1 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:00:35BwPhFJD2 (1/62)

下半身のない女の子が腕だけで動き回る音から「てけてけ」と呼ばれる妖怪──話を聞いたり自身を目撃した人の元へ3日以内に現れ足を奪うという噂。対処法は一切なく「バナナを枕元に置く」「噂を誰かに話す」等は全くの無意味。

真冬の北海道で電車に跳ねられ上半身と下半身が切断された女子高生が気温故に血管が一瞬で凍結し即死出来ない状態で必死に駅員へ「助けて.......」と救いを求めたことが噂の始まりと言われ、話によっては上半身のままどこかへ逃げたとも。

口裂け女同様当時は世間を騒がした噂だけれど、今となってはその名を知る若者は少なくて会話に出されることは無かったはずだった──。

「ひ、久しぶりだね」

真冬の沼津。
寝間着の津島善子が早朝の玄関を開けた先、下半身の無い松浦果南が足元からこちらを見上げてるのを目撃するまでは。


2 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:01:26BwPhFJD2 (2/62)

「..............?」

浦の星女学院の制服を纏い、当時のままの姿で彼女はそこにいた。下半身が無いことを除いては。外気は身震いする程なのに果南は平気なようで善子はまだ夢の中だと言い聞かせドアを閉じようとする。

「ちょっと待って!ドアまで届かないから!」

止めようとする。迫ってくる。かつての仲間の姿をした下半身の無い幽霊が。必死に肘をついて上半身を引っ張り善子の足を掴む。

「ああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

果南が覚えてる限りでも聞いたことないような悲鳴を善子は喉の奥から全力で捻り出し、パニック状態の頭で振り払おうとするけれど逃げようとする気持ちと合わさり盛大に転んでしまう。

「あちゃ~.......善子、大丈夫?なんかごめんね」

時すでに遅し。フローリングと顔面がぶつかる音を生じさせ転倒した善子はしばらく身動きをしなかったけれど、やがて独り言が漏れてくる。

「これは夢。これは夢。リアルこそ正義リアルこそ全て」

「だからさ、ほら、私はここにいるって」

開かれたままの扉から玄関へ果南はすんなりと入ると悶え苦しみながら現実の非日常を受け入れない善子の顔を覗き込む。綺麗な鼻筋が真っ赤になってるな~鼻血出てない?と思うけれど口には出さなかった。

「.......で、でも果南は.......あ、ありえないでしょ」


3 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:02:19BwPhFJD2 (3/62)

「ん~.......私もさ、よく覚えてなくて。気づいたらここにいたんだよね。ま、こんな姿なんだから自分がどうなったかは嫌でも分かるけどね」

「じゃ、じゃあ.......果南は本当に.......その.......」

側にいるのに善子は顔を逸らす。果南は辛いけれど死んだ仲間がこうして異形な姿となって目の前に現れたのだからすぐに受け入れろと言うのは無理があった。
ましてや善子は幽霊が苦手なのだ。
もちろん果南も。

「まぁ、そうなる、ね。自分がなっちゃうなんて思わなかったけど」

「でもさっき私の足掴めた」

「あれはその、ここで逃がしたら駄目だって思ったら」

「.......なんかそれっぽくない」

「はは。一応こんな姿だけどそう言って貰えるのは嬉しいなぁ」

恐る恐る善子が倒れたまま振り向く。キリッとしたツリ目が涙に震えて今にも崩れそうで台無しだったけれど、果南の生前と変わらない海のように深い瞳と重なり合えばみるみる堪えさせてきた堤防が決壊し座り直した善子は果南を抱きしめた。


4 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:03:19BwPhFJD2 (4/62)

「こんのっ!.......バカっ!!!今までどこにいたのよ!!!ほんとに.......ほんとに.......!」

ここから先は言葉にならない涙と嗚咽に阻まれ果南は抱きしめられたまま置いてきてしまった人の悲しみを受け止め続ける。きっと時間は随分経ってしまったのだろう。まだ自分のことを忘れずこうして再会を喜んでくれることが何より幸せだったから。


5 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:04:02BwPhFJD2 (5/62)

♢

「てけてけ」となり善子の前に現れた果南。
それはどういうことか泣き疲れ自室のベッドで大人しく果南と座る善子は知ることになる。

「地縛霊?」

「まぁ私が勝手に思ってるんだけどね」

ベッドに腰掛けても尚、座ってるより寝転がってる状態に近い果南とは目線の差がある。下半身が無いのだから当然といえば終わりだけれど。

「気づいた時には善子の家の前だって言ったでしょ?最初はどこか分からなくて逃げようとしたんだけど、不思議とね離れられなくて」

「それで私を待ってたのね」

「善子が出てくるなんて知らなかったけど、なんか安心したんだ。だから地縛霊に近いのかなって」

地縛霊はその土地、物、人に未練があり該当するものへ縛られる幽霊。善子はどうして果南が家に現れたのか理解したけれど、何故自分なのか確証が持てない。

「なんで私なの?」

果南には幼馴染である黒澤ダイヤ、小原鞠莉、高海千歌、渡辺曜がいる。特にダイヤと鞠莉は親友でありどちらかに会ってるのが自然だった。しかし善子は心の中で首を振る。

「さあね。もしかしたら堕天使ヨハネの儀式で召喚されちゃったのかな?」


6 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:04:44BwPhFJD2 (6/62)

ほんの冗談──場を和ませるためだったのに、善子は俯きシーツを握りしめた。ニーソには涙の粒がいくつも零れ落ち、果南は気づいてしまった。
以前は整理整頓されていた善子の部屋は儀式や魔術の本で散らかっており、どれも頁が読み漁られたようにボロボロ。

「馬鹿みたいでしょ?リアルこそ全てなんて私がよく知ってるくせに、果南がいなくなってからずっとずっと────」

震える手に果南はそっと抱きつく。体温が伝わるか不明だけれど善子が自分のためにどれだけ辛い思いをしてきたのかほんの僅かでも知って受け止めたいから。

「ありがとう.......善子」

「謝らないでよ。もうダメだって諦めてたんだから.......」

善子は堕天使ヨハネと自称するけれど誰よりもリアルと向き合い、人の痛みが分かる優しい善い子だからこそ「諦めた」ことで背負った重さはあまりにも残酷だから。

「私はまた善子に会えて嬉しいよ」

「そんなの私だって」

「ふふ。ねぇ善子、ハグ、しよ?」

生きてた頃と変わらないように果南は手を広げ、善子は抱きかかえると深いハグを交えた。今度こそ離さないように。2度と会えない人とこうして再会できたことを実感したいから。


7 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:05:24BwPhFJD2 (7/62)

いくら時間が経ったのだろうか。太陽の日差しが高く昇る頃、果南は思い出したように善子の格好を見てようやく疑問が浮かぶ。

「ところで今日は休みなの?」

日付を確認できるものは何も無く、寝間着姿の善子自身も「そうね」としか返さない。
服装から見れば休日としか思えないけれど、壁にかかった浦の星女学院の制服は埃が付着し汚れてるように見える。

「.......そっか。でも鞠莉とダイヤには会いに行けるよね」

「寒いから外出たくない」

「え、ちょっとそれ今言う?」

「だって今日の気温見たでしょ?マイナス2度よ?果南ならともかく私まで死んだらどうする?」

「いや大袈裟だって.......あれ?」

善子のことなら果南が幽霊であっても幼馴染には会わせたい、そう思うはずなのに再開してから1歩も外へ出ようとしない。


8 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:06:32BwPhFJD2 (8/62)

