは綾女を挟んでいる形になった。風紀委員は化け物女を守るためか、自分たちの前、犯人との間に座る。

 犯人たちは化け物女に興味津々のようだったが、見張りの交代の時間になったのか、犯人が入れ替わっていく。その隙をついて、綾女が今のことについて説明する。

(イヤホンがお耳にプラグインしたわ)

 そう言われて、はっと気付く。鼓修理はもう少し気付きが早かった。化け物女は頷く。

(口の中まではチェックしないだろうと。鼓修理ちゃんとゆとりさんの分も預かっているのですけど)

 僅かに口を開き、舌先に小さなビニールのチャック袋に入ったイヤホンが少しだけ見えた。しかしその、今のと同じやり方はさすがに不自然だしなんというか生理的に嫌だ。

(その、お姉ちゃん……鼓修理にその袋、渡してほしいんスけど)

 化け物女は一瞬考えたが、すぐに頷く。そしてまた一瞬だけ鼓修理の肩に頭を寄せたかと思うとまた上がった。それだけで鼓修理はおぞましそうに身を震わすが、今の一瞬の交錯で鼓修理の掌の上にビニールが落ちたのが見えた。唾液まみれなのはこの際気にしない。朱門温泉ではもっと体液にまみれたらしいしまあ大丈夫だろう。自分も生理的嫌悪感は無論あるが、流石に化け物女も真剣なのがわかったのでそんなことは言わない。

(少し落ち着いてからにしましょう。すぐにだと流石に不自然だから)

 綾女が真剣な顔で犯人の様子をうかがいながら言った。

(どうして、来たの?)

 そして綾女が僅かに非難するように、化け物女に問うた。

(皆さんを助けるため、ではいけませんか?)

(駄目じゃ、ないけど)

 綾女は複雑そうだった。PMを外される前に狸吉には言っておいたはずなのにと、そう思っているのだろう。

(ごめんなさい。わたくしのわがままですわ。全ては終わった後で)

 化け物女は舌なめずりをしながら、縄張りを侵された獣のように獰猛な笑みを浮かべる。全身の毛穴がぶわっと開き、冷や汗が止まらない。死ぬほど怖い。

(そう、全ては犯人たちにオシオキをした後で、聞きますわ)

 犯人たちは呑気にも気付いていない。そもそもこの化け物女は表面上は確かに清楚で綺麗なお嬢様にしか見えない。犯人たちもそう思っているだろうし、人質も送り込んだことに協力した善導課もきっと気付いていない。

(……む、向こうには誰がいるんスか?)

 鼓修理が訊ねる。化け物女は犯人たちを見据えながら答えた。

(奥間君に早乙女先輩、不破さん。わかりますか?)

 自分も鼓修理も頷く。外との連絡手段を得た。そして今回は、この化け物女はどうやら味方らしい。

 そして敵対した相手には善導課より他のテロ組織より、誰よりも容赦が一切ないのは自分達が一番わかっている。一番的に回してはならない人間の一人を敵に回した犯人たちに心から同情した。





66 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:43:23.77Vqcr7VCy0 (66/86)



「全員、着けることが出来たようですね」

 不破さんが無感情に呟く。鼓修理とゆとりはしばらくしてからトイレに行くふりをして、何とか着けたようだ。流石にトイレの中までは監視しなかったらしく、手錠も一時は外してくれたようだ。このあたり鼓修理の話術が役に立ったみたいで、盗聴器がないから会話は聞こえなかったものの、まあ予想できる。アンナ先輩から一時的にも離れられることもあって、きっと頭をテッカテカにしながら籠絡したんだろうな。

 イヤホンはあくまでこちらの声を届けるだけで、向こうの音を拾うのはアンナ先輩の制服に仕込んだボタン型と万年筆型の盗聴器だ。ボタンはそのままアンナ先輩のブレザーのボタンと付け替え、万年筆はアンナ先輩のポケットに入っている。万年筆はなんとかポケットから出して床にでも落としておきたいのだけど、あまり不自然な行動は出来ない。

 不破さんがそれぞれイヤホンのチャンネルをミキサーのフェーダーを使って声が届いているか一つずつチェックする。全員同時にも、個別に指示を出すことも可能で、ちょっとしたラジオ局みたいになっている。MM号みたいにこっちは向こうが見えているのに向こうはこっちが殆どわからない、きっとエロいことしても、駄目だアンナ先輩は気付くわ。ってかそもそもそんなつもりは全くないし。

「すべてクリアです」

 不破さんが報告する。とりあえず第一段階はクリアだ。

「現在残っている人質は、18人から5人解放され、また新たに2人加わったので、15人となりました」

 情報を全員で共有する。あ、いや月見草はごめん、ハブってるけど。

「アンナ先輩、拘束は抜けられそうですか? 出来るなら右を向いてください」

 あらかじめ決めていたジェスチャーをする。基本的に右を向いたらはい、左はいいえということにしていて、それはもう向こうの女性三人にももう伝えてある。

 アンナ先輩は右を向いた。まあ、あの程度の手錠でアンナ先輩を拘束できるなら今までこんな苦労しないよね。

「犯人たちに気付かれない程度の小声で何か話せますか? 話せるなら何でもいいので話して下さい」

 不破さんが重ねて指示を出すと、向こうから僅かな声で、

『……綾女さん、大丈夫ですの……』

『アンナこそ、どうやってここに……』

 囁き声が辛うじて聞き取れるレベルで聞こえてきた。カメラで見ても不自然ではないと思う。不破さんが盗聴器から拾う音声の音量を調整する。ノイズも大きくなったけど囁き声の会話が聞こえるぐらいにはなった。

「結構です。テストは無事終了しました。発信、集音、共に問題ありません。こちらに伝えたい言葉があるときは一旦咳を2回するように。了解なら会話を止めてください。不明な点があれば会話の振りを続けながらこちらに言葉を送ってください」

 音量を微調整しながら不破さんは指示を出す。会話は一旦止まった。

「上手くいったね」

「これからが問題ですが。まだ人質の数が多すぎます」

「混戦になったらまずいよね」

 今の状態でもアンナ先輩なら不意を突いて制圧できるかもしれない。けど“かもしれない”で人の命を賭けるわけにはいかない。人質は全員拘束されている。アンナ先輩だから力業で抜けれるのであって、他の人はそうはいかない。

「殺傷出来る武器を持った相手が室内に3人、ドア前のすぐ入れる位置に1人。アンナ会長であっても簡単ではありませんね」

「アンナ先輩ひとりだったら楽勝なんだろうけど」

「室内にいるやつらを廊下に誘き出せんかの?」

「これだけ統率だった動きをしているのであれば、指示があるまで待機するでしょう。人質が自分たちの牙城の柱であることは犯人たちも十分にわかっているはずです」

「そもそも善導課が非常階段には待機してるから、やっぱり現実的じゃないよね」

 アンナ先輩を送り込めたら勝ちだと正直思っていたんだけど、そう簡単じゃなかった。





67 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:43:51.26Vqcr7VCy0 (67/86)




「人質を地道に減らすのが結局は近道でしょうか」

「どうやって?」

「それには、犯人たちの考えを知らないといけませんね。彼らはこの病院ジャックで何がしたいのか」

「《育成法》の撤廃が目的じゃないの?」

「病院をジャックすることでそれが叶うと思いますか?」

「いや思わないけど」

 ううん、と悩んでしまう。こいつらが一体、何をしたいのか?

「じゃが、それなりに意味がなければおかしいじゃろ。この特別階、セキュリティーが厳しいんじゃろ?」

「流石にこのように大規模な犯罪を想定していたわけではないでしょうけど、確かに人質を取りたいだけならば他にもっと簡易な場所がいくらでもありますね」

「えっと、つまり?」

「早乙女先輩の言った通りでしょう。この病院をジャックしたことには、犯人たちにとって意味があるはずなのです」

 この病院をジャックした、その意味?

「《育成法》の撤廃以外の目的があるってこと?」

「或いは、《育成法》の撤廃を決定づけるようなものが、わたし達に知らない中であるのかもしれませんが」

 不破さんが画面を見つめる。マイクを手に取ると、

「一連の話は聞いていましたね? 犯人たちの求めている具体的な計画が何かがわかれば、取引の材料に使えるかもしれません。可能不可能はともかく、とにかく相手が具体的に何をしたいのかをはっきりさせましょう。出来るならば犯人の誰かと対話を」

 向こうからのリアクションは基本的にはない。テストでは届いているから今も届いていると信じるしかない。

『――ねえ、聞いてもいい?』

 華城先輩のはっきりとした声が、スピーカーの上に乗る。

 いつもの頼もしい、華城先輩の声だった。僕達は耳を澄ませ、会話を聞いていく。








68 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 10:53:55.28Vqcr7VCy0 (68/86)

一応、5年前立てたときはここで終わってる、はず。

『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』略して下セカって古い作品なんですけどね。kindle Unitedでは読み放題になっています。
アニメ版はどこも配信されてないと思います、表現がね……あはは。DVDはさすがに借りれるのかな?

アンナ役の方が連載中に亡くなって、どうしても書けなくなってたんですけど、というか昨日まで割と忘れてたんですけど、
そういえばこんな作品書いてたな、っていう。

長い! コピペだけで100m走ダッシュ(意味深)ぐらいに疲れた!

覚えてる方はさすがにいないと思うんですが、自己満足で完成させたいな、と。

原作やら前作やら読まないと何がなんやらさっぱりだと思います。アンナ先輩のキャラも意図的にずらしている結構自分にしては頑張ってる作品ですので、
興味があったら読んでやってください。続きはまた投下していきます。



69 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 12:21:59.26Vqcr7VCy0 (69/86)

あ、オリキャラ出します。名前設定してないですけど。犯人のリーダーって立ち位置の人です。


70 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 14:31:20.94Vqcr7VCy0 (70/86)


「あなた達、何が目的なの?」

 単刀直入に聞く。空気が「ねえ、きのうおとうさんとおかあさん、ベッドの上でわちゃわちゃしてたのなーに?」って訊かれたとき並にざわついた。

「投降するなら今のうちよ。まだあなた達、ケガ人は出していないでしょう?」

 手際は自分の目から見ても鮮やかだった。だけど、少なくとも自分はこんな組織を知らない。そもそも反体制の連中が鬼頭系列の病院を狙うことなど有り得ない。しかも若い連中ばかりだった。《育成法》に反感を買っている人間は、もう刈り取られたものばかりだと思っていたが、そうでもなかったらしい。

「…………」

 しかし完全にシカトされた。自分は一般人扱いらしい。《SOX》の話題が少し出ていたが、《雪原の青》の正体を知らないあたり、情報網は広くないのか。

『月見草に指示がいかないかな』

 狸吉の声が耳に届く。月見草は善導課所属のため、狸吉たちとは別に、警察の指示を何らかの形で得ているはずだった。

 犯人たちの目線は主にアンナに向けられている。容姿も経歴も目立つし、自分から飛び込んできたのだから当然と言えば当然なのだが、浮わつきが大きい気がするのは自分の気のせいか。

『アンナ会長が動くのは最後の最後です。あくまでリアクションのみでお願いします』

 マッドワカメの言葉に、アンナの問いたそうな声が喉から出ることはなかった。不安げな顔をしているが、長年の付き合いである綾女にはわかった。少なくとも自身の危険の心配はしていない。緊張はあっても、どこか昂揚を孕んでいる。しかし孕むって素敵な言葉。狸吉は聞きたくない言葉だろうけど。

『副会長は重ねて、できうる限り情報を。お願いします』

 マッドワカメの言葉が聞こえてくる。多分狸吉側の指揮権は主に不破氷菓なのだろう。彼女の観察力と分析力、判断力は綾女も信頼している。ただシタノクチぐらい正直なことを言ってしまうなら、もう少し具体的な指示が欲しい。

 それぐらい、今の綾女は頭が回っていなかった。誰かに判断を頼ってしまうぐらいに。

(大丈夫ですの?)

(私なら大丈夫よ。アンナはいざという時のために集中してて)

 それ以上はアンナも何も言わなかった。考えて、続けて犯人たちに問う。

「あなた達、《SOX》の協力者なの?」

「………………」

 そんなわけはないのだが、流れとして不自然だと思い、あえて訊いてみた。沈黙の質が変わった、気がする。

「……俺たちのことが知りたいのか?」

 犯人の一人が答えた。よし。

「そりゃあ知りたいわよ。自分が何でこんな目に遭っているのか、知りたいと思うのは当然じゃない?」 

「……リーダーに聞いてやるよ。答えは直接リーダーから聞くんだな」

 どうやら下っ端には答える権限はないようだった。忠誠心というか、統率力もなかなかのものだ。

 トランシーバーを取り出すと、リーダーらしき人物を呼び出す。来るだろうか。なんで英語じゃカモン!なのに日本語だとイくぅ!なのかしら。

「警察の相手が終わったら、一度挨拶に来るってよ」

 人質全員の緊張が、一気に増した。

(どんな奴っスかね)

 鼓修理はアンナに対する恐怖の方が強いのか、それとも純粋に興味があるのか、なんとなく期待しているような声音だった。

(…………)

 ゆとりは何も声を発さない。我慢すると後が大変よ?

(いや……)

(?)

 アンナに対する懸念だけでなく、何か違和感を覚えているように見えた。

(どうしたの?)

(……まさか、だぜ)

 無意識の仕草なのか、ゆとりは首を左右に振る。何か引っかかっているらしいが、ゆとりの中でも言葉にならないらしい。

 それ以上考える暇もなく、ガラガラと、扉が開く音に意識が強制的に向けられる。


「はーい、元気? 病人怪我人それ以外も含めて、お元気かしらん?」


 ふざけた女の声が、監禁部屋となった休憩室に響き渡った。



71 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 14:33:00.57Vqcr7VCy0 (71/86)



『はーい、元気? 病人怪我人それ以外も含めて、お元気かしらん?』

「腹立つ声じゃな」

 早乙女先輩の第一声がそれだった。僕も諸手を挙げて賛同したい。あえてしなを作った媚びた声は、相手に不快感しか与えないと思えた。

「声音を変えてますね。おそらくは、口調も」

 不破さんがそう言うのなら、おそらくそうなのだろう。なんせ鼓修理の腹黒笑顔を一瞬で看破した人だ、マイク越しの声でも分析力は存分に発揮されているだろうな。

「リーダー、女だったんだ……」

 驚くことじゃないのかもしれないけど、先入観で男のイメージがあったから、女だったことに驚いた。ただ華城先輩もアンナ先輩もゆとりも鼓修理も不破さんも早乙女先輩も女性だし、この世界、男の方がダメになっているのかもしれない。

