265 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:29:45.96CXTObaj+0 (1/29)

****
 膝丈までのワンピースタイプの検査衣は真っ赤に染まっていた。
 壁に掛かった額縁型テレビでは、神経質な女の声がなにやら緊迫した状況を伝えていたが、
それは殆ど耳には届かず、『彼』の耳を右から左へと素通りしていく。
『クローン人間の"権利"を巡り、暴動が……』
 機能が鈍くなった聴覚情報に変わって、視覚は通常の二倍、いや三倍の情報を取得しようと
忙しなく稼動しているように感じられる。
 ちりちりと網膜に焼きつく情報の大半は『赤』。それ以上でもそれ以下でもなく、
床の大部分を染めるその色は、男の感覚の全てをジャックしていた。
 ハァ、ハァ、と短い呼吸が繰り返される。
 肩から掌までが細かく痙攣し、立てひざを突いたままの脚も同様に笑っていた。
 素足の裏や足の指の間を湿らせるのは、赤。
 赤い水気の中心には中年女性が仰向けで倒れており、男はその腰辺りにまたがっていた。
 女は白衣を着ている。だが、その白衣も真っ赤に染まっており、彼女は少しも動かなかった。
 いや、動けぬようにしたのは男だ。
彼が、ぴくぴくと痙攣する彼女に、助けを求めて這いずる彼女に、
何度も何度も、その手に未だ握られたままのメスを突き刺したのだった。
『十五年前に確立されたクローン製造に関する定義によると……』
 血みどろの彼女は完全に絶命している。
 男は、ハァ、ハァと息を吐いた。
 ハァ、ハァと何度も繰り返し吐息しながら、今から二時間前のことを反芻していた。


266 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:31:48.87CXTObaj+0 (2/29)

 意識が浮上する瞬間に、いつもと何かが違うと感じていた。
 まず、爆音が聞こえない。爆撃機が地上を攻撃する音が、少しも聞こえなかった。
 その代わりに聞こえてくるのは、爆音と同等程度に不快な、
だが生命を脅かすような危険性を少しも感じない音で、
それはどうやら地面を掘削する音のようだと男は判断した。
 その重低音に辛うじて埋もれない程度の声音で、『それ』は『おはよう』と告げた。
 女の声だった。
 男はベッドに横たわったまま、声の方向へと顔を動かすと、
ほのかに首の筋肉が軋むのを感じつつも、その視線の先には華奢な女がいたから、
やはり自身に声を掛けたのはその女だと把握することができたのだ。
「……だ」
 誰だ。口はそう開いたはずであるが、
喉から飛び出したのはヒュウヒュウと言う呼気に伴う音ばかりで、その発音は判然としなった。
 真っ白いLEDライトが目に眩しい。
 よく見るとそれは手術室にあるような無影灯だと気づいたが、
しかし何故自身がそんなものに照らされているのかが男は判らなかった。
 その上、光りに慣れぬ視界は未だ女の正体を掴むことができず、
男は少しばかりの不安に襲われながら
周囲を確認すべく、首を左右に動かしてみた。
「もう少し横になっていて」
 女の声が短く告げたが、男の問いに対する返答はなかった。


267 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:34:00.04CXTObaj+0 (3/29)

「だれ、だ……?」
 男は性懲りもなくもう一度尋ねる。 
 今度は何とかハッキリと発音することに成功したが、
しかし彼は自分自身の声に驚きを隠せなかった。
干からびた喉は、皮同士がくっ付くような不快感があったが、それ以上に彼が驚いたのは、
その掠れた声でさえ確認できるほど、自身の声が少年のように『若かった』ことだ。
 霞が掛かったような脳は上手く機能しない。
彼は、気を抜けば意識を失いそうなほどの頭痛に襲われながら、
なんとか起き上がるべく、ベッドのはしに手を額につき、
そして目に染みる光りを遮るべく目を瞑りつつ体を起こした。
 否、起こそうという努力も束の間で潰えて、男は力なくベッドに沈み込んだ。
 体が鉛のように重くて、まるで言うことを聞かないのだ。
 頭も痛むし、両手両足はとにかく重くて、まともに動くことがままならない。
「その体にも、そのうち慣れるわ。大サービスよ。うるさい人がいるから」
「なに……?」
 どういう意味だ。
 そう問いかけようとした瞬間に、女は短く告げたのだ。
「タカシ君。今日アンタにはここを出て行ってもらうわ」
 タカシ――? 
 その名を耳にすれば、男――、否、タカシは、
己の意識が突然にクリアになっていく感覚に襲われた。
 違う、『そう』ではない。
 タカシはゆっくりとかぶりを振った。
 目の前の誰だか判らぬ相手に対して、懸命にかぶりを振る。
 違う、『そう』ではない、『それ』ではない、と。
 『それ』を耳にした瞬間、今現在自分の身を襲っている全ての事象がどうでもいいことのように感じられた。
 まず、『そう』ではないとと伝えなくてはならないと、そう考えたのだ。
 だが、男はふと思った。
『そう』ではないとは、なにが『そう』ではないのだろう、と。


268 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:36:27.12CXTObaj+0 (4/29)

 男の動揺を差し置き、女はツラツラと言葉を紡ぎ続けた。
 規則的な抑揚をつけて続けられる言葉は、どこかよその国の言葉のようにさえ感じられる。
「大丈夫、国へ申請する書類には、戦時下のいざこざで書類に不備があったことにしてあるから。
望むのなら医療機関も受診できるし、誰もアンタのことを気に止めたりしない。
アンタはアンタが望むように生きていけるのよ」
 女は矢継ぎ早にそう告げるが、それらはどれひとつとしてタカシの知りたいことではなく、
だが女がさも当たり前のように言葉を羅列していくものだから、押し寄せる混乱の中、
タカシはたった一つ、『違う』と懸命に、短く、幾度かに分けて発音した。
「とにかく、アンタはなんの問題もなく生きていけるから安心しなさい」
 安心などできるものか。何故ならば『それ』は『違う』のだ。
 か細い声での訂正を、女はなにも聞こえないように振る舞い今後の生活について進言し始めた。
 まず男はタカシと言う名であるということ。
 そして当面の生活の面倒は金銭的にもキチンと見てくれる人がいるということ。
 そして女自身が、今後はタカシに関わることはないと言うこと。
 ――理解が追いつかない。
 なにを言っているのだ、と彼は考えた。
 ぼんやりとした視界がだんだんと明瞭になっていく。
 眩しい光に未だ目を眇めてはいたが、二百万本の視神経はその女の容貌を把握し始めていた。
 彼女は、それを見計らうようにして、これ見よがしに溜息を吐いて見せる。
 タカシの頭の回転の鈍さに憤っているのか、それとも別の出来事が彼女を苛立たせているのか、
或いはその両方か。
 とにかく彼女はイライラとした面持ちで、タカシの横たわるベッドの周囲を歩き始めた。
 行ったり来たり、それを繰り返す姿は忙しなくて、
見ているタカシからしても気分のいいものではない。


269 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:38:13.81CXTObaj+0 (5/29)

 幾度もタカシの視界の端を通り過ぎる彼女に、タカシは只管『違う』と言葉を紡いだが、
その全てが無視された。やがてタカシは『違う』と告げるのをやめ、彼女を観察し始める。
 彼女が誰か判らなかったが、
とにかくいずれは『それ』が『違う』と言うことを理解してもらわねばならないと感じたのだ。
 シワの深く刻まれた顔、白髪の交じり始めた短い髪。
それらをよく観察したのちに、タカシは既視感を覚えた。
 彼女を知っているような気がしたのだ。
 だが、それらはタカシの記憶の片鱗へと引っかき傷を作るが、
しかし誰だと断言するまでには至らない。
あと少しで彼女が誰だか判りそうなのだが、しかしハッキリと『誰』と判断できぬのだ。
 忙しなくタカシの周囲を歩き続ける彼女がふいに歩みを止めた。
 そしてその視線はタカシへと注がれ、
口を軽く開き何某かを紡ごうと二度ほど開閉を繰り返して見せる。
強烈なほどに赤く塗りたくられたルージュは、あまり彼女に似合ってないように感じられた。
「もう二度と会わないって約束『させられた』から、先に言っておくわ」
 意を決したように口を開いた彼女は、それが不本意であると隠すことなくその表情で示している。
 横たわったままのタカシも、その表情からして今から『特別』なことを伝えるのだろうと悟って身構えた。
「先に言っておくわ、ゴメンナサイね」
「なに……? 意味、が、判らな、い」
 何を謝っているのだろうか。
タカシはまずそう考えたが、しかしそれを伝えるほどの体力はない。
 女はタカシの様子をちらと見て、それから、『失敗したのよ私』と先ほどと同様に早口で言った。
 失敗した。
 その言葉を耳にした瞬間、タカシは何故か背筋が震えるのを感じた。


270 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:39:47.17CXTObaj+0 (6/29)

「タカシ君」
 女は尚も言葉を紡ぐ。
 違う、『そう』ではない。
 だが何が『違う』のか、そして『そう』ではないのか、タカシにも判然としない。
 ただ、『違う』と言うことを伝えなくてはならないような気がしたが、
今タカシが最も気になっているのは、女の口にした『失敗』と言う単語だ。
「し、っぱい、した?」
「そう、失敗したの。だからその『体』もアンタの遺伝子から復元した、
アンタそのものの体よ」
 女の言葉の意味が判らなくて、タカシは眉根を寄せて見せた。
 今しがた女が告げた『復元したアンタそのものの体』と言う意味も判らなかったし、
『失敗』の意味も未だ判然としない。
 暫くタカシは考えていたが、答えは結局見つからず、
意味が判らぬという意志を告げるために首を左右に振った。
「判らないなら好都合だわ。……私だって適合すると思ったのよ。
絶対するはずだったの」 
「わから、な……」
「判らないの? ……でもそのうち思い出すかもしれない。
アンタの記憶はそのうちキチンと戻る。アンタは私を恨むでしょうね。だから、今言うわ」
 意味深に紡がれる言葉は、どれもが謎めいていて、タカシの頭にしっくりとはまり込むことがない。
 どれも知っているよ言葉のような気がしたが、
だがやはり決定的な答えを導き出すことができぬのだ。
 タカシは彼女の言葉を待った。言葉の続きを。
「残念ながら、アンタの息子は死んだわ」


271 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:44:57.03CXTObaj+0 (7/29)

 息子。死んだ。息子、死んだ。
 息子が、死んだ。
 その言葉に、ゆっくりと意識が覚醒していくのをタカシは感じた。
 タカシ、自分の名前はタカシではない。
 ではタカシとは誰だ。タカシ。タカシ。
「た、かし」
「そう、タカシは死んだ。だからアンタの名前は便宜上のものよ」
 タカシは死んだ。タカシは、死んだ。
 息子、死んだ、死んだのは、タカシ。
「タカシ……」
「もうすぐ、アンタの幼馴染が迎えに来るわ。よかったわね。
浦島太郎状態だけど頑張りなさいね。
戦争は終わってるわ。改めて言うわ、おはよう、タカシ君。
今はアンタが眠りについてから二十五年先の未来よ」
 タカシ。
 男の頭に閉じ込められた記憶が、ゆっくりと溶け出していく。
 タカシ。小さい手。三歳の子供。まだ、三歳。
 ――お父さん。
 舌足らずな声。なんだ、と答えた。
 ――ろぼっと。
 アンドロイドって言うんだよ。
 タカシ――、否、『男』はそう答えてやってた。そう、息子の『タカシ』に。
 男はゆっくりと顔を持ち上げた。女は背を向けている。無防備だ。
 テレビからはニュースが垂れ流されている。
画面はなにやら暴徒と化した人々を映し出しており、アナウンサーは冷静な声で現状を告げている。
『引き続きクローン人間を巡ってのニュースです。国会では、』
 ――お父さん。
 なんだ。
 ――お父さん。
 なんだ、どうした。
『次は、水製造機に関するニュースです』
 アナウンサーの声。
 右から左へと素通りする声であったが、その音だけはハッキリと男の脳に響いた。
 水製造機。その言葉を耳にした途端、頭の中で、何かがカチリと噛みあうような音がして、
男の意識は今まで以上にハッキリとしていった。


272 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:49:46.97CXTObaj+0 (8/29)

「息子、は」
 干からびる声で尋ねた。
「だから、死んだわ」
 女は悪びれもせずそう言った。
 つま先から、血流が一気に脳に向かって駆け上がるような感覚がした。
「でも、」
 女がなにか言いかけた。それを待たずに男はベッドから立ち上がり、
そして女に向かって突進した。
 うおおお、と言う声は自分の叫び声だろうか。獣の慟哭のような音が鼓膜を揺さぶっているが、
それが自分のものであると男は暫くの間判らなかった。
 足がもたつく。ちらと視界に飛び込んだ己の脚は、酷く痩せて見えたが、
それをものともせず女へと突進していく。
 渾身の力を込めて、女の体に体当たりをした。
 女と接触した右半身が酷く痛む。
 自身の体もろとも、女の体が体が床へと倒れていき、
景色がスローモーションのように緩やかに傾いていった。
 と同時に、彼女が引っ掴んでいたシルバーバットも一緒に床へと転がり、
そして中身のメスやハサミがリノリウムの上へとぶちまけれる耳障りな音が鼓膜を激しく振るわせる。
 女が制止をしようと手を振り回すが、男はその首を引っ掴み床へと押し付けると、
右の拳を振り上げた。
「やめ、」
 制止の言葉を短く叫ぶ女は、中年だと男は再度確認した。
手や顔にシワとシミが刻まれており、それだけの歳月が『経ったのだ』と知らされた。
 細い首だった。それに、骨っぽい顔の輪郭。
 だが、今ならハッキリと判る。その年齢を重ねた顔は、確かにあの女――、
『男』の『脳』を『息子』に移植しようとした、あの『マッドサイエンティスト』である。
 男は拳を握り締め、その頬に向かって拳を幾度も振り下ろした。


273 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 03:54:39.80CXTObaj+0 (9/29)

「ぃ……、」
 女が悲鳴を押し殺したような吐息を漏らす。
 それでも男は振り上げる腕を止めなかった。
 拳に、ミシッと言う感覚が伝わった。
自身の拳にヒビが入った音なのか、はたまた女の頬に打撃が入った音なのかは判然としない。
だが、男は夢中で拳を振り下ろしていた。
 ミシッと言う音が何度も伝わる。興奮の為か、その腕が止まることはない。
 やがて女の顔は赤く染まっていき、そして指先が痙攣しているのが見えた。
 それでもなお抵抗をする女に、
男は転がっていたメスを握るとその首元めがけて躊躇なく振り下ろした。
 鮮血が舞う。
すっぱりと切れた皮膚からは、切断された血管がビクビクと脈打ちながら血液を放出し続けていた。
 鉄臭く生ぬるい雫が口に入るが、男はそれでもなおメスを振り下ろし続けた。
 顔を、目を、そして首を。
 容赦なく加えられる暴力に、女の体からは生気が抜け落ちやがて沈黙した。

 ――どれほどそうしていただろうか。
女に馬乗りになったまま、男はぼんやりとその肉塊を見下ろしていた。
 男は、人を殺した。
たった今、その手で女の首を引っ掴み、引きずり倒して、人であった者をただの肉の塊へと変化させた。
 今さらながら震え始めた両手を握り締め、
男はおびただしい血液でぬめる床の上へとゆっくりと足の裏をくっ付けた。
 立てる。立てるが、しかしその脚は驚くほど細く、頼りない。
 真っ赤に染まった検査衣が鬱陶しい。血まみれのそれを脱ぎ捨てると、男はその部屋から脱出すべく、
メタルカラーの扉に近づいた。扉は、パスワードの入力を求めることもなく、すんなりと開いた。
 変わっていない。
 男が監禁され体の自由を奪われたあの日から、この部屋は然して変わっていなかった


274 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:07:00.08CXTObaj+0 (10/29)

 男――、タカシと名乗るよう言われた男は、その場に再び力なく崩れ落ちた。
 ぬるついた脚は未だ本調子ではないのか、
いつまで経っても、リノリウムの床が体温で温まり始めても、立ち上がることができなかった。
 いや、これは気力の問題だろうか、と男――、タカシは考える。
 息子が死んだ。三歳の息子が。
 その事実を頭に少しずつ刷り込んでいくと、死と言う概念を初めて認識し方のように、
突如として悲しみが胸に渦巻き始めた。
 それを過ぎると極度の悲しみからか吐き気が襲ってきて、男は耐え切れずにそのまま嘔吐した。
 だが、なにも出ない。吐き気は襲うのに、空っぽの胃は何ひとつ吐き出すことができなかった。
 女は本当にタカシを――、息子を殺したに違いない。
 元々失敗する確立の方が高い実験だったのだ。
「なんでだ……」
 タカシは呟いた。
 あまりにも不自然だと、タカシは考えたのだ。
 死体をひとつ築き上げたあとで冷静になるとは妙な話であるが、
タカシは覚醒した脳で、ふと大きな疑問を抱いたのだ。
 移植についての疑問だ。  
 男とタカシは確かに兄弟であり親子であったが、移植の成功率は一般の兄弟の確率と変わらない。
 女が何故、どうして男とタカシの移植が成功すると睨んでいたのか、タカシには未だ判らなかった。
 移植を成功させるにはHLA抗原と言う、細胞の表面にあるたんぱく質の一致が重要で、
それらがあることによって自己と他者は正しく区別され、即ち彼らの存在によって体は守られるのだ。
 免疫の一種と思えばいい。それらの一致なくしては移植は成功しない。
 そしてそれらは、元々親子では一致しにくいとされている。
 仮に父を◇◆型とし、母を○●型とすると、子は◇○、◇●、◆○、◆●の四タイプが生まれる。
即ち、兄弟間での移植の適合率は1/4。
 確かに男とタカシの適合率は高いものの、それは通常の親子に比べて、と言う程度なのである。
 例えば男を◇○型、姉を◇●型としても、生まれる子のタイプは同じく四種、
つまり男とタカシは兄弟間の適合率と変わらぬ1/4のままなのだ。
 何故女が、男とタカシを検査することなくHLAが完全一致するとの誤解を抱いていたのか、
男には理解ができなかった。
 移植は彼女の専門だ。移植の基礎部分で過ちを犯すはずがないのだ。
 だというのに――、一体なにが。 
 もしかしたら、誰かが意図的に男とタカシのHLA抗原が一致すると
嘘の情報を彼女に流したのではないか。
 そんな考えが頭を駆け巡った。
 だが一体誰が。
 タカシは、それを確めなければならないだろう。息子が死んだ、その理由を。
 だが、嘘の情報をリークするような人間がサッパリ思い当たらなかったのだった。
****


275 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:09:40.78CXTObaj+0 (11/29)

「タカシ君、君、大丈夫かね」
 医師の言葉に、タカシは「いいえ」と短く返事した。
「体はまだ動かないのかね」
 それには「はい」、と答える。
「頚椎かもなぁ。代替パーツ作ってねぇけど平気かな。『再現』に時間が掛かるかも」
 技師がなにやらブツブツと言っていたが、タカシにはそれに耳を傾ける余裕もない。
 タカシの記憶は、そして情動は、すべてがショウタの管理下に置かれている。
今しがた受けた告白は、タカシを呆然とさせるには充分な衝撃であった。
 少し前のタカシなら鼻で笑って否定したことであろうが、今はそれすらできない。
何せ、記憶が曖昧すぎる。タカシは今は、自身が何もであるかさえ判然としないのだ。
「君は君について知る必要がありそうだ」
 医師は淡々と告げていたが、しかしのその瞳はタカシを哀れんでいるような色合いをしていた。
 風ひとつ吹かない地下室だ。澱んだ空気はまるで、混濁したタカシの記憶そのもののようである。
「私はね、タカシ君。君を失いたくはないんだよ」
 タカシにとっては初対面とも言える医師が、苦渋を浮かべて言った。
彼は足を組みなおし、そしてその膝頭を組んだ掌で覆って見せた。
「君の頭を毎回開いているのはこの私だ。そして記憶を捏造しているのは、彼」
 親指でひょいと指した先のは技師が居た。彼も医師と同様に、苦い表情を取っている。
「君の開頭に何度も携わった。正直、それはいいことではない。
いや、同じ医師が同じ患者の手術をするのは構わない。
そうではなくて、そう何度も頭を開けるのは、決していいことではない。
頭は人間にとって重要な部位だ」
 それに、と医師は続ける。
「人の記憶を捏造するのは、楽しい仕事ではない」
「捏造してんのは俺だけどな……、今じゃな、人の記憶の五割程度は映像として抽出できるんだ。
俺はそれをコンピュータ上で弄って捏造する。全部あの坊ちゃんの依頼だ」


276 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:13:57.87CXTObaj+0 (12/29)

「……ショウタは、何者なんだ……」
 タカシは苦々しくそう吐き出した。
 タカシの記憶が捏造されたものならば、
そもそもショウタは奴隷でさえないのかもしれないと、漸くそこに考えが至ったのだ。
 タカシが買ってきた生意気な貴族奴隷。それがタカシの認識であったが、
それが事実である可能性はきわめて低いとタカシは自覚していた。
何せ、タカシは己の実態さえ判らぬのだから、他人に関する記憶などそれこそ怪しい。
 そして目の前の二人は、ショウタを知っているようである。
 この二つの事実によって、ショウタはタカシに買われてきた奴隷ではないということは、
殆ど確定した事実と考えていいだろう。
「何者なんですか……」
 二人のどちらかが答えてくれるに違いないと尋ねるが、返答はいつまで経っても帰ってこない。
 項垂れたタカシの耳に、吐息が届く。
「それは、知らねぇ方が幸せだ」
 答えたのは技師だった。
思わず顔を持ち上げるが、彼の眉間はシワが寄っており、タカシと視線がかち合えば、
首を左右に振って見せる。続いて医師へと視線を移せば、やはり彼も同じように首を振って見せた。
 話すつもりはない、と二人ともハッキリと意思表示している。
 おそらくそれは、ショウタの為ではなく、タカシの為に隠匿しようとしているのだ。
そう気づけばタカシはもう何も言えなくなる。
これ以上の衝撃が襲い掛かるなど、タカシには到底耐えられそうにない。
 全てを知る勇気など、あるわけがなかった。
「あんたは数年前、大きな事故に遭った。と言うより、テロに遭ったっつーか」
「……テロ?」
「ああ、テロだ。落ち着いて聞きたまえ。
この国の水が、とある製造機によって作られたものだと知っているね?」
 勿論だ、とタカシは頷いた。
「それを作ったのは、君だ。そしてそれが引き金となり、戦争が起こった」


277 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:17:03.98CXTObaj+0 (13/29)

「……ちょっと待ってください、意味が判らない」
 記憶の断片、ほんの少し前に見た夢の内容がふいに思い出されるが、
タカシは首を振って否定する。
 そんなはずはない、と。この国を戦争に巻き込んだ原因が自分であるはずはない。そう思いたかったのだ。
 あれは、ただの夢のはずだ。タカシにそれほどまでに大それたことができるはずもない。
 そう自身に言い聞かせるように頭を振るが、しかし医師の言葉が鼓膜に、脳に絡み付いて振りほどけない。
「君は、今も残る過激派の残党の手によるテロ行為にあったのだ。
それは明確に君を狙ったものだった。君がそこにいると、何者かがリークしたのだ」
 タカシの乗った車は、仕掛けられた爆発物によって大破したのだという。
「そして君は、」
 医師の瞳が揺れた。
「そして君は、妻を失った」
「つ、妻?」
 思わず声が上ずった。
 タカシは今しがたまで己を独身だと――、性嗜好が多少歪んでいようとも、不貞はしない主義だ――、
そう思っていたのだから、その事実に驚くのも無理のない話しだろう。
「ちょっと待ってください、妻って……」
 全く記憶にない妻。それを思い出そうにも、
記憶そのものが改竄されているのだから思い出されるはずもない。
「あとひとつ、これだけは教えておこう」
 医師が浅く息を吸い込み、タカシを真っ直ぐに見た。
「ミユキ君は、君の姉ではない」
「……嘘だ……」
 思わずそう返答するが、二人のどちらともがその言葉を肯定してはくれなかった。
 ――なにもかもが虚像で満たされている。
 タカシの中には、真実などただのひとつも、ひとかけらもないに違いない。
 ミユキはタカシにとって、何者であるのか、またショウタはどこから来たのか。
 タカシは誰なのか、一体なんなのか。


278 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:19:33.36CXTObaj+0 (14/29)

「じゃあ、彼女は、姉は一体何者ですか?」
 彼らは、おそらくタカシの味方となりうる人物なのだろう。
そして、ショウタにはあまり好意的ではないことも判る。
 タカシはその味方に縋るようにして返答を求めた。
 医師として、技師として、人の記憶を好き勝手弄り倒すことに拒否感を覚えているのだろうか。
 タカシは、彼らに期待をしていた。そう、ショウタを裏切ることを。
「姉は、何者なんですか……?」
「彼女は、」
 医師が口を開きかけたときだった。
「ミユキはアンタの奥さんだよ」
 静かな声が三人の会話に割って入ってきた。
「ミユキはアンタの奥さん」
 凛とした、少年の声。
 音もなく重い扉を開けたのか、それとも三人が話しに夢中になっていたのか、
ショウタはそこに居た。
 半ズボンに、Yシャツ、ニットのベストはお坊ちゃま然としており、
その態度はどこか威圧的にさえ感じられた。
「ぼん……」
 チッと、技師が舌打ちをした。
「酷いよね、二人とも。裏切るなんてさ」
「俺はぼんに雇われているわけじゃねぇ。裏切るもクソもねぇだろ」
「今は俺が雇ってるのと同じじゃん」
 お前は何を言ってるんだ。そう言いたげな小馬鹿にしたような表情で、ショウタは首を傾げて見せた。
 その顔は、貴族の少年らしいふてぶてしさがあった。
 タカシはその顔にひどい嫌悪感を覚え、そして視線を逸らした。


279 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:22:59.29CXTObaj+0 (15/29)

「いいや違う」医師は首を横に振った。「雇い主は、タカシ君だ」
「まだ言うんだ、そういうこと。馬鹿みたい。馬鹿じゃないの。
誰のおかげでこいつは生きていると思ってるの。なんでこんな死に損ないを雇い主だなんていうの」
「坊ちゃん、やめたまえ。それ以上は言っていいことではない」
「こいつを、生かしてやってるのは俺じゃん! そうしなかったらこいつはあのテロで死んでた!」
「ぼん」
「坊ちゃん」
 きつい声音での制止は効果がまるでないようだ。
 ショウタはその小さな口を目一杯広げ、そして言い放った。
「こいつの体はもう全部機械じゃん!
脳みそしか生身の部分がないなんて、アンドロイドと変わんない!
でもそうしないと助からなかった」
「いい加減にしたまえ!」
 医師が立ち上がり、ショウタの襟首を掴んで平手打ちをした。
 小さな体が一瞬だけ、その力に押されて斜めになった。
 タカシは、その様を冷静に見ていた。
 冷静に見てるしか、なかった。
「お前は機械なんだよ! ずっとずっとそうだった! 機械なんだ、機械!」
 キカイキカイキカイ。
 なにを言っているのか、判らなかった。
 タカシは機械。脳以外の殆どが機械。
「こいつらがアンタに頭を弄りたくないとか言っているのだって、
人間を機械にすることを怖がってるからなんだ!
別にいいことをしようと思ってあんたに本当のことを言ったわけじゃない!」
「坊ちゃん!」


280 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:24:40.09CXTObaj+0 (16/29)

「アンタがそうなったのは当然のことだよ! バチが当たったんだ! 
アンタは、アンタは、アンタは……、
アンタはいつだってアンタとアンタの姉ちゃんとその子供のことしか考えてなかった!
俺がどんなに惨めだったか判る!?」
 どんなに惨めだったか判るか。
 何度も何度も、ショウタは繰り返し問うた。
 肩を怒らせ、また、胸元をその手で押さえながら。
 だが、そのショウタの態度よりも、続けざまに襲ってくる真実の大群に、タカシはなすすべもなく、
言葉一つ一つを理解することもなく、ただただ為すがまま、されるがままになりながら、
ショウタの吐き出す真実の告白に耳を傾けていた。
「変態! 自分の姉ちゃんと子供を作った変態の癖に!!」
「ぼん」
 ――自分の姉と子供を作った。
 こみ上げる吐き気に耐え切れず、タカシは胃の中身をぶちまけた。
 吐瀉物で下半身が汚れるが、それに構うことなく中身を吐き出した。
「アンタは、俺のことなんてどうてもよかったんだ! 俺だって、俺だって……、」
「坊ちゃん!」
「俺だって、アンタの子供なのに!」
 悲鳴のような声だった。
 澱んだうす闇を切り裂くような声は、室内に木霊する。
 ショウタの叫びに呼応するようなその音の漣は、
タカシの鼓膜に絡みつき、纏わりつき、そして脳をえぐった。
「こども……?」
 信じられない気持ちで尋ねるように、
いいや、何かの間違いであるようにと願うように、祈るように呟く。
 ショウタの目がタカシを見た。
 真っ赤に充血した目は、燃えるような憎しみで満たされていた。
涙を湛え、しかしそれを一滴も零すまいするかのように、
真っ白になるまで拳を握り締め、襟元に宛てている。


281 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:26:56.46CXTObaj+0 (17/29)

「そうだよ! アンタは自分の子供をレイプしたんだよ! ざまあみろ!
アンタが大嫌いな俺のことを、アンタはあの時だけは見てた!
 "生きてた頃"は俺の顔を見るたびに目ぇ逸らしたくせに! 俺が邪魔だったくせに!
ざまあみろ! ざまあみろ!! 俺が悪いんじゃないのに! 俺のせいじゃないのに!!
なのにアンタは俺を邪魔者にした! ざまあみろ!!
 姉ちゃんと子供を作っただけじゃなくて、お前は自分の子供もレイプしたんだ!
変態! 地獄に落ちろ!!」
「ぼん、もうやめろ!」
「うるさい! うるさいうるさい!」
 ざまあみろ。支離滅裂にそう繰り返すショウタは、
タカシの記憶にあるショウタのどの姿よりも幼かった。
 初めてショウタを犯したとき、ショウタは叫ばなかったか。お父さん助けて、と。
 目の前が暗くなっていくのを感じる。 
「ぼん、落ち着け」
「離せ、離せよ!」
 技師がショウタを羽交い絞めにしている。
「許さない! 俺のことを邪魔者にしたお前を許さない! ざまあみろ……!!」
「ぼん……! いってぇな、クソ、引っかくな! おい、ぼん!」
「死んじゃえばよかったんだ! あの時、死んじゃえばよかったんだ!」
 技師の腕に爪を立て、ショウタは自身を阻む存在から逃れようとしている。
「死んじゃえばよかったんだよ、そうだ、死ねばよかったんだ!」
「こら、ぼん!」
 ついにショウタの目から大粒の涙がこぼれだした。それが合図だったかのように、
ショウタの動きが止まった。
「死んじゃえばよかったんだ……俺なんて……俺が死ねばよかったんだ……」
 はぁはぁと息を切り、ショウタは俯いた。
ひっひとえづくような声がして、そして技師の服を引っ張り無理やり顔を拭いて見せた。
「ショウタ……」
 震える声でタカシは名前を呼んだ。
 自分の息子だと名乗る子供の名前を、干からびた声で呼ぶ。
「おれ、俺なんて、死ねばよかったんだ……」
 ショウタは泣き続けている。

『お父さん』 
 
 ふいに、耳の奥で声がした。
 子供の声だ。幼児の、声。
 タカシは、何故かそれがショウタの声ではないと断言できた。
 そしてそれが、『息子』の『タカシ』の声だとも。
「タカシ……」
 呟いた声に、ショウタは、目を見開いた。
「やっぱり、俺なんて死ねばよかったんだ……」
 絶望したような目。
「お前は完璧じゃなかった。ホテルになんか助けに来なければ、完璧だったのに……」
 そう呟いたかと思うと、医療器具の入ったバットからメスを振り上げ、そして――、


282 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:30:02.23CXTObaj+0 (18/29)

****

 血に滑った足が気持ち悪い。
 タカシは足を床に擦り付け、なんとか殺人の記憶を体から追い出そうと努力した。
 だがそんなことをしても乾きかけた血液は取れてはくれぬし、女の死体が消えるわけでもない。
 肉塊と共に過ごし、凡そ一時間ほどが経った。
ぼんやりとアホのように佇むには、なかなか長い時間だろう。
 のそりと動き出したのは体中に血の匂いがして気持ち悪かったからだ。
 女の家に、男物の服などあるだろか。
 手術室を後にして、タカシはまずそんなことを考えていた。
 死体を隠さなくてはならないという意思よりも先に、そんなことを考える自分がおかしかった。
 なんとかタカシでも身につけられる衣類を引っ張り出して、
それらに漸く着替えたところで、突然その訪問者は訪れた。
 タカシの記憶では、セキュリティの強化されたこの家に訪れる人間はそういなかった。
 インターフォンが鳴らされ、モニタに映し出された『少女』の顔には見覚えがあった。
 タカシは暫しモニタの前で状況を把握しきれず、
そして混乱の入り混じった思考のまま『誰だ』と問うたのだ。
 モニタの向こう、彼女は怪訝な顔で首を傾げ――、
それはタカシにとって見覚えのある仕草であった――、
言葉少なに答えられた名に、タカシは仰天した。
『ミユキよ』
 そう彼女は返事したのだ。
 ミユキは、アンドロイド製造業を生業とする貴族の娘である。
水製造機量産に協力をしてくれたタカシの幼馴染で、
当時、協力者として立候補してくれた数少ない知人だ。
 最後に会ったとき、彼女は三十手前の女性であったはずだ。
だが、モニタの向こうでワンピースをまとう彼女はどう見ても十代の少女である。
 そして彼女は『今日、貴方……、タカシさんの目が覚めるって聞いたから、迎えに来たのよ』と告げたのだ。
 殺される前、確かにあの女は『幼馴染が迎えに来る』と言っていた。
そして女は『今が二十五年先の未来』だとも言っていた。だというのに、彼女は少女だった。


283 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:31:39.70CXTObaj+0 (19/29)

 タカシはハタと自身の声に対する違和感について思い出した。妙に若い、己の声。
それについての違和感は、女に対する憎しみを前にすっかりと記憶の彼方に放られていた。
 恐る恐る頬に両手で触れる。違和感はない。
 だが、確かに『体』に違和感を覚えるのだ。
 モニタの向こうで、タカシの混乱をよそにミユキはタカシを呼び続けた。
 待ってくれ、だとか、いや、と歯切れの悪い言葉をタカシが数回紡いだところで、
彼女は『開けるわね』と短く告げたかと思えば、なにやらモニタから姿を消した。
 身をかがめている。網膜スキャンをしているに違いないと気づくが、
彼女はタカシの制止も聞かずに鍵を開けに掛かっている。
 まずい。そう思った。何せタカシが今しがたまで眠っていた部屋には、そう、女の死体があるのだ。
 誰かが死体を目にするという可能性に直面し、タカシは漸く己のしでかしたことの重大さを思い出した。
 待ってくれ、と言う叫びに似た制止もむなしく、果たして扉は開け放たれ、
そして彼女は家屋に侵入してきたのだった。
 瞬間、タカシは息を飲んだ。
 彼女の姿に驚いたのではない。その衝撃は既に過ぎ去っている。
 そうではなく、扉のその向こう、そこにあるのは発展した都市だった。
いや、発展すべく工事を重ねている最中のビルの群れのだ。
タカシたちはその中にいたのだ。
 空の色が妙に薄い。敷地の外を馬車が通り過ぎ、
それとは不似合いな近未来的な街並みがそこにはあった。
 ビルからビルを繋ぐのは、空と同じく淡い青色のチューブ。
どうやら巨大なビルには、それごとに駅が存在しているようだ。
どういう仕組みなのか、チューブの中を浮遊するようにして球体が移動している。
球体の中には人が入っているようだった。
 浦島太郎状態、まさにソレだった。死ぬ前に女が言っていた台詞を思い出す。


284 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:32:57.96CXTObaj+0 (20/29)

「会いたかった……!」
 タカシの困惑と、感動と、そして恐怖、それらを破り去ったのは、ミユキの声だった。
 半ば体当たりするようにして、彼女はタカシに引っ付いてきた。
「おい……!」  
 思わず抵抗して腕を真っ直ぐに伸ばそうと試みるが、
彼女はそれをものともせずタカシの頬に手を伸ばす。
「昔のままね……」
 見上げる顔の位置が、近い。
 タカシは頭の片隅で、警報を鳴らしている自分に気づく。
そう、ミユキの顔が異様に近いのだ。
 タカシは――、男は、昔、一七〇cmほど身長があった。それに対して幼馴染のミユキは一五五cm程度。
タカシの記憶ならば、鼻の下辺りが丁度彼女の頭頂部であったのだ。
であるにも関わらず、彼女の身長は丁度タカシの目線程度。
身長差が僅か五センチ程度にしか感じられないのである。
「私、貴方が『成長』するのをずっと待ってたの……!」
「は?」
 潤んだ目は、タカシを真っ直ぐに見てくる。
身長差はごく僅かであったから、ミユキがタカシを見上げてくることはない。
「貴方の体が成長するのを、待っていたのよ」
 どういうことだ、なにを言っている。
 その言葉がまるで出てこない。
 成長するとはなんだ? 一体なにが起こっているのだ。
 タカシの混乱に漸く気づいたのか、ミユキは「あら?」と間抜けな声を出す。


285 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:34:15.39CXTObaj+0 (21/29)

「もしかして、あの人からなにも聞いていないの?」
 あの人とは、女のことだろう。途端に女の死体のことが頭を駆け巡りだす。
「あの人、何をしているの?」
 女の出迎えがないことを不審に思ったのだろう、
ミユキは迷うことなく土足のままでリノリウムの上へに足を乗せた。
「待て!」
 細い手首を掴む。ミユキは、きょとんとした顔をしてタカシを見ている。
 どうしたの、と言うミユキの言葉に応えられるわけがない。
 途端に心臓が早鐘を打ち始めた。
 そうだ、タカシは暢気にお喋りをしている場合ではないのだ。
 タカシは今、人を殺した。そう、殺人を犯したのだ。
 それがどれほど重罪であるのか、戦争を経験したタカシは忘れていた。
「……なにか、あったの?」
「いや……」
 しどろもどろになるタカシに何かを察したのか、
ミユキはタカシの手を振りほどいて廊下を奥へ奥へと進んでいく。
「待て!」
 声を荒げるが、彼女の足は止まらない。
 女を殺す時にはあれほどの瞬発力を見せた足が、どうしたことか、今は全く言うことをきかなかった。
一歩踏み出すたびに足はもつれるし、その足を踏み出す作業そのものがのろま臭くて時間が掛かる。
「待て!」
 悲痛な声にミユキは一度だけ振り返り、だが足を止めることなくズンズンと奥へと進んでいく。
 白いワンピースは彼女が歩くたびに揺れ、まるで逃げているようにさえ見えた。
 時すでに遅し、タカシがそこに辿り付いたときには、彼女は肉塊を見下ろしていた。
 白いヒールの端が、少し赤く染まっている。
 手に持っていたバッグは床に落下し、そして彼女はまじまじと女を見ている。
 どれほどの間、そうしていただろうか。沈黙を破ったのは、ミユキの方だった。
「大、丈夫。私がなんとかするわ」
 なんとかなど、できるはずがない。
 口を開きか掛けたタカシを制止するようにして、ミユキはスカートが汚れぬよう慎重にしゃがみ、
そして落下したバッグを探った。
「大丈夫、なんとかするから」
 ミユキは繰り返し『なんとかする』と呪文のように呟き続け、バッグから小型の――、
タカシが目にしたこともないような、薄く四角い端末を取り出し、なにやら操作をしていた。
「大丈夫。私が、私が貴方を助けるわ。私しか助けられないもの。
あの時、あの時だって、そうだったでしょ? 私は、貴方を助けられるわ……」
「ミユキ……、」
 ふいに名前を呼んだ。
 その声に呼応し、ミユキが視線を持ち上げ、そして、ふ、と柔らかく微笑んだ。
「大丈夫、大丈夫だから、安心して」
 ミユキは震える指で掌に収まった端末を操作し、そしてそれを頬に押し当てた。
どうやらそれは、ケータイ電話のようだった。
 大丈夫。
 大丈夫だから。
 子守唄のような声音の呪文を聞きながら、タカシは赤いぬめりに足を浸し続けていた。


286 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:36:37.57CXTObaj+0 (22/29)

****
「一八歳になったら娘と結婚してくれ」
 その男性はどうみても還暦を越えており、
その隣に座る少女は十五、六、どんなに大きく見積もっても
到底二十歳には見えぬような、幼い面差しをしていた。
「ミユキと、結婚をしてくれるね?」
 威圧的な態度で男性は言った。
 祖父と孫娘。外見だけを見ればそれくらいにしか見えぬ二人であったが、
遺伝的に戸籍的にもれっきとした親子である。
「ミユキは君を待つために、体まで変えた」
「お父様、そんなの私にとっては瑣末な問題よ」
「そうは言ってもな、ミユキ。あの頃……、お前が四十になろうとしていた頃の話だ。
お前はタカシ君、彼の死に絶望して結婚もしないで毎日泣き暮らしたね、十年も。
お前はそういう犠牲を払っているんだよ。それに、私たちは彼の水製造機についても協力をしている」
 そんなこと知ったことではない。タカシは渋面しそうなのを何とか堪え、茶を啜った。
 貴族らしい考え方だ。自分たちは何ひとつ悪くはない。悪いとしたらそれは他人。
彼らはそういう考え方をするのだ。吐き気がした。
 確かに水製造機の製造に力添えをお願いしたのはタカシで、
彼女が協力してくれた根底には彼女のタカシに対する思慕があったのは承知をしていたが、
しかしタカシは『自分を想ってくれ』などと言ったことは一度もない。
 そもそも、タカシの最初の移植――、
つまり息子のタカシに、父親である自分が移植されようとしていたとき、
彼女はすでに三十路を越えていた。 
 タカシにはその頃息子のタカシがいたし、
彼女の気持ちには応えられぬと、それまでに散々示していたはずだ。
 それを今さら持ち出されても……と思うが、しかし雁首そろえて威圧的に微笑まれては、
タカシは何ひとつ言い返すことができなくなる。
 ――その上タカシは、殺人の記録まで消してもらっている。
 なるほど、タカシは用意周到に罠へと導かれたと言うわけか。


287 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:38:59.17CXTObaj+0 (23/29)

