416 ◆b0M46H9tf98h2020/02/18(火) 02:59:46.09IvTdmkWf0 (1/1)

…地下室…

女性「……モーニン、教授(プロフェッサー)」


…女性がやって来た場所はレンガ造りの広い地下室で、室内のあちこちでは様々な道具や機材が組み立て中であったり、部品ごとに分解されていたりする……彼女が「教授」と呼びかけた相手は初老の紳士で、豊かな白髪をきちんと撫でつけ、いまにも鼻の頭からずり落ちそうな小さなレンズの丸眼鏡をかけている…


教授「うむ、おはよう……君は休暇じゃなかったのかね?」

女性「それが、おかげさまで取り消しになりまして…休めたのは一日だけですわ」

教授「おやおや」

女性「…ところで、部長からここで道具を受け取るよう言われてきたのですが」

教授「ああ、聞いておるとも「ナンバー017」…なにしろ君は上得意だからね」教授はわざわざ数字を「ゼロ・ワン・セブン」と区切って呼んだ…

017「ふふ…ジョアンナで結構ですわ、教授」

教授「承知したよ、ジョアンナ君…さて、それでは……」途端に後ろで鉄工所のような轟音が始まった……よく見ると隅っこにあるスクラップの山は半壊したモーリス乗用車のなれの果てで、風刺漫画に「最先端の発明品」などと題をつけて描かれているポンコツか、食べ終わったイワシの缶詰のようにへしゃげている…

017「……あれは?」

教授「前の任務でジェレミー君とハモンド君が使った車だよ…まったく、あの二人ときたら孫の代になってもあんな風に車を壊すに違いない」

017「そうかもしれませんね…」

教授「まあいい、本題に入ろう……何しろ君のために色々と用意したのだからね」…音が静かになるのを待ってから、様々なものが並べてあるテーブルにジョアンナを案内した

017「ええ」

教授「さて…どれから始めるかね?」

017「そう……ではこの日傘(パラソル)からお願いします」

教授「ほほう、相変わらず目が高いね…この日傘はなかなかの優れものだよ?」

017「ええ、何しろ色合いがいいですから……この時期に着るドレスとも合わせやすそうです」

教授「重要なのはそこではないよ、ジョアンナ君…まずは持ってみたまえ」

017「はい……意外と重いですね?」

教授「うむ、何しろ柄には良質なハーヴェイ鋼を使っているからな…ナイフ程度なら充分受け止めることが出来るだろう」

017「なるほど」

教授「それから握りを左にひねると、傘の石突き(先端)から刃が出てくる……毒が塗ってあるから触らんように」

017「…うっかり足の甲に突き立てないよう気をつけます」

教授「ぜひそうしたまえ……今度は右に九十度ひねって手前に引き、動かなくなったら今度は左に回していく…すると握りが取れて柄の中にある空洞が出てくる。機密書類などを隠すのに使えるはずだ」

017「どこかの夫人からいただいた恋文でもいいかもしれませんね♪」

教授「こほん…君の火遊びのために作ったわけではないのだぞ?」

017「これは失礼」

教授「…火遊びついでに言っておくと、この日傘の布地には特殊な難燃性の液体を染みこませてある……多少の火なら、かざして盾にすることで火傷をせずにすむだろう」

017「その機能を試す機会がないことを祈ります」

教授「私もそう思うよ……傘の「骨」には細い金属の線が仕込んであるが、しなやかで折れにくいからキーピックとしても使える」

017「まぁまぁ…今度レディの寝室にお邪魔するときにでも有効活用させてもらいます♪」

教授「……お次はこれだ」

017「万年筆、ですか?」

教授「一見するとそうだろうな。しかし真ん中からひねると……どうだね?」軸の部分を中心に半分になり、細いスティレットが出てきた…

017「まぁ…「ペンは剣よりも強し」とはいうものの、まさか両立させるとは思いませんでした」

教授「うむ……これこそまさに「ペンナイフ」と言うわけでな」そう言うと小さくウィンクをした…

017「ふふ…♪」

教授「しかもこの「ペンナイフ」は優れものでな……」

017「…ふむふむ?」


417 ◆b0M46H9tf98h2020/02/24(月) 01:58:27.48gyHnrrGl0 (1/1)

教授「なんと、ペンとしてもちゃんと使うことが出来るのだ」

017「あー……もう一度お願いできますか?」

教授「聞こえが遠くなる年齢を迎えるには早すぎやせんかね……この「ペンナイフ」はちゃんと万年筆としても使えるのだ」

017「そうですか…てっきり最初から両立出来ているものと思っておりましたが」

教授「とんでもない。この大きさに万年筆とナイフの機能を組み込むのがどれだけ大変だったことか…半年はかかったのだぞ」

017「ナイフで敵を、恋文でご婦人のハートを一突き……というわけですね♪」

教授「そういう考えもあるかもしれんな……これはコンパクト(手鏡)だが、こうやってひねると…」

017「あら、外れた」

教授「さよう。見ての通り二枚貝のように口を開くようになっていて、間には薄いメモや書類を隠すことが出来る……また、鏡自体を特定の角度に開いた状態で、ここにあるハンカチの刺繍と手鏡の印を合わせてをセットすると……見たまえ」

017「ロンドンの地図…ですか」

教授「いかにも……味方のセーフハウス(隠れ家)や連絡員のいる施設が分かるようになっておる」

017「なるほど…」

教授「それと化粧品のいくつかには特殊な効果をつけておいた……例えばこの白粉と琥珀色の小瓶に入った香水と混ぜ合わせ、相手に摂取させると自白剤になる…間違えて一緒に使わんように」

017「そうします」

教授「それから、この緑色の小瓶に入った香水は睡眠効果がある……吹き付ければ数分で眠気が回るぞ」

017「まぁ…ふふ♪」

教授「何か悪いことを企んでいるんじゃあるまいな、ジョアンナ君?」

017「いえいえ、そんな滅相もない」

教授「そうかね……この小さな桃色の香水瓶には惚れ薬が入っておる…君には必要ないだろうがね」

017「お褒めにあずかり恐縮です♪」

教授「…化粧品の入った小箱には二重底がしつらえてあるが、この部分に彫り込まれているバラ模様を軽く押してから引っ張らないと開かない仕掛けになっておる……ここに入っている白い粉薬は遅効性の猛毒なので、必要なときは相手の飲み物や食べ物に混ぜ、あとは知らん顔をしておればよい」

017「銀は黒ずみませんか?」

教授「もちろんそんなことはありはせんよ……味もしないから安心したまえ」

017「……味見をしたのですか?」

教授「もちろん解毒剤を飲んでから、だがね……解毒剤はこっちの薄黄色をした粉薬だ。意識を無くすまでに飲めば助かる」

017「それを聞いて安心しました」

教授「よろしい…さてさて、お次は葉巻入れが一つ」綺麗な黒檀で出来たしゃれたケースを指し示した…

017「…私は葉巻をたしなみませんが?」

教授「知っておるよ……この葉巻はちょっとした睡眠薬を染ませておって、だいたい一本が燃え尽きる頃には室内の人間が眠りについてしまうはずだ…むろん、口元でスパスパやっておればより早く回るわけだが」

017「でしょうね」

教授「葉巻入れの箱そのものは上げ底にしてあって、隙間にはちょっとした量の爆薬を詰めてある…内張りの生地は導火線になっておるから、ほつれを引っ張るようにしてほどいていき、好みの長さになったら火をつければよい……十秒の目安ごとに赤のより糸が縫い込んである」

017「…うっかり灰でも落とそうものなら大変な事になりますね……」

教授「そうならんようにな……さて、次は君の好きそうなものだ…」

017「きれいなご婦人ですか?」

教授「それは君の方が上手に調達できるだろう……宝石とドレスだよ」

017「なるほど…上等なシャンパンと同じくらい好きですわ♪」

教授「結構。まずは見ての通りダイヤモンドの指輪だ……ガラスやなにかに切り込みを入れるのに役立つはずだ」

017「ええ」

教授「お次は金の指輪が二つ…非常時の工作資金にも使えるし、見ての通り内側には暗号で刻印が入れてある……しかるべき人間が見れば、君に便宜を図ってくれるだろう」

017「大きさもちょうどです」

教授「それはよかった。もっとも、サイズごとに用意してあるから指に合わなければ交換するがね……この真珠のネックレスは鎖に弱い部分を作ってあり、パーティや何かでちょっとした騒ぎを起こしたい時に引っ張るとちぎれて真珠が飛び散る…目くらましにしては高価な日本産の真珠だから、使いどころはわきまえてくれたまえ」

017「もちろんですわ」



418 ◆b0M46H9tf98h2020/02/28(金) 02:26:51.60kIhT6LXs0 (1/1)

教授「…では、着る物の説明に移ろうか……コルセットの「骨」も日傘と同じく細い金属線で出来ておるが、中の一本…この部分の骨だが…は、表面を梨地(なしじ)に仕上げてある……ロープや何かを切りたいとき、ヤスリ代わりに使えるだろう」

017「なるほど」

教授「ドレスはフランスから生地を取り寄せて仕立てたものだ…どうだね?」マネキンに着せてあるドレスをさっとひと撫でして、抱き上げるように生地を持ち上げてみせた

017「実にいいですわね」


…クリーム色の生地に淡いモスグリーンと山吹色、薄い桃色でボタニカル(植物)柄を散らし、襟元や裾にアクセントとしてアルビオンはホニトンで産する高級レースをあしらった洒落たドレス……スカート部分はたっぷりと生地が使われているが動きやすいように作ってあり、胸元を見せる襟ぐりはデザインが優れているため、なかなか大胆ながらも上品に見える…


部長「……そう言ってくれて何よりだ、017」

017「あら、部長」

教授「長官、ようこそいらっしゃいました……ジョアンナ君、きみは相変わらず長官の事を「部長」呼ばわりしているのかね?」

017「ええ。何しろ私がナンバーをもらってからこのかた、部長は「部長」でしたから…♪」

部長「聞いての通りだ…ところで装備品の説明はすんだのかね、教授?」

教授「もう少しかかります……胸元や袖口、腰回りの裏地にはちょっとした「かくし」(ポケット)をしつらえてある…敵方から何かスリ取ったりした場合に、手早くしまうことが出来るだろう」

017「なるほど」

教授「一番大きくて丈夫なかくしは、生地がドレープ(ひだ)になっている腰の部分に設けてある……3インチ銃身のリボルバーなら隠せるサイズに作っておいた」

017「私好みの位置ですわ」

教授「そう言ってくれると思っておった……靴の生地には絹を使っておるが、甲には薄い鉄板が仕込んである…踏みつけられたり蹴り上げたりするときには重宝するだろう」

017「これなら舞踏会でダンスの下手な相手にあたっても大丈夫ですわね」

教授「かもしれん……ヒールは少しでも動きやすいよう、デザインでごまかして1インチの高さに抑えてある」

017「助かります」

教授「さてさて…いよいよ武器の方に入ろうか」紅いビロードの生地を敷き詰めた陳列ケースに近寄ると、蓋を開ける…

017「楽しみに待っておりましたわ…♪」にっこりと微笑を浮かべると頬に指をあて、まるで宝石を品定めするレディのようにケースを眺めた…と、部長が声をあげた……

部長「……教授、今回は少なくとも.297口径以上のピストルを持たせてやってくれ。今までのように.230口径のトランター・リボルバーだの、それよりももっと小さい玩具のようなリボルバーを選ばれては困る」

教授「はい、分かりました」

017「部長、お言葉ですが私は…!」

部長「手が小さいし反動の大きな銃は嫌いだ、と言いたいのだろう…だが、今回の任務は「パーティを抜けだして書斎からちょっと書類を拝借する」ような任務ではない……ちゃんと威力のあるピストルを持って行け」

017「しかし、女の私が大型ピストルなんて持っていたらその方がおかしいですわ」

部長「なにも私は象狩りに使う大砲のような銃を持って行けと言っているわけではない…女性の護身用としておかしくない程度のピストルを持って行け…と言っておるのだ……教授、何かいいのはあるか?」

教授「もちろんですとも…例えば.297トランター・リボルバーや.320口径の「ブル・ドッグ」タイプのリボルバー……いつも通りウェブリーにしておくかね?」(※ブル・ドッグ…特定のメーカーやモデルではなく、短銃身のピストルを総称していう。アメリカでは「スナブノーズ」)

017「ええ、こうなったら仕方ないですわ……」

教授「よければ「ウェブリー・フォスベリー」オートマティック・リボルバーのような変わり種もあるが、どうだね?」

017「ご冗談でしょう…あんな珍品を使いこなすようなエージェントがいるとしたらよっぽどの変人か、さもなければ月世界からやって来た人間くらいですわ」

教授「おやおや、ずいぶんと手厳しいね……それじゃあこれでどうかな?」

017「ウェブリーの小型リボルバー…口径は.297ですか」

教授「いかにも……これなら自衛用としてレディが持っていてもおかしくないし、きれいな装飾も施してあるからそれらしく見えるはずだ」

017「そうですね、金象眼に象牙の握り……私の好みから言うと少々飾り気がありすぎますけれど、これなら我慢出来ますわ」

教授「それは何より…それと弾薬はこれを持って行きたまえ」

017「…これは?」

教授「見ためは変わらんが新式の弾薬だよ……同じ黒色火薬でも燃焼のムラが少なく、銃身に燃えかすが残りにくいものでな」

部長「国内ではまだ流通しておらん、ぜひ役立ててくれたまえ」

017「…ありがとうございます」




419 ◆b0M46H9tf98h2020/03/05(木) 04:20:41.821c1u9xVg0 (1/1)

教授「それから様々な書類を用意しておいた……例えば「ホワイトフェザー」を始めとする婦人専用の「高級社交クラブ」の会員証に、数人の貴族夫人から受け取ったポーカーやティーパーティのお誘いが書かれた手紙……スコットランドや西インド諸島で過ごしていた事を示す旅券なども用意しておいた…」

017「そういったこまごました手紙や書類があると「カバー」(偽装)に信憑性が増しますから……とても役に立ちますわ」

教授「そう言ってくれると思っておったよ……さらにこれらはいずれも実際の用紙に実物と同じ道具で記載した「本物」の偽造書類だから、誰かに見せたとしても疑われることはないだろう…まぁ、ないものと言えば「君の本当の肩書き」を示す身分証くらいなものかな」

017「ふふふ…♪」

教授「…さて、これで一通りの装備が整ったわけだ」

017「それにしても至れり尽くせりですわね……いつもながら教授を始めとするびっくりどっきり…いえ、「装備品開発課」の奔放な想像力には頭が下がります」

教授「お褒めいただき光栄だよ、ジョアンナ君」

部長「…それだけ今回の件は重要視されていると言うことだ。忘れるなよ、017」

017「ええ」

部長「……それとだ、教授に頼んで送りつけられてきた「例の手紙」について調べてもらった…説明を頼む」

教授「はい……えー、まずこの「ブラックメール・レター」(脅迫状)を書いた人物は、かなりの高等教育を受けた人物であると思われます。筆跡も丁寧ですし単語のスペルにもミスは見られず、それなりの身分がある人物でしょう…」

017「それだけでは対象となる人物が多すぎますわ」

教授「まぁ待ちたまえ……この手紙に使われている紙を書類担当に調べてもらったところ、面白い事実が判明したのだ」

017「面白い事実?」

教授「いかにも。この手紙の送り主はホテルに備え付けの便せんでこの手紙を送ってきたようなのだが、上部に型押しされているホテルの紋章部分は切り取られていた……」

017「それでは何にもなりませんわ」

教授「ところがそれが違うのだよ、ジョアンナ君」

017「そうですか?」

教授「うむ……この紙をこちらにあるサンプルと比較してみたところ、ロンドン中心部にあるホテル「キング・エドワード」の物と判明したのだ」

部長「…さらに言えば、行方不明になった部員は「キング・エドワード」からほど近い場所で消息を絶っている」

017「では「キング・エドワード」を調べれば…」

部長「……何らかの手がかりがつかめるはずだ」

017「分かりました」

教授「こほん…まだ話は終わっておらんよ、ジョアンナ君」

017「これは失礼…♪」

教授「さらに気になることが一つ……この手紙が入っていた封筒の裏に、少しだけ封蝋の跡が付いていた…おそらく別な封筒を下に置いた状態でペンを走らせたのだろうね…」

017「それで、その封蝋はどこのものです?」

教授「それが面白いのだ……封蝋の跡を調べたところ、押されていたのは「クック旅行社」のものだと判明した」

017「…せしめた百万ポンドで世界旅行にでも行くつもりなのかしら?」

部長「それよりも、この「ファントム」が高飛びに使うつもりで資料を取り寄せた可能性が高いと見ている……いずれにせよ、これもなんらかの手がかりになるかもしれん」

017「そうですね…とにかく私は「ホテル・エドワード」に宿泊して、情報収集にあたります」

部長「頼んだぞ……こちらからも連絡員を一人派遣して、君の手伝いをさせる予定だ」

017「感謝します。では、他になければこれで……」

部長「…いや、あと一つある」

017「何でしょう?」

部長「味方とのコンタクトの際に用いる今回の作戦名だが……」

017「あぁ、そういえば伺っておりませんでしたわ」

部長「うむ…作戦名は「サンダーストラック」だ」(※Thunder struck…「びっくり仰天」の意)

017「分かりました、それでは…♪」

………







420 ◆b0M46H9tf98h2020/03/10(火) 03:12:42.09OEzfadPX0 (1/1)

017「さて、と…」


…任務説明を終えた「017」が迷路のようなレンガ敷きの地下通路を通って階段を上がり、まるで壁に擬態しているような隠し扉を開けると、不意に落ち着いた印象の室内に出た……さらにその小さな部屋を抜けた先は流行のドレスや手袋が飾られた婦人服店になっていて、いま出てきたドアには「試着室」と小さな金のプレートが取り付けてある…


店員(情報部職員)「……ドレスの方はいかがでございました?」

017「ええ、とても良かったわ…辻馬車を呼んでいただけるかしら?」

店員「承知いたしました」店員は手際よく店のそばで客待ちをしていた二輪馬車を呼んだ……

御者「……ご婦人、行き先はどうします?」

017「ホテル「キング・エドワード」までお願い」

御者「分かりました…やっ!」御者が軽く鞭をあてがうと、馬車がごろごろと走り始めた…

017「…」道を行き交う人々を観察しつつ、馬車に揺られている……軽快な二輪馬車は大きくて小回りの利かない四輪馬車やまだまだ珍しい自動車で混み合った道をすり抜けるようにしてロンドンの通りを走っている…

017「……確かに部長の言うとおりだったかもしれないわね」

………


…任務説明の後…

017「……ところで部長」

部長「何だね?」

017「自動車は貸していただけないのですか?」

部長「当然だ…いくら君が派手なタイプの情報部員だとはいえ、あんな最新流行の物に乗っていては目を引いて仕方がない」

017「それはそうかもしれませんが……」

部長「好奇心が旺盛なのは結構だがな、そもそも燃料式の自動車は燃料切れになれば役に立たんし、何かというと故障ばかりだ……かといってケイバーライト動力の車はロンドンでもまだそう多くない…そんな物に乗っていたのでは目立ちすぎる」

017「…分かりました」少し残念そうに言った…

部長「まったく……わかった、この件が上手くいったら一回くらいは使わせてやる」

017「まぁ…♪」

部長「そうなったときは頼むから壊すなよ…教授にぶつくさ言われたくはないのでな」

017「はい」

………



御者「……ご婦人、そろそろ着きますよ?」

017「ええ、そうね……ついでだから軽く辺りを走らせてもらえる?」

御者「分かりました」

…馬車に揺られつつ、周囲をそれとなく観察する……御者に軽く一ブロック(街区)を流してもらって再びホテルの前に着くと、踏み板を出してもらって馬車を降りた…

017「どうもね」御者の手に少し多めの硬貨をのせた…

御者「ありがとうございやした」帽子のひさしに手を当てて敬意を示すと、かけ声をかけて馬車を走らせていった…

ホテルのボーイ「…失礼いたします、荷物をお運びいたします」

017「ええ」

…ホテル「キング・エドワード」のロビー…

017「……失礼。予約をしておいた「レディ・バーラム」だけれど」

受付「はい、ご予約の方は承っております…ようこそおいで下さいました、お部屋のご用意は出来ております」

017「ええ、ありがとう」

受付「荷物の方はお部屋に運ばせますので」

017「お願いね」


421 ◆b0M46H9tf98h2020/03/14(土) 02:45:03.20uHQkxVlq0 (1/1)

…スイートルーム…

メイド「…お荷物はここに置いてよろしいでしょうか?」

017「ええ、それで結構よ…」三つばかりあるトランクを置かせると、まだ十四、五歳に見えるメイドの小さな手に一ポンドの金貨を握らせた…

メイド「…こ、こんなに……ありがとうございます///」

017「いいのよ、それとシャンパンをお願い…クリュッグのノン・ヴィンテージをね♪」

メイド「はい、すぐにお持ちいたします」

017「…さてと」(今日はとにかく気前のいいところを見せないと…そうでもしないとボーイやメイドの口を開かせるのは難しいもの……)

ホテルマンの声「……失礼いたします、ルームサービスですが…入ってもよろしゅうございますか?」

017「どうぞ」

ホテルマン「失礼いたします、シャンパンをお持ちいたしました」

017「そうね……では、そこの卓上に置いてくださる?」

ホテルマン「かしこまりました……シャンパンは今お召し上がりになられますか?」

017「そうね、そうするわ……」

ホテルマン「承知いたしました。では…」さっと純白のナプキンで瓶の口元を押さえるとそっと押さえつつ栓を抜く…控え目な「ポン!」というコルクの音がすると、小ぶりな丸いシャンパングラスに透き通った金色の液体を注いだ…

017「どうもありがとう、後は自分でやるから結構…♪」そう言うとまたしても多すぎるほどのチップを握らせた…

ホテルマン「……恐縮でございます」

017「よろしくてよ……それと、夕食は食堂でいただきます」

ホテルマン「承知いたしました、それでは失礼いたします…」

017「……ふぅ」ホテルマンが出て行くと椅子に腰かけ、グラスを手に取って一口飲んだ……ムースのように滑らかな泡に、ひんやりと喉を流れ下る爽やかな葡萄の香り……涼やかな味わいのおかげで、口の中にまとわりついたロンドンのほこりっぽさが洗い落とされる気分だった…

………

…しばらくして…

017「さて…そろそろ準備に取りかからないと……」クィーンサイズのベッドが鎮座している豪華なベッドルームにトランクを広げ、どのドレスを着るか思案顔の017……少し悩んだが教授の用意してくれたドレスはここ一番の場面で着ることにし、淡い桃色が華やかなドレスを選んだ…

017「…」一人で手際よくドレスをまとうと化粧台の前に座って軽く白粉をはたいて唇に紅をさし、髪を整えると真珠の首飾りをかけた…

017「ん…なかなかいい感じ」

017「……それじゃあ行くとしましょうか♪」最後に手持ちの小さなポーチにウェブリーを入れると、鏡に向かってウィンクを投げた…

…食堂…

給仕長「…どうぞ、こちらのお席にございます」

017「ええ」

給仕長「それではごゆっくりお楽しみ下さいませ」

017「…是非そうしたいところね……」


…手紙の差出人「ファントム」の正体が分からない以上、早い時間から晩餐の席に着いてそれらしい人物を探すつもりの017……もちろん相手が室内にこもってルームサービスを受けていることも考えられたが、部屋にこもりっぱなしの客というのは目立つ上、手紙につづられている気取った文面から「ファントム」は自分をひけらかすような所があると感じていた……何はともあれ017としては調べが付くところからあたってみるつもりだった…


給仕長「それでは、お料理の方をお持ちいたします」

017「お願いするわ」

給仕「……失礼いたします。仔牛のパイ皮包みでございます」

017「…あら、おいしい♪」一時間近く経ち、前菜から始まったフルコースも中ほどまで来た……017はコクのあるボルドーワインと一緒に仔牛肉を味わいつつ、同時に周囲の様子も観察している…

………





422 ◆b0M46H9tf98h2020/03/19(木) 02:29:07.39VA1TnMIM0 (1/1)

…しばらくして…

いい身なりをした紳士「あぁ君、いつもの席に頼むよ」

給仕長「はい…ようこそおいで下さいました。二十年もののアモンティリアード(シェリー)でございます」

紳士「結構」


…食堂にやってくるなり給仕長が慌てて席に案内し、下にも置かぬもてなしを受けている一人の男……高そうな仕立ての服に身を包み食前酒に年代物のアモンティリアードを注がせて、かしこまった態度の給仕たちに対しては素っ気ない態度をしている…


017「……あの紳士は?」小声でかたわらの給仕に尋ねた…

給仕「ああ…あちらのお方でしたらサー・パーシバルでいらっしゃいます」

017「サー・パーシバル?」

給仕「はい。サー・パーシバル・ストーンウッド……なんでもインド帰りのお大尽でして、大変な資産をお持ちの「百万長者」ともっぱらの噂でございますよ」

017「そう…ありがとう」

給仕「いえ、お役に立てて光栄でございます」

ストーンウッド「……この仔牛のカツレツは火の通りが好みじゃない…替えてくれ」

給仕長「申し訳ございません」

017「……サー・パーシバル…どうも気になる人物ね」

………



…夜・街の雑踏…

017「…」

男「……この時期のロンドンはいつも霧ですね」


…明るく輝いている宝石店のショーウィンドウを眺めていると、かたわらに立っていた男が合言葉をささやいた……男はごくごく普通の上着とベストの組み合わせで帽子をかぶり、ベストのポケットから懐中時計の金鎖を垂らしている……色も地味な茶系でまとまっていて、どこにでもいるような男に見える…


017「ええ、パリは違うかもしれないけれど……」

男「そうですね……どうも、ヘイスティングスです。本部から貴女の連絡役として派遣されてきました…接触してくるのを待ってましたよ」

017「待たせて悪かったわね…なにぶんホテルは晩餐の時間が長いものだから」

連絡員「分かってますとも……それで、何か指示は?」

017「あるわ……サー・パーシバル・ストーンウッドの身辺についてあたってもらいたいの」

連絡員「サー・パーシバル…百万長者と噂される成金ですね」

017「その噂も含めて彼の素性や財産…それとここ数ヶ月の間でどこかに出かけたり、大きな額の買物をしたりしたかどうかを調べてもらいたいの……明日の夜には結果が欲しいわ」

連絡員「明日の夜とはなかなか厳しいですね…でも、どうにかします」

017「ええ、お願いね」

連絡員「はい…受け渡しはどうします?」

017「明日のこの時間に王立劇場の前か……もしその時間に接触出来なかった場合は、ホテルの私の部屋に宛てて暗号文で送ってくれればいいわ」

連絡員「分かりました」

017「ええ、それではね…」

連絡員「はい」

………




423 ◆b0M46H9tf98h2020/03/21(土) 01:50:41.98Z90oaZyd0 (1/1)

…深夜…

受付「お帰りなさいませ、市内散策はいかがでございました?」

017「ええ、おかげさまで楽しく過ごさせてもらいました」

受付「それはなによりでございますね……すぐお休みになられますか?」

017「いいえ。せっかくですからサロンで飲み物でもいただきます」

受付「承知いたしました」


…ホテル・サロン…

バーテンダー「…ようこそおいで下さいました。お飲み物は何にいたしましょう?」

017「そうね、クルヴォアジェ(コニャック)をお願いするわ」

バーテンダー「かしこまりました……」

ストーンウッド「…君、私にグレンリベットをもう一杯」

バーテンダー「はい、すぐにご用意いたします」

017「…」(あら、てっきり部屋に戻っているものかと思ったけれど……様子を観察するには好都合ね…)

バーテンダー「お待たせしました…どうぞ」

017「ありがとう…」


…しっとりとした黒のイヴニングドレスをまとい、居心地のいいサロンの隅の方にある椅子へゆったりと身体を預けて、ちびりちびりとコニャックを傾ける017……奥まった隅っこの方は目立たず、サロンの出入り口と室内の様子が同時に視野に収まるので監視にはもってこいの位置だった…


のっぽの老婦人「……それにしても嘆かわしいことですわ…」

小太りの老婦人「全くですわね…爵位をお金でやりとりして、今では準男爵……噂によるとそろそろ男爵の位を買うつもりだとか…」

のっぽ「そんな人たちが社交界に入ってくるなど……」

小太り「…まっぴらごめんですわ」

のっぽ「ええ、まったく……」数十年前には似合っていたかもしれないドレスを着た二人の老婦人がちらちらとストーンウッドに視線を向け、羽扇で口元を隠しつつゴシップに興じている…

017「…」

ボーイ「…失礼いたします。よろしければお代わりなどお持ちいたしましょうか?」

017「そうね、いただこうかしら」

ボーイ「かしこまりました……同じ物でよろしゅうございますか?」

017「そうね、それがいいわ」

ボーイ「承知いたしました」そう言ってボーイが離れた瞬間、ストーンウッドの側に見慣れない男が立っているのが視界に入った……どうやらインド人のように見える色黒の男はなかなか背が高く、そのせいで細身の印象を与えるが、よく観察すると意外と骨太のように見える…

色黒で長身の男「………」

ストーンウッド「……」

色黒の男「…」色黒の男が何か耳打ちするとストーンウッドは一瞬だけ唇をかみしめで苦い表情を浮かべ、すぐ何事かをささやいた……何か指示を受けたらしい色黒の男は、早過ぎない程度の足取りで素早く出て行った…

017「あの男は夕食の時にはいなかったわね…彼の使用人のようだけれど……」

ストーンウッド「…」と、色黒の男が出て行って数分もしないうちにストーンウッドは飲み物を飲み干してサロンを後にした……

017「……何か気がかりな事でもあったのかしら…」

ボーイ「失礼いたします、クルヴォアジェのストレートでございます…」

017「あら、ありがとう…♪」そう言ってにっこり笑うとかなり多めのチップをはずんだ…

ボーイ「これは…どうもありがとうございます」

017「いいのよ……♪」

………




424 ◆b0M46H9tf98h2020/03/27(金) 03:24:07.53L2g+Yx+Q0 (1/1)

…翌朝…

017「うぅ…ん♪」ふんわりとした羽布団の中で軽く伸びをし、それからすっきりと起き上がった…

017「……さて、今日は調べ物にいそしまないと」早速呼び鈴の紐を引っぱり、メイドを呼んだ…

メイド「失礼いたします、お呼びでございましょうか?」

017「ええ…紅茶と「アルビオン・タイムズ」をお願い」

メイド「はい、すぐお持ちいたします」

…数分後…

メイド「お待たせいたしました」銀のお盆を持ってやってきたメイドは、続けて用事を受けられるようにそのまま脇に立っている…

017「ありがとう…」紅茶をお供に手早く記事を読み通した…

017「……それじゃあ着替えるから手伝ってちょうだい?」

メイド「はい」

017「今日はこのドレスにするわ…」

メイド「かしこまりました」017はメイドにドレスやコルセットの紐を留めてもらうと化粧台の前に腰かけ、軽く口紅を引いて白粉をはたく……一方、手慣れた様子のメイドはその間に髪を梳いたり整えたりしている…

017「…これでいいわ。ご苦労様」例によってかなり多い額のチップを渡した…

メイド「あ、ありがとうございます……こんなにいただいてしまって…」

017「いいのよ…何か用が出来たらまたお願いするわね♪」そう言うとメイドの頬をそっと撫でた…

メイド「は、はい…///」

…王立図書館…

017「…そこでいいわ。帰りは別の馬車を拾うから待たなくて結構よ」

辻馬車の御者「へい」

017「さて、と……失礼」たたんだ日傘に少し傾げてかぶっている流行の婦人帽…図書館で書見にいそしむ時の邪魔にならないよう飾りを抑えたデイドレスに、護身用ピストルやこまごました物が入っている小さなポーチ……よく磨かれた木のカウンター同様に年季の入っていそうな白髪の司書がいる受付まで行くと、小さく笑みを浮かべた…

司書「…はい、何かお探しですか」

017「はい。去年と今年の紳士録、社交界名鑑、それから貿易統計をお願いします」

司書「分かりました……お持ちしますからそちらの椅子におかけになってお待ち下さい」

017「ええ」

司書「……お待たせしました。どうぞごゆっくり」

017「ぜひそうさせていただきますわ」


…情報部が調べている情報とは別に、相手の素性を知るべく人名録をめくる017……書見用の台に革表紙の分厚い本を載せ、細かい字を眺めるために小さな丸眼鏡を取り出すと、手際よく詳細を読み込んでいく……天井の高い大聖堂のような静まりかえった空間にページをめくる音だけが響き、紙とインクの匂いがふっと立ちのぼる…


017「…あったわ……」サー・パーシバルのページに行き当たると経歴や財産などを入念に調べた……

017「……ロンドンの邸宅に、ラムズゲート近郊とドーセットシャーに別荘、サフォークに紡績工場…競走馬を一ダースあまりに猟犬用の犬舎を二つ……なかなか羽振りがいいようね……」

017「…「父親は元東インド会社で出世し、同地を訪問中であった会社役員の令嬢メイナー嬢と婚姻…サー・パーシバルはボンベイで産まれ、現地の英国人向け高級学校にて教育を受ける……」なるほど、典型的な植民地育ちという訳ね…」

017「それから、と…「その後インドで紡績工場等を経営し利益を上げ、富を得る」…まぁ普通はそうでしょうね……」

017「……ふぅ」細かい字を眺めて疲れを覚えたので目頭を押さえ、ちらりと懐中時計に目をやった…

017「もうこんな時間……ホテルに戻って着替えてから、お昼でも食べることにしましょう」

…昼…

給仕長「お待たせいたしました…」夜が遅い貴族ならではのブランチ(朝食と昼食を兼ねたもの)として、薄切りのコールドビーフにゆで卵、数種類のフルーツと紅茶が並んでいる……

017「……なかなか」優雅に食事を楽しみながら変わった様子がないかさりげなく観察しているが、ストーンウッドは顔を見せていない……

給仕「紅茶のお代わりはいかがでございます?」

017「ええ、いただきます…♪」チャーミングな笑みとしっとりした声…それに気前よく弾んでくれる心付け(チップ)もあって、ホテルの従業員たちは何くれとなくお世話をしてくれる……もちろん情報部員として「耳寄りな」話を聞き出すための下地作りとして行っていることだが、手際のいいサービスを受けられるのは気分がいい…

給仕「どうぞ」

017「ありがとう」


425 ◆b0M46H9tf98h2020/03/28(土) 00:49:24.81tlBYAevI0 (1/2)

…午後…

017「そろそろ午後のお茶をいただきたいわ…お願いするわね」

給仕「かしこまりました」

017「ええ……」と、サロンに姿を見せたストーンウッドと例のインド人らしい召し使い……

ストーンウッド「君、紅茶を」

給仕「はい、すぐにお持ちいたします」

017「…」味のしっかりしたセイロン紅茶のセカンドフラッシュをひとすすりしながら、きゅうりのサンドウィッチをつまむ……二つほど離れたテーブルでは手紙らしき紙片を手にしたストーンウッドと召し使いが小声でやりとりをしていて、切れ切れの声が耳に入ってくる…

色黒「……でございまして…」

ストーンウッド「…では、そのように取り計らえ……」

色黒「…かしこまりました、旦那様」

017「…」ほどのいいところでスコーンに取りかかり、クローテッドクリームを控え目につけていただく……その間にもストーンウッドの召し使いは席を離れ、足早に出て行った…

給仕「お代わりはいかがでございますか?」

ストーンウッド「…ああ」

017「…」

給仕B「失礼いたします」ほどほどのところで手際よくスコーンを下げ、ケーキ類の皿と取り替えた…

017「……あら、ありがとう」

…甘酸っぱい木イチゴのソースがかかったフランス風のムースに、濃密なウィーン風のチョコレートケーキ……綺麗な顔で少し首を傾げているところは、そのどちらを先に食べようか悩んでいる程度にしか見えない……が、その瞳には何かイライラしている様子のストーンウッドが入っている…

017「…」

給仕「失礼いたします、スコーンの方をご用意いたし……」

ストーンウッド「いや、もう結構だ」ぶっきらぼうにそう言うと、何か気になることでもある様子で去って行った…

017「……よろしいかしら?」

給仕「はい、ただいま」…ストーンウッドに食べられずに終わったスコーンを片付けると、手際よくやってきて側に控えた……

017「ごめんなさいね、紅茶がぬるくなってしまったの…取り替えていただける?」

給仕「これは申し訳ございません、直ちに…」

017「ええ……ところであのお方はどうなさったのかしら」

給仕「あのお方…サー・パーシバルのことでございましょうか?」

017「ええ。怖い顔で手紙をご覧になっていたかと思ったら、不意に出て行ってしまわれて……何か急ぎのご用事だったのかしら?」

給仕「さぁ、わたくしには分かりかねますが…どうも外国からのお便りだったようでございます」

017「まぁ、外国から?」

給仕「はい、どうもフランス語で書かれていたように思われましたが……」

017「そう…サー・パーシバルは国際的な方でいらっしゃるのね?」

給仕「ええ、それはもう……ボーイが申しておりましたが、あのお方に宛てて届く手紙のだいたいは外国の方々やロンドンにある各国の商社からだそうで、そういった手紙が何通となくあるそうでございますよ」

017「まぁまぁ…そうでしたの」

給仕「はい、そのように聞き及んでおります……あ、これは失礼。すぐに紅茶をお持ちいたしますので…」

017「いいえ、面白いお話をありがとう…どうぞ取っておいて♪」さりげなく一ポンド金貨を握らせた……

給仕「…ありがとうございます」

017「ええ……」

………




426 ◆b0M46H9tf98h2020/03/28(土) 02:00:35.18tlBYAevI0 (2/2)

…夜…

017「…それではお芝居を見に行きますから、馬車の手配をお願いするわ」

受付「かしこまりました」さっと視線を走らせただけで、ボーイが玄関前の馬車に合図をする…

017「ところで…」

受付「何でございましょう?」

017「朝のお手紙を配って下さるボーイさんだけれど、とても気が利いていますわ……こちらのホテルは教育がよろしいのね♪」

受付「これは、お褒めにあずかり恐縮でございます…当人にも伝えておきます」

017「ええ、ぜひ……それと戻ってきたら夜食をいただこうと思いますから、お手数だけれどお願いするわ」

受付「かしこまりました。それではいってらっしゃいませ」

017「ありがとう」

…王立劇場…

黒髪の令嬢「…今から楽しみですわね」

金髪の令嬢「ええ、今度の「ロミオとジュリエット」はロミオ役のレジナルド・パーカーが好演だともっぱらの噂でしたもの…」

紳士「…何でも今回のは演出に凝っているという話で……」

紳士B「……ティボルト役のカミングスがなかなかの腕前だそうだよ…ところで……」

017「…」

案内「ようこそお越し下さいました、こちらのお席でございます」

017「ええ、ありがとう」

…観劇中…

ロミオ「あぁ、なんと言うことだ…しっかりいたせマキューシオ、傷は浅いぞ!」

マキューシオ「ぐっ…三文芝居じゃあるまいし、あんなへろへろ野郎のけちな剣でやられちまうなど情けない……」

ロミオ「なんたることか、それもこれも恋の病で盲目になっていた私が招いたこと……だが安心いたせマキューシオ、仇はすぐに討ってやる…ティボルト!」

ティボルト「……なんだ、また貴様か。やり合うつもりがないのならとっとと帰るが良かろう」

ロミオ「…先ほどまでは両家の不和をこれ以上深めることはすまいと、剣の鞘に言い聞かせていたこの私……しかしこうなってはもはや許すことはかなわぬ、いざ勝負!」

…観劇後…

黒髪「本当に今回のロミオはいい演技でしたわ…」

金髪「ええ……でもジュリエットの女優もなかなか巧みでしたわね」

017「…」興奮冷めやらぬ観客たちに交じって劇場を出ると、ふっと角を曲がって待ち合わせの場所に向かった…

………



…王立劇場のそば・ベンチ…

017「…さて、何か有益な情報は手に入ったかしら?」王立劇場のそばには目立たない一本の通りがあり、そのベンチに連絡員が座っている……さりげなく隣に座り、扇で口元を隠しつつ声をかけた…

連絡員「…」ベンチに腰かけて腕を組み、ハンチング帽を目深にかぶっている……

017「……よほど大変な調べ物だったのね、でも居眠りは感心しないわ…」

連絡員「…」

…017は連絡員の肩を軽く叩いた瞬間、彼が眠り込んでいるのではないことに気がついた……ベンチに腰かけていた連絡員はすでに冷たくなっていて、ハンチング帽の陰からのぞく顔色は蒼白だった…

017「…どうやら長い居眠りをすることになってしまったようね……」と、連絡員の手が握りしめていた何かの紙片に気がついた…

017「これは…?」破かないようにそっと紙片を抜き取ると、さっと文面を確かめた…

017「…なるほど、ちゃんと成果を出してくれたのね……ご苦労様」小声でそう言うと、さりげなくベンチから離れた…

………




427以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/04/25(土) 04:05:50.96KZP7w2/JO (1/1)

続き待っております


428 ◆b0M46H9tf98h2020/05/25(月) 00:09:32.64+xDE/dv20 (1/1)

>>427 お待たせして申し訳ありません…当方、ここしばらくというもの病気で入院しておりまして(おかげでコロナとは無縁だったわけですが…)ようやくの復帰です

…今しばらくは更新のペースが落ち込んでしまうかもしれませんが、着実に進めて行きたいと思っています…どうか気長にお待ちいただければ幸いです


429 ◆b0M46H9tf98h2020/05/26(火) 01:19:45.80zrZiqQp90 (1/1)

…ホテルの部屋…

017「…さて、と」連絡員がその生命と引き換えに入手した紙片に改めて目を通した…

017「……サー・パーシバルは別荘にて舞踏会ないしは夕食会を開催する模様。招待客にフランス、ドイツ、オーストリア、ロシアおよびイタリアの商館員等が含まれていることから、同時に何らかの『商談』を行うものと思われる…また、クック旅行社宛に入金百二十ポンドを確認……この金額は南米行きの一等船室の船賃と合致する…」

017「以上の事からサー・パーシバルは情報を売却した後、南米への逃亡を企図しているものと推測される…ね」

017「となると、どうあってもその素敵なパーティにお呼ばれしてもらわないと…♪」

………



…翌朝…

017「申し訳ないけれど、この手紙を出してきていただける?」

ボーイ「はい、かしこまりました」

017「お願いね」


…暗号化した文面で書き上げた本部宛の手紙を、さも何気ない様子でボーイに渡した017……暗号はサー・パーシバルが「テリア犬」連絡員を「ティーカップ」といった具合で『留守から帰ってきてティーカップが割れていたのは、おそらくテリア犬がいたずらしたからでしょう…今度品評会があるので、それまでによくしつけておいてもらいたいものです…』などと言葉を置き換えてある…


017「…後はどうやってサー・パーシバルに接近するかが問題ね……紅茶でも飲んで考えるとしましょう」

…食堂…

給仕長「おはようございます、レディ・バーラム」

給仕たち「「おはようございます」」

017「ええ、おはよう」チャーミングな微笑と一緒にたっぷりのチップを振る舞ってきたおかげで、下へも置かぬもてなしを受けている017…

給仕長「…それでは何にいたしましょう?」

017「そうね、ダージリンをお願いするわ♪」

給仕長「承知いたしました……では、どうぞこちらのお席に」

017「ふふ、ありがとう」

…給仕長じきじきに窓際の席へと案内された017…運がいいことに近くのテーブルにはサー・パーシバルが座っていて、トーストとゆで卵の朝食を食べつつ紅茶をすすっている…

017「おはようございます、今日はいいお天気ですわね♪」軽く膝を曲げて会釈をしつつ声をかけた

ストーンウッド「…全くですな。レディ……あー…」立ち上がって礼を返したものの、017の名前を知らないので口ごもった…

017「あら、申し訳ありません…わたくし『レディ・ジェーン・バーラム』と申します」

ストーンウッド「これはご丁寧に……私はサー・パーシバル・ストーンウッドです、どうぞお見知りおきを」

017「まぁまぁ、貴方があの有名な…お会いできて光栄ですわ♪」

ストーンウッド「なに、それほどのものでもありません」そう言いつつもどことなく満足げなサー・パーシバル…

017「ふふふ、そうご謙遜なさらず……お噂はかねがね伺っておりますわ」

ストーンウッド「いや、お恥ずかしい限りだ…」

017「ふふ、サー・パーシバルは奥ゆかしい方でいらっしゃるのね…♪」

………





430 ◆b0M46H9tf98h2020/06/01(月) 01:28:44.04kS/aJaIz0 (1/1)