「ねぇ善子。親御さんは?」

「仕事よ」

「へぇ~.......仕事なんだ」

「あ.......それは、その.......」

目線が泳ぐ。果南に合わせず天井ばかりをさ迷う善子。冷や汗が喉を伝い落ち、大きく固唾を飲み込む。緊張で張り詰める空間。

「────!!!」

ベッドから飛び降り、一目散で肘を上手く使い玄関を目指す果南。善子は止めようとするけれど次第に動きは遅くなり、いくら進もうとしても先へ行けなくなりやがて「地縛霊」という言葉が脳裏をチラつく。

「ねぇ、果南」

「うるさい」

「あなた、私の地縛霊でしょ?」

「それがどうしたっていうの?鞠莉とダイヤに会いに行きたいんだけど.......あぁ.......」

自分で言っていたことを忘れる程熱くなっていた。フローリングに顔とポニーテールを項垂れ落ち込む果南。


9 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:07:06BwPhFJD2 (9/62)

「.......」

「はぁ.......今日は大人しく家にいた方がいいわよ」

「.......どうしても会わせてくれないの?」

果南が振り向く。その瞳には強い意志が込められていた。

「2人のこと心配だって善子が知らないはず無いよね?」

ワントーン、声音が下がる。絶対引き下がらない頑固さ。善子に説得など出来るはずがないのは果南が生きてる時に沢山知ったから。
ましてや幼馴染のことになれば尚更。

「分かってる。こんな姿になってどんな顔して会えばいいのかなんて。でも鞠莉とダイヤが心配なの!もし連れていくのが嫌なら教えてよ。2人のこと」

逃げられない。決して逃げてはいけない。
外気のせいなのか部屋を凍てつかせる緊張感に善子は奥歯を噛みしめた。
しかし、意外な出来事でそれは崩れ去ってしまう。
部屋に鳴り響くインターホンによって。

「後でちゃんと聞くから」

一旦追求を止めた果南は道を譲り、善子はタイミングの悪さに自身の不幸を嘆いた。
もちろん母親が帰宅したわけではなく、荷物が届いたわけでもなく──。


10 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:08:02BwPhFJD2 (10/62)

Aqoursの1人である高海千歌の来訪だったから。

「.......千歌。何度来たって変わらないわよ」

「うん。でも善子ちゃんのこと心配だったから」

コートの下に浦の星女学院の制服を身にまとってることから学校から直接家に来たようだ。今日は寒いのに、と善子は風が吹く度寒そうにする千歌を見て温かいお茶でも出したい気分に駆られる。部屋に上半身お化けがいなければ。

「いいのよ。私が勝手に逃げたから」

「.......善子ちゃん。ごめんね」

罪悪感にまみれた千歌の曜はそっと下がる。
気を使わせてる、そう善子は胸が重くなりせめて場所を変えたら話が出来るはず──そう曜に提案しようとした矢先、

「ハロー!善子っ!久しぶりねっ!」

最も今会いたくない人物がドアの影から暗い曇り空に相応しくない笑顔で現れた。


11 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:09:25BwPhFJD2 (11/62)

「なん、で.......」

目を見開く。太陽のように明るい笑顔を持った小原鞠莉は善子に近づくと、

「なんでってAqoursのメンバーとして理事長として善子が学校に来ないのが心配なの。力になれるならいくらでもなりたいから」

無意識の内に奥歯がカチカチと鳴り、本気で自分のことを親身になって助けようとする鞠莉に善子は必死にこの場を乗り切る言い訳を探そうとするけれど、

「く、くっくっ!だ、堕天使ヨハネに心配などご無用。今は翼を休める時なの」

「冗談で言ってると思う?お願いだから真剣に答えて」

もうダメだ。善子は目の前にいる鞠莉への恐怖心に飲み込まれ頬を涙の筋が零れる。火に油を注ぐと理解してるのに。

「鞠莉っ!!!」

声が聞こえたのだろう。果南が必死に鞠莉を呼びこちらへ近づいてくる音が聞こえてきてしまった。今会わせるのはまずい──善子は「だめ、だめだめ」と無意識のうちに口から発し、衝動的に果南を部屋へ連れ戻そうと身体が動き出す。


12 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:10:07BwPhFJD2 (12/62)

「っ!逃げないで!」

後ろから鞠莉が追いかけてくることなど知らず、善子は肘を使い床を這ってくる果南を抱きかかえると一目散に部屋へ戻ろうとするけれど、

「善子離して!ねぇ鞠莉、私だよ!!!」

善子の腕の中で必死に暴れ鞠莉に訴えかける果南。しかし見えていないのか自室に篭った善子へ出てくるように促すだけで「果南」の言葉は出ない。そこにいないかのように。

「.......どういうつもりなの?」

ドアが叩かれ善子の名前が呼ばれる最中、果南は腕の中から睨みつけた。怒りを必死に抑えてるのかその手は力強く握られ震えている。部屋の温度も背中に感じるドアも雑音も何もかもが底冷えする程冷たい。

「.......ごめんなさい」

「謝っても分からないよ!ちゃんと答えて!どうして鞠莉に───」

「私、本当に分からないの!だから教えてちょうだい!カナンって子のこと!」

ドアを叩き善子を呼ぶ音だけが響く。
カナンのこと教えて────カナン、果南。
他の誰でもない果南。
松浦果南は小原鞠莉の幼馴染。
自由を知らなかった彼女の手を取り世界の広さを教えたのは紛れもなく果南。


13 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:10:43BwPhFJD2 (13/62)

「ま、り.......?」

死んでも絶対に忘れないであろう人からの信じられない言葉。

「ねぇ善子。貴女に何があったかは分からないけど私達は貴女の味方よ。だからドアを開けて?善子の力になりたいの」

仲間を心配する小原鞠莉は果南の知る彼女なのに、呼吸を忘れるほど目の前の現実を受け入れたくなかった。
まるで「小原鞠莉から松浦果南が抜け落ちている」ようで。

「鞠莉ちゃん。今日はもう帰ろう.......」

「千歌っち.......そうね」

「ごめんね善子ちゃん。また今度ね」

立ち去っていく足音。ひとつ分だけ名残惜しいのかしばらく立ち止まっていたが千歌に促され善子の家から出ていった。
玄関のドアが閉まると同時に善子は膝から崩れ落ち、ショックを受け止めきれない果南に口を開く。
「ごめんなさい」と。

「鞠莉にはもう、果南の記憶が無いの」


14 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:11:23BwPhFJD2 (14/62)

SaintSnowの地区予選に呼ばれた北海道で観光中に果南が事故により命を失い、唯一現場を目撃していた鞠莉は精神に深刻すぎるダメージを負ってしまい、それ以降果南が側にいるかのように何も無い空間へ話しかけたり、授業中もあたかも果南がいるように振る舞い、周りが止めようとしても理事長である彼女には意味が無く、ゆるかな小原鞠莉の崩壊が始まってしまった。

ギリギリの淵で立ち止まれたダイヤは鞠莉を救うことは出来ず、いつ蒸発してもおかしくない状況が続く中、ある日突然鞠莉の中から「松浦果南」が消失する。
悲劇という言葉で片付けられない事故など、内浦での出会いも初めから存在しなかったように壊れる前の姿に戻った。

「カナンって誰?」

たった一言がAqoursを狂わせ、偽りの日常を取り戻させた。
それからも善子は周りが鞠莉の異変を受け入れる中、たった1人抵抗し続けやがて疲弊し不登校に。

全てを話し終えると腕の中に抱かれたままの果南は静かに善子をハグし、ぽつりと、弱々しく精一杯の笑顔を取り繕う。

「どうして戻ってきたのかな、私」


15 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:12:05BwPhFJD2 (15/62)