「タカシ君」
 返答のないタカシに焦れたのか、男が語気を強めて言った。
「君の移植に失敗したあとの十年、ミユキは泣いて暮した」
「お父様、」
「それから十五年後今年、私は一瞬だけだが娘を失った」
 うう、と芝居染みた態度で男が目頭を押さえた。
 泣いているつもりか。
 白けた気持ちになりながら、タカシは茶を最後まで啜った。
「お父様ったら、私はここに居るわ」
 麗しき親子愛。馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
「だがな、ミユキ。クローン技術は確立されてまだ十五年だ。
お前のクローンを作るのはいい。だが脳を移植すると聞いた時、
私がどんなに心配したか判るか?」
「お父様……、ごめんなさい」 
 ミユキがしおらしく謝った。
 つまり、ミユキはタカシが死んだあと――、脳は復元され保管されていたわけだが――、
十年はタカシを思って泣き暮らした。
その丁度十年目にクローン技術が正式に民間で扱えるようになったと発表を受け、
ミユキは自分のクローンを作り、脳以外を利用することにした。
 本来は遺伝元の人間に何か不幸な出来事に直面した際――、
それは専ら移植が必要とされる場合の事故や病気を指す――、
クローンの臓器や皮膚を用いて不足分を補おうという技術であるが、
ミユキはクローンの脳をすっぽりと取り外し、
自身の脳を移植することで己を若返らせたのである。
 そして彼女は十五歳の少女の体を手に入れるに至ったのだ。
 また脳だけの状態で保管されていたタカシも同様に、ミユキの移植成功を待ち、
同時期に育てられていたクローン人間へと己の脳を移植されたと言う話だ。


288 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:44:14.94CXTObaj+0 (24/29)

 だから私の方が少しだけお姉さんね。
 そんな風に少女めいた表情で言うミユキが気持ち悪かった。
 なにせ中身は五十五歳の女だ。だが彼女の中身はまるで成長しておらず、
初恋を抱えたまま人生の折り返し地点まで生きてきた痛々しいまでに幼い中年女性なのだ。
それが妙に気持ち悪くて、タカシはそっとミユキから目を逸らした。
「君は戦後生まれたことになっている。
故に君は戦犯としてではなく、まっさらな何の罪もない少年として表を闊歩できるのだよ、タカシ君。
そうなるよう便宜を図ったのは、ほかでもない私たちだ」
 タカシが石を投げられることも泣く真っ当に生きていられるのは自分たちのおかげである。
男はオブラートに包むこともなくそう言い放ち、
そして生活を支援しているのだからミユキの願いを聞き入れ結婚することは当たり前だと主張しているのだ。
 タカシはどうしても『はい』と返事をすることができなかった。
 誰も頼んでいない。何ひとつ、タカシが望んだことではない。
 タカシの中にあるのは姉への愛情と、そしてたった三歳で死んだ息子のタカシのことだけだ。
 他のことなどどうでもいい。
 あとひとつだけ気になることと言えば水製造機のことだろうか。
 タカシはツイと視線を泳がせ、時刻を確認した。
 この豪奢なリビング――、床は大理石、二人とタカシの座るソファは革張り、
天井からはシャンデリアが下がっている――、
に腰を落ち着けてから早二時間は経過している。幾度溜息を飲み込んだのか、
タカシはカウントすることを諦め、ただ只管に時が経つのを待っていた。
 ミユキのに対して、幼馴染としての情はあっても、それ以上のものは少しもない。
 その幼馴染としての情でさえ、近頃は緩やかに変容しつつあった。


289 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:49:59.66CXTObaj+0 (25/29)

 ――姉が病に倒れたのは、十代の半ばのことで、
それは他の一族の女に比べてだいぶ早い発病だった。
 タカシが誰かも判らなくなり、
次第に静かに人形のようになっていく姉の世話をしていたのは他ならぬタカシだ。
 人生の半分近くは姉の世話をしながら生きてきたのだ。
 それゆえか、タカシの姉への気持ちは次第に歪になっていき、
気がつけば女に向けるそれと同じ情を抱き悶々と過ごしていた。
 それが異常なことだとはよく判っていたし、随分苦しんだと思う。
 ある時、何が引き金となったのかは忘れたが、タカシは突然にその煩悶をかなぐり捨てたのだ。
 姉はなにも判らない。そして早々に死に行く身だ。
例えば夫でもこれほど丁寧に世話を焼いたりしないだろうというところまで、
タカシは姉の面倒を見てきたのだから、たった一つの願いくらいかなえてもいいだろうと考えた。
 魔が差したのだ。
 魔が差して、タカシは姉を汚した。
 たった一度のそれで、姉は身篭った。
 タカシはそれに戸惑うどころか喜びを覚え、そして姉に子を産ませるために堕胎が不可能な時期まで
姉の妊娠を隠し通した。
 あとは親戚一同を巻き込んだ修羅場と化したが、タカシにはその騒動でさえどうでもよかったのだ。
 姉はタカシの全てだった。ほかはどうでもいい。
 それが如何に歪んでいるかなど、他人に指摘されるまでもなく、タカシには充分に判っている。
 タカシはやっと手に入れたものを奪われるようにして失った。
 それを充分に理解しているクセに、タカシの痛い部分に着け込みあれこれと要求するこの親子に
近頃ではほのかな嫌悪感を抱き始めてさえ居るのだ。 
「私たちは君の殺人まで隠匿した」
 切り札だと言わんばかりに男はそういい、タカシを見た。



290 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:51:14.87CXTObaj+0 (26/29)

「――意味が判りません」
 タカシは幾度か押し込めていた溜息をこれ見よがしに吐き出したあと、率直にそう述べた。
 そう、意味が判らないのだ。
 タカシを愛娘と結婚させたいという意味がよく判らないのだ。
 タカシはタカシとして、男の言い方を借りれば『まっさらな何の罪もない少年』として生きてはいるが、
その中身は『戦犯』であったし、そもそもミユキに対して愛情の欠片も抱いておらぬのは
タカシの態度を見れば明白であろう。
 タカシはいつ戦犯であると明るみにでるかも判らぬ身の上であるし、貴族でもない。
その上娘を愛してもいない男へと嫁がせるなど、不自然なことこの上ないだろう。
 タカシにはそれが何よりも不思議であった。
「何が目的ですか?」
 わざわざタカシを保護するメリットもないはずだ。
「私は娘を思っているだけだ」
 なんて白々しい言葉だろう。きっと何かが隠されているに違いないが、その何かが判らない。
 タカシにはやらなくてはならないことがある。
 息子を殺した――、息子とタカシのHLA抗原が一致するとリークした人物を探さなくてはならないのだ。
 ミユキに構っている暇などない。
「俺はミユキを愛していません」
「知ってるわ」
 刺々しく告げたタカシの言葉に応えたのは、意外にもミユキであった。
 彼女は思いの外冷静に、凛とした声でもう一度『知ってます』と返答を繰り返してみせる。
「そんなこと承知しているのよ。だからいいの、形だけでもいの。私と結婚してくださらない?」
 正直な話、その申し出にタカシは面食らった。
 結婚だけでいいとはどういうことだろうか。


291 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:53:15.85CXTObaj+0 (27/29)

「結婚して、そうね、子供が生まれればそれでいいの。一人だけでいい」
「ミユキが子供を一人産むことに何のメリットがあるか俺には判りません」
「私は貴方の子供が産めれるのなら、」
「違う。ミユキ、君ではない。貴方だ」
 目的などないと言われたところで、それを易々と信じるほどタカシは馬鹿ではない。
何かしらの目的が、目の前の初老の男の胸のうちへと隠されていることは確実なのだ。
タカシはそれをどうしても聞き出したかった。
 もう二度と人に騙されたくはない。
 貴族は平気で嘘を吐く。タカシは貴族と言うだけでその一族もろとも嘘吐きだと知っている。
貴族の口車に乗せられて、タカシは息子を失ったのだ。
「目的などないと言っている。何度言わせれば気が済むんだね」
「嘘ですね」
「君がそう思うのなら永遠にそう思っていればいい。だが私に目的などないよ」
 嘘だ。タカシはもう一度口には出さず、心中でそう呟いた。
 信用するな、絶対に。
 両の目でしっかりと男を見据え男の腹を探ろうと考えた。
 なにか目的があるに決まっている。だが一体何が? タカシには財産もなければ特許もない。
あるのは戦犯の汚名のみだ。タカシをミユキに宛がい婚姻関係を結ばせるメリットは全くないはずだ。
 どれくらいの間そうしていただろう。
 タカシの視線から目を逸らすことなく佇んでいた男が、ふいに口を開いた。
「君の息子の記憶は残っている」
「……は?」
 今、男はなんと言っただろう。タカシは間抜けな声でたった一文字そう発音した。
 男は疾うの昔に冷め切ってしまった茶を優雅な仕草で飲むと、
「残っているんだよ、君の息子の記憶はね」と繰り返して見せた。


292 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 04:59:23.25CXTObaj+0 (28/29)

「……何の話ですか」
「記憶だけではない。脳そのもののスキャンデータも残っている。
現代の技術ならば脳から組織を拝借しクローンを作り出すこともできる。
今現在の法ならば、クローンを作ることも許されている。
君の息子は完全再現が可能なのだよ、タカシ君」
 息子が――、息子のタカシが、完全再現できる?
 タカシは瞬きをするのも忘れて男を見つめた。
 あの女、マッドサイエンティストは、確かに殺される直前『でも』と言い、なにか言葉を繋ごうとしていた。
それは、この事実を告げようとしていたのだろうか。タカシは今さらそんなことを考えた。
「脳の……記憶も、スキャンデータも、すべて……?」
「すべて揃っている」
 騙されるな、信用するに値する人物ではないはずだ。
 頭の中で警鐘がうるさく鳴り響くが、タカシの心は傾きかけていた。
 もしかして、と。そしてタカシは己の太ももに視線を落とした。
 体が縮んだこと以外については、
以前の自身となんら遜色なく自己を保持してこの世に復活を果たした自分自身。
息子の再現だけに関して言えば、それは何よりもの保障となる。
再現は可能なのだ。

『お父さん』

 三歳のタカシ。幼い我が子の声が耳に木霊する。
「ミユキと結婚するというのなら、君の息子を再現させよう」
 男の目的が判らない。
 金も名誉もないタカシに、何をさせようというのだろうか。 
 男は続けた。
「ただし、再現はミユキが出産を終えてからだ」
 無事子が生まれたら息子をこの世に復活させてやる。男は淡々とそう述べてた。
 もう、タカシがどんな選択をするか判っているのだろう。だからこそ男は条件を提示し続けるのだ。
「君の息子の再現も、生活の面倒も、全てを援助しよう。
大学を卒業するまでの学費も私が持とう。なんなら、我がA社へと入社させてもいい」
 A社は今やアンドロイドの国内シェアナンバーワンの冠を被っている。
傍目に見れば、これ以上にいい条件はないはずだ。
 警鐘は鳴っている。だが。
「判りました」
 タカシには、姉と、その間に設けた息子以外に大切なものなどなかった。
 男がにやりと不気味に微笑むのが判ったが、タカシにはもう引き返すつもりがなかった。
「十八になったら、ミユキと結婚します」
 また、間違えることになるのかもしれない。
 道を誤ることになるのかもしれない。
 だが、息子を復活させる以上に大切なことなど、今のタカシにはなかったのだ。
「結婚、します」
 タカシはもう一度はっきりと告げたのだった。


293 ◆OfJ9ogrNko2014/11/24(月) 05:01:42.21CXTObaj+0 (29/29)

今日はここまで
保守してくれているので本当に助かってます
ありがとう

年内に終わらせたかったけどどうなるか判りません……
そして方々に特殊性のある人間関係が(近親系)があって申し訳ない……
すまぬ……すまぬ……


294VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2014/11/24(月) 11:15:25.47DCsA4JN8O (1/1)

来てた つまり

ミユキ┬男┬姉
│ │
ショウタ タカシ

か、wktkしてきた


295VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL)2014/11/24(月) 23:25:44.05tVCPifQD0 (1/1)

乙です。色々謎が明らかになってきてテンション上がる
楽しみに待ってるよー


296VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2014/11/28(金) 19:35:04.100Fny/LWzO (1/1)

おもしろい
がんばれ


297以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2014/12/27(土) 09:18:52.37/8X1xLBu0 (1/1)




298以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/01/10(土) 19:00:50.10F4z74UVPO (1/1)

ばあさんや 更新はまだかのぅ?


299以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/01/14(水) 02:24:17.23qQIUzgop0 (1/1)

まって いるよ


300以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/01/14(水) 20:16:56.16bCFxiTS8O (1/1)

1ヶ月+αで更新されてるのを見ると2月に入る位で更新されると睨んでる


301 ◆OfJ9ogrNko2015/01/28(水) 20:57:24.80tAa8ZxtJ0 (1/1)

すまない……すまない……
もう少し時間を下さい
保守ありがとうございます


302以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/02/08(日) 03:03:18.32FC6GIJMj0 (1/1)

がんばれ!のんびり待ってるよー


303以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/02/13(金) 22:35:45.54kNyXN/eDO (1/1)

鳴かぬなら
鳴くまで待とう
ホトトギス


304以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/02/17(火) 01:21:57.26letCskjA0 (1/1)

そろそろ更新くる?


305以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/03/05(木) 01:10:29.15fX2ogqWV0 (1/1)

待ってる保守


306 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 20:58:38.19PPbBn0gE0 (1/34)

トリップあってるか不安……。


307 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:01:48.19PPbBn0gE0 (2/34)

****
 その年、タカシの肉体年齢は十八年目の春を迎えていた。
 とは言え十四年間と少しの間は肉体の生育期間であったから、
タカシとして意識を保有しての生は僅か三年と言うことになる。
そのごく短い三年の間で、タカシは人生のやり直しを図っていた。
学生としての、いや、一人の少年としてのやり直しの期間を過ごしていたのだ。
 通常、子供は九年間の義務教育総合校での教育を経て卒業を迎えたのち、
その先の義務教育高等学校へと進学をしていく。
 しかしタカシの『体』はその手の学校に通った履歴が一切残されておらず、
故に、膨大な量のテストを受ける必要があった。それらを無事クリアして
なんとか義務教育総合校へと続く教育機関である義務教育高等学校へと在籍を果たしたが、
タカシが属した群れは、毎日のように勉学に励んだ学生のそれであり、
そのような場から遠のいて数年経つタカシは追いつくのがやっとであった。
 少しでも気を抜けば、成績ががた落ち、などと言うことになりかねず、
常に緊張をした三年間を送っていた。
 ――ミユキと結婚するだけで全てが丸く収まるわけではない。
 そう気づいたのは彼女との結婚を約束した後のことで、
それからはミユキの配偶者となるに相応しい男である振る舞いや学力を身につけるべく、
目覚めてからの向こう三年、殆どの時間はそれらの鍛錬に費やされた。
 自由時間はないに等しく、生活の全てはこの上ない苦行そのものであったが、
タカシは文句を言えるような身分ではなく、必死で日常を過ごして行った。
 思えば、前回のタカシの人生は早く短く過ぎ去った。
 学習した記憶よりも、戦犯として捕まり拷問を受けた記憶ばかりが強烈で、
『教育を受ける一般的な少年』と言う感覚を取り戻すのには多大な労力が要されたのだ。
 一度失った感覚は取り戻すのに時間が掛かる。
まず、目覚めてからの一年は、その感覚を取り戻すことに始終していたようにタカシには思える。
 だが、その感覚に慣れ、かつタカシと名乗ることになれた頃には、
その肉体の年齢に引きずられてでもいるのか、
思春期の少年然とした振る舞いをごく自然に取るようになっていた。


308 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:04:06.40PPbBn0gE0 (3/34)

 つまり、思考回路が少年らしく変化し、中身が三十路を越えた男とは思えないような、
例えば、やや自信家で、少々我がままで、若干癇癪を起こしやすい、
そんな振る舞いを意図せず取るようになっていたのだ。
 これに一番困惑をしたのはミユキの父であろう。
 ある日の朝にはは息子のことなど忘れたかのように『ミユキとの結婚はない』と言い放ち、
その晩には『今朝の話は嘘だ』と思いつめた顔で告げるのだ。
 しかもそのジグザグとした不可解な言動はタカシ自身がコントロールしてわざと行っているものではなく、
自然と勝手にそういう思考回路になってしまい周りを振り回すのだというからたまらない。
 だが、周囲の人々以上に戸惑いっているのは他ならぬタカシであった。
 まず、感情がコントロールできない。
 子供っぽい自分を制することができない。
 そんな自分に遭遇するのは初めてのことで、
どこか精神的におかしくなってしまったのだろうかと危惧したものだ。
だが「しかしよくよく考えてみれば、
ミユキも中身が五十を越えた中年女とは到底思えぬような少女然とした振る舞いをそており、
そのような結果を鑑みれば、なるほど、
精神の成熟度は肉体に引きずられがちになることは決して珍しくないらしいと
タカシは判断するに至った。
 ある日は息子を人質に取られたことに怒り狂い『人身御供だ』と涙を撒き散らしながら叫び、
ある日は『すまなかったと』懇願をする。
いずれはこの激しい情動も肉体の成熟と共に落ち着くだろうと医師に――、
あのマッドサイエンティストの決して数の多くない門下生たちだ――、と告げられ、
それに安堵したのか、タカシの精神も次第に落ち着いていった。 
 ただし、タカシやミユキのような脳移植を受けた例は少ない。
 非合法な行いを戦中に行っていたマッドサイエンティストの例を含めればかなりの数になる術例も、
公式的なものとなればその数は激減した。
 そのため二人には長期的な診察が要されたが、肉体的には全くの健常であり、問題はないだろうと診断を下され、
移植を受けたあくる年には一般的な十六歳に交じって、それぞれ義務教育高等学校へと入学を果たし、
つつがなく三年間は刹那に過ぎ去っていった。
そしてついに十八の肉体的誕生日を迎えた翌日、タカシはミユキと婚姻関係を結んだのだった。


309 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:15:15.60PPbBn0gE0 (4/34)

「流産したの」
 ミユキは夕食を囲みながらぽつりと告げた。
 二十一歳二ヵ月、婚姻関係をミユキと結んでから三年以上が過ぎ去った夜、
ミユキから告げられたその言葉にタカシは「そうか」、と短く返答した。
 つまり、また数ヶ月の期間をおきその後『お勤め』をせねばならないということだ。
 しかしタカシは、うんざりとすると同時にホッとしていた。
 ――着床しなかった、流産した。
 様々な理由があったが、種が悪いのか畑が悪いのか、ミユキはなかなか子を身篭ることができなかった。
 医師の診察を受け両者共に肉体的な問題は見受けられないとされていたが、
本当にそうであるのか怪しいものだとタカシは考えた。
 この国の出生率は四十年ほど前から落ちている。
ここ数年の間に算出が行われ、と同時にそれらは国から開示されることととなり、
漸く公に少子化現象が認められたのだ。
 兆候が見られはじめた最初の年は戦争の真っ只中にあったためか、
国民が「なんとなく」感じていたことであっても、データとして公にすることは憚られたようだ。
 そして戦争も終わった現代、国は出生人数を向上させるべく人工的な妊娠を奨励し始めた。
国民の大半もそれを受け入れており、夫婦の精子と卵子を受精させる一般的な体外受精は勿論のこと、
未婚女性には容姿や頭脳の優れた男性の精子を受精することができる『選別的体外受精』も人気であった。
これは、子供の性別も選択できる、非常に優れた受精方法だった。
 しかしミユキもタカシもあくまでも自然な妊娠にこだわったため、それらの方法を率先して取ることがなかったのだ。
「残念だわ」
 婚姻関係を結び、三年。となると、そろそろ保健所から体外受精のお知らせ、などという通知が届く頃だろうか。
そんなことを考えながら、タカシは野菜炒めを箸でつまんだ。
「気を落とすことはない。ミユキはまだ若い」
「ええ、そうね」


310 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:18:04.38PPbBn0gE0 (5/34)

 タイムリミットははるか先のように思えるが、しかし、時間とは瞬く間に過ぎ去っていくものなのだ。
 ――最早自然妊娠は不可能なのではないか。
 タカシは顔には出さずに時々そんなことを考える。
 女性の五人に三人は自然妊娠が難しいとの裏づけがなされた昨今、
ミユキがその三人に含まれることは数度に渡る結果を見れば最早明白で、
それならば国の金銭的な支援も受けられる今、積極的に体外受精を受けるべきなのだ。
 出生人数の低下――それが叫ばれ始めてから十年ほどになるという話だ。
 深刻な大気汚染が原因のひとつではないかとされていたが、本当のところの原因は判らずじまいだ。
 国には特定する気がないのだから仕方がない。例え大気汚染が原因と確定したところで、
打たれる対策はさしてないに等しいのだから、あえて特定をせずにいるのだろう。
 そんな事情もあってかミユキの妊娠は遠い夢のように感じられていた。
肉体的に問題がない、などと言う言葉は詭弁であろう、と言うのは、
タカシを含め子を得られない夫婦たちの共通認識であるようにさえ感じられる。
 だが、今しばらくは子が生まれなければいいともタカシは考えていたのだ。
 彼女が無事出産をせねば息子の『再現』もまた夢と終わる。
それはなんとしても阻止せねばならなかったが、実のところ、タカシはまだ未来を決めかねていた。
 問題はそう、ミユキの父だ。
 彼がなにを思いタカシを女婿として迎え入れたのかが、その腹が判らぬ以上は動くことはできない。
 ミユキとの『お勤め』は少ないに越したことがないし、
タカシもさっさと体外受精に切り替えたいというのが本音であったが、それは彼女の妊娠を早めるばかりで、
タカシにとっての根本的な問題の解決は望めぬままになってしまうのではないかと危惧しているのだ。
 ミユキの子が生まれたとして、なにかと理由をつけられ息子の『再現』が行われず
『そんな約束をした覚えはない』と約束を反故にされる可能性も大いにある。
 それを阻止するためにも何故タカシがミユキへと宛がわれたのか本当の理由を知る必要があったのだ。
「お義父さんには?」
「伝えてないわ。着床したことも言ってなかったから。またがっかりさせたら可哀想だもの」
 額に掛かったか髪を細い指先で避けながらミユキは答えた。
「……また頑張ろう」
 心にもない台詞を口にすれば、少しだけこけた頬を微笑ませ、ミユキは「ええ」と返事をして見せた。
「男の子がいいわ。男の子なら、きっと貴方によく似ている」
「それは判らない。男児は母親に似るとも聞く」
 仲睦まじい夫婦が互いを支えあっているように見えるような薄ら寒い会話だ。
 タカシは溜息を飲み込んで食事を続けた。



311 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:20:26.24PPbBn0gE0 (6/34)

「いつもと変わりませんよ」
 その探偵は、近代的な街並みにそぐわぬ煤けた屋台で、出所不明の肉をつつきながらまずそう切り出した。
 彼が日中のオフィス街に紛れ込むべくカムフラージュの為に着込んだスーツは、
普段愛用しているヨレヨレのコートに比べれば随分と上質なものに見える。
 赤い提灯が風に揺れ暗闇に光りの残像を残していくのを目で追いながら、
タカシは一先ず「つくね」と注文をする。
「私はネギマ……、貴方が指定した一族、どんな関係が貴方とあるのか判りませんけど、サッパリですよ。
まず『あの』一族――、毎回お尋ねしてますけど、この一族と貴方はどんな関係なんですか?
ああいいですよ、どうせ答えてくれないんですから」
「悪いな」
 タカシはくすんだ色のコップでアルコールを煽りながら形ばかりの謝罪をする。
 ――己の一族を調べるのは妙な気分だった。
 この二年もの間、タカシは自分を育んでくれた一族を、その末端まで探している。
一族特有の病に侵される女たちを守るべく、濃い親戚づきあいを続けてきた一族は、
ある者は戦火の中で、ある者は病で、ある者は――、タカシの生み出した水製造機の為に死んでいった。
迫害を受けたのだろう。暴行を受け死んだ者も少なくはなかった。
 だからこそ、タカシは自身の一族を探っているのだ。
「この一族、やっぱり一人を残して死に絶えてますね。ま、戦争がありましたからねー、仕方がないです。
何度も調べましたけど、女性一人だけしか生き残ってない。
 本家を継いだ人間もいませんし、末端の末端、ただ一人生き残った女で、彼女、今年三十五歳なんですけど、
アルツハイマー病で入院中です。若いのにねぇ。そして訪ねてくる親族は一人もおりませんし、
天涯孤独ってのは本当かと」
 その言葉に、タカシは胸を撫で下ろした。
 例えば、自分の見知った顔が生き残っていたのならば、
タカシはそこに赴き対象をしつこく尋問することになっただろう。
 そう、タカシは、自身の親族があのマッドサイエンティストへと誤った情報をリークしたのではないかと
疑っていたのだ。


312 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:23:56.80PPbBn0gE0 (7/34)

 思えば、一族はタカシが戦犯となったことによって不利益を被った者の集団なのだ。
 そのタカシへと一矢を報いようとするのはごく自然な感情の流れであろう。
 一族の女たちは、呪われた持病の治療のため、自己注射を行っていた者も居た。姉もそのうちに一人だ。
薬剤の注入はもとより、大病院を受診する際にスムーズに診察が済むよう、血液検査が必用な場合はあらかじめ
血液を自宅で採取することもあった。
 つまり一族の者は、注射器の扱いになれていた。
 その上、一族間では密な親戚づきあいをしており、互いの知り合いを把握していた。
もしもタカシに憎しみを抱く親族が、姉の血液をタカシのものだと偽り提供したとしたら、
マッドサイエンティストが戦時中の混乱の中、
たった一度の血液検査のみで脳移植が可能であるかどうかを判断し、
最終的な検査を碌に行わずに移植をしたのにも合点がいく。
 報復の機会を虎視眈々と狙っていた一族の誰かによって、タカシも、またあのマッドサイエンティストも
陥れられたのかもしれない――、タカシはそう考えていたのである。
 通常は親子間で一致しないことが殆どであるHLA抗原であるが、息子のタカシはその特異な出自故に
タカシとの適合率は兄弟間のそれと同等の、1/4の確率までに引き上げられる。
 だが、それはタカシと息子との適合率としての話だ。
タカシと姉、二人合わせてての適合率ならば確率は1/4+1/4で1/2までに引き上げられるのだ。
姉と息子が適合しなかった場合、またはタカシと息子のHLAが一致した場合には、復讐は失敗に終わるだろう。
 だが万が一、姉と息子が適合しており、姉の血液をタカシのものだと偽っていたとしたら?
 マッドサイエンティストは、姉の血液をタカシのものと信じ、タカシの脳を息子に移植しただろう。
実際、あの女は何かの根拠を持って移植を遂行した。
 だが、実際には移植は成功することなく、息子は死に、そして表向きにはタカシも死んだ。
 タカシに復讐をしたいと望む者がをあの女に渡していたとすれば、
これ以上にいい報復はないだろう。
 タカシを苦しめて得をする人間は、考えてみれば己の親族であると言うのが最も妥当な考えだ。


313 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:26:50.04PPbBn0gE0 (8/34)

 タカシは姉を助けるために政府へと技術提供をしたわけだが、
名声を博するようになるにつれ、国から一族全体の治療費を工面する動きが見られた。
つまり、一族全体がタカシのおかげで潤ったわけだが、それもある日を境に一転することとなった。
 タカシが戦犯となった為だ。
 親族たちにとって、タカシは自慢の存在から、国内に戦争の火種を作った悪魔となったのだった。
同時に、親族たちも迫害されるようになったのだから、
彼らにとってタカシの存在は悪魔などと言う生易しいものではなかったのかもしれない。
 復讐を誓うには充分すぎる要因をタカシは保持していたのだ。
「大丈夫ですか?」
 探偵に声を掛けられ、タカシはハッと現実へと引き戻された。
 単なる仮定であったが、可能性としては一番濃厚な線だろう。
「引き続き捜索しますか? 打ち切りますか?」
 ――タカシは、息子を諦めきれずにいた。
 再現される息子のことではない。『オリジナル』の息子のことだ。
 誰かがマッドサイエンティストへと嘘を吹き込んだことによって息子は死んだ。
その犯人を、タカシはどうしても突き止めたかったのだ。
 敵討ちなどと言う高尚なものを目論んでいるわけではない。
ただ、誰かのせいで息子が死んだのだと結論付けたかったのだ。
「あの……」
「引き続き頼む」
「判りました」
 冷たい木枯らしに頬をなでられながら、タカシは短く告げた。
 タカシの推測が当たっているのなら、犯人はすでにこの世に居ないかもしれない。
だが、タカシはその人物を知りたかったのだ。
 何故それほどまでに執拗に追い詰めたいのかと言えば、答えは単純明快だ。
「逃げたい」
 ぽつりと呟いた言葉に、探偵が「はい?」と返事した。
「いや、なんでもない」
 タカシは、自身の誤った選択で息子を喪ったことを悔いていた。
その思いは、一人で抱えるには重みがありすぎるのだ。それをどうにか小さくするには、
自分以外の誰かの所為で息子の命が喪われたということにしたいのだ。
 そうしなければ、あまりにも重かった。
 一族を探し出し、何かしらの理由を聞き出したい。
 だが、聞きだせる人間が居ないのなら、『諦めるしかない』。
 そんな風にして、タカシは自身を誤魔化し続けているのだ。


314 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:29:06.28PPbBn0gE0 (9/34)

「……まぁ、なんでもいいですけどね」
 肉が焼けるくすんだ空気を振り払うように、探偵は酒を煽りつつ言った。
「私は金さえもらえれば文句はありませんよ」
 正直な男だ。 
 探偵は、一族ひとりひとりの死因を具に調べていた。何故殺されたのか、どんな人物だったのか。
だがタカシはそこまでは望んでいなかった。単純に一族が『生き残っているかどうか』を知りたかったわけだが、
それでは流石の探偵もタカシのことを訝るだろうから、それらしい理由を添えて調査を続けさせている。
 きっと誰がリークしたのかは判らず仕舞いであろう。
 探偵は自身が調べている一族が、悪名高き水製造機を生み出した戦犯の一族であると疾うの昔に知っている。
 タカシが水製造機を我が物にせんとしているだとか、または水製造機で不利益を被っただとか、
そんな線で調査を依頼されたと思い込んでいることであろう。
 クローン技術は一般的なものとして浸透してきたものの、
脳を挿げ替えるという使い方は一般的とは言いがたいため、
今目の前に居るタカシがまさかその『戦犯』だとは露ほどにも思っていないに違いない。
タカシは三十年近く前に失踪ののちに死体が見つかったということになっていたし、
その死体も暴行を受けたようにひき肉状態だったとの探偵の報告があるからこそ、
あのいけ好かないミユキの父が言ったように、タカシはまっさらな少年――、否、もう青年だが――、
として生きていけるのだ。
 死体が実際のところ誰の者であるのか、タカシは知る由もないし興味もない。
「それでですね」
 タカシが残り僅かとなった酒をグイッと飲み込むと同時に、探偵はそう切り出した。
「『こっち』についてもあまりいい結果をお持ちできませんでした。面目ない」
「うん、そうか」


315 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:33:09.14PPbBn0gE0 (10/34)

 タカシが探偵に調べさせているのは、己の身内についてのみではなかった。
「真っ当に会社の親分をしてますよ。あ、カワください」
 あいよ、と大将は軽快な返事をひとつして、網の上へとその妙に黄色っぽい肉を並べていった。
「そうか……」
 二週間ぶりの報告には何ひとつ芳しいものがなく、タカシは口を引き結んで渋面した。
 ミユキの父親の動向について、タカシは二年もの間探っていた。
 タカシを女婿として迎え入れたその行動にはなにか目的が隠されているはずだと踏んでから早数年、
しかしあの男が尻尾を見せることはなかった。
「朝の出勤、それから退勤、会うの仕事関係の人間ばかりですよ。
大企業のシャチョーさんで怪しいやつってのは、大体ガラの悪いのとか人相が悪いのとか、
要するに真っ当でない人間と付き合いがあるのが普通ですけど、
清すぎるくらいに普通の生活をしてますね。貴族や政治家のお友達はたくさん居るみたいですけどね、
それも大して面白い会話をしているわけではない。いつもと同じですよ」
 タカシがこの探偵を雇い始めてもう二年になる。
その間定期的に繰り返される報告にはなんら怪しいものはないと言うのが現状だ。
 この探偵がタカシを裏切らないとも限らないため、他に九名の探偵を雇っているが、
みな口をそろえて「怪しい動きはない」との報告を繰り返していた。
「タカシさん、貴方が想像するようなことは、なにもないのではないですか?
もう二年も私はあの老人を追いかけてますよ。それこそストーカーのように。
今では彼の経歴を諳んじることもできますし、彼が愛用しているシェービングジェルの名前も判るほどだ」
 タカシの妄想ではないのか。雇った探偵はそれぞれ、その言葉をオブラートに包んで告げ始めている。
 頭の狂った義理の息子が義父をストーキングしている。しかも相手はあのA社CEOだ。
これ以上に面白いスキャンダルはないだろう。
 そのような醜聞が漏れ出ぬよう細心の注意を払い人選はしたつもりだが、
やはりかすかな不安は拭えずに居るのもまた確かだ。
 そろそろ潮時だろうか。タカシ自身もそんなことを思う時間が増えてきた。


316 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:35:58.09PPbBn0gE0 (11/34)

 ただミユキ可愛さに、彼女の願いを叶えるべく義父はタカシをミユキに宛がったのではないか。
 戦犯の汚名を着せられたといっても、二十五年も前のことだ。
 以前のタカシ――、つまり『三歳で死んだ男児タカシ』の父であった男は、
公文書上では死亡したことになっているし、
今ここに生きるタカシは何の汚点もない人生を歩む戦後生まれの青年だ。
 戦犯でもなく、研究者でもなく、近親相姦で子をもうけた穢れた男でもない。
 そう、大企業の物好きのCEOが、身寄りのない才覚ある青年を引き取り娘に宛がっただけ。
 プレスにも顔を出すことのないタカシの存在は、A社の上層部ではそのように捉えられており、
ミユキの存在はと言えば「生体利用アンチエイジング」を受けた「ちょっと痛い娘」と言う程度の存在だ。
 クローンを栽培してその脳をくり貫き自己の脳を植えつける鬼のような所業が
「生体利用アンチエイジング」などと言う名称で罷り通っているのには驚きが隠せないが、
とにもかくにもミユキやタカシの存在はそのように捉えられていた。
 水製造機もなにもかもが関係ない世界で生きるまっさらな青年なのだ、今のタカシは。
 ただ娘を幸せにしてやりたくて、そんな男を――?
 怪しげな肉を口に運び、咀嚼する。
 ジワッっと肉汁が口に広がり、タカシはそのどこか焦げ臭い匂いに眉を顰めた。
そこはかとなく機械油の匂いがするような気がした。失敗したかもしれない。
「娘のほうも同様ですね。ご学友と会ってお茶をしたり、あとは定期的に病院へ通うくらいで。
あとは気分転換のために散歩をしていたり。この辺りは貴方もご存知でしょう」
 そう、ミユキは逐一その日のスケジュールをタカシに報告してきたから、それを知らぬわけではなかった。
 父が駄目なら娘を探ってみろと探偵に依頼を出したものの、
やはりこちらからもそれらしい話が漏れることはなかった。
「時々お墓参りに行ったりして、なんていうか、いい奥さんじゃないですか」
 いい奥さん、いい義父。その通りなのかもしれない。
 だが、やはり心の片隅に巣くう不安は打ち消せなかった。
 なにかがある。なにかがなければ、タカシを助けるはずがない。
 そんな風に思えてならないのだ。
 どうしますか、続けますか、と探偵が訪ねてくる。
 毎月費やされるこの費用も馬鹿にならない。だが、それでもタカシは「頼む」とたった一言だけで
周囲を疑い続ける道を選ぶのだ。
 人は疑うべき存在だ。二度と騙されないために、タカシは人を疑い続ける人生を選ぶのだ。


317 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:39:35.03PPbBn0gE0 (12/34)

****

 タカシは焦っていた。
 ミユキが妊娠をしない。
 もう何度目だろう。流産について、そして月の物が来たと言う報告も、もう何度目になるか判らない。
「そうか」と言う答えも日に日にぞんざいになり、おはようの挨拶と同レベルの重みと化してしまった。
 数えるのもやめてしまった。着床したかと思えばすぐに流れる。
ミユキの母体に問題があるのかと思い検査をしたこともあるが、問題は一切見つからなかった。
排卵もある、卵子の質も悪くはない、子宮も健全に保たれている。
ではタカシのほうはどうかと言えば、こちらもミユキ同様に初期の検査では『問題なし』とされていた。
 『前回』の短い『生』では姉は妊娠をしたことから、DNAが全く同じ今回の体で何かしらの問題が
生じることはないと考えていたのだ。
 しかし、もうタカシには時間がなかった。
 何故か妊娠できないミユキ――、おそらく環境の所為だろう――、の
人工的でない自然な妊娠を待っている余裕はなかったのだ。
 もうこれ以上は待てない。待てないが、何をどうすればいいのかが判らない。
 人工的な妊娠をミユキに促すも、彼女は首を横に振り頑として頷かない。
 最早お手上げである。
 婚姻関係を結び、六年目の夏、タカシは自ら医院へと赴き再び自身の体を検査した。
それくらい、焦っていた。
 しかし医者から告げられたのは、タカシの望んだ答えではなく、
やはりタカシの精子にも問題はないこと、体外受精を勧めると言う旨の話だった。
 体外受精は今や珍しいことではない。多くの夫婦が利用しているし、
自然妊娠と同じくらいにスタンダードな妊娠方法だった。
 ミユキが何故そこまで自然な妊娠にこだわるのかが理解できなかった。
 偏見があった時代ならともかく、
今は広く受け入れられている子をもうけるその方法を厭う理由が皆目判らない。
 病院をあとにし、タカシは馬車に乗り込み家路を急いだ。


318 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:42:45.94PPbBn0gE0 (13/34)

 信号で立ち止まると、浮遊した電光掲示板に
『クローン禁止法来再来年春施行決定』の文字が大きく浮かんでいるのが目に留まる。
 額に手をつき、大きく溜息を吐く。
 長らくの間、一部の国民から「受け入れがたい残虐な行為」とバッシングをされ続けていたクローンのパーツ買いが、
ついに法として禁止される運びとなったのだ。
 これに伴い、生体パーツの体の部位単品での製造は可能であるが、
人を丸々と作ることは禁止されることとなった。
 人を丸ごと作るよりも、生体パーツとして人の体の部分部分を生み出すことの方が技術的に難しく、
また金も掛かるために、その技術はあまり浸透していなかった。
 人間は卵子の核を取り除き、人の細胞を中に注入すれば勝手に育つ。
 だが、部分的な育成は、特別な細胞を要し、その権威であった博士が死亡したため――、
殺したのはタカシであるのだが――、パーツ生成が一般の流通に乗るまでに多くの時間が費やされたのだ。
 だが昨年の冬、ついにその技術が完全な形で確立され安定性を持ち、
その手の技術を身につけてきた専門医ならば誰でもパーツ生成を行うことができるようになったのだ。
 と、同時に、クローンは正式に禁止されることとなってしまったのである。
 即ちそれは、再来年冬以降は息子を『再現』できなくなるということだ。
 いかにA社が金持ちであり、そのCEOであるミユキの父が暗躍しようとも、
それなりに大掛かりな施設を要するクローンをこっそりと作り出すことは不可能だろう。
 今、無理やり作ればいい。そう考えるが、しかしタカシには、どこに息子の細胞があるのか、
また脳のスキャンデータがあるのか、それさえ教えられてなかったのだ。
 間抜けな話だと思う。散々『そこに保管してある』とされていた場所にもタカシは立ち入ることを許されなかったし、
許されたとしても、人を生み出すクローン技術には数千万の資金が要され、
ミユキの父のお情けでA社の子会社で身分を隠し平社員として働いているタカシにはそんな大金はなかった。
 タカシが息子を再現するには、ミユキが今すぐ妊娠をすることしか道がないのである。
 なんとしてもミユキには妊娠をしてもらわなくてはならない。そうしなければ、
好いても居ないミユキと婚姻関係を結び『お勤め』を果たしている意味がなくなる。
 ミユキの父が何を考えてタカシを女婿にしたのかは未だ明らかになっていない。
だが、どうやらそれをゆっくりと探っている時間はなさそうだ。急がなくてはならない。


319 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:44:50.29PPbBn0gE0 (14/34)

あの男は、ミユキが出産をしなければ再現は行わないと言った。
どんなにタカシがごねても、約束は条件を満たした時にしか遂行されないだろうし、
最悪の場合約束を反故にされる可能性もある。
「チクショウ……」 
 舌打ちをしつ呟いた声は、馬車の揺れる音にかき消される。
 子供なんて欲しくはない。好きでもない女と自身のDNAが交じり合ったイキモノなど愛せるわけがない。
だが、子供が生まれないことには再現は行われない。タカシの息子であったあの子供は永遠に喪われるのだ。
 どんな声をしていたか、どんな顔で笑ったか。
年を追うごとにそれらの記憶はどんどんと磨耗していき、少しずつ日々の忙しさに混じって薄れていくのだ。
 それが恐ろしくて、タカシはを拳を強く握り締めた。
 姉から与えられた、ただひとつの存在なのだ、息子は。
 なんとしてもこの世に呼び戻さなくてはならないのだ。でなければ、タカシがここにいる意味はなくなる。
生きている意味が、ない。
 そうだ、生きている意味なんて、もう疾うの昔に喪われていたのだ。
 息子がいること、ただひとつそれだけがタカシがこの世に生きる意味なのだ。
 たとえ息子が呪われた子だとか、鬼の化身だとか、そんな風に身内から蔑まされたとしても、
姉が死んだあともタカシが生き続けるたった一つの理由だったのだ。
身勝手だと罵られても、息子には生きていてもらわなくてはらないのだ。
 だから、今すぐにミユキを説得しなくてはならない。
なんとしても、人工的な手段に頼ってでも子を産んでもらい、そして早くに息子を再現しなくてはならない。
 馬車が止まった。
 いつの間にか自宅に到着していた様だ。
「着きましたよ」
 御者が扉を開けると、タカシは礼もそこそこに庭へと素早く降り立った。
 結婚と同時に与えられた邸宅は回廊型をしている。
なんとも不便な造りで、タカシはこの家が好きではなかった。
 芝生を踏みしめ玄関へと向かう。その重厚な扉にはすぐにたどり着き、タカシは指紋認証をすべく
指先を小型端末に押しつけた。その僅か数秒の判定にさえタカシは焦れ、そして認証が降りた瞬間に
鍵穴へと鍵を乱暴に突っ込んで扉を開けた。
 なんとしてもミユキを説得する。誓いを胸に、靴を放り出すようにして脱ぎ、上り框へと足を乗せた。


320 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:46:25.16PPbBn0gE0 (15/34)

