1以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:44:07.53W5lmC8VA0 (1/14)

「お嬢さま、朝です。起きてください」

 カーテンがシャーッと擦れる音と同時に、眩しく照りつける陽光が瞼の奥を刺激する。
 眠気眼をこすりながら起き上がると、千夜ちゃんの姿は無かった。


 リビングに出て、台所の冷蔵庫を開けようとした時だった。
 足元を黒いアレが、私のそばをカサカサと通り過ぎようとしている。

 何となしにボーッと眺めていると、千夜ちゃんはそれを見つけるなり、素早く丸めた新聞紙で叩いて始末した。

「……申し訳ございません。掃除が行き届かないばかりに」
「ううん、いいよ」

 最近、忙しいものね、千夜ちゃん。
 昨日も帰りは夜遅くて、夕食もロクに食べないまま、寝ちゃってた。

 だのに、私よりも頑張って早起きして、ご飯の支度もして、今日も事務所に向かう。

 千夜ちゃんは今、とても充実している。


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2以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:46:04.36W5lmC8VA0 (2/14)

『はいはい、それではね、いいフレちゃん? 次の質問行って』
『うん、いいよー!』
『ありがと。じゃあ続いての質問は……おっ、京都の人からや』
『え、ひょっとしてシューコちゃんのゴリョーシン?』
『あたしのご両親にはこの番組なんてチェックすんなって言ってるから大丈夫。
 では気を取り直して、京都府舞鶴市の、えー、ラジオネーム「塩味大福」さんからのお便りです』
『ワォッ☆ シューコちゃんちの目玉商品だね!』
『あたしんち舞鶴じゃないし、そんなん売っとらんし。
 まぁいいや、では読みます。フレデリカちゃん、周子ちゃん、こんにちは。はいこんにちはー』
『コンニチワー☆』
『今日は、フレデリカちゃんに質問があります』
『なになにー?』

『キリンさんは、どうして首が長いんですか?』

『フーム』
『これさー、もう大喜利コーナーになってるやん。
 フレちゃんがこういう質問にさ、何にでもふざけて付き合ってるからだよ?』
『失礼な! フレちゃんはいつだって大真面目に遊んでるよ!』
『はいはいごめん。で、フレデリカさん、どうしてキリンさんは首が長いんですか』
『うーん、実はアタシもねー、ずーっと気になってたんだー』
『ほう?』



3以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:49:47.33W5lmC8VA0 (3/14)

『だって、キリンさんって首も長いけど脚もすっごく長いでしょ?
 何か落とし物とかしちゃったら、ウッカリ踏んじゃったりしないかな?』
『あー、高さ的な意味で足元がよく見えない的な』
『そうそう!』
『あたしもさー、コンタクト落としたりするとすっごい焦るよね。
 床に伏せて目を凝らしてようやく見つけるわけだけど、確かにあれだけ脚が長かったらロクに伏せることもできんよね』
『巻き巻きすることできるのかな?」
『は? 何、巻き巻き?』
『キリンさん、首をずーっと伸ばしたままじゃなくて、使わない時は巻き巻きできたりしないのかなぁ』
『あぁ~~、コードみたいにってこと?』
『脚もできたらいいよねー♪』
『まぁねー、ビジュアル的にはだいぶエグいことになりそうやけど。
 でさ、フレデリカさん、キリンさんってどうして首が長いんでしょうね?』
『うーん、実はさっきからアタシもねー、すっごく気になってたんだー』
『ほうほう?』
『だって、脚も長いのに首も長いんじゃさー、何か落とし物』
『いや無限ループやないかーい』


「いいなぁ346プロさんは、勢いがあって」

 車を運転しながら、魔法使いは独り言のように呟いた。
 ラジオから聞こえてくる、他の大手事務所のアイドルさんのことを言ってるみたい。

 仕事柄なのかも知れないけど、彼はこうしてラジオをよく聞いている。
 車の中だけでなく、事務所にいる間もしょっちゅう。



4以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:52:31.14W5lmC8VA0 (4/14)

「こういうものが、世間のアイドルファンなる人種には喜ばれるのですか」

 後部座席で、私の隣に座る千夜ちゃんを見ると、怪訝そうな顔をしている。

「千夜には、今のところこういう仕事をさせる予定は無いよ。心配はいらない」
「当たり前です」
「でも、俺は面白いと思うんだけどなぁ」

 魔法使いの言葉に、私は同調した。

「たぶん、自分からは千夜ちゃん、やりたいって言わないと思うよ?」
「お嬢さま。コイツに余計な事を言うのはおやめください」

「そうかそうか。じゃあ千夜、そろそろバラエティ方面の仕事にも手を伸ばしてみようか」
「お前、やめろ」
「実は結構、そっちの需要とか期待も、千夜のファンの間では大きいんだぞ。一度やってみないか?」
「やめろっ」