『あなたがリーダーなの?』

 華城先輩が訊ねるが、

『あなたには興味ないのん。時岡学園生徒会副会長、華城綾女さん?』

 リーダーが嗤う気配が、こちらにまで届いた。

「人質については、基本的なことは全員把握しているようですね。見舞客までは分かりませんが、知っていると思って行動した方がいいでしょう」

 不破さんが注意を呼び掛ける。魚眼レンズで歪んだ画面では、女の顔は見えない。

『誰になら興味がありますか?』

 月見草がいきなり口を挟む。多分警察か善導課からの指示だろう。

 確かにリーダーの女の言葉からだと、華城先輩以外の言葉なら聞いてもいいともとれる。

『そうねん、例えば鬼頭グループの鬼頭慶介の一人娘、鬼頭鼓修理ちゃんとか?』

 びくぅ!と鼓修理が息を呑むのが魚眼レンズ越しでもわかった。一応異母兄妹と説明してるからな、アンナ先輩には。「鼓修理は養子で」と先ほどついた嘘をもう一度重ねる。

 鼓修理もそれでアンナ先輩に通っていることが通じたらしい。

『ひっく、鼓修理、難しいこと、わからなくて……』

 かんっぺきな泣き顔を披露しているんだろうな、きっと。

『そうねえ』

 最初っから興味はなかったのか、女リーダーは鼓修理の完璧な泣き顔に動揺する様子はなかった。他の連中は、微妙に揺れ動いていたみたいだけど。

「リーダーの言葉が絶対のようですね」

 不破さんの分析が正しいだろう。統率力は並外れたものがある。

『なら例えば、《公序良俗健全育成法》を立ち上げた、錦ノ宮祠影とソフィア・錦ノ宮の一人娘、アンナ・錦ノ宮さんとか?』

『わたくしに、ですか?』

 予想できた流れではあった。アンナ先輩が自身で言っていた通り、《公序良俗健全育成法》の撤廃を求める犯人たちが、アンナ先輩に興味を持たないはずはないのだ。

 わかってはいても、「落ち着いてください、大丈夫です」としか言えない自分が情けない。

 アンナ先輩は僕の言葉には答えない。今は答えるべきじゃない。

『いやあ、飛んで火にいるなんとかってやつ? ま、ばらしてもいっか。今日決行日に選んだのってさ、あなたが華城綾女さんの見舞いに来る予定の日だったからなんだよねん。最初いなかったときは結構焦ったっていうか?』

 割とべらべらしゃべるなコイツ。ウエノクチだけなら軽くて問題ないけど。

 女リーダーは椅子に座る。

『しっかしまさか、生徒会役員を助けるために? わざわざ来るなんてね?』

 嫌な予感がしてくる。明らかに向こうの口調に悪意が増している。

『生徒会役員ではありませんわ。わたくしの友人たちのために、ですわね』

 ゆとりも鼓修理もアンナ先輩の友人に入っているらしかった。鼓修理は義理の妹で通るけど、アンナ先輩の中ではゆとりも入っているのか。

「アンナ会長、可能であれば副会長の解放の交渉を。人質の中で最も重傷ですので」

 政府にとっては政治家やその側近の方が大事なのかもしれない。一般人扱いの人物が後回しにされているのは明らかだ。

 僕たちはそんなこと、認めない。だけど基準はあって、怪我人である華城先輩が人質になっているのは明らかに不利だし、《SOX》としての動きも大幅に制限されている現状、華城先輩を優先するしかなかった。





72 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 14:36:56.06Vqcr7VCy0 (72/86)



『あなた方は、人質であるわたくし達をどうしたいんですの?』

『んー? どうしたいって?』

『仮に、あなた方の要求が通ったとして、その場合、わたくし達はどうなりますの?』

『アンナちゃんにはもう少し付き合ってもらうかもねー、あと鼓修理ちゃん。権力者の子どもは便利よねん』

 アンナちゃん!? 何様だよコイツ!?

 相手はアンナ先輩を嘲けきっている。錦ノ宮祠影とソフィア・錦ノ宮の一人娘という部分での認識しかないのだろう。アンナ先輩の実力を知らないことは好都合だ。

『……でしたら、わたくしと鼓修理ちゃんの二人だけを残して、というわけにはいきませんの?』

『はっ、自分の立場が分かってる? ……交渉できる立場なんかじゃないのよん?』

 今のリーダーの声、前半にわずかに地声が混じった。何か違和感がある。

『ごほ、ごほ』

「ゆとり?」

 咳二回は、こちらの指示を問う合図だ。ただ、今は全員の注目がアンナ先輩と女リーダーの会話に集まっているため、ゆとりのささやき声もまずいかもしれない。テレビの音もささやき声を消すには少し難しいだろう。

「小声では難しい話ですか?」

 ゆとりは右を向いた。イエスだ。

「トイレに行くなどして席を立てますか?」

『と、トイレに行きたいんだぜ』

『……おっけー、あ、付いて行ってあげて』

 了解、と短く入り口の女が返事をした。ゆとりは立たされ、トイレに連れていかれる。その様子がカメラでも確認できた。さすがに中の様子までは確認できないけど。いやするつもりもないけどね? そう言わないとややこしいことになるからね?

 音姫なる水を流す音がバックに流れる。この機能っている?

『聞こえるか?』

「聞こえてる、ゆとり、どうした?」

「ゆとりさん、どうぞ」

『狸吉は、わからないか。カメラないもんな』

 監視カメラではなく隠しカメラでモニターしていることは伝えていないことを思い出す。

「いや、隠しカメラがあって、モニターはできてるよ」

『じゃあ、あの女のこと、覚えてるんだぜ?』

「え?」

『……あの女リーダー、私らの中学時代の同級生なんだぜ。……名前は思い出せねえけど、確か、私らで何度か捕まえようとしてそのたびに逃げられてたアイツなんだぜ』

 空気が、固まった。





73 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 14:37:51.63Vqcr7VCy0 (73/86)

昔連載中にオリキャラ出すか悩んだ記憶があります。
名前は設定していない(きっぱり)


74 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:30:10.67Vqcr7VCy0 (74/86)

もう少し書いたから投下


75 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:31:48.55Vqcr7VCy0 (75/86)



 ゆとりが無事に戻ってきて、アンナは悟られないように静かに息を吐く。

『ゆとりさんと奥間さんの情報を皆さんと共有します』

 わざわざ交渉を中断してまで席を立ったのだから、よほどのことなんだろう。

『向こうのリーダーは、ゆとりさんは中学時代、奥間さんは小学校、中学時代の知り合いだそうです』

 目がスッと細まる。多分PMを外している彼女たちグループ全員の情報は、とっくに警察や善導課は把握しているだろう。

『アイツは……××××と言います』

 奥間君が本名を告げる。少し躊躇った後、

『善導課から戻ってこない生徒の、一人だった……はずでした』

 なぜ、どうしてという愛しい人から困惑がありありと伝わってくる。

『ゆとりさん、リーダーの方とお話しできますか?』

 ゆとりは困惑していたが、不破氷菓の言葉に意を決して、

「……××××」

 いきなり名前を呼んだ。女リーダーは動じなかった。

「やっと思い出した? 鈍いな、思ったより」

 向こうはとっくにゆとりのことを知っていた、というより覚えていたみたいで、嘲るように笑う。

「あんた達には苦労させられた」

「あんた達って、たぬ……奥間のこともか?」

「だったら何?」

 怖がっている自分なりの演技は、やめることにした。

「奥間君のことをご存じですの?」

「…………」

 自分の気配の変化に気付いたのか、女リーダーは笑みを深めた。

(アンナ)

 気遣うように親友が呼びかけるが、今は勝負の時だ。目線だけで頷くと、もう一度、改めて女リーダーに笑いかける。

「時岡学園高等部生徒会の庶務見習いだっけ? 出世したもんね、あのバカも」

「どういうご関係ですの?」

 なぜか綾女に鼓修理にゆとりに、小型スピーカーの向こうからの気配も強張ったが、“この女は危険な香りがする”ことは明白だ。

「……ふふ、ナイショ。その方が楽しそう」

 髪をかき上げる仕草に、危険な香りがさらに増していく。

『あ、アンナ先輩。相手のペースに巻き込まれないでください。ゆとり、アンナ先輩と替われないか?』

 ちら、とゆとりを見ると、「ひぐ!?」変な小声がゆとり達から漏れたが、

「……あんたは昔っから人をおちょくってばかりだったぜ。卑猥な知識で」

 ゆとりが辛うじて言葉を紡いでいく。



76 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:32:30.68Vqcr7VCy0 (76/86)



「頭のいいバカってやつだぜ。そんなあんたが、なんでこんなことをしたんだぜ?」

「まあ、あたしってバカだし? 個人的な感情もあるにはあるけど、それとこれとは別に建前って必要なのよねん」

「《育成法》の撤廃が、建前なの?」

 綾女が突っ込んだ問いを投げかける。だけど女リーダーはあっけらかんと、「そうでもない」と返してきた。

「ここにいる全員の意思がそうでもなくてねえ。意思統一なんてするつもりもないけど。あたしはこの国とは違っていて、徹底的に合わないだけ。ここにいる連中もそれだけ。まあ、程度の差はあるけどねん」

 感じたことのない感覚が、緊張をもたらす。

「そこのお人形さんとは違ってね」

 女リーダーの、いや、犯人たちの感情が、自分に集まっているのを感じる。

「わたくしが、人形?」

「違うの? 《育成法》に育てられたお人形さん? あなたの評判、自覚してる?」

 ――敵意と悪意。人生で《SOX》にも基本的には向けられたことのない、強すぎる感情に一瞬、戸惑いを覚える。

 だけど、敵意と悪意が存在することを、自分の中にもあることを、アンナは知ってしまっていた。

「出来すぎたぐらいに出来た完璧超人。まあすごい。まるでお人形みたい。施設育ちや卑猥に触れざるを得なかったあたしらとはそのまんまの意味で育ちが違うわ、こりゃ」

「…………」

『あ、アンナ先輩、お、落ち着いて。そんな奴の言葉、気にしちゃだめです』

 愛しい人の声が、自分を癒してくれる。女リーダーには、くすりとあえて笑ってみせた。

「あなた方の気持ちはわかりましたわ。主張や立場から、わたくしとは相容れないこともわかりました」

 愛しい人への愛とは違う、敵意や悪意に反応する別の衝動。それとは別に感じる、女リーダーから漂う危険な香りに対する危機感。

 傷つきはしない。自分には、愛しい人がいてくれれば、それでいいから。それだけでいいから。

 だから感じるのは、敵を改めて敵として認識すること、そして衝動を解放することに理由がまた増えた、その悦びだけで。

 唾液を飲み込む。



 ――叩き潰し甲斐が存分にある。



 自然と笑みが深くなってしまう。女リーダーが顔を顰める。何故か仲間たちが慌てた気配がする。

「ですが相容れないからと言うだけでは、話は進まないと思いませんこと?」

「ふーん? で? 何か望みがあるの?」

「人質の解放、それだけですわ。……わたくし以外、全員の解放を」

「自己犠牲精神? 本当ご立派なお人形さんだこと」



『……ンナ、アンナ!? 聞こえているのですか!?』



 ――お母様?

 向こうがバタバタとしている。向こうの状況がよくわからない。

 綾女に鼓修理、ゆとりに顔を向けると、全員が顔を青ざめて首を横に振っていた。 

 邪魔されたくないという想いが強く自分の中にあって、以前の自分なら母親の声を無視したいなど考えられなくて、それが少しおかしく思えた。





77 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:33:35.77Vqcr7VCy0 (77/86)



 え、なんでここに?

 僕は間抜けにもそうとしか思えず、ソフィアが車のドアを開けるのを半ば恐慌状態に陥りながら、そのまま上がらせてしまった。

 広い車内もソフィアの怒気で狭く感じてしまう。びくんびくん! やってる場合じゃねーな!!

「アンナ、アンナ!? 聞こえているのですか!?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 アンナ先輩の怪力は母親譲りなのか、ソフィアに投げ飛ばされかけ、それが抑えられたのは車内という閉じた空間だからだった。

「ここで騒ぐとアンナ先輩たちが危ないです! 不破さん、早乙女先輩!」

 あとは任せた、とは言えなかった。そういう前に僕が自分から外に出て、扉を閉める。

「あの、僕の母さんのところに行ってたんじゃ……!?」

 僕の母さんの親友であるソフィアなら母さんのところに行ってここに来るはずがないと思ったのだけど、

「アンナが警察や善導課任せにするはずがないでしょう!」

 うわあ、さすが母娘だわ。アンナ先輩、良くも悪くも自分で解決したがるもんな。

「いいですか、あなたの母親が指揮権を取っているからこそ、向こうは任せて私はここにいるのです」

 当たり前のように、傲然と言い切る。



「アンナへの指示は私がします!」



「困ります! 混乱するだけです!」

 ただでさえ混乱してるのに!!

 だがこと最愛の娘の案件になると、ソフィアが引くわけがなかった。
  
「子供になんとかできる範囲ではないでしょう!?」

「犯人たちテロリストは10代半ば、僕達と変わりません!!」

「殺傷力ある武器を持っているというではありませんか、テロリストに年齢は関係ありません!! どきなさい!!」

 どうしようどうしようどうしようどうしよう!?

 車のドアを破壊しそうな勢いだ。「ちょっと待って、3分待ってください、お願いします!! みんなが危ないんです!!」

 ソフィアを置き去りにして「待ちなさい!」ドアを閉める。運転手は今はいない。運転手を常に用意しておくべきだった!

「ソフィア・錦ノ宮にわたし達のやってることがばれました」

『ごほごほ』

 アンナ先輩が二回、咳をする。『お手洗いに行かせてくださいまし』と女リーダーに話をつける。

「母娘で喧嘩している場合じゃないんじゃぞ?」

 何にも役に立ってないくせに正論吐きやがって春画家が!

 早乙女先輩に当たっても仕方ないけど、それぐらいこちらの現場は混乱していた。

 ドアが開けられる。3分待てと言ったじゃねえかよ。キレたら聞く耳がないのは母娘変わらずかよ。



78 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:34:12.56Vqcr7VCy0 (78/86)



 僕と不破さん、早乙女先輩がソフィアに「しーっ」と人差し指を唇の前で立てる。

「今、アンナ会長は移動中です」

「もうすぐ回線が繋がりますから、少し落ち着いてください……!」

 あかん、下ネタ浮かばねえ。繋がるとか華城先輩だったら絶対下ネタに繋げるのに。

 ただ一つ光明があるとすれば、ソフィアとは信念や信条は絶対相容れないが、アンナ先輩のような理不尽さは感じないところだ。圧は娘と変わらないけど、僕が何日アンナ先輩から逃げてきたと思ってるんだよ。

 水音が流れる。

『……聞こえますですの?』

「アンナ、あなた何やってるんです!?」

『叱るなら後で全て。この事件が終わってから、すべての叱責を受けたいと思いますの、お母様』

「…………」

 反抗されたことがなかったのだろうか、いや、アンナ先輩、家出の経験もあるしな。とにかく思ってたより以上に強い口調だったのか、ソフィアが黙り込んだ。

『お母様、そこにいる方々は全員、わたくしが無理矢理に頼んだんですの。だから、叱らないでくださいまし』

 そして、とアンナ先輩が静かに、だけどはっきりと。



『人質を解放したのち、悪を殲滅させてくださいまし。お母様』



「……受け入れられません」

 こればかりは譲れないとばかりに、ソフィアの語気が強くなる。

「危険すぎます」

『リスクは承知の上ですの。何より、もう乗り込んでしまったので』

「アンナ、あなたいつ既成事実を先に作るなんて覚えたんです?」

 う、本気で既成事実作りたいなら妊娠したことにするだろうから、まだアンナ先輩は本気じゃないよねっ。

『色んな人の助けを借りて、ここまで来れましたの』

 お母様、と願う声は、以前のものと同じように思えた。





79 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:34:44.54Vqcr7VCy0 (79/86)




『奥間君のお義母様も最後にはわたくしが乗り込むことを納得してくれましたわ』

 お義母様という言葉が単なるお母様と同じ発音でほんっとうによかった……。

「……さすがにこの状況でアンナひとりを逃がすわけにも……」

 ソフィアだったらやりかねない。まあアンナ先輩が大反対している状態だけど。 

 ぎりぎりと歯噛みする様子はさすがに同情しかけた。

「アンナへの指示は私がします」

『……お母様、それは』

「難しいでしょうね」

 不破さんが割って入る。割礼って言葉が浮かんで不破さんが激怒しそうだとなんとなく思ってしまって、反応が遅れた。

「私情が入りすぎています」

「ですが、あなた達子供に……!」

「病院を占拠しとるのも、アンナが助けたいのも、全員子供じゃぞ」

 BBAはしゃしゃり出るなって言いたいの? 早乙女先輩?