 午後三時を回ったこの時間ならば、彼女は角部屋に当たる『八の間』でお茶でも飲んでいることだろう。
 タカシはすぐさま左を向いて八の間を目指した。
 己の足音がどすどすと醜く響く。ミユキはそのような乱暴な歩みをひどく嫌ったが、
そんなことを気にしている場合ではない。
「ミユキ!」
 歩みを進めつつ、怒気を孕んだ声で女の名を呼ぶ。
 子供を、産ませる。タカシの頭にはもうその考えしかなかった。
 ミユキはただの道具だ。息子を再現させるための手段に過ぎない。
 愛情の欠片もなく、ただ、息子の為の道具に過ぎなかった。それでもいいと言ったのはミユキだ。
だからタカシはそれを利用したに過ぎず、なにも悪くないはずだ。
 種が欲しいのならばくれてやろう。そこに愛情は欠片さえ、ひとしずくさえなかったが、
ミユキは確かに「それでいい」と言ったのだから。
「ミユキ!」
 タカシの濁った怒声に反応するかのように、八の間の襖が開けられた。
「タカシさん、大きな声を、」
「体外受精をしてくれ」
 タカシの乱暴な動作と声に眉を顰めつつ顔を覗かせたミユキは、やぶからぼうに告げたタカシの言葉に、
一瞬唖然としたのち、目を瞬かせて見せた。
 何を言っているのか理解しかねる――、そんな顔に見えた。
 しかし、そう思ったのはタカシのみだったのかもしれない、
 ミユキはぽかんと開けた口をすぐさま引き結び、そして口角を上げて見せた。
「嫌よ、絶対に嫌」
 タカシの鼓膜を振るわせたのはそんな言葉で、ミユキはきっぱりと拒否を示したのち、
優雅に小首を傾げて見せた。
「ミユキ……」
「二人で話し合ったでしょ、妊娠は自然の流れに任せようって。今さらなんなの?」
 ずり下がったストールを引き寄せ、ミユキは「嫌よ」と繰り返した。
 彼女が自然妊娠にこだわる理由が皆目判らない。
 体外受精は今やスタンダードな妊娠方法であるし、差別的に揶揄されることもない。
だというのに一体何故彼女は自然妊娠にこだわっているのか理解に苦しむ。


321 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:48:38.09PPbBn0gE0 (16/34)

「時間がない」
 タカシは声をしぼませて正直に言った。
「クローン禁止法が可決された」
「そう」
 だからなんだというのか。そう言いたげな眼差しのまま、ミユキは真っ直ぐにタカシを見つめてきた。
 あれほどまでに息巻いて帰宅したというのに、彼女を説得する言葉はひとつも見つからない。
 どうすれば説得できるのか、どうしたら彼女がその気になるのか。
 渦巻く疑問は、頭の中で膨れ上がり、
だがその無為に過ごした時間からは、適切な言葉を見つけ出すことができなかった。
やがてそれは苛立ちに変わり、タカシはガシガシと頭を掻いた。
 ――ミユキは、これほどまでに物分りの悪い女だっただろうか。
 ふとそんな疑問が頭を掠めるが、しかしタカシは自身が思っている以上にミユキのことを知らない上に、
「どうでもいい人間」とカテゴライズしていることに気がついた。
 なにせ、彼女をその気にさせる言葉を見つけ出すことさえできぬのだ。
「ふふ……」
 静寂を破ったのは、ミユキの笑い声だった。
「ミユキ、」
「あははは!」
 彼女は体を「くの字」にまげて笑い出した。
 折り曲げられ揺れ出した体の向こうにティーテーブルが見え、
タカシはその対となる椅子に座す人物が居ることに、今さら気づいた。ミユキの父だ。
彼は二人の成り行きを黙って見つめていた。
「私、待ってたのよ! ふふ、おかしいわ、タカシさんったら!」
「ミユキ……?」
「私、クローンが禁止されるのを待っていたの! 気づかなかったの?」
 涙の浮かんだ目で、ミユキはタカシを見た。
 ああ、とタカシは今更ながら合点がいったのだ。
今までタカシは、ミユキをただの金持ちのあまり頭のよくない娘だと思っていたが、
タカシ自身もあまり頭がよくないのだと気づかされる。
 ――ミユキは、最初から息子を再現させるつもりなどなかったのだ。


322 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:50:04.51PPbBn0gE0 (17/34)

「絶対嫌よ。なにもかもが全て嫌!
人工的に妊娠をするのも嫌、貴方の息子を再現するのも絶対に嫌、娘を産むのも嫌!」
 全部嫌なのよ、とミユキは捲くし立てるように言った。
 回廊の家には光りがあまり入らない。それを補うようにしている擬似太陽光LEDが、
彼女の病的にまで白い肌を照らしていた。
 おかしそうに笑う彼女は口許を醜悪に歪め、「馬鹿ねぇ、タカシさんったら」と言い放った。
「ミユキ……」
「貴方のお姉さんにできて、私にできないはずがないわ。
ねぇ、タカシさん、私が貴方のお姉さんに劣っているわけがないの」
 ミユキは涙で濡れた目元をきつく吊り上げ、そして真っ直ぐにタカシを見た。
 タカシの姉に自分が劣っているわけがない――、そう言い聞かせ、
つまり、彼女はずっと姉に張り合っていたということか。
――姉が自然に妊娠をできて、ミユキにできないはずがない。
彼女の自然妊娠に対する拘りは、そんなちんけなプライドによって齎されたものだったのだ。
 女として情を掛けられていないことを理解しているはずの彼女は、
愚かしくも心の底では姉に張り合っていたとうことだ。
 そんなこと、無駄だと言うのに。
 タカシにとって姉は唯一の存在であるし、他の者にその立場か挿げ替えられることはこの先ない。
 ましてや姉は死人であって、死者が生者より美しく記憶に刻まれているのは至極当然のことだ。
タカシの目に姉よりもミユキが美しく映ることはないし、女として上の存在になることもない。
 ミユキはタカシを侮蔑するような視線を投げ掛けている。その顔のなんと醜悪なことか。
 タカシも口許を歪めて彼女を見た。
「何度か妊娠したのよ」
 ミユキは不遜な態度でチェアへと腰を下ろした。
 彼女の向かいには、彼女の父が座していた。
「……流産しただろ」
「してないわ。妊娠するたびに、堕胎していたの」
「嘘だろ……」
 ミユキの告白に、タカシは頭を振るった。
「本当よ」
 ミユキがなにを考えているのかが判らなかった。
 そしてタカシは、己がショックを受けていることがなによりも意外であった。
 ミユキとの子供など要らないと、確かに思っていたのだ。だがどうだ、堕胎した――、
それも何度か堕胎したと告げられ、タカシは自身でも驚くほどに動揺していた。
「何でだ……」
「女の子だったのよ。女の子なんて要らないわ」
「何故だ」
「女の子なんて、貴方がなにをするか判らないじゃない」


323 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:51:55.95PPbBn0gE0 (18/34)

 一瞬、頭が白くなるのをタカシは感じた。
 白くなった思考のまま、ミユキに近寄り彼女の衣類の襟元を掴み手を振り上げた。
「やめろ!」
 成り行きを静かに見守っていた義父が俊敏に動き、タカシの前に立ちはだかると、
その手を掴み、動きを制止させた。
老人の者と思えぬ力強さは娘可愛さ故に発揮されたものか、
枝のような腕はタカシの手首をきつく握り締めたまま、
ミユキを庇うようにして前に立ち、鋭い眼光でタカシを睨みあげてきたのだった。
 ミユキは父が動くのを見越していたのか、のんびりとした眼差しでタカシを見ている。
「タカシ君、ミユキから手を離しなさい」 
 地鳴りのような低い声で言われても、タカシはその手をミユキの襟元からどけることができなかった。
「離しなさい!」
 二度目の命令に、タカシは仕方がなく手を下ろした。 
 ミユキが優雅に微笑んでいる。穏やかな笑顔に無性に腹が立った。  
 タカシは近親者ならば誰もでもいいケダモノと言うわけではない。
ミユキの中ではそれが真実であったとしても、それは実際のタカシではない。
それは、確実に誤解である。
 ――だがそれを弁明してどうなるというのだろうか。
 元々上手く行くはずのない関係だったのだ。
 タカシにとってこの婚姻は目的があってのものであった。ミユキにしても同様だ。
誤解を正すことで修復されるような関係では、元々なかったのだ。
「男の子じゃないと駄目」
 ミユキがぽつりと言った。
「どうしても、男の子じゃないと駄目」
 選択的妊娠で、男児は確実に望める。しかし、彼女のプライドはそれを許さない。
だが、彼女は数回の堕胎を告白したのだから、姉に女性として劣ってるとは言えないはずだ。
 なにが彼女をここまで追い詰めるのかが判らない。
 いや、判っているはずだ、とタカシは考えた。


324 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:53:58.03PPbBn0gE0 (19/34)

 彼女は、完璧でありたいのだ。
 誰よりも完璧であって、完璧な子供を産みたいのかもしれない。
望むような、完璧な女、そして母でありたいのかもしれない。
 だがその考えは結局のところタカシの思い込みかもしれぬし、
果たして彼女の心の奥底に巣くう答えが正しいものであるかどうかは判らない。
 それほどまでに、タカシとミユキは完璧とは程遠い夫婦であったのだ。
「貴方に言っても判らないでしょうね」
 彼女の感情の起伏についていけない。怒っていたかと思えば急に聖女のように微笑む。
不安定な精神状態は、タカシのせいなのだろうか。
 そもそも、子を望みながら堕胎を繰り返す精神状態は、真っ当とは言いかねる。
一体何人の子供を堕胎したのだろう。考えただけで、タカシは気分が悪くなった。
「アンタも知ってたのか」
 事の成り行きを見守るようにしていた義父に、タカシは問いかけた。
 ミユキの父と言うより、祖父と行った方が年齢的に相応しいような男は、
シワが深く刻まれた顔を左右に振ってみせる。どうやら彼もミユキの堕胎に関しては知らなかったようだ。
「タカシ君」
 老人がふいに口を開いた。
「水製造機が壊れつつある」
 今、このタイミングでなにを言っているのだろう。
「そんなことはどうでもいい」
 今はミユキの話をしている。娘が堕胎を繰り返していたことを、
この老人はなかったことにするつもりなのだろうか。
 タカシは拳をきつく握り締め、「どうでもいい」と繰り返した。
「君が死ぬより前から、その兆候は見え始めていた。水が戦争の元凶であると怒りを抱き、
テロにあった機体も少なくはない。
襲撃の衝撃によって、君の仕掛けたブラックボックス保護のプログラムが起動して自爆した製造機も数多くある」
「今、その話は必要がないはずだ!」
「三百機あった製造機は、今や百機ほどしかない。それも戦争を経たため、各所にほころびが見え始め、
修理が必要な状態だ。だが、これらは君にしか修理ができない」
「アンタ……!」
「全てを直すことを条件に、君の息子を再現しよう」


325 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 21:55:46.57PPbBn0gE0 (20/34)

「は……?」
「お父様、なにを言っているの!?」
「国は今、修理が可能な技術者を欲している」
「お父様!?」
 ミユキの甲高い声が老人を激しく非難した。
 何故そんなことを言い出すのだ、酷い裏切りだ――、要約すればおおよそのの内容はそんなところで、
今にも始まりそうな親子喧嘩寸前の一方的な金切り声を、タカシはぼんやりと阿呆のようにして見ていた。
「ミユキを壊してしまったのは、私だ」
「お父様!?」
「私は、水製造機の利権が欲しかった。
君が死ねばミユキは必ず君を再現しようとすることは、判っていた」
 ああ、とタカシは納得をした。
 つまり、この老人がタカシと息子のHLA抗原が一致すると、『あの女』にリークしたということか。
 タカシが死ねば、ブラックボックスの中身は隠匿される。永遠に。
タカシが死んだのならば、その中身の謎が表に出ることはない。
 だがどうだ。もしタカシが記憶を保持したまま復活したとしたら。
 もしもその復活ののち、タカシがこの老人の言うこと全てに従う人形であったのならどうだろう。
 タカシは表向きには死んだこととになっている。
 こんなに早くほころびが現れるとは予想外であったが、老人はタカシが死ぬその瞬間には、
もうこの未来を予測していたのだろう。
 製造機は機械だ。いずれ壊れる。メンテナンスを要する状況になった場合、それを行えるのはタカシのみだ。
 タカシの命を握りこむことで、そして息子と言うニンジンを目の前にぶら下げることで、
タカシはいいようにコントロールされるに至ったということだ。
「――チクショウ……」
 最早、怒りさえ湧いてこなかった。
 自分の頭の足りなさにただただ情けなさを感じるだけだ。
「姉貴の血液はどこから得た」
「君の叔父さんからだ」
 なるほど、身内も確かにグルだったというわけか。
 噛み締めた唇から鉄の匂いを感じた。
 「俺を『買った』と言うわけか。あんたは」
 おそらく、叔父には大金が流れたに違いない。
「アンタ、俺を買っただけじゃまだ足りないのか」
 老人はなにも言わない。
「俺の『種』も道具にしたわけか」
 やはり、老人はなにも答えなかった。


326 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:05:31.80PPbBn0gE0 (21/34)

 思えば、ミユキは唯一つ、タカシの子供だけを望んでいた。
 タカシに対して彼女が欲したのはそれだけだ。
 老人は、タカシに人間的な情を期待していたのだろう。
 子が生まれれば、それなりに愛情を感じるだろう。
その情はやがてはタカシをがんじがらめにすると考えたに違いない。
 息子の再現を条件に、好いても居ない女と添うことを決めたタカシならば、
ミユキとの間に設けた子もそれなりに愛するだろう、と。
 その子供を人質にすれば、おそらくタカシは言いなりになるだろう、と。
 老人は、タカシを手の内で転がせるとそう目論んでいたのだろうが、だがそれは甘い考えだ。
「だが残念だったな。俺はこうなった以上ミユキと交尾するつもりはない」
「タカシさ、」
「水も記憶も知ったこっちゃない! お前らの馬鹿げた目論見に巻き込まれた自分が情けない。
お前にも、世間にも、うんざりだ」
 タカシの人生は翻弄されっぱなしだ。
 ただの開発者であったのに戦犯と罵られ、そして騙され殺された。
 死んだと思ったら今度は勝手に生き返らされ、二度目の人生を歩み始めたかと思えば、
それは搾取されるためのものだった。
「水も、大戦も俺には関係ない! お前らが勝手に始めたことだ!!」
「タカシさん、」
「俺には関係ない! なにもかも!! 知ったことではない!
好きにしろ、もう好きにしてくれ、だがそこに俺を巻き込むな!」
 肩を怒らせ、心に渦巻くどす黒い熱を撒き散らした。
 タカシは、この老人の支配下で生きている。
 情けないことに、そうしないと生きていけないのが現状だ。
「大戦なんて俺には関係ない! だが世間は俺を戦犯だと罵る!
俺のせいで何人死んだ!? そう問いかけては石を投げる! 勝手だろ!
俺を殺し復活させたアンタが欲しかったのは利権だと!? 人を二人も殺して、
なにを成し遂げたかったのかと思えば、そんなことか! 馬鹿馬鹿しい!」
「君はあのまま生きていたとしてもいずれは殺されていただろう」
「だから『殺して』助けてやったってか。ご立派だな!」
「君が死すれば安全な水は再び供給困難となり、国民の体はたちまち病に侵されることとなる」
「そんなこと、俺の人生にも『あの子』の人生にもまったく関係のないことだ!
勝手に病気にでもなんでもなって死ねばいい!」
「君の命が安全な状態で保たれていれば、苦しむ国民は減るだろう。君の技術は保管されるべきものだ!
その技術は永久に保存されるべきもので、引き継ぐべきものだ!」
 まるで話しにならない。
 老人の語る理想はすべてタカシの人生を犠牲にした上に成り立つもので、
そこに無理やり巻き込まれ、既に僅か三歳で散った幼い命もある。
 憎しみが腹の中で増幅されていく。


327 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:07:18.46PPbBn0gE0 (22/34)

「人を殺してまで……、俺は、『そんなこと』をしてまで、
技術を引き継がせるのはおかしいと言っているんだ! 
では俺が再び死んだらどする!? 技術は再び消え行くぞ! クローンは禁止されると決まった!」
「だから君の技術を私に開示しろと言っている」
「……はッ」
 呆れてものが言えなくなるというのは、こういうことだろう。
 ひとしきり怒りをぶちまけたのちに湧き上がったのは、呆れとそれに伴う嘲笑であった。
 この男は、金のことしか考えていない。
 金が全てなのだ。
 ミユキに対して多少の愛情はあるようだが、それも金の為の道具としか思っていないフシがある。
 息子を『再現』すると申し出たのも、『再現』が終わってしまえばミユキが妊娠を諦めると踏んでのことだろうが、
最大の目的はブラックボックスの開示であり、やはりミユキは二の次となっている。
つまり、愛娘に対して『死を望まない程度』には愛情を抱いているようではあるが、
その薄っぺらな愛情でさえ、何かしらの衝撃を与えれば剥離してしまうような脆いものなのではないか、
とタカシは考えた。
 現に老人は、ミユキの体調よりも先に製造機の内部を気にしているではないか。
 ミユキの存在は、老人の中では『二番目』なのだ。
 だが、事がそう上手く運ぶものだろうか。最大の障害はミユキの存在だ。
 再現を厭うミユキが納得するとは思えない。
 ――とはいえ、タカシも老人のことを批判できない程度には薄情なのは確かであろう。
 タカシはどう足掻いてもミユキを愛することはないし、そしてこの先、一切の生殖行為を行うつもりがない。
 ミユキなど、最早どうなっても構わなかった。
 もしかしたら生まれていたかもしれない娘たち、彼女たちのことを思うと胸は痛んだが、
生まれても居らずタカシを『お父さん』と呼んだことのない胎児よりも、
タカシにとってなによりも大切なのは、やはり三歳で無残にも殺された『息子のタカシ』だけなのだ。
 そう、タカシは誰よりも愚かなのだ。
 タカシにとって、息子は全てだ。
 息子が鼻先にぶら下げられたニンジンであるとわかった今、今後息子を再現することは
老人の思い通りに動かされることとなると充分に判っている。


328 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:08:51.45PPbBn0gE0 (23/34)

 それでも、騙されていたと判っていても、タカシは愚かしくも望むのだ。
 息子の『再現』を。
「……再現が先だ。そうしなければ俺はアンタにブラックボックスの中身を決して教えない」
「判った」
 老人はあっさりと頷いた。
 もしかしたら、息子の記憶や脳のスキャンデータはないのではないかと危惧していたが、
しかしそれはないようだ。タカシは心中安堵していたが、それは顔に出さぬように努めた。
 二人の間で、取引は成立した。あとは息子を再現させるだけだ。
 だが――、
「冗談じゃないわ!!」
 金切り声が二人の間に割って入った。
「なんで、なんで、お父様、酷いわ、結局お父様、私を利用しただけじゃない! 私のことなんて、
私のことなんて、」
「違う、ミユキ、私はお前のことを可愛いと思っている」
「嘘よ! でなかったらこんな、こんな、酷い! どうして! どうして再現するだなんて言うの! 
そんなことしないって言ったじゃない! 私、私にタカシさんの子供をくれるって、言ったじゃない!」
 耳に突き刺さるような声は、酷い酷いと何度も泣き叫ぶ。
 再現は行われない――、最初からそのつもりであったことに、タカシは驚きなど感じない。
 正直、その可能性は大いにあると考えていたのだ。
 もしもそうされた場合、ミユキが出産した子供を人質にとってでも再現を行うつもりだったのだが……。
「そうしてやりたかったさ! だがミユキ、お前は自ら子供を……、」
「うるさい! 女の子なんて要らないの! 男の子じゃないと駄目なのよ!! じゃないと、じゃないと……、」
「落ち着きなさい」
「絶対嫌よ!! 絶対に嫌! 再現なんて認めない! 絶対に!!」
「ミユキ、」
 絶対に嫌。
 ミユキは勢いよく立ち上がり、そして襖を勢いよく開けた。
 白いワンピースが揺れている。
 いつの日か、タカシを迎えに来たあの日のように、ワンピースの裾がタカシをからかうように揺れていた。
 


329 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:15:40.04PPbBn0gE0 (24/34)

***

 ガガガガガ、と大地を大きく削る音がする。
 今日もそこかしこで工事が行われているらしい。
「避難をしたいのよ。貴方にも一緒に居てもらいたい」
 ミユキはチェアに座り込んだまま、轟音にかき消されそうな細い声で呟いた。
「警備アンドロイドも居るだろ。避難したいならすればいいが、俺が一緒に居る必要はない。
そんなに心配なら、二台でも三台でもアンドロイドを増やせばいいだろ」
 タバコを携帯灰皿の上で押しつぶしながらぞんざいに答えると、ミユキは目元を吊り上げてタカシを見た。
「タカシさん、貴方はあの子がどうなってもいいって言うの!?」
 漂うタバコの煙を払い、ミユキは俯いてみせる。
 どうなってもいい? そうなのかもしれない。
 ミユキが『一人』で身ごもった末に産み落とした子供など、タカシには関係のない存在のはずだ。
夫婦相互の同意の上のもとにもうけた子供ではないのだから。
「俺には関係ない」
「酷い……! あんまりだわ!」
「あの子はミユキ、お前が勝手に『一人』で作った子だ。俺は種を利用されていただけに過ぎない」
「遺伝子上は貴方は父親なのよ!?」
「お前の卵子を勝手に利用され、例えば隣の親父が『お前の子供だから育てろ』と子供をつれてきたとして、
お前はその子供を育てようと思うのか? お前が主張するのはそういう話であるし、
お前が俺にしたことはそういうことだ。俺は忙しい。帰る」
「待って!」
 冷たい指先が、タカシの手首を掴んですがる。まるで蛇にまつわりつかれたような薄気味悪さを感じて、
タカシはその指を振りほどいた。
 部屋の出入り口である扉が随分と遠くに感じられる。
 待って、と叫ぶミユキの声に無視を決め込むと、漸く辿り着いた扉を開け放ち、
タカシは素早く部屋を後にした。


330 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:18:55.53PPbBn0gE0 (25/34)

 飛び出すようにして玄関を開ければ、暖かい風が頬を撫でた。
 気温は二十度前後。花粉も飛ばずに過ごしやすい気候だ。
 他国の侵入に備えて上空をシールドで覆うようになったのは数年前のこと。
それと同時に、大日本帝国内の全ての気温も暑すぎず寒すぎずの気温に統一される技術も導入された。
今ではこの国は一年中『春』なのだ。なんとも不自然であるが、人の体は楽なほうへと流れ行く。
 それでも春を感じられるのだから、不思議なものである。 
「タカシさん」
 春の匂いに一瞬だけ気を緩めたタカシを不快な現実に引き戻したのは、
工事の低周波でもなく、少しばかりまぶしく網膜を刺激する日光でもなく、
自身に呼びかける、まだ幼い声だった。
「タカシさん、こんにちは」
 ミユキのものとは異なる、明らかに幼い男児の声は、しきりにタカシを『タカシさん』と呼び続けた。
「あの、タカシさん、話があるの!」
 無視して歩き出すタカシに近づくべく、足音は必死といった様子で追いかけてくる。
 ――気味が悪い。
 タカシは喉もとまでせり上がってきた言葉を寸でのところで飲み込むと、漸く観念して立ち止まった。
 茶色く変色した芝を踏みしる足音は次第に近づいてきて、それはタカシの嫌悪も知らずに、
リズミカルに音を奏でていた。
「おいついた!」
 はあはあと息を切らし、その子供はタカシを見上げ、そして汗で湿って張り付いた前髪を
乱暴に掻き揚げるとニコリと微笑んでみせる。
「あのね、」
 小さな手はタカシの手の甲を掴む。
 それは、何と言うことはない、ただの『親子』のスキンシップである。
だがタカシは、その柔らかい感触に物理的な、ゾワリとした不気味な塊が
背筋を辿って頭のてっぺんまで流れていくような感覚を覚えた。


331 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:30:22.19PPbBn0gE0 (26/34)

「……忙しいんだが」
「ごめんなさい。あのね、」
 子供はもじもじとして、もったいぶった仕草でタカシを上目遣いに見た。
「……忙しいと言っただろ。話が無いのなら帰る」
「あ……っ」
 掴まれた手をするりと抜き取って、タカシは待たせている馬車へと向かって再び歩き出す。
「ま、まって!」
 今度こそ返事をせずにタカシは歩く。早く、一秒でも早くこの家から、この子供から逃げ出したかったのだ。
 風にあおられて、子供が愛用している赤ん坊用のシャンプーの香りがした。
 その匂いさえ気持ちが悪くて、気がつけば掌は、口と鼻を覆っていた。
 子供は、妻が一人で身ごもった子供だった。だが確かに四十六本の染色体のうち、
二十三本はタカシに由来するそれを持って生まれてきた子供であった。
 遺伝的には確かにタカシの子供である『それ』は、母親に倣ってタカシを『タカシさん』と呼ぶのだ。
それがどうにも気味が悪くて好きになれなかった。
 タカシは無視を決め込んで芝を乱暴に踏みしめながら足早に馬車へと向かう。
 ――五歳。可愛いさかり。
 世間一般ではそのように呼ばれているのだろうが、タカシには彼をそのように思えなかったし、
おそらくこれからもそうは思えないまま年を重ねていくのであろうと言う確信があった。
 実子を愛せないタカシを欠陥品と呼び詰る人間は多い。
だが、知らぬ間に種だけ採取され、
いつの間にか妻が『独りでに』身篭った子供のどこをどう愛せばいいと言うのだろう。
 妻でさえ今はただ忌々しいだけの存在なのだ。いや、妻と呼ぶのもおぞましい。
 妻――、ミユキは、ある日勝手に妊娠をした。
 ならば最初から体外受精をすればよかったものの、
六年前、そう、老人がタカシの息子の『再現』を申し出たあの日だ、その直後に、
彼女はあれほど厭っていた人工授精を『勝手』に行ったのだ。
 最早妻がなにを考えているのか判らなかった。
 いや、最初から互いを理解できるような関係性ではなかったのだろう。
 半ば強制的な、それも人質――、つまり息子のスキャンデータだ、を取られた上での脅迫めいた結婚に、
最初から愛情などない。


332 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:36:38.80PPbBn0gE0 (27/34)

「帰る。自宅に向かってくれ」
 御者に告げると、彼は目を泳がせたのちに、ひとつ頷いて見せた。
 庭に乗り入れた馬車は厩舎に収められることなく乗り付けられたままとなっており、
それは早々にこの場所から立ち去ることを態度でミユキに、そしてこの子供に周知させたものであった。
 『妻子の住まう家』には十分ほど前に到着したばかりであったが、今日の『お勤め』はもう済ませたのだ。
長居する理由はなにひとつない。
 週一で顔を出してやっているだけ、ありがたく思ってもらいたいものである。
「タカシさん、あのね……!」
 馬車の外から、男児の声が響く。
 その必死の声に愛情のかけらも抱くことができなタカシは間違っているのだろうか。
いや、そんなはずは無い。
 タカシは馬車の内部にしつらえられたカーテンを開き、そして冷ややかに「離れなさい」と言い放つ。
「タカシさん、でも、」
「でも、じゃない。忙しいんだ」
「でも……」
「離れなさい、ショウタ」
 子供の――、ショウタの『あ』の形に開かれた口が静かに閉ざされ、そして小さく「ごめんなさい」と謝罪した。
真っ白い真珠のような小さな歯が、日光に反射して光っていた。
健全なそのつやつやとした輝きでさえどうにも不気味に見え、嫌悪感が募る。
 タカシがミユキに対して抱く感情は最早嫌悪しかなく、
その子であるショウタを見つめる瞳も冷たいものとなる。
 ショウタに罪が無いのは判っているが、抗いがたい嫌悪感にまみれた感情は、
どうしても拭い去ることが出来ず、この幼子を傷つけずに済ませる道は今後一切の接触を絶つ意外には
考えられぬというところまできていた。
「離れなさい」
 もう一度言うと、眉を八の字にしたショウタは震える声で再度「ごめんなさい」と謝罪した。


333 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:38:40.79PPbBn0gE0 (28/34)

 丸い頬に、小さい手足。赤ん坊という生き物から人になったばかりの頼りないシルエットが静かに揺れる。
不完全な体は、だが、その端々に確かにタカシの遺伝子を引き継いでいると主張するように、
どことは断言できぬ微妙な体の部位、例えば四肢のラインやまつげの生え方、そのような些細な部位が
あの子……、たった三歳で強制的に人生を終了させられた『あの子』に似ているのだ。
 本来死んだ子に似た部分は好ましく思うものなのであろうが、姉の遺伝子が組み込まれていないショウタに
『あの子』と似通った部分があることが憎々しく思えてならなかった。
 そう、ショウタ自身にはなんの罪も無いにもかかわらず、
この一個の生命体が、ミユキの身勝手な想いのもと産み落とされた存在だと思うと、
どうにも受け入れがたいものとなるのだ。
 ショウタは遺伝子的にはタカシの子供であろうが、しかし姉の子供ではない。
 だというのに、何故こんなにも、そう、時折見せる表情でさえ、かすかに似通っているのだろうか。
 あの気持ちの悪い女、ミユキの血を引いているというのに。
 気持ちの悪い子供、気持ちの悪い妻、そして幼子を厭う自身、その全てが気味悪かった。
 馬車に乗り込み、天井からぶら下がった鉄のパイプ越しに「出してくれ」と御者へと告げる。
「ですが、お坊ちゃまが……、」
「いい、出せ」
 同じパイプから響く不満げな声に有無を言わせ命令を下すとタカシは口を引き結んだ。
 この御者も回廊の家で働く使用人たちも、誰も彼もがショウタを哀れんだ。
実の父に冷たくあしらわれる幼子に同情しない人間など居るはずもないだろうが、
タカシはそんな非難の視線すら気にならぬほど、とにかくショウタを受け入れられずに居た。
「出せ」
 再び強い口調で告げると、馬車はのろのろと発進する。
 窓の外で、「タカシさん」とくぐもった声が聞こえたが、タカシは窓のしつらえられたカーテンをめくることもせず、
ゆっくりと嘆息すると目を瞑った。
 もとより崩れていた思考とその感情が、端からほつれていきいつかバラバラに、完全に分離して
嫌悪だけが生き残って、まるで自身が鬼かなにかになるのではないかと、タカシはそんな馬鹿な危惧を抱いていた。


334 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:39:43.14PPbBn0gE0 (29/34)

 ――どうにも息苦しい。
 この屋敷に赴くと、タカシはある種の息苦しさをいつでも感じるのだ。
 結婚当初に、妻の父から与えられたものであったが、不便極まりない造りで、
住み始めから住み終わりまで、
ついに好ましく思えることが一度としてないまま、タカシはこの家での生活を終えた。
 ショウタと一緒だ。
 屋敷にも、ショウタにも、息苦しさしか覚えぬままタカシはこの家を出たのだった。
赤ん坊のショウタが真っ黒い瞳でタカシを見上げたことを覚えているが、
その護るべき幼い顔にさえ、愛情を抱くことが出来なかったのだ。
 馬車の振動が太ももの裏に響く。
 こっそりと窓越しに背後を見やると、回廊の家の二階の窓、そこから、
幽鬼のごとき表情を浮かべた女のぼんやりとした影が見え、背中がぞっとするのを感じる。
 徐々に遠ざかる回廊の家はやがてはるか彼方にポツンと見えるばかりとなり、
タカシはその芥子粒のように小さくなった輪郭に、漸く安堵したのだった。
 この屋敷にタカシが戻ってくることは殆どない。週に一度か、或いは二週間に一度、
もしくは月に一度。タカシは「用事がある」と呼びだれることが無い限り、
屋敷の近辺へと近寄ろうとさえしなかった。
 タカシが本日ここを訪れたのには、もちろん呼び出しがあったからで、
その内容がどうにも物騒であったからだ。


335 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:41:50.98PPbBn0gE0 (30/34)

 ――ショウタの命が狙われている。
 電話越しに激しくまくし立てられた内容は要約するとそんなところであった。
不気味という感情しか抱けぬ子供であったが、如何せん命が狙われている、
などとと告げられれば心配する程度の情はある。
 ミユキが告げた内容を端的にまとめると、
「近頃、ショウタの通う幼稚園へと脅迫状が届いた」と言うことだった。
 この何もかもがデジタル化される世の中で、脅迫状とはなんともレトロな話である。
 さっさと犯人を特定しなくては困る、とミユキは叫んでいたが、タカシにはおおよその目星はついていた。
 この国を戦争へと導いたとして、終戦から数十年経った今も水製造機を敵視する団体が数個ある。
おそらくそれらのうちのどこかに違いない。ショウタがA社の御曹司であるという話がどこからか漏れでたことによって
そのような物騒なものが送りつけられるに至ったのだろう。
 ――A社がアンドロイド製造の片手間に水製造機のメンテナンスを行うようになって六年経過した。
 当初は戦争を導いたとして水製造機に対して憎しみを向いていたテロ集団であったが、
今では標的を『A社メンテナンス部門社員』へと鞍替えし、A社本社ビルの前で怪しい動きを見せては
警備アンドロイドに拘束されるというパフォーマンスを連日繰り返していた。
 それに伴いA社の株価は下落、
その上、他社のアンドロイド開発も追い上げを見せたことから窮地に立たされていることもあり、
今や本社勤務となったタカシは、遺伝子上の息子のことなど二の次にしおなければなぬ程、切羽詰っているのだ。
「まずは抗議団体をどうにか片付け、それからショウタのことだ」
 ぽつりと呟いた自らの声は、驚くほど冷ややかで、それが妙に居心地悪く感じ、
タカシは備え付けのコーヒーメーカーから黒い液体を注ぐとそれを飲み干した。
 紙コップをダストボックスに放り込むと、再び嘆息し目を瞑る。


336 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:43:38.69PPbBn0gE0 (31/34)

 連日行われる小規模な抗議デモがブランドイメージを低下させていることは確実だろう。
メンテナンス部門の社員の中には、危うく誘拐をされかけた者も居るという。
ブランドイメージの低下も問題であるが、人命に危機が及びかねない状況のほうが問題としては大きかった。
 しかし。
「それも、あと少しの辛抱だろうが」
 そう、手を拱いてばかりいるA社ではない。
 ここ数ヶ月の間の異常な賑わいを見せた抗議活動は、一年もすれば収束の兆しをみせることだろう。
抗議活動の類は、時期はまちまちではあるが、これまでも幾度かランダムに行われていた。
 問題は抗議などよりも、社員が誘拐されかけた、という事実のほうだ。
 今までいかに過激な活動をされたとしても、さすがに誘拐されかけるような社員はいなかった。
 社員を特別大事にしている、というわけではない。
 メンテナンス部門に属する人間は、それぞれ重要機密を抱えており、つまりそれは、
ブラックボックスの秘密を知っているということにつながる。
 秘密はパズルのピースのごとく細分化され、メンテナンス部社員の全てを集めないことには
秘密が意味を成すことはない。だが、万が一の可能性を考え、早急に対策を練る必要があった。
 団体を一斉清掃という手立ては流石にない。それはもう殆ど、団体の壊滅を意味しており、
血が流れることは必須であろう。ブランドイメージの低下どころの話ではなくなることは確かだ。
 だからA社は、社員の安全を確保できるだけのあるプロジェクトを立ち上げたのである。
 プロジェクトの名は『箱庭』
 それは、A社だけではなく、国防までをも視野に入れた盛大な作戦であった。
まずは今現在、A社が晒されている脅威から身を守るために発足されたプロジェクトであるが、
いずれは国の防衛までもを見込んだ計画だった。


337 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:45:48.33PPbBn0gE0 (32/34)

 プロジェクト内容は名前のまま、つまり、擬似的な首都を作るという、壮大な目くらまし計画だ。
 先の大戦で焼け野原となった京都府を頑丈なセキュリティで固めて復興させる――、
端的に言えばそのような計画であったが、復興した都市に住まうのは、人ではない。
アンドロイドが住まい、政治を行い、病院を運営し、そしてアンドロイドが学校に通うのだ。
 国の中枢が集約された首都を新たに形成し、本物さながらに運営される巨大都市。
しかし実のところ、そこへと通い、或いは生活を営むのは政治家とその子に擬態したアンドロイドだ。
 実際の政は別の都市で行われ、そして子供たちも、国に用意された代替地へとこっそりと通う。
 万が一、再び炎がこの国を覆い尽くしたとしても、ダメージを最小限に抑えるべく、
ダミー都市を置くというわけだ。
 終戦後、そのような計画は確かにあって、再び訪れることが予測される災厄に備え、
かついて大日本帝国国防軍としてこの国を守り抜いた男たちの子孫に、
アンドロイドを密かに紛れ込ませという無謀な計画を国は遂行してきた。
 アンドロイドをどうするかまでの見通しは立っていなかったのが、今回の箱庭計画の発足に伴い、
漸くその使い道の目処が立ったというわけだ。
 そんな理由から、タカシは確かに忙しくもあったのだ。
 一分、いや、ほんの十数秒でさえ、
遺伝子上の息子と、そして戸籍上だけのつながりしか持たぬ妻へ注ぐことが厭わしかった。
 タカシにはやるべきことがあった。製造機のメンテナンス。そして部門をまたいでの箱庭計画への参加。
 それらの全ては――。
 馬車が速度を緩めていく。
 どうやら、あれやこれやと散漫に思考しているうちに、かなりの時間が経過していたようだった。
 車輪が小石に乗り上げ、ほんの少しだけバウンドすると、その後そろりと停車する。
 それから御者が馬車から一旦降りる音と、そしてタカシの横へと車外から近づく気配がした。
「お疲れ様でした。到着です」
 開け放たれた扉の前で、御者が恭しく頭を下げていた。
腹の中ではタカシのことをぼろくそに罵っているのだろうが、知ったことではない。
 メンテナンス業、そして箱庭計画。
 多くのことについて「どうでもいい」「面倒だ」と無気力であるタカシが必死で時間をやりくりするのには、
それなりの理由があった。


338 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:48:09.49PPbBn0gE0 (33/34)

 降り立った先、赤茶色のレンガを革靴で踏み、タカシは頭上を見上げた。
空を射抜く勢いで高く伸びるビルの窓は空模様を反射しており、鏡のようだ。
実際には十階建のマンションは、上空からのテロに備え、十階以上を虚実の映像で補われている。
その、セキュリティオプションを最大限に盛り付けたその部屋の八階、
その中央の部屋がタカシの住まいであった。
 警備アンドロイドの瞳が一瞬の間にタカシの顔をスキャンし、登録された人物であると確認をする。
彼らの横をすり抜け、エントランスも同様に、
そして玄関からまっすぐ伸びた廊下の先にあるエレベーターへと飛び乗った。
 まもなく到着した八階のフロアを、足早に進んでいく。辿り着いた自宅の玄関扉の脇にしつらえられた
網膜スキャンに瞳をかざし、それが認証されると、ほんの僅かな音が開場をしめした。
 扉が完全に開くのを待たずに、タカシは自宅へと滑り込んだ。
「ただいま」
 タカシがハードスケジュールを望んでこなすのには、意味があった。
 水など最早どうにでもなってしまえ。そんな風に思っていた時期もあったが、今は違う。
 子供には、安全な水が必要だ。箱庭もそうだ。子供の身の安全を確保するためには、
それなりの環境が必要なのだ。
 革靴を脱ぎ捨てると、部屋の置くから小さな足音がした。
 「お帰りのようですよ」という女の声は、五年前に導入した女性型育児アンドロイドだ。
「……おとうさん!」
 子供の高い声が響くと同時に、それは飛び込んできた。
 さらさらとした髪がタカシの手の甲をくすぐった。髪が細いのは『あのひと』に似たからかもしれない。
「おかえりさない!」
 タカシの腰にぎゅっと抱きつくのは、一人の男児。年齢は五歳。
 ――死んだ三歳のあのときから、二年未来を生きている、かつて『タカシ』と名づけた幼子だった。
己の遺伝子と、そして最愛の姉の遺伝子を引継ぎ、記憶までをも完全に『再現』された子供。
 その男児を抱き上げると、タカシは微笑んだ。
「ただいま、シュウ」
 最愛の子供が、そこに確かに生きていた。


339 ◆OfJ9ogrNko2015/03/05(木) 22:49:19.17PPbBn0gE0 (34/34)

今日はここまで。
保守してくれた人、ありがとう。助かります。
遅くなってすみませんでした。


340以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/03/05(木) 23:19:42.52u6Jc6b0H0 (1/1)

おもしろかった!
続きが気になる


341以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/03/06(金) 20:23:02.66wWS7Aal6O (1/1)

来てた!乙!
あれだな…もう一度読み直すのは相当時間かかるし完結してからにしよう



342以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/03/07(土) 02:13:26.18UFXFos1N0 (1/1)

来てた!お疲れ様です、どうもありがとう!!!
今までの謎がどんどん繋がっている感じがして、今回も面白かったです。


343以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/04/05(日) 00:04:08.45uDFYpKXs0 (1/1)

のんびり待機保守


344以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/05/02(土) 02:11:32.49wkGkpqfc0 (1/1)

ほしゅ


345 ◆OfJ9ogrNko2015/05/04(月) 02:47:05.80h2pw8Udd0 (1/2)

セルフ保守



346 ◆OfJ9ogrNko2015/05/04(月) 02:47:05.80h2pw8Udd0 (2/2)

セルフ保守



347以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/05/04(月) 23:40:04.69g2fPX9AU0 (1/1)

保守。楽しみに待ってるよ~!


348以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/05/13(水) 00:25:22.15wjbjFa690 (1/2)

来てたの気づかんかった
今回も面白かった、おつ


349以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/05/13(水) 00:25:22.15wjbjFa690 (2/2)

来てたの気づかんかった
今回も面白かった、おつ


350以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/05/17(日) 17:10:25.95n6ZY0lmSO (1/1)

次はいつかなー


351以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/06/12(金) 00:39:03.60Kf90P0zI0 (1/1)

ほしゅ


352以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/06/28(日) 18:19:28.12SYrinhpJO (1/1)

まだだ!まだ終わってない!