…しばらくして…

ストーンウッド「はは、そんな話があったとは知らなかったですな」

017「ええ、なかなか面白いと思いませんか?」

ストーンウッド「いや、全くだ……」と、サー・パーシバルの召し使いがやって来てかたわらに立った…

色黒「…旦那様」

ストーンウッド「…何だ?」

色黒「はい、それが例の件で……」

ストーンウッド「…そうか、分かった。 …レディ・バーラム」

017「はい、何でしょう?」

ストーンウッド「いや…おかげで大変愉快な一時を過ごさせていただいたが、少々用事ができたのでね……一旦これで失礼させていただく」

017「あら、それは残念ですわ…」

ストーンウッド「そうですな……そうだ、今度わが別荘でちょっとしたパーティを開くつもりですので貴女をご招待しよう…いかがかな?」

017「まぁ、それは素晴らしいですわね♪」

ストーンウッド「そう言っていただけるとこちらも嬉しい…招待状は後でこのシンに届けさせましょう」そう言って召し使いのことを指し示す

シン「…わたくし、旦那様の召し使いをしておりますシンと申します」017に向かって丁寧に一礼した…

017「ええ……では、招待状が届くのを楽しみにしておりますわ」

ストーンウッド「うむ…では失敬」

017「はい…♪」(…どうにかして今度のパーティに潜り込みたいとは思っていたけれど、まさか向こうから招待してくれるなんて……♪)

………



…翌朝…

声「…失礼いたします、レディ」

017「……はい、どなた?」

シン「サー・パーシバルの召し使いのシンでございます…昨日お約束した招待状をお持ちしました」

017「あぁ……分かりました、今開けますわ」

シン「…おはようございます、レディ」

017「ええ、おはよう」

シン「こちらが招待状にございます……それと旦那様から言付けで「今回のパーティは様々に趣向を凝らしているので、楽しんでもらえたら幸甚です」とのことです」

017「まぁまぁ、それはご丁寧に……サー・パーシバルには「招待いただいたこと、改めてお礼を申し上げます」と伝えておいて?」

シン「承知いたしました。それでは失礼いたします」

017「ええ、ご苦労様」そう言って半クラウン銀貨を手渡した

シン「ありがとうございます…」

017「…さてさて」封蝋を綺麗にはがすと、中の便せんを取り出した…使われているのはやはりホテルの便せんだったが、ペン先を変えるか違うペンを使っているらしく「脅迫状」とは筆跡が違う…

017「んー…」じっくりと文面を読み通す017……時候のあいさつと結びの文句でまとめられた招待状はごくごくありふれた印象を与えるが、やはりどこか気取ったような感じがする……

017「どうやらサー・パーシバルが「ファントム」で間違いないようね…」

017「……何はともあれ、これを使うことなしに回収できればいいのだけれど…ね」そうつぶやきながらリボルバーの弾薬を込め直すと「キシン…ッ!」とシリンダーを戻した…

………




431 ◆b0M46H9tf98h2020/06/03(水) 02:10:31.63EvO5b9s90 (1/1)

…数時間後・コーヒーハウス…

017「…」少し渋めのオレンジペコーにほどよくミルクを入れたホワイトティーをすすりつつ、手元に「ザ・タイムズ」を開いて接触を待っている…

部長「失礼…この席にかけても構いませんかな?」

017「ええ、どうぞ……報告書はお読みいただけました?」

部長「うむ、読んだとも」

017「それにしても部長自らおいでになるということは……よほどの事ですわね?」

部長「いかにも。今回の件はそれだけの事態なのだ…ところで君はサー・パーシバルが別荘で開くパーティに招待されたそうだな?」

017「はい、これがその招待状です」

部長「ふむ…筆跡こそ少し変えてあるが、この鼻につく文体は間違いなく同一人物の書いたものだな」

017「ええ、私もそう思います」

部長「よろしい。 では、君はこのパーティーに出席して所期の目的を達成しろ」

017「はい」

部長「頼んだぞ…それと、だ」

017「まだ何か?」

部長「うむ……今回の件で軍情報部が茶々を入れてきた」

017「ふぅ…またですか」

部長「ああ…」

………

…数時間前・内務省の応接室…

部長「これはこれは…おはようございます、サー・ジョン」

陸軍大佐「おはよう」

部長「わざわざ陸軍本部からおいで下さるとは、よほどのご用なのでしょうな……とりあえず紅茶でもいかがですか?」

大佐「いや、結構だ」

部長「そうですか……では失礼ながら、私だけ頂くとしましょう」ティーカップを持ち上げ、巧みに表情を隠す…

大佐「好きにしてくれたまえ…ところで、だ」

部長「ええ」

大佐「…うちの部員が気になる報告を上げて来たのだが……」

部長「ほう…?」

大佐「……何でも、オックスフォードの研究所から輸送中だった高純度ケイバーライトのサンプルが情報部員ともども行方不明だそうだな?」

部長「ええ」

大佐「…言うまでもないだろうが、ケイバーライトがあるからこそ我が国が列強の中でも抜きん出た存在でいられる……ということは分かっているだろうな」

部長「ええ、その点は理解しているつもりですが」

大佐「結構…つまり、今回の件は国防上の観点からしても重大な危機だということだ」

部長「…それで?」

大佐「今後は我々軍情報部もサンプルの捜索および回収任務を行う」

部長「なるほど…」

………



017「まったくもう……軍情報部ときたら人の足を引っ張る事に関しては一流ですわね」

部長「うむ、全くだ…連中に情報活動を任せておいたら、今ごろ我々の植民地はワイト島だけになっていたことだろう」



432 ◆b0M46H9tf98h2020/06/08(月) 02:20:39.19Ra8oZmoL0 (1/1)

017「ふふふっ…♪」

部長「笑い事ではないぞ、017……今のところ「ファントム」から追加の要求は届いていないが、それとていつどうなるかは分からん」

017「ええ」

部長「…それにだ、もし軍情報部がアナグマの巣を見つけた猟犬そこのけに鼻を突っ込んで辺りをかき回したりしてみろ……奴は焦ってサンプルを持ったまま「高飛び」するとか、どこかにサンプルを叩き売ってしまうだとかするかもしれん…もしそうなったら取り返しがつかん」

017「確かにそうですわね」

部長「今のところこちらからファントムへは「百万ポンド分の金をかき集めるのはたとえこの王国であってもある程度の時間がかかる」と期限の引き延ばしを図りつつ、軍情報部には明後日の方につながるような情報を流して目くらましにしているが、これもいつまで持つかは分からん……それに君との連絡役が消されたが、だからといって急に代わりを送り込むこともできん」

017「分かっております。なにしろ「仕込み」が急ですと目立ちますものね…」

部長「いかにも……私としても心苦しい限りだが、しばらくは君一人で任務を継続してもらうことになるだろう」

017「ふふ、そのために訓練を積んできたのですもの…大丈夫ですわ」

部長「…頼むぞ」

017「ええ、それでは……それとここのお勘定はお任せします♪」紅茶を飲み干すと立ち上がった…

部長「うむ」

………



…しばらくして・ホテルのロビー…

受付「お帰りなさいませ、レディ・バーラム」

017「ええ…ところで、わたくしに宛てて手紙か何か届いているかしら?」

受付「はい、すぐに確かめますのでお待ちを……」と、一人の女性が受付のホテルマンに声をかけた…

女性「…ごめんなさい。部屋の予約をしたレディ・カータレットですけれど」

受付「あ、少々お待ちを……」ちょうど複数の客が出入りしているさなかで、普段は手際のいいホテルマンたちもさすがに手が回らないでいる……

女性「なんだかタイミングが悪かったようですね?」

017「ええ、そのようね…♪」


…017に声をかけてきた女性はどちらかというとぽちゃぽちゃとした丸っこい体型で目の間も少し離れているため「とびきりの美人」とは言えないが、にっこりと笑みを浮かべた様子は人なつっこく可愛らしい感じがする……着ているドレスは落ち着いたバーガンディ(褐色がかった紅)で、仕立て方は流行りのスタイルから少し遅れているものの、柔らかそうな白い肌とよく似合っている…


女性「いけないいけない、自己紹介がまだでした……私、エリス・カータレットと申します」

017「これはご丁寧に…レディ・ジェーン・バーラムです、お見知りおきを」

エリス「こちらこそ……よろしければ、後で紅茶でもご一緒しませんか?」

017「ええ♪」

…しばらくして・ホテルのティールーム…

エリス「…まぁ、レディ・バーラムは教養がありますのね」

017「ふふ……そんなよそよそしい呼び方でなくても「ジェーン」で構いませんわ♪」

エリス「でも、よろしいんですの?」

017「もちろん…だってもうわたくしとエリスはお友達でしょう?」そう言ってとびきりチャーミングな笑みをみせた…

エリス「まぁ…///」

017「ね、せっかくですから呼んでみて下さらない?」

エリス「分かりました……ジェーン///」

017「なぁに、エリス?」

エリス「…その、せっかくですから夕食もご一緒できたら嬉しいのですけれど……///」

017「ええ、ありがたく承りますわ♪」

エリス「///」


433 ◆b0M46H9tf98h2020/06/09(火) 11:50:08.93CZpSqyL00 (1/1)

…夕食時…

エリス「ん、とても美味しいですわね」

017「ええ、そうね…♪」


…二人は会話をしながら柔らかいレタスと上等な仔牛のローストを味わい、シェリー酒を傾けている……しばらくおしゃべりをしていて分かったことだが、おっとりした感じのエリスは聞き上手で教養もあるがそれをひけらかすようなことはせず、017の言いたいことをよく分かってくれる…たとえて言うなら一緒にいるだけでほっとする、そんな気持ちの良い性格をしていた…


017「ふぅ、美味しかった…あら、まだシェリーが残っているわよ、エリス?」

エリス「ええ。でももう飲めないわ…」二杯目のシェリーを半分ほど飲んだところで、残りを持て余しているエリス…

017「そう、それじゃあ残りは私が頂くわね……麗しき友情のために♪」小瓶に残っている最後の数滴を給仕に注いでもらうと、軽く微笑みながらグラスを持ち上げた…

エリス「乾杯…♪」そう言うと杯のシェリーを飲み干した…

…食後…

017「ねぇ、エリス……シェリーが飲めない分、甘い物なんていかが?」

エリス「そうねぇ、甘い物は好きよ」

017「ふふ、なら決まりね…デザートとグラスのシャンパンをお願いするわ♪」

給仕「はい、ただいま」

017「……いかが?」

エリス「ええ、とっても美味しい…」イチゴのタルトレットにひんやりと冷やしたアングレーズソース(英国風カスタード)をかけた一皿を幸せそうに口に運ぶ…

017「それならよかったわ♪」

………



…しばらくして…

017「エリス……良かったら部屋まで送るわ」

エリス「ええ、ありがとう…」シェリーが多かったのか、それともデザートの時に勧めた冷たい甘口のシャンパンが効いたのか、少し上気した表情でそっと身体を寄せてくる…

017「お気になさらないで?」

エリス「……ねぇ、ジェーン」

017「なにかしら?」

エリス「その、良かったら……貴女のお部屋でもう少しお話ししたいの…♪」

017「…ええ、喜んで♪」


…エリスをスイートルームに招き入れた017は椅子を引いて彼女を座らせると、自分は向かい側の椅子に腰かけた……エリスが着ているドレスは昼間と違って着こなすのが難しそうな深い紫色だったが、ふっくらした胸元や柔らかそうな腕の白さを上手く引き立てている……その白い肌は食事とお酒でほのかな桃色に色付き、少し汗ばんでいるせいか灯りに照り映えて艶めいている…017は近頃見に行った舞台や流行のドレスといったたわいのない話をしながらも、エリスのほのかに開いた唇やとろりと熱っぽい瞳を見て身体がうずいた…


エリス「……あ、もうこんな時間……もっとお話していたいところですけれど、そろそろおいとまさせて頂きますわ」…深夜を告げるビッグ・ベンの鐘の音が余韻を残して消えていくのを聞きながら、名残惜しげに言った……

017「ええ、それもそうね…今度こそお部屋まで送るわ」微苦笑のような笑みを浮かべて立ち上がった…

エリス「…今宵はとても楽しく過ごせましたわ、それではまた……きゃあっ!?」

017「っ!」

…丁寧に一礼しようとして、ふらっとよろめいたエリス……017が倒れかかるエリスをとっさに支えようとすると、ちょうど抱きしめるような形になった…

エリス「あっ…///」

017「エリス、大丈夫だった?」

エリス「ええ、ありがとう……ん、ちゅぅ♪」

017「…んっ♪」不意に唇を重ねてきたエリス……甘い香水の匂いが鼻腔をくすぐり、ふっくらした唇の感触と甘いアングレーズソースの味がした…




434 ◆b0M46H9tf98h2020/06/14(日) 02:20:45.503iYgEsqG0 (1/1)

エリス「……ぷは…ぁ///」

017「ふぅ……エリス、それがどういう意味か分かって?」

エリス「ええ…あっ、ひゃあんっ♪」


…017は少し小柄なエリスを抱えるようにしてクィーンサイズのベッドに「ぽふっ…!」ともつれ込むと、もどかしげにヒールを蹴って脱ぎ捨てた……贅沢だが少し窮屈なドレスから白いシルクのストッキングに包まれた綺麗な脚がのぞくとエリスの脚と絡み合い、そのままエリスのふっくらとした柔らかな唇と、017の艶やかな唇が重なり合う…


017「んむっ、ちゅぅ……ちゅむ♪」

エリス「ん…ふ……あむっ、ちゅ……///」

017「ちゅうっ…ちゅぷ……んちゅ…」

エリス「はぁ…んぅ……れろっ、ちゅぱ…っ…♪」

017「ちゅぅっ……ん♪」二人が唇を離すと「つつ…ぅ」と唾液が糸を引き、少し暗くしてあるランプの灯りに照らされて金色に輝いた…

エリス「んぅ…ぅ///」

017「大丈夫、まだまだ夜は長いわ……ふふ」


…物欲しげなエリスの声を聞いて意味深な含み笑いを浮かべると、彼女のまとっているドレスをたくし上げはじめた……紫色のドレスがさらさらと衣ずれの音を立ててけし(ポピー)の花びらのようなしわをつくりながらめくれ上がっていくと、その下からすんなりとしたふくらはぎと、白いストッキングとガーターが窮屈そうなむっちりとした太ももが見えはじめた…


エリス「も、もう……あまり見ないでくださいまし♪」

017「まぁ、こんな素晴らしい眺めを見るなとは……エリス嬢はお顔に似合わず残酷でいらっしゃる…ちゅっ♪」

エリス「あんっ、いけません…どこに接吻をしておりますの…っ♪」

017「ふふふっ、もちろんエリスの柔らかなおみ足に……んむ…ちゅぅ、ちゅ…っ♪」

エリス「あ、あ、あっ…♪」

017「ちゅむ、ちゅぅ…エリスの脚は…ちゅぅ……まるで綿雲のように柔らかで…あむっ、ちゅっ……バラのようにいい香りがしますね…」つま先から口づけを始めて、ふくらはぎから太ももへと接吻する場所が上っていく…

エリス「ふあぁぁ…っ、あふっ……んあぁ…あんっ///」

017「…エリス」ちゅぅ…っ♪

エリス「んぅ…ぅ♪」ほのかな灯りの下でほんのりと汗ばんでいるエリス……白いコルセットの胸元からは(この時代の美意識からすると少し大きすぎるが…)魅力的な丸っこい乳房がはみ出し、谷間はしっとりと湿っている…

017「ん、ちゅむぅ……れろ…っ♪」

エリス「あ…っ、あぁん…っ♪」鎖骨や二の腕、そして胸元に吸い付くようなキスをされ、甘い嬌声をあげながら身をよじる…

017「んちゅ……ちゅぷ、ちゅぅぅ…っ♪」

エリス「ふあぁんっ、あふっ…んぅぅぅ…っ♪」

………





435 ◆b0M46H9tf98h2020/06/19(金) 02:06:58.66I4MlnSXy0 (1/1)

017「ん…んちゅぅっ、ぢゅぅぅ……っ♪」

エリス「はっ、はっ、はぁっ…んあぁぁ…っ、あふっ…♪」

017「んんぅ…っ、ちゅぅぅ……れろっ、あむ…っ……」

エリス「ふあぁぁ…っ、ジェーンさまぁ……あっあっ、あぁん…っ♪」


…ほのかな灯りの下で白く柔らかな身体をよじらせ、ねだるような嬌声をあげるエリス……とろりと濡れた瞳に形のよいふっくらした唇、汗ばんだ額に貼りついたひと房の髪……任務を含めて多くの女性と身体を重ねてきた017も、甘く乱れたエリスの姿を見ると花芯がうずいた…


017「…んっ、ちゅむ……ぴちゃ…れろ……ぉ…」

エリス「あふっ、あっ、あぁぁんっ…♪」

017「ふふふ……エリスったら甘くていい匂いがするわ…んちゅっ、ちゅぅぅ…っ♪」

エリス「ん、んんっ…そんなに吸い付いてはあとが残ってしま……あぁんっ♪」

017「…そうしたいからしているの……エリスの白い肌に私が愛した痕跡をとどめたいんですもの……んちゅぅぅ…っ♪」

エリス「も、もう…/// そんなことを言われたら、わたくし…拒めなくなってしまいます……あむっ、ちゅむ…ぅ///」

017「…ふふ」んちゅ…ちゅぅっ、ちゅぅぅ……♪

エリス「ん、ふ……///」ちゅむ、ちゅる……っ♪


…017の器用かつ多くのレディを口説いてきた舌と、エリスの柔らかで暖かい舌とがねっとりと絡み合った……二人はお互いに舌を絡ませ、歯茎をなぞり、唾液をすすり、息を継ぐ間も惜しんで相手の唇をむさぼった…


エリス「ふあ…ぁ、もっと……して下さいまし…ね///」

017「ええ、仰せのままに…♪」そう言うと片手で大きくて柔らかな乳房を優しく揉みしだき、もう片方の手を秘所に伸ばした…

エリス「あっあっ、あふぅ……んぅっ♪」

017「ふふっ、エリスのここは暖かで……それにとろりと濡れていて…♪」ちゅぷっ……くちゅ…っ♪

エリス「あぁぁっ…あうんっ、はぁん……っ♪」017のほっそりとした長い指が花芯を優しくかき回し、たわわな胸をゆっくりとこね回す…

017「…エリス」身体を重ねて耳元でささやく…

エリス「あぁぁ…っ、もう……そんな風になさるなんてずるいですわ…んぁぁっ///」とろ…っ、ぬちゅ…♪

017「ふふ……♪」くちゅくちゅっ、ぢゅぷ…っ♪

エリス「はぁ、はぁ、はぁ…もうっ、貴女がそんな風に意地悪をなさるのなら、わたくしにも考えがありますわ……っ♪」じゅぷっ、くちゅぅ…っ♪

017「あっ、んぅぅ……っ♪」どちらかというと子供のようにぽってりとしているエリスの指が、ぬるり…と膣内に這入ってくる……どこかおっとりしていて憎めない感じのするエリスが「プレイガール・スパイ」である017に負けじと一生懸命になって花芯をかき回してくると、思わず甘いため声が出た…

エリス「ふぅ、ふぅ、はぁ……ん、んぁぁ…っ♪」ぬちゅっ、ぐちゅぐちゅ……っ♪

017「んぅぅ…はぁ、あぁ……ん♪」ぢゅぷ…くちゅっ♪

エリス「あふっ、ああぁんっ…ジェーンさま……もっと…ぉ///」

017「んっ、あ…それじゃあエリス、私にも……んんぅ♪」

エリス「はい……あっあっ、あぁぁぁん…っ!」ぐちゅぐちゅっ、とぷ…っ♪

017「あっ、んんぅ…っ♪」ちゅぷ…くちゅっ……とろ…っ♪

エリス「はぁ、ふぅ……あふ…っ///」恥ずかしげに顔を赤らめつつも、甘ったるい声をあげるエリス……愛蜜ですっかりべとべとになったストッキングとガーターが、てらてらとランプの灯りに反射している…

017「ふふ……エリス、とても可愛かったわ♪」エリスをよがらせるのに思っていたより体力を使い、軽く肩で息をしながらも余裕めかして微笑んでみせた…

エリス「そんなことを言われたら恥ずかしいですわ……ですが、その…ジェーンさま…///」

017「なにかしら?」

エリス「…よろしければ……もっと、いたしましょう…?」



436 ◆b0M46H9tf98h2020/06/24(水) 02:08:40.95PzaQ6HUf0 (1/1)

017「ふぅ……」

エリス「あっ、いえ…その……わたくしったら、なんとはしたない事を…っ///」

017「……喜んでお相手させていただきます♪」ちゅぷ…ぬちゅ、くちゅり…♪

エリス「えっ……あ、あっ、んぁぁ…っ///」

017「ふふふっ、エリスの甘い蜜…こんなにあふれて……ん、じゅるっ……ぢゅる…っ♪」

エリス「ふあぁぁっ、あふぅっ…そこぉ、いいれひゅ……ぅ♪」とぷっ、とろっ…♪

017「…ん、れろっ…じゅる……ちゅぷ…っ♪」

エリス「はひぃぃ、あぁんっ……でも、わたくしらって…ジェーン様にしてもらってばかりでは……ありませんわ…っ♪」ぬるっ、ぢゅぽ…っ♪

017「んんっ、ふあぁぁっ♪」


…エリスは互い違いの馬乗り状態になって花芯に舌を這わせていた017をひっくり返すと、今度は自分が上になって017の割れ目に舌を差し入れた……エリスのむっちりと柔らかでしっとりと汗ばんだ身体が覆い被さり、粘っこい舌がぐりぐりと秘所をえぐる…


017「んぁぁ、あっ、あん……っ♪」

エリス「んむっ、ちゅぅ…むちゅぅっ、れろっ……ん、ふ…♪」んちゅっ、にちゅ…くちゅぅ…っ♪

017「はふぅ、あふぅ…んっ♪」

エリス「んちゅっ、じゅるっ……んちゅ…♪」

017「んぅ、ふわぁん…っ……あむっ、じゅるぅぅ…っ♪」

エリス「はひぃっ、あっ…ひぐぅ゛っ……あぁ゛ぁ…っ♪」とろっ、とぷっ……ぷしゃぁぁ…っ♪

017「イくっ、ひぐぅ゛ぅ……っ♪」エリスが甘い絶叫をあげながら身体をがくがくとひくつかせた拍子に、一気に奥まで舌をねじ込まれた形になった017……その甘美な衝撃に思わず身体が跳ね、瞳が焦点を失った…

………



エリス「ジェーン様……わたくし、こんな甘美な経験をしたのは初めてですわ…///」

017「ええ、私も…♪」ちゅっ…♪

エリス「あ、いけません……こんな経験をしてしまっては、一人きりのベッドがもの寂しくなってしまいます…///」

017「ふふっ…そんな夜がありましたら、どうか遠慮せずにわたくしを呼んでください……ね♪」明るさを落としたランプのぼんやりした薄暗がりの中、エリスに向かって微笑んでみせた…

エリス「…っ///」

017「ふふふ……♪」

…べとべとの愛蜜にまみれた気だるい雰囲気の中、二人はお互いの身体を優しく愛撫しながらたわいない世間話をした……そしてしばらくすると(同じホテルに宿泊している事もあり)話は当然のようにインド帰りの百万長者と噂になっているストーンウッドの話題になった……

エリス「まぁ、それでは貴女様もサー・パーシバルに招待されたのですね♪」

017「ええ」

エリス「わたくしも招待されておりますが、ジェーン様とご一緒出来て喜ばしい限りですわ……それにしても当日が楽しみですわね?」

017「そうですか?」

エリス「ええ…だってサー・パーシバルといえば爵位こそ準男爵に過ぎませんけれど、その百万長者ぶりは王国中に知れ渡っておりますもの」

017「確かにそうですわね」

エリス「そんなお方のパーティに招待されるなんて、素敵な事ですわ…♪」

017「かもしれませんね」

エリス「ジェーン様もきっと……もう…っ///」急に口元を抑えてあくびをかみ殺した…

017「……そろそろ夜も更けます、明るくなるまでにひと眠りいたしましょう?」

エリス「そうですね……わたくし、急に…ふわぁ……///」

017「ふふっ……良い夢をね、エリス…♪」頬に軽くキスをすると、枕に頭を乗せて落ち着いた寝息を立て始めた……

エリス「お休みなさい、ジェーン様……」そっと唇に口づけをすると音を立てずにベッドから抜け出し、ベッドサイドの小机の上に置いてある017のポーチを調べ始めた…

017「…」寝たふりをしたままエリスの行動を確かめると、一瞬だけ唇の端に皮肉な笑みを浮かべた…

………




437 ◆b0M46H9tf98h2020/06/30(火) 00:28:12.48BPEgFogg0 (1/1)

…数日後・ラムズゲート近郊…

017「…サセックス州もこの辺りまで来ると潮の香りがしてきますわね」

食堂の亭主「そうですね、特にここらはドーヴァー海峡から吹く海風がありますから……湿地だらけで湿っぽいところですが、そのぶん鴨だのシギだのがたくさんいますから、鳥撃ちにはもってこいですよ」

017「そうでしょうね」


…017はロンドンから南東に延びる道をチャタム、マーゲートと経由してサー・パーシバルの別荘に向かっていた…活動的な若いレディらしくロンドンで借りた軽快な二輪馬車の手綱を自ら操り、地元のちょっとした食堂や旅籠に入っては休憩がてら亭主や地元の人間の話に耳を傾け、情報を集める…


亭主「…それにあたしら地元の人間からすると別段何の変わり映えもしない風景ですが、都会から来なさる方々にはいいところに見えるようで……貴族のお方の別荘や何かも結構ありますよ」

017「確かに、のどかでいいところに見えますわ」

亭主「そう言って来て下さる方がいらっしゃるから、あたくしの暮らしも成り立つんで…」

017「違いありませんわね…♪」

亭主「ええ、そうなんでございますよ。なにしろ街道はドーヴァーの港からカンタベリーの方に延びているもんですから、こっちの方にはちっとも人が来ないんで……別荘をお持ちの方が猟の獲物を買い上げて下さったり、こうしてご婦人のようにお茶を飲みに馬車を止めて下さったりしてくださるからどうにかやっていけるというわけでして…」

017「なるほど」

亭主「ええ。特にここ数日はストーンウッド様のところでパーティかなにかがあるようで、もう何人もいらっしゃってますよ……中には外国人もいましたっけ」鼻にしわを寄せてフランス人を始めとする「大陸の人間」に対する軽蔑を示した…

017「あら、そうなの?」

亭主「はい、それはもう……」

017「そうでしたの…面白いお話が聞けて楽しかったですわ」にこやかに笑みを浮かべ、お茶の代金を払った…

………

…ストーンウッドの別荘…

017「…ここがサー・パーシバルの別荘ね……」


…ゆっくりと馬車を走らせながら、さりげなく周囲を観察する017……十数エーカーはありそうは広い敷地に延びる馬車道を玄関に向けて進んでいくと、落ち着いた、しかし立派なジョージ王朝風の屋敷が見えてきた……辺りにはなかなかよく手入れされた庭が広がり、裏手には葦(あし)や水草の生える湿地が広がっている…すでに招待客のいくらかは到着しているらしく、玄関前の噴水を取り囲むように円を描いている車寄せには数台の馬車が停まっている…


017「どうどう…」

召し使い「…ようこそおいで下さいました、レディ…失礼ながらお名前と……それから招待状はお持ちでいらっしゃいますか?」玄関先で手綱を引いて馬を停めると、さっそく召し使いが近寄ってきた…

017「ええ、ここに」

召し使い「……確かに。では馬車はわたくしどもが停めておきますので、どうぞ中へ」

017「お願いね」

召し使い頭「…ようこそおいで下さいました、レディ・バーラム。お部屋へはわたくしジェンキンスがご案内いたします」

017「ありがとう、ジェンキンス」

…屋敷の中…

ジェンキンス「…お部屋はこちらにございます、レディ・バーラム」

017「まぁ、素敵なお部屋ですわね…♪」

…屋敷のファースト・フロア(二階)にある客室はいかにもインド帰りの「お大尽」らしく、多少趣味は悪いが贅を尽くした調度がそろっている……黒檀で出来たキャビネットやえんじ色の絨毯に、切り子細工の水差しとグラス……窓からは自然らしさを重んじるアルビオン風の庭園がよく見える…

ジェンキンス「それでは、お召し物のお着替えや何かもございましょう…ご用の向きがございましたらそちらの紐を引いて下さいませ」

017「ええ」

ジェンキンス「会食のお時間になりましたらご案内いたしますので、それまではどうぞご自由になさって下さいますよう…と、仰せつかっております」

017「サー・パーシバルの行き届いたご配慮に感謝いたしますわ」

ジェンキンス「はい。それと広間の方にはお飲み物や軽食などを用意してありますので、よろしければおいで下さいませ……ストーンウッド様もそちらにいらっしゃいます」

017「分かりましたわ」

ジェンキンス「それでは、失礼いたします」

017「ええ」(…さて、いよいよね)

………




438 ◆b0M46H9tf98h2020/07/08(水) 01:37:52.15RuFApEMq0 (1/1)

…広間…

017「…お久しぶりですわね、サー・パーシバル」

ストーンウッド「あぁ、これはレディ・バーラム。ようこそつつましい我が別荘へ」

…ストーンウッドは口でこそ「つつましい」などと言っているが、なんともぜいたくな調度が並べられている大広間……すでに何人もの客人がお茶や菓子のもてなしを受けつつ、会話に興じている…

017「今回はお招き下さってありがたく思いますわ……とても素敵なところですわね」

ストーンウッド「レディ・バーラムにそう言っていただけるとは光栄です」

017「本当のことですもの…それでは、わたくしはお茶を頂戴して参りますわ♪」にこやかな笑顔を浮かべ、ストーンウッドから離れた…

ストーンウッド「……ミスタ・ウェイクフル、こちらは在ロンドン・フランス共和国大使館の商務官、ムッシュウ・ジーン・ジャック・ルブランク…ムッシュウ・ルブランク、こちらはアメリカに本社がある「ロンサム交易」のミスタ・ジョーンズ」

山高帽のアメリカ人「どうも」

しゃれたフランス人「アンシャンテ(初めまして)…ムッシュウ・ストーンウッドのご紹介にあずかりました、ジャン・ジャック・ルブランです」身体にぴったりと合った燕尾服姿のフランス人は小ばかにしたような笑みを浮かべて、サー・パーシバルの「アルビオン人らしい」無茶苦茶なフランス語の発音を訂正しながら自己紹介した……

ストーンウッド「……ミスタ・ブレイク、こちらはマドモアゼル・マリーヌ・ルロワ…」

細い口ひげの紳士「あぁ、シニョーレ(ミスタ)・サバチーニを紹介しないといけませんね…レディ・ロックフォール、こちらは「アニェッリ貿易会社」のシニョーレ・ジュセッペ・サバチーニ……」

片眼鏡の紳士「まだお引き合わせしておりませんでしたね。こちらのお方はオーストリア・ハンガリー帝国の大使館付商務官、ミスタ・ルドルフ・エアハルト…」

小粋なイタリア人「…こちらはドイツ帝国の男爵、カール・ハインリッヒ・フォン・レーヴェン……」

017「…」


…空いている椅子に軽く腰を下ろして優雅にお茶を飲みながら、他の「客人たち」を観察する017……たいていは様々な国から送り込まれてきた様々なエージェントたちで、明るく振る舞う社交的なタイプから、後ろ暗い事でもあるようにこそこそしているタイプまで、まるで見本として取り揃えたかのように顔を並べている……そのうちの何人かは017でも意識しなければそれと気づかないような見事な偽装をしている一流エージェントだが、反対に二十五ヤード離れていても諜報員と嗅ぎ分けられるようなシロモノで、顔中に「スパイ」と書いてあるように見える者もいる…


017「…あら、あれは……?」なかば面白半分に観察を続けていると、他の客人たちに交じって自己紹介をする一人の見なれた姿が目にとまった…

エリス「お初にお目にかかります。わたくし、エリス・カータレットと申します……」

017「……やっぱりエリスだったわ…」

エリス「…まぁまぁ、そうなんですの……面白いですわね♪」

017「…」017は出発前に部長から聞かされた情報を思い起こしていた…

…数日前・ロンドン…

部長「…よく来たな。まぁ座りたまえ」

017「ええ」

部長「早速本題に入ろう…君から調査を頼まれた「レディ・エリス・カータレット」だが、どうやら彼女は「壁の向こう側」から送り込まれてきた人間のようだ」

017「…共和国の?」

部長「うむ…とはいえ確たる証拠は何もない。何しろレディ・カータレットの両親は例の革命騒ぎの時に亡くなり、老当主はもう高齢で孫娘の顔とティーポットの区別がつくかどうかも分からん…」

017「その辺りのレジェンド(偽装経歴)の作り方はさすがと言うべきですわね」

部長「ふむ「敵ながらあっぱれ」というやつか? …とにかく注意しろ。彼女の「活動」はこれまで確認できていないが、それはこちらに尻尾を掴まれず上手く行動しているか、さもなければ共和国の連中が秘蔵っ子として大事にしていた「スリーパー」(休眠スパイ)を起こしたということになる……どちらにせよ腕利きの情報部員と言うことだけは間違いない」

017「なるほど」

部長「それから、サー・パーシバルの別荘には欧米列強の情報部員やそれに類する連中が次々と入っている……確認しただけでもフランス、ドイツ、オーストリア・ハンガリー、アメリカ、イタリア…数えきれんほどだ」

017「まるでスパイの見本市ですわね…♪」

………



エリス「……まぁ、ジェーン様♪」

017「ふふ、エリス…お会い出来て嬉しいわ♪」膝を曲げて礼を交わすと、お互いににっこりした…




439 ◆b0M46H9tf98h2020/07/14(火) 02:44:17.49pLuIMkXr0 (1/1)

エリス「…それで、ジェーン様はお断りしましたの?」

017「いいえ……ただ聞こえないふりをして返事をしなかっただけですわ♪」

エリス「まるでネルソン提督ですわね…♪」


(※ネルソン提督…英仏戦争時「トラファルガーの海戦」でフランス艦隊を打ち破りナポレオンの野望を砕くも、甲板上で狙撃され戦死した名提督。過去の戦闘で片目になっており、消極的な命令を伝える信号旗が掲揚されると見えない方の目に望遠鏡を当てて命令を見なかったことにしたという……本国で埋葬するため死体が腐敗しないようラム(実際にはブランデー)の樽につけたが、帰投したときには盗み飲みをした水兵たちによって樽がすっかり飲み干されていたという伝説もあり、それから上等のラムを「ネルソンズ・ブラッド」(ネルソンの血)と呼ぶ)


017「ふふ、ネルソン提督とは光栄ですわ」

フランス人「こほん……あー、マドモアゼル。よろしければお菓子か何かお持ちしましょうか?」

017「メルスィ、ムッシュウ…でしたらアプリコットのパイを取ってきて下さいますか」

フランス人「ウィ」

イタリア人「…シニョリーナ(お嬢さん)、貴女もなにかいかがです…お皿が空っぽですよ?」

エリス「まぁまぁ、ご親切にどうも……では、きゅうりのサンドウィッチをひとつお願いします♪」そう言うと愛らしい無邪気な笑みを浮かべた…

イタリア人「分かりました、では少しばかり待っていて下さい♪」


…一見するとにこやかに談笑する華やかな紳士淑女たちだが、お互いに自分以外の誰がエージェントなのか、それとも「壁の花」として呼ばれたただの客なのかを見極めようと腹の探り合いをしている……ストーンウッド本人もそれを承知の上で、あくまでも気前のいい招待主として振る舞っている…


アメリカ人「いやぁ、ステイツ(合衆国)だとそういうことはなくって…なにしろ西部じゃまだまだ野盗の群れは出るわ、暑さで干上がりそうになるわで大変なんですよ♪」

若いフランス女性「そうなんですの……それがはるばるアルビオンまでおいでになるなんて、まるで大冒険だったことでしょうね」

アメリカ人「ええ、全くですよ」

ストーンウッド「…それはご苦労でしたね、ミスタ・ウェイクフル」

アメリカ人「なぁに、ロンドンで大口の商談がありましてね…お偉いさんがその件だけは「どうしてもまとめなくっちゃならない」って言うんで、私が呼び出されたんですよ……もっとも、そのおかげでこんな素敵なパーティにお招きいただいたわけですがね♪」

ストーンウッド「いやなに、大したものではありませんよ」

アメリカ人「ははは、またまたご冗談を……」

………

…夕方・017の客室…

メイド「…いかがでしょうか、レディ・バーラム?」

017「ええ、それでいいわ」


…和やかなティーパーティの後、晩餐に合わせた衣装へ替えるためそれぞれの部屋に戻った客人たち……017も客室に戻ると、本部の「教授」が用意してくれた特製のドレスに袖を通す……もちろん手伝いに来たメイドにはドレスのあちこちに施された巧妙な「装備」など分かるわけもなく、言うがままに身支度を手伝っている…


メイド「髪の方はこれでよろしゅうございますか?」

017「そうね、大変結構よ…♪」後ろに立って髪を手伝っているメイドを鏡越しに見ながら腕を伸ばすと、丁寧すぎるほどの手つきで頬を撫でた…

メイド「…さ、さようでございますか///」

017「ええ…あとのこまごましたことは自分で出来ますから、下がって構いません」

メイド「は、はい…///」

017「……さて、あの可愛らしいメイドの娘を厄介払い出来たところで…♪」小型のウェブリー.297口径リボルバーをドレスのドレープ(ひだ)に設けられたスペースに隠し、様々な小道具が収められている葉巻入れの箱をポーチに入れた…最後に香水を軽く一吹きすると首に真珠のネックレスをかけた…

017「……これでよし…と」

………





440 ◆b0M46H9tf98h2020/07/17(金) 02:56:17.26DI8koIbF0 (1/1)

…大食堂…

ストーンウッド「…さぁ皆さん、どうぞおかけになって下さい」

017「あら…♪」

エリス「まぁ、ジェーン様がお隣だなんて……わたくし、嬉しい…///」

017「ふふ、そう言ってもらえて光栄です…さ、お料理を取ってあげますわ♪」

…差し渡しが数十フィートもありそうな長テーブルの左右には着飾った紳士淑女が座り、それぞれの前には豪奢な銀食器が並べられている……そしてテーブルの中央には様々な料理が取りそろえられ、温かいものは温かく、冷たい物は冷たく供せられるようきちんと注意が払われている…

エリス「ええ、お願いいたします…♪」

017「ではお魚にしましょうか……それともエリスはお肉の方がよろしいかしら?」

エリス「そうですね…それじゃあ最初は魚にいたしますわ」

017「そう♪」


…銀の大きなふた付きの皿には、香草焼きのヒラメが丸々一尾入っていた……ナイフで切り分け口に運ぶとふわりと白身の肉がほぐれて、ディルやパセリのほのかな香味と白ワインの軽い酸味、シンプルで奥ゆかしい塩胡椒の味が引き立てあって舌の上に広がった…


017「…あら、美味しい……」

若いフランス女性「マドモアゼル、魚には白ワインがよろしいですわ…」

017「確かに」

フランス女性「ええ…わたくしなら「プィイ・フュメ」か「シャトー・マルゴー」を選ぶところですが……」

017「ふふ、わたくしもぜひそうさせていただきたい所ですわ……マドモアゼル・ルロワ♪」そういって相づちを打つと、とろりと甘い表情を浮かべた…

フランス女性「え、ええ…///」

エリス「……失礼ですが、ミスタ・エアハルト……良かったらわたくしにその鴨を取って下さいませんか?」…017が向かいのフランス女性に色目を使っていることに対して立腹していることをそれとなく示すため、わざわざはす向かいの席に座っているオーストリア人に鴨肉を取り分けてくれるよう頼むエリス……

厳格そうなオーストリア人「ヤー(はい)…このくらいでよろしいですかな」

エリス「ええ、ありがとうございます…♪」さらに取り分けてもらうと017に対して当てつけるように、オーストリア人の紳士に対してえくぼを見せて人なつっこく微笑んだ……

017「…ミスタ・エアハルト、よろしければ私にも一切れいただけますか」

オーストリア人「ええ、どうぞ」


…017にだけ分かるように、ちらっと可愛らしくすねてみせたエリス……017はそれに対してこっそりウィンクを返すと、おもむろに鴨肉のローストに取りかかった…地元の猟師から仕入れたらしい鴨は肉厚で、ほどよく効かせたニンニクの風味が濃い赤身やしっとりした脂身とよく合う……入れ替わり立ち替わりで次々と出てくる料理はウズラの雛の炙りに、濃いエンドウ豆のポタージュ、そしてインド帰りの人間が絶対に会食に提供するカレー…やたら辛い羊肉のカレーはどうやら「はまりやすい」料理らしく、そっとテーブルを見渡すと数人が汗を垂らしながらスプーンを動かしている…


エリス「…ジェーン様、この料理はいかがですか?」

017「そうね、少しいただきます…♪」口がひりつきそうなカレーに、脂がのって皮目がパリっと焼き上がっているひな鳥の炙り……そして飲み物は濃いボルドーの赤ワインやクラレット、度数の高いポートワイン…と、うかつなエージェントなら舌が軽くなってしまうような献立になっている……

エリス「…ジェーン様///」

017「ええ、何でしょう?」

エリス「その、お皿が空ですから……何かお取りいたしましょうか…///」少し頬を火照らせて、テーブルクロスの下でそっとふとももをくっつけてくるエリス…豪奢なドレスの生地越しにも、その熱が伝わってくる…

017「まぁ、ありがとうございます…では、その牛煮込みのパイ皮包みを♪」

エリス「はい…///」

017「……ふふ、どうやら色々と気をつけないといけないようね…♪」





441 ◆b0M46H9tf98h2020/07/24(金) 01:40:08.03psXQV8dB0 (1/1)

給仕「……レディ、チーズはどれになさいますか…チェダー、エダム、カマンベール、ブリー、ゴルゴンゾーラ……」

フランス女性「ブリーにします」

(※ブリーチーズ…フランス発祥の柔らかい白カビチーズ。クリーミーだがカマンベールほどクセがないので食べやすく「チーズの王様」と呼ばれることも。ルイ16世の好物だった)

給仕「…失礼いたします、チーズはどうなさいますか?」

017「わたくしもブリーをお願いしますわ♪」

給仕「承知いたしました…」

フランス女性「……マドモアゼル・バーラムはブリーがお好きでいらっしゃるの?」

017「ええ、まぁ…貴女は?」

フランス女性「もちろん好きですわ……ブリーを味わうならしっかりした赤がよく合うと思いますから、そうなさったらいかがかしら?」

017「では、ここはマドモアゼル・ルロワのご忠告に従って……ん」とろりと柔らかいブリーチーズをつまみつつ、少し渋めのボルドーを口に含んだ…

………

…食後…

アメリカ人「……それで、危うくこやし(堆肥)の山に突っ込みそうになった奴を見ましてね…」

黒髪の婦人「まぁ…くすくすっ♪」

イタリア人「…シニョリーナ、どうぞ一曲お付き合いいただけませんか?」

金髪の婦人「ええ、お受けいたしますわ」

オーストリア人「…お国のベルンハルト大使とはアルビオン外務省の晩餐会でお目にかかった事がありますよ……」

ドイツ人「……この数年というもの、鉄鉱石や石炭の価格は上昇して…」

017「…」(そろそろ頃合いかしらね…)


…食堂の隣にあるダンスルームでは客人たちがそれぞれワルツのステップを踏んだり、隅にしつられられた椅子に座って飲み物や葉巻を楽しんだりと思い思いの時間を過ごし、ストーンウッドは主人役として会話に加わり談笑している……017はその様子を確認すると、化粧室に行くふりをしてそっとダンスルームを抜け出した…


017「…」使用人たちに怪しまれないよう、広い屋敷の中を何気ない様子で歩いていく……

017「……彼が想定しているとおりの性格なら、きっと「あれ」は書斎にあるはずね…」

………

部長「……それと、サー・パーシバルは虚栄心が強く、それでいて妙に疑り深い部分もある…そして情報の管理や秘匿についてはずぶの素人だから、きっとサンプルや資料は自分にとって身近な場所……例えば書斎の金庫にしまったりしていることだろう」

017「だとすれば少しはやりやすくなりますね」

部長「いかにも……奴がもう少し利口なら、どこか信用のおける銀行の貸金庫かなにかに知らぬ顔で預けてしまうだろうが、もしそうされていたらなかなか手が出せない所だった」

017「全くですわ。まさか行員に事情を説明するわけにも行きませんし、説明せずに開けさせるとなればカバーストーリーを作ったり偽造書類を用意したり……とにかくややこしい事になるところでしたものね」