♢

上半身オバケの果南はどうやら善子以外に見えないらしく、母親は存在を認識出来なかったことがある程度張っていた気を緩めさせてくれた。状況は最悪なことに変わりないけれど。

食事を必要としないけれど2人とも食欲など沸く暇もなく気づいたら眠っており、善子が目を覚ましたのは早朝、頭に走る鈍い痛みだった。

「あだっ!?ちょっとなによ!?」

飛び起きようとしたけれど両腕はがっしりと果南に抑えられており寝起きの頭は混乱してしまう。

「黙って!次は上手くいくから!」

再び頭を善子へ振りかざそうと首をあげるが、善子は咄嗟に身体を揺らし上半身だけでバランスの悪い果南を上から落とした。

「善子邪魔しないで!」

「あんなことされたら邪魔したくもなるわよ!」

昨日の今日で凶行に走る果南に心臓がバクバクだけれど、善子はふと気づいてしまう。
次第に落ち着いていき手を抑えたまま善子の隣に横たわる果南に覆い被さるとその瞳を真っ直ぐ見つめる。

「もしかして私に憑依しようとしたの?」

非現実だけれど果南があのような行動に出る理由はそれ以外思いつかない。相手が幽霊だから尚更。


16 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:12:45BwPhFJD2 (16/62)

「.......」

図星なのだろう。視線をそらし善子は盛大にため息を吐いてしまった。

「やり方も分からないのに強引ね。学校に行くつもりだったんでしょ?」

「.......そうだけど悪い?あんなこと聞かされて納得できるわけないじゃん」

「相変わらず頑固ね」

「善子はどうすることも出来ないって諦めてるの?」

無言が続く。諦めたからこそ不登校だと果南は知った上で返してたのだから。

「悪いけど今日もお休みよ。さ、大人しくヨハネと堕天──」

離れようとした時、善子の腕を握る果南の手が不意に軽くなる、というより腕に吸い込まれどんどん身体の中へ入っていく。

「え、ちょっとなんなのよこれ!」

善子が動揺してるのと同じように果南も目を見開くがすぐに状況を飲み込み、意を決すると飛び込んでいく──ダイビングするように、堕天使へ。

悲鳴をあげるよりも前に意識は強制的にシャットダウンし、どれだけ長く眠っていたのか分からないけれど次に目が覚めた時は─────。


17 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:13:36BwPhFJD2 (17/62)

♢

幽霊が人に憑依するなんて怖いから信じなかったけれど、二本足で立ち、視界の高さが生前と近くて、なにより何も感じなかったことが嘘のように部屋の寒さ、床を踏む感覚、衣服の感覚、匂い、全てが酷く懐かしくてまるで「生きてる」と錯覚すしそうで。

「私、ほんとに善子の身体に.......」

部屋の鏡で確認。意識はしっかりと松浦果南だけれど写るのは部屋着の津島善子。
隈が酷く目元も元気が無い。
荒れてる部屋の中、制服の埃をはたいて身に纏う。久しぶりの感触に気分が高潮し用意されていた朝ごはんにさえ手をつけず果南は善子の身体で家を飛び出す。

何かが床を這いずる音に気づけぬまま。


18 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:14:11BwPhFJD2 (18/62)

幸いバスの定期は制服のポケットに入ってたので浦の星女学院前のバス停に降りた果南は見上げる。二度と登ることはない、大好きな学舎へ続く坂を。

「あれ?善子ちゃん?」

幸いか部室へ訪れる前に見かけたのは高海千歌だった。

「千歌!」

練習が始まってるのか顔に汗を浮かべた練習着の千歌に果南は衝動的に抱きつく。

「え、ちょ、ちょっと善子ちゃんどうしたの!?」

「私、ほら、善子じゃなくてさ」

「え?え?善子ちゃんだよね?」

こうしてまた千歌に会えたことが嬉しくて、果南は善子の身体ということを忘れ温もりを実感してしまう。

「だから違うって!私、果南だよ!千歌にまた会えて嬉しいなぁ!」


19 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:14:45BwPhFJD2 (19/62)

「え.......」

「他のみんなは元気かな?ダイヤは?鞠莉は?練習中でバラバラかな?」

「あの.......」

「どうしたの?ああびっくりするよね。後でちゃんと理由は説明するからさ」

「そういうことじゃなくて.......善子ちゃん、だよね?えと、カナンってなに?新しい堕天使、なのかな?」

心がひび割れた気がした。
カナンハアタラシイダテンシ。
鞠莉だけ、そう信じていたのに。

「でも千歌は善子ちゃんが学校に来てくれて、その嬉しいからさ、良かったらちょっとお話だけでも」

「違う」

「え?」

「私は松浦果南だって!千歌覚えてるよね?鞠莉に合わせてるんでしょ!?」

「善子ちゃん、やめ!」


20 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:15:26BwPhFJD2 (20/62)

無意識のうちに千歌の肩を掴み強く揺さぶる。
彼女の発したことが信じられなくて。
いや信じたくなかった。鞠莉、ダイヤと同じように育ってきた幼馴染なのだから。

「果南だって!千歌と曜の幼馴染でしょ!ねぇ忘れたわけじゃないよね!?」

「やめて善子ちゃん!!!」

慈愛と幼さに満ちた瞳から向けられた軽蔑の瞳。
それは果南でさえ1度も向けられたことの無い、感情。心を鋭く刺さり千歌から離れてしまう。

「ち、か.......」

「今日の善子ちゃん怖いよ.......!カナンって人と幼馴染?千歌の幼馴染は曜ちゃんだけだよ!!!」

気温のせいなのか張り詰めた空気は痛いほど肌を切りつけ、血液さえも凍りつきそうで、千歌の、幼馴染だった人の叫びが頭の中で反響し続ける。善子の人間関係を壊してしまったことさえ、どうでもよいほどに。

立ち去る千歌の背中。
膝から崩れ落ち、地面についた手は海よりも冷たかった。
記憶の中、確かに幼馴染は4人だった。
鞠莉、ダイヤ、千歌、曜。
幼い頃から一緒に育ってきたはずだった。
なのに、今はもう。
握りしめた拳に雫が数滴、垂れ落ちる。
泣いてる場合じゃない──果南は立ち上がる。

「ダイヤ.......ダイヤならきっと.......」

善子の身体とはいえ、学校までの道のりはとても重く、激しい疲労に襲われた。


21 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:17:32BwPhFJD2 (21/62)

♢

生徒が久しぶりに登校した善子のただならぬ雰囲気に心配の声を上げる中、彼女の足取りは真っ直ぐ生徒会室へ向けられていた。
朝練の時間が終わる頃はいつも生徒会で朝の放送をしているはずだから。
躊躇することなく扉を開くとダイヤが驚いた表情でこちらを見つめ、すぐに険しくなる。
理由はいくら果南でも分かってた。

「善子、ちゃん.......」

「千歌.......」

練習着のまま、千歌がダイヤの側で泣き腫らしていたから。

「.......善子さん。一体どういうことですの?」

「一体どういうことって.......ダイヤは覚えてるよね?私のことちゃんと覚えてるよね!?」

「黙りなさい!貴女の言ってることがまるで分かりませんわ。カナンという実在しない人のことを覚えてるはずないでしょう?」

「それに貴女はカナンではなく、善子さんでしょ?辛い気持ちで不登校なのは目を瞑りますが度の過ぎた悪ふざけは許しませんわよ」

思わず果南は後ずさってしまう。
本気でダイヤが怒っているから。
千歌を庇うようにこちらを睨みつける。

あぁ、鞠莉だけじゃなくてみんな忘れている──きっと元から松浦果南はいないんだ。
そうトドメを刺された果南は視界がぐらつく中、徐々に身体の自由が効かなくなるのを感じ憑依の終わりが迫ってきたが、返って冷静になりふと善子の話を思い出す。