353 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:02:01.541t2tcMd90 (1/10)

「ぼん!」
 技師の声が響く。
 スローモーションのように再生される目の前の映像には現実味がなく、
身動きの取れぬタカシはただじっとその様子を見守っていた。
 ショウタの手に握られたメスは、暗い照明を反射して網膜に焼きつくような光を放っている。
 細い腕が振り上げられ、その力がどこへ向かうのかも理解できぬまま、成り行きを見守るしかない。
 自分は刺されるのだろうか――、漸くそんな考えへと思考が到達した瞬間には、
その銀色の凶器は柔らかな皮膚へと深く深くめり込んでいた。
充分に刃が肉の内部へと落とし込まれると、それは次第にスライドを続け、
やがて十センチ程度の窓を作った。
 本来暴かれることのない皮膚の内側が、ぱっくりと開け放たれた窓から顔を覗かせて、
飛び散った血液はタカシの頬をしとどに濡らしていく。
 赤いフィルムで視界を覆われたかのように、世界の色が変わっていった。
 目に飛び込んだ血液は、明瞭な視界を奪い去り、目の前の出来事を輪郭でしか把握させてはくれない。
 肉が切り裂かれた。それだけがはっきりと把握できる事実であった。
 ――ただしその矛先は、タカシ自身に向かうことは無く、つまり彼の予見は見事に外れ、
メスは振り上げた本人、ショウタの腹を切腹のごとく真横一文字に切り裂いていたのだった。
 凶器は腹にめり込んだままだ。噴出す血液は瞬く間に床を赤い海に変えていく。
 医師が舌打ちをし、ショウタの手を強引に押さえた。
「動かすんじゃない。下手に動かすと、損傷が酷くなる」
「……いい……」
 か細い声で、ショウタは歯を食いしばりつつそう告げる。
「もう、いい」
「いいわけが無い。私は医者だ。目の前の怪我人を放っておけるわけが無い」
「もう、いい。疲れた」
「いいから、メスから手を離したまえ」
「いやだ……」


354 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:04:46.301t2tcMd90 (2/10)

 離せ、離さぬという攻防はいつまでも続き、
その間も傷口からは血液が湧き水のように吹き出ては滴り落ちる。
やがて鉄臭さが鼻腔にまとわりつく程の血だまりが出来上がった頃、
ショウタの手からするりと力なくメスが零れ落ちた。
「坊ちゃん、いい子だ。今から止血を行い、同時に人工血液を輸血する。いいね?」
 医師の声が少しばかり上ずって聞こえるのは、気のせいではないだろう。
彼は赤く染まった掌を浮かせ、傷口を窺ったのち、小さなため息をもらすと「無茶ばかりする」と呟いた。
「もう、いい」
「よくない」
「いい……疲れた」
 疲れた、とショウタはしきりに言う。
 疲れた、疲れた。
 肉体的な疲れではなくて、精神的な疲れを告げていてるのであろう。
 ショウタはまだ子供だ。
 そう、子供なのだ、と唐突に理解した。
 判っていたはずの事実だが、それがはじめてストンと胸に落ちるような、奇妙な感覚。
タカシは、判っていなかったのだ。いや、判るはずもなかった。
ショウタは、タカシの子供なのだ。
「違う……」
 そういうことではない、とタカシは首を振った。
 血の海を見つめながら、かろうじて記憶の片隅に張る居ているかのような、
薄く崩れそうな感覚を感じ取っていた。
 ――これは、なんだ。


355 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:06:55.931t2tcMd90 (3/10)

「返さなきゃ……」
「黙りたまえ」
 医師が細心の注意を払いつつ、ショウタの体を横たえた。
 細い手足がどんどん血の気を失い青白く染まっていく。
 その壊れそうな細さは、成長期さえ迎えていない少年の手足に他ならなかった。
 手足だけではない。よくよく観察を繰り返してみれば、ショウタの体はなにもかもが幼くて小さい。
 彼の年齢さえ碌に知らぬタカシであったから、それが年相応の体格なのかどうかは判断しかねたが、
骨の上に乗っている肉が、あまり多くはないことは安易に理解できた。
 ――何故、それほどまでにか細い体に無体を働けたのだろう。
 いくら記憶を書き換えられていたとは言え、理性の部分でセーブが効きそうなものだ。
 現にタカシは今、とても『焦っていた』。それは記憶の書き換えに付随するものではなく、
このシーン、つまりこの状況に応じて産み落とされた、今のタカシ自身からなる感情のはずだ。
 それは即ち突き詰めれば、タカシは『選択』の自由がないわけではなく、行動は自身の感情と理性の元に
コントロールが可能であると言うことに相違ない。
 タカシは、自身の選択でショウタを組み敷き穿ち、そして痛めつけたことになる。
 混乱、動揺、そして焦り。 
「返さなきゃ、駄目……」
 意識が混濁しているのか、意味不明な言葉ばかりを繰り返すショウタを、タカシはじっと見つめていた。
「かえ、す……」
 ショウタは自らが作り上げた肉の窓に指を伸ばしつつ、うわごとのように『返さなきゃ』と呟き続けた。


356 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:11:34.411t2tcMd90 (4/10)

「返さないと、全部……」
「やめたまえ。これ以上の勝手は医師として承服しかねる」
「せんせい……」
「なんだね」
「あれ、こいつに返す」
 青白く変色した指先が、医者の指を掴む。蝋のように白い指先とは対照的な赤さに怖気が走る。
 現実味なく過ぎ去っていくやり取りは、
まるでタカシとは関係がない世界の出来事のように完結しているくせに、恐怖だけは明確に迫り来るのだ。
 行き場のない恐怖に、冷や汗が滴り落ちるのを、タカシはなんとかやり過ごしていた。
「判った。そのために腹を裂いたのかね。……無茶苦茶だ」
「痛くないよ」
 ただ体が思うように動かなくなるだけ、とショウタは呟いた。
「そういう問題ではないのだよ」
 医師は眉間によった自身のシワを伸ばすべく、血塗れたままの指先を額に押し付けると、
もう一度、「そういう問題ではないのだ」と繰り返した。
「止血する。体を動かすことの一切を禁じる。君、手伝いたまえ」
 技師はハッとした顔で頷くと、医師の傍らに膝をついた。彼のパンツが血の色の染まるのにも、
そう時間は掛からなかった。
「……例え君の体の五割がメカニカル化されていたとしても、
現にこうして君の体は君自身の『生命の危機』を訴え血を流している」
「え……?」
 思わず呟いた自身の声に、タカシ自身が最も驚いていた。
「タカシ君。坊ちゃんの体は君の体と然して変わりない。
半分が機械なのだよ」


357 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:13:58.501t2tcMd90 (5/10)

 ビニル製の手袋を嵌めた医師は、ショウタの腹の中に躊躇することなく指先を突っ込んでいった。
 慎重に、内部に差し入れた指先を蠢かせている。
 ――一体何を『探して』いるのだろう。
 医師はこともなげにショウタの体の半分が機械であると告げ、そして奇妙に指を動かし続けている。
 なにをしようと言うのだろうか。
「……痛くはないかね」
「機械の体が、痛くなるわけないじゃん……大丈夫」
「何度も言うが、そういう問題ではない。
君は馬鹿ではない。私の言いたいことを理解しているはずだ」
「大げさだなぁ……」
 掠れた声は、微かに笑い声を含んでいたが、どうにもタカシには、それがとても不思議に思えた。
「メカニカル化された体と言うのはかなり頑丈で、多少の無理は利く。
だが、君は今動くこともままならない。それは体への負担がかなり重いと言うことだ」
「知ってる……」
「機械部分はどこかしらが損傷すると、生身の部分に麻酔薬を流出させる。
その場で負傷者を眠らせて損傷部位の破壊がそれ以上進まないようにするためだ」
「それも知っているってば……、まって、せんせい、くるしい」
「ああ、すまない」
 そう医師が答えると同時に、彼の手は動くことをやめた。
「……あった」
 たった一言だけそう告げると、医師は来たときと同じようにして手首を慎重に動かしながら、
ショウタの体外へと出ようとしているようだった。
 しかしその手には何かが握られているのだろう、皮膚の下で、時折ふくらみが移動するのが見て取れた。
「つまり君の体は損傷している。かなり深くね。わかるね」
 ショウタは静かに頷いて見せた。


358 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:19:03.271t2tcMd90 (6/10)

「坊ちゃんの体は――、」
 彼は作業を続けながら、再び口を開く。
一瞬だけ投げられた視線により、これから紡ぐ言葉は全てタカシに向けるものだと推測できた。
「――坊ちゃんの体はね、あえてメカニカル化されたものなのだ。
いいかい、体の部位の殆どは生のパーツを作ることができる。なんにでも変化できる細胞が最近みつかってね。
つまり再生医学の始祖とも呼ばれるある博士が開発したそれよりも、より簡単に体を再生できる技術だったのだ。
だが坊ちゃんはあえてそれを拒み続けた。こと内臓に関してはね」
「何故……」
 医者の口ぶりから、ショウタの体がメカニカル化されているその理由は、
彼の無茶な行動からなる度重なる損傷とはまた別問題なのだろうということはタカシにも理解できた。
「何故ですか」
 喉が渇いて、言葉が上手く発せない。喉と喉が張り付きそうだった。
「先生、その話はいいよ……」
「君の所為だ、タカシ君」
「先生……」
 ショウタの手が弱々しく動き、血塗れたままのそれは医師の白衣を掴む。
 だが、医師はその制止をやんわりと拒絶し、そして言葉を続けた。
「君が『そう』なったのも、坊ちゃんが『こう』なったのも、元を辿れば全て『昔』の君の所為だ。
『今』の君には罪はないが、私は『昔』の君のことが反吐が出るほど嫌いだ。
……坊ちゃん、大丈夫かね。君の腹から私の手を出すよ」 
 医師の手の動きが止まった。
 ちらりと一瞬だけタカシを見遣り、そして医師は確認するようにショウタに向き直った。
 互いに目だけで合図をしあい、そして下された決断は『続行』であるようだった。


359 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:21:02.711t2tcMd90 (7/10)

 タカシの知らないなにかが動き出そうとしている予感はあった。
そしてそれをタカシが拒否できる類のモノではないという予感も、
タカシにとって都合の悪いものであろうことも。
タカシの精神面に嫌な引っかき傷を残すことは、おそらく確実である。
「私はね、『昔』の君が大嫌いであったが、それでも坊ちゃんを救ったことだけは評価している」
「救った……?」
「君は、テロに会った際、坊ちゃんを助けた。君の一人目の息子、シュウ君と両方ね。
……これが君の全てだよ、タカシ君」
 ショウタの腹から腕を抜き取ると、医師はタカシにそれを見せた。
彼の指先につままれていたものは、小さなカプセルだ。それは銀色で、滑った血液でてらてらと濡れている。
 鉄の匂いが鼻の奥を突く。嫌な匂いだ。そしてよく知っている匂いだった。
「ここに、君の全てが詰め込まれたチップが入っている。頭を少しだけ開いてこれを接続させれば、
君は『昔』の君の記憶と今の君の記憶が交じり合って再び新しい君になる」
 ――どうするね。
 医師は選択肢のない問いを投げ掛け、タカシの返答を待っていた。
 答えなど決まっている。タカシは全てを知らなくてはならないのだ。


360 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:27:14.611t2tcMd90 (8/10)

 流れ出た大量の血液の中に、ショウタが沈んでいた。
 血の気を失った顔は青白く、まるで死人のようだ。時折揺れ動く睫と、僅かに上下する腹によって、
彼がまだ辛うじて生きていることが判った。
 辛うじて――、タカシには、ショウタの命の灯火は今にも消えうせんばかりに見えるが、
医師も技師も慌てた様子はない。
 ならば大丈夫なのだろが、ショウタの顔はあまりにも青白く、
観察を続けることは、タカシの精神衛生上難しいことだった。
 タカシは椅子に座り込んだまま、死体のようなショウタからゆっくりと視線を外した。
「動けるかね」
 問われ、タカシは否と答えた。
「どこか損傷でもしたのかもしれないな」
 医師はタカシの体を検分しようとしているのか、衣類に触れた。
彼の行動を遮ったのはショウタだった。
「解除、D、A、Y、L」
 か細いショウタの声がそう読み上げた瞬間、体のこわばりがカクリと抜け落ち、
勢いあまったタカシは体全体が滑落していくような感覚を覚えた。
「もう自由に動けるよ……」
 はぁ、と大儀そうに嘆息したショウタは、それきり血溜まりの中で目を瞑ってしまった。
「君、坊ちゃんの傷は塞がったかね」
「一応」
 医師は短く技師に尋ね、技師も短く返答をした。
 タカシは二人の会話を右から左へと聞き流しながら、確認するようにゆっくりと手を開閉を繰り返す。
 自由に動く。
 続いて足を軽く動かす。そして上半身を。
 ぎこちなさは残るものの、全ての部位の稼動が確認できた。


361 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:30:35.031t2tcMd90 (9/10)

「なるほどね……機械部分に制御をかけたわけか。Do as you like――、お好きにしなさいってか」
 ――自分勝手が過ぎるぞ、ぼん。
 技師が心底軽蔑した声でそう吐き出した。
 タカシには、どうにも医者と技師の立ち居地が判らなかった。
時折ショウタを批判し、また次の瞬間には過去のタカシを軽蔑と共に非難する。
 二人が二人とも、ショウタにも、タカシにも完全に味方をしているわけではないのは確かだが、
彼らが何故そのようにフラフラとしているのかが理解できない。
「もう手に負えないのだよ」
 タカシの疑問を汲み取ったかのように、医師が口を開いた。
「私はもう、君の記憶に手を加えたりはしたくなかった。
坊ちゃんがこれ以上君の頭を弄れといっても拒否するつもりではあった。
だが、彼が記憶を戻せと言うのならば、それは君にとっても坊ちゃんにとってもいいことだと考えた。
欠けていても不自然、補うことも不自然、どとらも自然とは言いがたい状況ならば、補われていた方がマシだろう。
それに、おそらく……」
 そこで医師は言葉を切った。
「聞こえるかね。いや、この地下では聞こえるはずがない。私の幻聴だろうか」
 医師の視線がつい、と天井に向かう。
「――再び、そう遠くない未来に戦争が始まるだろう」
「え……?」
「この国の防衛網は破られた。完璧とされていた防衛網が、だ。
密かに大日本帝国国防軍も動き出している。私は有事の際、軍医として借り出されることとなっていてね、
その通知がつい先日届いたのだよ。大昔の言い方で言えば『赤紙』とでもいうのだろうか」
「そんな……、」
「だから、私がもし死んだとしても、君と坊ちゃんが困らないようにしておきたい」
「困らないように……?」
 ぼんやりとして追いつかぬ思考のまま、阿呆のようにタカシは医師の言葉をリピートした。
「坊ちゃん、『箱庭遊び』はもう仕舞だ」
 医師の右手に注射器が光る。
 透明の液体で満たされたそれが、タカシの腕へと向けられた。
 今、ここで意識を失うわけには行かぬ。そんな気がしたが、医師は容赦なくタカシの腕を押さえつけに掛かった。
「ま……っ、」
 待ってくれ、話がある。
 そう紡ぎかけた唇は、腕からタカシを犯す液体に遮られ、
だらんとだらしがなく開け放たれたまま沈黙することとなった。
 訪れた抗いがたい睡魔に、タカシの意識はゆっくりと落下していく。
 深い深い意識の底へと、魂ごと落ちてゆく感覚は、恐怖とも、あるいは微弱な好奇心ともつかぬ、
奇妙な感覚だった。



362 ◆OfJ9ogrNko2015/07/08(水) 03:33:05.281t2tcMd90 (10/10)

きょうはここまで。
なんか……ほんとすみません……。
2ヶ月ルール突破しちゃってるけど大丈夫なのかな。
保守してくださった方、ありがとう。
あと3回くらいで終わらせたい。


363以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/08(水) 09:50:55.78Moc9FMrto (1/1)




364以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/17(金) 19:45:18.75dpt5HhsiO (1/1)

きてた!
まってた!
まってる!


365以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/07/18(土) 23:49:24.337H7Dgc9S0 (1/1)

きてた!!乙です!!
相変わらず読み応えあって面白い。続きも待ってる!!


366以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/08/16(日) 23:17:38.86O2DqF4Iv0 (1/1)

セルフ保守


367以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/08/22(土) 00:30:46.73zmrLqPyf0 (1/1)

のんびり待ってる保守


368以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/09/13(日) 01:55:47.40OJqudtK60 (1/1)

追いついてしもた
予想外にSF展開でワクワク


369以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/09/19(土) 09:34:16.12AAv+BMCcO (1/1)

待ってる


370以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/09/26(土) 00:24:03.31z90QUhle0 (1/1)

待つわ~いつまでも待つわ~


371以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/10/07(水) 00:01:38.18o739+m/o0 (1/1)

ほしゅ


372 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:05:37.10vHoLDIIk0 (1/28)

***

 子供は無邪気なものだと思う。
 親の思惑やら腹に抱えた葛藤やら、そう言ったものの一切を挟まずに、子供同士で勝手に仲良くなっていく。
「シュウ、あまりはしゃぐんじゃない」
「うん」
 後部座席を振り返ると、頬を真っ赤に染めるほどに興奮しきったシュウが居た。
その横に座るのはショウタだ。
 好きなヒーローの話で盛り上がる二人には、
運転席と助手席に座る両親の刺々しい空気に気づいていないようだった。
 車のフロントガラスの端に浮かび上がった英数字は、気温二十度、湿度四十%を示している。
一年に渡って気候が統一されているこの時代において、この機能の必要性がよく判らない。不要な機能ではないか。
そんなことを散漫に考える余裕は充分にあるが、如何せん遠すぎやしないか、と言うのが率直な感想だ。
 安全補助装置の付いた車を運転し始めて漸く一時間が経過したところであるが、目的地は未だに見えない。
大人が退屈をしているのだから、そろそろ子供たはぐずり始める頃――、
と思いきや、その気配は一向に見えず、できたばかりの友達とはしゃぎ続けていた。
 暢気なものである。
 空は真っ青で快晴。子供同士の初の顔合わせにはもってこいの天気であるが、
だがしかし、タカシの気持ちはどうにも晴れず、
ため息を口の中で作ってはなんとか飲み込む、ということを繰り返していた。
 ショウタの通う幼稚園に脅迫状が届いたことに伴い、
ミユキはいつにもましてぴりぴりと神経を尖らせ、幾度も避難を希望する電話をよこしてきた。
 昼夜問わぬ気がふれたかのような電話攻撃に、タカシはついに観念し、こうして仕事をパソコンに詰め込み
『家族四人』で避難するに至ったのだ。


373 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:11:12.65vHoLDIIk0 (2/28)

 本来、現場を離れられる時期ではない。
 製造機のメンテナンスはいつもどおりに定期的に行っていればいいが、
急ぎ足で行わなければならぬ箱庭計画を抱えていのだる。
 夫婦関係はとっくの昔に破綻しているにもかかわらず、
少しでも隙を見せようものなら、外野はいとも容易く「これだから社長の義息子は」と陰口を叩くのだ。
 タカシは誰よりも懸命に働かなくてはならぬのだ。
にも関わらず、タカシはこうして家族四人、こんな僻地まで――、
「お父さん」
 シュウが身を乗り出しタカシの耳元へと顔を寄せた。チラと見遣ったのは助手席に座るミユキのことで、
慣れぬ女の存在に、シュウは少しばかり戸惑っているようだった。
「まだ着かないの? ええと、せーふ、えーと、せー?」
 運転席まで身を乗り出したシュウが、首を傾げて覚えたての単語を唇に乗せようとする。
「セーフハウス」
「そう、そこ。セーフハウス」
「まだ着かないよ。ほら、座ってなさい」
「うん。お菓子食べていい?」
「いいけど、ひとつだけ。お昼、食べられなくなるからな。ショウタにも分けてあげなさい」
「わかった」
 大人しく後部座席へと戻ったシュウは、出掛けに買った菓子の詰まった袋を探りながら、
ショウタとヒーローの話を続けている。
 バックミラーに映る二人を確認すると、タカシは再び視線を前方へと戻したのだった。
 道路の脇にはピンクの花をいっぱいにつけた桜の木がどこまでも植わっている。
その木の向こうに広がるのは田んぼで、随分田舎まで来てしまったものだと思うが、目的地は未だ遠い。
 タイヤが転がる道路は冷たい黒で、おそらくその下には国を保護するための兵器が埋まっているはずだ。
 暢気な田舎の風景には似つかわしくない警備システムは、
だが有事に際しては確実にこの国を保護してくれることだろう。
「セーフハウスね……」
 嫌味を含んだタカシの呟きに、助手席のミユキはキッと眦を吊り上げタカシを睨んだ。


374 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:13:39.60vHoLDIIk0 (3/28)

 避難――、タカシには、それがとても大げさなことに思えた。
 A社のメンテナンス部門に属する社員が浚われかけたその理由は、
警備アンドロイドを通勤に同行させていないことに起因している。
 大戦後、国家の科学的な機密を握る研究者には、国から警備用アンドロイドが支給されるようになっており、
その家族にも四六時中彼らが張り付き生活を共にすることが当たり前のこととなっていた。
 だが、一般人――、
どんなに素晴らしい研究結果を出そうにも、一企業の勤め人程度では"一般人"と称されるのだ――、
にはそれがなく、ゆえの被害であったが、しかしミユキやショウタはそれとは事情が少々異なるのだ。
何せ、A社CEOの娘とその子供だ。高価な警備アンドロイドなど何台も所持できるだけの金銭的ゆとりがあり、
実際、庭には幾台ものアンドロイドが配置されていた。
 警備アンドロイドを一台の威力はすさまじく、例えば五人の軍人に武器を所持した状態で襲われたとしても、
彼らは軍人を死滅させ、かつ保護対象に傷ひとつつけることが無い。
 そんなものに囲まれ生活しているのだから、旧時代の警備システムのみが施された別荘――、
もとい、セーフハウスへと出向くほうが、よほど危険なように感じられた。
 一応アンドロイドはつれてきてはいるが、トランクに横たわった状態で収納されており、
いざという場面に直面したとしても、すぐに起動することはかなわない。
 まったく、危険で、かつ面白みもくそもない親子四人の遠足だ。
おまけに本来の目的は「避難」であるはずだというのに、警備を担当するアンドロイドはトランクの中、
全くもって危機感のない旅である。


375 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:16:37.84vHoLDIIk0 (4/28)


 苛立ちをやり過ごすようにしてミント味の錠剤を口に放り込むと、奥歯で勢いよく噛み砕いた。
 バックミラーに映る二人の子供。うち一人は時折、物言いたげにタカシを盗み見見ている。
 自分の父親を『お父さん』と素直に呼ぶ子供の存在が気にかかっているようだが、
タカシもあえてあれこれとフォローすることもせずにドライブをスタートさせたのだ。
「お父さん、あーん」
 グミゼリーを挟んだシュウの指が、タカシに開口を迫る。
少しだけ後ろを向き、素直に口を開くと、人工的なグレープの味が口に漂った。
ミントと混じって妙な具合の味わいとなったが、タカシは微笑んだ。
「美味しい? もっと食べる?」
「ありがとう、でもお父さんはもういいよ、二人で食べな」
「わかった」
 細い腕を引っ込めたシュウを確認すると、タカシは視線を前方へと戻す。
と、そのときなにか大きな影がフロントガラスの上を通過した。
「鳥だ!」
 シュウが歓声を上げる。
 おそらく本物の鳥ではない。
国防や国民監視の名目で放たれたメカニカルアニマルだろう。
「お父さん、あれ、なんていう鳥?」
 真っ黒い翼に、それとそろいの瞳は親子を乗せた車の上をごく自然に旋回すると、そのまま遠く離れていった。
「カラスだよ」
 ふうん、とシュウは返事をした。
 二度目の人生を歩み始めたシュウは、家の外に出ることが、今日の今日まで殆どなかった。。
 いつになく興奮しているのもそのためで、彼にとっては、目に映るもの全てがものめずらしいようだった。
「さぁ、そろそろ着くよ。それまで少しだけ大人しくしてなさい」
 山はどんどんと深くなっていく。
 上空に張り巡らされた国防シールドがブレて、蜃気楼のような歪みを作っているのが見える。
地方に行くにつれ、カモフラージュは手抜きになっているようだ。やがて道路も、整備が追いつかなかったのか
砂利がそこかしこに転がる雑なナリへと姿を変え、
小刻みなバウンドを繰り返すほどの悪路に車中の全員が辟易し始めたころ、車は漸く到着をしたのだった。


376 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:19:00.76vHoLDIIk0 (5/28)

 黒い立方体の建築物の前に車を停車させたタカシは、ミユキもショウタもほったらかしで、
ひとまずはシュウは後部座席から引きずり出すと、小さく身を屈める彼の背中をさすった。
「シュウ、平気か?」
 すっかり顔色をなくしうなだれるシュウは、座らされた木陰の下で、小さな頭を左右へと一度だけ振るった。
車酔いという未体験の衝撃に、体が追いつかなかったのだろう。
 戦時中はタカシに抱えられて西へ東へとどたばたと走り回ったものだが、
彼の体はその記憶を消し去っているようだった。
「いいよ、ビニール袋に吐いちゃいなさい」
「……でないの」
「でない? じゃあ横になるか?」
 こくりと頷いたのを確認すると、タカシはシュウを片手で抱え上げ、車へと向かった。
空いた片手でトランクを開けると、そこには『ヒト型』が横たわっており、
タカシはそれに向かって短く『起動』と命じた。
 その青年型アンドロイドは、力仕事もカバーする警備アンドロイドだ。
子供の警戒心を解くために、顔立ちこそ優しげなものに設定されているが、しかしその警備能力は
軍人数人を上回る本格的なものだった。
 彼は起動命令に従い狭いとランクの中で起用に動き、そしてタカシへと顔を向けた。
『声紋認証――、ユーザーIDを発声してください。声紋の確認と同時に警備システムが起動します』
 滑らかな肉声じみた声が発声を促した。
 近頃のアンドロイドは、盗難防止のため、シャットダウンののちの立ち上げにはユーザー認証が必要となっているのだ。
声紋とIDを同時に確認し、その後にパスワードの入力が求められる。
『確認しました。パスワードを入力してください』
 まるで血の通った人間のような質感の掌が差し出された。
 タカシはその掌へと、一本指を押し当てて五桁からなるパスワードを書き込んでいく。
『パスワードが認証されました――、』
「こんにちは、タカシ様」
 認証とともにアンドロイドは表情を緩め、人らしく微笑み「なにかお手伝いすることはありますか?」と質問をした。
 声はタカシの好みで、高すぎず低すぎないものに設定されている。


377 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:20:20.50vHoLDIIk0 (6/28)

「ああ、ベッドのシーツを変えてくれ。
そのあと、部屋は片付いているはずだが、一応空調をフルに働かせて空気を入れ替えを頼む。
荷物はひとまず玄関へ。それぞれのバッグにはユーザータグがついているから、
のちほどそれぞれが希望した部屋に運んでくれ。」
「かしこまりました。シュウ様に吐き気止めは?」
「様子を見る。収まらないようだったら飲ませようと思う」
「判りました。どのお部屋のシーツを交換しますか?
「取り敢えずは……、シュウ、お父さんと同じ部屋でいいか?」
 シュウが小さく頷いたのを確認すると、タカシは二階の部屋を指定し指示を出した。
「シュウを早く寝かせてやりたい。なるべく早くに頼む」
「承知いたしました」
 アンドロイドがセーフハウスに消えていった頃、ミユキは漸く車から降り、
嫌味を滲ませた表情のまま革張りのトランクを自ら引きずり出した。
 タカシがアンドロイドを使っているために、ミユキとショウタは自分で荷物を持つしかない。
どうやらそれについて文句を言いたいようだが、
絶賛不機嫌週間のミユキはタカシと口を利きたくはないようだった。
ならばセーフハウスなどミユキとショウタ二人でくればいいものを、
『父親の務め』を果たすべきだとして、ミユキはそこだけは譲らず、
結局こうして四人で地方の山奥に来ることと相成ったのだ。
 女とは面倒なイキモノだ。なにを考えているのかサッパリ判らないし、
不機嫌になれば喚くか無視を決め込むかのどちらかだ。
 それにしても。


378 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:23:27.67vHoLDIIk0 (7/28)

「不便だ」
 タカシはシュウを抱きかかえたまま、小さく嘆息した。
 ネットには辛うじて繋がっていたが、セーフハウスに避難している以上は出前だのを頼むわけにはいかないし、
そもそも、わざと人が集まらぬ場所を選び建てられた家であったから、近隣にはコンビニさえないのである。
近隣にレジャー施設は存在するが、それらは所謂『大人の遊園地』であり、
つまりは性産業に従事する者たちが集いし街であり、不健全極まりなく、妻帯者には些か不向きな遊び場なのである。
 尤も、避難時においてその手の遊びに興じるほどタカシの神経も図太くできてはいない。
「避難か」
 溜息とともにこぼれだす単語に、タカシは頭痛を覚えた。
 ――避難は本当に必要なのか、そしていつまで避難をしていればいいのか、
タカシはいつ自宅、そして仕事に戻れるのか――、
つまりタカシは、到着早々この田舎の生活の不便さに辟易し、
実行されるとは到底思えぬ脅しに屈している自分を恥、さらにはいつ帰宅できるのか、
そればかりが気になっていたのである。
「お父さん、気持ち悪いよう……」
「ああ、悪い。早く横になろうな」
 頭を微かに振るったシュウに振動を与えぬよう、なるべくゆっくりと歩みを進める。
 チラと見遣ったショウタが、物ほしそうな瞳でシュウを見ていたのを捉えるが、気づかぬフリを続けるしかない。
 ――幼い子供を、気味悪く思う。
シュウと然して変わらぬ年齢の子供に、優しく接してやることもできないのだ。
 ショウタはなにも悪くない。
媚びた態度もタカシが冷たく当たるが故に、なんとか気に入られようとしている所為であるし、
タカシを『タカシさん』などと呼ぶのもミユキを真似てのものに違いない。
 可哀想な子どもだと思う。父親は生まれながらにしていないも同然で、
しかし生物学上の父であるタカシはそこにいるのだから、甘えたくもなるのは道理であろう。


379 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:26:03.86vHoLDIIk0 (8/28)

 だが、どうしても愛せないのだ。
 今や試験管ベイビーなど珍しくもなく、性行為の末に生まれ出た子供と言うのは、明らかに少数派である。
そのような現状においても、世の生物学上の父親たちは立派に父としての務めを果たしているのだから、
つまりショウタを愛せないのはタカシ側の問題であって、その問題を作ったミユキの所為でもある。
 羨ましそうなショウタの視線が、背中を焼き尽くしそうなほどに注がれているのを肌で感じる。
 だが、それでも、タカシにとって我が子と呼びたいのはシュウだけなのである。
 そもそもミユキがショウタを孕んだ理由がよく判らない。
 体外受精を厭った彼女は、自然妊娠に拘り、
しかし運よく妊娠できても胎に巣くう子が女児であると判った途端に堕胎を繰り返していた。
 だというのに、タカシとの関係が完全に破綻すると同時に、
彼女はあれほどまでに厭っていた体外受精を密かに行いそしてショウタを産み落としたのだ。
 タカシの精子をどこで手に入れたかも今をもっても謎であるが、
タカシにとってそれ以上に不気味であったのは、ミユキの思惑が不透明、どころか全く見えないところである。
 ショウタを産み落としたことはまだ感情的に理解できる。
 ミユキはタカシに酷く執着していたから、タカシの子を産みたいと言う感情はまだ理解できたのだ。
そして執着を深めてしまった理由はタカシ自身にあり、
長年、ミユキの思慕に気づきながらも利用するだけして利用して、
その思いに答えなかったことにあると言うことも理解している。
 だが、何故突然体外受精をする気になったのか、それが判らなかった。
 関係の破綻にともない、自然妊娠が望めないことが確定し、やけになる――、にしては、
ミユキの体外受精を断固拒否する態度はひどく強固なものであったし、
それについて妥協することは、彼女の中にある一つのプライド、
即ち『姉と同等、もしくはそれ以上の存在である』ことを打ち砕くことに繋がるはずだ。
 それは最早彼女のアイデンティティと化しており、それをねじ伏せてまで選択的体外受精を利用し身篭った事実は、
その先に何か目的があることを示しているようにしか思えないのだ。
 だが、その目的が判らない。


380 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:27:35.10vHoLDIIk0 (9/28)

 ――驚くべきことに、彼女は幼いショウタに教育と言うものを殆ど行わない。
衣食住の世話、及び教育の大半はアンドロイドに依存しており、
彼女自身のアイデンティティの崩壊を招きかねない状態で産み落とした子に対するそれにしては、
その態度はあまりにもお粗末なものなのだ。
そのくせ少しでもショウタの身の危険が迫っているとなると、彼女は過剰に反応しこうしてセーフハウスに
『一家総出』で避難し彼を守ろうと必死になる。
 彼女のショウタに対する態度は、アンバランスが過ぎるのだ。
 今だって、ショウタは重い荷物を自分自身で持ち、顔を真っ赤に染めていた。
母親として手伝ってやることもなければ、自分の荷物を後回しにして世話をやくこともない。
 なんとも不可思議で、そして不気味なのだ。
 あれほどまでに望んで産み落とした我が子ならば、
どんなことをしてでも守ってやりたいと思うはずであろう。だがミユキからはそのような熱が一切感じられない。
「もう少しだからな」
 腕に抱いたシュウに話しかけると、彼は小さく頷いた。
 そう、少しの吐き気を感じている姿でさえ、かわいそうに思うはずなのだ、親ならば。
 ミユキは何か隠している。
 だが、その何かを探れるほど、二人は近しい関係ではなくなっていたのだった。


381 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:31:27.04vHoLDIIk0 (10/28)

 吐き気に苦しんでいたシュウも、二時間ほど経過をすれば、すっかりと元気を取り戻し、
今日出会ったばかりのショウタとすっかりと打ち解け、飛ぶや跳ねるやの大運動会を繰り返していた。
 子供のキャッキャと言う甲高い声が鼓膜を震わせる。
 ショウタのものも入り混じっているはずのそれに対して、今日は不快感を抱くことがないのは、
おそらくシュウの声がその半分を占めているからであろう。
 時々『お父さん』と呼ばれては手を振り、持参したタブレットで本社と通信しながらの作業を進める。
『不便ですね。貴方が居ないと作業が滞る』
 タブレット越しの嫌味に、タカシは「すまない」と一言だけ謝った。
 何でもかんでもがネットワークでつながれた昨今においても、在宅で仕事をする社員は少数派で、
ことタカシのような『現場に足を運んで何ぼ』の社員では、そのような選択肢は最初からないも等しかった。
 ある程度の現場作業を済ませておいてからの在宅業務への一時切り替えあったが、それでも不便は多く、
なかなか伝わらない己の拙い指示に苛立ちを覚えることも少なくはなかった。
『それで、どうなんですか、親子水入らずのバカンスは』
 嫌味の含まれた会話にタカシはポーカーフェイスのまま『特になにも』と返す。
『奥さん、落ち着かれましたか?』
 忙しい時期の長期離脱に社は勿論のこと、部下や同僚にも迷惑を掛けていることは重々承知だ。
家族旅行などと曖昧に申請すればそれこそ針のムシロであろう。
それを見越してタカシは、少しでも自身の申請した休日に理解を示してもらおうと、
息子の通う園に脅迫状が幾度か送りつけられた旨を書き添え、その上で休みを取り付けたのだ。
 社員への襲撃があったことも加味され、確かにちくりとする嫌味の二言三言は吐かれるものの、
それでも微かには「それも已む無し」と言う空気が漂っていた。
「迷惑を掛けてすまない」
『……冗談ですよ。仕方のない話です。どちらに避難されてるんでしたっけ?』
「すまない、それも話せない」
 ただ、もろ手を挙げての許容でないことは、タカシも承知していた。
 現に、はぁそうですか、ぞんざいに返事をした電話の相手は、不快感を隠すことなく、
言葉と態度でそれらを示して見せた。


382 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:32:48.30vHoLDIIk0 (11/28)

 なんとしても早々に現場に戻らなくてはなるまい。
こんな片田舎の、花街ばかりが賑わうようなド田舎にいつまでもいるわけにはいかないのである。
 表立って文句を言われることはなかったが、多くの社員はそれを口にしないだけであり、
タカシの突然の休暇を不服に思っていることは間違いない。
 ましてや、今は箱庭計画が動き出した大切な時期なのだ。いつまでも休んでいるわけにもいかないだろう。
「なるべく早くに戻るようにする」
『わかりました。それでは』
 素っ気無い挨拶と共に通信は遮断され、そしてタブレットは一瞬の闇に包まれた。
 アプリケーションを終了させ、嘆息する。
 ――ミユキを説得する言葉が見つからない。
いや、彼女はタカシが何を言っても首を縦に振ることはないだろう。
たとえタカシの進言に心の底では納得をしたとしても、今の彼女は己の感情でその先の行動を選ぶほどに、
タカシに対して意固地になっている。
 今回の避難とて、こんなセキュリティの甘い一昔前のセーフハウスよりも、
体感センサーや複数台の警備アンドロイドで警護を固めた自宅の方が安全だと、
彼女も心のどこかでは判っているはずなのだ。判らないほど愚かしい女ではないはずだ。
「お父さん! 外に行っていい?」
 シュウが玄関近くで呼んでいる。隣にはショウタを伴っている。
 腕に抱えられているのは小型の浮遊型スケボーだ。
近頃販売された、空気圧で浮かび上がる玩具は、対象年齢が子供であるのにもかかわらず、
大人たちもがこぞって買い求める人気商品であった。
フライボードと呼ばれる買い与えたばかりのそれは、シュウの気に入りの一つだった。
「いいよ。いいけどアンドロイドを連れて行きなさい。それから庭からはでないこと、
プロテクタはちゃんと着けること」
「はぁい!」
「ショウタにも貸してあげなさい」
「うん、判ってる!」
 名を呼ばれ、ショウタの瞳が輝いたのを感じるが、
タカシはそれに気づかなかったフリをしてタブレットに視線を戻す。


383 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:33:44.41vHoLDIIk0 (12/28)

 あの視線が、どうにも駄目なのだ。
 とろりとした、濃厚な期待を含んだ視線――、そんな目で見つめられたところで、
タカシは父親としての情を与えてやることはできないのだ。
 何故できないのか、どうして頑なに拒否をするのか、幼いショウタにはあまりにも残酷で、
その事実を伝えて納得させてやることもできなければ、またタカシ自身も伝える勇気など持ち合わせていない。
 と、タブレットが通話を告げる点滅を繰り返した。
 ディスプレイに浮かび上がる文字は義父の名である。タカシは眉間に浮かぶシワを人差し指でぐいと押し広げてから、
『通話』と書かれた文字をタップした。
「はい」
『タカシ君、今時間は大丈夫かね』
「ええ。どうぞ」
 この義父のことを、タカシは嫌っている。ミユキを憎むのと同等程度には嫌い、そして憎んでいるのだ。
 当然だ。タカシは彼らにはそれだけのことをされたのだから。ミユキの気持ちを弄び利用した代償にしては、
大きすぎるほどの罰をタカシは与えられた。
『ショウタは元気かね』
 仕事の話かと思えばそんなことか、とタカシはこれ見よがしに嘆息した。
「元気ですよ。それが?」
『暫く顔を見ていないから……、ミユキが会わせてくれんのだ』
 タカシのぞんざいな返答を気にした様子もなく、義父である老人はしきりにショウタを気にしていた。
「そうですか。元気ですよ。『ウチの』シュウと遊んでいます。御用はそれだけですか?」
 ウチの、を強調したのは、自身の子はシュウだけであると言う意思表明のつもりであった。
『そうか……』
 そう返事をしたきり、タブレットの向こうで男が沈黙をした。


384 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:35:13.16vHoLDIIk0 (13/28)

 ミユキへの――、実の娘への愛情でさえ希薄に感じられたこの男であるが、
だがしかし、ショウタには甘かった。
 時折こうしてショウタの様子を窺いにタカシへと連絡を寄越してくるのである。
 おかしなものだ。自身の娘さえ手駒として扱っていたにも関わらず、この男は孫を恋しがる素振りは見せる。
 なにかショウタの存在には秘められた目的があるのではないか――、
嘗て自身に降りかかった災厄の発端はこの義父であることから、タカシはこうして警戒を怠らず、
彼の言動の全てを疑って掛かっていた。
 ショウタの様子を尋ねる言葉、ショウタが何か伝言を残していなかったかと言う問いかけ、
その全ては孫を思う祖父の態度そのものであったが、しかし過去から現在に連なる仕打ちを思えば、
タカシでなくとも警戒をするのは当たり前と言うものだろう。
「なんなんですか。私は忙しい」
『ああ……、すまない。その……、』
 まだ何か告げたそうにして男は口篭る。
 だが、タカシにお伺いを立てられたところで、さして旨みのある情報を与えられるわけではない。
 義父はタカシとショウタの関係が、良好とまでは行かないものの、それなりに安定した親子関係を保っている――、
そう楽観視しているに違いないが、それは大きな間違いであったし、親子の接触は驚くほど少なかった。
 タカシが拒絶しているためでもあったが、ここでわざわざそれを告げる必用もあるまいと、タカシは黙りこくった。
『屋敷に設置したアンドロイドから、毎回レポートが自動送信されてくるのだが……、
その、ミユキはショウタの世話を全てアンドロイドへと任せているようなのだ』
「だからどうしました? その為のアンドロイドでしょう」
 モニタの向こうで義父が黙りこくった。
「仮にそれがおかしな態度だとしても、そう子育てするようミユキを育てたのは貴方だ」
 卑怯な言い方だと大いに自覚していたが、嫌味の一つくらいは許されるべきだと思うのだ。
 タカシは日に日に『嫌なやつ』に成り下がる自身を自覚している。
だが、それを抑止することはもう不可能に近い。
 ミユキのこともどうでもいい。義父のこともどうでもいい。
ショウタのことは少しばかり気になったが、それは罪悪感からで、親として気に掛けているわけではない。
 ただひとつ、タカシにとって大切なのはシュウのことで、その他のことは些末な問題であった。
 些末な問題の割りにタカシの思考の奥深くにトゲのごとく突き刺さっているから厄介なのだ。
 ――気に入らない、端的に言えばそういうことだ。気に入らない。
 正直なところ、シュウを除いた自身の周辺人物、環境の全てに辟易していた。
 だが、タカシはなによりも、そんな大人気ない自身にも嫌気がさしているのである。


385 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:36:31.19vHoLDIIk0 (14/28)