「子供をバカにするとツケが回るのじゃ」

『早乙女先輩ったら』

「…………」

 ソフィアが数舜、黙った。

「アンナ。あなた、変わりましたね」

 アンナ先輩が微笑む気配が聞こえた。

『最近、よく言われますの』

「……後ろで見ています。あなた達が間違った行動をしそうなら、すぐにでも交代しますから。それが大譲歩しての条件です」

 なにこれなんて地獄の参観日?

『そろそろ戻りますわ』

 アンナ先輩の微笑の気配が消える。やり取りはもちろん、華城先輩やゆとりや鼓修理にも聞こえているはずだ。




80 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 17:36:16.63Vqcr7VCy0 (80/86)


本当の本当に今日の更新おしまい!

ソフィアは待ちの時間とかすごく苦手そう。母娘そろって。


81以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/21(金) 18:20:31.271EpWW9VT0 (1/1)

懐かしいなあ
まつらいさん、悲しかったな、、、
もう5年か 下セカ読み直してみるかな


82 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 20:59:49.84Vqcr7VCy0 (81/86)

やっぱり時期外れで需要ないなぁ


83 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 23:25:25.55Vqcr7VCy0 (82/86)



 綾女にとっては正直なところ、ソフィアは邪魔でしかなかった。多分、アンナ以外の全員が同じ気持ちだろう。もしかすると、アンナですらも。

 ただ、娘がこんな危険なことをしていて心配しない親なら、《育成法》の成立やあんな無謀なデモは起こさないだろうとも思う。

 女リーダーはアンナが戻る前に出て行ってしまった。

(また、警察や善導課と交渉かしら?)

 先ほどからやけにおとなしい鼓修理に話を振る。アンナが関わるとフリーズしてしまうのはどうしようもないが、童貞のチ○ポよりも役に立たないままなのは困る。

(ソ、ソフィア・錦ノ宮までも……!)

(ダメなんだぜ、これ)

 ゆとりはとっくにお手上げのようだった。正直、このままだと人質解放の流れになってもアンナと鼓修理だけ残されそうで、非常に辛い。鼓修理も鬼頭慶介の一人娘である前に、《SOX》の一員なのだから。

 鬼頭グループの動きも気になるところだけど、情報はテレビのニュースしかない。いま、事件が発生してから約三時間、14:30とテレビが表示している。

 アンナが戻ってきた。母親が介入してきたことへの動揺は、少なくとも表面上はわからない。

 アンナは鼓修理に女神の微笑をしてみせて、「…………」余計にカチコチになってしまった。

(アンナ、今は無理に笑いかけない方がいいわ)

 アンナなりの気遣いだったのだろうが、特に鼓修理とゆとりには逆効果だ。

(にしても、アンナをお人形とはね)

 月見草の方がよほど人形っぽいというかロボットっぽいと思うのだけど、月見草は自分たちと同じ被害者であって、《育成法》の象徴であるアンナは親の言うことを聞くだけの人形のように思っているのかもしれない。

 アンナは、あれだけストレートに悪意をぶつけられたことは今までにないと思う。妬み嫉みは多少あるだろうけど、アンナ自身の性格がいいから自然と解消されてきた。

 多分、犯人たちにアンナとの面識はないのだろう。あっても非常に表面的か。

(奥間君、リーダーはどういう人なの?)

 せめてプロファイリングができればと思うけど、狸吉の返答は、

『…………』

 無言、だった。その無言に何か嫌なものを感じる。

『あの』

(何でしょうか、奥間君)

『……怒りません?』

(……………………)

 アンナの長い沈黙が続いた。ゆとりも意味がわからないという顔をしている。

(今は事態の解決が先決ですわ)

『…………』

 それでも狸吉の苦悩は続いていた。(奥間君)と自分が呼んで、やっと口を開く。



『…………僕、生まれて初めて告白されたのが、あの人だったんです』



(説明を)

 アンナは怒らない。事態の解決を優先しているのか、正妻の余裕なのか、あるいは何らかのいたぶる嗜虐趣味が刺激されているのか。




84 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 23:26:46.58Vqcr7VCy0 (83/86)



 とりあえずゆとりは黙り込んだし鼓修理は今はエノキよりも役に立たないし。

『ほう、興味深い』

『こんな状況でなければ面白い話なのじゃがのう』

『こんな話をしている場合では……、犯人像を知ることは大事ですが、しかし……!』

 向こうもいろいろとややこしそうだった。

『あの、小学校を卒業するときに、告白されたんです……』

(愛、の告白を?)

 アンナが『愛』を強調する。その不自然さにソフィアは気付いていないようだ。

『は、はい……でも、その時にはもう、僕の中の理想像として、アンナ先輩がいたから……その……』

『断ったのかの? もったいない話じゃの』

 早乙女先輩のバカ発言は置いておくことにする。アンナも笑顔の圧力が普通に戻ったし。

(お母様、奥間君は、)

(あ、あの、ぜ、全部終わってからの方がいいと思うんだぜ!?)

 ゆとりが頑張ってアンナの爆弾発言を封じてくれた。さすがにこの状況で伝えるべきでもないと思ったのか、

(お母様、この事件が終わったら、お話したいことがありますの)

 狸吉の血の引く音が聞こえた気がした。

『わかりました。今は事態の収拾を最優先になさい』

『か、華城先輩』

(何?)

 なぜか気分が悪くて、不機嫌な声になる。生徒会モードだからさほど変わりはしないが。

(はい、お母様)

『か、華城先輩。撫子さん……華城先輩の育ての親のことなんですけど』

 16:00頃に到着すると伝えられる。撫子の仕事や物理的な距離を考えると、飛び切り早く来てくれている方だろう。

(鼓修理、大丈夫? ちょっと、あなたの考えが聞きたいのよ)

(ハ、ハイッス!)

(……鬼頭グループがどう出るかよ)

 アンナとソフィアに聞かせたくないが、避けては通れない話題だった。

『鼓修理さんは鬼頭慶介とやらの一人娘だそうですよ』

 向こうでマッドワカメがソフィアに補足する声がする。狸吉、男なら死なないで股間にテント張りなさい!

『それは……、夫の方が詳しいでしょうね。私自身は数えるほどしか会ったことがないものですから』

 ガサゴソと物音が聞こえる。

『今、ソフィアさんが祠影さんと連絡を取ってくれています』

 大変、狸吉が悟りに入ってしまっているわ!

『…………出ませんね』

(多分パパと調整中なんっスよ)

 自分だけに聞こえるように耳打ちで返してきた。ゆとりに聞こえる声で話すとアンナにも聞こえるものね。

『リーダーが人質の部屋に戻ってきます』

 こんな時でもマッドワカメはマグロのごとき声色だった。





85 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 23:28:17.99Vqcr7VCy0 (84/86)


「はあい、元気にしてた? マイダーリン&マイハニー♪」

『奥間主任に繋いでください、ソフィア・錦ノ宮と伝えれば優先して繋がります』

 夫に繋がらないとわかったら更年期の夫婦よりたやすく離縁するかのごとく、そして再婚相手を見つける一昔前のDQNとやらのごとき速さで狸吉の母親に繋ぐソフィアの働きは、なるほど、子供じゃ無理かもしれないと少しだけ、少しだけそう思った。

「アンナちゃん、朗報よ」

「なんでしょう?」

「私たちの海外逃亡先が決定したわ」

『はあ!?』

 ソフィアの金切り声がびくっとさせる。それでピンときた。

「――最初からそれが目的だったわけ?」

 最初に無茶苦茶な大きな交渉をして、次に本命の交渉をするのは交渉術の基本だ。 

「《SOX》は囮ってワケ?」

「ま、そうかなー。時岡学園の生徒会にとってはいいことでしょ?」

「……どういうことですの?」

「だってさー、結構な間《SOX》に苦しめられてきたんでしょ? 喜ばないワケ?」

「…………」

 知識がないアンナには判断できないはずだった。ただこれが善意からくるものでもないのは今までの態度からわかるはずだった。

「確かに、《SOX》は壊滅的なダメージを負うでしょうね」

「綾女さん……?」

「そんなに……奥間君のことが好きだった?」

「…………」

 女リーダーの顔が、はじめて強張る。

「そうよねえ、綺麗で健全なものに憧れた奥間君なら、《SOX》の撲滅を願うはずですものねえ?

 ――くだらない。フラれてみじめに引きずって挙句にここまでのことをしておいて、その理由が単なる置き土産? 感謝されるわけもないのに」

 …………、何故か、すべてが自分に跳ね返ってくる気がする。言葉が、処女膜喪失のように痛い。

 アンナやソフィアがいるから下ネタが言えないのが辛い。下ネタが言えたら、もっと罵声を浴びせられたのに。

「奥間君は確かに喜ばないでしょうね」

 アンナが続く。

「少なくともあなたには、信じるに足る『愛と正義』がありませんわ」

 女リーダーは、黙っていた。そして。

「……気持ち悪い」





86 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 23:29:25.77Vqcr7VCy0 (85/86)



 吐き捨てる。この世に対する恨みつらみ全ての呪詛を、


「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!」

 今までの余裕はどこにいったのか、全身から寒気がするのを掻き抱くかのように叫ぶ。


「!!」


「アンナ!!」

 銃口が、アンナに向けられた。



「じゃあそもそも綺麗に生まれなかった人間はどうすればいい!?」



 絶叫が、部屋を切り裂くかのようだった。自分もきっとゆとりも、狸吉も、何も言えない。

 知っているから。自分がそうだから。

「奥間君は、綺麗に健全に生きてきましたわよ?」

 アンナには、わからない世界がある。どうしたって、持つ者と持たざる者の違いがある。

 だからアンナが何を言っても、傲慢にしかならない。

「大切なのはどう生きたか、ですわ」

「~~~~!!」

『アンナ先輩、挑発は控えて!!』

『アンナ、それ以上はいけません!!』

 愛しい人と母の言葉が重なって、アンナは黙る。

 だけど相手の憎悪は、消えなかった。

「どうせなら、ね」

 女リーダーは憎悪に笑う。

 それはどこか、あの夜の空気を軋ませたアンナの笑みに通じていた。

「海外逃げるしさ、まああたしは人質として以上には興味ないけど、アンナちゃんに興味ある子いるんだよね。紹介してあげよっか?」

 トランシーバーで誰かを呼ぶ。すぐに来た。

「あの……?」

「象徴を壊そうと思うの」

 呼ばれた、少年と言っていい年齢の男は戸惑っている。

「アンナちゃんのこと憧れなんだよね? あんたも」

「は、はい」

「……もうすぐ日本離れるし、もうチャンスはないよ?」

「あの……?」

「だからさ、……“初めて”を奪っちゃえ」

 バン、とアンナの頬をグリップで殴る。


「アンナ!!」

「アンナ様!!」
 
『アンナ先輩!!』

『アンナ!!』


 アンナの小型スピーカーであるイヤリングが、衝撃で落ちた。



87 ◆86inwKqtElvs2020/08/21(金) 23:31:59.63Vqcr7VCy0 (86/86)

ちょっと眠って復活したので書きました。

なつかしいな。初めましての方がほとんどだろうけども。

供養になってるかなあ。


88以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/21(金) 23:40:19.20RZMdcuon0 (1/1)

懐かしいな!

>>1の作品は長いから時間かかるんだよww 前回のこと知ってたから既出は流し読みしてたのにめちゃくちゃ時間かかるんだ
少し様子見てやれw
アンナ先輩、ピンチだー


89 ◆86inwKqtElvs2020/08/22(土) 00:32:02.930PXq1D3C0 (1/1)

ちらほらいてくれて有難いです!
ずっと心残りの作品だったので。5年越しですが、なんとか書けるようになったので。少しずつ書いていきます、よろしくお願いします!


90 ◆86inwKqtElvs2020/08/22(土) 15:59:36.62NpPMZ1Ux0 (1/4)



 痛みはほとんど感じていない。うまく衝撃を殺したから、少し赤くなる程度で済むはずだ。

 ただ、イヤリングで向こうの声が聞こえなくなったことの方が辛い。

「え、でも……」

「今更好かれること考えてるわけ?」

「アンナ! お願い、逃げ」

「は?」

 銃口が綾女の方に向けられる。

「綾女さん……わたくしは大丈夫ですわ」

「違う、違うの」

「……?」

 見るとゆとりも鼓修理も目を伏せている。周りを見れば、月見草も判断に困っていて、人質の大人たちも痛ましげにこちらを見ている。

 犯人たちの会話の意味が分からないのは、自分だけのようだった。



「やっちゃいなよ、いいからさ」



 ただ、リーダーの悪意に少年の純粋な心が巻き込まれようとしているのはわかった。

「……何をするつもりなんですの?」

「痛くないよー? 気持ちいいこと」

 少年は迷っていたが、無理に笑顔を作っているのがわかって、倫理がかすかに優しくしなければならないと思ってしまった。

「……どうしたんですの」

「本当は、望んじゃいけなかったことなんです。だけど……僕、あなたに憧れていたのは、本当で」

 生徒会に入った直後の奥間君をどこか思い出させた。だから、それもあって、わずかに気が緩んだのかもしれない。

「だから、だから――!!」


 ――唇と唇が、重ねられた。


「?」

 最初、その行為の意味がわからなかった。

 アンナ様やアンナといった声が遠くから聞こえる。

 舌が入り込んでくる。愛しい奥間君との唇の重ね合わせとは全く違う。


 ただただ、気持ち悪い。

 少年は興奮してきたのか、自分の胸部をまさぐろうとする。

 それにも、不快感だけがある。

 ――穢されていく。

「アンナ!!」





91 ◆86inwKqtElvs2020/08/22(土) 16:00:21.57NpPMZ1Ux0 (2/4)



 ぶつん、と音がし、バァン!と爆発音。手錠をいつの間にか引きちぎり、少年を膝蹴りで壁に叩きつけた音に、アンナ以外の全員が呆然とする。

 ぷっと、唇をかみ切った際の罪人の血を吐き出す。



「ふ、ふひひひ、よくも、よくも、わたくしの愛を穢しましたわね?」



 足りない。足りない。足りない。足りない。
 
 命を刈り取らなければ、いやその前にあらゆる苦痛を与えておかなければならない。

 そうして、禊を済ませなければ。

「ああ、あは、あの方は何もしなくても愛してくださるでしょうけど、わたくしがそれでは納得できないので……」

「動くな」

 銃口がこちらに向けられる。その危険性も、今は衝動の解放へのスパイスとしてしか感じられない。

 ――見てわかる。女リーダーの目には余裕がない。だけど、折れてもいない。

 《雪原の青》のようだと思った。ならば、――嫐り甲斐がある。

「アンナ、気持ちはわかるわ! でも、落ち着いて、お願い!」

「何を仰っていますの、綾女さん?」

 本気で不可解だった。

「この者はわたくしの愛を、最大級の侮辱で穢しましたのよ? その者に罰を与えること以上に優先されることなど、今この場であるはずがありませんわ」

「まあまあまあ」

 女リーダーが嗤ってみせた。先ほどよりも余裕のない笑みだが、このアンナ・錦ノ宮を前にして、銃口を向けてむやみに撃たないというのもなかなかの胆力だとアンナは分析した。部屋にいた二人とドアの外から覗く一人は恐怖で動けなくなっている。

「あんたがキレるのはさー、当然ってか。それが目的だったわけだしねえ?」

 銃口は、外れない。だけど今の自分ならこめかみに銃口が当てられていようと、指の動きを察知して避けるぐらいのことは出来る自信がある。

「まあこんな化け物だと知ってたら、さすがに挑発なんてしてなかったけど」

「ぺらぺらとよく喋りますこと」

「でもそれ以上その子に手を出すのは止めてくれる? 一応あたしが煽った形だし、責任はあたしにあるってことで」

「できませんわね。彼はいわば実行犯――わたくしの愛を穢した、最大の罪人。もちろん、あなたにも最大級の罰を与えますけど、今は優先して、この方に罰を与えたいんですの」