部長「その通りだ…ましてや夜中に忍び込んで金庫破りをするなど論外だからな」

017「…そうならなくて幸いでした」

………



…屋敷の二階・西側…

インド人の召し使い「…申し訳ありませんが、レディ。こちらの部屋はご主人様のお部屋ですので、お入りにならないよう……どうぞお戻りください」

017「…あら、おかしいわね?」017は「陽気で少し間の抜けたレディが屋敷の中で道に迷った」ふりをして、それらしく左右を見渡した……

インド人の召し使い「どうかなさいましたか」

017「ええ……わたくし化粧室に行きたかっただけですのに、どうしてこんな所に来てしまったのかしら…申し訳ないけれど案内してくださる?」

…少しはにかんだような笑みを浮かべ、ケルベロス(地獄の番犬)のように書斎を守っているインド人に話しかけた……インド人の見張りはどうやらリボルバーを忍ばせているらしく、お仕着せのチョッキがふくらんでいる…

インド人「承知いたしました…化粧室でしたらこの廊下を曲がって階段を下り、その右側でございます」

017「ありがとう」(…やっぱりケイバーライトの資料はここにあるようね。今日の成果としてはこれで充分♪)

………





442 ◆b0M46H9tf98h2020/07/30(木) 01:17:00.25xkHbz5/70 (1/1)

…その晩…

017「…何かしら」ベッドに入ってぐっすりと眠っていた017だったが、なにかの気配で目を覚ました…

017「…」


…さっとナイトガウンを羽織ると手にピストルを持ち、音がしないよう少しだけ部屋のドアを開けた……部屋の壁に身体を張り付けてドアの隙間から廊下の様子をうかがうと、ストーンウッドの書斎がある二階の廊下の端に向けて忍び足で近寄っていく男のシルエットがちらりと見えた…


017「……あら、見張りがいない…」さっきまで書斎の前に立っていたインド人の召し使いは用を足しにでも行ったのか、ちょうど姿が見えない……すると部屋の前まで来ていた「誰か」は左右を手際よく見回すと、そのまま滑り込むように室内に忍び込んでいった…

017「…」


…そのままのぞいていると、十数秒もしないうちに召し使いの控え目な足音が聞こえてきた……途端にさっとドアをすり抜けるようにして書斎から出てきた男……そのまま何食わぬ様子で歩き去って行ったが、017の目には男が後ろ手にドアを閉めた様子を召し使いに一瞬だけ見られていたように思えた…


017「…何であれ、こんな夜中にご苦労な事ですわね……」一人でそう冗談めかすと、ガウンを脱いでまたベッドに潜り込んだ…

………



…翌日・夕食後…

アメリカ人「…いやはや、昨日もすごかったが今日も大変なごちそうだ……この国ではごちそうとは巡り会えないと思っていましたが、どうもとんだ勘違いだったようだ♪」

若い婦人「まぁまぁ……それにしても、本当に美味しゅうございましたわね。サー・パーシバルは腕のいい料理人をお雇いになっているようで、うらやましい限りですわ」

イタリア人「ふむ、同感ですな…レディ・バーラムもそう思いませんか?」

017「ええ、そうですわね……サー・パーシバル、今夜の晩餐も大変な絶品でしたわ」

ストーンウッド「あぁ…それは何よりだ、レディ・バーラム」

017「ええ…♪」

ストーンウッド「おっと失礼……話を続けたいのはやまやまですが、これから皆さまに「ちょっとした出し物」をお見せしようと思いますのでね」

017「あら、ごめんなさいまし」

ストーンウッド「お気になさらず…ちなみにあのテーブルの辺りが特等席ですよ」

017「まぁ、ありがとうございます……どのような出し物なのか存じませんが、楽しみですわ♪」

ストーンウッド「…そうですな、とても愉快な出し物ですとも……」



ストーンウッド「…さてさて、紳士淑女の皆さま。今宵はわたくしサー・パーシバル・ストーンウッドが特別な余興を用意いたしました……こちらではなかなか見られないものですので、ぜひ楽しんでいただきたい」

エリス「…ジェーン様「なかなか見られない特別な余興」って何でしょう?」

017「さぁ……ちょうど空いておりますし、良かったらこの席へおかけになったら?」

エリス「そうですわね、それではお隣に座らせていただきますわ……」

ストーンウッド「さて…ここにいる男は私の召し使いの一人で、ラージャと言うものです……」ターバンを巻いて床に直接あぐらをかいている男を指差した……そしてその前には丸っこいつぼ型をした柳のカゴが置いてある…

片眼鏡の紳士「ほう…?」

金髪の女性「…中には何が入っているのかしら?」物見高い数人が首を伸ばすようにしている…

017「…」

エリス「…」

ストーンウッド「……少しばかり驚くかもしれませんが、皆さまどうか騒ぎ立てませんよう願います…ラージャ」

インド人「…」軽くうなずくとカゴの蓋を取った……途端に「シュルシュル…」と滑るような音がして、広がった胸に目玉のような模様がある黒い蛇が鎌首をもたげた…

口ひげの紳士「うわ…!」

若い女性「きゃあぁ…っ!」




443 ◆b0M46H9tf98h2020/08/04(火) 01:36:37.03/UXJ51eP0 (1/1)

ストーンウッド「おや、皆様は蛇使いの出し物をご覧になったことがないようですな……大丈夫、ラージャはコブラの扱いが上手ですから心配ありませんよ」

口ひげの紳士「おほん……まぁ、その…なんだ……サー・パーシバルがそうおっしゃるのなら大丈夫でしょう」

女性「……わ、わたくしも少々取り乱してしまいましたわ///」おずおずと元の席に戻る数人

ストーンウッド「結構……ラージャ、始めたまえ」

インド人「♪~」妙な縦笛を取り出すと、音を奏で始めた……

ストーンウッド「こちらではまだ珍しいですが、インドではよくこうした蛇使いの大道芸を見かけたものです…」

アメリカ人「こりゃいいや…どうです、サーカス団の興行主になる気はありませんか、サー・パーシバル?」

ストーンウッド「ほほう……これは愉快なご意見だ♪」

アメリカ人「はは、何しろ新大陸は娯楽に飢えていますからね…ひと山当てるおつもりになったら教えて下さいよ、サー・パーシバル♪」

エリス「…あれがコブラなのですね……あんな風に舌を出し入れしている様子を見ると少し恐ろしい気もしますわ」

017「ええ、そうね」

インド人「♪~…」

コブラ「シューッ…シュルル……」高い調子の笛の音に合わせて身体を揺するラージャと、目の前で左右に揺れ動く笛に合わせてチロチロと舌を出し入れしているコブラ…

気取った若い婦人「…なんてことでしょう、とても恐ろしいですわ……」

しゃれたフランス人「大丈夫ですか、マドモアゼル…さ、どうぞ」わざとらしく椅子にへたり込んだ貴族令嬢に向かって、香水を染みこませたハンカチを「すっ…」と差し出した…

若い婦人「あぁぁ、助かりますわ……///」

フランス人「それはよかったです、マドモアゼル」

ストーンウッド「……おや、ご気分がすぐれないのですか?」

若い婦人「いえ、もう大丈夫ですわ…ムッシュウ・ルブランがハンカチを貸して下さいましたの」

ストーンウッド「それは良かった……ところでムッシュウ・ルブランク、もう少し前でご覧になったらいかがです。そこからではよく見えないでしょう?」

フランス人「あー……」

ストーンウッド「さぁさぁ、どうか遠慮せずに…ほら、ここなら特等席ですよ」ちょうど空いていた籐の椅子に腰かけるように勧めた…

フランス人「…メルスィ」

ストーンウッド「なに、お気になさらず…ここならかぶりつきでご覧になれますからな……」そう言いつつ後ろに回ると大げさな笑みを浮かべ、フランス人の両肩に手を乗せ「ぽんぽんっ…」となれなれしく叩いた…

フランス人「……サー・パーシバル?」

インド人「♪~♪~…!」

コブラ「シュルルーッ…シャー…ッ!」急に笛の音と動きが激しくなったかと思うと、コブラがフランス人に向けて飛びかかった…

フランス人「あっ、ぐぅ…っ!」

若い婦人「きゃあぁっ!!」

金髪の婦人「…うぅん……」

片眼鏡の紳士「何たることだ! すぐ医者を……」

ストーンウッド「…お静かに願いたいですな、皆さん」インド人が蛇をカゴに戻し室内が騒然となっていると、芝居がかった態度で腕を広げた…

片眼鏡の紳士「しかし…!」

フランス人「サー・パーシバル……薬を、早く薬を…!」

ストーンウッド「……そう慌てないことだ、ムッシュウ…何しろ少々聞きたいことがあるのでね」

フランス人「き、聞きたいこと…?」額に汗を浮かべ、必死になって咬まれた腕を押さえている…

ストーンウッド「いかにも……昨晩のことだ、召し使いの一人が私の書斎から出てくる貴方の姿を見かけたと言っている。一体どういうわけで鍵がかかっていた私の書斎にお入りになられたのか……そして何をなさっていたのか、ぜひお伺いしたいものですな?」

フランス人「いや、そんなことは知らない…きっと貴方の召し使いが見間違えたに違いない!」



444 ◆b0M46H9tf98h2020/08/10(月) 02:08:22.986N7YPZwl0 (1/1)

ストーンウッド「ほほう…ではその時間に何をしていたかおっしゃっていただけますか?」

フランス人「その時は部屋で寝ていた、嘘じゃない…!」

ストーンウッド「そうですか……では私の書斎に「これ」が落ちていたのはなぜなのかお尋ねしたい、ムッシュウ」上着の内ポケットから絹のハンカチを取り出し、ひらひらと振ってみせた…

フランス人「…」

ストーンウッド「この場の誰も持っていないようなしゃれたパリ製のハンカチーフだ。その上ご丁寧にイニシャルも刺繍されている…これでも忍び込んだのは貴方ではないと?」

フランス人「ああ、誓って私じゃない…きっと誰かが私をはめようとして仕組んだことなのだ!」

ストーンウッド「…ムッシュウ・ルブランク、どうも貴方はスパイにしては嘘がうまくないようだ……いくら私が諜報活動の素人だとしても「イチ足すイチ」が二である事ぐらいは理解しているつもりだが?」

フランス人「…」

ストーンウッド「おやおや、今度はだんまりか…まぁ、どのみちコブラに咬まれたら助からないのだ……ムッシュウ・ルブランクをお部屋までお連れしろ」

召し使い「承知いたしました」インド人の召し使い二人が、すでに毒が回って青ざめているフランス人を両側から担ぎ上げるようにして連れ出した……

ストーンウッド「さて、皆様には少々見苦しいものをお見せしてしまいましたな」…まるで「一つ片付いた」とばかりに両手をはたくと、ふたたび気取った笑みを浮かべた……

アメリカ人「……食後の見世物にしてはちょっとばかしきつかったですよ、サー・パーシバル」

ストーンウッド「いや、その点は申し訳ない……まぁどうか軽い飲み物でも傾けていただいて、気分を改めてもらえれば幸いだ」

アメリカ人「ぜひそうさせてもらいましょう…ウィスキーを頼む、ダブルで」白手袋の召し使いに声をかける…

金髪の婦人「…わ、わたくしにはブランデーを……」

エリス「あの……ジェーン様」

017「どうかして、エリス?」

エリス「ええ…ムッシュウ・ルブランですけれど、まさか本当に……?」

017「おそらくは……サー・パーシバルの言うように、コブラの毒が回ってはまず助からないですもの」

エリス「……恐ろしいこと」

017「そうですわね」(そんな人間を相手にするのだから、情報部員なんて因果な商売だこと……)

エリス「…ジェーン様、少し手を握っていて下さいます?」

017「ええ……」

………

…十数分後…

ストーンウッド「さて、どうやら飲み物は行き渡ったようだ……ではそろそろ、皆様をお招きした本当の理由をお話するとしましょう…もっとも、この中の何人かはすでにご存じだとは思うが……」周囲を見回して皮肉っぽい笑みを浮かべた…

一同「「…」」

ストーンウッド「……実は皆様をお招きしたのは、とある物の「商談」を行いたいからなのです…もっとも、同業者ばかりでは落ち着かないでしょうから、何人かは関係のない御仁も交じってはおりますがね」

イタリア人「なるほど、商談ですか…で、物は何ですかな?」

ストーンウッド「ふふ、そう慌てずに……」

イタリア人「おお…これは失礼」

ストーンウッド「…さて、今回取引を行いたいと思っている商品ですが……王国が開発した「高純度ケイバーライト」の精錬法と、そのサンプルです」

イタリア人「なにっ!?」

オーストリア人「ほう…」

フランス女性「…」

ストーンウッド「取引期間はこれから三日間。その間ならばいつでも構いません、私に値段を耳打ちしていただければ結構。ちなみに価格は金(きん)で百万ポンドから…申し訳ないが紙幣だの小切手だのはお断りさせていただく。三日後までに一番高値をつけた方が品物を手に入れることになります……」

017「…なるほど、闇競り方式ですわね……」

ストーンウッド「…皆様の中にはおそらく連絡手段をお持ちの方もいることでしょうが、本国と相談するなら早めになさった方がいいでしょうな」

………




445 ◆b0M46H9tf98h2020/08/18(火) 11:09:35.0366hRHoL50 (1/1)

…数時間後・客室…

017「…まったく、サー・パーシバルもなかなか大胆でいらっしゃること……きっと各国の情報部は今ごろ上を下への大騒ぎに違いありませんわね♪」一人でくすくすと笑いながら窓の外を眺めていると、また誰かの伝書鳩が飛び立っていくのが見えた…

017「…しかし彼に注目が集まってしまったおかげで、すっかりやりにくくなってしまって…困ったものですわ」

017「それにしても、まるで「まだ手をつけられていない美味しそうなパイに誰が手を伸ばすか」といった所ですわね……誰もが一番美味しい一切れを手にしたいけれども、お互いに牽制し合ってしまってなかなか手が出せない…ふふ♪」

017「……いずれにせよ、サー・パーシバルにはご退場いただかないといけませんわね……このパイは独り占めして楽しむために王国が作ったものですものね」


…窓辺の椅子に座ってふくよかな紅茶の香りを楽しみつつ、他国の諜報員たちが慌てふためいている様子を観察している……もちろん中には動揺などまるで感じさせない手練れもいて、数人ほどのそうした情報部員を見かけると素直に感心した…


017「あとはいつ実行に移すか……何かいい機会が巡ってくれば良いのですけれど…」

………



…翌日・屋敷の庭園…

エリス「それにしても昨晩の「出し物」はとても恐ろしかったですわ…わたくしはあの後すぐに部屋に戻ったのですけれど、どこかにあの蛇がいるような気がして……おかげで一晩中まんじりともいたしませんでしたわ」

017「同感ですわね。他の多くの方もなかなか眠れなかったことと思いますわ」(それぞれ本部への連絡に忙しくて…ね)

エリス「ええ…それにしてもサー・パーシバルは一体どういうおつもりなのでしょう……わたくしにはよく分かりませんが「ケイバーライト」がどうの、取引がどうのと…」

017「さぁ、わたくしにもさっぱり……でも一つだけなら分かっておりますわ」

エリス「まぁ…それで、その「一つ」とは何ですの?」

017「貴女がとても可愛らしい、ということですわ……エリス♪」

エリス「も、もう…そんな恥ずかしいことを///」

017「ふふ…事実ですもの♪」

エリス「///」

017「ところで、ちょうどそこにベンチがありますわ…少し座ってお話をいたしましょう?」

エリス「ええ…///」

…数分後…

017「……それで、明日の晩には盛大な晩餐会を開くそうですわね…エリスはもう何を着るか決まっていて?」

エリス「いえ、それがまだなんですの……」

017「そう」

エリス「ええ、ですからジェーン様に助言をいただければ嬉しいのですけれど…///」

017「ふふ…構いませんわよ♪」

エリス「まぁ、よかった…///」

017「…喜んでいただけてなによりですわ、ところでエリス」

エリス「何でしょう?」

017「……貴女のお部屋にお邪魔して、本当に助言するだけでよろしいのかしら…ね?」そっと耳元に口を寄せ、艶やかな声でささやいた…

エリス「それは、その…///」頬を紅くして照れたようにうつむいたエリス…

017「…可愛い♪」

エリス「あんっ…ジェーン様、お庭でそのようなことをなさっては……誰かに見られてしまいますわ///」

017「そうですわね……ならドレスを選びに参りましょう♪」

エリス「で、でも…まだお昼にもなっておりませんわ///」

017「あら、ドレスを決めるのに午前中ではいけないのかしら?」

エリス「そ、それはそうですけれど……ジェーン様ったら分かっていらっしゃるくせに…///」

017「ふふふ…意地悪なわたくしを許してくださいまし、ね♪」

エリス「……許すも許さないもありませんわ///」恥ずかしげにうつむいていたが、急に顔を上げると頬にキスをした…




446 ◆b0M46H9tf98h2020/08/21(金) 01:43:17.32ZwWRB3hk0 (1/1)

…数分後・エリスの客室…

エリス「ジェーン様、どうぞおかけになって……///」

017「ええ。それではお言葉に甘えて…♪」椅子に腰かけた瞬間、ふわりと甘い香水の匂いが立ちのぼって鼻腔をくすぐった……

エリス「……その、それで…///」

017「エリスはドレス選びを手伝って欲しいのでしたわね……」エリスの白い肩をそっとつかむと、天蓋付きベッドに押し倒した…

エリス「あっ…///」

017「それでしたらまずは今のドレスを脱いでいただかないと…ね?」ちゅ…っ♪

エリス「ふあっ、あっ…///」

017「さ、どうかわたくしに身を任せて……」ちゅむっ、ちゅぷ……っ♪

エリス「はい…あふっ、はむっ……ちゅぅっ♪」


…017はエリスのふっくらした身体を包んでいる穏やかなセージグリーンのデイドレスをそっと脱がしていく……優雅な手つきでリボンや紐、ホックやボタンを外してドレスをめくりあげていくと、まるで春の木の芽が芽吹くように白いふくらはぎやもっちりしたふとももがあらわになっていく……そのうちに白いストッキングを留めたガーターがのぞき、まるでふくよかなエリスの身体を閉じ込めているかのようなコルセットも見え始めた…


エリス「…ジェーンさま…ぁ///」瞳をとろんととろけさせ、触れあった唇には017の口紅の色が移っている…

017「エリス…♪」んちゅっ、ちゅむっ……ちゅる…っ♪

エリス「んんぅ、んむ…れろ、ちゅぷ……んぅ♪」

017「んちゅるっ……ちゅうぅぅ…れろっ、ちゅっ…♪」

エリス「ふあぁぁ…っ、あっ…あんっ♪」

017「ふふ…そんな表情をされては、我慢のしようがありませんわ……♪」やんわりと持ち上げるように下から胸に手をあてがい、大きくて柔らかい乳房をゆるゆると揉みしだく……そのうちにコルセットの胸部からはみ出している白桃のような乳房が桃色を帯び、汗でしっとりと湿ってきた…

エリス「あぁぁ、んっ…はぁぁ……んっ♪」

017「……んむっ、ちゅ…れろっ、ちゅく……っ♪」

エリス「はむっ、んちゅぅ……れろっ、ちゅぱ…♪」

017「んちゅ、ちゅぷ…っ……♪」エリスの上に身体を重ねて舌を絡めつつ、右手を花芯に伸ばしていく……

エリス「あっ、あっ、あっ……ふあぁぁ…んっ♪」くちゅくちゅっ、ちゅく……っ♪

017「んむっ、はむっ……んちゅるぅ…っ♪」じゅぷっ、くちゅ……くちゅり、にちゅ……っ♪

エリス「あっあっ、ジェーンさまぁ……あぁぁんっ♪」

017「ふふふ…昼間の明るさの中で見るエリスのトロけたお顔、とても愛おしいですわ……♪」とろっ、ぬちゅっ……ぐちゅぐちゅ……っ♪

エリス「あぁぁんっ、そんなことをおっしゃらないで下さいまし…ぃ♪」くちゅくちゅっ…とぷっ、ぷしゃぁぁ…っ♪

017「あら、いけませんの?」少し意地悪な笑みを浮かべ、そのまま身体を重ね合わせた……017が身体を擦り付けるたびに、とろりと蜜を滴らせたエリスの秘所が粘っこい水音を立てる…

エリス「………すわ///」

017「何でしょう、もう一度おっしゃって下さる?」

エリス「…もっとお願いいたしますわ///」

017「ええ♪」くちゅくちゅっ、ぬちゅっ…ぐちゅ…っ♪

………




447 ◆b0M46H9tf98h2020/08/26(水) 02:00:56.732JodZCWq0 (1/1)

017「…ふぅ♪」

エリス「はぁ……あぁ…はぁ…ん///」ベッドの上で両腕を投げだし、甘く物欲しげな吐息を漏らしている…

017「ふふふ……エリス♪」

エリス「ジェーン様…///」

017「…」

エリス「……ジェーン様?」

017「ああ、いえ…なんでもないの……さぁ、わたくしはこれでおいとまさせていただきますわね♪」

エリス「はい…」

017「そんなに寂しげな顔をなさらないで? そのような表情をされては出て行けなくなってしまいますもの…」

エリス「そうですわね……別にジェーン様とは今日しか会えないと言うわけでもありませんのに」

017「ええ。愛しいエリスのためなら炎の壁でも越えてみせますわ♪」

エリス「まぁ…ジェーン様ったら///」

017「ふふ、ようやく笑って下さいましたわね……それでは♪」


…数分後…

017「……うーん」


…自室にこもり、ストーンウッドの書斎の前に居座って目を光らせている「ケルベロス」をどうにかできないものかと悩んでいる017……しかしフランスのエージェントがなまじ書斎に忍び込んだせいでストーンウッドを警戒させてしまい、今では書斎の入口に立っているインド人の召し使い一人に加えて、隣の小部屋を詰所代わりに数人の召し使いが交代として待機している…


017「こうなったら「教授」の発明品を使うことになりそうですわね……となると、まずは下準備から…♪」

………



…午後…

インド人の召し使い「申し訳ありませんが、レディ…こちらはご主人様のお部屋ですので、許可無くお入りになるのは控えていただきたく存じます」

017「ええ、それは存じ上げておりますわ……そうではなくて少しお尋ねしたいことがありますの」

召し使い「はい…どのようなご用でいらっしゃいますか」

017「ええ……実はわたくしご用があってサー・パーシバルにお目にかかりたいのだけれど、今は書斎にいらっしゃるかしら?」

召し使い「いえ。ただいまの時間でしたらご主人様はお庭にいらっしゃるかと存じます」

017「あら、そうでしたの…道理でお屋敷の中を見て回ってもいらっしゃらないはずですわ」

召し使い「はい…ご用はそれだけでいらっしゃいますか?」

017「ええ、それだけですわ……どうもありがとう♪」…そう言って軽く笑みを浮かべると、黒檀でできた葉巻入れを取り出して一本の細巻き葉巻を差し出した……葉巻の根元には青い帯が巻いてある…

召し使い「…どうもありがとうございます、レディ」

017「いいえ…♪」(……撒き餌を撒いておけば魚は食いつきやすくなる…というものですもの♪)

………




448 ◆b0M46H9tf98h2020/09/01(火) 01:50:52.20ldfGCVgu0 (1/1)

…翌日…

017「…さて、今日はいよいよ「取引」の結果が明らかになる日ですわね……」

017「果たしてどうなることやら……ふふ♪」


…晩餐会に備えて目一杯おしゃれをする017…純白のペチコートにコルセットを身につけ、すらりとした脚には日本産シルクのストッキングとそれを留めるガーター…身体にぴったりと吸い付くような絹のすべすべとした肌触りが心地よい…それから「教授」の用意した特製のドレスに袖を通す…


017「ん…♪」姿見に向かってにっこりと笑顔を浮かべてみせる…

017「…そうそう、これも忘れないようにしないと♪」ドレスのあちこちに隠された小道具や.297口径の護身用ウェブリー・スコット・リボルバーを再度確認する…

017「これでよし……と♪」前の晩餐会とはまた違った控え目な香りの香水を一吹きすると、真珠のネックレスをかけた…


…客間…

オーストリア人「失礼…サー・パーシバル、少々お話が……」

ストーンウッド「ええ…」

イタリア人「サー・パーシバル……火をお持ちではありませんかな?」

ストーンウッド「ありますとも…」

フランス女性「少しよろしいでしょうか、サー・パーシバル…?」

ストーンウッド「無論です」

017「…」(どうやら「入札」は大盛況のようですわね……もっとも、品物が「緑のダイヤモンド」とでもいうべき高純度ケイバーライトともなれば当然ですけれど♪)

ストーンウッド「……では、そろそろ夕食といたしましょう」

…大食堂…

ストーンウッド「さてさて、時がたつのは早いもの……明日になれば皆様はお帰りになってしまうわけだ」

ストーンウッド「私の「慎ましやかな」屋敷ではさしたるもてなしも出来ませんでしたが…この晩餐を楽しんでいただければ幸いです」

ストーンウッド「それでは、皆様の健康を祝して……乾杯」

一同「「乾杯」」

…グラスに注がれた年代物のシャンパンを飲み干すと、給仕たちが銀の食器に入った料理を運んできた…

ストーンウッド「さぁ、どうか存分に召し上がっていただきたい」

イタリア人「はは、そうおっしゃるのなら遠慮などいたしませんぞ♪」

アメリカ人「ここの料理に慣れてしまったら、ロンドンに帰りたくなくなるってものですよ」

ストーンウッド「そうおっしゃっていただけて光栄ですな……レディ・バーラム」

017「ええ、なんでしょう?」

ストーンウッド「よろしければローストビーフをお取りしましょうか?」

017「ええ、いただきますわ…♪」

ストーンウッド「では、どうぞ」

017「ありがとうございます……とっても美味しいですわ」

ストーンウッド「それは何よりだ…」

………




449 ◆b0M46H9tf98h2020/09/07(月) 01:23:43.10X/B7HTR90 (1/1)

017「ん…♪」


…それぞれの料理を一口ずつは味見しようと密かに思っている017は、ソースや肉汁で汚れた皿が取り替えられるたびに新しい一品を取り分けてもらっている……食卓に並ぶのは柔らかなローストビーフに、テールやすね肉の煮込みを詰め込んだパイ、牛のスープで味付けしたゼラチンに刻んだタンや季節の野菜を散りばめた「アスピック」(煮こごり)や詰め物入りの鳩…上等なシャンパンやヴィンテージ物のワインの栓も抜かれ、後ろでは室内楽団が軽い曲を奏でている…


ストーンウッド「フランス産の黒トリュフをあしらったサーロインステーキ…ワインソースだ」

イタリア人「いやはや、実に美味しいですな♪」

ストーンウッド「これはマトンのカレーですが、前のものとは味付けが異なります……よろしければお取りしましょうか?」

オーストリア人「そうですな…では、一口いただきましょう」

ストーンウッド「……よく熟成させたエダムチーズ、これはなかなかのものだ…もっとも、人によって好き嫌いはあるでしょうがね」

片眼鏡の紳士「いやいや、結構な一品ですとも」

フランス女性「…シャンパンをもう少しいただけますか?」

アメリカ人「こっちにはウィスキーを、ストレートでね♪」

…しばらくして…

017「…大変美味しゅうございましたわ♪」食後のデザートに出たタルトを食べ終え、優雅に口の端を拭ってにっこりした…

ストーンウッド「それは何よりだ」

イタリア人「いや、サー・パーシバルの所では食べ過ぎてしまっていけない…」

ストーンウッド「お気に召していただいたようで何よりです……さて、この後ですが隣で少しダンスでもなさるか…もし踊るのは苦手だという方がいらっしゃいましたら、ポーカーでもお付き合いいただければと思いますな」

アメリカ人「ポーカーとは結構ですね…もっともこれだけ食べた後だ、脳みそが回ってくれないかもしれませんがね」

イタリア人「あいにく踊るのは不得意でして……ここはカードにさせていただきますよ」

ストーンウッド「分かりました…では皆さん、よろしければ」

オーストリア人「…お手をどうぞ、マドモアゼル?」

フランス女性「メルスィ」

片眼鏡の紳士「…レディ・バーラム、よろしければお手を……」

017「まぁ、ありがとう存じます…♪」

…サロン…

ストーンウッド「では、どうぞパートナーを見つけていただいて……」

口ひげの紳士「…よろしければ一曲お付き合いいただけますか?」

金髪の婦人「ええ、喜んで」

オーストリア人「失礼、お相手をお願いできますかな?」

フランス女性「ウィ、ムッシュウ…」それぞれに組んでいくが、カードテーブルに向かった紳士も多く男女に偏りができた……

017「…エリス、よろしければわたくしと一曲……踊っていただけます?」軽く会釈をして手を差し出す…

エリス「え、ですが…///」

017「まぁまぁ…少し風変わりかもしれませんが、お付き合い下さいな♪」

エリス「え、ええ……ジェーン様がそうおっしゃるのなら…///」

017「ふふ、嬉しい…♪」

…軽やかなワルツのメロディが流れる中、燕尾服やドレスの間にあってひときわ華やかな017とエリス……017の控え目ながらとても似合っている、クリーム色と薄いセージグリーンを基調にしたドレスと、エリスのふくよかな身体を包む華やかな赤紫のドレスの裾が曲に合わせてふわりと広がる…

017「こうしてエリスと踊ることが出来るなんて……嬉しいわ♪」

エリス「……わたくしもです///」




450 ◆b0M46H9tf98h2020/09/08(火) 11:23:07.56RPZWWgHt0 (1/1)

イタリア人「おや、なんとも美しい花がフロアに咲いておりますな……かたや清楚な白百合で、かたや豪華なシャクナゲのようだ♪」

017「…あら……噂になってしまいましたわね、エリス♪」

エリス「こ、困りますわ…///」

017「まぁまぁ、そうおっしゃらずに…それとも、わたくしと一緒に踊るのはお嫌かしら?」

エリス「そんなことはありませんわ……でも、わたくし…人から注目されるなんて、恥ずかしくて……///」

017「まぁ……可愛い♪」耳元にそうささやきかけ、ついでに軽く息を吹きかける…

エリス「も、もう…///」

017「ふふ…♪」

エリス「///」

017「…」


…エリスに向けてにこやかに笑みを浮かべつつ、視線の片隅で周囲の様子を確認した017……特に片隅のカードテーブルでポーカーに興じているストーンウッドに注意を向けたが、今は数人を相手にカードを切りながらウィスキーを傾けている…


017「…」(そろそろですわね…)

エリス「どうかなさいましたの…?」

017「いえ…うなじにネックレスがこすれて気に障っただけで……あっ」


…そう言って017が首筋に手をやり、わざとちぎれるようになっていたネックレスを軽く引っ張ると、絵に描いたように糸がぷつりと切れ、大粒の真珠が音を立てて床に飛び散った…


エリス「まぁ!」

片眼鏡の紳士「や、これはいかんな」

017「あぁ、何てことかしら…」

ストーンウッド「……皆様、どうされました?」

金髪の婦人「ああ、サー・パーシバル…それが大変なのです。レディ・バーラムのネックレスが切れてしまい、真珠が床に散らばってしまったのですわ」

ストーンウッド「おや、それはいかん…済みませんが皆さん、少しフロアから下がっていただいて……レディ・バーラム、ご心配には及びません。いま召し使いたちに真珠を探させましょう」数人の召し使いたちを手招きすると、床のあちこちに転がった真珠を拾わせた…

017「ええ…ありがとう存じます///」

アメリカ人「よくよくツいておられませんでしたね」

017「たまにはそういうこともありますわ…」軽く肩をすくめて、困ったような笑みを浮かべた……

ストーンウッド「…失礼。レディ・バーラム、とりあえず見つけられる限りは拾わせていただいた」綺麗なハンカチに載せた真珠を差し出した…

017「あぁ、ありがとう存じます……それではわたくし、これ以上無くさないように部屋にしまって参りますわ」

ストーンウッド「それがいいでしょうな…皆様も、もし踊っている最中に真珠を見かけたらそうおっしゃって下さい」

イタリア人「もちろんですとも…レディの真珠は首飾りに付いているもので、それを無くして瞳に涙の真珠を浮かべているなどよろしくありませんからな♪」

…数分後・書斎前…

017「どうもありがとう、ヴィラート…良かったら受け取って?」真珠の包みを持って付いてきてくれた召し使いに、葉巻入れから赤い帯が巻いてある葉巻を差し出した…

インド人の召し使い「いえ…滅相もありません」

017「まぁ、そう言わずに」

召し使い「……そうまでおっしゃっていただけるのでしたら…ありがとうございます、レディ」ヒンドゥー教徒のインド人たちは戒律で酒が飲めないので、その分だけ葉巻や煙草を楽しみにしていた…017から差し出された葉巻をもらうと嬉しそうに詰所代わりの小部屋へと入っていった……

017「ええ…♪」

………




451以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/09/08(火) 12:30:04.21ooJEjgFzO (1/1)

いよいよ本番でしょうか
うまくいくか、捕まるか


452 ◆b0M46H9tf98h2020/09/10(木) 00:25:13.49kEWLu5GO0 (1/1)

>>451 コメントありがとう存じます……だいぶ前になってしまいましたが、375の方から「スパイ活劇物」のような展開を見たいとリクエストがありましたので、そういった感じで進めるつもりでおります(…そのためあちこちにオマージュしたような場面を散りばめております)…果たしてどうなるでしょうか


…そしてなかなか進まないなか気長に見て下さる皆様、ありがとうございます…色々なアイデアは頭の中に渦巻いているのですが、書く方が追いつかないもので……お待たせして申し訳ありません


453 ◆b0M46H9tf98h2020/09/12(土) 01:58:46.74onJsqAya0 (1/1)

…数分後…

017「さて…と♪」客室に戻って真珠を箱にしまうと、ストーンウッドの書斎に向かった……優雅な足取りでヒールの音を立てることもなく、態度はあくまでもさりげない……

017「果たして効果はあったかしら……?」


…書斎の隣にある「詰所」をのぞき込む017……小さな部屋には椅子が数脚と小机が一つ、そして壁には人数分のトランター・リボルバーとリー・エンフィールド小銃がかけてある……机の上にある灰皿に置かれた葉巻からはココアのような甘い香りの紫煙が立ちこめ、その中で交代に来た見張りと次の見張りを含めた召し使いの四人が四人とも前後不覚に寝こけている…


017「…さすが「教授」の特製ですわね……」

…ストーンウッドの書斎…

017「…それでは、失礼いたしますわ……♪」鍵のかかった扉の前にしゃがみ込むと、日傘の骨に仕込んで屋敷に持ち込んだキーピックをポーチから取り出し、慎重に鍵穴へと差し込んだ……

017「…」それまでのにこやかな笑みはかき消すようになくなり、きりりと鋭い表情と繊細な手つきで鍵穴の「引っかかり」を探す……

017「……ん」


…さして時間もかけないうちに「カチッ!」と小さな音がして鍵が外れた……そして普通なら喜び勇んでドアを開けるところだが、一流エージェントの017は侵入の痕跡を知らせる定番の予防策として、ドアノブの上に何か小さな物(例えば薬の錠剤や縫い針といったもの…)が載せていないか警戒して、慎重すぎるほどの手つきでそっと扉を開けた…


017「…ふぅ」


…薄暗い書斎の中はハバナ葉巻とインク、そして本棚に並んでいる立派な蔵書から漂う古い紙の香りがしている……壁沿いに並んでいる本棚には革表紙に金文字の立派な本が収まり、その間には壁飾りとして牡鹿の頭の剥製と、左右に交差させてあるピストルが二丁…近づいてそれとなく確認すると、ピストルは猛獣や敵対する人間が多く、そうした相手を一発でノックアウト出来る事から植民地暮らしの人間が好む大口径の「.500リボルバー」(12.6ミリ×20R)弾薬を使う垂直二連の中折れ式ピストルで、いかにも実用本位のものらしく装飾はまるでなく、さらに長らく使い込まれているらしく全体に細かな傷があり、握りの木部もすっかり黒ずんでいる…そして中央にはマホガニーで出来た立派なビューロー(デスク)が鎮座している……床には毛足の短いインド風の絨毯が敷いてあり、017は足音がしないことをありがたく思った…


017「さて……」室内をさっと見回すと、窓から入る月光を頼りにビューローに近づいた…

017「…」


…ビューローの上には金のペン立てとインクつぼ、まっさらな便せん数枚と封筒、他にもこまごましたしたものが置いてある……引き出しは左右それぞれに四つと、中央に幅広の物が一つあり、それぞれに鍵がかけられるようになっている…


017「…」ストーンウッドの立場になって、どの引き出しに「高純度ケイバーライト」の研究資料をしまい込んでいるか思案する017…しゃがみ込むと手際よく引き出しの鍵を開け、そっと引き出しを引いた……

017「…」

017「…」

017「……ふふ、見つけましたわ」


…右側にある三つ目の引き出しを開けると、あちこちから届いた手紙や封書に交じって見慣れたアルビオン王国の公用封筒がしまってあった……すでに封蝋は破られているが、ストーンウッドは動かすと跡が残るよう細かな灰を振りかけておくなど、資料がいじられたことを知らせる特段の「予防措置」は施していなかった…


017「…」緑色を帯びた月光の中で目をこらし、さっと中身を読み通して内容を確認するとコルセットの隙間にさっとしまい込んだ…同時に同じ枚数だけ別の紙を封筒に忍び込ませた……そして凝り性のアルビオン王国情報部らしく、資料は白紙ではなくいかにも「それらしい」内容の文章が書きこんであり、さらにはオックスフォード研究所の下書きを参考にして段落や改行まで同じにしてある……

017「…」

…封筒を完璧に同じ位置へと戻すと、手際よく引き出しの鍵をかけ直した……最後にそれぞれの引き出しに鍵のかけ忘れやミスがないかを確認し、そっと書斎を出た…

017「……ふぅ」書斎の入口に鍵をかけ直して客室まで戻ると、ひとまず安心してため息をついた…

017「…それでは、とにかくこれをしまいませんと……」日傘の柄をひねるとぽっかりと隠し場所が空き、そこに細く巻いた機密書類を押し込んだ…

017「ふふ、まずはこれでよし…と♪」

017「後はサー・パーシバル…いえ「ファントム」の排除だけですわね……」


………




454 ◆b0M46H9tf98h2020/09/15(火) 01:58:14.62gxXr8Tls0 (1/1)

…翌日・午前中…

ストーンウッド「さて、この数日は皆様と有意義な時間を過ごすことが出来た…改めてお礼を申し上げる」

イタリア人「何をおっしゃる……我々の方こそ楽しい時間を過ごすことが出来て、こちらこそお礼の申しようもないほどですよ、サー・パーシバル…それにアルビオンでこんなに美味いものが頂けるとは思ってもおりませんでしたよ♪」丸顔いっぱいに大きな笑みを浮かべると、片目をつぶって「むむむ…♪」と満足げなうなり声を上げてみせた…

オーストリア人「いかにも…サー・パーシバルは客のもてなし方がお上手だ」

片眼鏡の紳士「……少なくとも一人はそう思わんでしょうがね」コブラに咬まれたフランス人エージェントの事を皮肉めかして言うと、数人から失笑が漏れた…

アメリカ人「やれやれ、きついジョークだ…」

ストーンウッド「おほん……さて、ついては皆様とお別れ前にお茶でもと思いまして、客間の方に準備させてあります……皆様の馬車を回すまで少々時間もかかるので、よろしければお付き合い頂きたい」

細い口ひげの紳士「無論ですとも」

片眼鏡の紳士「なるほど、ちょうど良いですな」

ストーンウッド「では、どうぞこちらへ…」


…客間にはウェッジウッドの陶磁器が揃い、テーブル一杯に小さく切ったきゅうりのサンドウィッチやスコーン、ケーキやムースが並べられている……そして一ガロンも入りそうな大きなティーポットからは豊かなセイロン茶葉の香りが漂っている…えんじ色のお仕着せを着たメイドと、チョッキ姿にターバンのインド人召し使い数人が立ち働いている…


ストーンウッド「紅茶はいかがかな、レディ・バーラム?」自ら紅茶を注いでいるストーンウッド…

017「ええ、頂きますわ♪」


…「教授」の特製ドレスに身を包み、優雅に紅茶を楽しもうという様子の017…しかしドレスの袖口には、小さく折った薄紙に包まれた白い無味無臭の粉……化粧入れの箱にしつられられた二重底へ隠してあった毒薬が用意されている…そして何か手違いがあって自分が毒薬を口に含むことがあってもいいように、先に薄黄色の解毒剤をのんでおいた…もっとも、毒薬は無味無臭という話だったが解毒剤の方はひどく苦く、戻ったら必ず「教授」に文句を言おうと固く心に決めていた…


ストーンウッド「ミルクは?」

017「ええ、少しだけお願いしますわ」

ストーンウッド「承知した…砂糖は?」

017「ええ、お願いしますわ……」と、別の客人がストーンウッドに話しかけた……その瞬間、自分で砂糖を入れるふりをして砂糖つぼに手を伸ばすと、曲げた手首と指の間からストーンウッドのティーカップにさらさらと毒薬を注ぎ入れた…紅茶の水色を変えることもなく、一瞬で溶けていく毒薬……

ストーンウッド「失礼…それで、砂糖が少しでしたな?」

017「いえ、もうわたくしで入れてしまいました♪」

ストーンウッド「そうですか……」ティーカップに口元を近づけるストーンウッド…と、召し使いのシンがやって来た……

シン「ご主人様、お客人の乗り物が用意できました」そう言った後で顔を耳元に寄せ、何事か耳打ちした……

ストーンウッド「そうか…では皆様、馬車の用意が出来ました」結局口を付けずにティーカップを置いたサー・パーシバル…

…玄関前…

細い口ひげの紳士「さて…それでは私はこれで」

ストーンウッド「ええ、どうか良い旅を」一人二人と馬車や自動車に乗って門への馬車道を去って行く客人たちと、別れの挨拶をするサー・パーシバル……残りは談笑しながら自分の馬車なり自動車なりが回されるのを待っている…

アメリカ人「サー・パーシバル、もし新大陸に来ることがあったら歓迎しますよ♪」

ストーンウッド「はは、そう言ってもらえるとは嬉しい限りですな…」

シン「……レディ・バーラム、貴女様の馬車が参りました」

017「ありがとう、シン…それではサー・パーシバル。お名残惜しいですけれど、わたくしはこれで……」

ストーンウッド「……少々お待ち頂こうか、レディ・バーラム」肩甲骨の間にピストルを突きつけると「カチリ…!」と撃鉄を起こした…

017「あら、客人の背中に銃を突きつけるとは……いささか礼儀に反しているように思えますわ、サー・パーシバル?」

ストーンウッド「ふむ、確かに客人に対して失礼であることは認めよう…だが、少しばかり聞きたいことがあってね……シン、レディ・バーラムを丁重に地下室へお連れしろ」

シン「はい、ご主人様」

017「…」

………





455以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/09/15(火) 08:56:38.51UxTT8o+zo (1/1)

おたゆ


456以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/09/17(木) 12:34:05.96FB4hrh7rO (1/1)

おつ


457 ◆b0M46H9tf98h2020/09/18(金) 00:47:46.89TbYUjd0+0 (1/3)

見て下さってありがとうございます…引き続き頑張りたいと思います


458 ◆b0M46H9tf98h2020/09/18(金) 02:08:33.86TbYUjd0+0 (2/3)

…地下室…

017「まぁ…歴史を感じる素敵なお部屋ですわね」

ストーンウッド「お褒めにあずかり恐縮だ……どうぞお掛けになって頂こう」


…後ろからピストルを突きつけられ、左右を召し使いに挟まれて地下室へと連れてこられた017……湿っぽく土臭い地下室はワインセラーや食料庫だったものらしく、入口にはかんぬきがかけられるようになっている厚い木の扉があり、室内の左右にはアルコーヴ(窪み状の小部屋)が並んでいる…中のいくつかには壊れた木箱や粗末なジュート麻の袋が積み上げられていて、壁にはいくつかランタンが掛けられている……室内の中央には古いテーブルと椅子が一脚あり、椅子に座らせられると腕を後ろ手に組まされて荒縄で縛られた…


ストーンウッド「ふむ…申し訳ないが、まずは身体をあらためさせてもらう……とはいえ、紳士としてレディのドレスを脱がせるような真似はしたくないのでね」…そう言ってお仕着せを着たメイドを呼びつけると、ドレスの上からあちこち叩いて身体検査をさせた……

017「どうか優しくして下さいまし…ね?」胸元をあらためるメイドににっこりと微笑んでみせると、メイドは少し顔を紅くした……しばらくすると台がわりのテーブル上には日傘、ピストル、化粧品の小箱、葉巻入れ…と、017の持ち物があらかた並べられた……