22 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:18:36BwPhFJD2 (22/62)

小原鞠莉が果南を忘れたのは突然だったこと。
それまでは全員果南がいるように振舞うしかなかったことを。
ならば──口を開き、ひとつの賭けに出た。

「じゃあ最後に一つだけ答えて.......幼い頃に星を3人で見に行ったよね。星座早見盤持ってさ」

ダイヤの表情から険しさが崩れ落ち信じられない顔に。

「でさ、星の代わりに書いたよね.......私達の流れ星」

「何故貴女がそれを知っていますの!?」

そう、あの日のことは3人だけしか知らない秘密。千歌にも曜にもましてや善子にも言ってないこと。
果南は歓喜で胸が満たされ全然笑える状況じゃないのに、ダイヤは覚えていてくれた──そのことがただ幸せだった。

「やっぱり、ダイヤは覚えててくれたんだね.......あの日のこと」

「忘れるはずが..............いえ、忘れていたフリをしていたのは事実ですわね。ですが3人で星を見に行ったのは誰にも話してませんわ。もちろんルビィにも。なのにどうして善子さんが.......」


23 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:21:04BwPhFJD2 (23/62)

「私もさよく分からないんだよね。話してもダイヤは信じてくれなさそうだし、なにより今は善子の身体を借りてるからさ」

「は.......?貴女、何言って.......」

幼い頃から現実を直視してきたダイヤには信じられない。それは分かっていた。ましてや大切な幼馴染が幽霊になって帰ってきたなど。

「言っとくけど私は一切ふざけてないから。千歌と幼い頃一緒に海へ飛び込んだことも、ダイヤと一緒に鞠莉を連れ出して遊びに行ったことも全部覚えてる」

「そん、な.......そんなはずは.......」

「.......鞠莉に勘当なんて言葉教えたの誰だっけ?」

「いい加減にしなさい!果南さんのフリをして善子さんは.......善子さんは何がしたいんですの!?」

ダイヤが詰め寄ってくる。
色んな感情がごちゃ混ぜになって訳分からなくなってるのが痛いほど伝わってきて近いのに遠い距離がとても辛かった。
しかしもう時間が無かった──次第に善子の身体から離れていくのを必死に堪え、解除される前になんとか腕を伸ばしてダイヤを抱きしめた。

「ハグ.......なんかじゃ、分からないかな。ごめんね、ダイヤ」

「え..............」

意識が遠のき、ブラックアウトした視界が晴れた時には見慣れたとても低い視野と、現在の状況に驚き動揺する善子。そして、

「かな、ん.......さん.......?」

頬へと涙を一筋、ただ静かに流したダイヤ。


24 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:23:24BwPhFJD2 (24/62)

♢

「.......今すぐに信じろなんて言わないわ」

意識が無くなったと思えば静かに涙を流し立ち尽くダイヤ、寂しげに微笑む果南、そして何が起こったのか理解出来ていない千歌。
混乱するのも無理はなかったけれど、所謂「憑依」が成功した結果なのだろう、と善子は察した。

「ただ、その、果南は今もいるのよ。私の近くにね」

目線を下げ、足元でこちらを見上げる上半身だけの果南とアイコンタクトを取る。
あぁ、なんて残酷な事実なのだろう。
気持ちの整理などつくはずないのに、また果南と会わせてしまったなんて。
抜け殻のようになっていたダイヤはゆっくりと、善子の目線の先を追う。

「.......本当に、果南さんが.......」

無言で2人とも頷く。
姿を見せられないのがもどかしい。

「私は憑依されてる間のことは記憶にないけど、話したんでしょ?果南と」

「.......ええ」


25 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:25:12BwPhFJD2 (25/62)

涙を隠さない。
もしかしたら流れてることすら、感情が抑えきれなくなってることすら、今のダイヤにとってはどうでもいいのだろう。

「どこにいますの?今もそこにいますの?」

声が震えている。
綺麗に整った顔がくしゃくしゃに潰れ、触れば今にも割れてしまいそうだった。
こちらが無言で頷くとか細い腕を空虚へ伸ばす。

「.......もっと下よ」

「それは何故.......?」

「ちょっと訳ありなのよ。とにかく私の足元、そこに果南はいるから」

「.......そう、ですのね」

「ダイヤ?」

しゃがみこみ、手探りで果南を探すダイヤ。
その手は果南に時々触れるけれどすり抜け、果南が伸ばす手も同じように触れ合うことは出来ない。

「やはり、無理ですわね.......今更、果南さんに会おうなど.......」

「そんなことない!」


26 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:25:54BwPhFJD2 (26/62)

終わってほしくない。
善子は幽霊になった果南と再開した時に足を掴まれたのを思い出し、

「ねぇ果南。触れたいと強く思ったら触れるんでしょ?だったら私にした時のように出来るでしょ!」

ただ強く想う。自分のような逃げてるだけの弱虫が触れるのに、幼馴染のダイヤが干渉出来ないなんて残酷だから。
始業のチャイムすらも気にならない程に張り詰めた空気の中、果南は1度目を閉じるとそのままゆっくりと伸ばす。今度こそ掴むために。

しかし、鳴り終わったチャイムはダイヤと千歌の遅刻を確定させるだけで空ぶった手は触れることを叶えられなかった。

「.......授業に行かなくてはいけませんわね」

「待ちなさいよ!まだいけるわ!」

「いいえ。私はまた果南さんと話せた。それだけで充分、満足ですわ。これ以上は過ぎたる願い.......まさに奇跡でも起きない限りは」

千歌を促し生徒会室から退室する時のダイヤは満ち足りたという言葉に不相応な、胸が張り裂けそうなほどの切なさを押し殺した笑顔でたった一言残した。
「ありがとうございますわ」
と。


27 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:26:46BwPhFJD2 (27/62)

顔を向けずドアの前で背中を向け話す千歌。
表情は見えないけれど一呼吸間を開き、俯く。

「気をつけて」

千歌ではどうすることも出来ないから、そう呟いて立ち去った。


その背が小さくなるまで見送っていたけれど、善子と果南の頭の中にはずっと渦巻く。
気をつけて、という一言が。
ダイヤの笑顔とは対象的な千歌の声音が小さな棘のように深く突き刺さり、一筋の冷や汗が善子の喉元を伝い落ちた。
真冬なのに粘りつく嫌な予感は例えようがなく、ふと思ってしまった。

ねぇ、千歌──貴女、本当は果南のこと覚えてるんでしょ?