「それ以上その子を傷つけるようなら、あたしは撃つ」

 微笑が深まってしまう。撃つ隙を狙ってリーダーの武器を奪えれば、戦力低下になるだろう。

 背面の、自分を穢した罪人に背中越しに肘を入れる。「ぐはっ!」骨の二、三本は折れる音に、かつての昂揚を思い出す。罪人の苦痛の顔。

「これ、これ、これが感じたかったんですの!!」

 プシュ

「危ないですわねぇ、後ろにお仲間もいらっしゃるのに」




92 ◆86inwKqtElvs2020/08/22(土) 16:01:02.42NpPMZ1Ux0 (3/4)



 エアガンの発射も、最小限の動きで避ける。プシュ、もう一射来たがそれも避け、リーダーの手首ごと蹴り飛ばす。骨にひびの入る音が聞こえたけどそれすら心地いい。

「ぐっ!!」

 そして跳ね上がった手首を掴み、ひねり、組み伏せる。《雪原の青》を追い詰めたときの興奮を思い出す。あの時は確か、

「が、あああ!!」

 肩を外した。《雪原の青》に行ったものよりもさらに痛みが残り、後遺症も残るように。悲鳴は《雪原の青》より濁っていて、それがより心地よかった。

「捕まえましたわ」

 一瞬の攻防で、武道に長けている人間でないと何が起きたかわからないだろう。リーダーが捕まったのならば、他の連中は有象無象に過ぎない。

 さて、と。このまま警察に引き渡してやってもいい。だけどそれでは、愛の罰は与えられない。警察や善導課も邪魔だった。もう少し、この治外法権の場を保つ必要がある。

「?」

 全員の空気が、重い。なぜだろう。悪が成敗されている最中だというのに。まあいい。今は愛の罰を与えることが最優先なのだから。

「月見草さん、リーダーの拘束をお願いしますわ」

 とりあえず拘束は必要と判断して、月見草に目を向ける――

「月見草さん、月見草! しっかりしなさい!」

 親友の声が、ようやく、ようやく飛び込んでくる。

「――――え?」



 ――月見草朧は、お腹から出血していた。



 自分が避けた流れ弾に当たったのだと、いや、きっと流れ弾に当たりそうだった人質をかばったのだと、気付いたのは数秒経ってからだった。




93 ◆86inwKqtElvs2020/08/22(土) 16:03:10.90NpPMZ1Ux0 (4/4)


あー、決定的な出来事が、ようやく起きてしまいました。

……読んでる方いたら何か一言コメントいただければ幸いです。すみません。元が古い作品だからいなくても仕方ないとは思うのですが。



94以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/23(日) 21:29:06.36d1fNCaQP0 (1/1)

まあ人がいないのは気にすんな

月見草……


95 ◆86inwKqtElvs2020/08/24(月) 00:19:43.12fGZCoRn70 (1/1)

ありがとうございます。すみません、弱音を吐いてしまって。
今日は時間がなくてかけなかったのですが、続きは書いていきますのでよろしくお願いいたします。


96以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/24(月) 02:07:42.35LJKSz16M0 (1/1)

面白いから自分は好きなんだけど、長いんだよ()
原作や前作読んでないといけないし、ハードル高いんだから人少ないのは仕方ないんだ


97 ◆86inwKqtElvs2020/08/25(火) 12:52:22.805f0AkIbs0 (1/4)

すみません、ありがとうございます。
まあ仕方ないですよね。面白いと言ってくれてうれしいです、頑張ります。


98 ◆86inwKqtElvs2020/08/25(火) 17:59:04.875f0AkIbs0 (2/4)



「アンナ、あなたいったい……?」

 アンナ先輩のあまりの獣性に、それまで触れてこなかったであろうソフィアは、自分たちの中でもより呆然としていた。

「イヤリングの回収はできそうですか?」

 不破さんがこの状況でも無表情に指示を出す。このままではアンナ先輩に声を届けることができない。華城先輩、ゆとり、鼓修理が探す。

『あったっス!』

『アンナ……!』

 華城先輩が呼びかけるけど、アンナ先輩は何を思っているのか、返事がない。

 くそっ、なんでアンナ先輩は最初に抵抗しなかったんだよ!?

「……最低限の知識もないから、相手が何をするつもりなのかわからなかったのでしょう」

 不破さんは淡々としているが、どこか痛ましげにも見えるのは気のせいだろうか。

 きっと月見草に頼んだこともよくなかった。「自分の身は自分で守れる」と言い切ったアンナ先輩を、「人質を最優先に」という至上命題を、月見草は無視することができなかった。

『……さて、と……どいてくれる? アンナちゃん。……側近が怪我してるでしょ?』

 力ない女リーダーの言葉にも、アンナ先輩は反応しない。それどころか、

『ぐ!?』

 さらに力を込め、ねじり上げる。

『……死にたくなければ、人質の解放をお願いしますわ』

『全員、ってわけには、いかないかなあ?』

 こいつ、よくもまあこの状態のアンナ先輩に対して、交渉しようなんて思うよな! 殺すというのは嘘じゃないぞ!

『そうですわね。それではとりあえず、怪我人である月見草さんと綾女さんの解放をお願いしますわ』

『あなたが、その手を、放してくれたらね』

『…………』

 アンナ先輩は憎悪と嫌悪と殺意の視線で相手を射殺そうとしているかのようだ。それが魚眼レンズ越しにでも伝わる。

「まず、アンナと会話ができるようにしなさい」

 ソフィアが口を挟んできた。ソフィアは思ったより冷静で、おそらくアンナ先輩の暴走を止められそうな人物であるソフィアがここにいたのは僥倖かもしれない。ソフィアなら言葉で無理矢理に押し通せる。

 一瞬、不破さんは悩んだが、僕ではアンナ先輩を説得できないと判断したようだった。

「……わかりました。副会長、鼓修理さん、ゆとりさん、なんとかイヤリングをアンナ会長に着けてください」

『アンナ、お願い、月見草さんが危ないの。……離れて』

 華城先輩が懇願すると、ようやくアンナ先輩は離れた。月見草のことが心配ではあるんだろう。

 月見草の負傷を、アンナ先輩はどのように感じているのか、全く想像つかないのが、怖かったけど。

 犯人たちの一人が女リーダーを介抱しに小走りで、アンナ先輩を刺激しないように壁を背にしながら近づいてくる。

 アンナ先輩は先ほどと同じ位置に座る。鼓修理から華城先輩にわたったイヤリングが、アンナ先輩に渡される。




99 ◆86inwKqtElvs2020/08/25(火) 18:00:14.765f0AkIbs0 (3/4)



『華城綾女と月見草朧の解放とあの子の治療を交渉しに行く。まあすぐに終わるでしょ』

『でもリーダー、その怪我は』

『あたしは左肩から下だけだから。アンタ、華城綾女の主治医でしょ? 整形外科医なら一応、診れるわよね? ……先にそっちの子をお願い』

 部下が外科医の手錠を外している間に、アンナ先輩はイヤリングを堂々と着けていく。見た目はイヤリングだし、小型スピーカーであることはわからないだろうけど、そういうことに気配りする余裕がないようにも見えた。

『……奥間君』

「アンナ先輩……」

「アンナ、よく聞きなさい」

 ソフィアの硬い声に、全員の注目が集まる。



「あなたは何も間違っていません。だから、落ち着きなさい」



「……あなた、何を言っているんです?」

 僕の思わず言った一言にも、ソフィアは意に介することはなかった。

「あなたのしたことは正当防衛です。月見草とやらかしたのは、任務に基づいてのこと。あなたに非はないのです。だから落ち着きなさい」

『……………………』

 アンナ先輩が周りを見ず、結果月見草が負傷したのは事実としてソフィアの目に映っているはずだ。

 この人は何を言っているんだ?

『わかりましたわ、お母様』

 アンナ先輩の声には、慈愛も殺気も、どちらの面もなかった。

 不破さんも言いたいことがあったのだろう、こちらの音をミュートにして問いかける。

「全く非がないというのは間違っているのでは?」

「今のアンナに必要なのは反省ではありません。そんなものは後でできます。今必要なのは、事態を打破する突破力です。後悔でそれが鈍っては、解決できるものも解決できません」

「でも、アンナ先輩は、間違ったんですよ!?」

 こんな言葉、言いたくなかった。だけど言うしかない。

「そうやって、アンナ先輩に正しいことだけを詰め込む気なんですか?」

「アンナは、唇を穢されたんですよ!?」

 唐突に感情が爆発し、僕達は動けなくなる。

「アンナだって怒りを覚えて当然です!!」

「…………」

 気付いていない。穢された、その意味が母娘で食い違っていることに、気付いていない。

 表面的には合っているかもしれない。だけど、ソフィアとアンナ先輩の知識量には差がありすぎる。

 決定的に、間違っていた。




100 ◆86inwKqtElvs2020/08/25(火) 18:01:11.685f0AkIbs0 (4/4)

とりあえず、今日の文を。知識は財産ってわかんだね、エロ知識でも


101 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 02:16:51.78/PykkNkX0 (1/9)



「月見草の具合はどうなんじゃろな」

 話を逸らすように、早乙女先輩が口を開く。早乙女先輩にしては珍しくファインプレーだ。

「今、交渉しているようですね」

 女リーダーが別の部屋に入る。先ほどから拠点としている部屋だ。

「アンナ先輩は?」

「アンナ会長、聞こえていたら咳を一回お願いします」

『ケホ』

 不破さんはもう一度ミュートにすると、

「奥間さん、ソフィアさん。出て行ってもらえますか?」

「え?」

「何を言っているのです!?」

「こちらの方で意見が割れているようでは、話になりません。向こうも混乱を招き、決定的な事態をさらに招きかねないので」

 淡々と、無表情に言われてはソフィアも激昂の隙間がないようだ。

「なら善導課に行って、月見草の様子を教えてもらいに行けばどうじゃ?」

「……わかりました。あなた達の能力はアンナが見込んだだけはあって高いようです。月見草の容態もアンナにとっては気がかりでしょう。爛子さんのところに行きますよ」

 有無を言わせない口調は娘をより高圧的にしたようなものだったけど、ソフィアなりにショックも大きかったらしく、苛立たし気に睨まれた。なにこれ僕のせい? ってかこの状況で母さんに会いに行くのも正直嫌なんだけど、月見草のことが心配なのもそうだし、もし無事なら早くアンナ先輩に伝えて安心させてあげたい。

 作戦本部に向かうと、事態は酒池肉林のごとくてんやわんやだった。酒池肉林の肉林って食べる肉じゃなくて性の肉の方だよね、やっぱり。

「何故貴様たちがここにいる?」

 母さん、ソフィア相手にも貴様呼びかよ。ぶれねえな、ほんと。

「アンナの様子は!?」

「月見草と連絡が取れない以上、わからんな」

 それでも一応は親友らしく、母さんは善導課職員ではなく母親として質問に答えた。ソフィアと僕にしかわからないだろうけど、わずかに声音が違う。

「月見草は!?」

「回収の最中だ。向こうもアンナの攻撃で重傷者が出ているからな、治療を求められている」

「アンナ先輩の解放は、……難しい、か」

「狸吉には関係ないと言いたいが、そうだな。鬼頭慶介という人物も一人娘のために、鬼頭グループ総出でヘリと船を用意済みだ。錦ノ宮祠影を筆頭に政治家も動いている。海外に渡れるようにな。人質に有効なのは政治家本人ではなく、その身内だからな」

 だから政治家が優先して解放されていたのか。あの女リーダーはそこまで考えかねない。ぶち切れたアンナ先輩相手にあそこまで悪意を向けて、交渉までしようとしたのだから。

 ソフィアはアンナ先輩のことだけが気になるのか、何も言わないでぎりぎりと歯ぎしりしている。感情のぶつけどころが今はないんだろう。ゴムの中に出た精液のぶつけどころのように、今はどこにぶつけても意味がない。

「母さん。……ちょっと」

 ちら、とソフィアを見る。無視されると思いきや、「ソフィア、貴様はそこに残っておけ」とつっけんどんにバスの外に放置プレイだ。

「ソフィアがいれば言いにくい話もあるだろうからな。下らない話なら叩き出すぞ」

「……アンナ先輩がやったことだけど」

「祠影とソフィアが正当防衛に収めるだろうな。映像に残っている以上、相当に優秀な弁護士でも難しいだろうが」

 卑猥なことをされそうになったから相手を壁に叩きつけた、ここまでは仕方がない。というか、僕でも金玉ねじ切られて死ねと思う。

 法律は風紀委員以上に杓子定規だ。壁に叩きつけた無抵抗の相手にさらに肘を入れ、おそらくは肋骨の二、三本は負ったのは、過剰防衛か、下手すれば傷害罪になる。アンナ先輩が柔道の有段者ということも悪い方に働き、経歴に傷がつく可能性も低くはない。

 だけど、そんなことは後で母さんの言うとおり、祠影とソフィアがなんとかするだろう。

「母さんは、アンナ先輩がやったこと、どう思う?」

「当然のことだろう」

 まあ、母さんみたいな肉体派はそうだよね。知ってた。そもそもちょっとした下ネタすら嫌悪を通り越して憎悪しているのに、アンナ先輩がされたことを考えると当たり前の反応だ。

 だけど母さんもソフィアも、アンナ先輩の不安定さを知らない。

 変わっていっている。アンナ先輩を見てほとんどの人がみんなそう言っている。そして変化の最中というのは、不安定だ。




102 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 03:20:23.02/PykkNkX0 (2/9)


「母さん」

 ごめん、不破さんや早乙女先輩には事後承諾になるけど。婚姻届けは事後承諾良くないって聞くけどアンナ先輩ならありうるな。

「僕が人質になるわけにはいかない?」

「無理だな、貴様には人質としての価値がない」

 母親の情など一片もなく善導課として言い切った。ねえ、僕らって親子だよね?

「このまま海外に逃がすの?」

「何故知っている?」

 ああしまった、墓穴掘った! アナル処女に三連パール並みの墓穴!!

 誤魔化せるはずも黙り通せるはずもなく、僕は母さんにアンナ先輩とやっていることを話した。

 ガゴン!!