ストーンウッド「ふむ…きれいなピストルだ。ウェブリー・スコットの.297口径……レディにはちょうど良い大きさだ」そう言いながらシリンダーを開き、弾を抜いた……

ストーンウッド「さて、レディ・バーラム……早速だが書類を返して頂こうか」

017「…何の書類ですの?」

ストーンウッド「とぼけないでもらおう…昨晩、皆が踊っている間に君が盗み取った書類だ」

017「さぁ、存じ上げませんわ……もし手にしていたら良かったのですけれど、あいにくと落札したのはわたくしではありませんでしたわ」

ストーンウッド「ああ、確かに落札したのは君ではない…そして同時に、あの時間帯に踊ってもおらず、召し使いたちも姿を見ていなかったのは君くらいなものなのだ、レディ・バーラム……それとも「ヒバリ」だの「カササギ」だのと言った活動名でお呼びするべきかな?」

017「さぁ、どうかしら。それよりもサー・パーシバル……あなたこそ、自分が何をしているのかお分かりなのかしら?」

ストーンウッド「と、いうと?」

017「いまお話ししますわ……このアルビオンが東西に分裂した今でも世界の覇権を握り、多くの植民地を抱えて日の沈まぬ国…いわば「よるのないくに」でいられるのは、ひとえにケイバーライト技術を独占しているからだというのはご存じですわね?」

ストーンウッド「いかにも」

017「…それを他国が手に入れたら、微妙なバランスで成り立っているこのかりそめの「パックス・アルビオニカ」(アルビオンの平和)は崩れ、最悪の場合はこの国そのものが列強に切り分けられ、飲み込まれる事になる……そうなったら、あの革命騒ぎが子供のお遊びに思えるほどの混乱を招くことになるでしょう」

ストーンウッド「もちろん、そのくらいは分かっているとも」

017「そう、その上でサンプルを売りさばくおつもりでいらっしゃるのね? 相手は誰なのかしら、フランス? それともロシア帝国? ……サー・パーシバル、それでいくら手に入れるのかは存じませんけれど、取引をしたら最後、あなたはそのお金を使う前に死ぬことになりますわ」

ストーンウッド「そうかね?」

017「ええ。もちろん欧米列強の誰もが喉から手が出るほどケイバーライト技術を欲しがってはいる……けれども同時に、第一級の国家機密を売り渡すような節操のない人間を生かしておくのはその国にとっても危険すぎる」

ストーンウッド「ふむ」

017「…さらにあなたが二股をかけて、ケイバーライト技術を他国にも売りつける危険は拭いきれない…つまりサンプルを引き渡して用済みになった瞬間から、あなたは食べ終えたリンゴの芯ほどの価値もなくなり、永遠に生命を狙われることになりますわ……そしてどんな国でも…たとえいくら金を積んだとしても…あなたのような人間を受け入れてくれはしない」

ストーンウッド「…知っているよ」

017「ではどのようなお考えでこんなことをなさるのかしら……根っからの共和派でいらっしゃるの?」

ストーンウッド「…聞きたいかね?」

017「ええ、せっかくですもの…他にすることもありませんし」

ストーンウッド「承知した、では少し昔話に付き合っていただこう……」


459 ◆b0M46H9tf98h2020/09/18(金) 02:31:33.59TbYUjd0+0 (3/3)

ストーンウッド「…私の父が東インド会社の者だったことは知っているね?」

017「一応は」

ストーンウッド「結構……かつて東インド会社はインドを手に入れて植民地化しようと惜しみない努力を行った。ベンガルの太守を相手に戦い「ブラック・ホール事件」のような悲劇を乗り越えて、苦難の末にプラッシーの戦いでこれを破った。その後は競合するフランスやオランダからカルカッタやデリー、ボンベイ、マドラスを勝ち取り、守り抜いた…それが東インド会社の、ひいては王国の利益になると思ってだ……そして実際、インドは王国にとって無くてはならない力の源泉として大きく花開いた」

(※ブラック・ホール事件…1756年。フランスに後押しされて蜂起したベンガルの太守に包囲され降伏したウィリアム要塞の兵士百数十人が、小さな地下牢に閉じ込められ多くが窒息死した事件)

017「ええ」

ストーンウッド「ところがどうだ。あの「セポイの反乱」を鎮圧したとき、王国は何をしてくれた……東インド会社のインド統治は無理があると言って、これを取り上げたのだ!」


(※セポイの乱…「インド大反乱」や「シパーヒーの乱」とも。横暴な植民地運営に対するインド人全体の反発や現地人傭兵(セポイ)の中にくすぶっていた待遇への不満が「セポイに配備される新式エンフィールド銃の(中の火薬を注ぎ込むためには口で噛み切ったり手で切ったりしないといけない)薬包に(ヒンドゥー教徒の神聖視する)牛と(イスラム教徒が不浄とする)豚の脂が塗られている」という噂から爆発し、インド全土に広がったもの。最終的に反乱は鎮圧されたが、これにより東インド会社での統治は無理があると、王国が直接統治に乗り出し、東インド会社は解散することになった)


ストーンウッド「……幸いにして私の家はさしたる被害もなく、当時幼かった私も何不自由ない暮らしができた。とはいえ最早インドにこれ以上のうまみはない…父の亡き後、私は独立した貿易会社を設立して、それなりに功成り名を遂げて本国へと戻った……そして何を見たと思う?」

017「なんですの?」

ストーンウッド「何も出来はしないくせに「貴族の子弟である」というだけで高い地位を手に入れる連中がいる一方、植民地生まれでオックスフォードやケンブリッジを卒業していないと言うだけで見下され、ことあるごとに鼻であしらわれるインド帰りの姿だよ……机に向かって数字をいじくり回す、あの生っ白い連中が王国のためにどれだけのことを成したというのだ? 王国の繁栄は我々が無ければあり得なかったのだぞ!」

017「…」

ストーンウッド「君は私のことを裏切り者の売国奴だというかもしれない…だが、本当の「裏切り者」はどちらだと思う?」

017「…」

ストーンウッド「……少ししゃべりすぎた。だが、どのみち君はここで死ぬことになる…これ以上誰かに話される心配はないわけだ……だがその前に、書類を返してもらわんことにはな…しばし待っていたまえ」

………



ストーンウッド「お待たせしてしまったな」

エリス「……ジェーン様」

017「エリス…」

ストーンウッド「私とて無関係な人間に危害を加えたくはない……が、君が書類を返さないというのならやむを得まい」017の正面にあるアルコーヴに椅子を据えると、エリスを座らせた…

017「…エリスをどうするおつもりですの、サー・パーシバル?」

ストーンウッド「そうだな…インドでは盗人の手は切り落とすことになっていた。君が書類のありかを吐かないと言うのなら、代わりにレディ・カータレットの手首を切り落とすことにする」

017「あら、でもわたくしが「エリスの手首などどうでも構わない」と言ったらどうなさるおつもり?」

ストーンウッド「そうなったらそうなったで別の方法を考えることにしよう…」

エリス「ジェーン様……貴女が何を強要されているかは存じません。でも、わたくしは貴女を信じております…決して言うがままになる必要などありませんわ」そう言って気丈にも微笑みを浮かべてみせるエリス…

ストーンウッド「いやはや、なんとも麗しき友情だな…しかし果たしてどの程度それが続くか……」召し使いからカットラスのように湾曲したインド風のナイフを借りると、高々と振り上げた……

017「……日傘の柄を右にひねって手前に引き、動かなくなったところで左に回すと隠し場所がありますわ」

ストーンウッド「ふむ、理解があるようで助かる……なるほど、この日傘にはこんな面白いからくりが仕込まれていたのか…白い鳩やバラの花は出ないのかね?」

017「あいにくと仕込み忘れてしまいましたの」

ストーンウッド「ふふ、それは残念だ……では、書類の方はありがたく返してもらおう」大きな封筒に書類をしまうと、見せつけるようにして上着の内ポケットにしまい込み、ぽんぽんと上から軽く叩いた……

エリス「ジェーン様……その書類はとても大事な物だったのでしょう?」

017「ええ、でも貴女ほどではないわ…♪」不安そうなエリスを元気づけようと、精一杯の笑みを浮かべてみせた…



460 ◆b0M46H9tf98h2020/09/23(水) 01:25:24.41GGSe7wse0 (1/1)

ストーンウッド「さて次だ……君は一体誰の差し金で送り込まれてきた?」

017「さぁ、存じませんわ」

ストーンウッド「とぼけるつもりか…言わないと君もあのフランス人みたいになるぞ」

017「まさか……わたくしはあれほどの「スノッブ」ではありませんわ」(※snob…気取り屋、俗物)

ストーンウッド「ふむ、口先が上手いのだけは認めよう……だが、しゃべらないと…」

017「ヤナギの枝でぶちますの?」皮肉たっぷりの口調でまぜ返した…

ストーンウッド「ばかな、そんなお嬢様学校みたいな生ぬるい手では済まさんよ…まぁいい、私も忙しいのでね。手早く済ませるとしようか……やれ」蛇使いを呼ぶと017の前に立たせ、自分はその様子を後ろから眺めている…


…蛇使いが甲高い笛を吹き始めると、頭を揺らしながらコブラがカゴから顔を出した……017は椅子に後ろ手の状態でくくりつけられている中で、隠し通すことが出来た万年筆を袖口からどうにか手のひらに滑り込ませ、仕込まれたナイフを出そうと悪戦苦闘する……が、片手では本体をねじって隠してあるナイフの刃を出すのがなかなか上手くいかない…


017「まったくもう…こう言う肝心な時に限って使い勝手が悪いと来ているのですから……」チロチロと舌を出して丸い目を光らせているコブラを前に、冷たい汗が流れた…

ストーンウッド「どうした、だんまりを通すつもりか? それとも恐ろしくて減らず口も利けなくなったのかね?」

017「…っ」刃をロープにあてがい手首を動かすようにしてゴシゴシと切っていくと、ようようのことで手首が自由になる…

ストーンウッド「残念、時間切れだ…」

コブラ「シューッ…!」

017「っ!」鎌首をもたげたコブラが飛びかかるのと同時に椅子からはじかれるように飛び退くと、コブラの頭にナイフを突き立てた……

ストーンウッド「む…!」

017「逃がしませんわ!」さっと身を翻して部屋を出ようとするストーンウッドを追いかけようとした矢先、蛇使いが三日月型のナイフを抜いて襲いかかって来た……

017「くっ…!」とっさに手首を押さえつけ、相手の力を使って横にいなす……たたらを踏んだ蛇使いが壁のランタンにぶつかると、落ちたランタンからこぼれた熱い油が積んであったジュート麻の袋に染み込み、たちまちぱっと火が付いた……

蛇使い「いやぁぁ…っ!」

017「…!」いきり立った相手が横に切り払った刃をのけぞってかわすと、しなやかな動きで「万年筆ナイフ」を相手の喉に突き立てた…ごぼごぼとうがいのような音を立てると、そのまま床に崩れ落ちた蛇使い……

017「ふぅ……っと、これはよろしくありませんわね」麻袋の火が壊れた木箱に燃え移り、ぱちぱちと暖炉のような音を立てて盛んに燃え始めていた……そしてその向こうには、エリスが不安げな顔をして椅子にくくりつけられている…

エリス「ジェーン様……」

017「案ずることはありませんわ、エリス…いま助けに参りますわね」取り上げられた持ち物が並べてあった台の上から日傘を取り上げるとそれを開き、馬上試合の騎士が持つ槍のように構えて火に向かって飛び込んだ…

エリス「あっ…!」

017「ふぅ…この機能を使う機会など巡ってこないと思っておりましたけれど、分からないものですわね……さ、これだけ炉端で暖まれば充分というものですわ…参りましょう、エリス♪」

エリス「はい…」

…エリスの手を引き扉の前までやって来た017…が、がっちりとした樫の木の扉は外からかんぬきがかけられ、押しても引いても開きそうにない…


017「困りましたわね…戸締まりが良いのは結構な事ですけれど、中に閉じ込められた方としてはそうも言っていられませんわ……ね」葉巻入れの内張りに作られているほつれを引っ張ると、仕込まれていた導火線が糸となって引き出されてくる…燃えている麻袋から導火線に火を移すと軽く二、三回息を吹き、それから扉の前に箱を置いた……


017「ところでエリス…わたくしからちょっとした忠告がありますの」

エリス「はい、なんでしょう?」

017「……そこの窪みに身を寄せておいた方がよろしいですわ♪」

エリス「え、ええ……分かりましたわ」

017「さて、わたくしも……」石の柱の陰に身体をくっつけて、しばし待った……と、耳が聞こえなくなるような派手な爆発音と一緒に部屋中の塵やホコリが舞い上がり、ばらばらになったドアの木片が散弾銃のばら弾のように辺りに飛び散った…

エリス「けほ、こほっ……」

017「エリス、どこにも怪我はありませんわね?」

エリス「ええ、大丈夫みたいですわ」

017「なら参りましょう…このままサー・パーシバルを取り逃がす訳には行きませんもの」片手でエリスの手を引っぱり、もう片方の手にはたたんだ日傘を持って階段を駆け上がった…




461 ◆b0M46H9tf98h2020/09/27(日) 02:26:37.64X+9rF6Nx0 (1/1)

…玄関ホール…

召し使い「ご主人様、何かあったのでございましょうか?地下室から振動と爆発音が聞こえて参りましたが…」

ストーンウッド「そんなことは構わん。それよりお前たちは早く納屋から斧を持ってきて、馬車をみんな走れないように叩き壊しておけ。自動車のタイヤには穴を開けろ。馬も私の「ハリケーン」と「テンペスト」を残してみんな手綱を解いてしまうんだ」

召し使い「は、はい!」

ストーンウッド「シンは一体どこだ…シン!」

シン「はい、ご主人様」

ストーンウッド「すぐに出るから支度を急げ…ピストルを忘れるなよ」

シン「はい」

ストーンウッド「私は書斎に行って必要な物を持ってくる。それからレディ・バーラムとレディ・カータレットの二人が来るようなら何としても足止めしろ。シン、使える者には銃器室の猟銃だのピストルだのを持たせておけ……二人が手向かいするようなら構わずに撃て」

シン「承知いたしました」

………

…地下室への階段…

召し使い「ご主人様の命令です。これより先に行かせるわけには…」

017「そこを退きなさい!」甲の部分に金属の板が仕込んであるヒールで急所を蹴り上げた…

召し使い「うぅ…っ!」

召し使いB「申し訳ありませんが、動かないで頂きたい!」

017「そういうわけには参りませんの…!」召し使いがぎこちない様子で構えているエンフィールド小銃を叩き落とすと、日傘でみぞおちを突いた…

召し使いB「うぐっ!」

………

…玄関ホール…

片眼鏡の紳士「一体何があったんだね? サー・パーシバルが駆け上がってきたかと思ったら、今度はレディ・バーラムにレディ・カータレットのお二人まで……」

017「残念ながら今はお答えしている時間がありませんの…ところでそのサー・パーシバルは一体どちらに?」

紳士「さっきそのまま階段を駆け上がって書斎に行ったようで、それからまた駆け下りてきて…今は玄関にいるかと思いますが」

017「そうですか。では失礼……」

エリス「ジェーン様、一体どちらへ…?」

017「エリス、貴女が無事で本当に良かったですわ……でも、わたくしは少々サー・パーシバルに急用がありますの…失礼♪」手早く白手袋をした手の甲に唇を当てると、玄関に向かって駆けだした…

…車寄せ…

017「…サー・パーシバル!」

ストーンウッド「ずいぶん早かったな、レディ・バーラム。どうやらあの扉を開けるような小道具もお持ちだったというわけだ…しかし残念ながら、私はこれから「長い船旅」に行くのでね。では失礼する!」

017「くっ!」


…黒馬に乗ったサー・パーシバルと栗毛の馬に乗ったシンを追う乗り物を手に入れるべく、指示された「破壊工作」を続けようとする召し使いたちを追い払いつつさっと周囲を見渡したが、馬車は軒並み車輪を叩き壊されていたり、かじ棒を折られていたりしており、招待客のフランス婦人とドイツ人がそれぞれ乗ってきた、パナールとダイムラーの自動車もタイヤに穴が開けられていて使い物にならない……厩に繋いであった馬もすべて手綱を解かれていて、庭に散らばってのんびりと芝生の草を食んでいたが、手早く近くにいた一頭の葦毛の馬をなだめるとドレスの裾をたくし上げてひらりとまたがった…馬は女鞍ではなかったが構わずに鞭をくれて、蹄の音も高らかに古い丸石敷きの街道を走らせた…


017「やぁ…っ!」

………




462 ◆b0M46H9tf98h2020/10/03(土) 02:09:17.43sWE2ZYrW0 (1/1)

017「はっ!」


…普段は鞭を当てるようなことはほとんどしないが、ここでストーンウッドを逃がすわけにはいかないと、葦毛の馬に鞭をくれる…丸石敷きの古い街道は長年にわたる往来ですっかりすり減って磨かれたようになり、表面はすべすべとして艶が出ている…017は蹄の音も高らかに馬を疾駆させつつも、何か腑に落ちないものを感じていた…


017「どうもおかしいですわね…この辺りの港と言えばドーヴァーしかないはずですのに……」

…ラムズゲートから最も近い港と言えば「白い崖」で有名なドーヴァーの港しかなく、そこへ向かうにはラムズゲートから南に延びる街道を行く必要がある…が、ストーンウッドは途中で西へ向かう道に折れ、むしろカンタベリーに向かうかのような針路を取った…

017「まさか…」馬を走らせつつ頭をひねっていると、一つのとてつもない考えに思い当たった…最初はあまりにも突拍子もないアイデアなので「あり得ない」と打ち消してみようとしたが、考えれば考えるほどよく出来ている…

017「いえ……サー・パーシバルなら、そのくらいのことはやりかねないですわね」

…道の左右には湿地と畑とが混在して広がり、その間を縫う街道は小さな丘を上ったり下ったりしていて、わずかな起伏がある…ゆるい下りにさしかかり、ストーンウッドよりも体重の軽い017が徐々に距離を詰めていく中、速度の付きすぎた馬が脚を滑らせた…

017「っ!」


…017はとっさに馬の身体に挟まれないようひらりと転がり、それから手綱をとって馬を立ち上がらせようとしたが、どうも馬の動きがぎくしゃくしている……よく見ると滑った際に蹄鉄が外れてしまったらしく、おまけに脚も痛めたようで、しきりに前脚に鼻面を近づけては舌で舐めたり、痛む脚を持ち上げて体重をかけないようにしている…


017「まったく、こんな時に…どうにも困ったものですわね」

女性の声「……様…ぁ!」

017「こんな時は何か乗り物と…それに欲を言えば可愛らしい女性もいれば素敵なのですけれど……」

エリス「ジェーン様…ぁ!」


…次第に大きくなってくる声の方に視線を向けると、エリスがさきほど助けた時に着ていたデイドレス姿のまま、流行の「ペニー・ファージング型」自転車にまたがりこちらに向かって一生懸命ペダルを漕いでいるところだった……017の近くまで来ると回転し続けるペダルから脚を離し、やがて自転車はゆっくりと止まった…そしてバランスを失った自転車が倒れる前に慌てて飛び降りるエリス…


(※ペニー・ファージング型自転車…いわゆる「自転車のマーク」として見かけることのある、前輪が極端に大きく後輪が極端に小さい初期の自転車。前後の車輪がそれぞれ大きな「ペニー硬貨」と小さな「ファージング硬貨」のようだったことから名付けられた。当時の貴族や富裕層の間で流行していた自転車の路上競技で高速を出すために前輪が大きかったが、低速では不安定で、またペダルが前輪と直結しているため加速するとペダルが高速で回転して危険で、ブレーキを引くと前輪がロックして転倒することもある。そして高い位置に座席があるため乗り降りが大変で転倒すると大けがをする可能性もある……と、後の「セイフティ(安全)型」自転車に比べ様々な点で扱いにくかった。しかしながら速度はかなり出るため、その点では現代のロードバイクにも劣らないとされる)


017「どうやら今日は願い事が聞き入れられる日のようですわね……エリス!」

エリス「ジェーン様…!」

017「どうしてここに? …わたくしの後を追ってきましたの?」

エリス「はい…ジェーン様が地下室からわたくしを助け出して「身体を休めるように」とおっしゃって下さったあと、いきなり馬に鞭を振るって慌てた様子で駆けだしていくものですから…きっとなにか大変なことに巻き込まれているのではないかと……それでわたくし、心配でたまらなくなってしまって…」

017「そう……とにかく今は時間がありませんの。さぁ、早くわたくしにつかまって」

エリス「は、はい」


…道端に沿って伸びる石壁に自転車を立てかけ、そこに乗り込むとエリスを引っ張り上げる017……後ろからぴったりと寄せられたエリスの身体は自転車をこいできたためか火照っていて、押しつけられた柔らかい胸と香水の甘い匂い、それに腰に回された腕の感触もあってベッドに入っているような気分になる…


017「では参りましょう…!」ゆるい下り坂と言うこともあって、たちまちのうちに加速し始める自転車…

エリス「ええ……ところでジェーン様」

017「なんでしょう?」

エリス「はい。実はわたくし、一つ気になることがありまして……ジェーン様は一体どういうわけでサー・パーシバルの地下室で縛られていたり、かと思えばそのサー・パーシバルを追っていらっしゃったりするのです?」

017「……そうですわね…話すと長くなりますけれど、かいつまんで言うと「盗られた物を取り返そうとしている」と言ったところですわね」

エリス「そうなのですか……なら、ジェーン様は正義のお味方ということですわね♪」

017「ええ、まぁ…あくまで「見る立場によっては」ですけれど」

エリス「なるほど…」


463 ◆b0M46H9tf98h2020/10/10(土) 01:36:13.34ZnD6HBjl0 (1/1)

エリス「…それにしても、サー・パーシバルは一体どこに向かうおつもりなのでしょう?玄関先にいた方々によるとサー・パーシバルは「船旅に出る」とおっしゃっていたとか…ですがこの道はカンタベリーに向かう道で、港にはつけないと思うのですけれど……」

017「ええ、それはその通りですわ…でも、前をご覧になって?」

…そういって指し示した先にはちょっとした平地があり、のんきに牛たちが草を食んでいる…が、その場所に上空から大きな楕円形の物体が近づきつつある…

エリス「まぁ、あれは…」

017「ええ…船(ship)といっても飛行船(air ship)だったというわけですわね」


…普段の航路よりもずっと低いところを飛び、いまにも着陸しそうに見える一隻の硬式飛行船……胴体にはフランスの三色旗と「アンリ・ジファール号」と船名が書かれ、ゴンドラからは縄梯子がぶら下がっている……そしてサー・パーシバルとシンは縄梯子を上り始めており、飛行船は早くも上昇を始めている…

(アンリ・ジファール…フランスの発明家。世界で始めて飛行船を作った)

エリス「とするとサー・パーシバルは……」

017「あの飛行船で文字通り「高飛び」するつもりなのでしょう…なおさら逃がすわけには行かなくなりましたわね」

エリス「でも、このままでは間に合いそうにありませんわ…!」

017「ええ……ですから、しっかりつかまっていて下さいな!」


…下り坂で加速する自転車の速度を活かし、ペダルから足を離してフレームの上で立ち上がると、降ろされていた縄梯子の端に手をかけた…続いて伸ばした017の左手につかまり、体勢を立て直すと縄梯子につかまったエリス…


エリス「ふぅ…」

017「さぁ、早く上がるといたしましょう……上の誰かが縄梯子を切り落として、わたくしたちを「ハンプティ・ダンブティ」のようにしようと考えるかもしれませんもの♪」

(童謡「マザーグース」の一つ…「塀に腰かけたハンプティ・ダンプティ。塀から落っこちて潰れてしまって、王様の馬と家来たちでも戻すことが出来なかった」もとは「卵」が答えのなぞなぞ歌。後に転じて「ずんぐりむっくりの人」の意も)

エリス「ええ、そうですわね…」


…風であおられてばたばたとはためくドレスの裾と揺れる縄梯子に苦労しつつ、一段ずつ上っていく二人……ようやくゴンドラの外周を取り巻くプロムナード・デッキの手すりに手をかけようとした時、縄梯子を巻き上げようとした船員がひょっこり顔を出した…


船員「あ…メルド(くそっ)!」フランス語で悪態をつくと慌てて船員ナイフを抜き、縄梯子の結び目を切って二人を落とそうとする…

017「そうは参りませんわ…!」さっとデッキに飛び乗ると船員の脚を払い、鳩尾に日傘の石突きを叩き込んだ…

船員「ぐえ…っ!」

017「しばらく当直はお休みなさっていて下さいな…♪」かたわらに巻いてあったもやい綱をいくらか切って全身を縛り上げ、船員がつけていたネクタイをほどいて口に詰め込むと、近くの掃除用具入れに押し込んだ…

エリス「……それで、これからどうなさるおつもりですの?」

017「まずはサー・パーシバルを探し出して盗られた物を返していただき…あとはそのとき次第ですわ」

エリス「なるほど…」

017「それとエリスは丸腰なのですから、わたくしの後ろから離れずについていて下さいまし…ね?」

エリス「ええ…わたくしではジェーン様の足手まといになってしまいますけれど……」

017「いいえ、そんなことはありませんわ…それにせっかくの「空の旅」ですもの、素敵な女性がいなければ始まりませんわ♪」

エリス「もう、ジェーン様ったら……///」

017「ふふふ……さ、参りましょう♪」日傘をフェンシングのエペのように持って船室に向かう017と、その背中にくっつくようにして歩くエリス…

………




464 ◆b0M46H9tf98h2020/10/17(土) 01:02:28.44K3NNCykn0 (1/1)

…飛行船「アンリ・ジファール号」ゴンドラ後部客室…

スチュワード(男性客室乗務員)「…ブランデーグラスは出ているな……よし」テーブルの上にカットグラスの瓶とグラスを並べ、一つ一つ曇りが無いように拭いている……と、磨かれたグラスに017とエリスの姿が映り、乗務員は驚いたように振り返った…

017「……失礼いたしますわ♪」

乗務員「はい…あの、申し訳ありませんが本船はチャーターのはずですが、ご婦人方は一体どうやっ……くはっ!」日傘で喉を突かれて悶絶した乗務員…

017「この日傘でふわりと飛んで参りましたの…♪」

乗務員B「おい、どうした?」

017「…」さっとカットグラスの瓶を取り上げてドアの陰に身を隠し、もう一人の客室乗務員が顔を出した瞬間、首筋に瓶を振り下ろした…

乗務員B「うっ…!」

017「……マーテル(コニャック)のVSOPですわね。こぼすには少々もったいないというものですわ」瓶をテーブルに戻すとガラスの栓を抜き、手で扇ぎ寄せるようにして香りを確かめた…


…後部客室・続き部屋(スイートルーム)…

女性乗務員「あっ…」

017「失礼…少々お尋ねしたいのですけれど、サー・パーシバルはどちらに?」

女性乗務員「は、はい…ストーンウッド様でしたら前部の船長室にいらっしゃるかと……」慌てた様子で手を後ろに回し、申し訳なさそうな口調で頭を下げた…

017「そう、ありがとう…」そう言いながら、横目でちらりとベッドルームの鏡に視線を送った…それからわざと背を向け、部屋を出て行くそぶりを見せた……

女性乗務員「…いえ」


…017とエリスが後ろを向いて立ち去ろうとすると、乗務員は隠し持っていたフランス製のパーム・ピストル「ル・プロテクター」を撃とうと慎重に腕を動かし始めた…

(※ル・プロテクター・ピストル…「パーム(手のひら)・ピストル」と称される特殊な護身用ピストルの一つ。フランス人タービアーとアメリカ人フィネガンによって開発された。指の間から銃身をのぞかせるようにして円盤状をした本体を握り込み、それに付いている取っ手のような引き金を手の中で握ったり緩めたりすることで連発させ、弾は「円盤」の中に円周を描くようにして並べられている。装弾数は7発で、弾薬は人差し指の爪ほどもないような口径8×9ミリRの専用弾薬を用いるが、使用弾薬のバリエーションによって装弾数は異なる。十九世紀後半、フランスとアメリカで製造された)


017「…そのピストルはしまっておきなさいな。わたくしも女性に手を上げたくはありませんわ」さっと振り向くと額にウェブリー・リボルバーを突きつけた…

女性乗務員「…っ!」

017「とはいえ、貴女をこのままにしておく訳にも参りませんし……仕方ありませんわね♪」チャーミングな笑みを浮かべると乗務員をベッドに押し倒し、カーテンのタッセル(カーテンをまとめておく帯飾り)を外すと手首を縛り上げた…豪華な分厚い布でできているタッセルは大変に頑丈で、めったなことではほどけそうにない…そしておもむろに乗務員のストッキングを脱がせ始めた…

女性乗務員「///」

エリス「こ…こんな時に一体何を……///」

017「ふふ、大丈夫ですわ……別にいたずらをしようというつもりではありませんもの…♪」脱がしたストッキングを丸めると口に押し込み、声が出せないようにした…最後に軽く頬にキスをすると「ル・プロテクター」を持って部屋を出た…

…左舷プロムナード・デッキ…

017「エリス、これをお持ちなさいな…何も無いよりはいいですもの」そう言うと先ほどのル・プロテクターを差し出した…

エリス「ええ」

017「使い方は分かりまして?」

エリス「いえ……どう使えばよろしいのでしょう?」

017「それなら簡単ですわ…こうして手で握りこんで、このカップの柄のような部分を押し込めば弾が出る仕組みになっておりますの……」

エリス「なるほど……それにしても、先ほどは驚いてしまいました」

017「なぜ?」

エリス「だって、ジェーン様ったらてっきりあのまま……いえ、何でもないですわ…///」

017「まさか…いくらわたくしでもこんな時にそんな真似はいたしませんわ……それに、無理矢理と言うのはわたくしの趣味ではありませんの♪」

エリス「もう、ジェーン様……」

017「しっ……静かに…」






465 ◆b0M46H9tf98h2020/10/20(火) 01:11:09.31NrXs11JY0 (1/2)

乗務員C「…それにしてもあの客は一体誰なんだろうな…百人は乗れるこの飛行船を貸し切るだなんて、ただ者じゃないぞ?」

乗務員D「ああ…それが食堂のアンリから聞いた話だと、なんでもあの御仁はテュイルリー宮(フランス共和国政府)が欲しがっているものを持っていて、何かと引き換えにそれをこっちに引き渡す予定らしい……だから発着場で乗せなかったんだと」

乗務員C「それでか…他の客は予約だけで乗船しないし、かと思ったら急にへんぴな所に降下するしで……おかしいとは思ったんだ」

乗務員D「それだけじゃない…船倉の積み荷を見たか?」

乗務員C「いいや……なんだい?」

乗務員D「……おれは以前見たことがあるから知っているんだが、あれはライフルの輸送箱だぜ…しかも数百人分はある」

乗務員C「おいおい、どういう事だ…アルビオンの植民地か何かを相手に戦争でもおっぱじめるのか?」

乗務員D「あながちそれも間違いじゃないかもしれないな……っと、いけねぇ。そろそろデュランたちと交代する時間だ…」

乗務員C「もうそんな時間か…それじゃあ頑張れよ」

乗務員D「おう」そう言うと二人がいる左舷側の通廊に向かってくる…

017「…っ!」エリスの腕を引っぱり、かろうじて物陰に身を潜めた……そのまま気づかずに前を通り過ぎていった乗務員…

エリス「ふぅ……見つからなくて良かったですわね」

017「ええ…それと、早く船長室に行ってサー・パーシバルの予定を伺わないといけませんわね」

…船長室…

017「…」扉越しに撃たれないよう左側の隔壁に身を寄せると「コンコンッ…」と軽くノックをした017……

船長の声「誰だね、入りたまえ」

017「失礼いたしますわ」

船長「むっ、誰だ君は!?」

017「わたくしはレディ・ジェーン・バーラム。こちらはレディ・エリス・カータレット…アンシャンテ(お見知りおきを)」流暢なフランス語で自己紹介を済ませると軽く一礼した…

ストーンウッド「やれやれ、困ったものだな……レディ・バーラム、一体どういう風の吹き回しだ?」

017「あら、サー・パーシバル…せっかくおもてなしして下さいましたのに、別れも言わずにフェアウェル(さよなら)というのはあんまりと言うものですわ……わたくし、お名残惜しさのあまりにここまでお見送りに来ましたの」

ストーンウッド「…わざわざご親切な事だ……それで、挨拶を済ませたらその後はどうするつもりかね?」

017「そうですわね、せっかくですからわたくしもこのまま飛行船の旅を楽しませていただこうかと…ちなみにサー・パーシバルはどちらまでおいでになる予定ですの?」

ストーンウッド「……知りたいかね? ボンベイだ」

017「まぁまぁ、わたくしインドには行ったことがありませんの♪」

船長「ちょっと待ちたまえ、ムッシュウ・ストーンウッド。行き先はポンディシェリ(インド南部のフランス植民地)のはずだ…それがアルビオンの植民地に向かうとはどういうつもりだ?」

ストーンウッド「おや、まだ船長には言っていなかったかな…ここまでのお膳立てには感謝するがね、私はフランス政府の言うことを聞くつもりはさらさらないのだ」

船長「なにっ!?」

ストーンウッド「…もうここまで来たのだし、そろそろ私の考えをお話しよう……レディ・バーラムとレディ・カータレットも聞きたいだろう」

017「ええ、ぜひお考えをお伺いしたいものですわ」

ストーンウッド「よかろう、では椅子に掛けるといい…紅茶でもどうだね?」ティーポットを取ると、新しいカップを二つ用意してそれぞれに注いだ……張り詰めた空気の中、場違いな紅茶の香りが漂ってくる…

017「いただきますわ…♪」にこやかにしているが、その視線には一分の隙もない……注がれた紅茶をひとすすりすると、テーブルの上にティーカップを置いた…




466 ◆b0M46H9tf98h2020/10/20(火) 02:24:37.32NrXs11JY0 (2/2)

ストーンウッド「では話すとしようか……さて、今回の件で私が手に入れた数百万ポンドは、あくまでもこれから始める「事業」の元手に過ぎん」

017「…それで、その「事業」とやらの内容をお伺いしたいですわね…東インド会社の再設立でもなさるおつもりですの?」

ストーンウッド「いいや……私はこの金を使って、インド植民地をアルビオンから分離独立させるつもりなのだ」

017「それはそれは…「『そいつは奇妙きてれつだな』とアリスはいいました…」とでも申しましょうか」

ストーンウッド「そうかね? 今アルビオン王国はカードウェル制に基づいて植民地軍を縮小し、もっぱらその兵隊は現地人を使っている…そしてたいていの連隊は本国にいて、インドに展開している訳ではない」


(※カードウェル制…カードウェル卿によって進められた軍制改革。経費削減のため平時は植民地への駐留軍をできるだけ送らず、植民地軍が使う兵器の更新期間も数年から十年というゆっくりしたペースにするというもの。同時に兵に対する過剰な体罰や、貴族の子弟が士官の階級を金で買うことを禁止した。実際には1930年代まで何回か行われ、一定の効果があった)


017「ええ」

ストーンウッド「一方、インドには多くの植民地生まれがいて、そうした者たちが現地の社会で政治や経済、軍事を動かしている…そしてその大半が王国の植民地政策に不満を持っている。軍でインド出身者が将官に昇進することなど滅多にないし、近衛連隊に入隊することもまずできない……官僚たちもエリートのオックスフォードかケンブリッジの卒業生だけが出世して、植民地生まれは決して次官や局長の椅子には座れない」

017「…それで?」

ストーンウッド「こうした中で、私はすでに現地の入植者たち……そしてこちらでも今の王国のありように不満を持っている優秀な人材を集めた。そして今回の「高純度ケイバーライト」を餌に使って、この計画を始めるのに必要な資金を手に入れたわけだ」

017「なるほど。今回の事件は始まりではなく「仕上げ」であった、と…それで、その計画を始めた後はどうするおつもりですの?」

ストーンウッド「簡単だよ。インドは極東への重要な中継点であり、多くの富をもたらす…私が仲間たちとアルビオン領の植民地を制圧したら、また貿易を再開させるつもりだ……どのみちアルビオンはインドなしでやっていくことはできず、また、フランスやオランダも列強の間でギリギリの勝負をしている中で、これ以上インドに兵を割くわけにはいかない…つまり、なんのかのと言っても各国政府はこちらに頭を下げることになる、というわけだ」

017「それにしてはムッシュウ・ルブランにコブラを噛みつかせるなどと、まずいことをなさいましたわね?」

ストーンウッド「ふっ…私とて商売相手の代理人にそんなことをするほど愚かではないよ。なにせムッシュウ・ルブランはフランスのスパイではなく、ベルギーのスパイなのだからな」

017「なるほど…ベルギー人ならフランス人と同じようにフランス語を話せますものね……」

ストーンウッド「いかにも」

017「ふう……それがあなたのお考えですのね、サー・パーシバル?」紅茶のカップを取り上げると一口飲み、じっとストーンウッドを見た…

ストーンウッド「ああ、そうだ…何か言いたいことでも、レディ・バーラム?」

017「ええ。サー・パーシバル、あなたがなさろうとしている事に水を差すのは大変心苦しいのですが……残念ながらそうは行かないと思いますわ」

ストーンウッド「ほほう、なぜだね?」

017「なぜかと申しますと……わたくしがそうさせないつもりだからですわ!」そう言いながら、まだ湯気の立っている紅茶を浴びせかけた…

ストーンウッド「ぐっ…!」とっさに抜き放った.500口径の中折れ式ピストルが大砲のような轟音をあげて火を噴いたが、熱い紅茶を顔面に浴びて、反射的に身をよじったので狙いがそれた……そのまま船長室の飾り窓に体当たりすると、外のデッキに飛び出す…

017「っ!」ドレスの隠し場所から.297口径の小型ウェブリーを抜くとストーンウッドの後ろ姿に向けて一発放ったものの、わずかな差で外した…

船長「…っ!」這いつくばるようにして床を転げると、隔壁の警報ベルに手を伸ばしてベルを押した……飛行船中に「ジリリリンッ!」とけたたましいベルの音が鳴り響く…

017「エリス、わたくしの後に付いてきて!」

エリス「はい…っ!」

…左舷・プロムナードデッキ…

乗務員E「待て、止まれ!」

017「っ!」銃を持って持ち場に駆けつける乗務員や船員たち…二人と出くわした数人の一番前にいた乗務員は、相手が女性だと油断してレベル・リボルバーを突きつけてきた……が、017はそれをはたき落とし、そのまま薄い金属板が仕込まれているヒールの甲で急所を蹴り上げた…

乗務員E「…うう…っ!」

乗務員F「この…っ!」

017「…!」パン、パンッ…!

乗務員F「ぐう…っ!」持っていたレベル・リボルバーを撃つよりも早く二発の銃弾を胸に撃ち込まれ、崩れ落ちる乗務員…

乗務員G「いたぞ!左舷に……」

017「どうぞお静かに…っ!」左手で持っている日傘で相手の鳩尾を突いた017……普通の柄ならもちろん折れてしまうだろうが「教授」たち装備開発部が作り上げた「情報活動用」日傘の柄は戦艦の船体にも使われるハーヴェイ鋼で出来ており、それで突かれると警棒以上の威力がある…

乗務員G「かは…っ!」身体を二つに折って崩れ落ちると両手で鳩尾を押さえ、声も出せなくなった……

017「さぁ、急ぎましょう……このままでは馬車がカボチャに戻ってしまいますわ!」

エリス「ええ…!」



467 ◆b0M46H9tf98h2020/10/25(日) 02:31:39.600eauDQEf0 (1/1)

乗務員H「…急げ、銃声はこっちから聞こえたぞ!」

乗務員I「ああ!」


…フランス製のグラース小銃を持って飛び出してきた乗務員は017とエリスを見ると、慌てて引き金を引いた……が、焦ったために弾はそれ、船室の舷窓を粉々に打ち砕いただけだった…

(※グラース小銃…戊辰戦争~明治頃の日本でも用いられていた紙製薬包の単発式ライフル「シャスポー銃」を金属薬莢を用いる事が出来るよう改良したもの。その後無煙火薬を用いる連発式のボルトアクションライフル「ルベル小銃」が出るまでフランス軍で使われた)


乗務員H「畜生…っ!」単発式のグラース銃を再装填する余裕はなく、銃剣で突こうとする…

017「…っ!」相手の懐に飛び込むと脇腹にピストルの銃口を当てて引き金を引く…

乗務員H「うぐ……っ!」

017「…ふっ!」そのまま流れるような動きでもう一人の相手にウェブリーの銃弾を撃ち込んだ……

乗務員I「げほっ……」

017「ふぅ……」

エリス「…あの、ジェーン様」

017「どうかなさいまして、エリス?」

エリス「え、ええ…先ほどから飛行船の針路が変わっているようですわ……」

017「と言うことは、サー・パーシバルはきっと操舵室に向かったに違いありませんわね……では、参りましょう♪」ウェブリーの弾を込め直すと、にこやかに微笑みかけた…

エリス「は、はい…」

…飛行船左舷・前部プロムナードデッキ…

017「……この先が操舵室ですわね…」

エリス「ええ…」

017「エリス、貴女はわたくしの後ろにいてくれればよろしいですわ…♪」

エリス「はい、ジェーン様」

017「いいお返事ですわね……」


…楕円形をしていて、船首部に行くに従って先細りになっている飛行船のゴンドラ…上空の冷たい風を受けながら、その湾曲に沿って進んでいく二人……と、操舵室も目前になった横手の通廊から、シンが襲いかかって来た…

シン「ふんっ…!」

017「うっ…!」ギラリと光るグルカナイフで突きを入れてくるシン……とっさにのけぞりかろうじて刃の先端をかわしたが、肩口をナイフがかすめた…

シン「むぅん…!」体勢を立て直す暇も与えず、続けざまに切り払ってくる…

017「……くっ!」

シン「やぁぁ…っ!」

017「…っ!」たまらずに数歩下がってたたらを踏むと、その隙を逃さずナイフの間合いに飛び込んでくるシン……017はその勢いを支えきれず、尻餅をつく形でデッキに倒れ込んだ……

シン「ふん…っ!」

エリス「……ジェーン様っ!」

シン「…」

017「…っ!」パン…ッ!