28 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:27:23BwPhFJD2 (28/62)

静寂が支配する生徒会室、誰も答えてくれないけれど確かなことは今すぐここから離れることだった。

「ひっ.......!?」

そう思った刹那、果南が何かに怯えたらしく善子の足へ抱きつく。

「ちょ、どうしたのよ!?」

千歌の言葉に隠された影が背筋を這いずった直後だったので善子も内心驚いてしまう。先程までとは居心地の良さが逆転してしまった生徒会室も相まって。

「い、いやさっき何か這いずる音が聞こえて.......」

這いずる音。
静かな空間なはずなのに善子には全く聞こえておらず「這いずってるのは果南でしょ」と返すけれど声音は震えていた。
2人とも動いていないから。

「本当だって!確かに聞こえたんだから!ひっ!?また!こ、こっちに来る!?」


29 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:28:04BwPhFJD2 (29/62)

この怯えよう、決して善子をからかうものではない。日差しの差し込む生徒会室は明るいはずなのに「這いずる」それはどこにも見えず、善子は果南を抱えると後ずさるように扉を目指す。

「.......どこから音がするのよ」

「う、後ろ.......」

善子は咄嗟に振り向き、授業中にしては不気味なほど静かな廊下を見渡すけれど何も分からない。

しかし、耳をすませばどこか遠くで朧気に聞こえてくる──カンカン、と踏み切りの音。
それに混じって形になっていく音は──。

あとはもう覚えていない。
気づいたらベランダから他の部屋へ移り無我夢中で浦の星を後にした。

揺れるバスの中、善子にしがみつき異様な程怯える果南を抱えたまま座席から外の景色を眺める善子。昼を迎える前なのに外は曇り空で薄暗く、余計に脳内であの言葉が繰り返される。

気をつけて。

どす黒い不安に憑かれたまま、バスは沼津へ走っていく。


30 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:28:47BwPhFJD2 (30/62)

♢

善子は夢を見ていた。
小雨が降る丘の上、星を見に来ていた私は星座早見盤を抱きしめていた。
きっとこれは果南の思い出──ダイヤに話していたことが夢になったのだろう。
そう流れ星が描かれた星座早見盤を愛おしく離さないように抱きしめた。



しかし突然喉が締め付けられる苦しみに善子は意識が覚醒し、見開いた目に写る光景が信じられなかった。
馬乗りになりこちらの首を爪が皮膚に食い込むほど両手で締め上げる果南がいたから。

「.......!?がっ.......が.......!」

振り払おうにも酸素が行き渡らないせいで力が入らず、息苦しさと痛みの中、まるで別人のようになってしまった果南が悪夢のようで。


31 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:29:29BwPhFJD2 (31/62)

「わす、れろ.......!忘れろ!!!」

意識が遠ざかっていく善子。死へ沈んでいく感覚は恐ろしく冷たく、絶望に足先から飲まれてゆく中、

「え.......わ、私、なにして.......?善子.......?ちょっと!?なんで!?」

血が滲み赤く染まった爪、酸素を求め何度も咳き込み必死に呼吸を繰り返す善子、果南は突然我を取り戻した。

「けほっ!けほっ!げほっ!はぁはぁ.......げほっ.......すぅ──はぁ..............こっちが聞きたいわよ.......」

「私、なんで善子の首.......大丈夫!?」

そう伸ばしてくる手に反射的に善子は身構えてしまい、その姿を見た果南は狼狽え瞳をさ迷わせ唇を震わせると俯きただ一言「ごめんね.......」と。

「.......絆創膏」

「いい.......自分でやるから」

善子は爪の痕から血が滲み出てるのを手で抑えながらベッドをふらつく足で後にする。
しばらくすると応急処置をした善子が戻ってくるけれど、お互い目線は合わせず。
離れた椅子に善子は腰掛け、重い時間が過ぎていく。


32 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:30:08BwPhFJD2 (32/62)

「.......ごめ」

「謝らなくていいわよ」

「でも!」

「いいって言ってるでしょ。それより教えない。どうしてあんなことしたの?」

果南は答えない。罪悪感で押し潰されているから。善子は深く溜息を吐く。
薄暗い部屋の中にいる幽霊はどうしようもなく果南で、先程の方がよっぽど幽霊なのが皮肉だった。

「答えない方が怒るわよ。私もちょっと冷たかったかって反省してるから」

「でもあれは私のせいだから.......」

「はぁぁ.......辛いのは私より果南でしょ?だから聞かせてほしいの。一体何があったの?」

果南は自身を抱きしめるように守るとぽつり、ぽつりと話し出す。

「私、幽霊になってから睡眠が必要なくて善子が寝てる間はずっと星を眺めてたんだけど」


33 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:31:16BwPhFJD2 (33/62)

最初は気のせいかな?と思うほど小さい音。だけれど次第に床を這いずる音となり善子の部屋へ迫ってくる。生徒会室で聞いた異音。
月明かりに照らされる部屋は暗く、迫ってくる何者かは見えない。しかし善子を起こそうとした時には手遅れでそれはあっという間に果南へ距離を詰め──。

「気づいたら私の首を絞めてたってわけね」

「.......うん」

幽霊が幽霊に乗っ取られる、ということが現実に起こるなんて。と善子は薄気味悪さを感じながらも床を這いずる音が気になる。

「こんなことあまり聞きたくないけど、果南はそいつの顔みたの?」

「顔.......見た瞬間に意識失ったからなんとも.......」

「そう.......」

「でもこれだけは覚えてる」

果南は善子と向き合い、出来れば忘れたいのか苦い思い出を掘り起こしながら伝える。

「あれは言葉で表せないほどの怒りだった」

怒り──果南を乗っ取り首を絞めさせるほどの。それも床を這いずり回る。これではまるで「てけてけ」
しかし「てけてけ」は憑依はしない。だとしたら、果南と同じように下半身の無い悪霊も来てしまったのか?
でも考えた所で何もわからない。果南の側に座り直すと果南は距離をあけてしまう。


34 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:31:56BwPhFJD2 (34/62)

「怖かったんでしょ?」

溜息を吐きながら果南の方に手を置く。

「やめて!また善子を襲うかもしれないじゃん」

強気は声音は最後になると弱々しくなり眉は垂れ下がっていた。サバサバしてる、と生前言われてた人とは思えないほど果南は気にしすぎる。

「今は大丈夫でしょ?」

温もりは無いのに震えだけが痛いほど伝わる。だからこそ善子はほっとけない。何があっても果南と自分は離れられないから。

「.......私、もう善子を傷つけるなんて嫌だよ」

「とり憑いてるくせに」

「ちょっと、それは不可抗力じゃん!」

「首絞めたのも不可抗力でしょ?」

やっとこちらへ振り返ってくれた果南に善子は微笑む。首元の絆創膏が痛々しいけれど善子にとってみれば慣れたこと。


35 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:32:36BwPhFJD2 (35/62)

「私は堕天使ヨハネ。私の美貌を嫉妬した神が天界から追放し不幸の堕天使となったの。だからこの程度蚊に刺されようなものね」

「でも怖くないの?」

「幽霊がヘタレだったら全然ね」

「へ、ヘタレってなにさ!」

「ほら、もう大丈夫じゃない」

また善子は微笑む。果南って案外乗せやすいのね、と。

「.......ずるいんだけど」

「堕天使だからね」

どちらかと言わず吹き出しやがて夜中なのに声を出して笑ってしまう。おかしな状況なのに、得体の知れない存在が影を潜めてるのに久しぶりにお腹の底から笑えた気がする。それは果南も同じで「あぁ、笑った顔やっぱり可愛いわね」と善子は胸の内に秘めた。

しかし楽しいかった時間はもうお終い。梨子からの着信に善子は珍しいわね、と思いながらも応答する。どうやら事態は善子と果南が想像していた以上に深刻なようだ。ただ気づくのが遅かっただけで。


36 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:33:14BwPhFJD2 (36/62)

千歌ちゃんが病院へ運ばれた──。

善子が果南と共に家を飛び出した時には曜の家族が車を用意してくれており、急いで千歌の元へと向かう。
揺れる車内、隣に座る曜は痛々しいほど落ち着きがなくしきりに小声で「千歌ちゃんはきっと大丈夫大丈夫大丈夫」と祈るように繰り返していた。