「貴様はぁぁぁ!! アンナになんてことを吹き込んだ!!?」

「アンナがどうかしたのです!?」

 ああ、ソフィアまで入ってきた。アンナ先輩の名前が出てきたからだろうな。善導課職員がポンポン投げ飛ばされている。

「ソ、ソフィアさん、説明してください、アンナ先輩と連絡ができる状態にあることを、げふ」

「ああそのことですか」

「貴様、知っていたのか!?」

「私に無断でアンナを人質にした貴女に言われる筋合いはありません!!」

「安全には最善を尽くしていたのだ!!」

「ストップストップストップ!! 今はもうそんな段階過ぎてるんですって!! お願い、話聞いて!!」

「奥間主任、そのぉ……」

 善導課職員がこの状況で頑張って報告に来た。僕なら裸足どころか全裸で逃げてる。

「月見草がエレベーターを通じて降りてきます。治療は……他の病院で行うのが賢明だと」

「そんなに悪いんですか!?」

 母さんにエビぞり固めを決められながら叫ぶ僕に「見てはいけないものを見てしまった自分も殺られる!」感を出した職員は、僕の問いに答えていいか迷っていた。

「報告しろ」

「は! 早く治療を受けないと危険な状態だとのことです。ですがこの病院での治療にはリスクが高すぎます」

 報告の間に僕へのエビぞり固めは外れたけど、心は晴れなかった。

「月見草……」

 月見草の負傷を、アンナ先輩がどう思っているのか。

 変わりつつあるアンナ先輩の思考は、全く読めなかった。




103 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 04:32:35.89/PykkNkX0 (3/9)



「アンナ会長の様子はどうですか?」

 氷菓はアンナ会長の接続だけをオフにし、他三人に問いかけるが、具体的な返答はなかったにせよ芳しいものではなかった。

「アンナ会長が冷静であったなら、防げたかもしれませんが」

「いやあ、それは無理じゃの。アンナの本質はその激情にあるからの」

 しかしこのままでは何も始まらない。アンナ会長への通信を再開する。

「アンナ会長、聞こえていたら咳を一度お願いします」

 こほ、と一度咳が聞こえた。通信自体には問題なさそうだが、さて。

 ソフィアの言葉に嫌悪感を覚えた奥間の気持ちはわかる。間違いを一切なかったことにしてしまうソフィアの言葉は、間違っている。それでも奥間には悪いが、氷菓はどちらかと言えばソフィアよりの意見だった。後悔は文字通り後ですればいい。今は事態の解決が最優先で、起きてしまったことについて考えるのは後でいい。

 ただ、ソフィアはアンナの獣性に気付いていない。性知識が一切なく、それでいて性衝動を覚え、さらに倫理は人一倍ありながら破壊衝動にも酔う様子は、矛盾としか言いようがなく、矛盾というのは不安定さを孕んでいる。

『奥間君は、どうしましたの……?』

 小声で問いかける言葉には、氷菓でも理解できない。しかし何かが含まれていた。

「善導課に情報を求めに行っています。……月見草さんがどうなるのかを確かめに」

『アンナ……』

 何かを問いかけたそうな副会長の声が聞こえるが、周りは騒然としていて誰も咎める様子はなかった。

 月見草は動かない。モニターを拡大してみる分には、僅かに身じろぎしていて生きてはいるようだが、重症だろう。

『アンナ、様……』

『喋らないでくださいまし』

 アンナ会長の遮るような声も聞こえていないのか、『守れ、なくて、申し訳、ございません……』魚眼レンズのモニター拡大という荒い画像ではあったが、それでも月見草が糸の切れた人形のように崩れ落ちるのがわかる。

『月見草さん――!?』

『すまねえ、ちょっとどいてくれ……息はある。出血も脈に合ってるから、心臓も動いているぜ』

(まずい展開ですね、これは)

『先生? 月見草さんの方を診てくださいまし』

 びくん!とアンナ会長の化け物じみた獣性を見てしまった医者はアンナ会長の言葉に文字通り跳ね上がる。氷菓の分析では、生徒会長としての聖女の声だったのだが、アンナ会長は本心を隠しているのか、わかりかねているのか。

 そう思考している間にも、『リーダーに直接治療を頼まれている以上、逆らえばどうなるかわからない』などということを医者が言い出した。

 だが医者にも良心はあったのか、『ナースステーションからありったけのガーゼを持ってくるよう頼んでくれ、あなたは圧迫止血を頼む。道具がない以上それしかできない』アンナ会長に治療をやらせるつもりらしい。

『聞きましたわね? ガーゼを持ってきてくださいまし』

 犯人の一人がトランシーバーで確認した後、ガーゼと、それとキャスター付きの担架も運ばれてきた。


『リーダーの判断により、華城綾女、月見草朧、2名を解放する。医師と看護師3名は二階下の手術室に行き、こいつを治療してもらう。そのあと、リーダーの応急処置をしたのち、解放してやる』


 戦力の低下により、人質が多すぎて把握しきれないと判断したのだろう。氷菓から見ても適切な判断だった。

 窓から外を見ると、救急車が二台、出ていこうとする。もう一台は副会長のものだろう。

 だが、救急車が一台止まった。


「大丈夫、大丈夫ですから!!」


「あれは綾女かの?」

「そのようです」

 眼鏡をかけていない副会長が救急隊員の言葉をはねのけて、殆ど飛び降りようとしている。

「副会長、聞こえますか? そうです、その黒いワゴン車です。こちらに向かってきてください」

『わかったわ』

 人質が実質5名減って、残り10人。

 だが事態が好転したとは、どうしても思えなかった。




104 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 04:34:38.32/PykkNkX0 (4/9)


今日の分、おしまい!
籠城事件を書くの、難しいです……。


105 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 06:26:06.01/PykkNkX0 (5/9)


 病院着のまま、救急車を転がるように出る。実際、あとは安静にするだけで治療は特に必要ない。

 それよりこの事件の行く末の方が問題だった。

 ワゴン車の扉を開ける。いたのは不破氷菓と早乙女先輩の二人だった。

「たぬ……、奥間君とソフィアさんは?」

「善導課の方に。アンナ会長に対する言葉に、奥間さんが怒ってしまったので、こちらの指揮が混乱してはいけないと善導課に行かせて頭を冷やしに行ってもらいました」

 アンナは間違っていないと半ば洗脳のように言い聞かせていた、あの言葉。

 一見正しくて、しかし正しさしかない、アンナの気持ちを無視した言葉。

 アンナの、月見草に対するあらゆる思いを、無視した言葉。

「まあ怒ったというには、情けない声でしたが」

「相手がソフィアだしね」

 ソフィアに敬称を付けるのは止めた。眼鏡をかけていないというのもあって、生徒会モードに移行できない。

 新しいPMはもう装着させられていて、禁止単語はタイマーなしには言えないのだけど、そもそも不破氷菓がいる前では言えない。

(下ネタ言いたい)

 それどころではないけど、それが自分のアイデンティティなのだから仕方なかった。

 車の扉が開いた。

「華城先輩!? 大丈夫ですか!?」

「たぬ、奥間君、ソフィアさんと……」

「奥間爛子。善導課の主任をしている」

(《鋼鉄の鬼女》が来るなんて聞いてない!)

(そもそもソフィアが来るって時点でいろいろおかしくなってるんですよ!)

「ななな、何の用じゃの?」




「今からアンナ・錦ノ宮、濡衣ゆとり、そして鬼頭鼓修理の3名に対する指示は我々善導課が行う」




 マッドワカメがちら、とこちらを向いた。判断は任せる、ということなのだろう。

『ケホケホ』

 二回、咳が続いた。アンナだった。

 ちぎれた手錠はそのままに、アンナだけが自由に動ける状態だった。

 辛うじて、指示の仕方は覚えているようだけど、今のアンナは……、

 アンナが安全に話せる場所まで行くことは、相手も混乱している以上簡単なようで、すぐに血の付いた手を洗う目的で女子トイレに向かっている。経血が来たときはびっくりしたわ……。

「私は、反対です」

 下ネタを挟まない交渉術は自信がないけど、やるしかないのだ。据え膳食わぬはマンホール、あれ? 何か間違ってる?




106 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 06:26:56.99/PykkNkX0 (6/9)


「せめて交渉の同席を求めます」

「華城先輩の意見に賛成です」

 狸吉が賛成してくれた。

「母さんたちを信用しないってわけじゃないよ。でも……」

「なんだ、さっさと言え」

「この映像じゃ、わからないでしょうね」

 魚眼レンズ越しには、何もかもが歪んで見える。

「アンナはひどく、その、混乱しています」

 混乱というよりは、あれは――

『奥間主任。お母様』

 アンナの声はひどく冷静で、微笑の気配すら伝わってくる。



『わたくし一人に任せてくださいまし』



 あの夜の、女王のような気配を纏った、絶対的に服従を誓わされそうな、“あの”声色だった。

「何を言っているのです! 危険すぎます!」

 この期に及んで娘の本質に気付いていない母親は、至極当然のことを言う。

「アンナ、君はいったい何を考えている?」

 《鋼鉄の鬼女》は様子がおかしいことに気付いたのか、童貞が考える生おっぱい画像のごとく抽象的な質問を投げかける。

『殲滅、ですわ。敵、すべての殲滅をしたいんですの』

 狸吉とマッドワカメ、そして早乙女先輩と視線を合わせる。

 アンナは人質の安全を考えていない。ことによると、自分の命すらも。

 《鋼鉄の鬼女》はうすうす気付きかけているかもしれないけど、アンナの本質を理解していない、変化の本質を理解していない大人に、今のアンナの操縦ができるとは思えない。

「アンナ先輩」

『奥間君……?』

「……少し、待ってもらえますか?」

『奥間君が言うなら、わかりましたわ。《正当防衛》以外では、わたくしからは手を出しませんので……ふふ』

 微笑に不吉さを残し、「アンナ!?」ソフィアが金切り声を挙げるが、アンナはマグロのごとき総スルーを決め込むことに決めたらしく、返事をしない。

 アンナは多分、狸吉から以外の指示はもう、受け付けなくなっている。

「濡衣ゆとり、鬼頭鼓修理。善導課の指示を聞く気があれば咳を一度しろ」

『ごほ』

『げふん』

「ここの設備は善導課が預からせてもらう。いいな?」

 《鋼鉄の鬼女》に逆らえるはずもなく、全員はいと頷くしかできなかった。ヤダ、私も調教済みなの!?




107 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 06:27:30.13/PykkNkX0 (7/9)


「ソフィアも、これ以上は捜査に口を出さないでもらいたい。今までが特例だ」

「…………」

 ソフィアも《鋼鉄の鬼女》モードとなった親友には何を言っても無駄なのがわかるらしい。

「私は夫と相談してきます」

「そうしろ。公海に出られたら厄介だ」

 公海――船か飛行機か。海外逃亡なら当然どちらかだろう。

「不破氷菓、ここの設備を善導課に渡して。私たちはいったん出ましょう」

「わたしは構いませんが」

「わ、わしもじゃ」

「僕は、」

「奥間君、行くわよ」

 車を善導課に渡したあと、不破氷菓に、

「これからどうするのですか?」

 訊ねられる。

「不破氷菓、あのモニターは見る手段はある?」

「そういうと思って、モニターに限らず基地局の予備は喫茶店にも置いてありますよ。距離があるから若干不安定ですが」

「そうじゃったのか!?」

「となると、あとはどうすればいいか、ね」

 それがあの夜の狸吉のように、空っぽだったのだけれど。

「失礼なこと考えてんじゃねえよ!」

「あら、私がナニを考えていたって?」

「あんたの考えることなんか一つしかねえだろ!」

「ま、冗談はここまでにして……、その」

「……すみません、華城先輩。その……、アンナ先輩を、ゆとりや鼓修理を助けましょう」

「問題はどうやって、じゃな」

 繰り返される『どうやって』に、頭が回転してくれない。

 衝動に笑うアンナを、これ以上見たくはないのに。




108 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 06:28:06.87/PykkNkX0 (8/9)


もう少しだけ書いてみた。華城先輩が加わったよ、やったね!


109 ◆86inwKqtElvs2020/08/28(金) 07:02:58.46/PykkNkX0 (9/9)

やっぱり読んでる人いないかなあ……


110 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 12:34:31.21gTDkXCSm0 (1/12)



 アンナは自分の判断力を過大評価も過小評価もしていなかった。今の自分には正常な判断力がないということも理解していた。

 だから、愛する人の指示に従っている。ただ、本音は一つだった。


 ――全員、殺したい。


 あのリーダーの女も自分を穢した少年も、このテロリスト全員を、そして、月見草の負傷を許してしまった自分自身も。

 愛する人は『待て』と言った。だから待とう。

 お義母様も、そして実のお母様の言葉も、愛する人の言葉の前では霞んでしまう。そんな自分に、何の疑問も思わなかった。

 お腹の中に“熱”が溜まっていく。愛と破壊、二つの衝動が、自分の中で矛盾なく両立していく。それを解放したくて仕方ない。 

 今のアンナに、罰を与えること以外の目的は存在しない。

(でも、奥間君は望まない)

 だけどこの“熱”は、そう遠くないうちに自分自身を焼き尽くすことがわかってしまったから。我慢なんて絶対できないから。

 だから愛する人にとって、自分はきっと間違った判断をしてしまうだろう。

 でも大丈夫。

 愛しい人は、自分が間違っても、受け入れてくれるのだから。

 再会したら、たっぷり愛し合おう。お腹の中の“熱”を、彼の逞しいモノで掻き混ぜてもらえれば、どれだけ幸福になれるだろう。

 それを思って、アンナは微笑する。

 その瞳には、敵意と悪意と殺気と、そして欲情しかなかった。


    *


(ひぃ……!)

 鼓修理が声にならない悲鳴を上げている。空気が軋むほどのオーラに、ゆとりは既視感を覚えていた。

 あの夜、衝動に身を任せたまま《雪原の青》を傷つける様を間近に見ていた。そんなゆとりとしては、もっと悲鳴を上げたいが、今の化け物女を刺激すると怖すぎたので必死に我慢する。

(お二人は)

 と思ったら話しかけてきやがった!

(悪の殲滅にご協力願えますか?)

(はいッス!!)

(……いや、その、なんだ。どうすればいいんだぜ? 下手に動けば怪我人どころか死人が出かねえぜ)

(そうですわねぇ)

 その呑気な反応にピンときた。多分、この化け物女は死人が出ようが構いやしないと思っている。

(月見草のことが、心配じゃないのか?)

(わたくしにできる範囲を超えましたから、あとはお任せするのみですわ)

 ペロリ、と小さく舌なめずりをすると、

(わたくしにできるのは、悪全ての殲滅のみですわ。疼いて疼いて仕方がないんですの)

 人の血の味を覚えた獣。

 今の化け物女の目は、それと同じ目をしていた。あの夜と同じか、もっと先鋭化させて。

(たぬ、奥間はそんなの認めねえぜ)

(…………)

 瞳から、凶悪な光がわずかに消えた。

(そうですわね。わたくしと違って、優しい方ですから)

(…………)




111 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 14:50:29.38gTDkXCSm0 (2/12)



 とにかく善導課からは(《鋼鉄の鬼女》の声だった)動くなの一言だった。

 現状、善導課の指示に従うしかないが、どうするつもりなのか。

(向こうもわたくしへの対策を考えるでしょう。……下手に動いてしまって、わたくしの機動力がばれてしまいましたから)

 一応、失敗しているという自覚はあるらしい。ソフィア・錦ノ宮は『何も失敗していない』などとほざいていたが、化け物女が動いたせいで――さすがにこれは同情すべき案件だが、とにかく動いたことによって月見草が負傷したことには変わりない。それを自分で認識しているのは正直、意外だった。狸吉の言葉と同じぐらいに、母親の言葉も大きいと思っていた。

(……月見草さんのことは)

 獣の気配が消え、わずかに悲しそうに呟く化け物女は、ゆとりの見たことのない部分だった。

(わたくしのやり方で、決着をつけてみせます。この事件を、解決させて)

 それが見えないから恐ろしいのだけど、ゆとりに指摘する余裕はなかった。

(鼓修理があっち側だったら、どんな作戦を考える?)

 さっきから化け物女の陰に隠れてぶるぶる震えているだけだったが、さすがにこの事態に何も思っていないわけがないだろう。

(そう、そうっスね。鼓修理が犯人なら、お義姉ちゃんはやっぱり怖いっスから、隔離すると思うんスよ)

(隔離、ですの?)

(た、多分。向こうも人員がいないとは思うっスけど、それ以上にお義姉ちゃんが暴れたら全滅の危険があるっすから。離れた場所に隔離して、他の人質との連携を阻止すると思うんスよ。お義姉ちゃんが単独で暴れたら、すぐさま別の場所で人質を傷つけられるように)

 怯えてはいてもさすがは腹黒思考だった。

(……それは厄介ですわね)

(あとあのリーダー、お義姉ちゃんを個人的に恨んでるっぽいっス)

(……奥間君のことで?)

(た、た、たぶん!)

(お、奥間はあんたに憧れて、だからあいつはフラれたんだからな? こういうのは浮気じゃねえぜ)

(ええ、わたくしにとってはただの火の粉。ですが)

 また、あの獣の瞳に戻る。(ひぅ!?)(ひっく!?)