…とどめとばかりに振り下ろされたグルカナイフの刃を日傘の柄で受け止め、同時にウェブリーでシンの胸元を撃ち抜いた…

シン「…」手からポロリと落ち、ガタンと音を立ててデッキに転がったグルカナイフ……

017「……はぁ、はぁ……はぁ…っ」

エリス「ジェーン様…!」

017「わたくしは大丈夫ですわ、エリス…」少しよろめきながら立ち上がると、ドレスについたほこりを払った…

エリス「はぁぁ……わたくし、気を失いそうですわ……」

017「ふふ、エリスが気を失ってもわたくしが介抱してあげますから大丈夫ですわ……ただ、気を失うのはサー・パーシバルの事が済んでからにしてほしいですわね♪」

………




468 ◆b0M46H9tf98h2020/11/02(月) 02:08:13.69Dw4Yil4g0 (1/1)

…飛行船・船橋(ブリッジ)…

017「失礼、どうぞ誰も身動きなさらないようお願いしますわ…♪」


…扉越しに撃たれないよう、隔壁に背中をあずける形で腕だけを伸ばして船橋(せんきょう)への入口を開けると、さっと中に入ってウェブリーを構えた017……いくつか綿雲が浮かんでいるだけの青空を行く「アンリ・ジファール」号の操舵室はなかなか眺めがよく、周囲の隔壁には伝声管や様々なパイプがツタのように伸び、綺麗に磨かれた真鍮製の羅針盤や風向計、速度計や圧力計などが据え付けられている……持ち場に就いている数人のフランス人船員はおどおどした様子だったが、よく見ると舵輪を握っていたらしい航海士は胸元を撃ち抜かれた状態で床に倒れていて、身体の周りには流れ出した血で小さな水たまりが出来ている……そして航海士の代わりに大口径のピストルを握ったストーンウッドが、片手で舵輪を握っている…


017「……大人しく両手をあげていただきますわ、サー・パーシバル」

ストーンウッド「これはこれは、レディ・バーラム。まだいらっしゃったとは驚きだ…しかし、そろそろこの舞台も幕にしてはいかがだね?」

017「それは同感ですが、まだアンコールが済んでおりませんの♪ ……まずはその「大砲」を床に置いて、それからゆっくりと舵輪から離れて下さいまし…それとムッシュウ、あなたが代わりに舵輪を握っていて下さいな」…抵抗したり、こっそり針路を変えたりといった機転を働かせる余裕のなさそうな、一番おびえた様子のフランス人船員に声をかけた…

ストーンウッド「…よかろう」舵輪を離すと、床に.500口径の中折れ式ピストルを置いた…

船員「マ、マドモアゼル…舵輪を変わりました……」

017「結構ですわ……さて、サー・パーシバルにはまだいくつか尋ねなければならないことがございますの…お答えいただけるかしら?」

ストーンウッド「それは質問の内容によりけりだな…私の資産だったら知らんよ。数え切れないほどあるのでね」

017「うらやましい限りですわね……でも、そうではありませんわ」

ストーンウッド「そうかね、まぁ何なりと聞くがいい」

017「ええ、では一つ目に…研究資料の写しはどこにありますの?」

ストーンウッド「研究資料の写し?」

017「ええ、いかにも……とぼけてもらっては困りますわ」そう言いつつも、017の鋭い観察眼にはストーンウッドが嘘をついていないように見えた…

ストーンウッド「…写しなどない。余計な写しなど作って、それが他人の手に渡ったり欲を出した召し使いの誰かに盗まれたりした日には、計画がフイになってしまうからな」

017「なるほど……それでは二つ目ですわ」

ストーンウッド「ああ」

017「…今回のあなたの「計画」ですが、どこの国がどの程度関与しておりますの?」

ストーンウッド「ふむ、そのことか……この飛行船を見ても分かる通り、フランスの手は少々借りた」

017「他には?」

ストーンウッド「いや、それだけだ」

017「あら…嘘が下手でいらっしゃいますわね、サー・パーシバル?」自尊心が強いストーンウッドに対し、まるで「お一人では鼻もかめないでしょう?」と言わんばかりの皮肉な調子であざけった…

ストーンウッド「嘘なものか! この計画は私が考えてここまでこぎ着けたのだ、フランスのカエル共やぶしつけな新大陸(アメリカ)の連中などに、こんなアイデアが出せるわけがない!」

017「…なるほど」

ストーンウッド「失礼、少々取り乱してしまったな……他にまだ聞きたいことはあるのかね?」

017「ええ…研究資料を運んでいたエージェントはどうなさいました?」

ストーンウッド「あぁ、あの男か……それが、情報を聞き出そうとしたがあまりにも頑固に抵抗するものだからな…シンに片付けさせてしまったよ……もう一人私の身辺を嗅ぎ回っていたネズミもいたが、それも同じだ」

017「そう」

ストーンウッド「……それだけかね?」

017「ええ…それを聞いて安心いたしましたわ♪」

ストーンウッド「ほう?」

017「…おかげで何の良心の呵責もなく、あなたを撃つことが出来ますもの」そう言うと腕を真っ直ぐに伸ばして、カチリとウェブリーの撃鉄を起こした…



469 ◆b0M46H9tf98h2020/11/03(火) 01:29:20.07PlJvz0/A0 (1/2)

シン「…うぉ…っ!」

017「くっ…!」


…胸に銃弾を受けた瀕死の状態で、最後の力を振り絞って這いずってきたシンが後ろから飛びかかった……銃を持つ手を掴まれ、揉み合いになるシンと017……一発目の銃弾はそれて床板を撃ち抜き、二発目は横手の伝声管を貫き、甲高い音を立てた…


017「…っ!」いくら体力に優れたシンとはいえ、多くの血を失っていては勝てるはずもない…017は腕を振り払うと、シンの胸元に二発の銃弾を撃ち込んだ…

シン「かは……っ!」

017「はぁ、はぁ…っ……」

ストーンウッド「……動かないでもらおうか、レディ・バーラム」

017「…っ」

…シンと格闘している間に、エリスを捕まえて盾にとったストーンウッド……右手には拾い直したピストルを持ち、左腕はエリスの白い首に回している…

ストーンウッド「さて、今度は君の番だ……レディ・カータレットに無事でいて欲しいのなら、下手な真似はしない方がいい…さぁ、ピストルを置きたまえ」

017「……それで、どうするおつもりですの?」

ストーンウッド「先ほども言ったが、そろそろこの舞台も幕にしなければな…となれば、君にはご退場を願おう。幸いここは空の上だ、不幸な墜落事故も往々にして起きる……さあ、デッキに向かいたまえ」

017「ええ、ちょうど外の空気が吸いたいところでしたの…」

…飛行船・船橋外側通廊…

ストーンウッド「何か言い残したことはあるかね?」

017「ええ……さきほどの紅茶はあまり美味しくありませんでしたわ」

ストーンウッド「ふん…」

017「……それにしても、この冷たい風が何とも心地よいですわね」船橋の通廊はゴンドラの首尾線(前後)にたいして真横に伸びて左右両舷のどちらからも通れるようになっていて、017はその右舷側を背に立っている……

ストーンウッド「ふむ……さて、これでお別れだ」自信たっぷりに銃の撃鉄を起こしたストーンウッド

エリス「…っ!」そろそろと手を動かすと、隠していた「ル・プロテクター」ピストルをストーンウッドの手に押しつけて引き金を握りこんだエリス…いくら小さな「ル・プロテクター」とはいえ曲がりなりにもピストルであり、その銃弾はストーンウッドの手のひらを撃ち抜いた…

ストーンウッド「うぐ…っ!」痛みでピストルを取り落とし、思わずエリスを押さえていた腕を放して右手を押さえた…

017「やぁぁ…っ!」その一瞬の隙を逃さず、日傘の石突きに仕込まれていた刃を出して甲板を蹴ってストーンウッドのふところに飛び込むと、胸元に必殺の突きを入れた……

ストーンウッド「…ぐぅっ!」胸元に突き立てられた日傘をかきむしり、よろよろと後ずさる…そのまま左舷デッキの手すりに背中をあずけていたが、ふらりと後ろにもんどり打った…

017「………」デッキから下をのぞく017…

ストーンウッド「…た、頼む…助けてくれ……」ゴンドラの強度を高めるリブ(張り出し)に指をかけ、かすれた声で言った…

017「きっとあなたが始末させたエージェントもそう言っていたと思いますわ……でしたら、平等にしなければいけませんわね?」そう言うとつま先でゆっくりと指を踏みつけた……

ストーンウッド「……うわぁぁ…っ!」

017「…」次第に小さくなりながら雲間に消えていくストーンウッドを見送った…

エリス「…ジェーン様、ご無事でいらっしゃいますか?」

017「ええ…エリスの機転のおかげで助かりましたわ♪」

エリス「あぁ、よかった……」そのままふらりと気を失いそうになるエリス…

017「…あら」さっと背中を支えて抱き寄せた…

エリス「ありがとうございます……それにしても、ジェーン様の日傘にはいろんな機能が隠されておりますのね…?」

017「ふふ、そうですわね……残念ながら鳩もバラも入ってはおりませんけれど、毒が塗られた鋭い刃は入っておりましたわ…お気に召したお方は、どうかご喝采のほどを♪」冗談めかして見世物の口上を真似ると、軽く膝を曲げて礼をした…

エリス「もう、ジェーン様ったら…」

017「ふふ…♪」



470 ◆b0M46H9tf98h2020/11/03(火) 01:55:33.63PlJvz0/A0 (2/2)

…まだ続きはありますが、今日は一旦ここで止めます…


そういえばショーン・コネリーが亡くなったそうで、SISの長官もお悔やみを述べておりましたね…「007」はスパイ物としては軽薄に過ぎるという意見もあるかもしれませんが、彼と原作者のイアン・フレミング(実際にフレミングも元情報部員だったとか)が世界で情報部員という職業を有名に(…有名にしてもらっては困るかもしれませんが)したことは間違いないと思います……個人的には「ワルサーPPK」と、あの斜め上を見上げるような笑い方が印象的でした…



471 ◆b0M46H9tf98h2020/11/08(日) 02:35:54.87Xo9qcpkC0 (1/1)

017「ふふふ…っと、あら……」

エリス「…どうかなさいましたの、ジェーン様?」

017「ええ、どうやら些細な問題が二つほど起きたようですわ…」

エリス「あの…「些細な問題」と、申しますと?」

017「……上をご覧なさいまし、エリス」

エリス「上…?」そう言って小首をかしげ、それからおもむろに気嚢を見上げたエリス……と、さっきまでは目一杯膨らんでいたはずの気嚢が少ししわを帯び始めている…

エリス「あの、ジェーン様…もしかして……」

017「ええ…先ほどの撃ち合いで気嚢のどこかに穴が空いてしまったようですわね。まだしばらくは持つでしょうけれど、そのうちに耐えきれなくなって、イカロスのようになってしまいますわ」

(※イカロス…ギリシャ神話。幽閉されていた島から脱出するべく、鳥の羽を集め蝋で固めた翼を付けて空を飛んだが、飛べることに夢中になったイカロスは翼を作った父の注意を忘れて太陽に向かって飛び、その熱で蝋が溶けて墜落してしまった)

エリス「それで、もう一つの「些細な問題」とは何でしょう…?」

017「わたくしたちが見聞きしたことをお茶会の話題にして欲しくないらしい、フランス人の乗務員たちが大挙してこちらにやって来ますわ」

高級船員「…何としてもあの二人を逃がすな!」

船員C「前部左舷のデッキだぞ!」

船員D「こっちだ、早く!」号令やデッキの上を駆ける足音が次第に近寄ってくる…

エリス「でも……どういたしましょう?」

017「そうですわね…今から一等船室の乗船券を買う訳にもいかないようですし、上等なもてなしにも期待できそうにありませんから……仕方ありませんわ。短い空の船旅になってしまいましたけれど、おとなしく飛行船を降りるといたしましょうか♪」

エリス「お、降りるとおっしゃられても…ここは少なくとも千フィートはある空の上ですわ!」

017「ええ…でも、ちゃんと備えがありますもの♪」隔壁に設置されているロッカーには、フランス語で「非常用落下傘」とある…

エリス「…でも、わたくしたちは二人ですし、このロッカーには一人分しか……」

017「これは頑強な殿方が使っても大丈夫なように作られておりますし、エリスは羽根のように軽いのですから問題ありませんわ♪」

エリス「そ、そんなことをおっしゃられても…」

船員E「いたぞっ!」バン…ッ!

017「…どのみち選択肢はそう多くありませんし、考えている時間もあまりありませんわ……ドーヴァー海峡の上に出てから飛び降りたのでは、二人ともオフェーリアの真似事をすることになってしまいますもの」パン、パン…ッ!

(※オフェーリア…オフィーリアとも。シェークスピアの戯曲「ハムレット」に出てくる王女。仇敵を油断させて復讐を行うため狂気を装った婚約者「ハムレット王子」の演技を信じてしまったために錯乱してしまい、川に落ちて亡くなる。水面に浮かんだ美しい顔と、そこから広がっている長い髪といった姿で描かれる)

船員E「うぅ…っ!」

エリス「…」

017「それにわたくしの日傘に落下傘の機能があれば良かったのですけれど、あいにくと付け忘れてしまいましたの……さ、お心は決まりまして?」パンッ、パァン…ッ!

船員F「ぐわぁ…っ!」

エリス「……わ、分かりましたわ」

017「では、落下傘を身に付けるといたしましょう……帯を通さなければなりませんから、身体を寄せて下さいまし…ね♪」パラシュートのハーネスを通しながら、向かい合わせになってくっついているエリスをぎゅっと抱きしめる…

エリス「……もう、こんな時まで///」

017「ふふ……さ、準備はよろしいかしら?」

エリス「はい…!」

017「結構なお返事ですわ……それでは短いですけれど、優雅な遊覧飛行と参りましょう♪」エリスを抱きかかえつつ、デッキの手すりから飛び降りた…






472 ◆b0M46H9tf98h2020/11/12(木) 02:03:43.15m1DPzWc+0 (1/2)

017「……まるで隼にでもなった気分ですわね!」


…飛行船から青い空に飛び出すと、たちまち冷たい風がごうごうと吹き付けてきて髪が巻き上がり、ドレスの裾や袖がバタバタとはためいた……そしてモザイク画のようだった緑や土色の模様が、次第に畑や草原、荒れ地や湿地と見分けられるようになってきた…


エリス「ジェーン様、早く落下傘を…!」

017「ええ…ですがもう少しだけ待って下さいまし……ね!」風の音に負けないよう、お互いに耳元で声を張り上げている…

エリス「どうしてですの…!」

017「…ここで開傘したらいい的になってしまうからですわ!」すでに小さくなり始めた飛行船のデッキには船員や乗務員たちが鈴なりになって、しきりにライフルやピストルを撃っている…

エリス「ですが、このままでは地面にぶつかってしまいます…!」

017「心配は要りませんわ、そろそろ開きますから…!」


…エリスをかばい、また背中のパラシュートが開けるようにうつ伏せの姿勢で上側になっている017……首をねじって飛行船の方を見ると、すでに飛行船とは百ヤードばかり離れていて、もう素人のフランス人船員たちではライフルを使っても当てられないほど距離が開いたことを確認した……それから落ちていく先に一つのちぎれ雲があることを見定めると、パラシュートの開傘索を引っ張った…


エリス「…っ!」

017「ふぅ……無事に開いてくれましたわね。ブランシャールには感謝しませんと♪」(※ジャン・ピエール・フランソワ・ブランシャール…フランス人の自称「科学者」で冒険飛行家。それまで数百年間の間試行錯誤が繰り返されてきたパラシュートの歴史の中で、初めて丸形のパラシュートで降下に成功した)

エリス「……はぁぁ、息が止まりそうでしたわ…」

017「大丈夫、わたくしが付いておりますもの……♪」そう言うと唇を重ねた…

エリス「あっ、ん……///」

017「ふふ…」

エリス「……あの、ジェーン様…」

017「なんでしょう?」

エリス「その……実は、わたくし…」

017「ええ…」

エリス「あぁ、その…申し上げにくい事なのですけれど……」

017「構いませんわ」

エリス「はい……実は、わたくし…ジェーン様のことを……お慕い申し上げているのです…///」

017「……それは、つまり…」

エリス「そうなのです……わたくし、ジェーン様と婚姻を執り行って「婦妻」として結ばれたい…そんな……そんな、叶わぬ気持ちを抱いてしまったのですわ!」

017「……エリス」

エリス「…おかしいでしょう? わたくしたちは共に女性で…たとえ愛し合っていたとしても、主の前で婚姻を結ぶことはまかりならぬこと…けれども……んっ!?」

017「んっ、ちゅぅ……♪」

エリス「んんっ、んぅ…っ!?」

017「ぷは……エリス」

エリス「ジェーン様…?」

017「エリス…貴女との愛の前にいかほどの障害があろうとも、わたくしはそれを乗り越えてみせますわ……ただし、時折の浮気は許して下さいまし…ね♪」

エリス「も、もうっ……わたくしが真剣に申しておりますのに…///」

017「……分かっておりますわ。こうして冗談めかしていないと、わたくしも嬉しさのあまりどうにかなってしまいそうなのですもの……♪」

エリス「ジェーン様…///」

017「ふふふ……飛行船の上で婚約した酔狂な方はこれまで数人おりましたけれど、文字通り空中で婚約したのは、きっとわたくしたちが最初ですわね♪」

エリス「はい…♪」

017「…そろそろ地面に着きますけれど、他に空中でしておきたいことがあるなら今のうちですわよ……エリス♪」

エリス「…それなら……んっ///」ちゅぅ…♪

017「ん♪」



473 ◆b0M46H9tf98h2020/11/12(木) 03:21:03.95m1DPzWc+0 (2/2)

…地上…

農夫「……ふー」新しい干し草ならではの香りを嗅ぎつつ地面に干し草用のフォークを突き立てると、手の甲で額の汗を拭う…

農夫「今日はいい天気でなによりだ…これなら干し草もよく乾くことだろうて……」そう独りごちて空を見上げた瞬間、ポカンと口を開けて固まった…

農夫「なんだぁ、ありゃ…!?」ふわふわと漂っていくパラシュートの落下先を目指して走り始めた……

………



017「……さ、しっかりつかまっていて下さいましね♪」

エリス「は、はい…!」

017「…それでは到着ですわ…と!」緩やかな斜面に降り立った二人はパラシュートの行き足が止まるまで、後ろから押されるような形で駆け下りた……ようやく勢いが収まると今度は畳まれた布団のようになったパラシュートに後ろから引っ張られ、地面に転がった…

エリス「はぁ…はぁ……」

017「ふぅ……なんとこの大地の固きこと。まさに「地に足を付けた」ですわね♪」

エリス「ジェーン様、それよりもこの紐を解いて下さいまし……///」

017「ええ……もっとも、そうして落下傘の絹布に包まれているエリスを見ると、そのまま情を交わしたくなってしまいますわ…♪」にっこりと笑みを浮かべ、紐が絡まってまごついているエリスの頬を撫でた…

エリス「い、いけませんわ…///」

017「ええ、分かっております…さ、いま解いて差し上げますわ♪」

エリス「……ふぅぅ…まるでローストビーフになった気分でした」

017「まぁ、ふふ……もしエリスがローストビーフなら、きっと世界で一番美味しいローストビーフですわね♪」

エリス「もう、お上手なのですから…///」

017「……ふふ♪」と、柔らかな草の斜面で息を切らしつつ駆け寄ってくる農夫の姿が見えた……

017「あら…誰かやって来ましたわ」サー・パーシバルが転がり落ちる前に胸元から引き抜いた日傘を改めて差し直すと、裾の土を払って格好を整えた…

農夫「……ぜー…はー……ご婦人方は……ふー…一体どこからやって来なすったんだね…?」二人の近くまで来ると肩で息をしながら、やっとの事で声を出した……

017「ダンデライオン(タンポポ)の綿毛のごとくふわふわと、空の上から参りましたわ♪」

農夫「いや、そりゃあそうかもしれんけど……」

017「ふふ……それでは良い一日を♪」エリスの手を握ると、軽く会釈をして立ち去った…

農夫「へぇ、こりゃどうも……」しわくちゃになったパラシュートの端っこをつまみ上げ、狸に化かされたような顔をしている…

…しばらくして・村の小さな教会…

017「司祭様、今すぐに結婚の儀式を行う準備をお願い致しますわ」

司祭「いや、しかし……女性同士での婚姻など認められるわけが…」カソック(法衣)を羽織った国教会の司祭は、あちこちに裂け目や汚れが付いているドレス姿の二人が突然「結婚の誓約をしたい」と飛び込んできたことに困惑しきっている……

017「……わたくしがしようとしている婚姻が認められないとおっしゃるのなら、トマス・ベケットがどうなったかよく考えることですわ♪」そう言った瞬間には、もう司祭の胸元にウェブリー・リボルバーの銃口が突きつけられている……


(トマス・ベケット…ヘンリー二世の治世でカンタベリー大司教を勤めていた人物。元は国王ヘンリー二世のお気に入りであったが、ヘンリー二世が司教の任命など教会の人事に口出ししようとすると決別。ヘンリーの息のかかった司祭に懲戒を行うなどしたため煙たがられ、最後はヘンリーの密命を受けた四人の騎士によってカンタベリー大聖堂で斬殺された)


司祭「じゃが……」

017「…そうおっしゃらずに、司祭様。国教会はヘンリー八世が離婚したいがために作った宗派ではありませんか。今さら結婚の一つや二つでおどおどすることなどありませんわ」


(※ヘンリー八世…いわゆる「バラ戦争」の後でプランタジネット朝の王位が落ち着かなかったので「女子の跡継ぎでは心もとない」と考えたヘンリー八世はなかなか子供の出来ない王妃と離婚しようとしたが、ローマ・カトリックでは離婚が認められていないことから教会に否定された。これに対してヘンリー八世は英国国教会を立ち上げてカトリックと分裂した…教義などはカトリックとプロテスタントの中間にある)


司祭「そう言われても…」

017「大丈夫ですわ。もし神が認めないとしても、わたくしたちの上に罰が下るだけのことですもの…さぁ、早く支度を」

司祭「……分かったから、神の家ではその物騒な物をしまってくれんか」

017「ええ……まさに「求めよ、さらば与えられん」ですわね♪」司祭が聖具室に道具を取りに行くのを見て、017はにっこりした…

エリス「でも、こんなことをしてもよろしいのですか…?」

017「国教会の地上における最高権威は女王陛下ですから…もし必要ならバッキンガム宮殿でもどこでも訴えに行きますわ」

エリス「……ジェーン様///」

017「ふふ…エリスと結ばれるためですもの♪」


474 ◆b0M46H9tf98h2020/11/15(日) 01:16:52.94rRAi1cA20 (1/1)

…しばらくして…

司祭「……汝は永遠の愛を誓い、健やかなるときも病めるときも、富める時も貧しき時も、喜びの時も悲しみの時も共に分かち合い、死が二人を分かつまで、エリス・カータレットを愛することを誓いますか?」

017「…誓います」

司祭「新婦、レディ・エリス・カータレット…汝…汝は……」

017「……わたくしも『新婦』でお願い致しますわ、司祭様…♪」女性二人の結婚式を執り行うのは初めてらしく、言葉に詰まる司祭……とっさに小声で助け船を出す017…

司祭「……汝は新婦、レディ・ジェーン・バーラムを愛し慈しみ、よく貞節を守り、支え助ける事を誓いますか?」

エリス「誓いますわ…///」

司祭「…では、誓いのキスを……」

017「……んっ♪」

エリス「ん…///」

017「ふふ……こうしていると、いつもの口づけとはまた違った気分が致しますわね♪」

エリス「…はい///」

司祭「それでは、誓いの指環を…」

017「ええ……エリス♪」

…非常時の活動資金として……また味方の援助を求める時の印として「見るべき人物」が見れば分かるよう、内側にアルファベットと数字でコードが彫り込まれている王国情報部員用の金の指環……017はそれを二つ持っていたが、そのうちの片方をエリスのふっくらした指に通す……指環はまるで誂えたかのようにぴったりで、するりと指にはまった…

エリス「まぁ…ジェーン様ったらいつの間に……?」

017「こんなこともあろうかと用意しておいたのですわ……さ、わたくしの指にも♪」

エリス「はい…♪」

司祭「……二人に主のお恵みがありますことを」

017「感謝致しますわ、司祭様…♪」

………



017「…さぁ、それではロンドンに帰りましょう♪」

エリス「それはまた……ずいぶんとせわしないですわね?」

017「ふふ、だって早くお役所に結婚の証明書を発行してもらいたいのですもの…四頭立ての馬車を借りて飛ばせば、数時間でロンドンまで着きますわ」

エリス「それはそうですけれど…」

017「……ロンドンに着いて用事を済ませたらリージェント公園に行って、中にある「ロンドン動物園」で珍しいアフリカの動物でも見て…それから「ゴールデン・ライオン」でアフタヌーン・ティーでも頂きましょう♪」


(※ゴールデン・ライオン…紅茶の老舗「トワイニング」が経営しているコーヒーハウス(ティールーム)。当時のコーヒーハウスはたいてい男性しか入れなかったが、ゴールデン・ライオンは女性でも入れたことから人気を博した)


エリス「ふふ、ジェーン様ったら……わたくし、そんなに盛りだくさんの予定を立てられては疲れてしまいます♪」

017「…だって、エリスと結ばれて最初に過ごす一日ですもの。時間などいくらあっても足りませんわ♪」

エリス「まぁ…///」



475 ◆b0M46H9tf98h2020/11/16(月) 01:36:33.83HUr5/VWs0 (1/1)

…数時間後・ロンドン…

017「…エリス、楽しんでおります?」

エリス「はい、ジェーン様///」

017「ふふっ、それは何よりですわ…」と、道端で大声を張り上げている新聞売りと、それを取り巻いている十数人の野次馬が目に入った…

エリス「あら…号外のようですけれど、いったい何でしょう?」

017「気になるとおっしゃるのなら、見に行ってみましょうか♪」

新聞売り「……号外だよ!号外号外!フランスの飛行船がドーヴァーの近くで墜落したよ!」

017「…もし、新聞売りさん。わたくしにも一枚下さいな」

新聞売り「へい、毎度っ! …号外号外っ!」

017「……さて、と…「フランス籍の大型飛行船、ドーヴァー近郊で墜落…我が国の植民地転覆をもくろむフランスによる秘密工作か!?」…ふふ、わたくしたちの大活躍が載っておりますわね♪」エリスの手を取るとベンチに腰かけ、まだインクも乾いていないような「出来たて」の号外を広げた…

エリス「ジェーン様、読んで下さいまし」


017「ええ……「本日の昼ごろ、フランス船籍の長距離大型飛行船『アンリ・ジファール号』がドーヴァー近郊に墜落した。乗員はいずれも直前に脱出して無事だったが、同船の船客であった百万長者のサー・パーシバル・ストーンウッド氏が墜死した模様。また、同船から数百挺にも上る小銃やピストルが発見されたとの情報があり、同時に正体不詳の貴婦人が飛行船の墜落に関与しているとの証言もあることから、一部にはフランスによる秘密工作を阻止すべく行われた、わがアルビオン王国の対情報活動によるものではないかという意見もある…」だそうですわ」


エリス「…あれが今日のことだなんて、まだ信じられませんわ」

017「ええ……次は「高架鉄道」の汽車に乗って、ロンドン市街を見下ろしてみると致しましょう♪」

エリス「はい」

…夕刻・ロンドンの壁の近く…

017「ふふ、なかなかの眺めでしたわね…♪」


…二人が汽車を降りた頃にはすっかり日が傾き、ロンドンの街は夕暮れに染まっている……そして二人が降りた「壁」の近くは、壁の陰になっていて薄暗い……そしてどういうわけか、さきほどから口数が少ないエリス…


エリス「……ジェーン様」しばらく黙って指を絡めて歩いていたが、ふと足を止めると意を決したように呼びかけた……

017「ええ、何でしょう?」

エリス「わたくし…ジェーン様に謝らなくてはならないことがございますの……」

017「…と、申しますと?」

エリス「……それは……こういうことですわ」先ほどまでポーチを持っていたふっくらした手に、いつの間にか小さなウェブリー・リボルバーが握られている……銃口は017の胸元に向けられていて、微動だにしない…

017「エリス…」

エリス「ジェーン様……その、実はわたくし…わたくしはアルビオン共和国情報部の情報部員で、サー・パーシバルが盗んだ「高純度ケイバーライト」の資料を手に入れるよう命令されたのですわ……」

017「…そう」

エリス「はい…ジェーン様とお近づきになったのも、最初は華やかなレディを目くらましに使う…ただそれだけのつもりだったのですわ…けれど、そのうちにジェーン様が王国の情報部員であることが分かって……」

017「ええ」

エリス「…本来ならその時点で慎重に離れて関係を絶つべきだったのですけれど…もうそのころにはジェーン様の事を愛おしく思い始めてしまって……」

017「わたくしもですわ、エリス…」

エリス「…本当はわたくしだって、こんなことはしたくありませんわ…でも……でも、これがわたくしの任務なのです……!」

017「ええ、よく分かりますわ……お互い、情報部員ですもの…ね?」

エリス「うぅ…っ……」頬に涙をこぼしながら、ピストルを突きつけているエリス…

017「…涙を拭いなさいな、エリス……可愛らしい顔がそれでは台無しですわ」ハンカチを取り出し、そっと涙を拭う……

エリス「ジェーン様……わたくしは研究資料を持って「壁」を越えなければなりません…ですが、一つだけジェーン様に知っておいて欲しいことがありますの……」



476 ◆b0M46H9tf98h2020/11/21(土) 01:13:12.52tiMOFg7f0 (1/4)

017「ええ、何でしょう?」

エリス「わたくし……わたくしのジェーン様への恋慕の情…これだけは、嘘やカバーストーリーではなく、一人の女性としての本当の気持ちですわ……それだけは…信じて下さいまし…」

017「…もちろん、信じておりますわ」

エリス「ジェーン様……信じて下さいますの?」

017「ええ。だって、もしわたくしのことを何とも思っていないのなら、ただ銃弾を撃ち込んで資料を取り上げればいいだけですもの♪」

エリス「ジェーン様……」

017「ね…そうでしょう?」

エリス「ふふ、いつもジェーン様には驚かされますわ…ところでジェーン様、もう一つだけ……わたくしのわがままを聞いて頂けますでしょうか?」

017「ええ、何なりと♪」

エリス「…では、その……ジェーン様の本名を教えて頂きたいのですけれど…///」

017「あら…わたくしの「本名」など、月ごとに変わる舞台の演目のようなものですわ♪」

エリス「ですから…つまり、ジェーン様がお生まれになった時に授かった名前と言うことですわ……」

017「ふふ、分かりましたわ…」優雅に腰をかがめて斜め上を見上げるような視線をエリスに向けると、にっこりと笑みを浮かべた…

017「……わたくしはブラウン。ジョアンナ・ブラウンと申します♪」

エリス「ジョアンナ・ブラウン…と言うことは、わたくしはミセス・ブラウンになったのですわね///」

017「ええ♪」

エリス「とても嬉しいですわ……でも、もう離ればなれになってしまうなんて……」

017「大丈夫ですわ…壁があろうと、いつかまた一緒になれますもの……たとえこのチェスゲームでどちらが勝つにしても…ね♪」

エリス「ジョアンナ様……」

017「エリス…さぁ、これをお持ちになって」そう言って一枚の立派な紙を懐から取り出すと、エリスに差し出した…

エリス「…これは?」

017「女王陛下のサインが入った委任状ですわ…これを持っていれば国境の検問所であろうと何だろうと、難なく通り抜けることが出来ますわ」

エリス「ですが…」

017「ふふ…構いませんわ、飛行船のどさくさで無くしたことにすればいいだけですもの。それに女王陛下の委任状なら、結婚式にふさわしい引き出物になりますもの…ね♪」

エリス「ジョアンナ様…///」

017「さぁ、早く……陸軍情報部が嗅ぎつけて国境を封鎖する前に出国しませんと」

エリス「はい……それでは、ジョアンナ様…」

017「ええ…また会えるときを楽しみにしておりますわ」エリスの背中に腕を回して抱き寄せ、唇に長い口づけをすると「壁」の国境検問所に向かって歩き去って行くエリスを見送った……

………





477 ◆b0M46H9tf98h2020/11/21(土) 01:43:37.71tiMOFg7f0 (2/4)

…西ロンドン・共和国情報部…

共和国情報部職員「部長、ハイドランジア(アジサイ)が帰還しました」

共和国情報部長「ほう……それで、成果は?」

職員「はい、無事に入手したそうです」

部長「それは素晴らしいな…ぜひ直接報告を聞きたい、ここに呼んでくれ」

職員「分かりました」

…数分後…

部長「……ご苦労だったな」

…一緒にいると安心できるような気持ちのいい性格をしていて、どこにでもやんわりと溶け込み、そしてぽろりと相手に本音を言わせてしまう「人たらし」のエリスは、土壌に合わせて色が変わるというアジサイになぞらえて「ハイドランジア」と名付けられていた…

エリス「いえ、偶然に助けられただけですわ」

部長「君にその「偶然」をモノに出来る腕があったからこそだ…今回の成功は共和国の諜報史上で一番の金星と言えるだろう……「ボランジェ」のヴィンテージ物だ、祝杯にはふさわしいだろう?」ラベルを見せると、情報部長が自ら栓を抜いてグラスに注いだ…

(※ボランジェ…高級シャンパン銘柄の一つ。「ヴーヴ・クリコ」や「クリュッグ」よりもさらに格式が高く、創業当時からの作り方を守り続けている。英国王室御用達)

エリス「ありがとうございます」

部長「……では、早速見せてもらおうか」

エリス「はい、これですわ」

部長「うむ…」封筒から書類を取り出すとさっと読み通して眉をひそめ、それから苦笑いを浮かべた…

エリス「……あの、何か?」

部長「ああ、実に素晴らしい情報だが……私の求めていた物とは少し違うようだ」

エリス「え…?」

部長「…見てみたまえ」

エリス「あっ…!?」手中に収めていたはずの「研究資料」は封筒こそ同じだったが、いつの間にか全く違う書類にすり替えられていた…

部長「……封筒の中には君の結婚証明書と、相手からのメッセージが入っていた」

エリス「その、これは…」

部長「…どうやら今回は向こうの方が一枚上手だったようだな……ミセス・ブラウン?」

エリス「も、申し訳ありません///」

部長「ふ…まぁ飲みたまえ。 …結婚おめでとう」

エリス「は、はい…」

部長「しかし王国にはやられたな。この「ガーデン」で最高のエージェントである君の正体が割られるとは…まぁ、向こうも一番のエージェントをこちらに知られたのだから「おあいこ」と言った所か……」

エリス「ええ…」

部長「しかしこうなっては、二度と君を「壁」の向こうに送り込む事は出来んな」

エリス「はい」

部長「…どうだろう、これからは後進の育成に力を貸してくれないか……王国に送り込む「プラント」はいくらあっても足りない。その訓練を君が手伝ってくれるなら非常に助かるのだが…」(※プラント…「エージェント」や「回し者」の意。相手方に「植え込む」ことから)

エリス「そうですね……少し考えさせて下さいますか?」

部長「もちろんだとも」

………






478 ◆b0M46H9tf98h2020/11/21(土) 02:47:18.38tiMOFg7f0 (3/4)

…同じ頃・王国情報部…

王国情報部長「良く戻ったな、017……それで、結果は?」

017「ええ、この通り…ですわ♪」チャーミングな笑みを浮かべると、エリスを抱きしめた瞬間にすり替えた「高純度ケイバーライト」の研究資料とサンプルの小瓶を置いた…

部長「結構だ……それと「ファントム」の始末についても聞いた。ご苦労だった」

017「ええ」

部長「…しかしだ、017」

017「何でしょうか?」

部長「ああ……一体これはどういうわけだ?」ぽんっ…と机の上に投げ出した数種類の新聞には「フランスの飛行船墜落とインド植民地に関わる謀略」についての根も葉もない噂から、かなり真実に近いところを突いている物まで、様々な見出しが踊っている…


部長「…「フランス、我が国のインド出身者をそそのかして武装蜂起を目論む!?」「大陸の謀略!百万長者サー・パーシバル・ストーンウッドの謎の墜死と関係か!?」「フランスの野望を打ち砕いたのは美貌の貴婦人エージェント?」……私は君に自分の宣伝をしてくれと頼んだつもりはないぞ、017」

017「わたくしもフリート街の記者たちに「美貌のエージェント」と書いてくれとは頼みませんでしたわ♪」

部長「まったく……おまけに君ときたら女王陛下の信任状まで無くしたきた……あんな物が共和国の手に渡ったらそれこそ大変なことになる。すぐ王室に奏上して書式も紙も変えてもらわなくてはならん」

017「大変ですわね♪」

部長「誰のせいだと思っている……ふぅ、君が王国と世界の均衡を救ったことは事実だ。しかしこうまで派手に書き立てられては、これ以上君を工作で使うことは出来ん」

017「まぁ…それでは引退ですか?」

部長「そういうことになる…まったく何が「王国情報部の『紅はこべ』」だ……どこか田舎にでも君の好みそうな邸宅を用意するからさっさと引っ込んで、これ以上頭痛の種を増やさないでくれ」

017「ええ♪」

………



ドロシー「…ってな訳で、そののち二人は平和に暮らしましたとさ……めでたしめでたし、ってな♪」

プリンセス「そのようなことが本当にあったのですね…」

ドロシー「ああ。もっとも真実は本人たちしか知らないし、たいていは風の噂だが……まぁ同業者どうしが「お近づきになる」って言うのは結構ある事なのさ」

アンジェ「ええ、そうね」

ドロシー「ま、無理解な同国人よりも敵国の同業者の方が馴れ合いやすいってことだな……もっとも、それも度を過ぎると首を無くすことになるから適度に…だが」

ベアトリス「なるほど…」

ドロシー「さぁて、長話もこの辺にしておくか……それじゃあな」

…同じ頃・共和国エージェント訓練施設「ファーム」…

パープル「…失礼します、ミセス・ブラウン♪」

ブラウン「あらあら、ミス・パープル……いらっしゃい、お紅茶でも淹れましょうか?」

パープル「ありがとうございます…いまは何を?」

ブラウン「ええ、ちょうど部屋の片付けをね……懐かしい物が色々と出てきたわ」

パープル「そうでしたか…」

ブラウン「ええ…十数年前のわたくしの、華やかで甘美な一幕の……ね♪」

…額縁に入れて壁に掛けてある立派な免状には、「この書状を持つ者は王国のために行動するものであり……」と麗々しく書かれ、アルビオン王国女王の印章とサインが入っている…それを見上げながら、左手の薬指にはめた金の指環を愛おしげに撫でたミセス・ブラウン…

…その日の夜・プリンセスの部屋…

プリンセス「…ねぇ、アンジェ?」

アンジェ「なにかしら、プリンセス?」

プリンセス「ドロシーさんのお話だけれど…本当なのかしら?」

アンジェ「ええ、少なくとも知っている限りでは」

プリンセス「そう…だとしたら、わたくしはなおのこと頑張って、あの「壁」を無くすようにしないといけないわね」

アンジェ「そうかもしれない……だけど壁があろうと無かろうと、相手を想っている事実というのは変わらないわ」

プリンセス「シャーロット…///」

アンジェ「……明日もあるし、もう寝るわ///」


479 ◆b0M46H9tf98h2020/11/21(土) 02:57:02.25tiMOFg7f0 (4/4)

…すっかり長くなってしまいましたが、これでこのエピソードは完了です。以前のリクエストにお答えして「007」的な場面やニュアンスも随所に盛り込んでみました…


…王国のエージェント「017」はもちろん007のもじりで「ジョアンナ・ブラウン」という名前もイニシャルが「J・B」となることと、以前「ファーム」の教官として出てきた「ミセス・ブラウン」に活躍していただくため温めていたアイデアでした……無事に使うことが出来て良かったです…


480以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/11/21(土) 08:22:15.76QD4mFMdjO (1/1)

お疲れ様でした
劇場版公開も迫ってきましたね...


481 ◆b0M46H9tf98h2020/11/23(月) 00:50:28.000tB4BqT30 (1/1)

まずはコメントありがとうございます。劇場版はとても楽しみなので、コロナが再拡大してまた延期にならないよう祈っているのですが……とりあえず、このssで劇場版公開までの「つなぎ」として読んでいただければ幸いです


482 ◆b0M46H9tf98h2020/12/01(火) 10:25:52.73w+TH/pJ20 (1/1)

caseドロシー×アンジェ「The spirits of Ireland」(アイルランドの魂)


…数十年前・アイルランド…

地主代理「…どうやら今年は徴収量を大きく下回っているようだな」寒々とした畑を前に、馬から下りることもせず傲慢な態度でふんぞり返っているのは、土地の所有者でありながらアイルランドに来たこともないアルビオン貴族の代行をしている年貢の取り立て人……

農夫「何しろ今年は寒波がひどくて…」

地主代理「お前たちアイルランド人ときたら、毎年のようにそう言っているな」

農夫「……それと、うちで食べるジャガイモは病気で軒並み全滅してしまって…少しでもいいですから、地主様に収める分から小麦を分けてはもらえないでしょうか…」

地主代理「馬鹿を言うな、輸出するための小麦を貴様らアイルランド人共に食わせるだと!?」

農夫「ですが、このままじゃうちの子供たちが飢えて死んじまいます…!」

地主代理「うるさい! 言い訳など聞きたくない、収める物を収めないというなら無理矢理にでも集めるだけだ!」

農夫の妻「どうか、どうかお願いです…!」

地主代理「えぇい、どけ…!」

子供「……うちのおっかあに何するんだ!」

地主代理「このっ、くそ餓鬼が…っ!」目一杯振られた乗馬鞭が飛びついた子供の頬を斬り裂き、たらりと血が垂れた…

農夫の妻「あぁっ!」

地主代理「…いいか、今度来るときまでに必ず規定の量を用意しておくんだぞ!」捨て台詞を残すと、護衛の二人を連れて駆けていった…

子供「…今に見てろよ、大きくなったらきっと……」傷口を手の甲で拭うと、馬が去って行った方をにらみつけた…

………



…ロンドン・ハイドパーク…

ドロシー「…それで、今回の任務は?」

L「いまから説明するが……事態は少々込み入っているのだ」

ドロシー「というと?」

L「……今度ロンドン市街で行われる閲兵式の事は知っているな?」

ドロシー「ああ…いつも通り、パレードで行進する兵器から新しいやつを観察して報告すればいいのか?」

L「無論それもやってもらうつもりだが……実は、その際に女王を暗殺しようとする計画があるらしい」

ドロシー「へぇ、そりゃあまた…で、一体どこのどいつがそんな事を?」

L「計画しているのはアイルランド人だ」

ドロシー「ははーん、それなら納得だ」

L「…もちろんこちらとしては、王国の終焉と「アルビオン共和国」への統一が最終目標である事は間違いない…しかし我々は諸外国によるアルビオンへの介入や混乱を防ぐべく、速やかな共和国への移行態勢が準備万端整うまでは性急に事を起こしたくはない……ましてや「チェンジリング」のことを考えれば、いま王室をぐらつかせるわけにはいかないのだ」

ドロシー「そりゃそうだな」

L「しかしだ、アイルランド独立派の中には急進的な者たちがいて、そうした連中は後先を考えず、何としてもアルビオン王国の「象徴」である女王を暗殺しようと目論んでいる…我々共和国はアイルランド人たちといくつかの点では近い立場にはあるが、いま事を起こすことは容認できない……」

ドロシー「なるほどな…」

L「…そこで君達には、女王の暗殺を阻止してもらう」

ドロシー「結構だね……だけど疑り深いアイリッシュの独立派連中が、私たちみたいな娘っ子をほいほい入れてくれると思うか?」

L「ふ……むしろ君達だからこそ、だ」

ドロシー「……と言うと?」

L「まず君だ。君の名字はマクビーン……例の「Mc」が付いているだろう」

(※Mc'…アイルランド人の姓に見られるもので「〇〇の子孫」を意味する。代表的な物としてマッカーサー、マクドネル(マクダネル)、マクドナルド、マクレーン等。他に「O'」が付くオハラ、オブライエン、オコンネル等もアイルランド人に多い)

ドロシー「ああ…何しろ私はアイリッシュ系だから」

L「ゲール語も話せたな?」

ドロシー「……まぁな」



483 ◆b0M46H9tf98h2020/12/04(金) 03:09:42.32hJlK3buT0 (1/1)

L「それが一つ…それに「A」だが、彼女はフランス系で「カエル」の連中はアイルランドを支援したこともある」

ドロシー「……それだけか?」

L「それだけ揃っていれば十分だと思うが」

ドロシー「なるほど…ま、私に言わせれば「空を飛ぶからコウモリは鳥の仲間だ」って言うくらいこじつけ臭いけどな」

L「こじつけだろうが何だろうが、向こうを納得させられる理屈さえ通ればそれで構わん」

ドロシー「分かったよ…それで、連中はどこにいるんだ?」

L「こちらの連絡員によって、首謀者と思われる連中はロンドンデリーに潜伏している事が確認されている……船のチケットは用意してあるから、まずはアイルランドへと渡って連中と接触を図り、計画を探り出せ」

(※ロンドンデリー…アイルランド北部の都市。地元ではただ「デリー」と呼ばれる)

ドロシー「分かった」

L「それと君が指摘したように、ただ「入れてくれ」と言ったところで疑り深い連中が見ず知らずの人間を入れてくれる訳がない……手土産を持って行け」

ドロシー「連中の好きなウィスキーのボトルでも持って行くのか?」

L「いや…彼らの組織に入り込んでいる王国側「モール」の首だ。手土産にもなるし、王国の対アイルランド情報網をつぶす事も出来る…こういう使い道もあると思って今まで泳がせておいたのだが……まさに「一石二鳥」というわけだな」

ドロシー「なるほどな…」

L「ベルファスト行きの船便は今週末にリヴァプールから出港する。それまでにアイルランドに関して予習をしておくといいだろう……学校の試験にも役立つかもしれんぞ?」

ドロシー「…結構な事で」

…寄宿舎・部室…

アンジェ「……壁の東西を問わず、アイルランドは悩みの種ということね」

ドロシー「まぁな…とにかく、まずは連中の間に潜り込まないことにはどうにもならない……幸い学校も長期休暇の時期でお休みだし、ちょっとばかり旅行に出かけたっておかしくはないさ」

アンジェ「確かに……ところでさっきから、一体何をしているの?」

ドロシー「これか?」

アンジェ「ええ」

…アンジェが視線を向けた先にはナイトガウン姿で安楽椅子に座り、グラスを傾けながら読書にいそしんでいるドロシーがいる…

ドロシー「こいつはコントロールから受け取ってきた資料さ…ゲール語版の「トゥアハー・デ・ダナン」でこっちが「ケルト神話集」……何しろ王立図書館でゲール語の本を閲覧しようとすると、身元を調べられるからな」