膝の上に座る果南も千歌が決して軽傷ではないのを察したのか、先程からずっと沈黙を続けている。

病院へ辿り着いた頃には1時間以上経っていたけれど、待合室には鞠莉を含むAqoursメンバーと千歌、梨子の家族が神妙な面持ちで待っていた。

「善子、曜.......!」

「.......鞠莉、一体何があったのよ?千歌は大丈夫なの!?」

「落ち着きなさい。まだ、手術中ですわ.......」

鞠莉、ダイヤの目元の腫れ具合が千歌の深刻さを語る。他のメンバー、特に梨子は家族に支えられてやっと立てるほどショックが大きいようで、元々肌白い顔がより蒼白に。


37 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:34:13BwPhFJD2 (37/62)

「わた、私がちゃんと見てれば、こんな、こんな.......」

後悔を懺悔するかのように泣き崩れ、善子は唇を噛み締める。千歌は確かに「気をつけて」と忠告した。自分達ではどうすることも出来ないから、と。

「.......善子、ちょっといいかしら?」

鞠莉は善子を連れメンバーから離れた場所へ。離れられない果南は善子の足元で鞠莉へ複雑な表情を向ける。
鞠莉は一呼吸置くと善子に切り出す。

「千歌っち、自宅の2階から飛び降りたの」

飛び降り──あの千歌が。自殺まがいな行いとは無縁な彼女が。

「なんで千歌が.......」

「善子の気持ちもわかるわ。私だって千歌っちがする訳ないと思ってるから。ただ.......」

鞠莉は目を伏せ組んでいた腕に力を込めた。
綺麗な顔立ちには困惑が生まれ、その眼差しは救いを求めてるようでもあった。

「叫び声が聞こえてベランダに出た梨子が、まるで怖いものから逃げるみたいに飛び降りた千歌っちを見たの.......」

叫び声、逃げるように──善子は足元が底なし沼に引きずられていくような錯覚に陥る。部室で聞いた異音と首を絞める果南が重なって口内が乾燥するほど恐怖が侵食する。
しかし、鞠莉が次に話す言葉が善子の嫌な予感を結んでしまった。


38 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:34:54BwPhFJD2 (38/62)

「それで本当に聞きたいのは.......どうして”カナンを忘れろ”って紙が千歌っちの部屋に散乱してたの?」

カナンを忘れろ。
果南。
鞠莉の中ではいない存在。私だけが知ってる彼女。

「またカナン.......ねぇ善子。貴女なら何か知ってるんじゃないの?」

語尾が怯えている。鞠莉にとってみれば後輩が「カナン」という存在を訴え「カナン」という存在に恐怖し命の危機に瀕したのだから藁にも縋りたい。
彼女は真剣に学校の生徒達を守りたいのだろう。
例え、自身の人生に絶対欠かせない人を忘れても。

「.......」

「答えて、善子」

ずっと善子は鞠莉に「果南は貴女の幼馴染」と訴えていた。思い出してもらおうと何度も同じことを周りから狂人のような視線で刺されても声に出した。それでも決して届かなくて、千歌の命が狙われた今でも心の片隅に「どうせ言ったところで意味が無い」と諦めた自分がいる。
なにより、果南を覚えていた善子と千歌が襲われ、忘れた鞠莉が襲われないその理由に気づいてしまった。


39 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:35:36BwPhFJD2 (39/62)

「嫌、よ。ずっと鞠莉は知らない、覚えてないの一点張りだったじゃない!」

「なによそれ。カナンが解決の糸口になるかもしれないのに!」

どうしてか、善子はそこで”糸”が切れた。
幽霊の果南と出会って過ごした浅い日々が頭を過る。

「.......もう1回、言ってみなさいよ」

「善子.......?」

「果南が解決の糸口?ねぇ鞠莉、それ本気で思ってるの?」

私、どうして戻ってきたのかな?
半身を失い、鞠莉に忘れられ、逃げたくても逃げられない果南が零した涙。
今ならその問いかけに答えられる。

「思ってるなら.......悪いけど私は鞠莉を許さないわ」

星座早見盤を手に持ち星を眺めようとしたあの夢。あれは夢ではなくて、果南の話を聞いたからではなくて、きっと。

「だから簡単な質問よ鞠莉。こんな状況だけど真剣に答えて。流れ星の書かれた星座早見盤、まだ持ってるわよね?」


40 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:36:48BwPhFJD2 (40/62)

「善子っ!?」

そう憑依された間の記憶は無い。もちろん果南が善子に話した訳もない。だからこそ、3人だけの宝物をさも見たかのように話す善子に果南は驚きを隠せなかった。そして鞠莉も同じなのだろう。

「ねぇ.......なんでそれ善子が。ダイヤと私だけしか知らない.......」

やっぱり、と善子は確信する。あの日見たのは夢ではなくて鞠莉の抜け落ちた記憶だったと。きっと果南に憑依された際、こちらに残ってしまったのだろう。

「鞠莉、よく聞いて。果南は貴女を守ろうとしてるのよ。これだけはどうか信じてほしい.......!」

「私を守る.......?」

「ええそうよ。記憶って覚えてるとこが全てだから突然言われたって受け止められないけど、それでも変わることない真実なのよ」

「だから.......今は私に任せてほしい。全て終わったらちゃんと話すから」

「本当になんとかなるの?」

「忘れたの?私は堕天使ヨハネ」

なんとかなる、なんて精一杯の強がり。きっと大丈夫とおまじないをかけて。


41 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:37:20BwPhFJD2 (41/62)

「だったら最後に私からも質問よ」

善子は振り返らない。
一呼吸置いたあと、鞠莉は口を開く。

「星を見に行ったのは私とダイヤ.......ともう1人、いたのよね」

言葉に表さずただ頷いた。


42 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:39:29BwPhFJD2 (42/62)

♢

「善子はさ、あれで良かったの?」

こっそり病院を抜け出した善子と果南。
善子に抱えられる果南は鞠莉との件の後元気が無い。無理もない、果南自身もまさか鞠莉の記憶を持ってるなんて思わなかったから。

「鞠莉を危険な目に合わせたくないでしょ?」

「それはそうだけどさ」

街灯も少なく暗闇に染った道は怖いはずなのに、これからのことを考えるとそう言ってる場合ではなかった。

「果南についてきた何かの狙いは私、ヨハネよ」

「.......馬鹿なこと考えてないよね?」

「だったら死んだ時のこと思い出してほしいんだけど」

「堕天使でも笑えない冗談言うんだね」

お互いの表情は見えないけれど、善子の腕を支えにしている果南の手に力がこもる。


43 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:40:09BwPhFJD2 (43/62)

「だったら尚更笑いなさい。私が何しようと果南は一緒なのよ」

「それで善子が死んだら意味無いじゃん」

目的地は特に決まっていない。ただ広くて人を巻き込まない場所を目指している。

「.......信じてくれないのね」

「信じる信じないより善子のことを心配してるんだけど?」

振り返り善子を見上げる果南。その瞳は例えどんな手段を使おうと善子を止める決意が宿っており「相変わらずね、果南」と善子はどこか嬉しくなる一方、鞠莉とダイヤの苦労を手に取るように理解してしまう。

「ねぇ果南。私はもう誰かが死ぬのは嫌なの。今はこうして話せるけど本当なら2度と叶わない願い、奇跡なのよ」

いつだったか部室で流したダイヤの嬉しさと切なさが入り交じった涙の意味。

「ひょっとしたら憎むべき神が私に与えた最後のチャンスかもしれない」


44 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:41:53BwPhFJD2 (44/62)