『ショウタを、少しでいい、気遣って欲しい』
「ご自分でして差し上げたら如何ですか? 私は父親としての務めをまっとうする気はない」
『そうしてやりたいが――、』
 義父はそう言ったきり、黙りこくった。
 タブレットの画面に浮かび上がる顔は、かなり高齢の老人に見えた。
 様々な技術を駆使して彼が生き延びていることは知っている。
近頃は体調があまり優れず頻繁に医師や技術者を招いているとも聞く。
 そんな陰りの見え始めた『生』からの逃避に孫を使っているのかもしれない。
 だが、とタカシは考える。
 ミユキと義父が不仲となった今、しかしその橋渡しをしてやるほどの義理も情もタカシにはないのである。
 二人の間に立ちはだかる因縁を、例えば他人に打ち明けたとしたら、
きっと多くの人は『過去の仕打ちをいつまでも根に持つなどみっともない』と、タカシを非難することであろう。
その代わりに第二の生を授かったじゃないか、と。シュウを再現したではないか、と。
 だが、シュウを、最愛の息子を失った痛み――、それを思えば、どうしても義父を許すことはできないのだ。
 自分自身に降りかかった不幸は飲み下しても、子に手を掛けられた過去は、
未来永劫水に流すことなどできぬのだ。
『ミユキを――、なるべく、ミユキを、ショウタと引き離してやってくれ。
こんなこと、君にしか頼めないんだ』
「頼みごとなどできる立場ですか、貴方は」
『それは――……』
 老人はそれきり沈黙した。
 目先の欲を、目先の儲けを、それらを貪欲に求め、たった一人の子供をタカシから奪ったのだ、この男は。
その恨みは一生消えることがない。
くすぶりつつ付ける恨みの炎はちりちりと燃え続け、憎しみの刻印を、今もなおタカシの脳へと刻むのだ。
 恨みと同時にそこにあるのは喪失の悲しみ。あれらを忘れることなど、できるはずもない。
『タカ、』
「通話終了」
 無慈悲にタカシは呟くと、冷めた眼差しで画面がブラックアウトするのをまった。
 程なくして義父の残像は消えうせ、そしてその重ったるい気持ちを打ち消すような、
明るい子供の声がタカシを呼べば、嫌な気持ちは一瞬にして消えうせる。
 そう、些末な問題なのだ。タカシにとって、シュウ以外の存在は。
「おとうさーん!!」
 器用にフライボードに乗ったシュウが、タカシに向かって手を振った。
 太陽のような笑顔は、きっと母親である姉によく似たに違いない。
晩年は笑顔すら見せぬ、ただの人形になってしまっていた彼女の面影が、笑顔の端に垣間見える。
「上手く乗れるようになったな!」
「うん!」
 褒められて満足したのか、シュウは再び遊びに集中すべく、背中を向けたのだった。
 汗ばんだ小さな背中は、肩甲骨のラインを浮き上がらせている。
 明日にはプールの用意でもしてやるべきか。そんなことを散漫に考えつつ、
タカシは再びタブレットへと向かったのだった。



386 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:37:57.12vHoLDIIk0 (15/28)

 今までマンションに缶詰状態での生活を余儀なくされていたシュウであったが、
それに耐えられるのも精々一週間であろう、と言うのがタカシの見立てであった。
自分専用のタブレットもない、テレビもない、気に入りの本を読んでくれる育児アンドロイドも居ないとなれば、
その窒息しそうな退屈にぐずり始めるのも自然の流れであり、
それでも我慢強いのか、『家に帰りたい』と彼が漏らすようになったのは二週間と一日が半分経過した頃だった。
 なんとかなだめて半日をやり過ごしたが、できたばかりの友達と遊ぶ内容もこの僻地では限られており、
次第にワンパターン化していく遊びにも『うんざり』と言った顔をするようになってきた。
 アンドロイドが力技を駆使して体を宙に放り投げたり、庭木によじ登って遊んだり。
そんなことも回数をこなせば飽きが来るのも当然で、シュウの口からは小さな溜息が零れ落ちるようになった。
「まだお家に帰れないの?」
 入浴後の寝かし付けの為自らもベッドに転がりながら「ごめんな」と返事をする。
「なんで帰れないの? マミィのご飯が食べたい」
 マミィとはタカシ不在時にシュウの面倒を見ていると女性型育児アンドロイドのことだ。
「難しい事情があるんだ。ごめんな」
 なだめようと腹を優しく叩くが、しかしシュウの機嫌は直らず、頬を膨らませてフイとタカシに背中を向けてしまった。
「もうお家に帰りたいよ。ショウタ君のママ、なんだか怖いし、ご飯もあんまり美味しくない。
それにここで遊ぶのも、もうつまんないもん」
 ここまでシュウが不満を漏らすのも珍しいことだった。
 確かに退屈だろう。タカシでさえ辟易するような、なにもない田舎だ。
 毎夜花火が夜空を飾るが、それらは祭りでもなく、テーマパークのパレードでもなく、
近隣の花街が客を呼び込むために賑やかしに鳴かせるものだった。
 子供たちはこの退屈な場所に咲く、ひどく鮮やかな大輪の花に興味を示してて居たが、
流石にいかがわしい界隈に年端も行かぬ彼らを連れて行くわけには行かず、
「あそこは大人でなくては入れない場所」などと言葉を濁し、彼らの好奇心にストッパーを掛けていた次第だ。
「いつごろ帰れるの?」
「判らない」
 その返答に、シュウの背中がますます不機嫌になっていくのが目に見えた。


387 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:39:12.05vHoLDIIk0 (16/28)

「シュウ……お父さんも早く帰りたいんだけど、今は事情が許さないんだ」
「ジジョーなんて僕知らないもん……帰りたいよ……」
 プールも要らない、フライボードももういいから帰りたい、とシュウは切に訴えた。
「マミィが居ればもう少し我慢できそうか?」
 最悪、誰かしらにアンドロイドをつれてこさせることも視野に入れ始めていたのだ。
『セーフハウス』の意味はなくなってしまうが、ある程度の妥協は仕方がないのかもしれない。
「……」
「シュウ」
「……ショウタ君のママが怖い」
「何かされたのか……?」
「ううん、なにもされないよ、僕」
 二度に渡るシュウの吐露に、一瞬肝が冷えた。
 流石のミユキも、タカシの耳に入りかねない場所で、シュウに危害を加えることはないだろうと踏んではいたが、
もしかしたら、と言うことも有り得る。
「本当に何もされていないんだな?」
「うん」
 背を向けたまま頷きを伴った返事をするシュウは、嘘を吐いている様子はなかった。
 ミユキが怖い――、そう思わせるのは、彼女のまとう気迫か、それとも視線か。
鋭敏な子供の五感は、ミユキの放つ負の空気を察知したに違いない。
「もう少し、もう少しだけだから、我慢してくれないか?」
「……うん……」 
 小さな返事のあと、一時間経っても、いつもの穏やかな寝息が聞こえてくることはなかった。
 なんとかせねばならないだろう。
 タカシとて、これ以上現場を離れるのは難しいのだ。
 なんとかミユキを説得しなくてはならない。
 タカシの言葉など今更聞くはずもない彼女を説得するのは、どれほど難しい作業になるか、
想像するだけで頭を抱えたくなった。
「おやすみ」
 月夜に照らされた頭がかすかに動いたような気がしたが、
タカシはそれに気づかぬフリで部屋を後にした。


388 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:40:14.76vHoLDIIk0 (17/28)

 旧時代の電話機と言うものは、酷く耳に障る音を上げる。
 かつての人類は『家電』などという、移動もできない、ネットも接続をされていない、
これほどまでに不便な通信機を、どの家にも保持していたというのだから不思議なものである。
 埃を被って玄関の片隅に存在さえ忘れ去られたまま放置されていたそれが、
悲鳴じみた不快な音を上げたのは深夜三時のことだった。
 ソファで仕事をこなしていたタカシがまどろみ始めていたころ、
それは突如としてけたたましくなりだし、それがなにか理解できないままうろつくこと二分、
漸く発生源を探り当てた彼は、なれない手つきで受話器を拾い上げた。
「……はい」
 応答はケータイやその他通信機と同じはずだ。相手の顔が見えぬ不便に違和感を抱きつつ、
タカシはシンプルにそう返事した。
『私だ』
 その声は、よく知った声だ。タカシを一瞬にして不快にさせるのは一種の才能かもしれない。
「――何時だと思っているんですか」
『すまない。だが……』
 義父は、口篭りながら謝罪を述べたのち、実は、と切り出した。
『アンドロイドからのレポートが届かないのだ』
 ジジジ、と言う不快なノイズに混じった男の声は、しわがれた声でそう告げた。
酒でも飲んでいたのか、それとも大量の煙草を吸ったのか。常日頃より聞き取りづらかったその声は、
ノイズと交じり合うことによって、強い雨降りの日の音に似て聞こえた。
「そうですか」
 ネット接続が時折不安定になることは珍しいことではない。
家電の放つ電磁波の影響を受けることもままあるし、そもそも電波が届きづらい場所に居る場合もあるだろう。
アンドロイドのレポートが遅れたことの何が問題だと言うのだろう。
タカシは嫌みったらしく溜息一つを吐き出し、その旨を伝える。


389 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:41:26.33vHoLDIIk0 (18/28)

『いや、だが……、私は二時間ごとにレポートを送信するよう設定している。
だが、二十二時を最後にレポートが送られてこなくなったのだ。
もしかしたら電源が落とされているかもしれない』
「……まるでストーカーですね。そんなにショウタが大事ですか」
 かつてタカシと呼ばれていた幼子を――、オリジナルのシュウを、無残にも奪い取った老人が、
こうして実の孫をアンドロイドのレポートが遅れた程度で心配をしている。その姿が酷く滑稽であった。
タカシの元の名前を奪い取り、何を考えたのか、タカシにタカシと名づけた男。
そんな非道な行いをした男が、一丁前に孫の実を案じている。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、真っ当に人らしい受け答えをしてやる気にもなれない。
「私から私の大事な者を奪い取った人の行動とは思えませんね」
 グッと押し黙る老人の気配に、タカシは思わず笑みがこぼれた。
 本当に、滑稽だ。
 アンドロイドに子の世話を一任している状態のミユキは、確かに普通ではないだろう。
 世間一般で母型アンドロイドがどのように扱われているかと言えば、
彼らはあくまでもサポート役であり、それ以上の存在にはなりえていないのが現状だ。
 いや、顔の多様性が出始めた辺りから、彼らをパートナーと見なす『アンドロイドフリーク』は確かに存在していたが、
それらのユーザーはごく少数であったし、
であるからして、本物の母親に成り代わるほどにアンドロイドに依存した家庭は殆どないといっていいだろう。
 とは言え、アンドロイドが母親になれぬのかと尋ねられた、タカシは迷うことなく『否』と答える。
 安全面、世話の熟練度、その他の『母親としてのスキル』を総合的に鑑みれば、
彼らほど完璧は『母』はおらぬはずだ。
 そのように彼らは作られている。そのようにA社が設計をしたのだから。
 つまり、ミユキのような不完全極まりない、育児そのものを放棄したい女に嫌々子の面倒を見せるよりも、
アンドロイドに世話の全てを任せたほうが、はるかに安全なのだ。
持参したアンドロイドは警備型であったが、主人に仕える態度は基本的にそう変わりはない。
彼らは『完璧』なのだ。
 しかしタカシにも、老人の言いたいことは判っていた。
つまり、『その』アンドロイドからのレポートがないのを、この老人は心配しているのだろうが、
それはおそらく単なる不具合だろうし、今もなお、つれてきた警備型アンドロイドは、
眠り続ける二人の幼子の部屋を静かに行き来して見守り続けているはずだ。
 二時間に一度のレポートなど無意味だ。何かが起きることなど、ないのだから。


390 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:41:59.71vHoLDIIk0 (19/28)

「そんなに大切ならば、ご自分で引き取るなりなんなりなさったら如何ですか。
私の子はシュウだけです。ミユキともども引き取っていただけるならばありがたい」
 なにか言いかけたのだろう、電話の向こうで男が息を飲む声がして、
しかしそれは紡がれることはなかった。
 あれほどまでにタカシに対して居丈高で傲慢であった男は、
『ショウタ』と言う唯一無二の孫を得て、いつの間にか脆く弱く変化した。
 紙面上の関係でしかない義理の息子のことを快くは思っていないことは確かであるのに、
しかしその血と遺伝子を受け継いだショウタのことをいつでも気に掛けている。
タカシにへりくだってまで、『ショウタをどうか気遣ってくれ』とささやかな懇願をする。
 おかしなものだ。ショウタの半分はタカシでできているというのに。
 ふ、と自嘲するような、或いは嘲笑するような奇妙な笑いが漏れた。
「兎に角、もう休ませてください。何時だと思っているんですか。非常識極まりない」
 冷淡に言い放つと、年老いた男はしわがれた声で『すまない』と謝罪をした。
 画面もなく、ホログラムが浮き上がるわけでもない旧時代の電話機の向こう、
背中を丸めてしょぼくれた顔をする老人の姿が、タカシの脳裏にはハッキリと見えた。
 それがあまりにも愉快で、タカシは追い討ちを掛けるように無言で受話器を元の位置へと戻したのだった。



391 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:43:59.83vHoLDIIk0 (20/28)

 老人の言葉を鵜呑みにしたようで癪であったが、子の様子が気になるのは確かであった。
 アンドロイドが稼動しているのだろうから、老人が気にするような出来事は何ひとつ起こっては居ないはずだ。
 タカシは軋む階段がなるべく悲鳴を上げぬよう、慎重に階段を上った。 
 天窓からの月明かりが細く降り注ぐ廊下までたどり着き、タカシは漸く小さな吐息を漏らす。
全く、不便極まりない造りの屋敷である。階段は足運びを誤れば途端に軋むし、長い廊下には照明の一つもない。
『廊下の明かりは自動的に灯るものである』と確信して憚らない世代の少年少女ならば、
この薄暗い廊下をどう歩けばいいのか判らずに途方に暮れるに違いない。
 幸いタカシは二度目の生を送っている、『旧時代』の人間だ。
雲の切れ間から降り注ぐか弱い月明かりに順応すべく『目を慣らす』ことも知っているし、
どうすれば慣れるのかも知っている。
 タカシは暫しの間そこに佇むと、目が薄闇に慣れるのを待った。
 雲の流れが速い。この国の空高くに張り巡らされたシールドの外では、やや強めの風が吹いているのかもしれない。
 月はランダムに、その姿をハッキリと、或いはぼんやりと覗かせた。
 と、月が一際強く輝きを見せたその瞬間に、タカシはそれを目にしたのだった。
 廊下の奥、そこは小さな飾り窓があるだけの行き止まりで、読書でもするためか、
小さな木製の椅子が置かれていた。
 誰の趣味であるのかはタカシの存ぜぬところであったが、
時折シュウが、或いはショウタがその上に座って足を前後に揺すっている姿を見ることがあった。
 その上に、なにか――、いや、誰かが座っていた。
 子供のどちらかにしては大振りな影であることは間違いない。


392 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:45:09.03vHoLDIIk0 (21/28)


「……おい」
 声は小さく響く。
 体躯から、アンドロイドであることは判ったが、しかしそれはタカシの声に一切の反応を示さなかったのだ。
 通常、アンドロイドの聴覚は周囲の音をいくつも聞き分けることを得意としており、
その能力は人間の何倍にも及ぶことは誰もが知っていることであった。
警護用となれば五感は人間のそれに比べて何十倍にも及び、
例えば車の異常音を風に感じ、事前に人の列に暴走車が突っ込む、などと言う悲劇さえ回避して見せるのである。
 そのアンドロイドが、主人であるタカシの声に一切の反応を見せない。
「おい」
 もう一度呼ぶが、やはり反応はなかった。
 瞬時に、足元に向かって血が落下していくような感覚が体中を走っていく。
 タカシは矢も楯も溜まらずその場から走り出した。
 廊下が軋む。スリッパが脱げ落ちそうになる。
 タカシはシュウが眠っているはずの自身の寝室の扉を蹴破るようにして入った。
「シュウ!」
 タカシは何故こんな不便で辺鄙なことこの上ない土地へ家族――、
戸籍上のみのそれも含む一団体でえっちらおっちらやってきたのかを、唐突に思い出したのだ。
 肝心なところで選択を誤るのはタカシの特技か或いは運命か。
 ――なにも危険なのはショウタだけではない。
 そう思い至るのがあまりにも遅すぎた。
 果たして、月明かり差し込む大きな窓は開け放たれて、そして薄く白いカーテンが闇夜にはためいていたのだった。
 血の気が引くとはこのことか。タカシはまず、冷静にそんなことを思った。
 次に一体誰が、と言う疑問が浮かび、そして眠っているはずのシュウがそこにいない現実を再び確認すると、
足のつま先に妙な力がこもり、そして指先がサッと冷たくなり、そのくせ背中にはドッと大量の汗が噴出すのを感じた。


393 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:46:54.15vHoLDIIk0 (22/28)

「シュウ!!」
 もしかしたらシュウはタカシを驚かそうと、部屋のどこかに隠れているのかもしれない。
 そんな浅はかな希望を胸に、タカシは大声で息子の名を呼んだ。
 心臓が早鐘を打つ。
 甦るのは、あの時――、そう、あの時だ、あの子を失ったと知ったあの瞬間だ。
「シュウ!!」
 返事はない。
 シュウはここには居ない。そう確信をすると、タカシは来た道を戻り、ショウタの眠る部屋へと入った。
 窓辺に置かれたベッドには丸みがない。半分以上が床へとずり落ちた掛け布団は、
荒らされている様子は微塵もなく、そこは乱れているというよりも、
寝相の悪い子供が寝ている間に足で蹴って落としてしまったような様子であった。
 そこに少しだけ希望を覚えるのはおかしなことかもしれないが、
タカシは二人が誰かに誘拐されたのではないか、と言う不安が少しだけ拭い去られるのを感じた。
 もしも自分たちの意思で出て行ったのなら、少なくとも誰かの手によって傷つけられる心配はない。
 絶望的な状況で、少しでも楽観的に物事を考えようとするのはただの現実逃避に過ぎないが、
シュウが誰かの手によってその命を落としてしまうのではないかと言う恐怖に耐えられるほどには、
タカシのメンタルは丈夫にできていないのだ。何せ、一度喪った過去がある。
 あれを二度経験して耐えられる親などいるわけがない。
 湿った掌をシャツで拭うと、深呼吸を繰り返す。
 やるべきことを考えろと自身に言い聞かせ、そして廊下へと小走りで急いだ。
 ショウタの部屋から出るとすぐそこに椅子が置かれており、
アンドロイドはまるで眠りに落ちた人の如く目を瞑っていた。


394 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:48:43.25vHoLDIIk0 (23/28)

「起動……ッ」
 情けないことに、声が震えていた。そんな状況でもアンドロイドは律儀に起動し、
薄目で俯いたままいつもどおりの言葉をタカシに投げ掛ける。
『声紋認証――、ユーザーIDを発声してください。声紋の確認と同時に警備システムが起動します』
 幾度か噛みつつもユーザーIDと、続いてパスワードの入力を済ませると、
無機質なそれは途端に笑顔を向けて「こんにちは、タカシ様」と挨拶をした。
「……何故お前は"落ちて"いた?」
 起動した瞬間に投げ掛けた質問に対し、アンドロイドは『質問の意味が判らない』と言う趣旨の表情を作り、
「落ちていた、とは私が何故起動していいなかった、と言う意味でしょうか?」と大真面目に質問をする。
「そういう意味だ」
「シュウさまのご命令により、システムを終了致しました」
「何故?」
「判りかねます。ですが、ユーザーであるタカシ様との血縁関係を確認済み、
かつチャイルドロックが未使用でしたので、シュウ様によるID、ならびにパスワードの入力によって、
私は昨晩午後二十三時十分十五秒をもって、システムを終了させました」
「あの子はどんな顔でそれを行った?」
「意味が判りかねます」
「……怯えた表情であったり、誰かにそれをさせられていた可能性を聞いている」
 まどろっこしいやり取りとしながら、それでもタカシは冷静さを取り戻しつつあった。
 もしも侵入者が居たのなら、この警備アンドロイドもそれに気づきそれなりの対処を行ったはずだ。 
だが、そうでないのなら、少なくともシュウは自らの意思で最強のボディガードにしてセキュリティである
アンドロイドをシャットダウンさせたことになる。少なくとも、その身に危険が迫って行ったわけではないということだ。
「いいえ、寧ろ、いつもより生き生きとしていらっしゃいました」
 つまり、シュウの安全は『アンドロイドをシャットダウンした時点』では確定されたことになる。
タカシはその事実に一先ずは嘆息した。


395 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:49:36.71vHoLDIIk0 (24/28)

 過激派グループによる誘拐であるとか、そう言った線が消えさえすれば、
タカシも冷えた頭で思考をめぐらせる事ができるだろう。
できるだけ早くに見つけることが望ましいのは確かであるが、それでも人に攫われたのと自ら出て行ったのでは、
心配の度合いが随分と異なってくる。
 シュウは確かにここ数日の間は環境に対する不満を幾度か呟いていた。
 そのような背景を考えれば、この夜中の出奔は単なる冒険の延長であると考えても差し支えはないだろう。
「どこへ、」
 どこへ行ったのか、など考える必要はないのかもしれない。
 ここは田舎にぽつんと建った一軒家だ。
 遠くに見える夜毎花火を打ち上げる街は、
退屈な時間に辟易した子供にはやたらと魅力的に映ったことは間違いない。
そもそもほかに目立った場所がないのだから、向かう先はあの如何わしい花街くらいしかないだろう。
 客だと思われればいいが、逃亡を目論む奴隷かなにかだと思われたら非常に拙い。
 シュウくらいの年齢の少年を好む男が、或いは女がいるらしいということは、タカシも耳にしたことがある。
「拙いな」
 早く見つけなくてはならないだろう。


396 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:51:25.61vHoLDIIk0 (25/28)

 だが、ああいった花街は地形がとても複雑なのだ。
 元々人が住める土地ではない。
 国の中枢を掌握する老人たちは、箱庭計画を遂行するための下地として、地方都市の発展にも力を注いできた。
その甲斐あって、地方都市はそれなりに発展を遂げ、
その計画に飼いならされた若者たちは自身が生まれ出た土地から出ようとさえしなくなった。
 そうなるように老人たちは計画をしてきたのだ。
 人は一箇所にまとめられている。それ以外の場所に人はいないし、
行ってはいけないと刷り込まれているのである。
住みよい、何でも揃う平坦な土地から出ようとする人々は殆ど居ない。
だが花街は、その下地が作られる前に形成されたものだ。
この現代においても、因習やしがらみが根深く残る、あらゆる面で特殊な土地ゆえに、
国がどうこう対処することもできず、
ついにはそっと蓋をして地図上からもひっそりと消しさった場所なのである。
 かつて不運にも、産業も何もない場所に生まれ育った人々が、
苦肉の策で編み出した生きるための術、それが性産業。
 まともな産業が栄えなかったということは、つまり、
土地も痩せ気味で工場さえ建てられぬ地形であることの証明だ。
花街は、そんな風に、平坦とは言いがたい土地に建物を無理やり建設しているのだ。
 おまけに性産業を国が黙認した事実に乗じて、近隣の村――、同じく性産業なくしては食うにも困る村である――、
からも人が集まり、ごく近距離に村ごとの地区が形成され、
そのように村がせめぎあい、一つの性産業コロニーを形成していた。
 複雑な道は人を惑わす。それだけならば兎も角、街は産業を盛りたてるため、
人を酔わす作用のある、怪しげな香を地区ごとに炊き続けているのだ。
故に土地に慣れた者でも方向感覚を失いやすく、おまけに地区から地区への移動が安易であるため、
A村管理地区を歩いていたはずが、細い路地に迷い込んだ拍子にB村管理地区の端にいた、
などと言うことも決して珍しくないのである。
 そんな複雑な慣れぬ土地で、我が子を無事見つけることが可能であるのかどうか、非常に不安であった。
 だがしかし、逸る気持ちを押しとどめることは難しく、タカシは当てもないにも関わらず、
花街へと向かう準備を始めていた。


397 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:53:28.46vHoLDIIk0 (26/28)

「タカシさま」
「お前は留守番を頼む。俺がいなくても警備はキチンと行うように」
「はい、ですが」
「頼んだぞ」
 無計画に子供を捜すのは非効率的だと充分に理解していた。
だが動かずにはどうしてもいられなかったのだ。
「タカシ様」
 最悪の場合、タブレットだけを持っていれば問題ないだろう。端末の中には身分証は勿論のこと、
シュウとタカシが親子であることを証明する、顔写真つきの証明書も入っている。
 駐車場はあるだろうか、いや、あったとしても、あの複雑な地形にこの車を乗り付けることは可能だろうか。
「タカシ様」
「――、」
 はた、と気づく。
 一体、シュウはどうやって花街へと向かったのだろう、と。
 明かりが見える距離とは言え、子供の足では随分と遠い筈だ。
 途中まで道はあっても、その後の山あり谷ありの道を足だけで進むのは厳しいかもしれない。
「フライボード……」
 シュウが使える交通手段と言えば、それぐらいしか思い浮かばなかった。
 あの手の玩具には紛失に備えてGPSが組み込まれているはずだった。
だが、タブレットにそれらを登録した記憶はタカシにはない。
 チクショウ、と小さく呟く。こんなことならば、たかが玩具とは思わずに登録をしておくべきだった。
「タカシさま」
 いや、パソコンには登録したような気がしたが、あれは自宅用のモバイルだっただろうか。
今日も持参している仕事用のパソコンには登録はしていただろうか。
 いいや、それよりも万が一バッテリーが切れて木々の間に落下でもしていたら――。
「タカシさま」
「なんだ!」
 先ほどからしきりに呼ぶアンドロイドにタカシは漸く向き直り、そして思わず叫んだ。


398 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:59:02.88vHoLDIIk0 (27/28)


「忙しいのが見て判らないか!」
「ですが、」
「お前に付き合っている暇はない!」
「ですがショウタ様の、」
「なんだ!?」
「ショウタ様の個体反応を、ここから五キロの距離に確認したのですが」
「個体反応……?」
「ショウタ様の内耳には、私がいつでも体調を把握できるよう、センサーのようなものが埋め込まれています。
体温、呼吸数、心拍数、血圧。それらを総合的に見て、興奮状態である、或いは体調が悪いようだ、
などとショウタ様の体調を確認することが、ある程度は可能になっております」
 アンドロイドは人のように瞼を開閉させたのち、タカシをじっと見た。
 ――思えばこのアンドロイドは義父によって与えられたものだ。
今回の避難に合わせて譲渡されたものであったが、警備の為のみならず、ショウタの体調を逐一知る目的で、
送られたものに違いなかった。
なにせあの男は、孫の身を案じて二時間に一度の頻度でレポートを送らせているのだから、
それくらいはしてもおかしくはない。
センサーもかなり小型で、胡麻よりも小さなものを注射針で送り出すだけで済むはずだ。ミユキに隠れて、
或いはこのアンドロイド自身が埋め込んだのかもしれなかった。
「ショウタ様の皮膚越しに、もう一体反応が感じられます。シュウ様だと思われます」
「ショウタの様子はどうだ」
「多少心拍数が上がっておりますが、命の危険はない状態であると判断できます」
「そうか……、お前、ショウタの居場所はハッキリと判るか」
「勿論です。この距離からではおおよその場所しか判りませんが、
半径五百メートルならば一ミリも違わずに特定できます」
 なにを当たり前のことを言っているのだ。そう言わんばかりの眼差しでアンドロイドはタカシを見つめてきた。
「お前も来なさい。一刻も早く子供たちを保護したい」
「判りました」  
 慌しく身支度を整えて階下へ向かう。
軋む階段も、誰にも遠慮することなく駆け降りると、アンドロイドもそれに倣う様にして降りてきた。
「俺は車を出してくる。お前はこの家のセキュリティレベルをできるだけ上げてから、
鍵を閉じ車まで来なさい」
 タカシはアンドロイドの返事も待たず、庭へと飛び出した。
 命の危険はない状態。その言葉に少しばかり胸を撫で下ろしたが、しかしこれから危険な目に遭わないとも限らない。
 なるべく早く、一刻も早くシュウを保護したかった。
 やがてアンドロイドが車に飛び乗ると、タカシはやはり彼が扉を閉じるより早く、車を発進させたのだった。



399 ◆OfJ9ogrNko2015/10/17(土) 00:59:41.78vHoLDIIk0 (28/28)

今日はここまで。
保守ありがとうございます。


400以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/10/17(土) 02:03:09.27OwO0CNsa0 (1/1)

続ききてた!お疲れさまです!
ショウタとシュウに一体何が起こってるんだ…気になりすぎる。
続きも楽しみにしてます。いつもありがとう!
以前の投稿読み返しながら、続きに備えてますね。


401以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/10/30(金) 10:16:07.43RMxiH6mJO (1/1)

待ってる!


402以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/11/16(月) 02:55:00.036p0sdn5AO (1/1)




403以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/12/17(木) 00:13:22.31igT/rvZo0 (1/1)

しゅ


404以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/12/18(金) 18:47:33.2124cGXhxJ0 (1/1)

ちょ、ハードなショタエロ小説探しててたどり着いて
妙に重い話だなーと思いながらもついつい半日かけて全部読んだんだが
現在進行中なのかよww


405以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/12/18(金) 20:27:15.39D1SrFwF80 (1/1)

すみませんすみませんセルフ保守
年内にはもう一度更新します
いつも保守してくださってありがとうございます
すみませんすみません……


406 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:43:54.873V4Wo66k0 (1/35)

****
 予想以上の悪路をものともせずに車は花街への道を突き進んだ。
 道の端に切り倒された大木が横たわっていたり、
砂利と呼ぶのが憚られるような大きな石が、バンパーにぶち当たるなどのトラブルがあったが、 
ドライブは概ね順調であった。
 助手席に座ったアンドロイドも必要以上に口を開くことがなく、
口やかましい他人よりも、アンドロイドを選ぶアンドロイドフリークなる人々が出現するのにも、
なるほど無理からぬ話である、などとタカシは考えていた。
 もう間もなく目的地だ。
「お前、地形データは入っているか? 駐車場の有無を知りたい」
「申し訳ありません。私には自宅とその周辺データのみがインストールされておりますが、それ以外は」
「判った」
 ネット上からダウンロードすればデータ取得も安易であろうが、国が放棄した土地であることを鑑みると、
正確性の高い、細かな地図情報を得ることは難しいだろうと判断した。
それならば実際に赴いて、最悪の場合は車を放置する構えでいるしかないだろう。 
 走行を始めてから十数分ほど経ったころだろうか、
明かりに照らされぼんやりとした姿を浮かべる、朱塗りの鳥居が木々の合間に確認できた。
山の上にも塔のようなものがいくつも見え、
それらを照らすように赤い光りがチラついて見えた。提灯かもしれない。
 段々状の土地に建築物が立ち並ぶ歪な街は、まるで現実味がなく、虚像のようだ。
ひしめき合うように、旧時代めいた建築物が立ち並んでいる様は、タカシが住まう環境とはかけ離れた様相で、
運転中であるにもかかわらず、思わず見入ってしまう。
 神社仏閣が物珍しいわけではないが、大鳥居や大型の寺、つまり上空からの発見が安易である建物の類は、
古都東京にはまだまだ多く存在するものの、
その他の土地ではあらかた攻撃の対象とされ、結果、現存するものが殆どないのである。
 若者は神社仏閣にはあまり興味を示さない――、そう判断したのか、
政府も歴史的建造物の積極的な再建は行わなかったのだろう。
今ではそれぞれの都道府県に四つか五つの神社仏閣が存在すればいいほうである。
 そんな事情から、たとえ近年に好き勝手に作られた建築物とは言え、
寺や神社が――、所詮それらしいもの、ではるが――、あれほどの規模で現存するのはやはり物珍しく目に映るのだ。
人が住んでいるかどうかも怪しい場所は、敵からも爆撃の対象にならなかったのだろう。


407 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:47:40.153V4Wo66k0 (2/35)

「異世界だ……」
 ぽつりと呟いた言葉を律儀に拾ったアンドロイドは、「異世界とは?」と返事を返すが、
タカシは答えることもしなかった。答えを要してないことを理解したであろうアンドロイドは、
やがて何もなかったかのように首の捻れを正して正面へと向き直った。
 木々が走っていく。
 何の手入れもされていない木々は、ヘッドライトに照らされると時折獣のように見えた。
国から放棄されているに等しい土地――、ここはそういう場所なのだと、タカシはハッキリと自覚する。
 近隣から色を買いにやってくる人間は少なくはないことの証明に、道路に轍が出来上がってはいるが、
その道路とて『密かに続く秘密の街への道』と言った扱いのもので、国が存在を認めていない場所の為、
殆ど私道としての扱いであるから、手入れが行き届いていなのも仕方がないことなのだろう。
 それから凡そ十分後、車は漸く件の鳥居の前へと到着した。
 シートベルトを外して車外に出ると、生ぬるい風に混じって酒の匂い、そして香、人々の談笑が響き渡った。
街は、想像した以上に活気を放っている。
「お前も降りろ」
 車に向かって呼びかけると、アンドロイドは漸く車外へと顔を出し、それから車の扉を閉じた。
 鳥居の両脇に設けられた小屋に、監視の目を光らせている男が座っている。
おそらく彼らは、ここで働く娼婦や男娼を逃がすまいとしているに違いなかった。
「それで、子供たちは、」
 それが始まったのは、タカシがそう言葉を紡いだ時だった。
 アンドロイドは顔を俯かせ、伏せ目がちになりながら、なにやらカウントを始めた。
「ここから北に二百……、いえ、二百十、走っておいでのようです。心拍数もドンドン上がっておられます」
「走っているだけか?」
「……いえ、ノルアドレナリンの分泌量が増えているようです。ショウタ様は恐怖を感じておいでです」
 つまりショウタは何かから逃げているようだ。アンドロイドは感情のない瞳でそう告げた。
「行くぞ……!」
 子供が窮地に追いやられている可能性が高まった。
だというのに、アンドロイドは至極冷静にその状況を判断しアナウンスを続けているのだ。
 タカシはアンドロイドのこの無機質さがどうにも好きになれなかった。
 かつて勤務していた職場に数体のアンドロイドが設置されていたが、
それらよりも、見た目も会話も思考力も、随分と人間的になったとはいえ、
まだまだホンモノの人間には及ばない部分が数多く見られる。
その中で尤も顕著なのがこの無機質な空気。
人間的な気配が全く感じられない(少なくともタカシにはそう感じられるのだ)点は、
人型を名乗る上で致命的に思われた。
 いや、今はそんなことを考えている場合ではないだろう。早く子供たちを見つけねばなるまい。


408 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:50:37.183V4Wo66k0 (3/35)

 鳥居の下で、屈強な大男から通行証明書を買い――、
癪なことにこのアンドロイドの分の証明書の購入も求められた――、
焦れつつも漸く朱色の鳥居を潜ると、タカシは息を飲んだ。
 そこには、異次元への入り口とも呼べそうな光景が広がっていた。
 と言っても妙にメカメカしいだとか、近未来的であるとか言うわけではない。
 逆だ。妙に古めかしいのだ。小物ひとつをとってもそう。大昔の日本を髣髴とさせるその場所は、
その『大昔』を生きたことがないタカシにとっては異次元と呼んでも差し支えはないだろう。
「タカシ様、あちらです」
 ほんの一瞬、呆気に取られて立ち尽くしてたタカシは、アンドロイドの声にはっとした。
 先ほど潜った鳥居を入り口に、その先に続く大通りに立ち並ぶそれれぞれの店には、
洒落た赤い提灯が鈴なりにぶら下がってた。
 どの店にも入り口の脇には格子が設けられており、中には見目の麗しい男や女、少年少女が
露出度の高い衣類を身に纏い、通りすがる人々を誘惑している。
 怪しい香りが渦巻く中、腕を掴んで客引きをしようとする男の手をタカシは振り払い、
偽物の秋波を寄越す女や男の視線に気づかぬフリをし、玉砂利を敷き詰めた道を必死で走った。
アンドロイドは背後のタカシが追尾できているかどうかを確めぬまま走るものだから、
タカシも必死でついていくよりほかはない。
日ごろのデスクワークの賜物か、すっかりと機能の低下した足と肺は、激しい急な運動に悲鳴を上げていた。
「あと五十メートルです」
 息を切らしようのないアンドロイドは、明瞭な声でそう告げる。
 僅か五十メートルの距離だというのに、猥雑な喧騒やら嘘くさい笑い声、嬌声で溢れた通りでは、
子供の声など全くと言っていいほど聞こえない。
例えば奥まった裏路地で誰かが叫んだとしても、ハッキリとその悲鳴を捉えることは難しいだろう。
「あと四十、少し移動したみたいです。四十五メートル、心拍数がまた上がりました」
 危険だ。シュウの身に何かあったら。
 そんな考えが頭をよぎり、冷や汗がぶわりと噴出す。


409 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:52:17.693V4Wo66k0 (4/35)

「お前、先に行って子供を捕まえてくれ!」
「判りました」
 一瞬考えたような雰囲気で首を傾げたのち、アンドロイドは涼しい顔を保持したまま、
猛スピードで――、人間では決して出せない猛スピードである――、玉砂利を踏み砕く勢いで駆け抜けていった。
直進、それから角を左。タカシが確認をできたのはそこまでだった。
瞬く間に姿を消したアンドロイドの行き先を確認しつつ、タカシは足を止めることなく動かし続ける。
「お兄さーん」
 ウチで遊んでいこうよ。そんな呼びかけにわき目も振らずに走り続ける。
漸くアンドロイドが姿を消した角を曲がると、ふいにざわめきが小さくなった。
大通りから一歩内側へと入っていくと、随分と音が小さく聞こえる。
怪しい香が漂い風に提灯が揺れるのは変わらぬが、喧騒が小さい分、風情を感じた。
「……から……、がう!」
 子供の高い声が聞こえた。
 タカシには、それが自身の血を分けた子のものなのか、それともまったく別の、
つまりはこの街で働く者の声なのか、全く判断がつかなかった。
だが、一先ずはそこを目標に進むことにした。
 玉砂利を蹴る。運動不足の足は時折もつれるが、なんとか転ぶことなく走り続けられた。
戦時下であったのならば、死んでいるだろう。体力を取り戻さねばなるまい――、
そんなことを考えられる程度の余裕があるのは、
アンドロイドが子供を確保しているだろうと踏んでのことであるが、なんとも暢気である。
シュウの命の危険を感じれば激しく動揺するくせに、危機が去ったに違いないと予測を立てられるようになると
途端に力が抜ける。どこか情緒的におかしな自分は自覚しているが、その原因がつかめない。
もしかしたら、全てを楽観視させるような効果が、この鼻腔に纏わりつく香には含まれているのかもしれない。


410 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:54:06.213V4Wo66k0 (5/35)

 提灯の残像が背中に向かって伸びていく。
 幻想的にさえ見えるその光景を、ぼんやりと視界の端に追いやって、タカシは走り続けた。
 やがて人の争う声と、子供のぐずる泣き声が耳に届いた。
「ですから、主人が間もなく参りますので……」
 間違いない、アンドロイドの声だ。
「だから、この子達は男娼でも奴隷でもないよ」
 続いて聞こえてきたのは、女とも男ともつかぬ、少し甘いハスキーな声。
 格子の中から呼びかけてくる、熱帯魚のような、蝶のような見目の麗しい男女に脇目も振らず、
タカシは声を目指して走った。
「そうは言われても脱走奴隷だったら困るって話だ!
奴隷でも男娼でもねえってんなら、証明書を見せてもらわねぇと。
こんな年齢の奴ら、奴隷でもないならなんの用があってこの街に来たってんだよ。
お貴族様でも筆おろしにゃあちっとこの年齢は早いんじゃねぇか。どう考えても脱走した奴隷か男娼だろうよ」
 奴隷だ、奴隷じゃない。
 そんな言い争いを続けるのは、屈強な男たちだった。
おそらく見張りや警備を生業としている、この街の治安維持隊かなにかだろう。
脱走奴隷や娼婦男娼を捕まえたり、客のトラブルを解決する警らのようなものに違いない。
そんな男たちに、果敢にも応戦しているのは、背の低い、華奢な――、後姿だけではどちらか判断できぬが、
身の丈が一六〇センチ、あるかないかの小柄な人物であった。その隣に並ぶのは、間違いない、
タカシと共に屋敷を出てきたアンドロイドだ。
「おい……!」
 タカシの呼びかけに、アンドロイドが振り返り「タカシ様」と呼んだ。
 その声に反応し、アンドロイドと小柄な人物の隙間から、小さな子供が飛び出てきた。
警らたちは「おい」と声を荒げるが、子供の動きはそれより早く、
泣き声の混じった声で「お父さん……!」と叫びながら弾丸のような速さでタカシへと向かってくる。


411 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:55:57.233V4Wo66k0 (6/35)

 シュウだ。
 鼻水と涙で顔はぐしゃぐしゃであったが、見間違えようのない、それは確かにタカシの愛息であった。
 細い腕をタカシの腹にひしと巻きつかせ、涙でグチャグチャになった顔を何度も摺り寄せる。
瞬く間にシャツが汚れていくが、タカシはそんなことも気にならないという風に抱きしめた。
 だが、安堵と同時に湧き上がるのは怒りだ。
「馬鹿! お前は何をしているんだ!」
「ごめんなさぃ……」
 ひっひと小さくえづきながら、シュウはタカシのシャツを捉えて離さない。
落ち着かせるようにその背中を撫で、無事でよかったと抱き上げる。
「心配したんだ! 家を抜け出してこんなところに行くなんて、なにを考えているんだ!」
 だって、だってとシュウは涙声の合間に声にならぬ言葉を紡ぐ。
 判っている。ちょっとした冒険のつもりだったのだろう。
だが、冒険に赴くには、如何せん場所が悪すぎるのだ。
「ちょっとお前さん、何者だ」
「ですからあちらは、」
 成り行きを見守っていた男たちがついに声を上げた。
「失礼。この子は私の息子です。私の通行証明書がこちらです」
 ポケットから証明書を引きずりだして男に渡す。
「それからこちらがこの子と私の血縁関係を署名する身分と血縁証明書です」
 タブレットに浮かび上がる書類とタカシ、それからシュウを見遣り、男たちは漸く納得したようだった。
「お父さんね、子供はちゃんと見ていてくれないと。それにこの子がここに来るのはまだ年齢的に早いでしょう」
 シュウ程度の年齢で花街に客としてくる子供も、居ないことはないのだろう。
だが世間一般が思うように、やはり早すぎるのは確かなのだ。
「すみません」
「いやね、近頃奴隷として売られてきたはいいが脱走するやつが多くて……、
近々輸出入に対する鎖国も解かれるって話じゃないですか。
そんな感じで国がちょっとずつ変わってきてるんですかね、末端の末端でお家取り潰しになった貴族がさ、
仕方がなく娘息子を売るわけですよ。そういう奴らが脱走をするわけですよ」
 没落した貴族が子を売って借金やらを帳消しにするなど、昔からさして珍しいことでもないが、
近頃はその手のケースが目立つのだ、と男たちは言う。
「現にこいつも、」
「そういう話はやめてよね」
 凛とした声が男たちの言葉を遮った。
「僕が貴族だったのは昔の話だよ。逃げ出そうなんて思っちゃいないよ」
 先ほどから、男たちの横に居た小柄な人物が声を上げた。
「全く、珍しく営業日に休みをもらえたと思ったらこのザマだ。
身売りは身売りらしく、人目を気にして座敷の奥に引っ込んでろってことだね。
面倒ごとに巻き込まれた挙句、自分の過去を他人に暴かれたらたまったものじゃないよ」
 華奢な背中がめんどくさそうに言う。