 後部座席から、顔を真っ赤にして身を乗り出す千夜ちゃんに、私はお腹を抱えて笑った。



5以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:54:55.17W5lmC8VA0 (5/14)

 今日はお仕事だった。
 と言っても、私のではなく、千夜ちゃんのグラビア撮影に同行しただけ。

 車の中ではあれだけむくれていたけれど、さっきのカメラの前では別人のように、千夜ちゃんはポーズだけでなく表情もしっかりキメていた。
 本人曰く、「やれと言われた事をやるだけです」とのこと。


「すごかったなぁ」

 被写体に徹しきる千夜ちゃんを思い出し、事務所のソファーに腰掛けながら、ふと感嘆の声が出る。

 あの子はそのまま、別の現場に行っちゃった。
 邪魔したら悪いかなと思って、私と魔法使いだけ帰ってきたのだ。

「まぁ、プロフェッショナルだよな」

 彼も、自分のデスクで腕組みをしながら頷いた。


「……すまない、ちとせ。
 お前にも、もっと仕事を用意してやれれば良いのだけど」
「ううん」

 私は首を振った。

「私のせいだもの。魔法使いさんは、何も悪くないよ」



6以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:57:18.57W5lmC8VA0 (6/14)

 元はと言えば、私がスカウトされたのがきっかけだった。

 街中で、私を探していたみたい。
 おかしな人。知りもしないものを探すだなんて。

 千夜ちゃんは、あまり良くない言い方だけれど、この人にとってはたぶん、私のオマケだったんだと思う。

 それが今では、すっかり千夜ちゃんの方が売れっ子さん。
 私は、最初の方こそグラビアのお仕事を楽しくやらせてもらったけれど、それからはあんまり、何も無い。


 でも、いいの。

「退屈をさせないって約束、あなたは守ってくれたから」

 だぁれもいない夕暮れの事務所。
 彼のそばに置かれた型落ちのラジオから流れる、時代遅れの陽気なコミックソングが、少しだけうるさい。

 今日も私にボンヤリと謝る魔法使いさんに、私はソファーから立ち上がり、笑ってかぶりを振る。

「千夜ちゃんに情熱の火を灯してくれた……。
 あの子に新たな生きがいを与えてくれただけで、私には十分なの。
 おかげで、毎日毎日、とっても楽しいよ」



7以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 16:59:25.44W5lmC8VA0 (7/14)

「そうか……」

 返事をしながらも、まだこの人は納得がいっていないみたい。

「俺は、ちとせはまだまだ、こんな所で終わる器じゃないと思っている。
 お前の魅力が発揮できる場を満足に与えられないのは、俺の責任だ」


「魔法使いさん、私のレッスン、見に来たことあったでしょう?」

 私は肩をすくめ、彼に同意を求める。

「私は元々、普通の子達ができる事が、満足にできないものなの。
 どうにもならない事に、謝る必要なんてないよ。謝るとしたら、それは私の方」


 小さい頃から、身体が丈夫ではなかった。
 できない事が多くて、諦めて受け入れて、成長するにつれてできない事がまた増える。

 私にとっては普通の事。
 なのに、この人はそれを、我慢のならない事だと捉えている。

「トップアイドルって、きっと何でもできないといけないんだよね」

「レッスン、辛いか?」
「うん」
「結構ハッキリ言うな」



8以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:00:54.33W5lmC8VA0 (8/14)

「嘘をついても、しょうがないもの」


 私は、それでもいいの。
 たとえ結果を残せなかったとしても。

「千夜ちゃんが、私の代わりにこの世界を楽しく生きてくれるなら。
 この世界に飛び込んでみて、私、良かったよ」

「ちとせ……」

 自分のデスクから私を見上げる魔法使いさんの顔は、ひどく悲しそうだった。
 イジワルな言い方をすると、それは、手前勝手な納得の押しつけ。

 そんな彼の姿に、腹を立てる筋合いも、悲しみを分かち合う必要も無い。
 そういうもの。私は私。

 夕陽に溶けていく魔法使いに、私は淡泊な結論を伝えるだけ。


「私、アイドルを辞めようかなぁって……ダメ?」



9以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:02:51.85W5lmC8VA0 (9/14)

「…………」

 魔法使いさんは、否定しなかった。
 きっと彼は、いずれ私がこういう事を言うって、薄々覚悟していたんだと思う。

 しばらく黙ったのち、パソコンをほんの少しだけカチャカチャと叩いて、私に向き直る。

「これに出よう」

「……?」
 彼が向けてきた画面を、訳も分からず覗いてみる。
 それは――。

「……オーディション?」
「そうだ」

 私みたいな半端者でも、参加条件は満たしているみたい。
 でも、彼が示したそれは、私がこれまで参加して落ちてきたどのオーディションよりもハイレベルで、厳しいものに見える。