「だからって犠牲になろうとするなんておかしい。私は絶対止めるから」

「犠牲?そう思ってるのは果南だけじゃないかしら?」

足を止めたのは誰も知らない浜辺。波がただ寂しく音を立て真っ暗な海はこちらを誘っているようで。果南を下ろすとしばらく眺める。これからの覚悟を決めるために。

「善子がこれ以上誰かが犠牲になってほしくない、そう思うなら私だって同じだから」

「.......ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいわ」

「.......ッ!ちゃんと聞いて!」

果南は善子の足をつかみ転ばせ、這って馬乗りになる。

「憑依してでも止める気?」

「だったら馬鹿なことやめてくれるの?」

風はいつの間にか吹き止み、絡み合う2人の目線は同じところを見ているようで違っていた。

「ほんと果南ってわからず屋ね」


45 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:42:38BwPhFJD2 (45/62)

「こんのっ!!!」

憑依のためでなく本気の頭突きが善子の無防備な額へ振り下ろされ、善子は予想していた以上の痛みに悶えてしまう。

「残された人達の気持ちも考えて!善子がいなくなったら、みんな、みんな.......!」

「ほんっと.......果南が言うんじゃないわよ!」

果南と形勢逆転し上から抑え込むような形に。

「残された人達の気持ちも考えて?嫌ほど味わってきたわよこの馬鹿果南っ!!!」

こうして触れ合えるのに、心の底から言えなかった感情をぶつけてるのに、死んでることがとても悔しくて辛くて。

「堕天使ヨハネのくせに何も出来なかったわよ!」

果南が事故で死んだ時、鞠莉が豹変した時、何もかもが変わった時、千歌が飛び降りた時、何も出来なかった。ただ見てるだけしか、逃げることしか。

「ええ怖いわよ!無事な保証なんてないわよ!でも今の私には果南がいる。ひとりじゃないわ」

「.......本当に大丈夫なんだよね?」

「ええ。約束よ」


46 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:43:13BwPhFJD2 (46/62)

♢

千歌は気がついたら浦の星女学院にいた。
制服を着用しておりどうやら授業はまだ全部終わってない。目の前には理事長室の扉。
重苦しいほどのプレッシャーに唾を飲み込むとそっと開いた。

「鞠莉ちゃん.......」

「千歌っち。どうしたの?」

以前のような明るさは無く乱れた髪、荒れた肌、深く刻まれた隈、歪に上がる口角、笑ってない瞳。まるで亡霊のような鞠莉。

「.......もうやめない?果南ちゃんは、もう.......」

「ふふ。千歌っちは何言ってるの?果南はいるわ。昨日だって学校に来てたじゃない」


47 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:43:55BwPhFJD2 (47/62)

「ちが、果南ちゃんは.......!!!」

鞠莉が溜息を吐く。

「千歌っちまでも他の人と同じことを言うのね」

いくらAqoursメンバーであろうと許さない、そう聞こえるほどの冷たさで鞠莉の目線が突き刺さる。

「果南、ちゃん、は.......」

「.......そこにいるじゃない」

「え?」

鞠莉の視線の先、自分の隣。
千歌はゆっくりと振り向けば──。


48 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:44:36BwPhFJD2 (48/62)

飛び起きたけれど身体は激しい痛みで動かず、毎晩夢見るあの日の記憶に動悸が収まらない。

「はぁはぁはぁはぁ──.......私、生きてた.......?」

部屋で何かに襲われた千歌はパニックになり飛び降りてしまったことまでは覚えていた。辺りを見渡せば病室で自分は包帯、ギブス、点滴等ボロボロだった。

「志満姉.......美渡姉.......」

側にはパイプ椅子に座り見守っていたであろう2人の姉が憔悴しきって眠りに落ちていた。
千歌が何かを避けるためずっと果南を遠ざけていた時も支えてくれた姉達。

「.......ありがとう」

安心した途端涙が止まらなくなり止めても止めても決壊したダムのように溢れ、声を出して泣いてしまう。

「失礼しま.......千歌ちゃん!!」

病室に入ってきた曜は千歌に駆け寄り抱きしめ、2人で泣き合う。生きていたことを喜びかみ締め合うように。


49 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:45:26BwPhFJD2 (49/62)

「良かった.......目を覚まして本当によかった!」

「うん.......うん.......うん!!!」

姉2人も、遅くまで待ってくれたAqoursメンバーも千歌の目覚めに胸を撫で下ろし共に涙を流す。しかしそこに善子の姿は無かった。

「ねぇ、善子ちゃんは.......?」

「ちょっと外せない用事よ」

そう寂しく鞠莉は微笑んだ。


50 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:46:18BwPhFJD2 (50/62)

♢

これは果南の記憶。
死んでからずっと心の中に幽閉された死の記憶。

線路に取り残された子供。
降りる遮断機。
真冬の函館、果南はその子を助けようと線路へと立ち入る。

「もう大丈夫だからね」

背後からは鞠莉が急いで戻ってと声をかけていた。果南は立ち上がり雪の降る中、子供と手を繋ぎ脱出しようとするけれど、何故か転んでしまった。
子供の心配をするけれど繋いだ手の先にはなにもいなくて、

「足、ちょうだい」

下半身の無い女の子が果南の足を掴んで離さなかった。

ヒステリックのような叫び声をあげ果南を助けようとする鞠莉。しかし、どんどん引きずられていきやがて鳴り響く警報。聞こえる電車の音。
ライトで照らし出される2人。
緊急停止ボタンを押しても間に合わず、果南は電車に下半身を轢かれてしまった。
幽霊に引きちぎられたと知らずに。


51 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:46:53BwPhFJD2 (51/62)

口から吐き出される大量の血で言葉が上手く発音できないけれど、消えゆく命の中、鞠莉へ縋る。

「だ、ず、げ、で」

と。

散乱する内蔵、血液、雪のように冷たくなりゆく果南。雪は赤く染まり、停車した電車から覗き込む野次馬の中、鞠莉は狂乱したように叫び続けた。


52 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:47:43BwPhFJD2 (52/62)

場面は切り替わり果南は疲れ果て精神をすり減らした死人同然の鞠莉の側にいた。
声をかけてやることも、抱きしめてやることも叶わない。血塗れで上半身だけの幽霊に可能なのは沈黙、それのみ。

絢爛豪華な鞠莉の部屋は荒れ果て、床には精神安定剤が無造作に散らばっている。
鞠莉を救えない現実は地獄。けれど悔しいという思いは身を結ぶ。望まぬ結果だとしても。

「果南.......?ねぇ、果南なの.......?」

突然鞠莉がこちらに気づきやつれ果てた顔を輝かせ以前のように笑う。

「あぁ.......果南.......」

それが小原鞠莉の崩壊だった。
限界を迎えた精神が自衛のため果南が生きてると錯覚してしまったから。
学校でも、部活でも、どこでも、鞠莉は果南が生きてるように振舞った。当然ながら誰も救われない。ただ傷つけ合うだけの醜い学芸会。

けれど果南を踏切で襲った何かは自身を目撃した鞠莉を決して逃がさない。
警報の音に怯え、迫り来る脅威に死を待つだけの彼女を助けたい──その想いが大切なものを奪ってしまう。小学校の頃出会った思い出も、一緒に育ってきたかけがえのない日々の思い出も。
醜悪で血塗れな自分を切り離して、果南は鞠莉の記憶を奪い逃げた。
ひたすらに、まるで呼び寄せられるように。
気がついたら善子の部屋の前にいた。


53 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:49:03BwPhFJD2 (53/62)

場面は切り替わり果南は疲れ果て精神をすり減らした死人同然の鞠莉の側にいた。
声をかけてやることも、抱きしめてやることも叶わない。血塗れで上半身だけの幽霊に可能なのは沈黙、それのみ。