(※トゥアハー・デ・ダナン…アイルランドの神話・伝説集)

アンジェ「なるほど……で、それは?」

ドロシー「ジェームソンだが」

(※ジェームソン…ジェムソンとも。アイリッシュ・ウィスキーの古い銘柄の一つで、泥炭でいぶした香りが特徴)

アンジェ「ジェームソンなのは分かっているわ…どういうつもりで飲んでいるのか聞いているの」

ドロシー「知れたことさ。仮にもアイルランド系っていうカバー(偽装)で潜り込もうっていうのに、ウィスキーも飲めなきゃ「クランの猛犬」クー・フーリンの物語も知らないって言うんじゃあ怪しまれるからな……何しろアイルランドの連中は詩人でロマンチストだ、神話や伝承ってやつが大好きなのさ」


(※クー・フーリン…ケルトの半人半神の英雄で幼名はセタンタ。王の飼っていた猛犬を誤って殺してしまったため、代わりの犬を育てるという約束で王に仕え、師匠であり「影の国」の女王、さらに予言の能力も持つ女武芸者「スカアハ」から授かった槍「ゲイ・ボルグ」で数々の偉業を成し遂げた……アイルランド人の理想であり非常に人気があったため、独立闘争のシンボルとしてもよく用いられた)


アンジェ「……そうね、貴女を見ればよく分かるわ」

ドロシー「おっしゃってくれるじゃないか…ま、お前さんはアイシッシュを気取るわけじゃないから英語版でいい。ま、寝る前にでも読むんだな」そう言いながら厚手の革表紙の本を渡した…

アンジェ「ええ、そうさせてもらうわ」

ドロシー「後はプリンセスに状況を説明する必要がある……そいつはお前さんがやってくれ」

アンジェ「分かった」




484 ◆b0M46H9tf98h2020/12/11(金) 03:56:25.53dfwfGMK00 (1/1)

…しばらくして・プリンセスの部屋…

アンジェ「…と言うわけで、しばらくの間こちらを離れる事になったわ」

プリンセス「アンジェ……その「しばらく」と言うのはどのくらいなの?」

アンジェ「それは任務の進捗状況によるから何とも言えない…ただ、閲兵式までには結果を出さなければいけないから、最長でも三ヶ月ね」

プリンセス「そう…」

アンジェ「プリンセス…分かっているとは思うけれど、貴女にはくれぐれも気をつけてもらいたいわ。最近はそれぞれの勢力が自分たちの推す人物を王位につけるべく、王位継承の邪魔になる上位の王位継承権を持つロイヤル・ファミリーを「排除」しようとする……あるいは王室そのものの解体を目論む各地の分離独立派や非エリートたちの動きも活発化していて、情勢はかなり緊張している……当然、貴女が狙われる可能性も充分にある」

プリンセス「ええ、それはよく分かっているわ……わたくしを恨んでいる人や、わたくしがいなくなれば得をする人はたくさんいますものね」

アンジェ「そういうことよ…くれぐれも自重してちょうだい。特に私たちの場合は他よりも「事情が複雑」だから、より一層気をつけなければならないわ」

プリンセス「その通りね」

アンジェ「ええ……それと、できるだけベアトリスを手元から離さないように…まだまだ貴女を守るには心もとないけれど、それでもいないよりはずっといい」

プリンセス「そうね」

アンジェ「もちろん警戒していることを気取られないよう、表向きは普段通りに過ごしてちょうだい……難しいかもしれないけれど、各勢力に私たちのことを勘づかれては困る」

プリンセス「ええ、普段通りに振る舞えるよう頑張るわ」

アンジェ「頑張る必要はないわ……貴女が普段やっている通りにやればいいだけよ」ちゅっ…♪

プリンセス「シャーロット…///」

アンジェ「それじゃあ、準備があるからこれで……///」

…同じ頃・部室…

ドロシー「分かっているとは思うが…私たちがこっちを離れている間、プリンセスを守れるのはお前さんだけだ」

ベアトリス「はい」

ドロシー「もちろんちせは「出来る」し、私たちにも好意的だが、あちらさんの目的が必ずしもこっちの目的と合致するとは限らないし、そうなったら援助を求めるわけにもいかない…最も、今のところは情勢を見極めるべく「静観している」って所だがな」

ベアトリス「ええ…」

ドロシー「なぁに、不必要に固くなるこたぁないさ……だが、できるだけプリンセスの側を離れるな」

ベアトリス「はい、分かっています」

ドロシー「ならいい。とにかくお前さんには「最密着」の警護をしてもらいたい…化粧室だろうが浴室だろうが寝室だろうが、片時も離れないように振る舞え」

ベアトリス「そうします」

ドロシー「頼むぜ?」

ベアトリス「はい」

ドロシー「良い返事だ。これで私も安心して任務にかかれる…ってもんだな。もし時間があったら、何かお土産を買ってきてやるよ♪」わしゃわしゃと頭を撫で回すドロシー…

ベアトリス「も、もうっ…子供じゃないんですから、お土産なんていりませんよ///」

ドロシー「はははっ…♪」





485 ◆b0M46H9tf98h2020/12/14(月) 00:49:44.88AFB1eZvu0 (1/1)

…翌日・在アルビオン王国日本大使館の一室…

堀河公「……アイルランド人による王室を狙った暗殺計画、か…こちらも一応情報は掴んでいたが、そちらの裏付けが取れたのは何よりだ。ご苦労であったな」

ちせ「はっ。ちなみに……いえ、何でもありません…」

堀河公「…構わぬ。申してみよ」

ちせ「ははっ、では僭越ながら……この事態を東京はどう受け止めているのでしょうか」

堀河公「……場合によっては「昨日までの朋友たちと刃を交える」ような事態になってしまうのではないか…そう考えているのだな?」

ちせ「いえ、そうなればあくまでも命令に従うのみですが……しかし…」

堀河公「案ずるな…本国は王国、共和国を問わずアルビオンが我が国を植民地、ないしは保護領にしようとしない限りは静観の構えを取るつもりだ……それでなくともロシア、アメリカ、フランス、あるいはドイツのように、我が国やその近隣に手を伸ばしている国は多い。その点ではむしろアルビオンが分裂を起こして拡張政策が足踏みしている現状は好都合だ…そしてアルビオン側としても、極東まで自身の手が回らないこの状況下で列強の動きを抑えるべく、我が国を矢面に立たせたいという考えがある……」

ちせ「なるほど」

堀河公「……従って我が国は曲がりなりにも欧米列強に追いつくまではアルビオンとつかず離れずの関係を保ち「藪をつついて蛇を出す」ような真似をすることはない……と言うのが本国と「倫敦(ロンドン)特務機関」の見解だ」

ちせ「左様でしたか…」

堀河公「うむ……よってそなたが朋友たちとの敵対を案ずることはない。…さぁ、安心してきんつばを食べると良かろう」

ちせ「ははっ、では……」

………



…数日後…

ドロシー「…じゃ、行くとするか」

アンジェ「ええ…準備は整っているわ」

ドロシー「よし」

ベアトリス「気をつけて行ってきて下さいね?」

ドロシー「ああ、任せておけ♪」

プリンセス「アンジェ、貴女もね?」

アンジェ「ええ、プリンセスも…」

プリンセス「ありがとう……帰りを待っているわ♪」

アンジェ「ええ…」

ドロシー「ほら、馬車が来たぞ……行こう」

…チャリング・クロス駅…

アンジェ「……あの汽車ね」

ドロシー「ああ…ポーツマス(イングランド南部)行きの各駅停車だ」


…二人に万が一尾行が付いている場合…あるいはうら若きレディ二人が、アイルランドなどという場所に行こうとしていることを王国防諜部が怪しむ危険に備えて、コントロールはあちこち回り道をする経路を手配してあった……最初は本土と目と鼻の先にある保養地「ワイト島」の対岸、港町のポーツマスに向かう…


アンジェ「結構ね…」発車の笛が鳴らされると客車についている各ドアが外から順々に閉められ、それぞれのコンパートメントが個室状態になる…

ドロシー「ああ、全く結構さ。久々に煙ったいロンドンを離れていい空気を吸いにいける…おまけに一等車の個室だしな」

アンジェ「そうね」

ドロシー「おう、車窓の景色を楽しんでおけよ♪」そう言ってニヤリと笑みを浮かべた…



486 ◆b0M46H9tf98h2020/12/15(火) 10:28:44.40XWvsYKx30 (1/1)

…スパイ小説の第一人者であったジョン・ル・カレが亡くなったそうですね…自身も外交官や情報部員を歴任し、その経験から「寒い国から帰ってきたスパイ」等々の作品を書いた方でした……色仕掛けを意味する「ハニートラップ」という言葉の産みの親でもあり、プリンセス・プリンシパル的にはアンジェの通り名「アンジェ・ル・カレ」の由来にもなった方ですね。きっと天国でも情報活動にいそしんでいる事でしょう…


487 ◆b0M46H9tf98h2020/12/22(火) 02:43:39.33fesFSrnb0 (1/1)

…ポーツマス…

ドロシー「よし、着いた……ま、汽車の旅もなかなか面白かったな。王国鉄道のサンドウィッチは相変わらず乾いていてまずかったが…まるでエジプトのミイラみたいだったぜ?」

アンジェ「食べたいと言って買ったのは貴女でしょう……それで、この後は?」

ドロシー「まずは支援要員が用意した偽の旅券を手に入れて、それからリヴァプール行きの船に乗る……見ての通りここはアルビオン有数の港だ。人も多いから、その中に紛れるのもたやすい」

アンジェ「そうね」


…「ケイバーライト」の実用化と空中戦艦の出現によって、それまでの装甲艦は一瞬にして時代遅れとなってしまった…とはいえ、世界中に広大な植民地を持つアルビオンとしては、専用施設の整備が必要で維持管理の大変な「とっておき」の空中戦艦だけで植民地を維持する訳にもいかない……そのためポーツマスの軍港側には十数隻の防護巡洋艦や「最新式の旧式艦」などと揶揄される大きな戦艦……そして民間港には帆走のものに蒸気機関のもの、そして帆走と蒸気機関併用の機帆船……アルビオンに必要な物資や富を世界中から運んでくる、大きさも様々なあまたの貨物船や客船、それから地元の漁船が係留されている…


ドロシー「ああ……まずはメールドロップに向かおう」(※メールドロップ…機密文書等を隠しておく特定の場所)

アンジェ「ええ」

…ポーツマス市街・裏通り…

ドロシー「ここだな……」数十分に渡ってドロップを遠巻きにして、監視がないことを確認してから始めて近づいた二人…

アンジェ「そうね」

ドロシー「…よし、あった」アンジェがさりげなく見張る中、崩れかけたレンガ塀の中からレンガを一つ引き抜いた……レンガにはさりげなく引っかいて付けた印があり、ドロシーは塀の奥にしまってあった物を取り出すとレンガを戻し、印を削り落とした…

アンジェ「……それで、中身は?」

ドロシー「ばっちりだ。何しろ公式の旅券を公式に発券させたんだからな……違うのは名前と住所だけさ♪」

アンジェ「結構ね」

ドロシー「…と言うわけで、私はこれから「キャサリン・マクニール」で、お前さんが……」

アンジェ「フランス系カナダ人の「フランソワーズ・ブーケ」」

ドロシー「なかなかいいじゃないか……アルビオンの圧政と貧困から抜け出そうとしてカナダに移民したアイルランド人は多い。それにケベックはアルビオンに負けて取られちまうまではフランス領だったし、両方の意味で好都合だ」

アンジェ「そうね」

ドロシー「それじゃあ役柄も決まったことだし、船に乗ろうぜ?」

アンジェ「ウィ」

ドロシー「そうそう、その調子……♪」

…ポーツマス・港沿いの宿屋…

ドロシー「…ごめんよ」

宿屋のおかみ「はいはい「ビル船長の宿」にようこそ、お嬢さん方……食事かい?それとも宿泊かい?」

ドロシー「ああ、泊まりの方で頼むよ…二人部屋で一泊」ポーツマスの下町でもあまり評判の良くない宿屋に入った二人…受付にはおかみらしい、欲深そうな中年の女が座っている……

おかみ「そうかい、それならとっときのいい部屋があるよ……二階の角部屋だけどね」そう言いながらちらちらと二人の着ている物や鞄を値踏みしている…

ドロシー「じゃあそこがいいな…いくらだい?」

おかみ「前払いで一シリング……格安だよ?」

ドロシー「よし、じゃあそこにしよう♪」

おかみ「どうもね、鍵はこれだよ」

…宿の部屋…

ドロシー「…よいしょ♪」旅行用のトランクを床に下ろすと「ぼふっ…」と音を立ててベッドに飛び乗った…

アンジェ「ちょっと、ほこりが立つからよしなさい……」

ドロシー「ま、そういうなよ…確かにひでえな」

アンジェ「まったく……」

ドロシー「…さて、必要な荷物は持ったか?」

アンジェ「ええ」

ドロシー「それじゃあもうここに用はないな……あのヒキガエルみたいなババアのやつ、今日は丸儲けってわけだ」

…アイルランドには似つかわしくない着替え数着といくつかの小物をベッドの上に放り出すと、旅行鞄を再び持ち上げた二人……そうして残した物はおそらく二人が出て行って数分もしないうちにおかみがくすねて、一時間もしないうちに裏町の闇商人の手に渡ってしまうだろうとドロシーは見ていた…

アンジェ「そうね」

ドロシー「ま「それもやむなし」ってやつか…行こう♪」


488 ◆b0M46H9tf98h2020/12/23(水) 02:52:10.626iJCa8O/0 (1/2)

…しばらくして…

ドロシー「あぁ、いい気分だ……風が気持ちいいや」

アンジェ「そうね」

ドロシー「おい、見ろよ…ランズエンド岬だ」

(※ランズエンド(地の果て)岬…ブリテン島南西部、コーンウォール半島の突端にある。コーンウォール半島南側の付け根には屈指の良港であるプリマスの港があり、アルマダ(スペイン無敵艦隊)を迎え撃ったサー・フランシス・ドレイクの艦隊やアメリカへ最初に渡った「メイフラワー号」もここから出港した)

アンジェ「ええ……となると、ここはもう共和国の海岸沿いなのね」

ドロシー「そうさ。最も、今はお互いにらみ合っているだけだからな……いきなり攻撃されたり拿捕されるなんてことはないだろうよ」

アンジェ「結構な事ね」

ドロシー「まったくだ……」

…翌朝・リヴァプール…

アンジェ「…着いたわね」

ドロシー「ああ、おかげでな……さて、次はいよいよベルファスト入りか」

アンジェ「ええ」

ドロシー「まぁ心配する事はないと思うが、アルビオン・アイルランド間で行われる審査は厳しいぞ……同じ「アルビオン王国」の間とは思えないほどで、ほとんど出入国審査…それも厳しいやつ…と変わらないって話だ」

アンジェ「そうでしょうね」

ドロシー「とにかく王国はアイルランド人の独立運動にピリピリしているからな…昨今の情勢じゃあ無理もないが」

アンジェ「ええ」

ドロシー「ま、どうにかなるだろ…♪」

アンジェ「……貴女の楽天主義には感心するわ」

…審査場…

係官「行ってよし…次!」

ドロシー「はい」おとなしく…しかしアルビオンの圧政を憎んでいる「一般的アイルランド人」に見える程度には不満そうな様子で旅券を差し出した……

係官「…氏名は?」

ドロシー「キャサリン・マクニール」

係官「行き先は?」

ドロシー「ドニゴール」

係官「旅の目的は?」

ドロシー「故郷がそこなんでね…里帰りっていうやつですよ」

係官「ふむ…では鞄の中身を調べさせてもらう」

ドロシー「ええ」係官の一人が旅券の記載事項を確認したり、旅券そのものが偽造でないかどうかを調べている間、二人の係官が手際よく、かつかなり念入りに荷物を調べ、四人目が全体に目を光らせている……が、特に気になる物は見つけられず、荷物検査の係官は小さく首を振った…

係官「よろしい、行ってよし…次!」

ドロシー「…どうも」

…半日後・ベルファスト…

ドロシー「さて、それじゃあ必要な物を受け取らないとな…」

アンジェ「そうね」

ドロシー「お前さんはいつも通り「ウェブリー・フォスベリー」か?」

アンジェ「ええ、もしあるなら…あれが一番手に馴染む」

ドロシー「ふっ、あれが一番使いやすいとはね……つくづく変わったやつだよ、お前さんは」

アンジェ「黒蜥蜴星人だもの」

ドロシー「ははっ、言うと思ったぜ♪」




489 ◆b0M46H9tf98h2020/12/23(水) 03:37:14.356iJCa8O/0 (2/2)

アンジェ「…それで、貴女は?」

ドロシー「さぁな…どんな銃があるかは知らないが、とりあえず支援要員が用意してくれたのから選んで、これといったえり好みはしないつもりだ」

アンジェ「そう」

ドロシー「まぁ、強いて言えば威力がある方がいいけどな……そりゃあ小口径のピストルでも眉間をぶち抜けばいいだけだが、場合によっちゃあ障害物に身を隠しているとか…そういうこともあるからな」

アンジェ「確かに…一理あるわ」

ドロシー「……もっとも、だからって植民地の連中が「猛獣よけ」に持っているような大口径ピストルは願い下げだがね…ああいう銃はたいてい装弾数が少ないし、何よりかさばるからな」

アンジェ「確かに」

ドロシー「ま、とにかく落ち合ってみてからだ」

………



…夜…

ドロシー「あの男だな…」

アンジェ「…ええ」

…荷物を宿に置いてくると、パブと食堂、それに宿屋を兼ねている店に入った二人……中にはウィスキーの匂いが充満し、酔っぱらいたちががなり立てるゲール語の詩や歌が響き渡っている……その中の裏口に近い角のテーブルに、支援要員として聞いていた人物と人相が一致する男が座っている…

ドロシー「…それじゃあ行くぞ……おっさん、ここにかけてもいいか?」見事なゲール語で流暢に話しかけたドロシー…

中年の男(支援要員)「別に構わねぇよ、嬢ちゃん」

ドロシー「どうもな」

支援要員「あぁ、いいとも……それより今な、ちっと詩をひねくってるんだが」

ドロシー「へぇ、詩か……どんなんだ?」

支援要員「ああ…それが、果てしない荒野で鷹狩りをするアイルランドの英雄たちについて詠った(うたった)詩なんだが…「そしてケルトの角笛は鳴り渡る……」そこまではいいが、どうも続きの一節が思いつかなくてな……」合い言葉として創作した詩の一節を口ずさんだ…

ドロシー「そうだな……それじゃあ「そして虚空に輝くひとひらの羽根…」っていうのはどうだい?」

支援要員「おう、そりゃあいいな! ありがとよ……モノは用意できてる、おれの部屋まで取りに来てくれ…」

ドロシー「…ああ、分かった……よかったな、おっさん♪」

支援要員「おうとも…一杯おごってやるよ、嬢ちゃん」

…しばらくして・男の客室…

支援要員「……それにしても妙な銃を求められて大変だったぜ…ありがたく使ってくれよな?」

アンジェ「ええ、もし使う時が来たらね……」男が床板を外すと、数挺の銃が出てきた…その中から「ウェブリー・フォスベリー」オートマティック・リボルバーを選び、銃把を二人に向けて差し出した…アンジェはそれを受け取ると、シリンダーを開いて中の状態を確かめた……

支援要員「ぜひそうしてくれ…それから、あんたにはこれを……」同じようにして、一挺のずんぐりしたリボルバーを差し出した…

ドロシー「…なるほど「ウェブリー・スコット.442口径R.I.C.」モデルか…銃身こそ短いが、隠し持つにはかえって都合がいいな」

(※R.I.C.…「アイルランド警察」を意味する「ロイヤル・アイリッシュ・コンスターブル」(constable…イギリス英語で「警官・巡査」)モデル。銃身の短い小型の「ブルドッグ」タイプで携行しやすく、黒色火薬を使うので口径を大きくして威力も確保している。10.5×17ミリRの「.442」口径モデル以外にも、11.5×18ミリRの「.450ショート」仕様など、弾薬によってバリエーションがある)

支援要員「その通りだ」

ドロシー「結構……それで、その王国のモールって言うのはどこにいるんだ?」十数発分の予備弾をハンカチーフに包んでキャンディのようにねじると、その細長い包みを乳房の下側とコルセットに挟まれた部分に押し込み、残りの六発を銃に込めながら聞いた…

支援要員「ああ、そいつならいつも「シャムロック」で夜中近くまでねばっているよ……何しろアイルランド人と来たら、ウィスキーが入ると途端におしゃべりになるからな」

ドロシー「…分かった」

支援要員「それじゃあ、後は任せたぜ……」

ドロシー「ああ、ご苦労さん」



490 ◆b0M46H9tf98h2020/12/25(金) 02:40:36.70/SNzKGI00 (1/1)

…なかなか投下できず申し訳ありませんが、それでも読んで下さっている皆様…メリークリスマス♪

…今年は何かと大変な年でありますが、どうかいいクリスマスが過ごせますことを…




491 ◆b0M46H9tf98h2020/12/26(土) 10:54:08.14mqgdI8yL0 (1/1)

…数時間後・パブ「シャムロック」…

ドロシー「…あいつが「モール」か」

アンジェ「どうやらそのようね…」

…アイルランドならどこにでも生えていることから、アイルランドそのもののシンボルでもある「シャムロック」(三つ葉のクローバー)の名を冠した一軒のパブ…店内では明らかに独立運動と関わっていそうな連中がウィスキーを飲みながら話し合い、時にはテーブルを叩きながら怒鳴り合っている……その輪の中には入っていないものの、かといって叩き出される訳でもなく、明かりの届きにくい隅っこで目立たず一人でグラスを傾けている男…

ドロシー「それじゃあ私が奴を店から誘い出す……連れ出したら適当な頃合いでしかけてくれ」

アンジェ「ええ」

…店内…

店主「いらっしゃい…ここらじゃ見かけねえ顔だな」

数人の男たち「「…」」

ドロシー「そりゃそうだろうよ。出稼ぎに行っていて、久々にあのいまいましいイングランドから帰ってきたんだからな……馬車の都合で一泊するだけさ」

…それまで「討論」を止めてドロシーのことを横目でうさんくさそうに眺めていた男たちは、ドロシーが流暢なゲール語を話すことに安心したらしく、それまでの会話を再開した……男たちはいずれも目つきが鋭く、怒りっぽい険のある顔をしていて、数十ヤード離れていても独立闘争に関わっている連中だと分かる…

店主「そうかい…飲み物は「クリーム」でいいか?」

ドロシー「ああ、結構だね♪」

店主「あいよ」

ドロシー「うー…温まるなぁ……」アイルランドで古くから飲まれてきたとろりとした飲み物、クリームにウィスキーを垂らした「アイリッシュクリーム」を受け取るとモールのそばに座り、温かいカップを両手で包み込むようにして持ち、一口飲んだ……

王国側モール「…」

ドロシー「……ふぅ」

モール「…」

…半時間後…

ドロシー「はぁ、すっかり温かくなった……いい気分だ♪」白く柔らかそうな胸元がちらりと見えるよう、わざとらしくない程度にリボンを緩めて襟を開いた…

モール「…」

ドロシー「ねぇ、あんた…♪」小首を傾げて、さも酔ったように焦点の合わない目を向ける…

モール「……おれか?」

ドロシー「他に誰がいるのさ? …あんただよ♪」

モール「…何か用か?」

ドロシー「ぷっ、ご挨拶だね……まぁいいや、良かったら一晩付き合おうじゃないか…ね?」

モール「いや、いい…金が無いんだ」

ドロシー「ほーん…金が、ねぇ……なにさ、あたしを娼婦か何かだとでも思っているのかい!?」

モール「い、いや……別にそういうつもりじゃ…!」

ドロシー「じゃあなんでそんなことを言ったのさ…馬鹿にするんじゃないよ!」

モール「わ、悪かった……謝る」店中に響くような勢いで声を張り上げると、案の定(任務の都合上)目立つことは避けたいモールの男はドロシーの機嫌を取ろうとなだめ始めた……

ドロシー「なーに、分かったならいいんだよ……ひっく♪」

モール「…」

ドロシー「ところでさ……良かったら宿まで送ってくれない?」

モール「分かったよ…」迷惑そうな…しかし同時に美人のドロシーに対する下心も多少ありそうな様子のモールは、酒代を置くと一緒に店を出た…

店主「…毎度」


492 ◆b0M46H9tf98h2020/12/27(日) 01:55:20.08iA+3r6mJ0 (1/1)

ドロシー「あぁ、あんたは親切だねぇ……惚れちまいそうだ」

モール「冗談は止してくれ…それより、泊まってるのはどこの宿屋だ?」

ドロシー「えぇ? あー…なんだっけ、ほら……裏通りのさ…」

モール「裏通り……それじゃあ「パトリックの店」か?」

ドロシー「あぁ、そうそう!」

モール「…結構あるが、そこまで歩けるか?」

ドロシー「歩けるに決まってるだろ…っとと……」よろめいた振りをしてモールの腕につかまり、薄暗い横町に差し掛かった…

モール「おいおい、頼むからしっかり歩いてくれよ……っ!?」裏通りの影に潜んでいたアンジェが、ピストルの台尻で後頭部に一撃を見舞った…

ドロシー「…やったな」

アンジェ「ええ……さ、急いで運びましょう」

…数十分後…

モール「むぅ……ん…」

ドロシー「…よう、お目覚めかい?」

モール「……っ!?」椅子にくくりつけられて、ドロシーと向かい合わせに座らされているモール……数歩離れた場所からはアンジェが油断なくピストルを構えている…

ドロシー「さてと、お前さんの正体は分かっているんだ……ミスタ・マクミラン」

モール「…さぁ、何のことやら……ただの人違いだ。おれはマクミランなんて名前じゃない」

ドロシー「ごまかさなくたっていい…記録はもうすっかり洗ってあるんだからな♪」

モール「記録って、何の記録だ?」

ドロシー「そりゃあアルビオン王国情報部・アイルランド課所属の情報部員、ミスタ・マクミランの記録に決まってるさ……あんたの任務はアイルランド人に交じって静かに話を聞き、それをロンドンに送ること…情報の受け渡し役はベルファスト港にある「レスター船具店」で店番をしているミスタ・オバノンと「フォア・ベルズ(四つの鈴)亭」にいる可愛いミス・クリアリーだろ」

モール「…」

ドロシー「それから、情報を受け渡す時はミスタ・オバノンに「船用乾パンを一袋、スワローテール号に」って注文するんだよな…?」

モール「……そこまで分かっているなら、後はなにが知りたいんだ?」

ドロシー「お前さんの知っていることを洗いざらいさ…これまでロンドンに流してきた情報と、アイルランド人について知っている事を全部だ」

モール「アイルランド人についてはさして知らない、おれはただ……があぁぁ…っ!」

ドロシー「……正直に答えないと、次は中指をへし折るからな?」

モール「わ、分かった…アイルランド人の連中は、いつも「シャムロック」で飲んでる…だけど、普段はなかなか顔を見せない奴がいて……」

ドロシー「…続けろ」

モール「それで、そいつが独立運動の首謀者だって言う噂だ…こっちはそいつを見つけるために送り込まれたが、用心深いらしく顔を見たことも……ぐあぁぁっ!」

ドロシー「正直に言えって言ったろ…ロンドンはもうそいつの正体を知っているし、情報部の「嫌いな奴リスト」にはそいつのファイルもあるはずだ……分かっていないのは連中がいつ、何をするか…それだけだろう?」

モール「ああ、ああぁ…そうだ、そうだよ…畜生っ……連中は女王陛下かその関係者を暗殺しようと思ってるんだ!」

ドロシー「…いつ?」

モール「知らない…本当だ、嘘じゃない! いつも「シャムロック」で騒がしくしている連中だって知っちゃいないんだ……!」

ドロシー「とはいえ、ある程度の見当はついているんだろう…違うか?」

モール「……あ、あり得るとしたら今度の閲兵式だ…女王陛下を始め王室の方々が公の場所に姿を見せるし、アルビオン中から人が集まるパレードの時なら、見かけない顔がいても分からないから……」

ドロシー「そうだろうな……で、王国情報部はそれを阻止するためにどんな準備をしているんだ」

モール「そいつはおれの知っている範囲じゃ…あ゛ぁぁぁっ!」

ドロシー「次は右のまぶたを切るからな……どっちみちしゃべることになるんだから、痛い思いをする前に話した方がいいぞ」

モール「くそ、畜生……っ!」

………




493 ◆b0M46H9tf98h2020/12/29(火) 01:32:19.904K2R67yb0 (1/1)

…そういえば新聞記事に、SISから転向したKGBのダブル・クロス(二重スパイ)の「ジョージ・ブレイク」が亡くなったとありました…


…当時はフィルビーなどと共にその本性が明らかになって英国で大スキャンダルを巻き起こし、投獄された後に脱獄(諸説ふんぷんですが、SISがブレイクをわざと脱獄させて内部の裏切り者やKGBスパイ網を洗い出す作戦の一環とか、逆にそれだけKGBのエージェントが英国情報部に「植え込まれて」いたためだとか…)するとモスクワに逃げ、そこで過ごしていたそうですね……良くも悪くも諜報史に名を残した人物でした


494 ◆b0M46H9tf98h2020/12/31(木) 02:09:10.93FlOthHET0 (1/2)

…翌晩・とあるパブ…

きつい目つきの男「…見回りご苦労さん」

ごつい男「ああ……それにしても今夜は馬鹿に冷えやがるな」

鋭い感じの男「…一杯やって温まったらどうだ?」

ごつい男「そいつはいいな……おい、ウィスキーをくれ」

店主「はいよ……」


…店主がカウンターからウィスキーの瓶を出してカップに注ごうとしたとき、不意に「ひゅうっ…」と一陣の冷たい風が吹き込み、それと一緒に二人のレディが入ってきた……片方はハンチング帽にチャコールグレイのツイードで出来たコートと揃いの上下で編み上げの革長靴、もう一人はフランス風にかぶったベレー帽と黒いコートをまとい、襟元を立てている…


店主「おい、今日は貸し切りだ……帰ってくんな」

ドロシー「……なぁに、気にするな…こちとら奥の部屋にいる紳士に用があるだけなんでね」

鋭い男「なんだと…!?」

ごつい男「ふざけるんじゃねぇ……変なこと言ってねぇでとっとと帰んな」

ドロシー「おいおい、アイルランド人の同胞に対してずいぶんと冷たいじゃねぇか……古いゲール語にもあるように「幾千もの歓迎を」くらいのことは言ったらどうなんだ?」

きつい目つきの男「…こいつめ……構わねえから叩き出しちまえ!」

ドロシー「やれやれ……こんな馬鹿ども相手に繫ぎを付けようとしたのが間違いだったな、フランソワーズ?」英語に切り替えるとアンジェに向けて言った…

アンジェ「そのようですね……」

ドロシー「ああ、これじゃあアイルランドが百年もかかって未だに独立出来ないのもうなずける…ってもんだな」そう言うと眉をあげ、表情豊かにあきれかえって見せた…

ごつい男「何だと!てめえ、言わせておけば……っ!」

ドロシー「そうやって見境無く噛みつくからそう言ってるんだ……言っておくがな、私たちが来たのはお前さんたち間抜けな一味の情報がロンドンに筒抜けだって事を教えてやるためなんだぜ?」

鋭い男「何っ…そんなことがどうしてお前みたいな小娘に分かるって言うんだ!?」

ドロシー「そりゃあ図体ばかりデカいお前さんたちと違って「ここ」を使っているからさ……親分だかなんだか知らないが、話が聞きたいんならとっととそういった連中のいる場所に案内するこったな」こめかみに指を当てて「詰まっている脳みそが違う」とジェスチャーで示すと、切り捨てるように言った…

ごつい男「…」

きつい目つきの男「…」

鋭い男「……いいだろう。ただしおかしな真似はするなよ?」

ドロシー「はっ…笑わせるぜ「おかしな真似」をするつもりならとうの昔に王国情報部にタレ込んでるさ。そうしていたらお前さんたちは今ごろ蜂の巣になっているか、絞首台で仲良くゆらゆらしていただろうよ」

鋭い男「…分かった、待ってろ」廊下の奥に消えていったが、男の声だけは途切れ途切れに聞こえる……

鋭い男の声「……済みません、妙な女が二人来て「あなたに会わせろ」と……それと、何か耳寄りな……いるようです…」

ドロシー「…」

アンジェ「…」

鋭い男「……会うそうだ。来い」

…奥の部屋…

鋭い男「…入れ」

ドロシー「…」


…一瞬のうちに手際よく室内のレイアウトや脱出路、撃ち合いになった場合の射線…そして周囲の人物の様子を確認したドロシーとアンジェ……奥に座っている男は筋骨隆々といった感じではないが引き締まっていて、頬に古い傷が走っている……そしてその目つきは冷静に見えるが、奥には限りない憎悪の炎を隠している雰囲気がある…


頬に傷のある男「……どうぞ座ってくれ」

ドロシー「どうも」

頬傷の男「…それで「耳寄りな情報」というのは? …そしてどうして君らのような若い女が?」

ドロシー「そうだな…二番目の質問から先に答えようか。「アイルランドの独立は全てのアイルランド人の物だ」ってウルフ・トーンも言っていただろう?決してカトリックだけのものじゃないってな……ならおんなじように独立は男だけのものじゃなく、女のものでもいいはずだ…違うか?」


(※ウルフ・トーン…1763~1798年。アイルランドの革命家。革命運動にありがちな内輪もめ…特にカトリックとプロテスタントの主導権争いを起こしていた独立勢力に対し、宗派や派閥にとらわれない「全アイルランド人」による独立運動を訴え、フランス軍の協力によるアイルランド解放と独立を目指した…しかしフランス海軍が英海軍に敗れたことで捕虜となり自決(一説には命令を受けた看守により暗殺)した……勇敢で高潔な礼儀正しい人物で「アイルランド独立の父」として今でも大いに尊敬されている)


頬傷の男「…確かに君の言うとおりだ」


495 ◆b0M46H9tf98h2020/12/31(木) 17:24:48.29FlOthHET0 (2/2)

…もしかしたらこの後おせちを詰めつつ投下するかもしれませんが、先にご挨拶を…

…今年もこのssにお付き合い下さり、どうもありがとうございました。いろんな事があって大変な一年でしたね……来年が皆様にとっていい年でありますように……良いお年を


496以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします2020/12/31(木) 17:47:48.97giJTEk7w0 (1/1)




497 ◆b0M46H9tf98h2021/01/02(土) 01:18:19.62tm4xbeH90 (1/1)

皆様明けましておめでとうございます…今年は劇場版「プリンセス・プリンシパル」もある事ですし、楽しみです……無事に封切られる事を願うばかりですが…


498 ◆b0M46H9tf98h2021/01/03(日) 03:15:23.64IuAZhzQP0 (1/1)

ドロシー「納得してくれたようで何よりだ」

頬傷の男「ああ……だが最初の質問はまだだな。それとそっちのご令嬢はどこで関係してくるのか、教えてもらおうか」

ドロシー「そのことか…」

頬傷の男「そうだ」

ドロシー「分かったよ……それで「耳寄りな情報」って言うのは、あんたらの組織に食い込んでいたネズミのことさ」

頬傷の男「…そんな情報をどこで手に入れた?」

ドロシー「なぁに、私の亭主はとある貴族でね……議会で耳にしたことやのぞき見した機密情報なんかを寝物語にペラペラとしゃべってくれるのさ」

ごつい男「なんだと、それじゃあてめえはライミー(イングランド人の蔑称)の女ってことじゃねえか!」

…途端に左右の男が飛びかかってきてテーブルに押さえつけられ、乱暴に身体を改められる……そしてゴトリと音を立てて「ウェブリーR.I.C」が置かれた…

きつい目つきの男「……おい、こいつはお巡りの持っているピストルだぞ!」

ごつい男「やっぱりアルビオンの回し者か!?」

鋭い男「…アイルランド人の恥さらしが!」

ドロシー「はっ、好きなだけ吠えてろよ……本当にお前さんたちのような連中ときたら、どいつもこいつも身体ばかりの「ウドの大木」か、さもなきゃ幻想を抱いている頭でっかちの詩人ばかりと来てやがる」テーブルに押さえつけられながら、ニヤリと皮肉な笑みを浮かべてみせた…

ごつい男「何をっ…!」

きつい目つきの男「どういう意味だ…!」

ドロシー「言葉の通りさ…確かに私は家や土地、身体さえアルビオンの奴らに売り渡した……だがな、まだ心だけは売り渡しちゃいないんだ!」

鋭い男「……じゃあなんでお巡りのピストルなんて持ってやがる」

ドロシー「なーに、そいつはちょっとした「戦利品」でね……色目を使ってきたお巡りをちょいとたぶらかして部屋に連れ込み、酔って寝込んだ所でバラしてやったのさ」人差し指で喉をかき切る仕草をしてみせた…

ごつい男「…」

きつい目つきの男「…」

鋭い男「…」

頬傷の男「お前たちもこれで納得しただろう…」押さえつけていた二人にドロシーを放すよう合図した…

ドロシー「ふぅ……全く礼儀正しい手下をお持ちだな」

頬傷の男「悪いな…だがこれまでに多くの同志が捕らえられているので、つい手荒になってしまうんだ」

ドロシー「らしいな……でも、その心配はもうなくなったぜ?」

頬傷の男「ほう?」

ドロシー「言ったとおり、口の軽い「わが愛しの旦那様」がおしゃべりをした時に、アイルランド人の間に潜り込ませた密告者についてぽろりと言ったのさ…」軽蔑したような表情を浮かべ、皮肉たっぷりに言った…

頬傷の男「それで、そいつは?」

ドロシー「ああ、連れてきたよ……どうだ、見覚えがあるんじゃないか?」胸元から取り出してぽいと机の上に放り出したのは断ち切られた人差し指で、銀の指環がはまっている…

ごつい男「……パトリック!」

きつい目つきの男「そんな馬鹿な!あいつは貴重な情報を入手したり、武器を運んで何度もお巡りの封鎖を抜けてきた男なんだぞ!?」

ドロシー「そんなのはただの芝居だよ…こいつは推測だが、その男が持ってきた武器はたいてい隠し場所に「ガサ入れ」を食らうか何かして、結局あんたらには渡らなかったはずだ……それと情報の方もしばらくすりゃ分かるようなネタか、どうでもいいものばかりだったと見るね」

頬傷の男「なるほど…それで、そちらのお嬢さんは?」

ドロシー「紹介するよ……こちらのレディはミス・ブーケ。ゲール語は出来ないから、話したいなら英語でやってくれ…彼女もあんたらにとって耳寄りな話を持っているよ」

頬傷の男「分かった…ミス・ブーケ」

アンジェ「はい」

頬傷の男「……君はどういう理由で?」





499 ◆b0M46H9tf98h2021/01/05(火) 13:34:26.32ORDf8MIy0 (1/1)

アンジェ「そのことなら簡単です……私はフランス系のカナダ人ですが、父親はアイルランド移民の祖先をもっていて、よく故郷の話をしてくれました…そして、私もいつか親の故郷であるアイルランドを自由にしたい、そう思ってここまで来ました」

頬傷の男「立派な志だ……しかし「耳寄りな情報」というのは?」

アンジェ「それですが…私の母方の実家はフランスで貿易商を行っているかなりの有力者で、アイルランド独立のために資金や武器の供給を行う用意が出来ています」

頬傷の男「なるほど…ちなみに整えられるのはどのくらいだ?」

アンジェ「そうですね、手始めにフランスフランで一千ポンド分。それにレベル(ルベル)リボルバーを一箱」

ごつい男「一千ポンド…!」

きつい目つきの男「…すげえな」

鋭い男「…!」

頬傷の男「…それで、それを受け取るために我々が飲む必要のある条件は?」

アンジェ「ええ……一つに、アイルランド独立の際はこちらの指定する貿易会社にアイルランド各地の港の使用許可、それと優先的な貿易の権利を与えてくれること」

頬傷の男「続けてくれ」

アンジェ「…それから、私とミス・マクニールをあなた方の活動に加えること」

頬傷の男「いいだろう…他には?」

アンジェ「……このことを他の誰にも明かさないこと」

頬傷の男「…」

アンジェ「どうですか? …ちなみにこの条件のうちの一つでも同意できないようでしたら、話はなかったことにします」

ごつい男「なあオニール、待ってくれ……!」

頬傷の男「何だ?」

ごつい男「この娘っこを加えるのはまだいい…だけどよ、俺たち以外の誰にも明かさないって言うのはどうなんだ?」

頬傷の男「どういう意味だ」

ごつい男「だってよ、それじゃあマクリーンたちが蚊帳の外になっちまうじゃねえか…連中は「クラン」のメンバーなんだから納得しないぜ?」

アンジェ「…納得するもしないも、そもそも伝えなければいい」

きつい目つきの男「そういうわけにはいかねえんだよ、嬢ちゃん……俺たちアイルランド人は皆で決めて行動するんだからな」

アンジェ「…それでアルビオンのスパイにまでぺらぺらと予定表をしゃべっているのね。話にならないわ」

ごつい男「何だと…!」

アンジェ「はっきり言わせてもらいます……私たちがフランスから提供する武器や資金は、アイルランドの独立後に交易するための「投資」と言っていい。それが無駄になるようでは提供する価値がない……もちろん提供を断るのは自由ですが、そうしたらあなた方に残されるのはウィスキー片手に「自由なアイルランド」が訪れる白昼夢を見続けるか、王国公安部や警察の取り締まりを受けて絞首刑になる未来だけです」

頬傷の男「…」

ドロシー「彼女の言うとおりだぜ……今回のスパイだって、私たちが始末しなけりゃずっとお前さんたちの動向をロンドンに送り続けていただろうし、そうなったらちょっと何かを計画しただけですぐ情報部や公安の連中が押しかけてきただろうよ」

鋭い男「……だからってカエル(フランス人)どもを信用しろって言うのか?」

ドロシー「おいおい「敵の敵は味方」って言葉を知らないのかよ…学のない奴だな」

鋭い男「…」

きつい目つきの男「オニール…決めるのはあんただ。俺たちはあんたの言うことに従う」

ドロシー「さぁ、どうするよ?」

頬傷の男「……分かった。条件を受け入れよう」

ドロシー「決まりだな…♪」

頬傷の男「ああ……君たちをアイルランド独立のための闘士として歓迎しよう」…そう言うとかたわらのキャビネットからジェームソンの瓶とグラスを取り出した…

頬傷の男「では、乾杯しよう……エリン・ゴー・ブラー(アイルランドよ永遠なれ)!」

男たち「「エリン・ゴー・ブラー!」」

ドロシー「…エリン・ゴー・ブラー♪」

アンジェ「アイルランドよ永遠なれ……けほっ」泥炭でいぶしたきつい味わいのウィスキーに少しむせた…

ごつい男「おいおい、嬢ちゃんには「アイルランド人の血」が少しきつかったか?」

ドロシー「そりゃあそうさ、なにせ初めての「祖国の味」なんだからな……なぁに、代わりに私が倍もらうよ♪」

………


500 ◆b0M46H9tf98h2021/01/09(土) 01:09:30.57U57nhV8t0 (1/1)

…数週間後…

ドロシー「なぁ…私たちが「行動」するのはいつになるんだ?」


…リーダーであるオニール(頬傷の男)にも実力を認められ、他の構成員からも「軽い態度で口は悪いが、実は凄腕の娘っ子」と一目置かれているドロシー……しとしとと冷たい雨が窓のガラスを叩く中、暖炉の脇でアンジェとチェスを指している…


オニール(頬傷の男)「……実を言えば、決行の時期はすでに決まっている」

ドロシー「そうだろうな」

オニール「しかし、誰を狙うかで意見の相違があることも事実だ……大物になればなるほど警護は固く、手を出すのが難しい」

ドロシー「なるほど……ところで、チェスは得意な方か?」

オニール「…まぁ、出来なくはない」

ドロシー「そうかい…チェスって言うのは頭を使う。盤面を見ただけで二手三手と先を読んで駒を動かすもんだ……」

オニール「それで?」

ドロシー「……今の局面を見る限り、私ならこうするね」ポーン(歩)を動かしアンジェの「クィーン」をはじき飛ばした…

オニール「ふっ…どうやら同意見のようだ」

ドロシー「ああ、どうせ狙うなら大物の方がいい……後は「どうやるか」だ」

オニール「それが一番難しいな…何しろ私は王国情報部や公安部の連中に狙われていて、まともな手段ではベルファストの港から出ることも出来ないからな」

ドロシー「なんだ…実行するときの話じゃなくて、海を渡ることで悩んでたのか……そのことなら心配はいらないぜ」

オニール「…どういう意味だ?」

ドロシー「アルビオンにもフランソワーズの協力者がいるんだ……人気のないところに漁船を着けて渡ればいい。スペシャル・ブランチもいちいち漁師の身分証を確かめるほど暇じゃない」