(あのリーダーにとっては、わたくしは敵なんでしょうね。わたくしに組み伏せられても、闘志――敵意は衰えていませんでしたわ)

 あいつ、頭のいいバカで負けず嫌いだったのは知っているが、こいつの化け物性を見ても衰えないってよっぽどだな……。

(ゆとりさん?)

(はい!?)

(あのリーダー、どんな方ですの?)

(……とにかくしつこい)

 ゆとりが取り締まり側だった時、あいつは既に反体制のリーダー的な存在だった。昔いたと言われる暴走団?のリーダーのようなものだ。綾女の義母がそうなるのか。




112 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 14:50:56.69gTDkXCSm0 (3/12)



(勉強自体はできたんだけどな。途中で善導課に連れていかれたから正直そんなに知らないんだぜ)

 カララ、と扉が開く音が聞こえた。三角巾で腕を固定したリーダーの姿がそこにあった。

「さて朗報があるよん。どうする? 聞きたい?」

 リーダーの目は完全に化け物女一人に向けられていた。

「ええ、是非聞きたいですわ」

 本っ当、キレた化け物女相手にして余裕があるように見せられるだけでもすげえよな……。

「あの月見草ってやつ。無事に別の病院に搬送されたって」

「……そうですの」

 化け物女は油断しなかった。むしろ目つきが鋭くなっていく。

(こちらにダメージ与えたいはずっスからね、これだけのはずがないっス)

「あとね、一緒に船に乗る人が決まったのよん。……鬼頭鼓修理に決定したわ」

「え、え? こ、鼓修理が、っスか?」

「まあ、本来ならそこの化け物も予定に入ってたんだけどねえん」

「あら、わたくしは船旅にご一緒できませんの?」

「化け物と一秒でもいたくないっていう意見が大多数を占めちゃったのん、仕方ないわよねん」

 こいつ、左腕のほとんどすべてを使えなくされているのに、なんでこんなに余裕ぶれるんだ?

 ……多分、性格の問題だ。本当に、異常な負けず嫌いなのだ。

「外国についた後、大使館まで鼓修理ちゃんは届けてあげる。鼓修理ちゃん、英語の成績も凄いみたいだし、あとは大使館の人の意見を聞けば日本に戻れるから、そこは安心していいよん」

(安心できるワケないっス!!)

 鼓修理のパニックが伝わったのか、それでも化け物女は優雅に、

「わたくし、皆さんと船旅がしたいですわ」

「のーさんきゅー、あたし以外はね。あのさ、アンナちゃん」

 化け物女が獣だとしたら、あっちのリーダーは悪魔のような目つきで睨む。

「あたしと別室で、二人きりで話したくはない?」

 「ダメです!」「危険すぎます!」の声が相次いだ。やはりこのリーダーは、妙なカリスマ性があるというかなんというか。

「わたくしは」

 化け物女は、にっこりと笑った。

「是非、お願いしたく思いますわ」




113 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 14:52:43.09gTDkXCSm0 (4/12)


今日の分終わりです。どうなることやら、です。


114 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 18:35:28.84gTDkXCSm0 (5/12)



「ち○こま○こち○こま○こち○こま○こち○こま○こち○こま○こ!!!」

 喫茶店に移動している間に事態が急展開していて、不破さんが機材の調整をしている間、華城先輩は地階のアジト部分で下ネタとすら言えない性器の羅列を連呼していた。

 華城先輩の怪我はまだ重く、激しい運動はできない。動くとすれば僕以外にいない。

「《群れた布地》の時のように、《SOX》が解決できればいいんですけどね」

「でも精子一匹入る隙間もないわ」

 侵入経路を何とか探すが、病院を警察が全包囲しているため、華城先輩の言うとおり精子一匹はいる余裕すらない。

「おーい、不破が呼んでおるぞ」

 喫茶店の個室で機材調整をしていた不破さんのもとに行く。「音は拾えますが、こちらの声は届きません」と無表情に報告してきた。

「スピーカーの電波の長さは短いですから。音を拾うだけなら半径数キロメートルまで範囲を伸ばせるのですが」

「アンナ先輩たちへの指示は、善導課だけか……」

 ……今のアンナ先輩が、善導課の言葉を聞くとは思えない。確実に暴発する。さんざんその欲情が暴発する機会を見定めて逃げてきた僕にはわかる。

 今のアンナ先輩は、いつにもまして危うい。

「愛する奥間さんの言葉なら副会長も殺すって言ってましたよ」

 え、なにそれ。あんなに華城先輩を助けたがってたアンナ先輩が?

「事実です。わたしが言いたいのは、今のアンナ会長は価値観が変わり、判断基準を社会の規範から奥間さんの言葉に変えていっているということです」

「……法律より、僕の言葉の方を信じてるってこと?」

 確かに、言っていた。「僕が母親を殺せと言ったら、どんな手段を使ってでも殺す」と。

 あれは何かの比喩だと思っていた。思わず華城先輩の方を向く。

「……今のアンナは、たぬ……奥間君以外のことは本当にどうでもいいみたいだから」

 うつむく華城先輩に対し、やはり不破さんは無表情に言う。

「わたしの見解とは少し違いますね。どうでもいいならそもそも副会長たちを助けにはいかないでしょう。母親と恋人、親友や友人、何を一番にするにせよ、それ以外が大切ではないわけではないのです」

「どういうこと?」

「アンナはの、狸吉のことも綾女のことも月見草のことも大事なのじゃ。以前のように切り捨ててはおらん」

「ですが奥間さんの言葉があれば切り捨てるでしょう。それが自分自身にどれほど痛みを与えようとも」

「…………」

 盲目よりもひどい状態じゃないのか、それ?

「厄介だわ。それって、た、奥間君への依存が酷くなってるじゃない」

「まあここでアンナの心を分析しても今は仕方なかろう。実際どう動くかが問題じゃ」

「……不破さん、ごめん、何かあったらPMに連絡くれる?」

 わかりましたとやはり無表情に呟く。疲れているだろうにな。ただ、華城先輩の下ネタ切れの方が心配なんだ、ごめん。

 喫茶店の個室でも奥まったほうに行き、不破さんが聞こえないところまで行くと、「ち○こま○こち○こま○こち○こま○こち○こま○こち○こま○こ!!!」と連発する。

「んー、重症だこれ」

「《SOX》として乗り込むにしろ、綾女がこの怪我ではな」

「月見草以下、風紀委員も今回は使えないし、月見草も重症だし。やっぱりアンナ先輩をどうにかしないといけないんだけど」

「このままじゃ鼓修理が外だしされてしまうわ」

「外国に置き去りですね。でも、犯人たちの言葉の通りなら、比較的安全な気もしますけど」




115 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 18:36:06.12gTDkXCSm0 (6/12)


「バカね、テロリストどもは鼓修理を外国に差し出すのが条件で亡命を取引したに決まってんでしょ」

「え、そうなんですか!?」

「本当はアンナもだったんだろうけど、まあ無理よね。亡命先の国が鼓修理をどう扱うかなんてわからないわ。身の危険はないにしろ、何らかの政治的圧力に利用されるかもしれない。ここで鼓修理を助け出せたら鬼頭慶介にかなりの貸しを作れるんだけど……」

「大使館とやらは動かんのかの?」

「動くでしょうけど、童貞の腰振りみたいに貧相な動きしかできないでしょうね。今の日本の国際的立場は中出しセックスした後のように危ういのよ」

「そのあたりのことはようわからんが、今のアンナでも鼓修理を一人で行かせるということはないんじゃないかの?」

「なら余計に危ないと思うんですけど」

「どの国であっても、人質という立場ではあっても危険な目には遭わないと思うわ。むしろ賓客扱いされるかもね」

「アンナ先輩達と連絡とる方法が善導課にとられたのがきついですね」

 と、ここで思っていたことを聞いた。

「鼓修理はこのこと気付いているんでしょうか?」

「あの子はアンナから離れられるなら外国だって行くわよ」

 つまり、気付いてるってことか。腹黒思考は《SOX》でも随一だからな。

「華城先輩、しばらく下ネタ成分は大丈夫そうですか? 不破さんにバレると困るので」

「うぅ、全然足りないけど仕方ない。みんなのことの方が大事だもの」

 天秤にかけてるのが下ネタを言うことなんだよなあ。

「不破さん、どう?」

 移動すると、不破さんは変わらず淡々と。

「リーダーとアンナ会長が一対一で病室にこもっています。他の人質から切り離す目的でしょう」

「アンナが暴れたら、すぐに別の人質を盾にできるように、ね。同じ部屋にいると一瞬で制圧される可能性があるから」

「理論ではそうですが、よく今のアンナ会長相手に一対一で個室に閉じこもるなどできるものです」

 猛獣と一緒の檻に無防備にいるのとおんなじだぞ。エアガンなんか避けるしな。


 ピピピピピピピピ


「誰よこんな時にもう!」

 僕のPMが鳴って、華城先輩が苛立っている。相手は『非通知』とある。




116 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 18:36:35.41gTDkXCSm0 (7/12)



「……もしもし?」

『やあめんごめんご。そして《雪原の青》の解放おめでとう』

 基本的にPMの音量は僕にしか聞こえないけど、それでも少し下げた。

「鬼頭慶介からです」

「は、なんで!?」

「早乙女先輩、モニターができた理由とか、そのあたりの説明をお願いします!」

 慌てて喫茶店の外に出る。こんなに面倒なら不破さんに僕らの正体を明かす方が早いんじゃないかという気もするけど、不破さんには一般人としての役目がある。そう簡単な話じゃない。

「はい、なんとか無事に」

『モニターはしてたよ。……アンナお嬢さん、本当に《鋼鉄の鬼女》並みだね』

「身体能力は、そうですね」

 だけど心はきっと、誰よりもむき出しで弱い。今もまさにきっと、壊れそうになりながら戦っているんだろう。

 あの夜のことを思い出してしまって、今は意図的に無視する。

「鼓修理のこと、どうするんですか?」

『警察や善導課はバスだったり船に乗り込む際の隙を付くって言ってるけどねー、まあそれは犯人の方も考えてるだろうね』

 おちょくった、どこか他人事のような態度は、本心を見せないという意味で完璧だ。顔面にも鋼鉄の貞操帯でもつけてるんじゃないだろうか。

『鼓修理やアンナお嬢さんに少しでも傷がつけば僕らが敵に回るから、政府や警察、善導課としてはしたくないだろうね』

 体面ってのがあるんだよ大人には、とどこかしみじみとつぶやく。

「それで、用件は?」

 いつの間にか、華城先輩がこっちに来ていた。僕のPMに耳を寄せようとしたので、音量を上げる。

「鼓修理の件に関しては私たちも協力するつもりよ」

『よかったよかった。根回しが無駄にならずに済みそうだ』

 不吉な笑みが漏れ聞こえる。だけど問いかけるしかない。

「なにをすればいい?」

『向こうは鼓修理を手放す気はないだろうけどさ、突入を少しでもしやすくするために……《SOX》にかく乱してほしいんだよ』

「かく乱? 具体的には?」

『ま、君たちがやってるのと同じさ。犯人たちは若いからね。《SOX》の信奉者も多いんだよ。あのリーダーも口では《SOX》にダメージを与えるためとか言ってるけど、それは嘘だと僕は思ってる』

「根拠は?」

『僕の勘は当たるんだよ』

「《雪原の青》が動くことはできない」

 僕は口を、口だけをね、挟んだ。今の華城先輩は激しい動きができない。

「《センチメンタル・ボマー》だけが行くことになる。それでもいいか?」

『へえ、アンナお嬢さんもあのリーダーも、奥間狸吉のことが好きらしいけど、修羅場だよ? 一人で大丈夫?』

 う、となってしまう。華城先輩も頭が痛そうにこめかみを押さえてる。

『ま、できるだけ早く返事は欲しいかな。すぐにとは言えないけどさ。じゃ、まったねー』

 通話が切れた。

「胎内回帰、じゃなかった喫茶店の中に戻るわよ。慎重に作戦を立てないと」

 じゃないと僕、《SOX》として行ったらアンナ先輩に殺されるんだよなあ。





117 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 18:37:13.96gTDkXCSm0 (8/12)


……誰もいないのかなあ……とちょっと落ち込むけど、気にせず書くことにする(気にしてる)


118 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 20:21:14.58gTDkXCSm0 (9/12)



 アンナは別の病室に入れられた。女リーダーに「せめて見張りを……!」と食い下がる部下が無理矢理下がらされて、本当にリーダーと二人きりになる。

「そのボタン、外してくれる? 盗聴器でしょ、それ。イヤリングもそうかな?」

「なんのことでしょう?」


 きゅいーんきゅいーんきゅいーん


「これ、盗聴器探知機。アンナちゃんから盗聴器の電波が出てるんだよねん」

「外しても構いませんが、条件が一つありますわ。……あなたの本当の話し方で接してくれませんこと?」

「本音で話せってやつ?」

 頷くと、わざとらしい笑顔が取れた。了承したとみて、ボタンとイヤリングを指ですり潰す。

「ちっ、鎮痛剤、思ったより効かないわね」

「早く投降して、正式な処置を受けた方がいいんじゃありません?」

「あたしは長生きしたいわけじゃないからね」

 正直、この状況にうずうずしている自分を自覚していた。今ならたっぷり痛みを与えながら殺すことができる。気配が変わったことを察知したのか、怪我をしていない右手でこちらを制してきた。

「おっと、休憩室の人質たちがどうなってもいいの?」

「うふふふ、善導課に音声が送られていない以上、隠す必要はありませんわね。……わたくしは敵を、悪を殲滅できればそれでいいのですわ」

「…………」

 こちらの悦びに相手は嫌悪を抱いたようだった。

「……人質の安全は関係ないわけ?」

「判断の上位に来るものではありませんわね」

「ふん、これが清楚で健全な大和なでしことはね。あれもバカだ」

「奥間君のことですわね? ……小学校時代、告白したとか」

「こんなイカれた化け物だと知ってたら、絶対奪ってやってたけどね」

「それはできませんわね。あなたが知っているかは知りませんが」

 敵意と悪意と殺意を込めて、無表情に睨みつける。

「わたくしと奥間君は、すでに男女の仲なんですの」




119 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 20:22:15.59gTDkXCSm0 (10/12)



「…………は?」


 呆然とする表情に、優越感を得る。

「愛の儀式も済ませましたわ」

「愛の儀式、ってまさか、あんた、処女じゃないの……!?」

 『処女』は確か、初めてのことだった。辞書にはそれ以上のことは載っていない。

 だからアンナは頷いた。

「ええ、“初めて”の儀式は、もう済ませましたのよ。……あの方でなければ、わたくしは痛みに耐えきれなかったでしょうね」

 くすくすと鈴が鳴るように笑うと、相手の呆然具合はさらにひどくなっていた。

「……なんで」

 どこか泣きそうな、迷子のような顔だなとふと思った。

「なんで風紀優良度最底辺校出身で、父親が奥間善十郎のアイツが、なんであんたに受け入れられるわけ?」

「奥間君自身が、清く正しく生きていたからですわ」

 アンナは言い切る。

「大事なのは生まれではなく、どう生きたかでしょう?」

「気持ち悪い」

 相手の敵意が増していく。でもそれは、自分に対する嫉妬だとアンナは分かった。

 さらに優越感を得ると同時に、やはりこの女は始末しなければならないと改めて決意をする。

「もどかしいですわね。あなたはわたくしに対する攻撃力がなく、わたくしは色んな方々を人質に取られていて動けませんわ。……ただ」

 アンナ自身は気付いていない、猛獣の笑みで相手を睨む。「……っ!」怯んだ隙に、言葉を滑り込ませる。

「わたくしはいつでも、無視できますのよ?」

「……清楚で健全な大和なでしこってのは、どうやら噂だけだったみたいね」

「いえ、一昔前の、奥間君と出会う前のわたくしはきっとそのような人物だったのでしょう。わたくしは奥間君と出会って、愛の儀式を行って、生まれ変わったのですわ。自らの中にあるものを自覚し、解放することを覚えましたのよ」