「このオーディションに、もしお前が合格したら、お前はアイドルを続ける……それでどうだ?」



10以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:05:50.15W5lmC8VA0 (10/14)

「正気なの?」

 私は首を傾げた。
 前からおかしな人だと思っていたけれど――。

「私が手を抜けば……ううん、たとえ手を抜かなくたって、私が勝てるとは思えない。
 まるで遠回しに、どうぞアイドルを辞めてくださいって、あなたは私に言っているみたい」

 そう茶化してみると、魔法使いは少し表情を柔らかくして、首を振った。

「思い直す時間を作ってやんなきゃっていう……使命感、みたいなもんさ」


「……?」


 私の想いを置いてけぼりにして、何だか独りよがりな使命感。
 既にアイドルを辞める気でいる私に、こんな提案で何かが変わるとは思えない。

 この人は、私に何を期待しているんだろう?



11以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:07:21.88W5lmC8VA0 (11/14)

 たとえばお医者さんには怪我や病気を治す使命があり、消防士さんには火事を消すという使命がある。

 学校の先生は子供達に教養と道徳心を与え、警察官は悪い人を捕まえる。

 およそ全ての人々は、形はどうあれ、何だかんだで何かしらの社会貢献に繋がる使命を持っているみたい。
 八百屋さんもお魚屋さんも、ケーキ屋さんや文房具屋さんも、皆。


 プロデューサーの使命が、アイドルをトップに育てあげることだとしたら、アイドルの使命って何だろう?
 ファンの人達に、夢とか元気を与えること?

 そうだとすれば、私には元々合わなかったのかも知れない。

 私が欲しいのは、今にある享楽だけ。
 私の今が楽しければ、それで良いもの。



12以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:10:03.80W5lmC8VA0 (12/14)

 強いて私にも、使命があったとすれば、千夜ちゃん。

 きっかけを与えられたことで、ようやくあの子は生きがいを得た。
 黒埼の従者という呪いから解き放たれ、アイドルの世界で、自由に輝く太陽になれた。

 もっとも、呪いを与えたのは他ならぬ私だったけどね。
 でも、引き合わせることができて――楽しそうに生きる千夜ちゃんの姿を見ることができて、本当に良かった。


「それでは、行ってまいります。
 使い終わった食器類は、流しの水につけておいてください。
 空調は消さずにそのままで。連絡を受けていない来客には絶対に出ないように。それから……」

「うん、頑張ってね♪」

 バタン、と生真面目に静かな音を立てて、今日もあの子はお仕事に出かけていく。

 私には、それで十分なの。


「……さて、と」

 これからはオフがいっぱい増えるんだから、今のうちにちゃあんと、私なりの自由な過ごし方を見つけていかないとね。

 留守番をする予定だったけれど、ほんのちょびっとだけおめかしをして、私もまた、家の外に出た。



13以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:11:47.79W5lmC8VA0 (13/14)

 千夜ちゃんと一緒に住んでいるマンションから15分ほど歩いた所に、比較的大きな公園がある。
 見つけたのは、つい最近。

 ランニングする人。犬の散歩をする人。誰かと電話しながら足早に歩くサラリーマンさん。
 向こうの広場を見ると、子供達が遊具でキラキラと声を上げて遊んでいた。
 水場の近くでは、近所のおばちゃん達と楽しそうに談笑している、外国籍っぽい女の子もいる。

 こんな素敵な場所、もう少し早く知っていたらなぁ。
 日除けがちょっと少ないのが玉にキズだけれど。


 木陰のベンチに腰を下ろし、思い思いの時を過ごす人達をボンヤリと眺める。

 皆が皆、自分の生を持っていて、その一端が今、私の目の前で交錯し合っている。
 当たり前の事なんだけど、何だかとっても不思議な事。

 複雑に絡み合いながら廻っている歯車の一端を、その世界の外側から垣間見ているみたい。



14以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2020/06/26(金) 17:13:31.28W5lmC8VA0 (14/14)

 千夜ちゃんを送り出した私は、この先誰かに干渉したり、何かを与えたりするのかな?

 世界の片隅にポロリと落っこちた、名も無き部品という立場で、最期の時まで傍観し続けるのも、それはそれで――。


 ――?


 遠くの生け垣の近くで、何かがモゾモゾと動いているのが見えた。

 立ち上がって、目を凝らしてみると――女の子かな?
 こっちに背を向けて、中腰の姿勢。

 生け垣の園芸屋さん?
 それとも、落とし物でもしちゃったのかな?

「……♪」

 変なコトに首を突っ込むのは良くない癖だって、千夜ちゃんからはよく叱られちゃう。
 でも、今気になったものを無視するのもナンセンス。

 ふふっ。傍観するのも楽じゃないなぁ。