オニール「なるほど……だとしたら、あとは何を使うかだ」

ドロシー「そうだな、やるなら狙撃か爆弾だろうが…どっちで行く?」

オニール「狙撃は外す可能性があるし、当然射程内まで距離を詰める必要がある…」

ドロシー「そいつは爆弾だって同じさ。まず仕掛けに行かなきゃならないし、かさばるから目立つ……会場やそこに行くまでの経路は徹底的に調べられるはずだし、予定が遅れたりすれば無駄に爆発しちまう」

オニール「うむむ…」

ドロシー「…まぁ、私なら狙撃を取るが……本当に無鉄砲な連中をかき集められるようなら車列に殴り込みをかけるのもありだな…どうだ?」

オニール「…そうだな、可能性はある」

ドロシー「なるほど……ちなみにそういう「荒事」に使えるのは何人くらいだ?」

オニール「そうだな…腕も伴っている連中なら八人、肝っ玉だけでいいなら十数人はいるだろう」

ドロシー「悪くないな…」そう言うとフランス語に切り替え、アンジェに向けて早口でまくし立てた…

アンジェ「……そうですね、それならば悪くないでしょう」

ドロシー「ああ…出資者も満足だろうよ」

オニール「結構だ…しかし、使える得物がない」

ドロシー「おいおい、冗談だろう……ここにフランソワーズがいるのは何でだと思う?」

オニール「用立ててくれるというのか?」

ドロシー「当然さ…あんただから言うが、フランソワーズの実家ときたら独立後のアイルランド貿易で得られる利益を独り占めしようって言うんだぜ? それが武器の一箱や二箱で済むんなら安いもんさ」

オニール「確かにな……」

ドロシー「そういうわけだから心配はいらない。ライフルだろうが散弾銃だろうがリボルバーだろうが、喜んでよこしてくれるさ」

オニール「そうか」

ドロシー「あと必要なのは、細かい計画を練ることだけだ……何しろあんたの手下どもときたら、お世辞にも「頭がいい」とは言いがたいからな」

オニール「…分かっている」

ドロシー「そうかい、それじゃあ私らは寝に行くかな……早めのクリスマスプレゼントに、素敵な計画が出来る事を祈ってるよ」

オニール「ああ」

………




501 ◆b0M46H9tf98h2021/01/15(金) 01:19:25.001YVh9hEM0 (1/1)

…さらに数日後…

オニール「よし、集まったな」

ドロシー「ああ」

ごつい男「…いよいよやるんだな、オニール?」

オニール「そう焦るな、オハラ…いま話すからな」

ごつい男「だってよ、これでいよいよライミー共の度胆を抜くことが出来ると思ったら…とってもじゃないが待ちきれないぜ」

オニール「気持ちは分かるが落ち着け……まだ準備の段階なんだからな」

鋭い男「オニールの言うとおりだぞ、タイニー(ちび)?」たいていの大男は冗談として、あえて真逆の「リトル」や「タイニー」(ちび)といったあだ名が付けられるが、それは構成員の一人であるごつい男も同じだった…

ごつい男「そんなこと言ったってよ……だいたいコリンズ、どうしてお前はそんなに落ち着いていられるんだよ?」

鋭い男「…おれだって興奮はしてるさ。お前と違って顔に出さないだけでな」

ごつい男「そうかよ」

オニール「その辺にしておけ……今回の手はずを説明するからな」

アンジェ「…」

ドロシー「…ああ、たのむぜ」

オニール「さて…こちらのレディ二人の協力もあって、ようやくこれまで温めてきた計画の実現にめどが付いた」

オニール「そして今回おれたちが狙うのは……アルビオン女王だ」

ごつい男「本当か…!?」

オニール「嘘をついてどうする……正真正銘、掛け値無しに本当さ」

鋭い男「それで、どうやるんだ?」

オニール「まぁ待て…まずはここを出て「本土」に渡らなくっちゃならないが、その点はミス・ブーケが手はずを整えてくれた」

アンジェ「はい。私の「実家」が人里離れた海岸に漁船を着け、私たちを向こう岸で下ろす…リヴァプールの周囲には密輸業者や密航者のために偽の旅券を作る偽造屋がたくさんいますし、波止場にいる宿無しや水夫くずれに少し金を渡せば、いくらでも身代わりになって正規の旅券を取得してきてくれます」

オニール「と言うわけだ……そして向こうに着いたら「一仕事するため」にロンドンへと出る」

ごつい男「へへっ、確かに「一仕事」だな…♪」

オニール「ああ、そして武器の方だが……」

ドロシー「…そいつはあたしの間抜けな亭主からコレクションを何挺か持ち出しておくし、フランソワーズもフランスの親戚筋からライフルや散弾銃を運び込む手はずを整えてある……つまり軽歩兵連隊の武器庫やスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)の押収品倉庫を襲う必要はない…ってことさ♪」

ごつい男「すげえな、まるで店で昼飯を食う時みたいだ!」

鋭い男「…座って注文すれば料理が出てくる、ってわけか?」

ごつい男「ああ」

オニール「確かにそう聞こえるが、話はそう簡単じゃない……ロンドンにはスコットランド・ヤードの「スペシャル・ブランチ(公安部)」や王国情報部、防諜部…政府の「イヌ」共がうようよいる」

ドロシー「そうだな…それに正直言って、あんたらアイリッシュの男は分かりやすい。ピカデリー・スクエアなんぞをうろちょろしてたらすぐにマークされる」

鋭い男「じゃあ当日までどうやって潜伏してりゃあいいんだ?」

アンジェ「…安心して下さい、その点もこちらで用意してあります」

ドロシー「ただし今は明かせない……密入国のやり方なんかは入国管理の連中も知ってるが、もし誰かが捕まるようなことがあったときに「本番」の手はずを吐かれたら、これまでの苦労が水の泡になっちまうからな」

オニール「おれは皆を信頼している…だが、今回の計画が成功した暁に得られるアイルランドの自由や独立と天秤にかけることは出来ない」

ごつい男「そう言われればそうだよな…分かった、聞かないよ」

オニール「よし……そして今回の計画に参加するのはここにいる面々の他に、マッキニー、ヴァレラ、オコンネル兄弟、オブライエン、マクリーン、それにマクグロウだ…連中はおれたちとは別のやり方で本土に渡り、ロンドンで落ち合う予定だ」

オニール「船は明日の夜……月が沈んだ頃合いを見計らって海岸線にやってくる予定だ。当日は忙しくなるから、今のうちによく休んでおけ」

ごつい男「うぅぅ…こんなことを聞かされたら、おれは興奮して寝られそうにねえよ」

ドロシー「だったら寝ずの番でもやってたらどうだ?」

オニール「…ミス・マクニールの言うとおりだな……しばらく起きて見張ってろ」

ごつい男「そりゃないぜ…!」

一同「「ははは…っ♪」」


502 ◆b0M46H9tf98h2021/01/19(火) 02:18:42.68B9ibwpp60 (1/1)

…翌日の夜・海岸沿い…

オニール「よし、みんないるな?」

ごつい男「おう。ばっちりだ」

ドロシー「結構だね…」

…三々五々と宿やパブから抜け出し、人気のない海岸で集合したドロシーとアンジェ、それにアイルランド人たちの一部……アンジェは合図のために使うランタンを持ち、明かりが漏れないよう布で覆っている…

独立派構成員A「…ところで、どうしておれたちを三つの班に分けたりしたんだ?」

ドロシー「そんなの分かりきったことさ…「一つのカゴに全部の卵を入れるな」って格言があるだろ? もしグループの一つがスペシャル・ブランチや何かに挙げられても、残りの面々で計画を実行できる…ってわけだ」

オニール「そういうことだ。そしてそれぞれに「ちび」のオハラ、コリンズ、おれが入り、そのグループの指揮を執る」

構成員A「なるほど……」

アンジェ「…おしゃべりはそこまで。来たわ」

…月も沈んだ暗い夜の海、砂浜に打ち寄せる波だけがかすかに白く浮かび上がって見える……すると沖合からばたばたと帆のはためく音や、ギーギーと軋む索具の音がかすかに響いてきた…

構成員B「なぁ……あの船がスペシャル・ブランチや出入国管理局の警備艇じゃないってどうして分かるんだ?」

ドロシー「簡単だよ…もしそうならドンパチが始まっているはずだからさ」

構成員B「…」

アンジェ「……甲板で左右に振っている明かりが見えるわ」

ドロシー「よし、本物だな……さ、早く返事を送ってやりなよ♪」

アンジェ「ええ、そうするわ」ランタンの覆いを外し、円を描くように振った…

オニール「来たな…ただし、本物だと分かるまで銃口は下げるな」

構成員C「はい」

…そのうちに木造漁船の姿がぼんやりと見え始め、しばらくすると漁船から降ろした小さな手こぎボートが砂浜にのし上げた……そこから二人ばかりが降りてくる…

乗組員A「この船に乗るのはあんたらか…マダムが「西風に乗って良い航海を」だそうだ」

アンジェ「メルスィ…「南の空には満天の星」が出るといいですね」

乗組員A「……大丈夫だ、合ってるぞ」

乗組員B「よし、それじゃあ早速乗り込んでくれ」

オニール「聞いただろう…お前ら、早く乗れ」

ドロシー「…それじゃあ、今度は「向こう」でな」

オニール「ああ」

構成員A「……おい、あんたたちは乗らねえのか?」

ドロシー「当たり前だろう…夫婦で網を打つような小舟ならともかく、これだけの大きさの漁船に乗りこんでいる女がどこにいるかよ」

アンジェ「それに私たちはあなたたちと違って公安部にマークされるようなことはしていない……だから普通に「入国審査」を通って王国入りするわ」

構成員A「そうかい」

ドロシー「ああ。余計な心配をする前に、せいぜい船酔いにならないよう祈っておくんだな…そら!」ボートのへさきを押して、浜から離れられるようにする…

アンジェ「……行ったわね」

ドロシー「ああ…今ごろは他の連中もそれぞれ動き始めたはずだ」

アンジェ「それじゃあ私たちは宿に戻りましょう」

ドロシー「何しろ明日は早く動かないといけないからな」

アンジェ「ええ」


503 ◆b0M46H9tf98h2021/01/24(日) 02:18:14.74oUAAeofx0 (1/1)

…数日後・ロンドン…

ドロシー「どうやら監視は付いていないな…素人ばかりだから、間違いなく「スペシャル・ブランチ」がくっついてくると思ったが……」

アンジェ「…まだ分からないわ。もしかしたら泳がせているだけかもしれない」


…煤煙に煙るロンドンの屋根の上から、真鍮製の望遠鏡で一本の裏通りを監視しているドロシーとアンジェ……高い煙突とゆっくり回っている大きな歯車の間に伏せてのぞく視界の先には、通りに面して街区いっぱいに伸びた三階建て長屋があり、不用心にもカーテンを閉じないでいる部屋では独立派の構成員が手持ち無沙汰にしているのがくっきりと見える…


ドロシー「…あり得る話だな。どのみち連中に用意したネストは使い捨てだから、当日まで持ってくれればそれでいいが……」

アンジェ「そうね」

ドロシー「ああ…それじゃあそろそろ行こうか」

アンジェ「ええ…」パチリと真鍮製の望遠鏡を畳むとマントの裾をたなびかせ、窓から屋根裏部屋へと戻った…

…数時間後・裏通り…

ドロシー「…ようこそロンドンへ。その様子を見ると無事に到着したみたいだな」

オニール「少なくともおれと一緒に来た奴らはな……他の連中はどうしてる?」

ドロシー「そうだな、コリンズのグループは昨日無事に着いたよ…ニシン漁の漁船に乗せられたもんだから、魚臭くっていけないってぼやいてたな」ガタつく椅子に腰かけ、ちびちびとウィスキーを舐めている……

オニール「そうか」

ドロシー「ああ…だがオハラたちはまだだ。あいつらは腕っ節ばかりでおつむの方はからっきしだから、あんたがわざわざ「難しい芝居をしなくて済むように」って、あぶれた炭鉱夫ってことにしたのにな……一体どこで油を売っているのやら」

オニール「…困ったものだな。奴はライミー(英国野郎)に自分の農地を取られたから、熱心なことは熱心なんだが……」

ドロシー「熱心なだけじゃ「我らが祖先の地」は取り戻せないからな」

オニール「そういうことだ…」

ドロシー「それで行けばあんたは別格さ……あの有名な「トリニティ・カレッジ」に通ってた事があるんだって?」

(※トリニティ・カレッジ…ダブリン大学。アイルランドで最も歴史ある最高学府として有名で、「吸血鬼ドラキュラ」のブラム・ストーカー、「ガリヴァー旅行記」のスウィフト、「サロメ」や「幸福な王子」のオスカー・ワイルドなど、多くの作家や詩人を輩出している)

オニール「まったく、口の軽い奴らだ…だがまぁ、そうだ」

ドロシー「すごいもんだな…あたしみたいにライミーの貴族に見そめられて、犬っころよろしく飼われていた娘っ子とは訳がちがう……しかし、どうして卒業しなかったんだ?」

オニール「ああ、そのことか…」

ドロシー「……言いにくいことだったか?」

オニール「いや…単におれが独立運動に熱心すぎただけのことさ」

ドロシー「なるほど……それじゃああたしと同じだ♪」

オニール「…そうだな、おれたちはみんなアイルランドのためなら命さえ惜しくない……」

ドロシー「ああ、そうだな…」

…翌日・安食堂…

オニール「……どうだった」

ドロシー「ああ、どうにか無事に着いたよ…途中で汽車を間違えたんだと」

オニール「まったく、あいつは……」

ドロシー「まぁそう言うなよ……これで面子は揃ったんだから、後は準備を整えるだけさ」

オニール「その件だが、具体的にはどうする。おれにもいくつか案はあるが、あのフランス娘が用立ててくれる武器によってやり口は変わってくる」

ドロシー「…フランソワーズのことか? 大丈夫、心配ないさ…ライフルから散弾銃、ピストル、爆弾……さすがに手回しガトリングや機関銃となると厳しいが、それ以外ならだいたい揃えてくれるって話だ」

オニール「ならいいが…お前にはおれたちと同じアイリッシュの血が流れているが、あのフランス娘はどうもな……」

ドロシー「なぁに、心配はいらないさ…なにせ事が起きた暁には貿易の利益を独占しようっていうんだ、下手な愛国者だの理想主義者だのよりよっぽどしっかりした「信念」を持ってるってもんだ♪」そういいながら筋だらけのビーフステーキに食らいついた…

オニール「…かもしれないな」

………




504 ◆b0M46H9tf98h2021/01/28(木) 03:04:27.26jnaPZfiB0 (1/1)

…同じ頃・公安部アイルランド課…

公安部職員「……失礼します」

課長「君か……どうしたね?」

職員「はい、それが先ほど警察から電信がありまして…「手配されている独立派の構成員とおぼしき人物を国営鉄道の職員が見かけた」とのことです……なんでも行き先の異なる切符で汽車に乗り込もうとしたので、検札係が買い直すように言うと怒って押し問答になったとか」

課長「なるほど…それで、その構成員は誰だね?」

職員「はい。現在うちの職員が駅に急行し似顔絵を確認させておりますが、特徴を聞いた限りではこの男ではないかと」手配書を机に置いた…

課長「ふむ「ちび」のオハラ。大男で、過去にR.I.C.の警官二人を殺害か……他には?」

職員「はい、税関当局からテムズ川沖のサウンド(瀬戸)で漁船一隻を拿捕したと…ニシン漁の漁船で船籍はドーヴァーとあるのにフランス人が乗り込んでおり、取り調べに対し「ベルファストで数人のアイルランド人を乗せ、昨日ロンドンで降ろした」と供述しているそうです」

課長「その男たちの人相は?」

職員「詳しい情報はまだ入ってきておりませんが、税関とイミグレーション(出入国管理局)をせっついているところです」

課長「分かった……ただちに警戒情報を出し、ロンドン中のアイルランド人を捜索・監視させろ。スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)にも同様の連絡を送れ」

職員「はい!」

課長「待った…それから市中の銃砲店にあたって、見慣れない相手や一見の客に銃を売ったかどうか確認させろ。特に狩猟用のライフルとやピストルだ」

職員「分かりました」

課長「…それから陸・海軍に照会して、ここ数週間のうちに武器庫や造兵廠、基地での盗難が無かったか調べてくれ……ライフルのような銃器だけでなく、制服の類の盗難もな」

職員「……連中は兵士に変装するとお考えで?」

課長「閲兵式には各地の連隊がやってくるからな…見慣れない顔がいてもおかしくないし、制服と徽章を見れば「ああ、どこどこの連隊か」だけで済んでしまう……また、アイルランド人もそれが狙い目だろう」

職員「なるほど…」

…夕方…

ドロシー「…よう、ずいぶんと遅いお着きじゃないか」

ごつい男「なに、途中で汽車を乗り間違えてよ…危うくウェールズに行くところだったぜ」

ドロシー「おいおい、困った奴だな……」

ごつい男「おまけに気の利かない車掌の奴が「この切符は違います」なんていうもんだからな…」

ドロシー「……まさか殴ったりはしなかっただろうな?」一瞬だけ「すっ…」と冷たい表情が浮かんだが、すぐに自制して冗談めかした…

ごつい男「ああ、殴っちゃいないさ…ちょいと襟首をつかみはしたけどな!」

ドロシー「そうかい…ま、本番まではその腕っ節をとっておけよ……な?」(…この馬鹿、やらかしやがったな…それでなくても馬鹿でかくて目立つって言うのに……今ごろ公安部と防諜部に連絡が飛んでいるはずだ)

ごつい男「おう、そうだな。おまけに駅の売店でウィスキーを買おうとしたが「ジェームソン」も「ブッシュミルズ」も売ってないときやがった…本当にろくでもないところだぜ、アルビオンって所はよ」

ドロシー「そういうなよ……ま、しばらくはここでゆっくりしてくれ。飯は食堂がそばにあるから、そこで食うようにしてくれ」

ごつい男「分かったよ、嬢ちゃん…オニールにもよろしく伝えてくれ」

ドロシー「ああ、伝えておくよ」(…こうなったらこいつらは公安部を引きつける「餌」として使うしかないな)

………



…数日後…

オニール「…しかし、閲兵式に向かう馬車を狙うとして……どうやる?」

ドロシー「そのことはフランソワーズとも相談したが…二段構え、三段構えで行こうと思っているんだ」

オニール「具体的には?」

ドロシー「あたしは鴨撃ちを習ったことがあるから射撃は出来る……で、だ」小ぶりな望遠鏡を取り出した…

オニール「そいつは?」

ドロシー「一見するとただの望遠鏡だが……よく見るとレンズに十字の線を入れてある」対物レンズに引いた細い黒線を見せる…

オニール「確かに引いてあるな…それで?」

ドロシー「フランソワーズが用意してくれたフランス製の「レベル(ルベル)」ライフルが数挺あるから、今度郊外に出て精度を試してくる…で、その中から一番いいやつにこれを取り付ける……通りに面した建物から馬車を撃つとすれば、だいたい八十ヤード(おおよそ72メートル)もないくらいだろう…望遠鏡は銃の衝撃に耐えられないから撃っても二発がせいぜいだし、弾の精度や火薬の燃焼ムラもあるが……そう悪くない賭けになるはずだ」

オニール「それが「第一段」ってことだな」

ドロシー「そのとおり♪」


505 ◆b0M46H9tf98h2021/01/29(金) 01:52:32.63ofe8nb/50 (1/1)

オニール「しかし「第一段」ってことは、それだけじゃないんだな?」

ドロシー「ああ…はっきり言って、私もこんなシロモノでクィーンをやれるとは思っちゃいない」

(※狙撃用スコープの元になったアイデアはレオナルド・ダ・ヴィンチが発明したとされるが、実用的なものは第一次大戦ごろまでなかった)

オニール「それじゃあ次はどうするつもりだ」

ドロシー「そのことだが……こいつを見てくれるか?」

オニール「ロンドン市街の地図だな?」

ドロシー「ああ、そうだ…見ての通り、女王は馬車でバッキンガム宮殿を出て「ザ・マル」を通り、トラファルガー広場に出る」

オニール「そこまでは当然だな」

ドロシー「ああ…そこで民衆からの歓声を浴びながらこっちに曲がる……」

オニール「エンバンクメント(運河)は避けるわけか」

ドロシー「もちろん。運河じゃあ片側ががら空きで遮蔽物がないし、対岸から銃撃されたら蜂の巣になっちまうからな」

オニール「なるほど、理屈は通る……しかしお前は詳しいな」

ドロシー「そりゃあ「貴族様」たちは口が軽いからな…色々と耳に入ってくるのさ♪」ウィンクを投げ、適当にはぐらかすドロシー…

オニール「…話の腰を折ってしまったな。それで?」

ドロシー「それからウェストミンスター寺院で大司教からの祝福を受け、それから陸軍本部、ホワイトホールの海軍本部で式典……で、やるのはこの辺りだ」地図の一点を「とんとん…っ」と叩いた……

オニール「どうしてだ?」

ドロシー「この辺りは何度か通ったことがあるが、通りが細いから馬首を転じるのは容易じゃない…おまけに銃声が響けば見物人たちが大混乱を起こして道を塞ぐ……そこで「第二弾」だ」

オニール「…馬車を襲撃するのか」

ドロシー「ご名答……散弾銃とピストル、それに爆弾でもって左右の小路から襲撃をかける。もちろん警護官は付いているが、物々しい雰囲気にならないように、ピストルを隠し持っているだけだ……力押しでいけば始末出来る」

オニール「しかし「ロイヤルガード(近衛)」の兵隊はどうする?」

ドロシー「…毛皮帽をかぶった「グレナディア・ガーズ(近衛擲弾兵)」のことか?」

オニール「ああ、奴らが騎馬で随伴しているだろう…違うか?」

ドロシー「もちろん随伴はしているさ…だが、騒ぎが起こって市民が逃げ惑い、馬が跳ね回っているような時に、連中が背中に回しているエンフィールド・ライフルを構えて弾を込め、狙いを付ける…ましてや馬上で振り回すのは相当難しいはずだ。たとえそれが切り詰め型の「騎兵銃(カービン)」タイプだとしてもな……違うか?」

オニール「手綱を取るので精一杯…ってわけか」

ドロシー「いかにも……それにもうひとつ秘策も用意してある」

オニール「ほう、どんな?」

ドロシー「そいつは直前になったら明かすが、成功疑いなしっていう「とっておき」だから期待していい」

オニール「どうしていま明かせないんだ?」

ドロシー「…そりゃあ「相手のある」事だからさ。それに……」口をつぐむと隣の部屋との壁を指差した…

構成員の声「……っし、こいつでもらいだな…!」

構成員Bの声「ちくしょうめ…だがな……っと、ハートのキングだ。ざまあみろ!」

ドロシー「……この建物は壁が薄いんだ。おまけにあんたの手下はみんな声がデカいときている…あたしがしゃべったことをロンドン中に触れ回ってもらっちゃ困る」

オニール「…」

ドロシー「それと「本番」では横道から荷車を押し出して車列の前後を塞ぎ、にっちもさっちもいかないようにする予定だ……」

オニール「まさに「袋のネズミ」か…」

ドロシー「そういうこと……どうだ、最終的に決めるのはあんただが」

オニール「いや、いい計画だ……手抜かりにも備えてあるし、これなら上手くいくだろう」

ドロシー「ふ、何しろ寝ずに考えたからな…♪」

オニール「ああ、それだけの価値があるな」

ドロシー「そう言ってもらえると嬉しいね…あとは当日まで潜んでいてくれればいい。必要ならこっちから連絡する」

オニール「分かった……後を尾けられないように気をつけろ」

ドロシー「そうするよ」




506 ◆b0M46H9tf98h2021/02/02(火) 02:12:55.00MJAwUMIL0 (1/1)

…翌日・「ケンジントン・ガーデンズ」…

ドロシー「あら「あの水鳥はなんでしょう」ね?」

L「さぁ、私は鳥類にはうといもので…しかし「多分アヒルではない」でしょうな」

…ロンドン中心街のひとつ、ウェストミンスター区にある「ケンジントン・ガーデンズ」は、かつて川をせき止めて作った大きな人工池「サーペンタイン」を挟んだ「ハイドパーク」と隣り合っている。ケンジントン・ガーデンズとハイドパークも共は緑豊かな大きな公園で、ロンドン市内にありながら小鳥のさえずりや水のせせらぎが聞こえてくる……二人は水面で泳ぐ水鳥を眺めているふりをしつつ、何気ない会話のような合い言葉を挟む…

ドロシー「そうですね…」

L「教えてあげられなくて申し訳ない……さて、報告を聞こう」

ドロシー「ああ…独立派はクィーンの首を取る気でいて、こっちがお膳立てしたプランに食いついた」

L「そこまではいい……しかし疑り深く気が短い連中のことだ、きっと土壇場で勝手な真似をするだろう」

ドロシー「分かってる。もとよりそれも組み込んであるわけだからな……それよりも「モノ」は手に入ったのか?」

L「当然だ」

ドロシー「そいつは良かった」

L「しかし喜んでばかりではいられんぞ……フランスの現地協力者が手配した漁船が王国の税関当局に拿捕されて、アイルランドから人を乗せたことが漏れた」

ドロシー「そうかい……ところで、もっと頭の痛いことを教えてやろうか? グループのひとつで構成員が切符を買い間違え、おまけに短気を起こして検札係につかみかかったとさ」

L「……馬鹿め」

ドロシー「ああ…今ごろは間違いなく防諜部、公安部、スコットランド・ヤードのデカたちが血眼になってアイルランド人を探しているはずだ」

L「むむ……どうだ、やれるか?」

ドロシー「やるさ…あいつらがいる間はロンドン中の警戒が強まって、こっちまでやりづらくなるからな」

L「分かった」

ドロシー「…当日に関しては私がおっぱじめるが、どう収めるかはその場次第で決めさせてもらう」

L「無論だ……とにかく、今回だけはクィーンを守り切り、連中の「チェックメイト」を許すな」

ドロシー「任せておけよ、チェスは得意な方なんだ♪」

…数日後・郊外の森…

ドロシー「……うーん、いい空気だ。こんな上天気になるって知ってたら、バスケット(カゴ)にサンドウィッチでも入れてきた所なんだがな」

アンジェ「あきらめなさい。それより、射点の調整を済ませてちょうだい」

…人気のない森にやってきたドロシーとアンジェ……そしてかたわらの古毛布には、フランス製の「ルベル」ライフルと8×50ミリRの弾薬、それにスコープ代わりの小さい望遠鏡がいくつか並べてある……ライフルの木被は機構に影響がない場所に穴を開けてあり、そこに真鍮で作った特製の基部(マウント)が取り付けられるよう加工してある…

ドロシー「ああ……観測を頼む」一挺を取り上げると肩付けし、弾を込めると慎重に照準を定めた…そして数十ヤード先の地面には白くて見やすい白樺の細枝が突き刺してある……

アンジェ「……始めて」

ドロシー「…」タアァ…ンッ!

アンジェ「右に六インチ、手前一ヤード」

ドロシー「ああ…」パァァ…ン……ッ!

アンジェ「右三インチ、奥に半ヤード」

ドロシー「どうも照準が合ってないな……次弾、行くぞ」

アンジェ「…右に半ヤード、前後はちょうどよ」

ドロシー「よし、あと数発やってみよう……ただ、この銃は右にそれるな」

…一時間後…

ドロシー「…これが一番いいみたいだな」空薬莢が散らばる中で身体を起こし、選んだライフルを布にくるむと肩を回した…

アンジェ「そうね」

ドロシー「後のやつはここに埋めていけばいいし、空薬莢も同じだな」

アンジェ「ええ」

ドロシー「それにしても腹が減ったな……ロンドンに戻ったら何か食おうぜ?」

アンジェ「それよりも「バスケットに入ったサンドウィッチ」がどうのこうって言ってなかったかしら…?」無表情のままバスケットの蓋を開けると、白パンのサンドウィッチがいくつか入っていた…

ドロシー「…さすが♪」


507 ◆b0M46H9tf98h2021/02/08(月) 03:02:37.937cRaNMZt0 (1/1)

…数日後…

ドロシー「さて、取りに行くものはあと一つだけなんだが……」

…すでにロンドン市街は閲兵式と女王のパレードに備えて警戒が強められており、街のあちこちに制服姿のコンスターブル(巡査)や私服姿のスペシャル・ブランチ(公安)部員たちが視線を光らせている……ドロシーは古びたボンネットと頬のスカーフ、それに柳のバスケットを持って買い出しの主婦に変装しているとはいえ、リスクを考えて目的地に行くことを止め、脇道へすっと折れた……

ドロシー「……ちっ」

…裏通り…

ドロシー「…坊や、ちょっといいかな?」

…市街の「ロイヤル・アルビオン・アクターズ・アカデミー(アルビオン王立俳優アカデミー)」の近くにある、ちょっとした劇場や俳優の練習場が多い一角で、ドロシーは十歳にも満たないくらいの男の子に声をかけた…

男の子「ぼく、坊やじゃないよ! トミーって言うんだ!」

ドロシー「ああ、ごめんね…ところでトミー、ちょっとお使いを頼まれてくれないかな?」

男の子「おつかい?」

ドロシー「そう、おつかいだよ……もしやってくれたらお駄賃に一ギニーあげよう♪」ギニー硬貨を取り出してみせた…

男の子「ほんと?」

ドロシー「もちろん、お姉さんは嘘つきじゃないからね……やってくれるかな?」

男の子「うん、いいよ」

ドロシー「そっか…それじゃあお願いだけどね、この先の角を左に曲がって通りをひとつ分行くと「ウェイバリー道具店」っていうお店があるんだけど……知ってるかな?」

男の子「うん、知ってるよ!」

ドロシー「そっか、詳しいんだね…じゃあ「ウェイバリー道具店」に行って『モリー一座が注文した物を受け取りに来ました』って言ってくれるかな?」

男の子「えっと「モリー一座が注文したものを受け取りにきました」!」

ドロシー「そうそう。トミー、君は賢いね……それで、品物を受け取ったらここまで持ってきてくれるかな?」

男の子「分かったよ、おばちゃん!」

ドロシー「おばちゃんじゃなくて「お姉さん」だよ、トミー」

男の子「そっか…ごめんね、お姉さん」

ドロシー「いいよ……さ、それじゃあ「お姉さん」はここで待ってるからね」男の子が駆け出すとはす向かいの店先に歩いて行き、さりげなく裏通りを監視できる場所をおさえた…

…数分後…

男の子「お姉ちゃん、行ってきたよ!」

ドロシー「ありがとう、早かったね……重くなかった?」

男の子「ぼく、力持ちだもん!へっちゃらだよ!」

ドロシー「そっか…それじゃあ約束のお駄賃だ♪」

男の子「ありがと、お姉ちゃん!」

ドロシー「またね…♪」軽く腰をかがめて視線を合わせ手を振って見送ったが、喜び勇んで駆けていく男の子が角を曲がると、ふっと皮肉な笑みを浮かべた……

ドロシー「……おかげで助かったよ、坊や」

…数時間後・ネスト…

ドロシー「ふう…よいしょ」今まで肩に担いできた袋を床に放り出す…

オニール「そいつは一体なんだ?」

ドロシー「これか? これは当日必要になる「小道具」さ……今開けてやるよ」袋の口ひもをほどくと、なかから真っ赤な上着と黒のズボン、それに飾りの付いた軍帽、白く塗られた革のベルトとエンフィールド小銃の弾薬入れが出てきた…

構成員A「なんだこりゃあ…!?」

ドロシー「見ての通りアルビオン王国「フュージリア(軽歩兵)」連隊の制服さ…細かいところはいくつか違うがね」

構成員B「それより、こんな物をどうしようって言うんだ?」

ドロシー「簡単さ。当日、あんたらにはこれを着てもらう……車列を襲撃するときに同じような制服を着た連中に襲われればどれが敵か分からなくなって、より混乱するからな」

構成員C「けっ……よりにもよってライミーどもの赤服かよ」

ドロシー「文句言うな…私はあんたらに試着させて、そのあとで裾をあげたり詰めたりしなきゃならないんだからな」

オニール「…なるほど、これが「秘策」ってやつか」

ドロシー「いかにも…この制服は芝居用の道具屋で揃えてきたが、店主の爺さんは目が悪いし、私も変装して行ったんでね……まぁ脚はつかないだろう」


508 ◆b0M46H9tf98h2021/02/09(火) 02:47:14.36gsmGL95V0 (1/1)

…閲兵式・数日前…

公安部員「…ノルマンディ公、当日の警備体制の資料をお持ちしました」

ノルマンディ公「ご苦労…市内の様子はどうだ?」

部員「はっ、すでにお召し馬車の経路沿いは我々公安部、スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)…それに防諜部と陸軍が警戒に当たっております」

ノルマンディ公「ふむ……」(しかし女王の護衛を担当する組織が多すぎるな…しかも縦割りの官僚主義で、連携はつぎはぎだらけときたものだ……)

部員「あの、何か…?」

ノルマンディ公「いや、結構だ…下がりたまえ」

部員「はっ…!」公安部の切れ者たちでさえ目の前にすると恐ろしく感じるノルマンディ公に「何か言われるのでは」と内心ヒヤヒヤしていたが、何も聞かれなかったことにほっとして部屋を出て行こうとした……

ノルマンディ公「…待て」

部員「は、はい…!」

ノルマンディ公「一つ聞きたい……この部分の警戒はどこの組織が担当しているのだ?」ロンドンの地図上に引かれた何色もの線…その重なった部分を指さした…

部員「はっ、そこは……」

ノルマンディ公「……地図上では線一本だが、実際には一部屋ほどの幅があるぞ。その「隙間」に共和国の連中が潜り込んでいたらどうする気だ」

部員「申し訳ありません、直ちに確認を取ります…!」

ノルマンディ公「そうしろ……それから下水道の蓋には封印をし、地下の柵には鍵をかけたな?」

部員「はい、指示通りに実施しております」

ノルマンディ公「分かった。では先ほどの警戒区域の割り振りを確認し、完了次第報告しろ」

部員「承知しました…!」

ノルマンディ公「…」(我々も王族を失うわけにはいかない…とはいえ、ここで共和国の連中が「直接行動」に出てくるとなれば、連中を一網打尽にできる……場合によっては王族に連なる何人かの損失も許容しうるな……)

…一方・在ロンドン「アルビオン共和国大使館」の一室…

7「L、情報が入っております」

L「うむ…エージェント「D」および「A」は連中を上手く引っ張り出すことに成功したな……」

7「ええ」

L「あとはこのまま直前まで「芝居」を続けるだけだ…警備状況はどうだ?」

7「はい……すでに街角にはロンドン警視庁の制服および「スペシャル・ブランチ」の私服、サマーセット連隊および「カウンティ・オブ・ロンドン・ヨーマンリー」の軽歩兵一個大隊が展開しており、それに防諜部、公安部も警戒しております」

(※ヨーマンリー…義勇農民軍。もとは正規軍の派遣に伴い本土の兵力が減少したことから、自作農など多少「市民としての地位を得ている」人々を集めて設けた内務省主管の義勇軍であったが、後に改組されて陸軍に組み込まれた)

L「ふむ、あちこちの組織から見ず知らずの人間が集まっているというわけか……好都合だな」

7「まさに「人を隠すには人」というわけですね?」

L「いかにも……」

…閲兵式・前日…

見回りの歩兵「おい、止まれ」

ドロシー「なんだい?」

歩兵「身分検査だ……住まいはこの近くか?」

ドロシー「ええ、この先の24番地にある下宿の屋根裏部屋さ」

歩兵B「その荷物は?」

ドロシー「見ての通り食べ物さね…」パンやチーズ、それに毛をむしった丸々としたアヒルを抱えている…

歩兵「どれ……ほう、立派なアヒルじゃないか」

ドロシー「うちの雇い主が珍しく慈悲深いところを見せてくれたもんだからね…ちょいと奮発したってわけさ♪」

歩兵B「それにしてもうまそうなアヒルだな……もし焼いたらおれたちにも分けてほしいもんだ」

ドロシー「ちゃんとその分の「おあし(お金)」を払ってくれるならね…そのときはこんがり焼いてクランベリーソースをかけて持ってきてあげるよ?」

歩兵「おれはリンゴソースの方がいいな……まぁいい、行っていいぞ」

ドロシー「はいよ」中に紙袋でくるんだウェブリー・スコット・リボルバーを詰めたアヒルを抱え、普段通りの歩調で立ち去った…


509 ◆b0M46H9tf98h2021/02/11(木) 17:37:17.88yelslRfq0 (1/1)

続きを投下する前に、とうとう「劇場版プリンセス・プリンシパル~Crown handler第一章~」が封切られましたね!


ちなみに無事に見ることができ、入館特典でランダムにもらえるキャラクター色紙はドロシーでした♪

…「プリンセス・プリンシパル」の登場人物は全員好きですが、特にドロシーは好きなので嬉しいですね。皆様もぜひ銀幕で「チーム白鳩」の活躍を見ましょう!(ダイマ)


510 ◆b0M46H9tf98h2021/02/13(土) 00:36:15.97SyO7sNei0 (1/2)

…その日の午後…

ドロシー「……ちくしょうめ、それにしたってタイミングが悪すぎるっての」ウェブリー・スコットを手入れしながら悪態をついている…

アンジェ「何をさっきからぶつぶつと……ボヤくにしてももう少し静かにしてもらえないかしら」

ドロシー「いや、そんなことを言ったってな…なにせ「劇場版プリンセス・プリンシパル~Crown handler~」の封切りがあったんだぜ?」

アンジェ「そうだったわね…それで?」

ドロシー「いや、ね…そう思って数ヶ月も前から券も買っておいたっていうのに、この任務のせいでおじゃんだ……ボヤきたくもなるだろう」

アンジェ「それは残念だったわね……ちなみに私はもう見たわ」

ドロシー「なに…っ!?」

アンジェ「この前プリンセスが特別試写会に招いてくれたから」

ドロシー「おい待て、そんなの聞いてないぞ!?」

アンジェ「ええ……招待されたのは「私だけ」だったもの。二人きりで心ゆくまで見たわ」

ドロシー「くそっ、惚気まで聞かせてくれやがって……」

…同じ頃…

7「…L、一体どちらへ?」

L「なに、映画をな……劇場版「プリンセス・プリンシパル」を見に行く」

7「それは困ります…エージェント「D」からの報告によると、王国防諜部や公安部が警戒を強めており、いつ情勢が動くか分からないとのことですので……」

L「だが、すでに券は買ってあるのだぞ」

7「残念ですが、あきらめていただくより仕方ないかと」

L「ええい…ノルマンディ公め、分かっていてこのタイミングにぶつけてきたな……」

7「そうかもしれません。ところで、しばらくの間だけ席を外させていただきます」

L「…どこへ行く?」

7「昼食と、それから映画館です…私も予約しておいたので」

L「…私が書類とにらめっこしているというのに、君は優雅に映画か? …覚えておれ、戻ってきたら残りの雑務をみんな押しつけてやる」

7「あら…そのようなことをなさると、帰ってきたときに「うっかり」筋書きをしゃべってしまうかもしれませんよ?」

L「……君も脅しの使い方が上手になったな。もし映画館に行くのならついでに「第二章」の予約券も買ってきてくれ…確か封切りは今年の秋だったか?」

7「そうですね…分かりました、ついでに買ってきます」

L「うむ」

………



…その日の晩・ネスト…

ドロシー「よーし、それじゃあ改めて袖を通してみてくれ…寸は直しておいたから、今度こそぴったりのはずだ」

構成員A「ああ…」

ドロシー「へぇ、なかなかいい感じじゃないか…これなら充分王国の軽歩兵で通るぜ♪」

構成員B「反吐が出るぜ」

ドロシー「文句言うなよ。これも「祖国のため」だろ?」

構成員C「そうじゃなきゃ、こんな服なんぞ下水にでも叩き込んでるってんだ」

ドロシー「ああ、いくらだってそうしてくれていいさ……ただし、全部終わったらな」

構成員A「待ち遠しい限りだな…前祝いに一杯やらねえか?」

ドロシー「気持ちは分かるが今夜は止めておけ…二日酔いでふらふらした連中が制服を着ていたらおかしいからな。それと当日は喋るのも最低限にしろよ……アイルランド訛りを聞かれちゃまずい」

オニール「その通りだな…」

ドロシー「それじゃあ私は上がらせてもらうよ……お休み、良い夢をな」

オニール「ああ、そっちも」




511 ◆b0M46H9tf98h2021/02/13(土) 01:51:04.99SyO7sNei0 (2/2)

…しばらくして…

オニール「……オブライエン、ちょっといいか」

構成員A「なんだい?」

オニール「ああ…お前に一つ頼みがある」

構成員A「オニール、他ならぬあんたの頼みを断るわけがねえ。なんでも言ってくれよ」

オニール「そうか。実はな、お前には当日キャサリン…ミス・マクニールの横にいてもらいたいんだ」

構成員A「そりゃああんたの頼みだから「やれ」と言われりゃあやるが……どうしてだ? ケイト(キャサリンのあだ名)は腕も立つし、お守りなんぞいなくたってばっちりやってくれるだろ」

オニール「ふぅ、分かった。口の堅いお前だから正直に言うとな……どうも引っかかる」

構成員A「…引っかかる?」

オニール「ああ。もちろんここまで来られたのはミス・マクニールとミス・ブーケの手伝いがあってこそだ…しかしな、どうにも手際が良すぎる気がする……おれの「アイルランド人の直感」がそうささやいている気がするんだ」

構成員A「はは、なんだいそりゃあ…確かにここまで無事に来られるなんてよくよくツイてるが、今までも時々そういうことがあったじゃないか」

オニール「お前の言うとおり、確かに最初からエースのフォーカードが揃っているような時もあった……だがな、あの二人の娘っ子の手回しの良さは素人にしてはできすぎだと思わないか?」

構成員A「そりゃあ、あの二人…特にあのカエル(フランス人)の血を引いた娘は裏であっち(フランス)とやり取りがあるんだろう? それならよく練られた計画が出てきたっておかしくないさ……まぁ「芝居用の衣装で王国の兵隊の仮装をして馬車を襲う」なんて、確かに感心するけどな」

オニール「…」

構成員A「……いや、あんたの言いたいことは分かったよ…とにかく、おれはあんたの言うとおりに動く。ケイトの動きが気になるなら見張っておくさ」

オニール「済まないな」

構成員A「気にするなよ……ほら」縁が欠けた陶器のティーカップに「一杯だけ」とジェームソンを注いだ…

オニール「悪いな…」

…数十分後・「白鳩」のネスト…

ドロシー「…やっぱりな」

アンジェ「ええ…結局の所、あの手の連中はどこまで行っても自分たち以外は信用しないもの」

…オニールたちに用意した下宿の上階にある空き部屋に忍び込み、暖炉の煙突に耳を近づけて会話を盗み聞きしていたアンジェ…

ドロシー「その割にはちょっと一杯付き合っただけの奴にぺらぺら喋ったりするんだがな……ま、いいさ」

アンジェ「そうね……どのみち彼らには彼らの役割を果たしてもらうだけだもの」

ドロシー「そういうことさ」

………



…閲兵式当日・朝…

王宮警護官隊長「いいか、今日は女王陛下及びシャーロット王女殿下が馬車にお乗りになる……また、公安部始め各組織が警戒に当たっているが、最後に盾となるのは我々だけだ。よく地図を確認し、必ず王族の方々をお守りするように」

警護官たち「「はっ!」」

…ノルマンディ公・書斎…

ノルマンディ公「…はてさて、これからどの駒がどう動くか……ガゼル、行くぞ」

ガゼル「はい…」

…スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)本部…

スペシャル・ブランチ(公安・特捜部)部長「……準備はどうだ?」

スペシャル・ブランチ職員「はい。部長の指示通り市内各地に自動車を展開し、それぞれの車に部員を三人ずつと無線電話の機械を乗せて待機させてあります」

部長「よし。公安部の連中がいくら偉そうにしていても、我々は「スペシャル・ブランチ」だ……決して遅れを取るようなドジを踏むなよ」

職員「もちろんです」

…ネスト…

ドロシー「……さて、いよいよだな」

アンジェ「そうね、上手くやってちょうだい」

ドロシー「任せておけ……アンジェ、お前もな」

アンジェ「ええ」


512 ◆b0M46H9tf98h2021/02/14(日) 01:13:51.16+E2XBgOH0 (1/1)

…先ほどの地震は大きかったので、あの時を思い出して少し恐ろしかったですね。幸いにしてこちらは安定の悪い小物が落ちたりした程度でしたが……皆さまの地域は大丈夫でしたか?