 ペロリ、と意識的に舌なめずりをし、お前は獲物でしかないと言外に知らせる。

「わたくしは、人を壊すのが好きですの。もちろん、普段は我慢しますし、それが間違った欲望であることも理解していますわ。……ですが」

 微笑を深める。

「悪の殲滅という名目のもとでなら、その衝動を発散できることを知りましたの」

「悪?」

「ええ、正義に基づき、悪を殲滅する。社会の規範ともずれてはいませんわ」

「理解できない。アンタ、自分が正義の側だって言いたいの?」

「…………」




120 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 20:22:46.46gTDkXCSm0 (11/12)



 いろいろ言葉を並べることは可能だろう。

 ただ、何故か目の前の相手に嘘は付きたくないと思った。

 それはきっと、同じ相手を好きになった、いわばライバルだから。

「愛は正義そのものだと考えていた時期も、ありましたわ」

 だから、本音で語ることにした。それがアンナなりの礼儀だった。

「ですが正義を社会の規範と置き換えるなら、わたくしの『人を壊したい』という衝動は間違っていますわ。……それでもいいと言ってくれたのが、奥間君なのです」

「……理解できない」

「してもらう必要は、ありませんわね」

 “熱”と“疼き”が大きくなっていく。相手の嫌悪感がむしろ心地いい。なぜならそれは、自分が奥間君を独占していることからくるものだから。

 自分が奥間君の恋人だから。

「ああ、困りましたわ。今すぐにでもあなたを壊して差し上げたいのですけど、さすがにタイミングが悪いので」

「――――!」

 ジャキ、と拳銃をこちらに向ける。

「動くな。これはエアガンじゃない。本物の銃よ」

「あらあら。そんなものを使っては、反動で傷に響きますわよ?」

 困難はむしろ“疼き”を大きくする。わずかに増えた死の恐怖も、今はスリルとして楽しんでしまう。

「リーダーさん?」

「何?」

「心配なさらずとも、今は動く気はありませんわ。そう気を張らずに。ただ、言っておこうと思いまして」

 なぜこんなにも“疼く”のか、何が疼いているのか、ようやく言語化できた。これは言っておこう。



「――わたくしを穢そうとしたこと、月見草さんを傷つけたこと、絶対に許しませんわ」



 そう、これは、“怒り”だ。

「あなた方の計画は、必ず失敗に終わりますわ。わたくしの手で、終わらせてみせますわよ」

 リーダーはそれ以上答える気がない、というように、拳銃をこちらに向けたまま動かない。

「あんたの動き次第では可能だろうけどね。でもね、こっちも策は打ってあるんだよ」

 こちらに負ける気はないと、嗤う顔には、敵意と悪意と殺意がある。

 敵がいかような感情を発しても、その感情にワクワクする自分を、もうアンナは否定しなかった。あとは叩き潰す、それだけだ。






121 ◆86inwKqtElvs2020/08/29(土) 20:24:19.65gTDkXCSm0 (12/12)


はてさてどうなることやら、です。今日更新多いな。


122以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/30(日) 07:47:47.156tKiDWYoO (1/1)

読んでますよー
最近来れなくて書き込めなかったけど、今から一気に書き込む
再開してくれて本当にありがとうございます!待ってました!
再開前もそうだったけで、作者さんのSSって細部まで緻密に考え込まれていてすごい。下セカへの愛が伝わってくる
だけど、そういうのに対して無反応が続くと本当に辛いですよね。私もよくわかります

なので、質問
どうして、アンナはテロ小僧のキスを拒否できなかったんですか?
これまで、狸吉とキスしてませんでしたっけ?
だったら、キスしようとしてる事くらい気づいて拒否れたのでは?


123 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 15:42:28.051gnwTlVe0 (1/11)

>>122
ありがとうございます、ありがとうございます!!

アンナ先輩、テロ小僧に狸吉を重ねたのが少しあるんだと思います。あとキスは『愛情表現』であって悪意を持った行為ではなく、故に反応が鈍った、と。
あと、好意を持っていない相手からの性的な接触(要するにレイプに近いことが)これだけ気持ち悪いこと、穢されることだと、身をもっては知らなかったのが、反応が遅れた原因です。知識がなかったんですよ……。

今回は松来さんの……誕生日か命日には間に合わせたいけど、誕生日は無理かも……でもがんばります! ありがとうございます!


124 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 18:07:55.141gnwTlVe0 (2/11)



 早乙女先輩は不破さんと一緒にモニターに回ってもらって、僕らは華城先輩と一緒に別室でどうするか考える。

「華城先輩は遠隔で指示、これは当然として」

「私だって動けるわよ。ほら、100m走に匹敵する反復運動をするわけじゃないんだし?」

「僕だってしねえよ! ……華城先輩の怪我は、まだ軽くはないでしょう?」

「……まあ、足手まといになるのはわかってるから、いいわよ」

「足手まといだなんて。ただ、また危ない目に遭わせるのが僕は嫌で」

「あー、もうこれ精子の掛け合いぐらいに意味のない議論になるからやめましょ」

「ほんっとうに意味ねえ」

「あなたが奥間狸吉としていくのか、《センチメンタル・ボマー》として行くのかよね。どっちにしても爆弾があるわ」

「アンナ先輩が心配ですよね……」

 アンナ先輩、最後に通信していた時、ソフィア相手に笑ってたからなあ……。

「ぶちギレてますね」

「ぶちギレね」

 嫌な一致だった。

「されたこと、その結果月見草がああなったことを考えたら、誰でもヤバくはなると思うけど、ね」

「アンナ先輩の爆弾を考えると、奥間狸吉としていくべきなんでしょうけど……それだと《SOX》として動いたことにはならないですよね」

「それにいくら憧れがあったって、《SOX》が止めろって言ってもどうにもならないわ。そんな段階、越えているのよ」

「戦闘力が足りない、か……《群れた布地》の時はアンナと風紀委員の力を借りたけど」

「今のアンナ先輩を何とかうまく誤魔化すとなると、やっぱり……奥間狸吉としていくべきなんですかね」

「鼓修理を助け出しただけでも貸しとできるかはわからないけど、第三次ベビーブームが起きようとしているこの状況を鬼頭慶介は不本意に思っているはずなのよ」

「え? えっと」

 話が飛んで一瞬理解できなかった。最近、アンナ先輩に関わりすぎたせいで、テロ活動の中身を把握してないのだ。

「もう、赤ちゃんの作り方と妊娠検査薬を配りまくって世間は第三次ベビーブームの到来なのよ!」

「へえ」

 僕、参加できてないんだよな……。




125 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 18:08:36.491gnwTlVe0 (3/11)



「まあ見返りは期待しないで、あくまで仲間を救うという体で行きましょう」

「鬼頭慶介の作戦としては、あらかじめ船に乗り込んでおくというシンプルなものですよね」

「善導課にも同じことをしたいみたいなんだけどね。クルーズ船とは言っても小型で、20人、このまま人質が解放されなければを30を超える人数だとオナ禁のした時の狸吉の金玉みたいにパンパンになるから」

「そうなる前にアンナ先輩に抜かれるわ!!」

「狸吉と、あとせいぜい……ゆとりぐらいかしら、入れるのは」

「改造エアガン持ってる相手に立ち回りは正直キツいです……」

「そうね。私達は基本、ヒットアンドアウェイ。真正面からの戦闘力は鍛えてないものね。催涙弾や閃光弾を使ったって、殺傷力ある武器をいくつも持っている以上、鼓修理が殺される可能性は否定できないわ」

「そんなの、絶対嫌です!」

 確かに性格は性悪の最悪だが、それでも《SOX》の仲間なのだ。アンナ先輩相手だと委縮してしまうが、とんでもなく悪知恵が働くのも《SOX》にとって役に立ってきた場面も多いのだ。

「《ラブホスピタル》に反対筆頭のソフィアの力を借りるのは無理ですかね?」

「…………」

 華城先輩はどこか眩しそうに僕を見ている。

「そういう発想が、私にはないのよ」

「?」

「狸吉は狸吉でいいってこと!」

 よくわからないけど、褒められたらしい。

「鬼頭慶介の件も、よくやったと思うわ。アンナと関わらせるのはちょっとまずかったけど」

「あ、はい」

 一方的に怒られると思ったので意外だった。まあでも、確かにアンナ先輩と取引させたのは問題だったよな。あれ以外にはどうしようもなかったけど。

「でもソフィアも影響力落ちてると思うわよ。何を当てにするの?」

「訓練されたSPぐらいはいるんじゃないかって。防弾チョッキとかそういう装備もソフィア経由では無理ですかね」

「下ネタテロに金も装備もいらないんだけどね」

「本物のテロに巻き込まれたんですから、仕方ないですよ」

「それに、そういうのってどっちかって言えば鬼頭の方だと思うけど」

「……確かに」

「そこで納得するから狸吉は早漏なのよ」

「早くねえ! なんで慶介経由だとダメなんですか?」





126 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 18:09:19.481gnwTlVe0 (4/11)



「下ネタテロ組織同士で武器や装備の交換が行われているなんて知られたら、善導課も装備を強化するでしょう?」

「ああ、確かに……鼓修理が例外すぎただけか」

「法律上の指定も変わってくるはずよ。取り締まりも今までとは段違いになってくるわ」

「となると、やっぱりソフィア・錦ノ宮から融通してもらうしかないわね。善導課にツテがあることだし、なんとかなるでしょう」

「無防備じゃさすがに危険ですしね……」

「そうね、処女膜は必要だわ」

「華城先輩は本当ぶれませんね……」

 とりあえずソフィア・錦ノ宮には何とか連絡をつけることにして、問題は、

「アンナ先輩なんですよね」

「そこに戻るわね」

 いったん、僕らはモニターの様子を確認することにした。不破さんが栄養ドリンク(固形物)を飲んでいる。それも武器にさせてもらおうかな。

「皆の様子はどう?」

「アンナ会長の集音器とスピーカーが潰されました。病室にはカメラもなく、モニターできません。リーダーと二人きりですね」

「それって、大丈夫なの!?」

「アンナと一対一で勝てる相手などこの世にほとんどおらんよ」

「精神面ではわかりませんが」

 不破さん、早乙女先輩のフォローを一瞬で無に帰すようなことを……。

「わたしの分析では、冷静さを装っている時が最も危険だと判断しています。今はまさにその時ですね」

「……やっぱり僕、アンナ先輩の恋人として行くしかないんですかね」

 既成事実がどんどん積み重なっちゃうよぉ。

「この期に及んで責任を取らないでいるつもりですか?」

「女の子にはわかんないんだよ、このプレッシャー……」

 アンナ先輩、ソフィア、祠影の凶悪3ボスラッシュだぞ!?

「まあ、今のアンナを止められるとすれば狸吉だけじゃろうな」

 そこは女性三人同じ意見だった。僕だってゆとりも鼓修理も助けに行きたいし、仕方がない。

「もう一回、母さんと真正面から交渉してみるよ。今なら鬼頭慶介の口添えがあるからうまくいきやすいと思う」

「通信の機能はどうしますか?」

「善導課の判断に任せるよ。皆はここで待機していて」

「狸吉」

 華城先輩が、いつになく真剣に呟いた。

「アンナにはくれぐれも注意するのよ」

「……わかりました。行ってきます」




127 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 18:10:15.361gnwTlVe0 (5/11)


ちょっとだけ書きました!

松来さんの誕生日に間に合うかな、間に合わなければ命日で! かなり不安ですが頑張ります!


128以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/30(日) 20:05:58.87qI+eDqLrO (1/1)

第三次ベビーブームか……この世界観だと、未来がガンダム種みたいになりそうで怖い
人工子宮とか当たり前にやりそうだし、子作りの実験色が強くなる。コーディネイターまっしぐら

そして、質問のお返事ありがとうございました。乙


129 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 22:35:30.011gnwTlVe0 (6/11)

今の世界観は、6巻最後あたりの政府がラブホスピタルという人工受精&デザイナーズベイビーを作る施設を作って、ソフィアが《SOX》から借りた不健全雑誌を腹に巻いてデモをしたところです。
原作だとアンナ先輩は何が正しいかわからず不安定になっていくのですが、ここでは逆レに成功してある意味安定したところです。
ただし、自分の判断より狸吉の判断が上になっています。それは社会規範に合わせても正しくない自分の欲求があるからで。ここらへんがifものになっています。


リーダーはオリジナルキャラなので、名前はない(可哀想) ただ、頭のいいバカですごく負けず嫌いで、下ネタとか卑猥とかにはそんなに興味がないというか、変態ではないという。赤城先生みたいに変態書けなかったよ……


130 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 23:27:18.891gnwTlVe0 (7/11)



「また来たのか、貴様」

 うわ、母さんさっきよりよほどイライラしてるよ。

「ソフィア……さんは?」

「旦那と何やら画策するそうだ」

 揉めてたんじゃなかったっけ? 愛娘の危機だとそんなのは些事なのか。

「母さん」

 意を決して、できるだけ静かに言う。



「僕を、人質のいる場所に行かせてほしい」



「…………」

 珍しく、母さんは肉体言語でなく沈黙で僕の意図を透かそうとする。

「何故最初から貴様が行かなかった?」

「アンナ先輩が主導だったんだ。僕もアンナ先輩の作戦は、大丈夫だと思った。アンナ先輩なら大丈夫だって、思ってたんだ。だけど」

 以前、不破さんが言ったことを思い出す。ただ、あの時と違うのは。

「アンナ先輩は“僕の言葉”なら、人質を殺すよ。自殺してって頼んだら、自殺するよ。何の疑いもなく、笑顔で」

「……何を言ってる?」

「信じられないかもしれない。でも、アンナ先輩にとって、僕の言葉はもう、絶対になってるんだ」

 こんな、ふらふらした僕の言葉を。

 アンナ先輩は変化の最中で、不安定で、あの夜も衝動に飲み込まれそうになって間違えて、今も間違いつつあるんだ。

「アンナ先輩も、ゆとりも鼓修理もみんなも、僕は助けたい。そのためには、人質の内側にいるアンナ先輩の戦闘力は必要なんだ」

 だけど今のままでは不安定すぎて、きっと人を殺してしまう。そうなったら、戻れない。だから。

「お願い、母さん。僕を、あそこまで、行かせてください」

 土下座する。

「この期に及んで虫のいい話かもしれないけど、これ以上誰も傷つけたくないんだ。……犯人たちも」

「リーダーは、貴様に告白していたそうだな」

 う、やっぱりばれてるよね。

「同情か?」

「否定しない、です」

 これも、きちんと言わなければならないのだろう。

「でも、これも僕の責任だと思っています」

 多分、小学校時代、僕は間違えたのだ。多分、アンナ先輩への憧れをひたすら語っていたんじゃないかと思う。

 だからあの子は、道を間違えた。

 あの子は華城先輩やゆとりや、そして僕の、影なんだ。

「……防弾チョッキを着ていけ。おい、貴様、用意しろ」

「母さん!」

 善導課職員がバタバタとする中、母さんにしては静かに呟く。

「貴様まで月見草のようになったら、アンナがどうなるか知らんぞ。責任はとれ、いいな?」

「はいっ!!」




131 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 23:28:05.891gnwTlVe0 (8/11)




「あー、だるいわー、痛いわー」

 アンナは腑抜けたふりをするリーダーを余すことなく観察する。そして、想像する。


 ――どうすれば、悲鳴をあげさせられるか。

 ――決定的な傷を与えられるか。


 想像だけで楽しくて仕方なかった。そんな想像が湯水のごとく湧き出るのは、奥間君が変えてくれて自分にくれた、力の証。

 この女は肉体的な痛みには強いのは分かった。できれば精神にダメージを残したい。


 コンコン


「リーダー、よろしいですか……?」

 自分に対する怖れが強いのか、犯人たちは自分に対して弱腰だ。リーダー以外は。

「善導課から?」

「はい。……人質をそちらに一人、送りたいと。その、名前が、あの」

「……ふうん? まあその様子でわかったよ、サンキュ」

 左腕を破壊されたリーダーが、ニヤリと笑う。どこからその余裕が出てくるのか、アンナでも不思議だった。

「奥間狸吉でしょ?」 

「――――」

 奥間君。奥間君、奥間君、奥間君、奥間君、奥間君、奥間君、奥間君!!!