絢爛豪華な鞠莉の部屋は荒れ果て、床には精神安定剤が無造作に散らばっている。
鞠莉を救えない現実は地獄。けれど悔しいという思いは身を結ぶ。望まぬ結果だとしても。

「果南.......?ねぇ、果南なの.......?」

突然鞠莉がこちらに気づきやつれ果てた顔を輝かせ以前のように笑う。

「あぁ.......果南.......」

それが小原鞠莉の崩壊だった。
限界を迎えた精神が自衛のため果南が生きてると錯覚してしまったから。
学校でも、部活でも、どこでも、鞠莉は果南が生きてるように振舞った。当然ながら誰も救われない。ただ傷つけ合うだけの醜い学芸会。


54 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:49:53BwPhFJD2 (54/62)

けれど果南を踏切で襲った何かは自身を目撃した鞠莉を決して逃がさない。
警報の音に怯え、迫り来る脅威に死を待つだけの彼女を助けたい──その想いが大切なものを奪ってしまう。小学校の頃出会った思い出も、一緒に育ってきたかけがえのない日々の思い出も。
醜悪で血塗れな自分を切り離して、果南は鞠莉の記憶を奪い逃げた。
ひたすらに、まるで呼び寄せられるように。
気がついたら善子の部屋の前にいた。


夢のような感覚で眺めていた光景は終わりを告げ善子は瞼を開き、憑依が解けたことを知る。

「.......ずっと守ってくれてたんだね」

果南の声は震えていた。
汚い部分を押し付けたのは自分だったから。

「私、忘れてた。こんな大事なこと.......」

声の先にいる者は何も答えない。ただ2人を見つめるだけで。


55 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:50:28BwPhFJD2 (55/62)

「ありがとう、ね。千歌のことも本当は守ろうとしてくれたんでしょ?」

雲は晴れ、月の光が照らす。
上半身の切断面から臓物を垂らし血に塗れた果南を。深い闇に閉ざされた瞳に感情はないけれど、ゆっくりと善子へその眼差しが向けられる。

「別に首絞められたこと気にしてないわよ。私まで襲われるかもって切羽詰まってたんでしょ?」

「そっか、だからあの時無理やりにでも乗り移ったんだね」

やり方はちょっと強引だったけど、と善子は「果南」へ微笑みかける。死んでも、どんな姿になっても、彼女はどうしようもなく善子の知る彼女で。
自分が逃げて腐ってた頃、ずっとみんなのために戦っていたことに目頭が熱くなる。

「ありがとうね、果南.......」

カンカン、と警報が鳴り響く。自分を覚えてる者を決して逃がさない「何か」
大切な人の命を奪った存在が夜の砂浜にその身を現し、目を見開くとにたァ.......と笑う。


56 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:51:10BwPhFJD2 (56/62)

「ほんっと今更だけど思い出す前ならこんな作戦実行しなかったわよ」

正体を暴きどうにかしたかった。しかし果南の記憶に憑いていたのは予想を遥かに超える化物だった。覚悟していた気持ちなど軽く吹き飛ぶほどの恐怖。もう逃げたくない、そう食いしばるけれど底の無い憎しみを、生きてる者全てへ爪をたてる怨念を受け止めきれない。

「足、ちょうだい.......」

堕天使ヨハネはいない。結局はリアルこそ全て。おぞましいリアルだったとしても、すくんだ足はもう立ち上がれない。
そう、瞼を閉じ、最期に絶望するけれど──1秒か、10秒か、永遠と思われる長い時間。
いつまで経っても訪れない終焉に恐るおそる見開くと──。

「果南.......」

血塗れの果南が化物を取り押さえていた。
しかし所詮は襲われた身。すぐさま剥がされそうになるけれど、

「そういう、ことだね」

果南は分かってしまったのだろう。化物を片割れの自分と共に必死に取り押さえ次第に割れた果南がひとつになっていく。


57 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:51:56BwPhFJD2 (57/62)

「私はさ、1人だったらずっとさ迷ってたよ。善子がいてくれて嬉しかった.......勇気をありがとうね」

「待ちなさいよ果南!何をする気なの!?」

善子が止めるよりも早く果南は片割れとひとつになり醜い血塗れの姿へと戻り、化物を引きずり込んでいく。ここではないあの世へと。

「だからもう私で悲しまないでね」

消えゆく時、果南はそっと善子に告げる。
声は聞こえなくても、きっと伝わるから。

「ごめんね、ありがとう」

と。

「────────────!!!」

やがて夜は明ける。
少女の無力を嘆く叫びも、涙も。
優しい波が攫うまで。


58 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:52:31BwPhFJD2 (58/62)


♢

目を覚ましたら、どうしてか家から遠い砂浜にいた。
千歌がベランダから何故か落ちたのに、どうしてこんな所で泣いていたのだろうか。

でも心の欠片が抜け落ちたように胸の中にはぽっかりと穴が開き、涙の理由も、不登校だった理由も、部屋に積まれた「ダイビング」「天体観測」の本も分からないままだけれど、一つだけ判明してること、それは──。

「とっくに期限過ぎてるよ」

久しぶりに訪れた図書室の主である花丸は眉を困らせ溜息を吐いた。

「そう、ね」

部屋にあった趣味と合わない本はどうやら図書室から借りていたようだ。それも函館に訪れる前より。正確に言うならハロウィンの手前からだった。


59 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:53:06BwPhFJD2 (59/62)

「それにしても善子ちゃんにしては珍しいよね。しかも最近まで不登校だったし。何かあったの?」

不登校の時期も記憶が曖昧ではっきりと思い出せず、本を借りた経緯もお互いどうやら忘れてるらしく質問されても仕方ない。

「さあね。ま、そういう気分だったんじゃない?」

「気分って.......なんか変わったね、善子ちゃん」

「.......そうかもね」

これから先、心の穴はきっと埋まることはないだろう。それでもなんとかなる、なんて柄にもなく思ってしまう自分に善子はどうしてか笑えてしまい、同時にほんの少しだけ──切なくなった。

「千歌、まだリハビリ中よね」

「うん。でも不思議だよね。カナンを忘れろって張り紙を部屋中になんて」

落ちたことも張り紙も本人が誰よりも驚いていたけれど、時々、切ない目を見せることにどうしてか何も言えなくなる。


60 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:53:44BwPhFJD2 (60/62)

「昨日もいつも通りだったし大丈夫でしょ。さ、ルビィが待ってるわ。教室に戻るわよ」

「チャオ!善子、花丸!」

「鞠莉じゃない。どうしたの?」

千歌と同じように、いや、千歌とは違うレベルでここ最近の出来事に驚きを隠せない鞠莉。

「.......ちょっと疲れたから善子に会いたくなったの。なんでかしらね?」

「.......さあね」


61 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:54:20BwPhFJD2 (61/62)

予鈴の鐘が鳴る。
遅刻すれば3人とも大変だろう。急いで教室へ向かう中、
僅かに開いていた窓。
差し込む風に靡く善子の髪。

「善子、髪伸びた?」

「え、そう?」

伸ばしたい、そう決めた覚えはないのに。
片手で風に遊ばれる髪を抑えた。

「ええ。とっても綺麗よ」

綺麗──伸ばしてる理由はきっとそうかも。
いっそのことポニーテールが出来るぐらいまで──そう微笑むほど嬉しい気持ちなのに、
どうしてか、頬を一筋の涙が伝った。

もうすぐ冬が明ける。
風に乗せられて感じる磯の匂いを愛おしく感じた。


62 ◆XksB4AwhxU2019/11/11(月) 10:54:55BwPhFJD2 (62/62)

終わりです。