513 ◆b0M46H9tf98h2021/02/19(金) 02:27:42.80RwoSrFPM0 (1/1)

…数十分後…

ドロシー「よし、それじゃあいよいよ本番だ…♪」

構成員B「待ちくたびれたぜ!」

ドロシー「威勢がいいな……だが、まずはあたしが通りに出る。見られていないようなら合図をするから、そうしたら「分列行進」の要領で、きちんと整列して出るようにな……それと誰かに何か聞かれるようなことがあったら、オニール…あんたがしゃべってくれ。あんたは学があるし「クィーンズ・イングリッシュ」もなかなかだから、歩兵分隊を指揮する警備の将校で通るだろう」

オニール「分かった」アルビオン王国将校のぱりっとした軍服も、なかなかさまになっているオニール…

ドロシー「それから、道端の物は大小問わず「爆弾でもしかけられているんじゃないか」って言うんで全部どかされているから、道路を塞ぐのに使う荷車を停めておくわけにはいかなかった……そういうわけだから、荷車は時間に合わせて協力者が襲撃地点の脇道まで持ってくる…もし来なかったらそのときは臨機応変にやってくれ」

オニール「いいだろう」

ドロシー「襲撃が終わったら結果の如何に関わらず、事前に決めた集合場所に集まること…」

オニール「その通りだ……逃げる手はずについてはみんなに言ったとおりだが、必要以上に待つことはしない。遅れるようなら置いていく」

ドロシー「そういうことだ」

構成員B「なぁ、そういえばオハラやコリンズたちは何をするんだ?」

ドロシー「そのことか……オニール、説明してやってくれよ」

オニール「ああ…オハラたちはおれたちが襲撃をしかける場所とは別の場所に待機していて、馬車がおれたちの襲撃から逃げようとしたらねずみ取りの「蓋を閉める」役割を受け持つ」

ドロシー「それからコリンズたちは連絡と遊撃だ…もし馬車が予想外のルートを通ったり、こっちの襲撃を強行突破しようとしたら打って出る」

構成員C「なるほどな…」

ドロシー「納得したか? それじゃあ私はこれで…」

オニール「ちょっと待ってくれ、ミス・マクニール」

ドロシー「ん?」

オニール「お前は大事な狙撃役だ、それが一人きりって言うのは心もとない……護衛としてオブライエンを連れて行け」

ドロシー「おいおい、あたしだって子供じゃないんだぜ?子守なんているかよ」

オニール「そういうな、一人より二人だ」

ドロシー「分かったよ……気を遣わせちまったな」

オニール「なに、うら若いレディ一人に危険な真似をさせるなんて言うのは「男がすたる」ってものだからな」

ドロシー「おいおい、ボーディシアは女だぜ?」(※ボアディケアとも…古代ローマ帝国統治下にあったケルトの女王。ローマの統治に反旗を翻し、車軸からスパイクを生やしたチャリオット(戦車)で猛烈に戦ったとされる)

オニール「ふ…そうだったな」

…そのころ・バッキンガム宮殿…

プリンセス「…お手をどうぞ、お祖母様」

女王「ええ……ありがとう」

女性警護官「…」

男性警護官「…陛下は馬車にお乗りになられました」馬車に乗り込む女王の手を取って手助けするプリンセスと、その左右について神経を尖らせている王室警護官たち…

警護隊長「よし、それじゃあ第一班は馬車に先行し前方の警護、第二班は左右の警戒。第三班は後方の守りを固めろ」馬車の前後を黒いロールス・ロイス乗用車で固め、油断なく目を配っている警護官たち…

女性警護官「……近衛擲弾兵も護衛につきました」見事にくしけずられた毛並みのいい馬にまたがり、毛皮の帽子をかぶっている「近衛擲弾兵」の兵士も付く……

プリンセス「…♪」護衛たちの「気を散らさないように」と、いつものようにねぎらいの声をかけたりすることはせず、代わりに座席にゆったりと腰かけて女王と歓談するプリンセス……アンジェからは襲撃の計画は聞かされているが、表情一つ変えることなく、いつも通りに振る舞っている……


…バッキンガム宮殿を出て「ザ・マル」(バッキンガム宮殿前の大通り)へと出たお召し馬車…歩道には多くの市民が集まり、帽子を振ったり歓声を上げたりしていて、沿道には車道にはみ出さないよう群衆を抑える赤い制服の陸軍歩兵やロンドン警視庁の警官が並び、上空には王立航空軍の空中戦艦が見事な陣形を組んで遊弋している……そして表向きは「女王陛下を見下ろすのは不敬である」という理由がついていたが、実際には高所からの銃撃や攻撃を避けるために高架道路と高架鉄道は全て封鎖され、飛行船もロンドン上空を通らない航路へと変えさせられていた…


プリンセス「…」(いよいよね……)

………




514 ◆b0M46H9tf98h2021/02/22(月) 03:08:17.76DiNheleG0 (1/1)

…数十分後・裏通り…

アンジェ「ご苦労様」

車引き「はいよ、それじゃあ…」

アンジェ「…これだけあれば足止めには充分ね」


…貧民街で一シリングも払わずに雇った車引きに運ばせた二台の荷車が到着すると、きちんと積み荷を確認したアンジェ……回りくどいが足取りを残さないよう、幾人かのカットアウトや協力者を通じて手配したのは山積みになったレンガひと山で、一旦崩れれば路上からどかすにしても乗り越えるにしても厄介なことになる…ついでに中身が噴き出すと濃い煙が立ちこめるシロモノである蓄圧缶数本を隙間にねじ込む…


アンジェ「それからこっちは…」

…もう一台の荷車には引っ越し荷物のような木箱がいくつか載せてあるが、その中の「服」と書いてある箱の蓋を開けて数枚の衣服をのけると、その下に数個の爆弾と散弾銃、それにウェブリーやトランターなど、メーカーも口径も雑多なリボルバーが八挺ほど詰め込んであった…

アンジェ「……結構、注文通りね」

アンジェ「これなら、後はドロシーに任せればいい……」なんの特徴もないモスグリーンのスカートと白いブラウス、グレイのショール、それにボンネットをかぶり買い物カゴを持った平凡な買い出しスタイルで、急ぐでもなく静かに歩み去った……

…数十分後・とある下宿の二階…

構成員A「なぁ…一つ気になってたんだが」

ドロシー「何が?」

構成員A「この狙撃のことさ……そのライフルなら射程四百ヤードは堅いはずだろう、何も八十ヤードまで待たなくてもいいんじゃないのか」

ドロシー「そりゃあエンフィールド・ライフルほどじゃないにしても、ルベル(レベル)・ライフルなら数百ヤードくらい充分届くさ……ただ、届くって言うのと「当たる」っていうのは全く別の話だからな。それだけの距離を飛んだら威力は落ちるし、ルベルの弾は先端が平べったいから、飛んでいるうちに左右たっぷり数ヤードはずれちまう」

構成員A「…しかし八十ヤードって言ったら目と鼻の先だろ」

ドロシー「本当にそう思うか? 例えば通りの向こうにある店の入口…小指の先くらいに見える緑のドア…あそこに見物人が立ってるよな、茶色の山高帽をかぶった……あの男までどのくらいあると思う?」

構成員A「あいつか?たっぷり二百ヤードはあるんじゃないのか」

ドロシー「残念でした……あれで百ヤードさ」

構成員A「本当か?」

ドロシー「ああ…実際にこの脚で歩測したから間違いない。だから八十ヤードの距離でもかなりの博打を打つことになるんだ……それにここから馬車を狙うとなると少なくとも十五度は射角がある…おまけに相手は動く目標と来るんだからな」

構成員A「なら逆にもっと引き寄せちゃどうなんだ?」

ドロシー「そうすりゃ今度は逃げる余裕がなくなる……あくまでもこの一発は合図みたいなもんだからな。もし外してもオニールが上手くやってくれるさ」

構成員A「確かにそうかもしれないが…」

ドロシー「おい、そうやって考えてたらキリがないぞ……あたしはこの一発で「チェックメイト」を打てるようにお膳立てを整えたんだ。そりゃあ上手くいくかどうか心配なのは分かるが、いまさらああだこうだ言ったって仕方ないだろう」

構成員A「いや、何もおれは…」

ドロシー「分かってるよ、緊張しているのはあたしも同じだ……特にこの一発に賭けるとなりゃあな。しかし舞台は整っちまってるし、役者も幕が上がるのを待ってる……今さら筋書きを変えるわけにはいかないのさ」

構成員A「……そうだな」

ドロシー「さぁ、馬車が来るぞ…その望遠鏡でもって観測してくれ」

構成員A「分かったよ」

ドロシー「窓は開けて、カーテンは軽く下ろしてくれ……たとえ窓から突き出してなくても、室内に差し込んできた陽光に銃身が反射したら護衛に気づかれるし、それに狙うとき目がくらむからな」

構成員A「ああ」

ドロシー「……さて、と」ルベル・ライフルに弾を込め、四発ほど装填すると窓辺に寄せた小机に横たわらせた…小机には椅子から持ってきたクッションが乗せてあり、銃がガタつかないようになっている…

構成員A「どうして全弾込めないんだ?」

ドロシー「込めたって撃つ余裕がないからさ……それよりカーテンをもうちょい引いてくれ。これじゃあスコープに光が入って、眩しくって仕方ない」

構成員A「…これでいいか?」

ドロシー「ああ、良くなったよ……ふぅ…」抱き寄せるようにライフルを構え、肩の力を抜くように息を吐くと「キシンッ…!」と、槓桿(ボルト)を動かした……

構成員A「…後は待つだけか」

ドロシー「そうさ……」



515 ◆b0M46H9tf98h2021/02/26(金) 02:07:48.65JQTaCDNs0 (1/1)

…裏通り…

王国陸軍歩兵「よし、止まれ!…合い言葉を言え!」

…紅い上着に白いベルト、そして肩に掛けたスリング(背負い革)でエンフィールド・ライフルを吊って行進してきた半個分隊規模の歩兵……というのは真っ赤な嘘で、実際はオニールたち独立派の襲撃グループ……それに向かって、裏通りに立っている歩哨が誰何した…

構成員B「…」(くそっ、合い言葉だと…そんなの聞いてないぞ!?)

オニール「名誉と忠誠!」

歩哨「あの、失礼ですが……少尉どの、合い言葉が違います」

オニール「馬鹿な。こっちはこの合い言葉だと聞いているぞ……それより君はここでなにをしている?」

歩哨「はっ、ビクスビー伍長から「不審者を通さないよう見張れ」と命令を受けております!」

オニール「そうか…だが今から交代で、君らは休憩に入れ……次の交代時間までに戻ればよろしい」

歩哨「しかし伍長は……」

オニール「伍長は手はずに変更があったことをまだ聞いていないのだ……それとも何か、伍長の命令は本官の命令よりも優先されるのか?」

歩哨「い、いえ!そんなことは……」

オニール「なら問題はないだろう…ご苦労だった」

歩哨「はっ!」いかにも上流階級の士官らしいオニールの態度に接し、思わず敬礼する…

オニール「結構……さぁ、行け…!」歩哨が狐につままれたような表情を浮かべながら立ち去る間に、さっと警戒区画の中へと入り込んだ……

構成員C「…あったぞ、荷車だ」

オニール「よし……お前たちは銃声が響いたら荷車を押し出せ。おれたちは道に飛び出して馬車を銃撃する」

構成員D「分かった…」

…一方・ネストの一つ…

ごつい男「そろそろおれたちも動く頃合いだな……野郎ども、準備はいいか?」

構成員E「もちろんだ」

構成員F「いつでもいけるぜ!」

ごつい男「よし…いいか、おれたちはオニールたちが車列を取り逃がさないようにけつを押さえる役目だ。しくじるなよ?」

構成員G「任せておけよ!」

ごつい男「よし、それじゃあ行くぞ…!」

目立たない男「…」労働者風の上着の下にピストルを忍ばせ、左右をジロジロと見回しながら通りに出た独立派の構成員たち……と、さりげなくその後を尾ける一人の男…向かいの歩道にはその男の連絡役が付き、さらに十数ヤード後ろには連絡役らしいもう一人が控えている…

…少し離れた建物…

アンジェ「……引っかかったわね」そうつぶやくと懐から伝書鳩を出し、メッセージを付けて空に放した…

………

…数分後…

7「L、あなた宛に「A」からメッセージが届きました…その内容ですが「エリーはソフィーが好き」とのことです」

L「ふむ。これで少なくとも一人は情報を売っていたことが分かったな……よし、君は引き続きメッセージを受け取り「ダブル・クロス」(二重スパイ)の洗い出しを続けろ。せっかくの機会だからな」

7「はい」

…アイルランド独立派による女王襲撃に合わせて動きを見せるはずの王国防諜部やノルマンディ公配下のエージェントたち……そうした「敵方」に情報を流すべく共和国に潜り込んでいる王国側のダブル・クロスやモール(もぐら)を探り出すべく、コントロールは「クサい」とにらんだ数人にそれぞれ別の情報を「餌」としてわざと漏らしていた…

L「さて、後はこのまま上手く運んでくれれば結構だがな……」

………




516 ◆b0M46H9tf98h2021/03/02(火) 01:40:46.23ek4xApun0 (1/2)

…数十分後…

構成員A「おい、来たぞ…!」

ドロシー「見えてる……護衛車は前後に一台づつ、それと左右に騎馬の近衛擲弾兵か……」

…歩道には女王やロイヤルファミリー(王族)を一目見ようとする市民たちで黒山の人だかりが出来ていて、車道にはみ出さないように制する警官や兵士たちも四苦八苦している…そしてカーテンを引いた室内からライフルを構えその様子をスコープ越しに眺めているドロシーと、伸縮式の望遠鏡で状況を観察している構成員…

構成員A「おい、そろそろぶっ放してもいいんじゃないのか…!?」

ドロシー「いや、もっと引き寄せないと……この位置じゃ御者の頭が邪魔だ」

構成員A「…もう八十ヤードは切ってるぞ!」

ドロシー「まだだ……」

構成員A「何やってる、早く撃てっ…!」

ドロシー「まだだ! そのまま、そのまま……」

ドロシー「…プリンセス……」スコープに映る女王の隣には手を振り、市民に向けてにこやかな笑顔を浮かべているプリンセスの姿が見える…


…深く息を吸うと軽く吐き、そのままふっと呼吸を止める……すると窓辺に寄せた小机とクッションで支えているライフルのわずかな揺れがピタリと止まり、スコープもどきの小型望遠鏡の対物レンズに描いてある十字線の中心に女王の顔が大きく映る……そこからほんの数インチだけ照準をずらして、ゆっくり引き金を引き絞る…


ドロシー「…」引き金を引いた瞬間、室内に「ダァァ…ンッ!」と銃声がとどろき、硝煙の臭いが立ちこめた……

ドロシー「……くっ、外した!」

構成員A「もう一発だ、撃て!」

ドロシー「だめだ、まごまごしていたらあっという間に包囲されるぞ!」

構成員A「構うもんか!ここで女王をやらないでおめおめと帰れるわけないだろう!」

ドロシー「いいから引け、どのみちもう護衛が盾についてる!」

構成員A「えぇい、貸せっ…おれがやる!」

構成員A「…このっ!」ドロシーのライフルを奪い取ると頬を銃床にあて、片目を細めてスコープをのぞき込む…

ドロシー「…」一瞬唇をかみしめたが、思い直したように上着の懐からウェブリーを抜き、女王へ照準を合わせようとしている相手の後頭部に弾を撃ち込んだ…

ドロシー「……悪いな」崩れ落ちた相手からライフルを取り上げると、もう一度馬車の方に銃口を向けた…

…裏路地…

構成員B「始まった!」

オニール「よし…アイルランドよ永遠なれ!」

構成員C「やっちまえ!」数人が荷車を押し出し、残りは積み荷に紛れ込ませてあった銃を取り出しながら車道に飛び出す…

…車列…

警護官「銃声…っ!?」良く晴れたロンドンの空に乾いた銃声が「タァァ…ン…!」と余韻を残して響きわたった……それと同時に脇道から車列の前に荷車が飛び出し、横転すると同時に積み荷のレンガをぶちまけた…

警護官B「…くそっ!前を塞がれたっ!」

警護官「全員応戦しろ!お召し馬車を転回させる間、何としても陛下をお守りするんだ!」

警護官C「はい!」

警護官「ベーカー、車を回せ!後衛を前に立て、我々がしんがりにつく!」

運転手「了解!」


517 ◆b0M46H9tf98h2021/03/02(火) 02:55:09.46ek4xApun0 (2/2)

近衛擲弾兵小隊長「……第一小隊!左翼の敵を迎え撃て!」

擲弾兵A「くそっ、どいつが敵だ…!?」逃げ惑う群衆と、そのあおりを受けていななき跳ねまわる軍馬、そして防衛体勢を取ろうとあちこちに駆け出す赤服の近衛擲弾兵と黒い制服の警官たち…

擲弾兵B「隊長!右翼からも銃撃です!」

小隊長「何、挟み撃ちか!?」

…前衛の護衛車…

警護官C「くそ、後方も塞がれた…それに煙も!」

警護官「ええい……車を馬車に横着けしろ!陛下をお乗せして突破を図る!」襲撃してきた側の反対側にあるドアを開けて車外に張り出しているサイドステップに足を乗せるとしゃがみ込み、片手で車体を掴み、エンジンフード上に載せたもう片方の腕を伸ばして射撃した…

運転手「はっ!」

構成員D「…かかれ!逃がすな!」

警護官「陛下!プリンセス!…ここは私たちがお守りいたします、伏せていて下さい!」警護官はそれぞれ三インチ銃身のウェブリー・スコットや、それよりもっと銃身の短い「ブルドッグ」ピストルを抜き、また一人の女性警護官は女王とプリンセスの上に身体をかぶせ、文字通り「生きる盾」の体勢をとった…

プリンセス「ええ…!」

構成員E「食らえ!」護衛車から応射してくる警護官に向けて、散弾銃を叩き込む…

警護官D「ぐあっ…!」

警護官E「スコット、場所を代われ!」

警護官F「はい!」

プリンセス「……お祖母様、私がついておりますわ」

女王「ありがとう、余は大丈夫ですよ。撃ち合いは警護の者たちに任せて、わたくしたちは邪魔にならないよう姿勢を低くしておきましょう」寄る年波で脚の自由が利かないとはいえ、さすがにアルビオンを治めてきた女王だけあって、襲撃を受けていながら動揺の色は見せない…

プリンセス「はい」

………



ドロシー「…ちっ、予想以上にうまく行き過ぎちまったな……だがそれじゃあ困るんだ」


…独立派から疑いの目をもたれないよう、しっかりとプランを練ったドロシーとアンジェ…とはいうものの、そもそもの目的から言ってどこかでアイルランド人たちが短気を起こして早まった事をするか、さもなければ何か間違ったことをしでかすことで失敗に終わる予定だった襲撃計画…が、統率力に優れたオニールに率いられた独立派は思っていたほどミスをせず、女王とプリンセスが乗った馬車に迫りつつある…


ドロシー「ふぅ……こうなったら仕方ないか」ボルトを引くと、もう一度ライフルを構え直す……取り付けていた小型望遠鏡は発砲の衝撃に耐えきれずレンズの接合部がガタガタになっていたので、ライフル自体に作り付けてある照準器を使って、目視照準で狙いを付けた…

構成員C「…うぐっ!」

構成員D「がはっ…!」

オニール「くそっ……あと一息って所で!」

構成員E「オニール!こうなったらイチかバチかで突っ込むぞ!」

オニール「よせ!」

構成員E「この…っ!」馬車の扉に手がかかる所まで駆け寄ったが、至近距離から警護官の銃撃を浴びてもんどり打った…

オニール「畜生……引けっ!」

構成員B「…くそぉ!」

…馬車に向けて最後の銃撃を浴びせると、もうもうと白煙を上げている蓄圧缶の煙を煙幕にしてバラバラな方向に走り去った…

警護官C「あっ…襲撃者は逃亡した模様です!」

警護官「よし、このまま陛下、プリンセスをお守りし宮殿に戻る!近衛の連中には馬車を囲ませろ!」

警護官C「はっ!」

プリンセス「……どうやら無事で済んだようですね…警護の皆さんは大丈夫ですか?」

女性警護官「はっきりしたことは分かりませんが、少なくとも数人は撃たれたようです…それと、まだ頭は上げないで下さい」

プリンセス「そう……」プリンセスは警護官に負傷者が出たと聞いて悲しそうな声を出し、表情を曇らせた…

女性警護官「お心遣いに感謝いたします。ですが、それがわたくしどもの任務ですから……」

プリンセス「ええ、ありがとう」

………




518 ◆b0M46H9tf98h2021/03/06(土) 01:29:41.15p8hLcXu/0 (1/1)

…数時間後・集合地点…

オニール「……無事だったのはお前たちだけか」

構成員B「どうやらそうみたいだ」

構成員H「…ってことは、オハラたちは全滅か……くそっ」

構成員I「畜生…」

…三々五々と集合地点の下宿に集まり、椅子ときしむベッドに座り込んでいる独立派たち……だが、アイルランドを出たときに比べると構成員は数人まで減っている…

構成員B「しかしオニール、あんたが無事だっただけでもめっけものだ…」

構成員H「そうだな……あんたの頭脳と腕っ節があれば、また再起を図ることだって出来るってもんだ」

オニール「…すまんな」

…少し離れた屋根裏部屋…

ドロシー「……尾行はないな。てっきりスペシャル・ブランチが金魚のフンみたいにくっついてくるかと思ったんだが」

アンジェ「…もしかしたら泳がせているのかもしれないわ」

ドロシー「それならあのネストにだって監視がつくはずだ…見失ったのか、それともこれから監視の網をじわじわと締め上げていくつもりなのか……」

アンジェ「スコットランド・ヤードの刑事たちなら前者、防諜部やノルマンディ公が相手なら確実に後者ね」

ドロシー「だな。ま、とにかく幕が下りるまでは「続きを演じる」しかないか……行こう」

アンジェ「ええ」

…数分後…

構成員I「誰だ?」

ドロシー「私さ…「シャムロックで一杯飲んだ」じゃないか、声まで忘れちまったか?」ノックすると緊張したような声が帰ってきたので、ドア越しに合い言葉を告げるドロシー……

構成員B「…あんたたちか」

ドロシー「ああ……」部屋に入るとドアを閉め「これだけか?」と尋ねるように室内を見渡したドロシー…

オニール「馬車を襲撃した面子で戻ってきたのおれたちだけだ……ミス・ブーケ。オハラたちはどうなった?」

アンジェ「…襲撃の直前にスペシャル・ブランチの「手入れ」があって逮捕された……私だけは逃げ延びたけれど」

オニール「そうか……ところでミス・マクニール。オブライエンはどうした?」

ドロシー「…まだ戻ってきていないのか?」

オニール「ああ…まだだ」

ドロシー「そいつは…狙撃した後は「裏口から出て、逃げ惑っている市民に紛れて抜け出す」って手はずになっていたんだが……」

構成員H「オブライエンもか……畜生」

オニール「仕方ない、おれたちはやれるだけやったんだ……ところで、この後はどうやって逃げ出す。例のカレーに向かう漁船に乗り込むのか」

(※パ・ド・カレー…ドーヴァー海峡で最も近いフランス側の港)

アンジェ「いいえ、あれは偽装です」

構成員B「偽装だって?」

アンジェ「はい。事前に話した計画では「ドーヴァーの港から協力者の用意した漁船に乗って海峡の中ほどでフランスの漁船と落ち合い、大陸側に渡り、そこで別の身分を整えアイルランドに戻る」という話でした」

ドロシー「だが、そんなのは「イカサマカードを袖口に隠す」くらいよく知られた手段だから、公安が手ぐすね引いて待っているに決まってる……あれは事前に誰かが捕まって情報を吐かされたときのための作り話さ」

構成員I「じゃあ本当はどうするんだ」

ドロシー「そいつは簡単さ……リヴァプールまで汽車でゴトゴト揺られていって、あとは船でベルファストだ」

構成員B「なに!? 冗談じゃねえ!スペシャル・ブランチが鵜の目鷹の目で探しているって言うのに、のんきに汽車で帰るっていうのか!?」

構成員H「自殺するにしたってもう少しマシなやり方ってものがあらあ!」

ドロシー「あのな……あたしもフラソワーズも、別にただ「乗っていこう」って言ってるんじゃないんだぜ?」

アンジェ「ええ、そうです。詳しく聞けば納得いただけるかと」

構成員たち「「…」」

オニール「分かった……聞こう」


519 ◆b0M46H9tf98h2021/03/12(金) 01:26:47.61W0ymIRCO0 (1/1)

ドロシー「よし、それじゃあ詳細を話そう…」

ドロシー「……まずロンドンからは今日のうちに出る。スペシャル・ブランチも防諜部も、あんたらがアジトで一日や二日様子を見て、それから脱出を図ると考えている……となるとロンドン中が徹底的に捜索されるだろうし、そうなれば隠れようもない。そこでこっちはこれから一時間もしないうちに出発して、その裏をかいてやろうって寸法だ」

オニール「それはいいが、こっちの大まかな人相や風体はもう手配されているはずだ…汽車じゃ逃げ場所もないが、どうやって切り抜ける?」

ドロシー「なに、そこはフランソワーズと「愉快なお友達」が頭をひねってくれたよ……それがこれだ」そう言うと片隅に置いてあった大きな麻袋を開けて、ごちゃごちゃと入っていた雑多な中身を取り出した……

オニール「こいつは?」小さい香水瓶か薬瓶のようなものを指差した…

ドロシー「これか。これは目薬だがハーブから抽出した色素が入っていてな、数滴ばかり目に指せば一日は青緑色に染まるっていうシロモノでね……ケイバーライト鉱中毒に見えるってわけだ」

オニール「なるほど…」

ドロシー「あんたは怪我をしたってことで、顔を包帯でぐるぐる巻きにさせてもらう」

構成員B「分かった」

ドロシー「それからお前さんは脚を折り曲げて足裏を膝の後ろ側に付け、そこに添え木を当てる。その上で包帯や石膏で固定すれば、膝から先が切断されたように見えるだろう……」

構成員I「なるほど」

ドロシー「最後にあんたはアイリッシュ訛りがきつくて公安の連中に気づかれるかもしれないから、汽車に乗せるときは睡眠薬でぐっすりお休みしてもらう。そうすりゃ受け答えもしなくてすむもんな」

構成員H「おう」

オニール「おれたちの偽装は分かった…それで、あんたたちはどうする気だ?」

ドロシー「ああ、そいつはな……」

…数時間後・キングズ・クロス駅…

検札係「失礼ですが、切符を拝見させて下さい。シスター」

警官「…」

ドロシー「ええ」修道女がまとう紺と白の僧服に敬虔な態度…と、いかにもシスターらしい様子のドロシーとアンジェ、そしてどこからどう見てもけが人に見えるオニールたちに、アルビオン国鉄の検札係も、その横で改札を見張っているロンドン警視庁の警官もすっかりだまされている……

検札係「結構です……ところで、あのけが人たちは?」

ドロシー「はい。彼らはいずれも作業中に怪我をした労働者たちで、今回わたくしどもの教会で寄付を募り、故郷まで送り届けることになったのですわ」

検札係「なるほど…で、切符は?」

アンジェ「私が持っております…どうぞ」

検札係「確かに…」検札係は切符にはさみを入れると改札を通した。一方ドロシーとアンジェは数人のポーター(荷運び)を雇い、二等客車まで担架を運んだ……と、ドロシーは駅舎の柱に貼り付けてある刷ったばかりの号外に目を留めた…

号外「その差はわずか一インチ!女王陛下を狙った凶弾! 犯行は共和国によるものか!?」

ドロシー「……ふっ」

発車係「発車します!」ピーッと甲高い笛を吹くと、白い水蒸気と石炭の黒い煙を吐きながら、ゆっくりとホームを離れていった……

…十数秒後…

防諜部エージェント「……急げ!」

警官「おいっ、止まれ!」

防諜部女性エージェント「防諜部!」手帳を出すと警官の顔面に突きつけた

警官「し、失礼しました…」

防諜部員「おいっ、ここにこんな連中が来なかったか?」オニールたちの似顔絵を見せる…

検札係「いえ、特には……」

女性エージェント「必ずしもこの見た目通りではないかもしれません…とにかく、六人前後で乗車した者たちは?」

検札係「えぇと…パディントン行きの普通列車に乗った行商人たちと、それからカンタベリー行きの急行に乗る旅行者……あ、あとはバーミンガム経由チェスター行きに乗ったシスター二人と怪我人が四人……」

防諜部員「怪我人…!?」

検札係「え、ええ…なんでも怪我をした労働者を故郷まで送り届ける慈善事業とか何とか…そろそろ出発しますが、あの列車の二等車に……」

防諜部員「あれか…急げ!」

防諜部女性「はっ!」改札の柵を飛び越えるとホームを走り、蒸気を上げて発車し始めた列車に飛びついた…

………




520 ◆b0M46H9tf98h2021/03/20(土) 02:56:43.97Zb/gq4i+0 (1/1)

…さらに数分後…

身なりのいい紳士「君、ちょっといいかね?」

検札係「はい。何でしょうか」

紳士「……我々はこういう者なのだが」背広の内ポケットから二つ折りの身分証を取り出し、そっと見せた…

検札係「公安部…!」

紳士(公安部エージェント)「そうだ…この数十分以内に四人連れか、それ以上の団体を相手に切符を切ったか?」

検札係「ええ、それなら先ほども防諜部の方が来て聞かれました……」それから二人のエージェントが発車直後の急行列車に飛び乗った事を伝えた…

公安部エージェント「なるほど…結構だ」

検札係「は、はぁ……」

…駅前…

公安部員「……防諜部の奴ら、向こうの思い通りに踊らされているな」

公安部女性エージェント「そうですね」

公安部員「よし、お前は本部に連絡を入れろ「スープ鍋は火にかかっている」とな」

公安エージェントB「はっ」

公安部員「我々は本命の列車を追う。今から車を飛ばせば地図のこの辺りで追いつけるはずだ…飛ばすぞ!」一人を連絡のために残し、残り三人は公安部がよく使う黒いロールスロイス(RR)に乗り込んだ…

公安部エージェントC「了解」

…しばらくして・列車内…

構成員I「…それにしても、どうしてあのチェスター行きの列車に乗らなかったんだ?」

ドロシー「そいつは簡単だ…あまりにも見え透いているからさ」

…一旦は急行列車に乗り込んだもののすぐに反対側の扉を開け、機関車の蒸気や煙に紛れて隣の線路に停車していた貨物列車へと乗り移ったドロシーたち……構成員たちは様々な木箱や袋を積んでいる有蓋貨車の中から麻袋をかき集め、少しでも居心地がいいよう木箱の上に敷いて座席のようなものを作っている…

構成員B「でも、ネストを出るまでは「すぐにロンドンを出てライミー共の裏をかく」って言ってなかったか?」

ドロシー「そりゃあな…だが、女王に手を出したとなれば出てくる相手は内務卿(ノルマンディ公)直轄の公安部だ」

構成員H「公安部だって…!?」

ドロシー「そうさ。連中の切れ者ぶりはスコットランド・ヤードの刑事たちや防諜部よりもさらに一枚上手だ。おそらく通り一遍な「裏をかく」ための手はずも見抜いているはずさ……それでいくと、あの列車じゃあ分かりやすすぎる」

オニール「…どういう意味だ?」

ドロシー「簡単さ……今どきアルビオン女王を狙おうなんて奴らはアイルランドの独立派くらいしかいない。となれば連中は「暗殺に失敗した以上、あいつらは取る物もとりあえずアイルランドに戻ろうとするだろう」と考える」

構成員I「おい、連中の考えじゃあ「ほとぼりが冷めるまでロンドンで待つ」んじゃなかったのか?」

ドロシー「確かにスコットランド・ヤードのスペシャル・ブランチならそう考えるかもしれない。だが公安部や防諜部が出てきた以上「ロンドンで息を潜めている」パターンと「尻尾を巻いて逃げ出す」パターンの両方を念頭に置いて考えるだろう…後は時刻表を見て一番早いリヴァプール行きか、その近くまで行く列車を探せばいいだけだ」

構成員B「それでこんな貨物列車に乗りうつったのか」

ドロシー「そうさ。貨物列車は普通の時刻表には掲載されていないからな…上手くいけば気づかれずにリヴァプールまで行けるだろう」

構成員B「なるほどなぁ…」

ドロシー「…それと車内サービスは受けられない分、駅でサンドウィッチを買っておいたからな。欲しいようなら取ってくれ……相変わらず古い辞書みたいにパサパサなアルビオン国鉄のハムサンドウィッチだがね」

構成員H「なぁ、食い物より酒はないか?」

ドロシー「一応ウィスキーの瓶は持ってきたが…あんまり飲み過ぎるなよ?」そう言いながらもアイリッシュ・ウィスキーの瓶を手渡した…

オニール「その通りだ。故郷の土を踏むまでは気を抜くな」

構成員H「分かってるよ、オニール。口の中がほこりっぽいから流すだけさ」

オニール「ならいいが…酔うと人間はドジを踏むからな」

ドロシー「ああ、その通り」



521 ◆b0M46H9tf98h2021/03/22(月) 03:18:27.887GBLMcGl0 (1/1)

オニール「……ちなみにこの貨物列車は何時ごろ終点につくんだ?」

アンジェ「予定では午後の三時頃にリヴァプールに着きます。ですが終点まで乗っていくのは危険ですから、蒸気機関車が途中の給水所で停車したところで降ります…どのみち駅では警戒されているでしょうから、改札を通るわけにはいきません」

ドロシー「それに「怪我をしたが故郷に戻るだけの旅費がない」出稼ぎの連中とか「より割のいい口を探して回る」炭鉱夫なんかはよく無賃乗車するからな…鉄道職員や警官でもなければ駅以外の場所…しかも貨物列車から人が降りてきても、そこまで注意をむけることはないはずだ」

オニール「そうだな」

…数十分後…

構成員H「…ぐぅ……」

構成員I「……ふわぁ…あ」

オニール「…」

ドロシー「…あんたも少し眠ったらどうだ?」

オニール「いや…もう三十分くらいしたら誰かと交代するが、それまでは起きているつもりだ」

ドロシー「そうかい……」ぽつりぽつりと交わす会話に交じって、レールを刻む単調な音と汽車の汽笛だけが響くなか、不意にアンジェが身体を起こした…

ドロシー「……どうした?」

アンジェ「横の道路…どうやら追っ手のようね」

…そういったときにはすでに黒塗りのRR「フェートン」タイプ二台が貨物列車と併走していて、王国のエージェントが四人乗りオープンスタイルの「フェートン」から身を乗り出し、ドロシーたちの乗っている貨車の数両後ろに乗り込んできた…

オニール「何っ…!?」さっと懐からピストルを抜き、構成員たちをたたき起こす…

構成員B「くそ!ライミーどもか!」

構成員H「撃ち返せっ!」

構成員I「こん畜生っ!構うことはねえ、やっちまえ!」併走している側の扉を開け放つと、腕を突き出してRRに銃弾を撃ち込む独立派たち…

公安部エージェント「行けっ、早く乗り移れ!」

公安部エージェントB「援護します…!」

…時速二十マイルは出ている貨物列車に飛び移ると、積み荷の木箱を挟んで独立派と撃ち合うノルマンディ公直属のエージェントたち……もちろん独立派の構成員たちも必死に撃ち返すが、熟練のエージェントと血気盛んなだけのアイルランド人たちでは腕が違う……ものの数十秒もしないうちに二人が倒れ、腕を撃ち抜かれた一人は銃を左手に持ち替え、必死に応戦している…

ドロシー「ちっ…!」

…シスターのまとう僧服の下に腹巻きのような布を巻いて銃と弾を忍ばせてきていたドロシーは、ウェブリー・リボルバーを抜くと正確な射撃で銃弾を撃ち込んだ…しかし揺れる貨物列車の中、おまけに相手は玄人ということもあってうまく遮蔽物に隠れており、なかなか命中弾が得られない…

ドロシー「くそ、時間を稼がれたら向こうの勝ちだぞ!」

構成員B「ならおれが…!」

オニール「飛び出すなっ、頭を吹っ飛ばされる!」

アンジェ「…ドロシー、このままじゃあ埒があかないわ」ふと耳元に顔を近づけてささやいた…

ドロシー「……やってくれるか?」

アンジェ「ええ…」

ドロシー「よし、頼んだ……!」アンジェの動きを相手に気取られないよう勢いよく銃弾を撃ち込んで、公安部エージェントに頭を上げさせないドロシー…

アンジェ「…」

…さっと半開きにした側面の扉から車外に出て、後ろに回り込もうとするアンジェ…さいわい木造車体の貨車は隙間が多く、板の間に指をかけると蟹のような横歩きで貨車の後ろに向かった…

公安部エージェント「いいか!奴らを逃がさなければいい!」木箱の横から少しだけ身体を出し、牽制するようにモーゼル・ピストルを撃ち込むエージェント…

アンジェ「…っ!」車体の後部に回り込むと片手で貨車についている手すりをつかみ、公安部エージェントの後ろから板越しに「パン、パンッ…パ、パンッ!」と手早く二発ずつウェブリー・フォスベリーを撃ち込む…車体に穴が開き、木片が車内に飛び散るのと同時に、公安部エージェントがもんどり打って倒れる…

公安部エージェントB「ぐう…っ!?」

公安部エージェントC「がはっ…!」

公安部エージェント「…っ!」

ドロシー「…!」アンジェの方に振り向こうとエージェントの姿勢が上がったその隙を逃さず、背中から二発撃ち込んだ…

公安部エージェント「…うっ……」ゴトリとモーゼルを取り落とすと、ばったりと倒れた…

ドロシー「ふぅぅ…」


522 ◆b0M46H9tf98h2021/03/29(月) 03:44:52.6956RviVss0 (1/2)

アンジェ「…戻ったわ」

ドロシー「さすがだな。ほら…」貨車に戻ろうとするアンジェに手を差し伸べて迎え入れる…

アンジェ「ありがとう」

ドロシー「気にするなよ……オニール、容態はどうだ?」振り向いて貨車の中を眺め、それから倒れている構成員たちの手当をしているオニールに声をかけた…

オニール「…いや、だめだ」貨車の床には血だまりができていて、その中に二人の構成員が倒れている…もう一人は木箱にもたれて座っているが顔面蒼白で、撃ち尽くしたピストルがだらりと垂れた手から足元に転がり落ちていた…

ドロシー「そうか……」

アンジェ「……仕方ありません、とにかくリヴァプール近郊まで来たらこの列車を降りましょう」

オニール「そうだな」

ドロシー「悪いな、本当ならちゃんと葬ってやらなきゃいけないんだろうが……貨車から降ろす暇はないからな」

オニール「分かっている…奴らだって覚悟はしていたさ」

ドロシー「だな……って、お前さんも撃たれてるじゃないか」

オニール「あぁ、どうも一発浴びたようだな…」よく見ると脇腹に血の染みができていて、それがじわじわと広がっている…

ドロシー「……ちょっと見せてみろ」

オニール「すまんな、レディにこんなことをさせて…」

ドロシー「なぁに、構うもんか。これだけピストルを振り回しておきながら、今さらお上品ぶったって仕方ないだろう……」

アンジェ「……どう?」

ドロシー「お世辞にもいいとは言えないな…とにかく布をきつく巻いて止血するしかないだろう」上着とシャツを脱がせると、アンジェに適当な布きれを持ってきてもらい、それをウィスキーで消毒してから巻き付けた…

オニール「……ぐっ!」

ドロシー「ちょっと痛むかもしれないが我慢してくれ」

オニール「ああ…ご婦人方が付けるコルセットの辛さがよく分かるな」

ドロシー「だろ? さて、止血の方はこれでよし、と……飲みなよ」血まみれになった手をウィスキーで洗うと、オニールに瓶を渡した…

オニール「もらおう」痛みに顔をしかめながらウィスキーを流し込んだ…

ドロシー「痛み止めにもなるし、全部飲んじまっていいよ…あとはリヴァプールで手はずしてある船に乗り込んで、こっちにおさらばすればいいだけだ」

オニール「ああ…」

…数時間後…

ドロシー「よし、そろそろ給水所に着くはずだ…歩けるか、オニール?」

オニール「どうにかな」

ドロシー「よし……おっ、見えてきた」ドロシーたちの乗る貨車から十数両先を行く機関車の汽笛がなり、徐々に速度が落ちてきた…

アンジェ「それじゃあ行きましょう…」汽車がブレーキをかけて停止する寸前で、ドロシーたちは線路脇の草原に飛び降りた…

オニール「うっ…!」

ドロシー「痛むか……支えるよ」

オニール「頼む…」

…線路から離れるように半マイルほど歩くと、不意に広々とした草原が開けた……岩がちな地面には青々とした草が伸び、小さな花もいくらか咲いている……オニールの腕を肩に回して歩いてきた二人は、ちょうどいい岩を見つけると彼を座らせた…

アンジェ「……ドロシー」オニールが目をつぶると耳元にささやいた…

ドロシー「なんだ?」

アンジェ「…言われなくても分かっているはずよ」

ドロシー「ああ、そうだな……」あきらめたような口調でそう言うと、ウェブリーを抜いてオニールに向けた…


523 ◆b0M46H9tf98h2021/03/29(月) 04:38:16.5056RviVss0 (2/2)

オニール「……おおかたそんなことだろうと思っていた」

…ドロシーがピストルを向けて引金を引こうとすると、オニールが薄目を開けてつぶやくように言った…

ドロシー「オニール…起きてたのか」

オニール「まあな」

ドロシー「そうか……いつから私たちがエージェントだと気がついていた?」

オニール「アイルランドで段取りを整えている辺りからだ…普通のレディにしては手回しが良すぎるし、防諜関係の事情に詳しすぎたからな……どこかの「植え込み」だろうとは薄々思っていた」

ドロシー「……ならどうしてこっちの計画に乗ったんだ?」

オニール「そりゃあ…そうでもしなければ女王を討つどころか、近づく事さえ夢物語に終わっちまうからだ」

ドロシー「…そのためだけに?」

オニール「そうだ……おれを始め、みんな「あと一歩」の所までたどり着くことができたんだから本望だろう」

ドロシー「…」

オニール「ところで…お前たちはどうしておれたちの計画を手伝っておきながら、今度はそれを阻止するような事を……?」

ドロシー「そいつは…」

アンジェ「…その方が都合が良かったから。このタイミングで女王が暗殺されるような事があると、いろいろと不都合が生じる事になる……従ってあなたたちには退場してもらう必要があった」

オニール「それだけか…?」

アンジェ「いいえ…それと同時にあなた方という「小石」を池に投じることで生じる「波紋」から、誰が誰のために動いているのか把握することができるから」

オニール「なるほどな……しかし、フランス人にしちゃ英語が上手いな」

アンジェ「フランス人じゃないわ…「黒蜥蜴星」から来た黒蜥蜴星人よ」

オニール「ふっ、そいつは……それじゃあお前さんはどこ星人なんだ「ミス・マクニール」?」

ドロシー「私か……」一瞬ためらうような表情を浮かべると、意を決したように言った…

ドロシー「私はあんたと同じアイルランド系さ…本名はマクビーン」

オニール「そうか、ならおれたちには同じケルトの血が流れているってわけだ……どうせ始末されるにしても、ライミー共の手にかかるよりはその方がいい」

ドロシー「そうだな…」

オニール「それに、ちょうどここはアイルランドに似ているじゃないか……いい場所を選んでくれたな」

ドロシー「…ああ」

アンジェ「…」

ドロシー「オニール…」

オニール「なんだ?」

ドロシー「いつか機会が来て…「アイルランド独立」っていうあんたらの夢が叶うといいな」

オニール「そうだな。例え嘘だとしても、それが聞けて嬉しいぜ……エリン・ゴー・ブラー(アイルランドよ永遠なれ)」

ドロシー「エリン・ゴー・ブラー…」額に向けて引金をしぼった…

アンジェ「……さぁ、銃声を聞きつけて誰かが来る前にここを離れましょう」

ドロシー「ああ…だが、ちょっと待ってくれ」そう言うと小銭入れを取り出し、オニールの目を閉じてやってからまぶたの上に金貨を載せた…

アンジェ「…」

ドロシー「アイルランドの古いしきたりなんだ…あの世へ渡るための運賃を死者のまぶたに載せるっていう、な」

アンジェ「いわゆる「冥銭」ね……話に聞いたことはあるわ」

ドロシー「見るのは初めてか? さ、行こう……」

………