「ここにお通しして、休憩室に詰め込むとそれはそれで厄介そうだしね」

 わかりました、と小さく礼をすると、すぐに用意がなされる。

 下肚が疼く。愛を感じる。愛の蜜が流れ出すのを感じる。

 快感と昂揚が、より強くなっていく。



「――奥間君」

「アンナ先輩、大丈夫ですか?」



 頷く。

 今だけは、二人だけの世界だった。



  


132 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 23:28:49.271gnwTlVe0 (9/11)




 善導課による盗聴器はしかけられていない。向こうが手の内を知った以上、リスクの方が高いからという理由だ。

 そしてまさかいきなりリーダーの部屋に通されるとは思わなかった。できるならゆとりや鼓修理と合流して作戦を立ててからこちらに来たかったのだけど、もう、ね。

 なんだろう、この空気。冷凍マグロでも冷たさを感じるぐらい、冷たい。

 ……女同士の修羅場とかがあったんだろうか。いやまさかな。

「あ」

 アンナ先輩が朗らかに笑う。リーダーは、険しい顔のままだ。

「あ、アンナ先輩?」

「ふふ、わたくしたちの愛の証明をしようと思いましたの」

「え、えっとそれ!?」

「……唇を穢されたことには、わたくしにも非がありましたわ。相手が何をしたいのかわからなくて、つい反応が遅れてしまって……」

 アンナ先輩は目を伏せる。長いまつげが影を作る。


「だから、清めてくださいまし」


 ジャキ、という音と、アンナ先輩にしては緩慢に僕の首に腕を回すのとは、同時だった。

「これはエアガンと違って、本物の銃よ。不愉快だから二人とも離れて」

 銃!? 装備はエアガンだけと聞いていたのに!?


 バチィン!!


 銃が、跳ね飛んだ。

「!?」

「さっきすり潰した、ボタンとイヤリングの残骸ですわ。親指で弾き飛ばしてみましたの」

 し、指弾ってやつか? モーションが一切確認できなかったぞ?

 慌てて拳銃を拾おうとするが、アンナ先輩の方が数段早かった。かがんだのが見えなかった。

「向こうのアドバンテージは、一つなくなりましたわね。奥間君、拳銃、預かっててくださいまし」

「あ、あの」

「……何をする気?」

「大丈夫。わたくしからはあなたに何もしませんわ」

 あ、まずい。

 完全に欲情の獣になっている。これじゃ、交渉も何も――


「奥間君」


 唇が、重ねられた。

 ――多分、僕が初恋の相手であろう相手の前で。

 上あご、頬の傷、歯茎の裏、すべてのポイントに舌が当たる。唾液が送り込まれる。いつもと同じように、そのテクニックは凄まじい。

 違うのは、その視線。

 視線は、女リーダーに向けられていた。

 優越感。

 欲情と優越が入り混じったそれは、人を傷つけるためのものだった。




133 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 23:29:28.111gnwTlVe0 (10/11)


 さらに僕の手を、胸に移動させる。「うぁん……!」舌の動きが加速し、ぴちゃぴちゃと湿った水音も大きくなっていく。

 ひと段落した後、僕の愚息がおっきおっきしてしまって、「あん、愛の蜜が……」「ひ、先輩、人のいるとこでは止めて!!」一応聞き入れてくれたのか、アンナ先輩は僕の背中に回り、腕を回してぎゅっと抱きしめる。背中におっぱいが当たるよぉ。

「わたくしたちが愛し合っているのがわかりまして?」

「……卑猥な」

「? 卑猥? 何がですの?」

 まずい! この流れはまずい! でもさっきからアンナ先輩の下が耳の穴をちゅぽちゅぽと舐めて挿入れて出して、手は息子をズボンの上から絶妙な力で撫でていてうまく考えられない!!

「これが卑猥でなかったら何だっていうのよ!?」

「? おっしゃっている意味がよくわかりませんわ。これは、愛情表現ですのよ。そしてあなたは」

 僕とアンナ先輩自身の唾液でぬらぬらと光っている唇で、思いっきり笑った。



「うふふふひ、あはははは!! あは、無謀にもわたくし共の愛を穢そうとした、最大の罪人なんですわ!!」



 コンコン!!と急いだノックが聞こえた。部下の一人がアンナ先輩の嬌声に危機を察知したんだろう。

「何でもない、見張りを続けて」

「しかし、今のは!?」

「何でもないって言ってるでしょ!?」

(アンナ先輩、向こうをいたずらに刺激するのは止めてください!)

(あん、奥間君が言うなら……でも帰ったら、じっくりたっぷり愛し合いましょうね?)

「…………」

 うすうすは気付いていただろうけど、アンナ先輩の価値感が常識と外れていると向こうは完全に気付いたらしい。

「狸吉、覚えてる?」

 後ろで殺気が膨れ上がった。僕このまま絞め殺されない?

「告白した日。『僕はアンナさんみたいになるんだ』って言ったの」

「……うん」

「あたしがきれいな生まれだったら、健全に生きてこれる環境だったらよかったのにって、さっきまではそう思ってた」

 あの日、僕に告白した子は、アンナ先輩を憎悪の目で見つめてる。

「その女、狂ってる。壊れてる。あんたの好きな『綺麗で健全な大和なでしこ』じゃない」

「…………」



「それでも、本当にその女を、愛してるの?」


「……僕がアンナ先輩を嫌いになることは、絶対にないよ」

 重ねて、続ける。

「今でも、憧れてる。本当は、純粋で優しい人なんだ」

(……華城先輩……)

「もし今のアンナ先輩が、狂って、壊れたんだとしたら、それは僕が原因だから。だから、僕から離れることは――ないよ」

 別の女性の顔が浮かぶ時点で、きっと僕は、アンナ先輩のことを女性として好きじゃないんだろう。

 僕はどこまでも、不誠実だった。そして、ずるい言い方で逃げる、最低の男だった。





134 ◆86inwKqtElvs2020/08/30(日) 23:31:16.251gnwTlVe0 (11/11)


狸吉はあくまでも華城先輩のことが好きなのです。恋路も大事。


135以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/31(月) 12:44:05.06jr58xkP0O (1/1)

華城先輩の方が良い。そりゃそうだ

アンナ先輩って、深く関わると、狭量なところが目立つんだよね……純粋だけど幼くて手のかかる妹って感じでさ
これじゃ、狸吉は気の休まる暇もない。だって、まだ幼い妹に自分の負の部分をさらけ出すことなんてできないから。ずっと一緒にいたら疲れるに決まってる

華城先輩はあれで器が大きいから、気楽に負の部分をさらけ出せる。少なくとも、アンナ先輩よりは、よっぽど
こういうベクトルのカリスマを母性って言うんだろうな。実の母親に負の部分をさらけ出せない狸吉にとって、母性の有無は大きい

仮に健全法なんて普通の世界でも、狸吉とアンナ先輩じゃ上手くいかなかっただろうことがよくわかるわ


136以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/31(月) 15:33:45.12eS8p8KYA0 (1/1)

やあ、やっとここまで来た。1人のキャラをこれだけ掘り下げるってすごいな

たぬきちが悪いとかじゃなく、アンナ先輩にこそ負の部分もOKな母性が必要なんだよな。原作では最終巻で
「間違ってもいいんです」
ってみんなで間違えてたけど、このアンナ先輩は1人だけで本質は変わってない気がする


137 ◆86inwKqtElvs2020/08/31(月) 18:59:54.36MN1Q866e0 (1/6)



 私に何ができるんだろう。

 下ネタしか言えない、怪我人でろくに動けない私に、いったい何が。

 だって狸吉とアンナはもう結ばれていて、きっと狸吉ならいつか心の整理をつけて、アンナを受け入れるのは目に見えているのに。

「心中、大変なようですね」

 不破氷菓がモニターしながら淡々と相変わらず無表情に言葉を紡ぐ。

「まあ、生徒会二人が人質の状態じゃね」

「素直じゃありませんね、あなたも」

「…………」

「綾女の強情さはどうしようもなかろ」

「……悪かったわね」

 早乙女先輩の言うとおり、私は強情で、自分が正しいとしか言い張れなくて、だから世界は間違っているなんて言って下ネタテロリストになった。

 今のアンナは自分が間違っても狸吉が受け止めてくれると思っている。そしてそれはきっと間違いじゃない。話を聞いていて分かった。

 私に入る隙間なんてない。



「あんた、何やってんだい!?」



「え、え?」

「どなたですか?」

 不破氷菓の無機質な質問に、

「撫子、綾女の後見人じゃよ」

 早乙女先輩が代わりに答えてくれた。

 今は15:00。

「あと一時間はかかるって」

「急いで来たに決まってんだろ、バカ! マスターからこっちにいるって聞いて来たんだよ!!」

 相変わらず、威勢のいい啖呵。かと思ったら、

「朱門温泉清門荘で女将を務めております、華城撫子と申します。以後お見知りおきを」

 いきなり女将モードになった。この切り替えは3Pの相手替え並みに早いわね……。





138 ◆86inwKqtElvs2020/08/31(月) 19:00:24.19MN1Q866e0 (2/6)



「今どういう状況だい?」

「ちょっとややこしいですね」

 不破氷菓が淡々と説明していく。撫子のしかめっ面の皴が増えて、

「私はまだ若い!」

「痛い! 怪我人に拳骨なんてそんな、う、うー!」

 ああもう、不破氷菓がいるせいで下ネタ言えない!

「奥間狸吉があのアンナを止めるために、これ以上犠牲を出さないために危険を承知で行ったってのに、こんなところでうじうじしてる暇なんかありゃしないよ。アンタ、いつの間に越されてんだい?」

「少し厄介な事態が発生したかもしれません」

 不破氷菓が撫子の言葉を切って、モニターの一つを指し示す。そこは今、犯人のリーダーとアンナと狸吉、三人でいる病室の前で、音声はないが部下が騒いでいるのがわかる。

 だが、すぐに戻っていった。なんだったのだろう。

「アンナ会長は刻々と不安定になっていっているようですね」

「リーダーがアイツとはね。全く世も末だ」

「な、撫子知ってるの!?」

「異常な負けず嫌いってやつぐらいしか知らないけどね。もう絶滅したと思ってたレディースの後輩ってやつさ」

「ならあの統率力もわかるわ。れでぃーすの統率は凄まじいものがあるって聞いたもの」

「で、どうすんだい?」

「相手はヘリで船の上まで人質とともに移送する、そういった要求をしています。人質の解放は外国についてからだと」

「ふざけた、頭のいい話だね」 

「このままだと、外国に交渉のカードとして人質たちは使われるわ」

「で、どうすんだい?」

 もう一度同じ問いを掛けられても、答えようがない。それを知りたいのはこっちなのだ。

 モニターをもう一度不破氷菓と早乙女先輩に任せ、撫子と別室に行く。

「私は怪我で動けない、狸吉はアンナ対策で動けない、ゆとりと鼓修理は人質の中。……《SOX》としてはどうしようもないわ」

「いつからそんな弱気になったんだい、そんな娘に育てた覚えはないね」

「…………」

「下ネタすら浮かばないとはね。こりゃ重症だ」

「じゃあ、どうするのよ、撫子なら」

「自分で考えな、って言いたいところだけど、さすがにこれはきついかねえ」

 撫子は勃ち上がる。間違えた、立ち上がる。

「大人は大人で話し合いに行くよ。子供は子供で決着着けな」

「……わかったわ」

 何一つ、何をすればいいのかわからなかったけど。

 ふう、と息を入れて、ゆとりの代わりに《哺乳類》《絶対領域》の古参メンバーに連絡していく。





139 ◆86inwKqtElvs2020/08/31(月) 19:02:36.76MN1Q866e0 (3/6)


華城先輩はもうアンナと狸吉がくっつけばいいと考えてしまっているようです。
まあ、責任を取るってそういうことですよね。逆レでもね。え?

つまりどういうことかって、事件と関係なく華城先輩悪いモードに入ってまーす。


140以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/08/31(月) 19:15:27.44n06gnCT10 (1/1)

華城先輩はどうするのが最適なのかわからんな
怪我も重いみたいだしな...


141 ◆86inwKqtElvs2020/08/31(月) 20:21:12.14MN1Q866e0 (4/6)



(狸吉が来てるだぁ!?)

(よかったっス、あの化け物は狸吉に任せられるっス!)

 善導課からの連絡で、狸吉が来ていることを知る。鼓修理の言い方は癪だが、化け物女対策であることは間違いない。

(キスされる前までは頼もしかったんスけどね)

(ぶほぉ!? キ、キ、キスとか、せめて接吻とかだな!?)

(まあ化け物でなくてもぶちギレるのはわかるっスけど)

(……あれはな)

 さすがに同情している。頭に血が上ってしまったのも、そのせいで負った月見草の負傷も、ゆとりの目から見たら仕方がないと思っている。今、大暴れしていないだけマシと考えるしかない。

 でもさすがに、正直何もしていないこの状況で、狸吉任せにするわけにはいかない。なんかバタバタした音がする。何かあったのかもしれない。

「……おい」

 《鋼鉄の鬼女》から大人しくしろと指示が飛ぶが、今は無視する。

「…………」

「あたしを、リーダーのところへ連れてけだぜ。あたしはリーダーや狸吉、そして化け……一応、生徒会長の知り合いでもあるんだぜ」

(鼓修理を一人にする気っスか!?)

(ここの方が安全だろ、どう考えても!? ……あのリーダーと、化け物女に挟まれる狸吉は、絶体絶命のピンチだぜ。さすがに放っておくわけにはいかないんだぜ)

「……リーダー、……ええ、濡衣ゆとりという……はい、はい……わかりました」

 手錠は後ろ手に外されずに、立ち上がらせられる。このままリーダーの部屋に連れていかれるのだろう。

 しばらく廊下を歩いて、ある病室の前にたどり着いた。

「濡衣ゆとりをお連れしました」

 入れ、とどこか余裕のない様子の声に、化け物女が何かやらかしたのだとわかる。

 扉が開かれると、背中越しに狸吉を抱きしめている化け物女と、それを睨んでいる女リーダーが目に入った。

「入れば」

 わざとらしい余裕の声はみじんもない様子に、戸惑いを覚える。

「何しに来たわけ?」

「奥間君までわたくしを助けに来てくださって。もうわたくし一人でも十分でしたのに」

 明らかに邪魔者扱いされてた。狸吉の様子はというと、

(ア・リ・ガ・ト・ユ・ト・リ)

 それだけで来た甲斐があったというもんだぜ……。

「昔話でもしようかって思ったんだぜ」

 後ろ手に手錠をされたままだが、椅子に座らせてもらう。化け物女は拘束の意味がないからか、新しく手錠はされていないようだった。

 そして化け物女は、人の血の味を覚えた獣の目を、さらに眼光強く、さらに飢えて、さらに他人の苦痛を欲していた。頼むから自分に向かわないようにしてほしい。

「お前、なんでこんなことをした?」

 矛先をリーダーに向ける。今の化け物女とまともな会話ができるとは思わなかった。