412 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 20:59:37.033V4Wo66k0 (7/35)

香の匂いが練りこまれた風が、肩より少し長い髪を揺らした。
声の様子で、その華奢な自分が少年であると、タカシは始めて気づく。
シュウより少し上くらいだろうか、声にまだ幼さが残る割には、言葉遣いは随分としっかりしており、
一瞬二十歳もそこそこに越えたくらいの人物と錯覚するが、その骨格や声音から察するに、
タカシに背を向けたままのその人物はまだ少年と呼んでも差し支えがない年齢の筈だ。
「とにかく早く開放してくれ。僕は今、せっかくの休みを満喫中なんだ。ああクソ、煙管を忘れていた……」
 チッと舌打ちをしたその人物――、少年は、一瞬目の前の店を見上げ、その後溜息混じりに「まあいいか」と
呟き、そしてタカシを振り返った。
「――姉さん……?」
 言葉は、自然と口をついて出た。
 いや、そんなはずはない。そう思うよりも先に、言葉は先に紡がれていたのだ。
 頬の丸み、柔らかな眼差し、少しだけ口角の上がった口――。
「はぁ?」
 少女――、いや、彼は『僕』と自称していたのだから、少年なのだだろう――、
彼は胡散臭いものを見る眼差しを隠そうともせずに『はぁ?』と言った。
だが、タカシを振り返った彼はひどく中性的で、性別が見当たらなかった。
 その『彼』は恐ろしいほどに、そう、タカシの人生を変えてしまった女性に似ていたのだ。
 だが、そんなはずはない。彼はただ似ているだけだ。姉は疾うの昔に死んでいるのだから。
「……失敬」
 心臓が早鐘を打つ。
 自制心がぐらりと揺らぎ、その顔を両の手で挟みこんで具に観察をしたいような衝動が生まれる。
突き動かされるようにしてタカシは少年に近づいた。


413 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:00:57.633V4Wo66k0 (8/35)

「ちょっと……!」
 憑かれたように近寄る男に恐れをなしたのか、少年は一歩下がる。
「おい……!」
 警らたちも慌てたようにタカシを制止しようと手を伸ばしたが、
それらの試みはアンドロイドによって阻止された。
タカシの行く手を阻むものはもうなにもない。
異常をいち早く察知していた少年は、今にも駆け出さんばかりの勢いで背を向けていたが、
タカシはそれを許さなかった。玉砂利のこすれあう音が花火に混じって僅かに響く。
タカシは、すかさず少年の腕を掴み、そして引っ張った。逃がさない、そう言うように。
 あと少しで、彼をよく観察することができる。顔を確認しなくてはならない。
姉と、タカシが唯一愛したあのひとと、彼が同一人物でないことを確認しなくてはならない。
 馬鹿ことをしているという自覚は、頭の片隅にあった。
 だが、理性を食いちぎるほどに、ちらりとみた彼の顔は、なにもかもが姉によく似ていた。
なんとしても確認せねばならぬだろう。
タカシは掴んだ腕を強引に引き寄せ、彼の顔を掴み上げ確認をした――、はずだった。
「やめてよね!」
 タカシの掌から細い腕がすり抜け、パシッと派手な音を立てて振りほどかれた。
 一瞬だけ気が緩んでしまったのは、玉砂利の上、『それ』が居たからだ。
 ショウタだ。ショウタはしゃがみ込んだまま、感情の篭らない瞳でタカシを見上げていた。
いつからそうしていたのか、ショウタはシュウがタカシにしがみつきおいおいと泣き声をあげる中、
ずっとそうしてしゃがみ込んでいたのだろう。
 人形のように睫一つ揺らさず、涙の溜まった瞳でタカシを見上げていた。


414 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:03:39.723V4Wo66k0 (9/35)

「あんた何なんだよ! 僕は迷惑なガキどもを保護してやったってのに、
いきなり腕を掴むってどういう了見だよ! 訴えるよ!」
 少年が吼えている。獣のように怒りをむき出しにして。
 思考が散らばる。ショウタの存在に気を取られる自分と、少年の存在を確認したい自分とで、
心が分かたれる。
「ちょっとお客さん、困りますよ! 俺らの仕事はね、娼婦や男娼の身を守ることも含まれてんだ!
こういうことは店の中でやってもらわねぇと!」
「店の中だってごめんだよ! こんな変な男!」
 タカシは、シュウの安全を確認したその瞬間に、ショウタの存在を完全に忘れ去っていた自分を今更自覚した。
タカシは、ショウタの存在を、
シュウの元へとつれてくることが可能なナビゲーションとしてしか見ていなかったのだ。
 シュウを見つけてホッとした。
だが、タカシは露骨なまでに『ショウタの存在』を『すっかり忘れていた』のだ。
 ショウタの目に溜まった涙が、いつ溢れ出したものなのかは定かでない。
だがもし、もしも、シュウの存在『だけ』に気をとられているタカシを確認してのものだとしたら――?
いいや、もっと悪いタイミングかもしれない。
 シュウの安全だけを確認し、男娼に現を抜かす父親――、
生物学上だけの繋がりだとしても、ショウタにとっては父親はタカシしかない――、
その父親が、自分の存在をすっかり忘れ、男娼の手を捉えるのに夢中になっていたとしたら。
 流石にバツが悪くて、タカシは干からびた喉から「ショウタ」とひねり出すように声を出した。
名を呼べば、あのいつもの、なにかを期待をした目に戻るような気がしたからだ。
 だが。


415 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:05:55.293V4Wo66k0 (10/35)

「僕も、帰っていいですか」
 か細いショウタの声が、そう告げる。
 凍りそうに冷たい声は、全てを拒絶するように、ひどく大人びた発音をして見せた。
軽く俯いた目は、タカシの存在などもう知らぬ――、そういわんばかりに、見つめてくることもない。
「この子供もアンタの子供かい」
 警らがぞんざいに言う。
 一瞬だ。ほんの、一瞬の間だったのだ。
タカシは後ろめたさも相まって、いつものようにショウタとの血縁関係を否定したりせず、
素直に返事をしようと思ったが、一瞬の遅れが生じた。
それはミユキへの抵抗か、或いは心の片隅にあるショウタへの拒否がそうさせたのか、それは定かではない。
 だがその一瞬の遅れをショウタは許さず、ハッキリと「違います」と答えた。
 タカシは、思わず「え」と、間抜けにも呟いたような気もしたが、花火の爆音は全てをかき消して、
自身の発声が実際にあったものかどうかさえをもあやふやにする。
「僕にお父さんは居ません。ですが、『この人』のところでお世話になっています。
このアンドロイドに僕の個人情報が入っているはずなので、確認してください」
「あ、ああ……」
 警らたちは戸惑い気味に返事をした。
 うるさく喚いていた少年は押し黙り、そして冷ややかな視線をタカシに投げ掛けていた。
それらが己に対するタカシの暴挙から来るものなのか、
それとも『もう一人』の存在を失念していた男への侮蔑なのかは判らない。
 父親は居ない。ショウタは、そうはっきりと告げた。
いつも、遠慮がちにタカシを見ていた子供が、はっきりと『父は居ない』、そう告げたのだ。


416 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:08:30.683V4Wo66k0 (11/35)

「あ、ああ、確かに君は男娼でも奴隷でもないな……」
 大人のように物静かに言葉を紡ぐショウタに気圧されたのか、警らたちもぎこちなく会話する。
「もう、帰っていいですか?」
 赤、青、黄色。
 爆音と共に、大量の花が夜空に咲く。
それらは幼い、丸みのあるショウタの頬を照らした。もう涙は乾いていた。
 警らたちの了承を得ると、ショウタはタカシの方を一切向かず、
アンドロイドの作り物の手にすがるように触れた。
「抱っこして」
 それが自分に向けられた言葉でないことは、確かであった。
 アンドロイドは、一瞬首を傾げたのち「はい」と返事をしてショウタを抱き上げる。
「ありがとう。帰りたい」
「かしこまりました」
 アンドロイドの右腕の上に、座るような形で抱き上げられたショウタは、その一見人のような、
だが確実に偽物であるアンドロイドの首に両腕を巻きつけて、
首筋に顔を埋め込んでいた。
 アンドロイドは今や見てくれは人とあまり変わらない。
 ツルッとした無機質なボディではなく、人工皮膚で体全体を覆われており、
当然のように衣類も着込んでいる。
「寒くはありませんか?」
「……寒い」
「では少し、ボディの温度を調節します」
「うん……」
 その短い会話がなければ、その姿は父親に甘える子供そのものだった。
 ふいにタカシは察した。
 ショウタは、タカシに見切りをつけたのだと。
「……お父さん?」
 シュウがタカシの手に触れる。
「うん?」
「僕も帰りたい」
「ああ、そうだな」
 男娼の少年が、チッと舌打ちをしたのが聞こえた。
こんな状況でさえ、姉に酷く似た少年を気にしている自身が滑稽であった。
 姿かたちだけでも似てさえ居れば、それで構わないというのか。
息子の――、たとえそれが遺伝上のみの繋がりであったとしても、
我が子の安全以上に興味を示した事実は隠しようがない。
「安いな……」
 自分の愛情も。
 自嘲するような呟きに、シュウは真っ直ぐな目を向けてきた。
「帰ろうか」
 そう言われ、シュウは嬉しげに頷いた。
ショウタとタカシの横たわる、あまりにも深い溝に全く気づかぬ笑顔は、いっそ残酷なほどであった。


417 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:10:49.963V4Wo66k0 (12/35)

****

 悲鳴を上げたのは、シュウだった。
今まさに危害を加えられているショウタは、涙一つ零さずに、無抵抗なままそれを受け入れていた。
「なにをしていたの!」
 金切り声で叫ぶのはミユキだ。
 慌しくアンドロイドとタカシが屋敷を飛び出したことには気づかなかったくせに、
三人と、プラス一体が帰宅するやいなや、ミユキはショウタの腕を引っ掴んでその頬を張った。
 乾燥した音が響くと同時に、彼女はわけの判らない言葉を捲くし立て、
そしてその小さな体を壁に向かって叩きつけたのだ。
「あれだけお庭の外に出てはならないと言ったでしょ! 何故お母様の言うことを聞けないの!」
「おい、ミユキ……!」
 ショウタはその間、全くの無抵抗で「ごめんなさい」と謝罪を繰り返していたが、
しかし自身が何故花街に行くに至ったのか、その理由は一切口にしなかった。
痺れを切らしたミユキが、行き過ぎた体罰を与えるにはそう時間は掛からず、
タカシが制止の声を掛けるべきかどうか思案しているうちに、ショウタの体は宙に浮いていたのである。
 まるでボールのように浮かび上がった体は、しかしボールほど柔らかに壁に当たることなく、
派手な音を立てて幼い体は壁を伝って床へと沈み込んだ。
 背中への打撃から、ショウタは呻き声をあげたものの、決して言い訳も自己弁護もしなかった。
「ミユキ!」


418 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:13:27.263V4Wo66k0 (13/35)

 躾と呼ばれる域は疾うに過ぎている。
 思わずミユキを呼ぶが、彼女は憑かれたように金切り声を上げてショウタを叱責し続けた。
ゴテゴテとした装飾を施された爪が、幾度もショウタの頬を掠める。
頬を張られる度に、ショウタの頬には傷がついていった。
 アンドロイドも何度か制止の声を上げたが、ミユキは律儀にも、パスワードを読み上げることでそれらを封じ込め、
思うまま、ショウタへと暴力を振るったのだった。
「花街に行っていただなんて、汚らわしい! 貴方まさか、女をその年で買ったなんてことはないでしょうね!?」
「ミユキ、やめろ! そんなことしているわけがないだろ!」
「タカシさんは黙っていて! 父親の役目を一切果たさない貴方には、
この子の教育に口出しする権利はないわ!」
「それはお前も同じだろう! 身の回りの世話の一切をアンドロイドに任せているくせに!」
 しまった、言うべきではなかった――、そう気づいたのは、叫んだあとで、
ミユキは鬼のごとき形相でタカシを睨んでいた。
 売り言葉に買い言葉。
ミユキもミユキだが、タカシもタカシだ。
どちらもが、ショウタを叱る権利も庇う権利もないのである。
 凍るような空気の中、二人の対峙は続く。
大人二人の気迫に泣き声を上げるのはシュウだけで、
揉め事の渦中にあるショウタは、壁に叩きつけられた姿勢のまま俯いている。 
 どれくらいそうしていただろうか。緊迫した空気を破ったのは、意外なことにショウタであった。
覚束ない足取りで立ち上がったかと思うと、揉め事の一切への口出しを禁じられたアンドロイドに近づき、
その手を握った。
「体が痛くて、階段、上れない」
 そう訴えられたアンドロイドは、自らショウタを抱き上げる。
「おやすみなさい……」
 アンドロイドに抱えられ、抱きつくようにしていたショウタは誰に向けたのか、そう挨拶したが、
誰一人それに答える者はいなかった。


419 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:18:00.783V4Wo66k0 (14/35)


 深夜の大冒険によって疲れ果てていたのであろうシュウは、
ベッドに入って数分後には穏やかな寝息を立て始めた。
 ――改めて自覚した。
 タカシはシュウのみを自身の子として認識し、
その一方で、ショウタについては近所の子供に対するほどの関心さえもないのだと。
 ミユキに与えられた暴力、そして己が花街で犯した、なんとも恥ずかしい行動に対する後ろめたさで、
多少の心配は感じていたものの、それ以上の関心はあまりない。
そんな自分が不気味に感じたし、なによりも、ショウタの頭から『非道な父親像』を払拭し、
本の少しでも『いい父親』を演じたいという欲求があることに、自己嫌悪を覚えた。
 自分の欺瞞を満たすためにショウタへの接触を図ろうとしている――、そんな自分がなによりも気味悪い。
 だが、実母による暴力に耐え抜いた体がどんな状態であるのかが気になっている気持ちは決して嘘ではない。
いい訳めいたことを考えながらも、タカシはそんなことを思っていた。
 例えば近所の子供が怪我をしたと聞けば、多少の心配はするだろう。それと同じだ。
 シュウの眠る部屋で椅子に座し、そんな考えをまとめたタカシは、
その重い腰を漸く持ち上げ、隣の部屋へと向かったのだ。
 なるべく足音を立てぬように、物音を立てぬように扉を開く。
 部屋は、カーテンが開け放たれ、月が雲の切れ間から顔を覗かせていた。
 まずアンドロイドと視線がかち合う。
 しかし彼はなにも言葉を発さず、ただ何かを抱えたまま、ロッキングチェアをゆらゆらと揺すっていた。
月明かりを背負ったままのアンドロイドの目は少しだけけ光って見えたが、
人間であるタカシにはその姿が、『アンドロイドが何かの塊を抱えた姿』である、
とだけしか認識できなかった。


420 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:19:10.623V4Wo66k0 (15/35)

「お前はお爺様が僕にくれた」
 小さな声が何かを確認するように呟いたことにより、
アンドロイドが抱えたものがショウタであると理解する。
「そうですね」
「僕のものだ」
「はい」
 穏やかに返事をしたアンドロイドはショウタの髪をすいているようだった。
「いつまで一緒に居られる?」
「私どもの耐久年月はその使用環境によって異なります。たんなる世話係としてならば、
短くても十年は正常に稼動するよう設計されております」
「十年か……。じゃあそれまで、そばに居て」
「仰せのままに」
「……それ、嫌だなあ……」
「どれ、ですか?」
 椅子の動きに合わせて、ショウタの足先がゆらゆらと揺れ動く。
開け放たれた窓から、少しだけ冷たい空気が入り込み、カーテンをふわりと躍らせた。
「……です、とかます、とか言う喋り方」
「と、申しますと?」
「もっとね、もっと……」
 ショウタの声が小さくなり、アンドロイドの耳元に唇を寄せると、何事か呟き、
そして「駄目?」と尋ね返した。
 アンドロイドが返答を返すのに、時間は差ほど掛からなかったことを鑑みると、
ショウタのお願いは、アンドロイドにとって何の問題のないものであったのだろう。


421 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:20:34.603V4Wo66k0 (16/35)

「判りました。呼び名はなんと」
「ショウタでいい」
「かしこまりました。では、現時刻をもって、モードをショウタ様限定でFaterに切り替えます」
 Fater Mode。
 それは、アンドロイドがより親密に、文字通り、より父親らしくショウタに接するようになることを示していた。
 暫しの沈黙が流れる。アンドロイドのモード切替には、少しの時間が要されるので、そのためだろう。
 義父がショウタに送ったアンドロイドは、ショウタが未成年であるため、
保護者であるタカシやミユキの所有物であると言っても差支えがない。
しかし、名義人はショウタであるため、アンドロイドにとっての真の主人は、ショウタなのだ。
 例えばタカシとショウタが同時に何かの仕事をアンドロイドに頼んだのなら、
どちらの作業を先にしても効率に問題が生じない場合においてのみ、
アンドロイドはまずショウタの仕事をこなしてからタカシの命令をこなすのだ。
 繰り返すがアンドロイドの主人はショウタだ。
タカシがアンドロイドのモードを『警備』を優先するよう設定していただけで、
ショウタは誰の許可も要らず、いつでもそのモードを切り替えることができたのだ。
 だが、ショウタはそれをしなかった。そのショウタが、モードをFaterへと切り替えた。
 それはつまり――、タカシもミユキも、もうショウタには必要がないということなのだろう。
 得体の知れぬ、澱のようなものが肺の辺りに巣くうのを、タカシは感じた。
 罪悪感、嫌悪感、そして――?
 正体不明のそれがタカシの胸に渦巻くのも知らず、アンドロイドは自動的な再起動を起こし、
そして簡易的な『ショウタの父親』として目を覚ましたのだった。


422 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:23:07.723V4Wo66k0 (17/35)

 アンドロイドがショウタに向かって何事かを囁く。
 そろそろベッドに入れ、だとか、眠れ、だとか、そんな話だろう。
「嫌だ。このままがいい」
 駄々をこねるようにショウタがすねた声を上げる。
それに少しばかり呆れたように溜息を吐いたアンドロイドは――、溜息を吐くフリであるが――、
「まったく」と呟き、そして指先を伸ばしてショウタの頬に優しげに触れる。
 慈愛に満ちた触れ方は、子供に接する父親そのものだった。
「やだ。今日はこのまま抱っこしていて」
「風邪を引く」
「大丈夫だよ。お願い」
「……今日だけだよ」
 素足のつま先の冷たさを検知したのか。アンドロイドの手が、ショウタの足の先を包み込んだ。
「……ふふ……」
「何で泣いている。どうした?」
「……なんでもない……あったかくて、安心しただけ」
 胸の内に立ち込めた罪悪感に、呼吸が薄くなるのをタカシは感じていた。
 足が震える。指先が冷たくなる。呼吸が苦しい。
 おそらくショウタは、ずっと『それ』が欲しかったのだろう。
 自分を、自分だけを愛してくれる『親』が。
 ただ年相応に甘えられる、その年齢の子供ならば当然にように甘えられる相手が。


423 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:24:04.053V4Wo66k0 (18/35)



 酷いことをしていた自覚は合った。
ショウタの存在をどうしても受け入れてやれない狭量な自分を必死で誤魔化し、
『自分は間違っていない』と肯定する自身がどれほど醜いのか、
そして、仕方なしに親の代用品を自ら用意したショウタに対して、
償いたいだとか、改心しようなどと、微塵も思えない自分も、嫌と言うほどに自覚したのだ。
 しかし、ただそこにあるのは、自分を恥じる気持ちだけで、ショウタに対する気遣いは殆ど生まれない。
 どこかおかしい自分を、タカシははっきりと自覚している。
 どう頑張っても、息子だと思えるのはシュウだけで、姉と自分の遺伝子を受け継いだ、あの子供だけなのだ。
タカシの父性の全てはシュウの為にある。
一筋でも、たった一滴でも、それらをショウタに分け与えてやれる余裕がない。
 ただただ、居心地の悪さだけを自覚する。
 いたたまれなくなったタカシは、そっと扉から遠ざかったのだった。


424 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:27:18.083V4Wo66k0 (19/35)

 翌朝の食卓にはすでにショウタがおり、その脇には父親然としたアンドロイドが座っていた。
と言ってもアンドロイドは当然食事をしないのだから、
彼は『息子』であるショウタが椅子に座するのを観察し、
食事に手をつけようとするのを見守っているだけだった。
 ミユキはまだ起きていない。
と言うことは、食事を用意したのはアンドロイドのかもしれない。
 パン、サラダ、スープ、チーズ。なんの変哲もない食事であるが、
ショウタは軽くトーストされた食パンを一度手にし、どういうわけかそれを皿の上に戻してしまった。
「手が痛い。一人じゃ食べられない」
 タカシは思わず息を飲む。
肺に空気を詰めて栓をする音が、いやに大きく響いて聞こえたのはタカシの自意識過剰だろうか。
 タカシがそこに居ることに全く関心を寄せず、
ショウタはアンドロイドへと視線を真っ直ぐに向けて言ったのだった。
「そんなことはないだろう。腕に炎症は見られない。痛むのは背中のはずだよ」
 人類と殆ど変わらぬ見掛けを有したアンドロイドが、ショウタの丸い頬に触れて眉根を寄せた。
「嫌だ、食べさせて」
 ショウタは頑なに言い張り、『お願い』を曲げる様子がない。
「仕方がないね、お皿を貸して」
 ショウタは、タカシがそこにいることに気づかぬ素振りをし、そしてアンドロイドに甘えて見せた。
 存在を無視されている、と言うことだろう。


425 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:29:43.973V4Wo66k0 (20/35)

 ショウタはアンドロイドがちぎったパンを小鳥のように食べ、
スプーンに掬ったスープを差し出されれば、赤子のようにそれを口に含んだ。
 今まで、誰にも構ってもらえなかった時間を取り戻そうとするかのように、
ショウタはアンドロイドに甘えきっていた。
「もうお腹はいっぱいになった?」
 粗方のメニューが消費されると、ショウタはその問いかけに首を縦に振った。
アンドロイドは父親業の一部として、ショウタの口の周りを拭ってやる。
 ショウタの年齢からすれば、それはひどく甘やかされた行為であったし、
ショウタにしても、他人が目にすれば、甘えが過ぎた行動であろう。
 だが、ショウタは未だ嘗て、誰に対してもそれをやってもらうことなく成長をしたのだ。
面倒を見てくれるアンドロイドは、普段住まっている家にもいたことだろう。
だがそれらは、赤子であるショウタの面倒を小まめに見てくれはしたのだろうが、
それはショウタがなにもできない赤子であったからであって、成長して行くに従い、
次第にその世話は最低限度のものに留まって行ったに違いない。
 最低限度の世話に、最低限度の接触。
 当たり前だ。ショウタの家に設置されていたアンドロイドは基本的に警備に特化したものであって、
最近よく見るタイプの、警備・介護・親、などとモード変更できるものではなかったのだから。
「こら、離れて。食器を洗えないよ。歯磨きをしてきなさい」
 シンクに立ったアンドロイドにやんわりと注意されても、
ショウタはアンドロイドの背中に張り付き、腰に腕を回して離れない。
 歯磨きの仕上げはしてくれ、などと『お願い』を口にする始末だ。
 ショウタは子供っぽいお願いを幾度もする。
その度にアンドロイドは「仕方がないね」などと言いながらも、
ショウタの『お願い』と言う名の『命令』を受け入れるのだ。
 アンドロイドは基本的に、人類に害が及ぶような命令でなければ受け入れるようにプログラムされている。
モードが『親』であった場合、仕える子供の成長に大きな問題が起きないようならば、
同じく命令を受け入れるのである。


426 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:32:01.103V4Wo66k0 (21/35)

 細い腕が、アンドロイドに甘えて巻き付く。
アンドロイドのシャツを引っ張って、顔を埋める。
 無機質なそれからなんの体臭もしないはずであるが、
幼子が母の匂いを嗅ぐ様に、ショウタはそんな仕草をして見せた。
どこに行くにもアンドロイドと手を繋ぎたがり、
アンドロイドが頬に触れるたびに、恥ずかしそうに少しだけ口許を緩ませるのだった。
 紛い物の愛情でも、ないよりマシだと気づいたのか、或いは、紛い物ではないと信じているのか。
 ――ショウタの甘えは、時間を追うごとに酷くなって行った。
 アンドロイドと離れるのを嫌がる。少しでもアンドロイドの姿が見なくなると探しに行くほどになったのだ。
 誰も咎める者はいない。咎められない者と、咎めることが面倒に感じている者しか居ない。
 タカシには咎める権利がない。
シュウが執拗にアンドロイドを求めるようになったその責任の1/2ほどは、タカシにあるのだから。
 異様なショウタの変化に、シュウも戸惑っているようだった。
 シュウが何事かをアンドロイドに話しかけようとすれば、ショウタはそれを酷く嫌がり会話に割って入るのだ。
シュウにはアンドロイドに触れさせない、近づかせない、そして決して会話をさせない――。
ショウタから向けられる感情が悪意であるとシュウが自覚を深めるにはそう時間は掛からず、
花街への出奔から三日後ほど経つころには、シュウは完全にアンドロイドから遠ざけられていた。
 顕在化した悪意は、ショウタを落胆させるには充分な威力を持っており、時間が経つごとに、
シュウの顔からは笑顔が消えていったのだった。
「お父さん……」
 シュウが雑務をこなすタカシへと、そろりそろりと近づいてくる。
 シュウの変化はアンドロイドを『自身の所有物である』と主張することだけに留まらず、
シュウの存在を無視するにまで至っていた。
 こんな辺鄙な何もない土地で、遊び相手を同時に二人――、
正確には一体と一人だが――、を失ったシュウのストレスもそれなりに限界まできているようだ。
 庭に視線を向ければ、昼過ぎから先ほどまで、アンドロイド相手によく判らない遊びを繰り返していたショウタは、
疲れてしまったのか、木陰の下で丸くなって眠っている。
水平のような、セーラーにハーフパンツ。それらの服装の基調となっている白色が、眩しかった。
アンドロイドの胡坐の上で猫の仔のように丸くなって眠る姿は、まるで人形か置物だ。


427 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:38:22.963V4Wo66k0 (22/35)

「僕、ショウタ君に何かしたかな……」
 新しい生を受けてからのシュウは、マンションに殆ど缶詰状態で外に出ることはなく、
当然友達も居なかった。
 そんな理由から、シュウはショウタの存在をとても喜んでいたし、
その新しくできた友人と、それなりに仲良くなれたと思っていたようなのだ。
 だが、ショウタは突然変わった。
突然の変わりように、シュウはなにが起こったのかまるで理解できず、戸惑うばかりであった。
 大人の都合によってショウタは捻じ曲げられ、シュウにそのとばっちりがいった形なのだから、
タカシもタカシで「たまたま機嫌が悪かっただけだろう」と曖昧に言葉を濁すしかないため、
ますます理解できずにシュウは苦しんだ。
 兄弟なのだ。遺伝上の関係は異母兄弟と言うことになるが、
兄弟同士で仲良くできるのならそれに越したことはないが、
それを実現不可能とさせてしまったのは、主にタカシだ。
 おいで、と自分の膝を開けて促すと、シュウは躊躇なくタカシの膝に収まった。
「……僕、やっぱりショウタ君に謝らないといけないと思う」
「なにを?」
「……花火が鳴っている場所に行こうって言ったの、僕なんだ」
 でもショウタ君はショウタ君のママに本当のことを言わなかったからたくさん怒られちゃった。
シュウはそう続けると、膝の上で俯いた。
 シュウに落ち度はない。少なくとも、ショウタのシュウへの態度が変化したことに関しては。
そうなるように仕向けてしまったのは、寧ろタカシなのだ。
それを思うと、シュウに対する後ろめたさに胸が重くなるのを感じた。
「……やっぱり謝ってくる」
「シュウ、」
 シュウは返事も待たずに、飛び跳ねるようにしてタカシの膝を去っていく。


428 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:40:19.643V4Wo66k0 (23/35)

 待て。
 そう声を出した時には『平気だよ』と言う言葉を残し、彼は素足のまま庭へと駆けて出していた。
 タカシは立ち上がったまま、為すすべなく成り行きを見守るしかない。
安易にショウタへと近づくことは、流石に憚られる。
 シュウはあっという間に木陰に辿り付き、
彼らを見下ろすような姿勢のままでアンドロイドに何事かを話しかけ始める。
何の変哲もない、アンドロイドと人間の子供の自然な会話だ。
だがタカシは明らかに焦り始めている自身を自覚していた。
 今、ショウタの神経は尖っている。シュウがアンドロイドに近づくことを良しとはしないはずである。
アンドロイドはシュウに向かって顔を上向かせ、何某かの返答を返している。
その様子にさえ不安を覚え、タカシは庭用のサンダルへと足を突っ込み、
二人と一体へと少しずつ近づいていった。
「いえ、調子が悪いということはありませんよ。ただ、ショウタは少し気が立っている。
そっとしておいて貰えると助かります」
 アンドロイドが『困り顔』を作ってそう言った。
ショウタの感情の起伏、それが起こる際の状況を全て重ねて総合的に判断し、
アンドロイドは答えを導き出した上で、シュウを自分たちから遠ざけるよう、やんわりと懇願した。
「でも僕、ショウタ君に謝りたいんだ」
「申し訳ありません、シュウ様。今、ショウタには謝罪を受け入れるだけの余裕がありません。
どうかそっとしておいてください」
 困り顔のままそう続けるアンドロイドに、シュウは少しばかり不満そうな顔をしている。
ああ、まずい。タカシがそう思ったのは、シュウの不満をその表情に感じたのと、ほぼ同時のことだった。
アンドロイドの膝の上、小さく丸々ショウタが、かすかに身じろぐのが視界の端に確認できたからだった。
「シュウ」
 慌てて我が子――、タカシが頑なに唯一の息子と認識するシュウだ――に近づき、
その肩を自分の方に引き寄せる。だが、その行動は、少々遅かったようだ。


429 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:42:08.203V4Wo66k0 (24/35)

 ショウタが手の甲で目を擦り、ゆっくりと意識を浮上させる。
幼い、どこにでもいる子供の仕草だ。
続いて、自身がどこで眠っているのか完全に忘れていたのであろう、
一瞬だけアンドロイドの姿を探すように視線を彷徨わせ、
そして見つけた『自分の父親』に笑いかけた――、
のは、本の少しの間だった。
 寝起きの幼子のぼんやりとした、いっそ可愛らしいとさえ思える表情だが、
それは瞬時に凍りつき、たちまち不快感を露にした、悪意ある表情に作り変わったのだった。
 ショウタが舌打ちをしなかったのが、意外に思えるほどに、
その感情の変化に伴う表情の移り変わりは露骨なもので、そして大人びて見えた。
 シュウから目を逸らし、アンドロイドの首に腕を回してへばりつくと、
「部屋に戻りたい」とショウタは硬質な声で告げる。
彼の怒りを察知したアンドロイドも、それに文句一つ言うことなく「判った」と短く返事をし、
すっくと立ち上がったのだ。
「ショウタ君、待って!」
 幼い声が、必死で『友達』に呼びかけるも、しかし呼びかけられた本人はそれを許すはずもなく、
シュウの存在にまるで気づかぬように、ショウタは無視を続ける。
アンドロイドも当然のことながらショウタの意志を尊重し(なにせアンドロイドにとってショウタは主だ)、
彼によって下された命を遂行するためにショウタの部屋を目指して歩き続けた。
 広い庭だと言っても、所詮は普段使いではないセーフハウスだ、広さなどたかが知れている。
シュウは走り、そしてアンドロイドを捕まえるべく腕を伸ばした。
 幾度かそんな攻防は続き、シュウが漸く掌を捉えたところで、アンドロイドの歩行は止まったのだった。


430 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:44:19.503V4Wo66k0 (25/35)

「捕まえた! あのね、ショウタくん、僕、ショウタくんに謝りたいことがあるんだ」
 シュウは短い駆けっこによって乱れた呼吸を整えながら、自身のはるか上に居るショウタを見上げた。
シュウの右手はアンドロイドの右手を、左手は息を整えるべく、自身の胸に添えられている。
 おっとりとしたシュウの表情に対して、ショウタの目は怒りに燃えていた。
 ――危険だ。そう本能的に察知したタカシはシュウに近寄り背後に回る。
「ショウタ、あのな」
 取り繕うように、殆ど呼んだことのない名をタカシが口にした時だった。
「うるさい!! 僕の名前を気安く呼ぶな!!」
 ぴしゃりと冷たい声が浴びせられる。
 子供らしさの一切含まれない怒声に似た声は、ひどく冷たく、そして刺々しく鼓膜を振るわせた。
あまりにも冷ややかな声音は、タカシとシュウの動きを拘束させるだけの効果が充分にあった。
 あまりにも子供らしくない。あまりにも冷たい。
 ショウタをそう変えてしまったのは、紛れもなくタカシと言う遺伝上の父親だ。
 遺伝上――、この期に及んで、タカシはそんな枕詞をつけたがる。
ほぼ強制的に父親にされてしまったわけではあるが、それでも、こんな風になってしまった子供一人を目の前に、
今でも『遺伝上』などとつけたがるのタカシは、どうかしているのかもしれない。
「下ろして」
 アンドロイドの腕に抱かれたままだったショウタは、冷淡にアンドロイドへと『命令』した。
お願い、などと可愛らしいものではなかった。
 アンドロイドが軽く身をかがめると、ショウタはそこから飛び降りるようにして芝生の上へと降り立った。


431 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:45:42.033V4Wo66k0 (26/35)

「ショウタ、君」
 シュウの声が乾ききっている。アンドロイドの手に触れたままの右手にショウタの視線が移される。
と――、パン、と弾けるような音が響き渡ったのだった。
 ショウタが、シュウの手を思い切り叩いたのだ。叩き落した、と言うのが正解だろうか。
「勝手に触るな」
 冷ややかな声音は、タカシに向けられたものと然して変わりない。
「これは僕のだ。お爺様が僕に下さった。何故お前が勝手に触る」
「ショウタ」
 窘めるように声を掛けたのは、アンドロイドだった。
 アンドロイドは怒りに震えるショウタの肩にやんわりと触れるが、
それは彼の怒りを静めるほどの効果はないようだった。
「落ち着きなさい、ショウタ。ショウタ、こっちを向いて」
 父のように、母のように、アンドロイドは冷静に、穏やかに声を掛けた。
ショウタはゆっくりと振り返り、自身の『父親』を見上げた。
「落ち着きなさい、ショウタ」
 繰り返される声に、ショウタの表情が徐々にあどけないものへと変わっていく。
「ショウタ、大丈夫だから。私はショウタのものだ。心配ない。他の誰のものにもならない。
判っているだろう? 大丈夫、深呼吸をして」
 ショウタと視線を合わせるべくしゃがみ込んだアンドロイドは、あやすようにポンポンと幼子の腕を叩く。
一定のリズムで繰り返されるそれに、ショウタは冷静さを取り戻しつつあるようだった。
 緊急セラピーだ。モードが『親』に設定されている場合、子の怒りや悲しみに応じて、
アンドロイドはこうして、子が落ち着くまで簡単なセラピーを行うのだ。
 他者との衝突を避け、他の子供の親からクレームを受けるのを避けるよう誘導する。
それもアンドロイドの仕事の一つだ。


432 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:47:28.083V4Wo66k0 (27/35)

「大丈夫、いい子だ。ショウタはいい子だね。大丈夫」
 頬に手で触れ、額同士をくっ付ける。親子のようなスキンシップに、ショウタの呼吸は整えられていく。
 気味の悪い光景だった。
ショウタはセラピーを、そうとは思わずにアンドロイドから与えられる『愛情』と認識しているに違いない。
彼は、完全にアンドロイドへと依存している。
そするしかなかった子供に対して、気味が悪いと感じてしまう自分自身もまた、気味が悪い。
 タカシは目を逸らし、二人を――、
あれはもう、ショウタにとっては『一体』ではない。完全に『一人』と化している――、
視界に入れぬよう努力した。
「少し体温が高くなったね。でも大丈夫、すぐに落ち着く筈だ」
「うん……」
「よし、気持ちは落ち着いたね。いい子だ。シュウ様に謝って」
「嫌だ。僕のものに勝手に触った方が悪い」
「ショウタ……」
 謝罪を再度促すのは得策ではないと感じたのか、ただ短く、「では、部屋に戻ろう」と告げたのだった。
「うん……」
 部屋に戻ることを了承したはずのショウタであるが、しかしアンドロイドに手を引かれるも、
彼の足は強張り固まったままだ。
「ショウタ、どうした? 足が緊張してしまったかな?」
「……だっこ」
「また、そんな風に甘えて」
「だっこして、『お父さん』」
 お父さん、の部分は小さくてなんとも聞き取りづらかったが、しかしショウタは、確かにそう発音した。


433 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:49:25.483V4Wo66k0 (28/35)

 ――お父さん。
 シュウが呼びなれているその呼称を、ショウタはこれほどまでに遠慮がちに口にする。
それも、タカシに対してではなく、紛い物の無機質な父親に対して。
 通常、アンドロイドに対して、ここまで依存する子供は少ない。なぜならばアンドロイドは、
あくまでも子守を担当するだけのロボットだ。親が仕事でいない時間だけの、子守。
だがショウタにとってはそうではない。ショウタには、アンドロイドしか居ないのだ。
その紛い物の父親を得たのもつい最近のことで、彼には生まれてこの方、父親は居なかった。
いや、母親でさえも、居なかったのだ。
 ミユキはあれほどショウタを、男児を望んでいたにもかかわらず、
生まれてしまえば面倒の一切を放棄していたと聞く。
怪我をしようものなら烈火のごとく怒り散らす割りに、
命の危機が訪れようものならこうして山奥へと避難する割りに、
彼女はショウタの面倒を全くと言っていいほど見ない。
ちぐはぐな行動は、タカシをも大いに混乱させるほどだった。
幼いショウタがどれほど混乱を来たしているかなど、想像するに難くない。
 今ここに来て、漸く――、遅すぎるとは思うが、タカシは『後悔』を覚えた。
自分の意地が、自分のどうしても曲げられてない思想が、
一人の子供をおかしくしている事実に『後悔』を覚えたのだ。
 きっとこの先、ショウタはこのままだろう。
例えば今、後悔を覚えたタカシが、急激に父親らしく接したとしても、
おそらくショウタは受け入れることはないだろう。
それだけのことをしてきた。そうならざるを得ないように接してきた。
ショウタのアイデンティティを、グチャグチャに歪なものへと成長させたのは、
どう考えても出来損ないの親二人なのだから。


434 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:50:54.033V4Wo66k0 (29/35)

「お父さん……?」
 疑問符をくっ付けそう呟いたのは、シュウだった。
 なんともタイミングの悪い呟きだ。
おそらくシュウには悪気はない。ただ、疑問に思っただけなのだ。
何故自分の友達が、『機械』をお父さん、などと急に呼び始めたのか。
ただただ子供らしい、無邪気な疑問であったはずだが、
ショウタにそれを理解できるだけの心の余裕もなければ、
それを柔軟に受け止められるだけのバックボーンもない。
 ただただ単純に、『馬鹿にされた』と。
 父親のない自分を、恵まれた子供に馬鹿にされたと。
 父親に愛されなかった過去を、恵まれた子供に馬鹿にされたと。
 そう反射的に捉えたに違いない。
 ショウタの足を包む、小さなスニーカーが地面を蹴った。
 ふわりと体が浮き上がると同時に、彼の胸元の短いネクタイも上向きに浮き上がる。
 小さな拳は握られ、余程きつく握り締めているのか、真っ白だ。
 あの拳は、シュウに間違いなく激突するだろう。
 タカシはシュウの腕を引き寄せ彼の体を芝生の上に引き倒し、自分が盾になるようにシュウの前に出た。
 目を瞑り、衝撃に備える。
子供の力などたかが知れているが、それでも子供の本気はそれなりの痛みを伴うつもりだ。
 抵抗するつもりはない。タカシは『後悔』しているのだから、それを甘んじて受け入れるつもりでいた。
所が、その衝撃はいつまで経っても訪れず、ゆっくりと瞼を持ち上げれば、
そこにはアンドロイドに細い腕をつかまれた状態のショウタがもがいてたのだった。


435 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:52:50.233V4Wo66k0 (30/35)

「離して!!」
 猛獣のように、怒りをむき出しにしたショウタは、アンドロイドの拘束を解こうと体をばたつかせている。
「離してよ! 離して!」
「離さない。今、君は、シュウ様が怪我をしかねない暴力を振ろうとした。
怪我を負わせること、それは最悪の場合、君が社会的制裁を受ける可能性が大いにあることを示している。
『父親』としては、それを見過ごすことなど到底できない」
「なんでだよ! なんで!!」
「暴力を振ることはよくないことだからだ」
「僕は今までずっと虐められてきた! 『こいつ』に無視された! 『こいつ』は僕を殴ったりしなかったけど、
いっつも僕を汚いものを見る目をして睨んだ! 僕が何をしたの!?
なんで、なんで僕だけこんな目に遭わないといけないの! なんで……!」
 ショウタはなんでなんでと、駄々っ子のように繰り返す。
 こいつ、とはタカシのことを指しているのは間違いないだろう。 
 ここまで情動を明確に表現するショウタの姿は初めてで、タカシは息を詰めて様子を見守った。
ショウタは、いつでも遠慮がちだった。いつでもそっとタカシを見つめ、タカシがその視線に気づく頃に、
やはりそっと視線を外したのだ。
 いつでも、控えめにタカシを求めていた。
 愛してくれない父親を、求めていたのだ。
「理論が破綻している。仮に報復が許されるとして、ショウタ、君が報復活動を行うべき相手はタカシ様だ。
決してシュウ様ではない」
「こいつ、今僕を笑った!」
「笑ってなどいなかった。彼は『お父さん?』、そう口にしただけだ。
おそらく彼は、君が私のことを何故急に『父』と呼び出したことについて純粋な疑問を抱いたに過ぎない」
「でも、でも……!」
「ショウタ、落ち着いて。君の思考力は、私が計測したところ、+五歳ほどは大人びている。
私がなにを言っているのか、判らないはずはない。
また、感情の赴くままに暴走するほど愚かしい性格でもないはずだ」


436 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:54:02.763V4Wo66k0 (31/35)

「……なんで僕の味方になってくれないの……なんで……」
 ショウタの瞳が、見る間に潤んでいく。
小さな頬を、その塩水が濡らすのは時間の問題のように思われた。
 ――ああ、泣いてしまう。
 タカシは居心地の悪さと、後悔に押しつぶされそうになりながら、
その涙が溢れるのを待つようにして見守っていた。
「なんで、誰も僕だけのものにならないの……」
「私は君の味方だ。なぜならば、君は私の主であるのだから、君の人生がより明るいものになるよう、
最悪の選択をしようとした場合は阻止し、できる限り君を導き、共に存在することを約束しよう」
「違う……違うよ、そうじゃないよ……」
 嗚咽を含んだ声で呟きながら、ショウタは首を振った。
「違う、とは? 私はアンドロイドであるため、君の感情を明確に推し量ることはとても難しい。
ハッキリと『何』が『どう』違うのか、口に出して示して欲しい。
そうすれば、もしかしたら君が望む答えを私は用意できるかもしれない。
だた、それが君の望みに百%適うものではないかもしれない、と言うことは心に留めておいてほしいと思う」
「選択の手伝いなんて要らないよ……そうじゃない、僕が欲しいのは、僕が欲しいのは……、」
「ショウタ? それでは判らない。ショウ、」
「もういい」
 アンドロイドの言葉を遮るようにして、ショウタは『もういい』と宣言し、そして乱暴に涙を拭った。
まるで泣いてしまった自分を恥じるような行動だ。
 ショウタは唐突に行動が切り替わる。それはまるで――、ロボットのように。


437 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:56:02.983V4Wo66k0 (32/35)

「もういい、とは?」
「お前はアンドロイドだ。結局、僕の味方はどこにも居ない」
「ショウタ、私は君の味方だ」
「偽物だ! 結局お前は、偽物だ! 僕のお父さんじゃない!」
「君の遺伝上の父親はタカシ様であることは間違いない。
ただ、タカシ様とシュウ様の親子としての接触を百%として計測した場合、
君とタカシ様の接触は場合、一%以下であることは、私のここ二週間強の観察で判っている。
形だけのものとは言え、父親として接触している時間は私の方が格段に長い。
それでも父親ではないというのなら、仕方がないとも思う。
なぜならば私は所詮マシンだ。遺伝的な繋がりを君と持つことは未来永劫不可能なことだから。
君がもう私を必要でないというのなら、モードを警備に切り替えても構わない」
「……僕は誰にも必要とされない。お前だって、主人は僕でなくてもよかったはずだ。
僕が主人として登録されているから、僕のお父さんのようなものになってくれるだけで、
それはホンモノじゃないし、僕のことを好きなわけでもない。誰でもいいんだ」
「残念ながら、ショウタと私の関係は、確かに私にインプットされたものによることが多く、
それによって私は君を『子』と認識し、父親を演じるように命じられている。
自発的に君に愛情を抱くことは難しい。それは確かなことで、私にもどうすることもできない。
しかし、君が私を必要とするのなら、私はいつまでも君のそばに居ることができる。
心変わりはしない、君を不要に思うことも、邪魔に思うこともない。
君が望む限り、私が故障しない限り、同じプログラムで遂行し、
人間の言うところの『愛情』に良く似た態度で、君に接することを約束しよう」
 アンドロイドは人のように心変わりをすることがない。
未来永劫、自身が故障するまで忠誠を誓うのである。 
 お前のように子を愛せぬ白状者よりマシだ――、そう批判されたようで、タカシは思わず奥歯を噛み締めた。
おそらくその微細なタカシの行動でさえ、アンドロイドは把握しているはずであるが、
しかし果たしてその意味まで理解できているかどうか。
理解しているのならば性質が悪いと感じるが、
幼子を相手に冷ややかな態度を取り続けた自身の方が余程性質が悪いのだと、タカシはもう知っている。
いや、漸く心の底からそう感じることができた、と言うべきか。
だからこそ、アンドロイドに会話を切り上げさせることができなかったのだ。


438 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 21:58:33.213V4Wo66k0 (33/35)

「それは僕が死ぬまで?」
 幾分か冷静さを取り戻した声音で、ショウタは問うた。
「残念ながら、以前ショウタに伝えたとおり、私たちの耐久年数は十年程度とされている。
ショウタの寿命には遠く及ばない。しかしその十年を私は、」
「僕はすぐに死ぬ」
 アンドロイドの言葉を遮り、ショウタはぽつりと言った。
「僕は、どうせすぐに死ぬ。だから、十年もきっと必要ない」
「ショウタ、その言葉は理解できない。君は健康だ。事故ならば私がいくらでも防ごう。
先の大戦の影響で酸素の汚染が進んでいるとは言え、君は飲料水も汚染が低いものを飲んでいる。
この生活を維持すれば、少なくとも君はあと五十年は生きることができるだろう」
「僕は大人になるまでに死ぬ。殺されることが決まっている」
 ショウタの頬から、拭ったはずの涙が再びポロリと零れ落ちた。
アンドロイドはそれを親指で拭き取っているが、至極冷静だ。
 突然の告白に、タカシは大いに戸惑っていた。
 ショウタが何を言っているのか理解ができぬのは、アンドロイドだけではなく、タカシも同じだ。
「ショウタ、君は健康だ。自暴自棄になるのはよくないことだ」
「違う……違うよ、そういうことじゃない。僕は殺されることが決まっている」
「ショウタ、意味が判らない。人には未来を予知する力はない。勿論私にも。
なにか君は妙な固定観念に囚われている可能性がある」
「……僕は、殺されるために生まれてきた」
 いつの間にか、太陽が傾き始めている。
 そろそろ夕方だ。
 オレンジ色の光りが、ショウタの頬を照らしていた。
 泣き、喚き、怒る。
 そんなショウタの表情を、タカシはこの日殆ど始めて目にしたのだ。
 遺伝子の半分を分けた我が子の豊かな表情を、この日、初めて目にしたのだ。
その中に笑顔が含まれていないのは、明らかにタカシやミユキの責任で、
今更その咎を負うことができるのだろうか、などと、
タカシはその場にそぐわぬ、実にぼんやりとした思考で、しかし、今更ながら考えていたのだった。


439 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 22:03:28.533V4Wo66k0 (34/35)

 夕日を、雲が隠す。
 ショウタの顔も薄暗い周囲に紛れていく。
「僕は、イショクされるために生まれてきた」
 イショク、とは移植だろうか。しかし、それでもショウタの言葉の意味が判らない。
 だが、タカシの背筋を冷たいものが伝っていくのを感じた。
「僕はお母様に、小さいころからずっと聞かされてきた」
 異常な空気に、隣にいるシュウが、指先に力を込めて己の手を握り締めてきたことにも、
タカシは漸く気づくが、そちらを向く余裕はない。
ただジッと、今までだってそんなことをしたことはないと言うのに、ショウタを見つめていた。
「僕は、そいつの――、『タカシさん』の脳を移植するための器だって」
 冷たい風が吹いた。
 この場に居る人間の体温を奪うような、冷たい風だ。
「僕は、『タカシさん』の脳を移植するためだけに生まれてきたんだ」
 嗚咽が聞こえる。泣いているのは、シュウか、それともショウタか。
 完全に広がった薄闇に目が慣れることができず、子供たちの様子を窺うことができない。
 月が昇るまで、どれほどの時間が掛かるだろうか。
 そして暫しの沈黙が訪れる。
「僕は、誰にも愛されていない。でも、お前がお父さんになってくれて、少しだけ嬉しかった」
 寂しそうに呟いたショウタが、
アンドロイドに自身の『親』であること、さらには『警備』も解除することを宣言した。
為すすべなく誰もがショウタの行動を見守っていた。
「ありがとう。お父さんになってくれて、本当に嬉しかったよ。
お父さんじゃないなんて嘘。大好きだよ」
 しゃがんでいた微動だにしないアンドロイドの首に腕を巻きつけ、一度だけ抱きついたショウタは、
鼻先を首筋に埋めるようにした後、すぐさまその腕を名残惜しそうに解き、そして――、微笑んだ。
 モードの切り替えには時間が要される。アンドロイドはその間、身動きが取れぬのだ。
「ショウタ!」
 タカシは思わず叫ぶが、しかしショウタは一度もタカシを振り返らず、フライボードを掴むと闇の中に消えていった。
 追うものは誰も居ない。
 ――お父さんになってくれて、嬉しかった。
 耳に木霊するのは、幼くて、だが妙に大人びた――、いや、大人にならざるを得なかった子供の、悲しい声。
 空に昇った月は、少しだけ欠けた歪なものだった。



440 ◆OfJ9ogrNko2015/12/22(火) 22:04:33.033V4Wo66k0 (35/35)

今日はここまで
いつも保守ありがとうございます
よいお年を


441以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/12/26(土) 00:23:32.24qvF5Ec+60 (1/1)

お疲れさまです!
せつなすぎる…

今年も、読み応えのあるお話をありがとうございました。
続きも楽しみにしてます!


442以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2015/12/27(日) 11:17:01.43dpPiJDA80 (1/1)

ストーリーも描写もすごいですね
最後までがんばってください

あと◆OfJ9ogrNkoさんの他のお話があったら読んでみたいです


443以下、2015年にかわりまして2016年がお送りします2016/01/04(月) 07:01:08.94d/jYH/pSo (1/1)

似たようなSSを読んだ気がする


444 ◆OfJ9ogrNko2016/01/07(木) 01:40:37.27hlu/J5WG0 (1/1)

fatherのスペル間違っていて死ぬほど恥ずかしい……
何故間違えた
恥ずかしい

まとめてで失礼

vipでその場で推敲もなしに書いていたのが何作かあります
ピクシブに自分でまとめてあるけれど、あまりにも誤字脱字が酷いので
そのうちまとめて清書して再度上げる予定です

「似たようなSS」と言うのは、もしかしたらやはり自分の作品かもしれません
このSSのプロトタイプをvipに上げたことがあります
(タカシがアンドロイドを作る会社のCEOだったり、
ショウタが奴隷のままだったり、ミユキがタカシの姉だったり)

いずれのSSも全て完結済み、ショウタ・タカシ・ミユキだけで書いているはずなので、
ググれば出てくるかもしれませんが、本当に誤字脱字がこのSS以上に酷いのでオススメしません……
登場人物名は全て同じですが、中身は違う人物なので、アレ?と思うかもしれません

長々と失礼
あまりにもfatherが恥ずかしかったので


445以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2016/01/30(土) 21:44:17.89ZxHy5aDZo (1/1)

たまたま見つけて半日かけて読んだわ…凄いね。世界観とか設定とか普通に小説に出来る
殺された女はミユキとは友達だったのかな。どっちも貴族だったから最初混乱した

そしてミユキのヤンデレぶりが怖い!実の子であっても適応確率は四分の一らしいけど
それはクリアしてるのかな。完全な被害者のショウタが可哀想だ。死んだお姉さんも
ミユキと義父を恨む気持ちはわかるけど、ぶっちゃけタカシにもかなり問題あるよなぁ…


446以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2016/02/01(月) 08:32:55.90XV4pC2dco (1/1)

なんで俺がこんな目にって何度も言ってるけど全てはタカシが超絶自己中なのに起因してると思える
水製造機が戦争の火種になるってわかってるならある程度お金入った後に特許取って製造法を
公開すれば良かったのに一人で握りこんで戦犯扱いは当然。息子が殺された件もそもそも息子の存在が
過ちだし、幼馴染がアレなのもずっと半端に好意を利用してたからヤンデレた可能性もある

花街でショウタを忘れたのは他人なんかどうでもいいという本質の現れだと思う。普通は近所の子供だって
もう少し心配する。息子も息子として愛してるんじゃなくて姉の代替品として見てるだけだろうな
一般人ぶってるタカシより金に汚く孫が可愛い義父が一番普通の人間らしいというのがなんとも皮肉

長文失礼。分析しがいのあるSSだったので


447以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2016/02/27(土) 12:23:40.410bakyugA0 (1/1)

もうクライマックスか〜長かったけど早く感じる


448以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2016/03/06(日) 01:05:32.56mO2C8zIj0 (1/1)

セルフ保守
保守、感想ありがとうございます



449以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2016/03/13(日) 23:52:00.20ZvDHFeH30 (1/1)

続きも楽しみにしてます
保守


450以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします2016/04/12(火) 21:10:45.452zqqqIcs0 (1/1)

ほしゅ


451 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:00:02.60R3zx0t5S0 (1/55)

 再起動したアンドロイドは、ショウタを追おうとはしなかった。
ショウタ自らが命じた『警備』と『父親』の解除に伴い、
アンドロイドは彼を保護対象と見なさなくなったのだ。
 アンドロイド自身にはショウタと接した記憶は残されているが、
今の彼にとって大切なのは第二の所有者であるタカシとミユキだ。
自動的に繰り上がった所有権により、タカシはアンドロイドの真の主となったのだった。
「おい、ショウタの居場所を教えろ!」
 襟首を引っ掴んで問いただすものの、アンドロイドは先ほどから、
『お教えできません』の一点張りを貫いている。
「話題となっている児童Aは私の警備対照ではありません。
児童A自らが、私との『契約』を破棄しました。彼の居場所を私が探索するには、
彼との『再契約』が必要となります。それは、個人保護の法律を厳守するための行動であり、」
「お前、『児童A』ってショウタのことか……」
 突然に、ショウタの存在は『児童A』などという無機質なものへと成り下がってしまった。
 だから嫌なんだ、とタカシは口内で呟いた。
 所詮プログラムが見せる幻だ。人らしく振舞うよう命じられているだけの、紛い物。
「俺はお前らのそういうところが嫌いだ!」
「『そういうところ』とは?」
 生真面目にアンドロイドは問いかけるが、それとて『尋ねたい』と言う欲求からくるものではなく、
理解できぬことを取り敢えずは問いかけ直すよう組まれたプログラムに過ぎない。
「……もういい。シュウ、家に入りなさい。お父さんは今からショウタを探しに行かなくてはならない」
「え……」
 不安そうに手を握り締め、シュウはタカシを見上げた。
「アンドロイドがいる。心配はない」
「……判った……」
 判った。そう言いつつも、声は不安に揺れていた。
 きっとシュウには、今現在なにが起こっているのか、殆ど理解ができていないはずだ。
『友達』であったはずの『ショウタ』が何故あれほど怒り散らしていたのかも判らないだろうし、
ショウタがどうやら『友達』ではなく『兄弟』であったという事実も、
理解できているのかどうかさえ怪しいところだ。


452 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:04:14.12R3zx0t5S0 (2/55)

 しかし今はそれどころではない。一刻も早くショウタを探し出さなくてはならないだろう。
 ショウタたちが始めて花街へと出奔した日、あの夜は満月で夜道も明るかっただろうが、
今日はそれほど月明かりが頼りになるわけではない。都会なら兎も角、こんな山奥の田舎では、
フライボードで夜間移動などしようものならば、木々の合間に落下し怪我をしかねない。
いや、もしかしたら最悪の場合は――、そこまで考え、タカシは首を横に振った。
 最悪の事態を想定してばかりは居られない。兎に角、急がなくてはなるまい。
 万が一ショウタの身になにかあったら――、あったら、どうすると言うのだろう。
タカシは思考の端に引っかかる、とても嫌な異物感に小さく舌打ちをした。
 後悔はしている。心配でもある。
 だが、それはどこから来るものなのだろうか。
 タカシは自分自身が判らなくなってきている。
 ショウタをどうしたいのか、ショウタとどうなりたいのか、
自分のことであるのにも関わらず、皆目判らないのだ。
アンドロイドを盗み見れば、彼は時折まばたきをしてタカシを見つめていた。
 仕草は殆ど人間だというのに、彼は人間ではない。
 ここまで人らしくあるのなら、いっそのこと感情があればいいのに、などと馬鹿げたことを思う。
彼らは体験した経験から行動を取ることはあっても、自ら思考することはない。
ユーザーの目には、あたかも思考しているように映るだろうが、それは経験に基づく行動であって、
己の『考え』を反映させているわけではないのである。
パターンにパターンを重ね、本来のプログラムの上に独自のパターンが生成されたため、
パターンとプラグラムに齟齬が生じ異常行動を取るアンドロイドも居るらしいが、
結局のところそれはプログラムとパターンであって、思考しているわけではないとタカシは考えている。
 だが、例えばこのアンドロイドが、心からショウタを愛していたのなら――、
そうすればタカシがここまで思い悩むことはないに違いなかった。
堂々と役目を放棄できる。全てを丸投げすることができる。
 アンドロイドがショウタの身の安全を案じ、そして追いかける。
アンドロイドが意志を持ち、それらの行動をとることができたのならば、タカシは何の心配もせずに済む。
 愛せない、可愛いとも思えない、守らなくてはならないとさえ、思えない。
 それでもショウタにタカシの代替品がいたのなら、きっとあの子供は――、
そこまで考え、タカシは唇を噛み締めた。


453 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:05:26.83R3zx0t5S0 (3/55)

「俺は馬鹿か……ッ」
 アンドロイドが意志を持つことはない。
 ならば、タカシが取るべき行動をひとつだ。
 単なる偽善だ。それは判っている。タカシは悪者になりたくないのだ。
 ショウタを無事確保したところで、彼が素直に帰ってくるとも思えないし、
おそらく彼は、そんなタカシを見透かすだろう。
 悪者になりたくはない。ただ一つ、それだけの感情がタカシを突き動かしていた。
 だが――、追いかけなくてはならないと、タカシは異様な焦燥に駆られながら考えていた。
その焦燥がどこから生じるものなのか、全く判らない。
「お前はシュウを見ていてくれ」
「判りました」
 焦る様子もなく、アンドロイドは命じられたとおりにシュウの手を取り返事をした。
 ――忌々しい。
 アンドロイドは、ショウタの姿がないことを、少しも気にしていない。
 先ほどまで手を繋いでいたショウタが、あれほどまでに思慕をぶつけてきたショウタが、
だっこを強請ったショウタが、ここに居ない。
 その事実を、アンドロイドは露ほども不安に思うことはないのだ。
 この無機質さが嫌いだ。
「シュウに温かい飲み物を。それから、ミユキをシュウに近づかせないでくれ」
「何故ですか?」
「今は理由を話している余裕がない。これは『命令』だ。判るな?」
「……判りました。ミユキ様をシュウ様に近づけることがないよう注意します」
「注意ではない。厳守だ。ただしミユキに危害は加えるな」
「判りました」
 アンドロイドは澄んだ目でタカシを見て返事をした。
またもや舌打ちが漏れる。
 シュウの耳にも届いたかもしれないが、幼い息子に気を使ってやる余裕もない程度に
タカシは焦っていた。


454 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:10:14.18R3zx0t5S0 (4/55)

 ――泣いていた。
 ショウタが、泣いていた。
 おそらくずっと、ショウタはこっそりと泣いていたのだろう。
 泣かせていたのは、大人の都合とタカシのつまらないプライドだ。
「クソ……ッ」
 堪えきれずに悪態を吐く。
 髪をかき回し、そして覚悟を決めて尻のポケットに収めてあった車のキーを握る。
 よし行こう――、そう自分を鼓舞した時だった。
「煩いわねぇ、まったく」
 暢気な女の声が、夜の庭に響く。
 庭に面したリビングの大窓の前、庭に居る二人――、と一体に、
「なにごとなの」と女は不機嫌に尋ねたのだった。
「ミユキ……」
 タカシはぽつりと妻の名を呼ぶ。
 昼寝でもしていたのか、髪が少し乱れている。
 あの騒ぎの中、よく眠れるものだと思う。
 ミユキはショウタに関心がない。
ショウタの中身に用はなかったのだから、それも当たり前のことだろう。
ショウタは『移植されるための生まれてきた』と話していた。
『体』に危害が及びそうになれば狂ったようにその安全を確保しようとする。
それは、ショウタの『器』だけを彼女が欲していたからに違いない。
「お前、ショウタに何を吹き込んでいた」
「……何のことかしら」
 女は一瞬こめかみを震わせて、しかし何事もなかったかのように微笑んだ。不気味な笑顔だ。
「もうすぐ自分は死ぬ、移植の為に生まれてきたと言っていた」
 あら、とミユキは呟き、そして我侭を言う子供に手を焼く母のように眉を顰めた。
「あの子ったら。『内緒の話よ』って約束したのに」
「……なにを考えている」
「なにって?」
「お前は最初から、ショウタを利用するつもりだったのか」
 女児は要らぬと堕胎を繰り返していたミユキの思惑を、タカシは未だに理解できては居ない。
タカシは永遠にミユキのものにならない。なるつもりはない。
もとより愛情などなかったが、溝が深まった今、顔を見るのさえ厭わしい。
「先に私を利用したのは貴方よ。私のことなんて、好きでもなかったくせに」
「――そんなこと、初めから判っていたことだろ」
 その上で、ミユキはタカシとの婚姻を望んだ。子供さえ得られれば言いとさえ言っていたのだ。
 確かにミユキの思慕に気づきながらも利用したのはタカシのほうだ。
だが、それに気づかぬほどミユキとて幼かったわけではないはずだ。
 しかし、今はそんなことで言い争っている場合ではない。
この女が何を考えているのか判らぬが、まずはショウタを見つけねばなるまい。
「――ショウタが居なくなった。帰ってこないつもりだろう」
 先ほどまで悠然と微笑んでいたミユキの表情が、スッと凍りつくのをタカシはハッキリと見た。
「探しに行く」
 どこに、と女の声が尋ねたような気もしたが、
タカシはそれに返事を返すことなく車に乗り込みドアを閉じる。
 タカシは車を発進させながら考えていた。
 ショウタを見つけ出してどうするつもりなのだろう、と。
 ショウタが拒否することも目に見えているし、縦しんば連れ帰ったところで、
ショウタはもう誰にも何も期待せず、心は押しつぶされ乾いたままだろう。
 またタカシも、後悔をしていても、彼を可愛いと思えることはないだろうと確信している。
 タカシにとっても、ショウタにとっても連れ帰る意味はないはずだ。ただひとり、ミユキを除いては。
 ミユキはタカシの脳を移植するつもりらしい。


455 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:12:17.88R3zx0t5S0 (5/55)

「馬鹿な女」
 侮蔑と嘲笑を込め、言葉を吐き出した。
 おそらく彼女は、タカシとショウタの移植の適合率が極めて低いと知らぬに違いない。
 嘗て、様々な病によって失われた臓器は、大体パーツでも、生体パーツでもなく、
多くの場合、見知らぬ誰かのそれらによって補われたと聞く。
 他人の臓器を移植するなどと言う信じがたいことが、医療として年に何件も行われていたのだそうだ。
 適合検査はまず、ごく親しい身内から。
親兄弟、配偶者から検査を行い、それに適合しなかった場合、適合する赤の他人から貰い受けたのだという。
そんな背景も手伝ったのだろう、彼女は親子間の移植が、高確率で、殆どの場合可能であり、
かつ成功率も当然高いと勘違いしているに違いなかった。
 おそらく、あのマッドサイエンティストが、何故タカシの嘗ての息子であった『あの子』を死に至らしめたのか、
その詳細までは知らないのだろう。
 ミユキは女児が生まれることを厭っていた。
タカシが手出しをしないように――、そんなことを言っていたが、
なるほど、自分が『産み落とした器』にタカシを閉じ込めることが目的であったというのなら、
男児に執着した意味も判らなくもない。
彼女の目的は、『タカシを自分のものにすること』だ。意識はどうにもならなくとも、
魂たる脳と記憶を『自分の産んだ体』、即ちショウタに閉じ込めることは、
彼女にとって『タカシを自分のものにする』ことと同義なのだろう。
 だが、それが果たして成功するかと言えば、
門外漢であるタカシから見ても成功率が極めて低いことは確実で、
ミユキの狂った計画が頓挫の道を辿ることは安易に知れた。
 自分の産み落とした器にタカシを閉じ込める――、ぞっとするほどの執着に、吐き気を覚える。
 だが今はそんな気持ちの悪い思惑に囚われている場合ではない。
ショウタを早急に見つけなくてはなるまい。


456 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:20:39.31R3zx0t5S0 (6/55)

 誰にも必要とされていない――、
そんな残酷な真実を、この世に生まれて僅か数年の子供は、痛いほどに知っている。
父親からは邪険にされ、母親からは臆面もなく『入れ物』と呼ばれる。
そんな環境で育った彼は幸か不幸か、
アンドロイドによれば『情緒面が五歳分ほど発達している』のだという。
 幼い子供ならば思いつかぬようなことを、ショウタがやってのける可能性も大いにあるだろう。
 そう、例えば自殺。
 タカシはそれをなによりも懸念していた。
 闇雲に歩き回るつもりはない。
 ショウタが引っ掴んでいったフライボードは、先日の出奔を期にGPS登録を済ませたところだ。
 それを知ってか知らずか、彼がフライボードを小脇に挟んで行方をくらましたことは、
タカシにとっては幸いだった。 
 タカシはステアリングから手を離し、自動操縦に切り替える。
 タブレットを立ち上げ、ショウタの現在地を確認すれば、やはり彼は花街の方向を目指しているようだった。
 そもそも彼が足を運べる場所など、この周囲には花街しかなくて、懸念しているのは寧ろ行き先よりも、
そこに向かう道中の事故、或いは自殺だ。
 一度目はなにもなかったかものの、二度目も無事に済むとは限らない。
何よりも今ショウタは、自棄を起こしかねない精神状態に置かれているのだから、
わざと操作を誤って転落事故を起こす可能性もないわけではない。
 おおよその緯度経度をスピーカーに告げたのち、シートに深く沈み身を預ける。
 ショウタの居場所を示すGPSは、一定の速度で細かに移動を続けていた。
 点滅を繰り返すタブレットの光が、暗闇の視界に酷く刺激を与える。


457 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:25:14.20R3zx0t5S0 (7/55)

 耳にこびりつくのは、ショウタの痛々しい叫びだ。
 ――少しずつ、自滅の道を辿っている予感があった。
 シュウもいつまでも子供はいない。自分の出自をいつかは知るだろうし、
今の人生がいかにして与えられたかも、そのうち悟るだろう。
また、父親が、己の異母兄弟であるショウタにどんな残酷な仕打ちをしたのかも。
 溜息が漏れる。
 タカシの人生は、きっと全てが間違っているのだろう。
 姉を犯したことも、この国を破滅に導く機械を作ったことも、姉との間に子をもうけたことも、
好きでもない女と結婚したことも、子供に優劣をつけ接していたことも。
 人生の殆どが過ちで埋め尽くされている。
 だが、果たして、綺麗で傷ひとつない、美しいだけの一生を送る人間などいるのだろうか。
 人は自分の為に、時として人を殺すほどの我侭を通すイキモノではないだろうか。
 タカシはヒーローではない。自身の生き様を大手を振るって肯定するつもりは毛頭ないが、
大きな何かを守るために、我が身を犠牲にできるほどの器もまた、持ち合わせてはいないのだ。
 どこにでも居る、欲にまみれた人間なのだ。
ただ、我を通した代償が重すぎた。自分の身は然して痛くはない。
その重みを背負っているのが、ショウタであるのが問題なのだろう。
 結局のところ、タカシもミユキも、ショウタへと同等の負担を強いている。
 だが、そこまで理解しているくせに、頑なに愛してやることはできなかった。
 それでも、泣かせてしまうほどに追い詰めたことは、後ろめたく思うのだ。
『タカシさん』
 控えめに呼ぶ子供の声が木霊する。
 タカシさん、と実の父をショウタは名前で呼んだ。
 ああそうか――、と気づく。
 ミユキを真似ているのではない。
 おそらくショウタは。
「呼べなかったのか……」
 お父さん。そう呼べなかったのだ。
 タカシの顔が険しくなるから。
 タカシがあからさまに嫌そうな顔をするから。


458 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:28:34.70R3zx0t5S0 (8/55)

 ショウタがまだ幼い頃、片手で足りる程度には、『お父さん』と呼ばれた記憶があった。
 ショウタは母であるミユキが面倒を見ない割りに、言葉の発育が早かったと記憶している。
 同い年の子供が漸く意味の判る会話をするようになった頃に、
ショウタはすでに『お父さん』とハッキリと発音をしていた。
 微かな笑いが漏れた。
 そんなことを記憶しているのに、可愛いとは思えないのだ。愛しいと思えないのだ。
 どうしても、愛せない。
そしてタカシは、おそらく後ろめたさを打破するためだけに、ショウタの足取りを追っている。
 誰も愛してやれない子供を連れ戻して何になるというのだろう。何のために連れ戻すのだろう。
 エゴイスティックな感情で、逃げ出した子供を連れ戻そうとしているタカシは、
悪魔か鬼か、それともただの鬼畜か。
 愛してるフリくらいは、するべきだったのだろうか。
 いいや、と、タカシは己の穢い考えを即座に否定した。
 おそらく偽りの愛情など、聡いあの子供はすぐに見抜くことだろう。
 アンドロイドから与えれる紛い物の愛情は、ショウタが『致し方がなく』揃えた『本物の愛情』の代替品だ。
ショウタは渇きを潤すために、仕方がなくそれを選択したのだ。
生身の人間からの、薄汚い偽物を与えられることなど、きっと彼は望んでいないし、
与えられたところで、シュウと己を比較し、ますます惨めな気持ちになったことだろう。
 結局のところ、誰もショウタを満たせないのだ。
 いっそのこと、生まれなければ幸せだったのかもしれない。
 だがショウタの生き死にを勝手に決めようとするそれもまた――。
「勝手なエゴか……」


459 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:29:55.24R3zx0t5S0 (9/55)

 タカシはショウタのことなど考えていない。自分が楽になりたいだけなのだろう。
 唯一つだけショウタの為に『なかったこと』にできるのなら、タカシはなにを選ぶだろう。
 それならばタカシはいっそ、自身が生まれてくることを諦めたいかった。
 なにもかもが間違っているのなら、なにもかもを諦め『なかったこと』にしたほうが潔い。
 そうすれば誰も、そして何も失わず、傷つかず、タカシ自身は渇望を覚えることもない。
 自滅的な思考がやたらと渦まいていく。 
 ――楽に、楽に、楽に。
 呼吸がしやすい環境を探して、得られることは永遠にないと確定している自滅を、いやらしく夢想する。
 タカシはどこまでも自己中心的な嫌な人間なのだ。
 でなければ意識の碌にない姉を犯したりはしないだろう。
 子を産ませたりしなかっただろう。
 そう、タカシはどこまでも身勝手なのだ。
『目的地に到着しました』
 機械的な声が、花街への到着を告げた。
 はっとして視線をタブレットへと移せば、いつの間にかGPSは一定の場所で制止している。
 ショウタがGPSの存在に気づいてフライボードを手放したか、あるいはそこに留まっているのかどちらかだ。
 タカシは車から降り立つと、あの日そうしたように通行証を購入しようと鳥居の根元に近づいた。


460 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:32:08.01R3zx0t5S0 (10/55)


「旦那」
 声を掛けてきたのは、屈強な男だった。
見覚えがあるかないかと言われたら、どちらかと言えば『ない』に傾くその顔を、タカシはジッと見た。
「ああそうか、覚えているわきゃないですね。自分は先日、お子さんを保護した警らですわ」
 ああ、と返事をしたものの、タカシは男のことを殆ど覚えていなかった。
そこに居ただけで、男の顔だとか身体的特徴だとか、その人物を人物たらしめている個性の全てを失念していたのだ。
 一事が万事、タカシはこうなのだろう。
「またお子さんが?」
 タカシの胸のうちなどに気づく様子もなく、男は声を潜めて尋ねた。
 色とりどりの火花が空高く舞う中、タカシはどう答えるべきか思案したのち、結局頷いてみせる。
「そりゃいけない。どのあたりにいるかはご存知で?」
「いや、GPSの動きが途中で途絶えて……」 
 そこにショウタが居なくとも、一先ずはタブレット上で点滅を繰り返す地点までは向かうつもりで居たのだが。
「ああ、ここいらは男娼が多い店ですわ。おいお前!」
 男が後ろを振り返り、同じ衣類に身を包んだ青年に声を掛けた。どうやらこの場を離れ、案内をしてくれるようだ。
「場所は把握しました。行きましょう」
「いや、一人でも、」
 大丈夫だが、と言い掛けたるも、男は、「客引きに行く手を阻まれるから」と言って引かなかった。
 タカシはそれなら、と男に従い彼の背後を歩いたが、彼の大きな声をもってしても、
時折為される会話は花火の音に掻き消えていき、男の話は殆ど聞き流している状態であった。
 赤い提灯が、水面をただよう金魚のように、ゆらゆらと揺れている。
形は様々であったが、色はみな一様に赤だ。
風に煽られゆったりとした動きを見せる赤い光りに、頭が次第にぼんやりとしていくのをタカシは感じた。
鼻を刺激し思考力を奪う香もよくないのだろう。視覚と嗅覚を同時に攻め立てられ、まともで居られるはずはない。
前を行く男は、この光景や匂いに慣れっこなのか、顔色を変えることなく前を進んでいく。


461 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:33:52.24R3zx0t5S0 (11/55)



「……と言うわけですわ。旦那? ああ、すまないね、香に当てられたかな」
 男はパンツの裾に挟んだ手ぬぐいを差し出てきたが、
タカシはそれをやんわりと断り、男に付き従い只管歩き続けた。
 花火の弾け飛ぶ轟音が、内臓を揺らすように響いて気持ち悪い。
「この辺りですわ」
 男の足がピタリと止まった場所は、なんとなく見覚えのある場所だった。
 玉砂利が引かれた道に、木製の建物。
それらはこの界隈では定番の風景であったが、僅かにでも見覚えを感じるのは、
おそらくこの場でひどくバツの悪い思いをしたからに違いない。
 ショウタを差し置き、男娼の手を握ろうと必死になった、あの場所だ。
 GPSの点滅は相変わらずこの場で制止している。
 周囲をぐるりと見回し手がかりを探そうと体を二二五度回転させたところで、
タカシの視線はある一点に止まったのだった。
 朱塗りの格子の中、それはいた。
 一見しただけでは骨格も風体も華奢で、少女であると勘違いをすること必須の『少年』だ。
 タカシの視線に気づくと、彼は煙管を片手にチッと舌打ちをするような仕草を見せる。
 そのまますっくと立ち上がり、格子のもっと奥へと姿を消そうという素振りを見せたが――、
しかし彼は、ピタリと足を止めると、突然、ぐるりと振り返ったのだ。
 間違いない。格子の中の少年は、あの日タカシが腕を掴もうと躍起になったあの男娼だった。
 彼は、格子の向こうから冷えた視線をタカシに寄越していた。
睥睨、とまではいかないが、汚物を見るような眼差しだ。


462 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:35:40.97R3zx0t5S0 (12/55)

「アンタ、子供を捜してるんだろ」
 花火の轟音の中、少年はハスキーな声を響かせ、タカシに向かって話しかけた。
「ああ」
 声が微かに上ずったのがバレたのか、少年は口許を歪め、そして煙を吐き出して見せる。
「知ってるよ、僕。あの子がどこにいるのか」
 咄嗟に反応できず、タカシは言葉を詰まらせた。
「なんだい、その反応。連れて帰りたいわけじゃないのか」
 姉と同じ――、よく、細かく観察すればどこかしら異なるのだろうが、
もう記憶の片隅に薄っすらと残る程度になった姉の面影を重ねると、
少年のそれは、ひどく似ているように感じられた。
 タカシを馬鹿にしたように、少年は嗤う。
「ま、あの子がどうなろうが僕には関係ないけどね。元貴族として教えてあげるけどさ、
貴族ってここじゃ手酷く扱われることが多いよ。
あんな乳臭いガキ相手にでも平気で無体を強いるから、ひと月後には死体になってるかもね」
 ここには花魁などという存在はなく、街全体で気取った雰囲気を取ってはいるものの、
ただの純粋な色の売り買いを目的とした場所であることから、
志願すればその年齢に関係なく、自らを売り出すことはできるのだという。
 小馬鹿にした顔で、小馬鹿にした声音で、少年は一気にそう言って退けた。
 唇から漏れる煙が、揺らめきながらタカシの鼻先を掠める。
 通りすがりの男に体当たりされよろけるが、タカシはただ少年の顔を見ていた。
「呆れた。あんた、自分の子供よりも僕が気になるわけ?」
「いや……」
 そうではない。
 いや、そうなのかもしれない。
 少年は幾度見ても姉に良く似ているような気がしてならなかった。
「……さっさとガキを連れて帰ンなよ。この店の旦那が保護しているよ。裏口から声掛けな。
こままじゃ、あの子、本当に自分を売っちまうよ」
「ま……っ」
 待ってくれ。そう声を掛けようとするも、少年は闇に紛れるかのごとく格子の奥へと消えていった。


463 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:37:24.78R3zx0t5S0 (13/55)

「旦那、アンタ何しに来たんだい」
 警らが少年と同様に、呆れの入り混じった声でタカシを呼んだ。
 ショウタを――、遺伝上の息子を連れ戻しに来たのだ。
 そう、そのはずだ。
「どうも、好奇心の強い子供が、屋敷を抜け出して遊びに来ているだけってわけじゃなさそうだ。 
なにがあったんだい」
 タカシは何ひとつ答えられずに、ただぼんやりとした思考のままそこに佇んでいた。
「……まぁいいさ、深く首を突っ込まないこともこの街のルールだ。
とにかく、お子さんを連れて帰ってやんな。
その日のうちに格子に入れられることはなくとも、なにかあったら拙いだろう」
 拙いだろう――、そう言う割りに男が飄々としているのは、こういった事態に慣れっこであるためか、
それとも花街の内情をよく知っているためか。
 おそらく後者なのだろう。
 彼はきっと、ここでの生活が人生の大半を、いや、もしかしたらすべてをここで過ごしているのかもしれない。
「シャキッとしてくれよ」
 ひどくお節介な性分なのか、男は無遠慮にタカシの頬をつねって捻りあげると
「旦那、アンタ父親だろ」と少々語気を荒げ、苛立ったように叱責してみせたのだ。 
 体の表面を、なにか薄い膜で覆われたように、全ての事象に現実味がない。
 家を出る時は、あれほど明確に『ショウタを連れ戻す』と言う意志を持っていたクセに、
突如としてそれらが酷く些末な、どうでもいい決意のように感じられたのだ。
 香のせい――? いやそうではない。あの姉に良く似た少年。彼のことが、頭から離れない。
 ショウタを連れ戻すことに集中しようとしても、ふと思い浮かぶのは彼の顔。いや、姉の顔かもしれない。
 不安定な思考はゆらゆらと揺れ続け、
少しでも突けばショウタを連れ戻すという本来の目的を容易く放棄しそうになる自分が居た。


464 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:38:52.53R3zx0t5S0 (14/55)

「旦那!」
 警らにドンッと力強く背中を叩かれる。
「いいかい、旦那。ここで色を売るということは、楼主の犬になるということだ。
楼主は往々にして真っ当な人間ではない。
借金があってもなくても、一度身売りを始めたら、逃げ出せないことが殆どだ。
アンタ、お子さんとなにがあったかは知らんが、血を分けた子をそんな風にしたいのか?」
 ――血を分けた子供。
 タカシにとっては、その事実もまた、現実味のない内容だった。
 ショウタが憎いわけではない。
 ただ、タカシの人生には不必要だったのだ。 
 だから、ショウタをどうしたいのか、と問われても、タカシには答えようがない。
 答えたくとも、なにかを答えるほどの感心がないのである。
 近くに居れば鬱陶しいとは感じても、何故ここまでやってきたかと問われたら、
それはおそらく保身の為で、
タカシにはショウタを連れ帰ることについて、明確な目標があるわけではなかった。
「……判らない」
 ぽつりと漏れ出たのは正直な胸のうちで、それを聞くやいないや、警らの男は溜息を盛大に吐いた。
「冗談じゃねぇぞ。勘弁してくれよ……」
 タカシは、圧倒的に無関心で、圧倒的に自己中心的な自身を、そろそろ自覚し始めていた。
 誰のことも、たとえ『血を分けた子供』であっても、基本的にはどうでもいい存在なのだ。
 ならば姉とシュウにのみここまで執着を燃やす自身は何者なのだろう、とも考える。
 タカシの基本は『無関心』だ。ならば執着を見せる自身は別者なのだろうか。
無関心なタカシも、執着をするタカシも同一の人間であるはずなのに、この熱量の差はなんなのだろう。


465 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:41:03.69R3zx0t5S0 (15/55)


「あの坊ちゃん、随分思いつめた顔をしていたが……」
 父親がこれじゃあな、と警らは苛立ちを含んだ声で吐き捨て、
そしてタカシの二の腕をグイッと強引に引っ張った。
「困るんだよ、金のある『普通の家庭』の子供に出入りされちゃあ。
ここにいるガキどもってのは不運な星の下に生まれついちまって『仕方がなく』ここに来た奴らばかりだ。
そんな中にぽつんと『志願』して来た子供が居てみろ。
いいとこ虐めの対象、悪ければ一週間も持たずに死体になる。
ここはあんな坊ちゃんが居ていい場所じゃない。なにがあったのか知らんが、とっとと持ち帰ってくれ。
幸せな家族って言うのと縁遠くなっちまったガキどもにゃ、アイツみたいな子供は目の毒だ!」
 幸せな家族と縁遠い――、その言葉がやけに耳についた。
 戦後に広がった貧富の差は政府の支援によって縮小され、
今では食うに困って子を手放す親など、殆ど居ない。
 お家取り潰しとなった貴族と、
政府の支援から零れ落ちた『存在しないはずの子供』であるかのどちらかに絞られるのだろう。
貧困層は殆ど存在しない――、それが国の見解であるが、ないわけではないというのが真実だ。
存在しないはずの子供は大抵そんな場所から生まれ出る。
つまり彼らは、戸籍を提出されなかった子供なのだ。
もしかしたら、売り払うために生み出された可能性さえもある。
 貴族にせよ、存在しない子供にせよ、簡単に売り払われた彼らは、
家族の情が薄い環境で生きてきた可能性が極めて高いだろう。
そうでないのなら、家族を売り払った金で安穏と生きられるわけがないはずだ。
 そんな悲惨な環境があるその一方で、タカシやショウタのように、恵まれた人間も存在する。
経済的に逼迫していないことは、すなわちそれ自体が幸福なことだろう。
 戸籍もある、教育も受けている。医療機関にもなんの問題もなく赴くことができる。
 物のように売り払われた彼らかすれば、幸せな家族と縁遠い、とは言いがたい幸せな環境に身を置いていた。
 昔の――、今の生を受ける前のタカシも。


466 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:42:45.44R3zx0t5S0 (16/55)

 しかし、とも思う。
 衣食住も揃っており、それなりの生活をしつつも、どこか満たされなかったあの頃をふと思い出す。
 姉の介護をしつつ学生生活を送っていた遠い遠い、気が遠くなるほどに遠いあの頃のことだ。
 思春期から青年期、その多くの時間を姉の介護に追われていた理由の一つに、
姉がタカシ以外の介護を暴れて拒んだことが上げられるが、
それ以上に、二人の両親がタカシたちに『無関心』であったことに原因があった。
 母は一族の女たちが発症する病を何も知らされずに嫁いできた女であった。
 父への愚痴を飲み込む代わりに、タカシへと何度『私は騙された』と呪詛の言葉を投げつけただろう。
そんな母を知ってか知らずか、父は凡庸なサラリーマンであるにも関わらず『仕事人間』を装い、
次第に帰宅の足は遠のいていった。
 そんな事情から、姉の面倒を見る人間が、タカシをおいて他には居なかったのだ。
しまいに両親は、まだ幼かったタカシへと、姉の全てを押し付けたので、
タカシの子供時代は子供らしく過ごせた期間がとても短かったと言える。
 タカシもまた、そういう意味では『幸せな家族と縁遠い』子供時代を送っていたのかもしれない。
 両親は子供を見ない。
 唯一一緒に過ごしていた姉は物言わぬ人形と化していたから、タカシはずっと一人で居たようなものだ。
 一方的に話しかけ、一方的に世話を焼く。
 それでも、タカシの傍に常に居たのは姉だった。
 ――なるほど、とタカシは現実感を伴った『今現在』に引き戻されつつ、
奇妙なまでにハッキリとした理解を覚えた。
 タカシが姉とシュウに執着をしていたのは、『血の繋がり』があったからだ。
どこまでも濃い、紛うことなき血の繋がりは、タカシにとって重要なものなのだ。
 そこに異物を含んだ血の流れは必要がない。
ショウタは、いつの間にか生まれ出ていた子供で、ミユキの血を含む、
『タカシとは違う団体』の人間なのだ。
 姉とシュウへの執着は、人恋しさを拗らせた上に成り立っているのかもしれない。


467 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:44:40.71R3zx0t5S0 (17/55)

「旦那!」
 いつまでもその場でぼんやりとするタカシに痺れを切らしたのか、
警らの男はもう一度乱暴にタカシの腕を引っ張った。
傷みを訴える間もなく、男はタカシを引きずるようにして歩き出す。
「幸いなぁ、あの坊ちゃんが駆け込んだ店の楼主は比較的良識のある男だ。
だがな、だからと言って無事に済むかと言えばそうでもないのが現実だ。ここはそういう場所だ。あんた、」
 男は歩みを止めて振り返ると、血走った目でタカシを睨みつけた。
「あんた、判っているか、あの坊ちゃんがどれだけ『利巧な子供』か。
利巧な頭を持っているくせにこんな場所に来た。
あの子はな、ここがなにをする場所か判った上で来てんだよ! その意味が判るか!!」
 奇妙な風景だった。
 赤の他人、それもおそらく出会ったばかりで、会話も碌にしたことがないであろう男が、
ショウタの為に怒りを露にしている。それはとても奇妙で、不思議な光景であった。
 人の身が容易く売り買いされる場所で、
何故彼はここまで必死でショウタを守ろうとするのかが、タカシには理解ができない。
そんなもの、日常茶飯事だろうに。
 タカシはされるがまま腕を乱暴に引かれ、気づけば表通りの裏がわ、店の裏口が立ち並ぶ、
人一人が通るのもやっとの小道に連れ込まれていた。
 相変わらず花火は煩く鳴り響いているが、香はだいぶ薄れている。
それでもまだ霞が掛かったように白くぼんやりとする思考を拭い去れず、タカシは男の行動に、
ただ素直に従っているだけであった。
 間に合えばいいが、と花火の残響が残る中、男は小さく言った。
 縦に細長く格子が作られた引き戸を、男は我が物顔で開ける。
表通りの朱塗りのけばけばしい格子と異なり、
こちらはこげ茶の、至ってシンプルな木枠である。
 タカシは転げるように靴を脱ぎ、再び引きずられるようにして木製の廊下を歩んでいった。
 抵抗の言葉は上げるだけ無駄。そんな気迫が警らの男の背中からは溢れ出ていた。


468 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:47:01.63R3zx0t5S0 (18/55)

 廊下に窓は一切ない。天井に点在する電気は、今時センサータイプではなく、スイッチタイプで、
電源を切るまでは点灯しっ放しになるタイプのもののようである。
 鴬張りとでも言うのだろうか、男とタカシが歩みを進めるたびに、
長い廊下はキィキィと小さく悲鳴を上げて続けた。
 花火は一晩中ならされるわけではないのか、それとも休憩なのか、爆音は聞こえてこない。
その代わりに、男女入り混じった笑い声と、そして時折艶めいた喘ぎ声がどこからともなく漏れ出てくるが、
タカシも男もそれらに気を止めることはしない。 
 人の気配は数え切れぬほどあるにも関わらず、その廊下を進む間、誰かにすれ違うことはついになかった。
 やがて数々の曲がり角を経てたどり着いたのは、鶴と松のような枝が描かれた襖で、
その部屋の前では嬌声も談笑も、その一切が響かぬ、シンと静まり返った場所であった。
 どうやら廊下は少しずつ斜めになっており、
タカシは気づかぬうちに、地下に相当する深さまでやってきてしまった、ということらしい。
 男はそこまで来ると漸くタカシの腕から手を離し、そして嘆息した。
「また後でどやされるな……」
 心底嫌だ。そう言いたげな顔でタカシを振り向くも、タカシの表情にまるで変化がなかったためか、
半ば諦めた顔つきのまま、声を掛けるでもなし、ノックをするでもなし、するすると襖を開けた。
 中は暗く、しかし完全なる闇に覆われているわけではない。
 ある一点からほの明るい光りが放たれ、室内を辛うじて照らしていた。
明かりの正体は、足の低いテーブルに置かれた行燈で、タカシはそれよりは僅かに明るい廊下から、
なにもかもが判然としない室内を、検めるようにして眺めた。
 警らの男は、なにも言わずにタカシの背中を押した。よく室内をみろ、と言うことだろう。
 タカシはその腕に従い、目を細めて室内を観察する。
 と――、小さな影が動くのが目に留まる。
 白いそれはゆっくりと動くと、やがてパッと姿を消す。
 塊は瞬時にどこかへと喪失した――、わけがなく、動いたように見えたのは真っ白い衣類で、
それが今まさに脱ぎ捨てられたところだと、闇に慣れてきたタカシの視神経は脳細胞へと明確な伝達を施した。
 薄闇の中、ぼんやりと浮かび上がるのは、白く滑らかな背中。


469 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:49:24.10R3zx0t5S0 (19/55)

「それで、どうするんだ?」
 男がおかしそうに、くつくつと笑いながら問う声が聞こえた。
 やけに小さな背中は男の質問に困惑したのか、一瞬、ピタリと動きを止め、
しかし、そんな自分に苛立ったのか、或いは己を鼓舞するためか、
下肢を覆うズボンを乱暴に引っ掴むと、脚から勢いよく引き剥がした。
 それから下着も同様に。
 迷いを断ち切るようにして衣類の全ては捨て去られ、
そして覆い隠すものは何ひとつなくなった裸体は、痛々しいまでに細かった。
行燈の光りの中に浮かび上がった背骨は、まるで鎖だ。
非現実的な裸体と、タカシが実在するこの現実を引き結ぶ、唯一の存在のように感じられた。
 タカシと警らの男がそこに居て、廊下から室内を覗き込んでいるともしらぬのだろう、
その裸体――、少年だと体のラインで判る――、は背骨を不自然にくねらせ、そして男の膝に跨った。
 腕が、男の首に巻きつき、そして臀部は太ももの上へとすとんと落ち着く。
「それからどうするんだ?」
 意地の悪い質問だ。
 なけなしの勇気を振り絞って全裸になったのであろう彼が、
ひどく戸惑っていることがその背中からも窺い知れた。
「まずはネクタイくらいは解いてみたらどうだ」
 優しげな言葉に促され、首に巻きついた腕がするりと外され、男の襟元に伸ばされる。
 だが、その行為に慣れていないのか、腕をもたつかせたまま、
ネクタイを解くことさえままならないようだった。
 そのまま暫しの時間が流れ、男はふ、と息を吐くと、
自分の膝の上に乗る小さな体の背中を慰めるようにして撫でた。
その手つきには、性的なものを求める怪しさは何ひとつなく、単純に子供をあやすかのようなもので、
それは、息を詰めて成り行きを見守るタカシも拍子抜けするほどにあっけない接触であった。


470 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:51:19.74R3zx0t5S0 (20/55)


「お前は器量がいい。あと五年もたって店に出れば売れっ子になるだろう。だが――、」
 男が、『それ』の腕を掴んだ。
「今日はここまでだ。そんなに怯えているようじゃ、なにもできんよ。
少しずつ慣れていかないと。膝から降りろ」
「やだ」
 響いた声に、タカシは反応できなかった。
「うん?」
「さ、いしょは、お、おやじさまが全部教えてくれるって聞いた」
 親父様――、そんな風に呼ばれているが、男の年齢は声音から推測するに、
精々三十代半ばと言ったところだ。
 男は「うん」と返事をすると、その細い腕を掴んでいた手をするりと引いた。
「その通りだ。客の前で粗相をしないよう、手順を教えるのが私の役目だ。
だが、お前の『初めて』はどこの誰とも知らん女か男だよ。
お前は器量がいいから、競を開くことになるはずだ。
安心しろ、その辺りは丁寧にしてやる。いきなり格子の中に放り出すことはしない。
だが今日は、」
「僕は、今日、全部したい。それがどんなことか意味も判っている。それで、明日から店に出たい。」
「駄目だ。こんなに全身を強張らせて何ができるって言うんだ?」
「嫌だ。じゃあ、店なんかに出なくてもいい。僕を、おやじさまのものにして」
 消え入りそうな声が、それでも必死に訴え続けていた。
 知っている声だ。
 今まで、ろくすっぽ耳に入れようとしなかった、幼い声を、タカシは知っていた。
「駄目だ。お前にはできないよ。それに――、」
 薄闇の中、小さな影と向き合っていた男は視線を持ち上げ、そしてそれをタカシへとかち合わせた。
「……迎えが来ている。さぁ坊ちゃん、お遊びはここまでだ」


471 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:56:44.10R3zx0t5S0 (21/55)


 『迎え』と言う言葉に、小さな影が、油の切れた機械のようにぎこちなく動き出した。
首だけを背後に巡らせ、室内よりは辛うじて明るい、と言った程度の廊下を見つめる。
 タカシと、その黒い瞳は、殆ど初めてと言っていいくらいに、真っ直ぐに互いの視線を交し合った。
「何しに来たの」
 少年は――、ショウタは、至極冷静に、冷ややかに言い放った。
「ここはあなたみたいにコーショーな人間が来るところじゃないんじゃないの」
 アンドロイドは、ショウタの精神年齢を、随分と高く計測していたが、
それもあながち間違ってはいないのだろう。
彼は大人びた口調で、シュウならば決して紡ぐことのないであろう単語を唇に乗せ、
タカシを静かに、しかし激しく拒絶して見せた。
 最悪だ――、タカシは口には出さずにそう呟いた。
 五歳どころの話ではない。
 ショウタは形式上の『家族』に最早なんの未練もなく、
そしてその砂上の楼閣からひとり離脱したかと思えば、
今度は生きる手立てを整えるべくこんな街へともぐりこんだのだ。
 彼はここがどんな場所か理解している。なされる行為の意味は判らなくとも、
それを自らが行うことにどれほどの『経済的な効果』が生まれるのかを、
ハッキリと、これ以上ないほどに自覚しているのだ。彼は、小さな大人だ。
「ギムカンとか、そういうの、もう要らないから。『俺』はもうひとりで生きていくって決めた」
 男の膝からすとんと降りると、ショウタは全裸の体を隠そうともせず襖に近づいてきた。
 半袖半ズボンからはみ出す部分の手足が、小麦色に染まっている。
それとは対照的なは白い腹は、ほんの少しだけ膨らんでおり、彼の肉体的な幼さを如実に示していた。


472 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:58:02.25R3zx0t5S0 (22/55)

「あ、違うか。ギムカンじゃなくて、ジコベンゴって言うの?
そんなの俺はよくわかんないから、早く帰ってよ。あなたはシュウだけ大事にすればいいんだよ、
今までと同じように」 
 死んだ魚の目――、生気の宿らぬ瞳をそんな風によく呼ぶものだが、ショウタの目はそれとはまるで違った。
 瞳に表情はない。ただ一つ、侮蔑を除いては。
 この世の全てを汚らわしいと謗るように、ショウタの瞳は全てを侮蔑していた。
 タカシも、ミユキも、シュウも、この店の楼主も、この街も、全てを侮蔑していたのだ。
 ショウタにはもう迷いがない。
 細い指が襖に触れ、タカシとの間に物理的な隔たりを作ろうと試みる。
「ショウ、」
 名を呼ぼうとしたが、しかしそれは未遂に終わる。
 ショウタの瞳が、そうさせなかったのだ。
「見ていたいのなら、見ていれば。気持ちのいいものじゃないと思、」
「おいおい、やめてくれ。興醒めだ!」
 パンパン、とおざなりな拍手を二度したのは、先ほどから部屋の奥へと鎮座していた『親父様』だった。
「家族のメンドクサイいざこざに赤の他人の私と、私の店を巻き込まないでくれ」
 背丈はタカシと同じくらい。年齢は予想した通り、三十代半ば。
薄闇の中、心底面倒だといわんばかりに歪めた顔は、タカシの腹に巣くった偏見に反して、
顔立ちそのものには清潔感があった。
店で焚いている香の香りがしみこんだ髪をかき回し、
ネクタイがほつれたままの姿でゆらりゆらりと廊下まで這い出てくる。
 タカシの顔を具に確認するかのように、目を細めてジッと見ると、咥えた煙草を指で挟みこみ、紫煙を吐き出した。
「つまらん顔をしてるな」
 ぽつりとそんな暴言を吐いたかと思えば、男はどけといわんばかりにタカシを押しのけ、
どこへ向かうのか、僅かに傾斜のついた廊下を歩いていく。
歪な構造の建築物に慣れた体は、そんな廊下に立ってさえ背筋がシャンと伸びている。


473 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 21:59:38.34R3zx0t5S0 (23/55)

「おやじさま!」
「でっかい声を出すんじゃない、煩いだろ。さぁパパがお迎えに着たんだ、帰ってくれ。
それから二度とこの街に来るんじゃない。
うち以外の店だったら、お前、とっくに尻が裂けてゴミみたいに捨てられていたぞ」
「まって! おやじさま!」
「待たないよ、でっかい声を出すなって言ってるだろ」
「ゴミになったほうがマシだよ!」
「あ?」
 パンツのポケットから携帯灰皿を取り出しつつ、男はそれでも律儀に振り返った。
「どうせ俺は家に帰っても死ぬしかない。だったらこの街で殺されても一緒だよ。
どうせなら自分の死に方くらい選びたい」
「……なに言ってんだ、お前。お坊ちゃまだろ」
「生まれたときから俺の体は俺のものじゃなかった。俺はイショクの為に生まれてきた」
「――お前、何者なんだ。クローンなんて今時流行ってないだろ。結構前に違法行為になったろ。
あれ、こいつくらいの年齢ならギリギリだがクローンの製造が許されてたんだったか」
 自身の記憶を探るように視線を彷徨わせる楼主の腕に、ショウタがしがみつく。
「おい! あぶねぇだろ、灰が落ちる!」
「クローンじゃない! クローンじゃないけど、
俺は、お母様にずっとずっとアイツの脳をイショクするための入れ物だって言われてきた!」
 ショウタはもう頼れるのは楼主だけだと言わんばかりの眼差しで、彼を見上げていた。
 楼主の腕にしがみつく腕は、細い。腕だけではない。脚も、捲くし立てる口も。
 まだ、誰かに保護されるべき年齢なのだ。
 そんな年齢の子供が、娼館の楼主にすがり付いている。
 本来、この店の主である彼ががすがりつかれる瞬間と言うのは、こういうシチュエーションではないはずだ。
おそらく娼婦や男娼が、己の置かれた立場に堪り兼ね、
『どうかここから出してくれ』と身売り行為を拒否する。そんな場面こそが相応しい。
 決して、ショウタのような子供が『働かせてくれ』と頼み込む場面ではないはずだ。


474 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:01:24.80R3zx0t5S0 (24/55)

「……なんだそりゃ。けったいなこと考えるんだなお前の母ちゃんは。恐ろしいね」
 楼主の瞳が揺らめき、タカシを一瞬だけ見遣った。
ショウタの言葉が事実であるのかどうかを、探っているのだろう。
 クローン――、その言葉が廃れて幾年経ったことだろう。
それでも、ショウタが吐き出した言葉を推測で補いつつ「クローン」と言う単語を導き出した彼は、
比較的頭の回転がいい人間なのかもしれない。
「俺の、俺の……、俺だけの、俺のものなんてない!」
「人権の話か? おい、パパさんよ、こいつなに言ってんの。なんでこんな変な妄想してんだ」
「父親じゃない! この人は俺のイデンジョーの父親ってだけだもの……!」
「そんなん最近じゃ珍しくないだろうよ、いいから、」
「は、話しかけてもらったことなんてない! 名前を呼んでもらったこともない!」
「お前ねぇ……」
「親なんて……、親なんて居ない!!」
 一際大きな声で、ショウタが叫んだ。
 タカシを目の前に、親はいないと叫んだ。
 タカシは溜まらず目を逸らすが、ショウタの叫びは幾度か続いた。
 思春期の子供に良く見られる親を忌避する態度とも、
己の不幸を叫んで悲劇の主人公を演じたいのとも異なる。
ショウタには、まさしく親など存在しなかったのだ。
 だからショウタは叫ぶ。本当のことを叫んで、なんとか自分の足で生きていく手段を整えようとしている。
もううんざりなのだと。身勝手な大人に自分の『人生』を蹂躙されるのはもうごめんなのだと。
 身勝手な大人がショウタを捨てたのではない。
 タカシとミユキが、ショウタに『捨てられた』のだ。


475 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:03:26.28R3zx0t5S0 (25/55)

 ショウタは、アンドロイドに深く依存し親子ごっこを繰り広げていた。
だがやはり彼はただの阿呆な子供とは違うのだ。
 彼は、アンドロイドは本物の親にはなりえないと知った上で、仮初の親子ごっこに興じていたのだろう。
 深く傷ついている心を癒すための、ショウタ自らが無理やりひねり出した秘策だったのかもしれない。
 だがシュウが、凶暴なほどに純粋な『愛されている子供』の視点での呟きでもって、
容易くそれ潰してしまったのだ。
 シュウに触れられるのを厭うほどに依存したアンドロイドは、その瞬間に、
ショウタの中でただの『偽物の父親』に成り下がったのだろう。
 それでも完全にアンドロイドを『物』として扱えずに『お父さんになってくれて嬉しかった』と
生物でさえない彼に告げたのは、ショウタに残された柔らかい子供らしい部分に違いない。
「親なんていない!」
 ショウタは尚も叫び続けていた。
「親なんていないもん!! ずっと一人だった!」
「育ててもらったんだろうが」
「違う! 俺を育てたのは、俺だよ! 俺はひとりで大きくなった!」
 肩をいからせ、呼吸もままらない勢いで思いを吐露したショウタに、楼主の視線が注がれる。
 きっと、彼の琴線にショウタの何かが触れたのだとしたら、この瞬間だろう。
「だったら俺の体を俺が好きなようにしても別にいいじゃん!
俺のものなんて、ほかになんにもないんだもの!!」
 涙で滲んだ瞳は、タカシを一切見ない。
ずっとタカシに付き添っていた警らの男も、何とはなしに事情を察したのだろう、
それ以降は侮蔑の視線を寄越すだけだ。
 重苦し沈黙が続いた。
「坊主」
 不意に沈黙の帳を裂いたのは、楼主の静かな声だった。
彼はショウタの顎をグイッと指先で持ち上げ、検分するように正面、そして左右から見た。
 ふぅん、と言う溜息混じりに声のあと、楼主はショウタの鼻を摘み「シャンとしな」と命令口調で言い張ったのだ。
「ベソかくんじゃない。前を向け。
ここじゃ泣いているガキを可哀想~なんて思ってくれるやつはいない。お前の名前、なんだっけ」
「ショウタ」
「ショウタ、ね……、ここは大体ワケアリの人間しか居ないんだがな。私もヤキが回ったかね。
お前とりあえず服着なさいよ。フルチンじゃ風邪引くだろうが。倒れても面倒なんざみねぇぞ私は」
 警らと楼主がどんな関係なのかは知らないが、楼主は彼に、ショウタの服を持って来るように命じた。


476 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:05:35.22R3zx0t5S0 (26/55)

「怒り散らしている時の生意気そうな顔は、まぁ悪くない。
だからつまらんことで泣くな。いつも人を見下したような顔をしていろ。
お前はそのほうが断然可愛い」
 ショウタは呆気に取られた顔をしたのち、小さいながらもハッキリとした声音で『はい』と返事した。
 剥き出しの腕で目元を拭い、口角を持ち上げ勝気に笑う。
 それでよし、と楼主は言った。
「店の人間も客も、お前に同情したりしないだろう。だが私はお前を『可哀想』だと思う。
親が居て、金銭的にも恵まれているくせに、お前は何も持っていない。だけど何でも持ってもいる。
お前は何でも持っているくせに、こんな場所にノコノコやってきて
身売りをさせろという。こんなガキが、だ。これ以上に不幸なことはないだろう」
 廊下に響く声は、ショウタ自身に聞かせるためのものではないのだろう。
楼主はタカシへのあてつけとしてこう言葉を紡いでいるのだ。
 間もなくすると警らの男がやってきて、ショウタの頭からシャツを被せた。
ショウタが家を飛び出す際に身につけていたセーラーではない。楼主のものなのだろう。
「これ一枚を羽織ったほうが早い」
 ショウタは警らに従うようにして、そのシャツに腕を通した。
 成人男性の衣類は、ショウタの膝までを覆い隠す。
小さな指先がボタンをソツなく閉めて行くが、それは「ショウタ」と言う呼び声によって遮られた。
 名を呼んだのは、タカシが先であったか、それとも楼主が先であったのか、
いまひとつ判然としないタイミングであった。
 ――ショウタは、迷うことなく楼主を見上げた。
「おいで。どれ、閉じてやろう」
 少々面食らった顔でショウタは楼主を見つめたが、少し気恥ずかしそうに頷いた。
「パパさんよ。アンタにはこの子の名前を呼ぶ権利はないよ。これは今からウチの店のモンだ」
 名を呼ぶ権利はない。それには、二重の意味があったに違いない。
 一つ目は、楼主が述べたように、ショウタはもうこの店に『属している』と言う理由で、
二つ目は『お前の今までの所業のどこにショウタの名を呼ぶ権利がるのだ』という、責めたてるような理由だ。
「アンタがなにを思ってショウタを迎えに来たのか知らんが、この子がギャーギャー叫ぶ間に何も否定しなかったということは、
殆どが事実であるって考えていいと言うことだろ。だったら私は遠慮なくこれを貰う」


477 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:08:03.47R3zx0t5S0 (27/55)

「ショウタ、」
「だから呼ぶなっつってんだろ!
ガキが追い詰められてこんな場所に来るまで放置していたくせになに気安く名前なんざ呼んでんだテメェは!!」
 どすの利いた声がタカシを責め、そしてその脚は容赦なくタカシの腹部を蹴り上げた。
 急に飛んできた蹴りに反応することができず、タカシは痛みに耐えかね体を海老のように丸めて床へと転がった。
 天井から僅かに灯される光の影になって、下からではショウタの顔は碌に見えない。
 だが、シルエットで、ショウタが楼主の後ろに隠れて我関せずを決め込んでいることは確認できた。
「……お前、ここがなにをする場所なのか判っているのか」
 それでも、確めずには居られなかった。ショウタはここがどんな場所であるのか、完全に理解しているのだろうか。
「知ってる。あなたが『あのお兄さん』にしたかったことをさせられる場所だ」
 今まで視線の一切をタカシに向けなかったショウタが、漸くタカシの顔を見た。
 お兄さん? と怪訝そうに楼主が己を盾にしタカシから身を隠す子供を振り向くと、
ショウタは小さく『今日、赤い着物を着てお店の格子に居た人』と小さく説明をした。
「ああ、あいつか。そういえば前になんか言ってたな。変な男に腕を掴まれたって。
なんだ、じゃあショウタ、お前が『父親に忘れられていた子供』か。
アイツはウチの店じゃ三番目に人気の男娼だ。たまたま外に遊びに出ていたら嫌な思いをしたってな」
 『忘れられていた子供』と言う言葉に、ショウタは顔をくしゃりと歪ませたが、
直ぐにそれを隠すように口角を持ち上げた。
「上等だ。いつもそういう顔をしていろ。お前、大福は好きか?」
「? 好き……」
「私の部屋の戸棚にある。それ食ってそいつと待ってな。直ぐに行くから。あとパンツ履け」
 判った、とショウタは素直に頷き、警らに手を引かれて去っていった。
やがて襖は閉じられ、世界は二つに分かたれたのだった。
 横目で世界が割れるのを確認し終えた楼主は、煙草に火をつけ、そして紫煙をタカシに向かって吐き出した。
「あの警らと私の弟なんだわ。
つっても血の繋がりはない。ここじゃ誰が誰の子供かもわかりゃしねぇのが常だが、
アイツと私は一緒に育った。あいつになにかあったら、それなりに心配する。
アンタはどうだ。ショウタはテメェの子供だろ。突き放すなら情けの欠片を与えるような真似をするんじゃない」


478 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:09:37.76R3zx0t5S0 (28/55)

 それで、なんのためにアイツを迎えに来た――?
 己のネクタイを結いなおしながら、楼主は問うた。
 白蝶貝のボタンが、鈍いオレンジ色の光りを反射して光る。
きっちりとアイロンを掛けられたシャツに、シワのないパンツ。この性産業で栄える界隈において、
楼主は不自然なほどに清潔感のある身なりをしていた。口に咥えた煙草を捨て、髪を手櫛で整えれば、
その姿はオフィス街を歩いていてもおかしくはない好青年にさえ見えるだろう。
 こんな場所で。
 こんな汚れた街で。
 現実味がないのは、この街か、それともこんな場所で好青年然としている楼主か。
 楼主がゆらりと動けば、天井からの光りが直接タカシの目に入り込む。
 鈍い光が網膜から入り込み、ズンと脳を突き刺すような気持ちの悪い感覚に、タカシは目を眇めた。
 なんのために迎えに? そう問われても、保身の為に、と言う言葉しか出てはこない。
「体裁を保つためだけってんなら、金輪際ここにこないでやってくれ。
アンタを見るたびにあのガキは腐っていく。アンタ、何のためにショウタを迎えに来た。
アンタとあのガキの親子関係が普通じゃねぇってのは、会話を聞いただけで判る。
要らないってんなら、いっそスッパリ捨ててやれ」
 ショウタはタカシと遺伝的な繋がりがある。タカシの子供であることは間違いがないだろう。
何故そこまで受け入れがたいのかが、タカシ自身にも判らない。


479 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:11:11.04R3zx0t5S0 (29/55)


「……不幸だとは思う……」
 ぽつりと漏れ出た言葉は、残酷な一言だった。
「あの子は、勝手に作られて勝手に産み落とされた。俺が知らない間に、俺の了承なしに俺の妻が作った。
可哀想な子供だとは思う。俺はどうしてもあの子を受け入れることができない。
あの子の祖父は、俺の子供を殺した。俺から……、いや、この話はここでは関係ないな」
 身の上を曝け出し、己がショウタを拒否する理由を述べよとすることは即ち、己の正当性を立証させようとすることだ。
人に聞かせて楽しいとは言いがたい身の上話をしなくてはならないほどに、
タカシのショウタへの扱いは『身勝手』で『手酷いもの』であることの証明なのだ。
「どうしても受け入れがたい。どうしても大事にしてやることができない。どうしても父親になってやれない」
 どうしても、どうしてもショウタを可愛いとは思えなかった。
 どうしても、愛情を抱くことができなかった。
 そうしようと試みるたびに、すさまじい嫌悪感が背中を走り抜けていくのだ。
「可哀想だとは思うし、不幸だとは思う。人の様子を窺う姿が、痛ましいとは思う」
 だが――。
「もうここには来るな」
 楼主が凛とした声で言った。
「ここには、こないでやってくれ。アンタが置かれた立場やアンタが考えていることなんざ、
ショウタには関係ねぇんだよ。
アイツにあるのは、ただ父親に拒否されている事実だけだ。
可哀想だと思うってんなら、金輪際顔は出さないでやってくれ。
お坊ちゃんにはここでの仕事はきつかろうが、アイツの面倒は私が見る。
だからもう、こないでやってくれ。あんな顔をさせないでやってくれ」
 結局、タカシはショウタを受け止めることができないのだ。
 不幸にすることしかできず、父になることもできない。
 ショウタを突き放すだけ突き放して、結局まだ幼いはずの彼に大人びた選択をさせた。
そのくせ中途半端に気にかけ、ショウタに小さな希望を抱かせる。
 いっそ突き放してやるべきなのだ。楼主の言うように、なにもかもをスッパリ忘れさせ、
新しいショウタとして生きていくことを望むべきなのだ。
 にも関わらず、タカシは楼主の懇願に頷くことも返事をすることもできなかった。
「……あの子を、頼みます」
「アンタにそれを言う権利なんざないね。ショウタは望んでここに来た。自分の意思で」
「また、来ます」
「ふざけんなよ。テメェ、人の話を聞いていたのか! 今更父親面すんじゃねぇよ!」
「償いくらいはさせてくれ」
「あ?」
「金は言われただけ用意する。だから店に出さないでやってくれ。それくらいしか、俺にはできない」
「アンタは、夢見の悪い思いをしたくないだけだ。テメェの所為で子供が――、『遺伝上の子供』が
男娼になってなんていう『嫌な思い出を』作りたくないだけだ」
「判っている」
「気にくわねぇな。金で解決しようって考えがまずテメェはおかしい」
 気持ち悪ィ、と楼主は吐き捨てた。
「家が落ちぶれて泣く泣く売られてきたガキの親の方がマシだな。テメェは頭がおかしい」
 どん、と楼主の拳がタカシの胸へと当てられる。
 よろける体に追い討ちを掛けるように、楼主の脚がタカシの腹を蹴り上げた。
「帰ってくれ。あいつはもうウチの店のモンだ。テメェも金輪際うちの店に来るんじゃねぇぞ」
 おい、と楼主は自室の方向を向いて呼びかけると、警らがノソノソと歩いてきた。
「お帰りだ。このパパさんをさっさとこの店から追い出してくれ」


480 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:14:43.12R3zx0t5S0 (30/55)


***

 タカシが花街のあの店から追い出されてはや一週間が経過した。
 ミユキはミユキで、ショウタの所在をしつこく尋ねてきたものの、タカシは頑として答えなかった。
そしてミユキは、一人目星をつけ勝手に赴いた花街で、ひと悶着を起こし、所謂『出入り禁止』を食らい、
彼女は要注意人物として鳥居を潜ることさえできなくなった。
 タカシもタカシで、要注意人物の夫、と言う立場上、そしてあの店からの『出禁』を命じられているため、
鳥居の前でもいい顔をされていないのが現状だ。
 ショウタ、ショウタ、ショウタ。
 ミユキは毎日狂ったように『ショウタが』だとか『ショウタを』だのと叫んでいるが、
アンドロイドもタカシもそ知らぬ顔でやり過ごしていた。
 発狂したかのようにあの子供の名を呼ぶのは狂った母親ただ一人で、
だがそれも子の身を案じているわけではないのだから、
やはりショウタがこの広くも狭い世界でたった一人で立ち尽くしているのは紛れもない事実であった。
「お父さん……」
 パソコンを広げ、通常通り業務をこなすタカシに、シュウが遠慮がちに話しかけた。
 返事を欲しているわけではないことは判っている。
タカシは寄り添うシュウの頭を抱きこみ『大丈夫だ』と中身のない返事をした。
 気が触れたかのような様子のミユキに、シュウは怯えていた。
 怖いものを見て怖いと感じ、そして父親に助けを求める。
 健全な子供らしい反応に、タカシは心底ホッとした。
 この家にはまともな人間が、シュウを除いては一人も居ない。
 タカシも含め、全員が狂っている。
「今日も夜、出掛けちゃうの?」
「ごめんな。ショウタを探さなくちゃいけないんだ」
 そういうと、シュウは僅かに頷いた。
 ――ショウタが居なくなってしまったのは自分の所為に違いない。
 そんなシュウの思い込みを解くのにも丸二日ほどが要された。
 次々と送られてくる『製造機』の異常箇所とその対処、箱庭計画についてのトラブルや、
社内でしか話せない最重要機密について容易くネット回線を通じて相談を持ちかける馬鹿な部下など、
頭の痛い話が多かった。


481 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:17:36.68R3zx0t5S0 (31/55)

 庭から、ミユキの声が聞こえる。
 ショウタ、ショウタ。
 まるで愛しい我が子を探すかのように、あの女はショウタの名を呼び続けている。
 ならば何故ショウタが出奔したあの夜に彼を探しに行かなかったのだろうか。
 ミユキの情緒が徐々に瓦解していっているのをタカシは感じていた。
 発端は、タカシの脳をショウタに移植することは事実上不可能であることをタカシがぶちまけたことに起因する。
ショウタの連れ戻しに失敗し、肩を落として帰宅したその明け方、
タカシは待ち構えていたミユキへと、ショウタがある場所に自ら望んで留まることを決めたこと、
そしてどう足掻いてもタカシがショウタの器に宿ることはないと怒り任せに吐き捨てたのだ。
 考えなしに、その場その場の勢いで行動をするのは、時としてタカシの長所にもなりえたが、
多くの場面では短所となって自分自身を追い詰める破目となった。
 今回も、ミユキの精神が蝕まれるスピードを速めてしまったことは隠しようのない事実だ。
 ミユキは、何を求めてショウタの名を呼ぶのだろうか。
 ほんの少しの情がそこにあるのなら、ショウタを『生かす』取っ掛かりになりえたかもしれないが、
残念ながらミユキの中にあるのは歪な野望を凝縮した妄想だけで、
彼女の中にあの暗い眼をしたショウタ自身は存在しなかった。
 では、ショウタはなんの為に生まれてきたのだろうか。
 贅沢で、しかしどこまでも空虚で、己の『個』が一切尊重されない檻を、ショウタは一人飛び出していった。
 行き着いた先は、痛みや汚れ、そして人権が踏みにじられる可能性が極めて高い、危険極まりない場所だった。
 それでも、ショウタはあの場所を選んでしまったのだ。選ばせてしまったのだ。


482 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:19:43.93R3zx0t5S0 (32/55)


「同じことの繰り返しだな……」
 呟いた言葉に、シュウは首を傾げて見せた。
なんでもない。そういうかのように、シュウの頭を撫でてやる。
 ショウタとシュウの、何が違うというのか。
 結局のところ行き着くのはその疑問であった。
 最早、何ゆえショウタを受け入れがたいと感じているのか、あれほどまでに強固に拒絶した割には、
その頑なな感情がなにに起因していたのかタカシにも判らなくなっていた。
 ただ一つはっきりしているのは、相も変わらずショウタを己の息子として愛情を抱くことは難しい、と言う結論だけだった。
 ならば、親子とは異なる、全く別物の関係ならば築くことができるのだろうか?
 親子でなかったのなら――?
 想像してみたものの、それはいまひとつ現実味を伴わず、なんともしっくりこない。
 ショウタをどうしたいのか、いっそ切り捨ててやったほうがいいのではないか、
この身勝手な二つの思考のはざまを、タカシは行きつ戻りつを繰り返していた。
 ショウタはこの歪みに歪んだ家から逃げたのではない。ここを捨てたのだ。
 遺伝上の両親を厭うのならば、義父のところ――、
ショウタを遠まわしに可愛がる、彼にとっては祖父にあたるあの男だ――、彼のところへ行けばいい。
 人の肉体に値段をつけて売りさばく場よりも幾分もマシなはずだが、
おそらくそう提案をしたところで、ショウタは頑として了承しないだろう。
 ミユキと繋がりのある場所に身を置けば、肉体的な危険が伴うことには変わりない。
移植計画を失い狂ってしまったミユキが、勢いあまってショウタを手に掛けないとも限らないだろう。
まだまだ稚いショウタの体では、女とは言え成人した大人の力にはまともに抵抗することさえ難しく、
屈服させられてしまうであろうことは安易に想像できた。
 愛せはしないが、タカシは彼の命が失われることまでをよしとするほど非道にはなれないのだ。
 それに、ショウタは自分で選んだのだ。自分を守ることを。
 そして何よりも、ショウタ自身が、タカシとミユキの傍に居ることを拒絶しているのだ。


483 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:20:33.92R3zx0t5S0 (33/55)

 ふ、と奇妙な溜息が漏れた。
 ――ミユキのことを笑うことはできない。ショウタのことばかりを考えているのは、タカシもまた同じだ。
 タカシには失った、と言う感覚はなかったが、それでもあの花街の置屋に彼を託してしまってからは、
あの子供のことばかりを考えていた。
 どうするべきか、なにをすべきか、彼をどうしたいのか。
 答えは未だに導き出せず、同じことばかりを考え続けている。
 ならばもっと大人として――、シュウにするようにはできずとも、
当たり障りなく接してやればよかったものの。
 自嘲は浮かんでは消え、時折自身を苛み、
しかしショウタをどうするかの根本的な解決には全く繋がらなかった。
 日が傾き始めている。
 自身の膝にピタリと耳をくっ付け不安を露にしているシュウの額を一度撫でると、
タカシは立ち上がる旨を示した。
 そろそろ支度をしなくてはなるまい。
 タカシは今夜も花街へと赴かなければならないのだ。


484 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:22:25.17R3zx0t5S0 (34/55)

 
***

「馬鹿みたい」
 心底嫌そうに暴言を吐いたのは、姉とソックリなあの男娼だった。
 今夜も店先で帰れと追い立てられそうになったのを、
彼を通常の三倍の金額を支払い一晩買い取ることを条件に入店を許されたのだった。
 不思議なことに、彼への興味は薄れつつあった。
 ショウタの存在を忘れきってまで、彼の腕を掴もうとした記憶は、遠い過去の断片のようである。
「アンタなにがしたいんだよ。わけがわからないね」
 随分と気が強い。タカシが相手だからだろうか、それとも常日頃からこうであるのかは定かでない。
ちびちびと酒を舐めるように飲みながら、男娼はタカシを牽制するように時折睨みつけた。
「店が入店を許しちまったんじゃあ相手をしないわけにはいかない。最悪だ。
アンタみたいに乱暴な男に、死んでも買われたかなかったよ」
 当然と言えば当然であるが、彼の中でタカシの心象は『最悪』であった。
タカシの顔を見るなり奥歯を噛み締め眉間にシワをよせ、挙句『冗談じゃない』と吐き捨てた。
三倍の価格――、決して安くはないそれではあるが、
あの楼主が『たかが三倍』に目がくらんだとは到底思えない。
 ならば何故、男娼にも嫌われ入店さえも拒絶されているタカシが、
こうしてこの場にいることができるのかは不明である。
「――元気にやっているか」
「僕は元気だよ」
 タカシの曖昧模糊とした問いが、己に向けられたものではないと承知した上で、男娼はこう答えている。
「何故俺は入店を許された?」
「知ったこっちゃないね。僕にそんなことを質問されたところで、
答えようがないことくらいアンタだって本当は知っているだろ」
 ただ、と男娼は付け加えた。しかし彼はそこで沈黙すると、意地悪く口角を持ち上げ、
ン、と言いながら掌を意味深に差し出した。
 なるほど、ここからは別料金、と言うことか。 
「電子マネーしか持ち歩いていない。
時代遅れも甚だしいが、この懐中時計なら質に入れればそれなりの値がつくはずだ」
 こんなこともあろうかと懐に仕込んできたそれがやはり役に立った。
そんなことを思いながら、金に輝く懐中時計を差し出した。
鎖国中、こっそりと輸入されたもので、
昨今、国内で好事家の間で出回っている安物とは比べようがないほどに価値の高い品だ。
 少年らしいラインを描く掌がそれを受け取ると、
彼は煙管の煙を吐き出しながら「懐中時計なんざ初めて見た」と物珍しそうに言った。


485 ◆OfJ9ogrNko2016/04/18(月) 22:25:04.63R3zx0t5S0 (35/55)

「――なんで一度捨てた子供にそんなに必死になるかね――、あの子、ちょっと体調を崩している」
 曰く、店に出ることもなく、『親父様』の丁稚として傍に置かれたショウタは、
男娼や娼婦の妬みの対象となっているらしい。
 ショウタが楼主に特別極端に目を掛けられている様子はないものの、
それでも『入店』した立場のくせに、楼主の丁稚として常に傍に置かれ、楼主と共に生活し、
楼主の部屋で寝起きするショウタを、楼主の『イロ』として認識しているものは多いようだ。
イロであるショウタに大っぴらな嫌がらせをする者は少ないが、
しかし細々とした、非常に嫌なお使いを頼んだりするのだという。
「それが原因なのか、それともこの間あの子の為に用意された汁物に下剤でも入れられたのか。
よくわかんないけど、ここ二、三日は臥せっているみたいだね。おやじさまが医師を呼んでいた」
 熱もあるみたいだ、と少年は言う。
「僕は親父様に特別に可愛がられているから――、
あ、変な意味じゃないぜ。売れっ子男娼だからだ。
時々こっそりと菓子を貰ったりすんだけど……、あの人あんなんだけど、結構甘いんだ」
 少年は時折自身の自慢を交えて話すものだから、肝心のショウタの話へはなかなか行き着かない。
しかしそこで不平を述べようものなら、この気まぐれな子供が途端に臍を曲げないとも限らないのだ。
手放してしまった懐中時計になんの未練もなかったが、
果たしてその価値に見合うだけの情報が引き出せるかどうか、などと、
長々と続く比較的無益な話に静かに耳を傾けつつ、タカシはそんな打算的なことを考えていた。
「ほかの男娼や娼婦は親父様の部屋に近づいちゃいけないってのは暗黙の了解なんだけど、
僕レベルになれば部屋に居座ることくらいはできるってわけ。
そんであの子……、名前はなんていったっけ、ケンタだっけ? あ? ショウタ?
そうだった、ショウタだ。ここ数日は、ずっと布団の中。親父様の布団でずっと寝てる。
相当に体調が悪いのかもね。寝ている顔が真っ白なんだ。え? だから原因なんて判んないって。
親父様もショウタがどうして寝ているかなんて僕に話さないし、まぁ話す必要もないか。
問題は親父様の部屋に布団が一人分しか用意されてないってことだよね。
噂って勝手に広がるものだろ。あれは、『寝ちゃってる』かもしれないね。
意味判るだろ、親父様の『イロ』だってのは本当かもね、って話だよ」
 安酒を舐めるようにちびちびと飲みながら、しかし酔いが回ってきたのか、
少年は一気に、捲くし立てるように、ショウタの現状を洗いざらい吐き出した。