496 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:29:45.96HlOwBM/To (23/43)


一夏「ジョギングか、それも良いな。よし、行くか」

箒「そうか! 行くか、私とジョギングに行くか……そうかそうか」

 今はそれで良いと、箒は照れながらも笑顔を浮かべた。

岡部「何処へなりとも行って来るが良い……」

 端から見ていた岡部は溜息を吐きながらそれを見送った。
 どこからどう見ても付き合いたてのカップルに見える。

箒「では、行ってくる! ちゃんと柔軟を続けるのだぞ」

一夏「じゃぁちょっと流してくるよ。またな」

 二人は剣道場を後にして走って行ってしまった。
 剣道場に一人取り残される岡部。

 いっそこのまま帰ってしまおうかとさえ思ったが、その要望は却下して柔軟に勤しんだ。

岡部「これも、俺を考えてのことなのだろう。我慢せねばなるまいな……」

 ゆっくり、ゆっくりと全身くまなく伸ばしていく。
 岡部は二人が帰ってくるまで、2時間近く柔軟をするはめになった。
 


497 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:30:20.61HlOwBM/To (24/43)



……。
…………。
……………… 

 


498 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:30:54.05HlOwBM/To (25/43)



 ─食堂─



紅莉栖「あんた、何むくれてるのよ」

 紅莉栖が朝食のチーズトーストを齧りながら機嫌の悪そうな岡部に訪ねた。
 ちなみに岡部はたぬき蕎麦を注文して食べている。

岡部「むくれてなど居ない。どこぞのバカップルが俺を放って2時間近くジョギングをしてきたみたいでな。
   一人でずっと柔軟をしていたため少々疲れているだけだ」

 ずるずると蕎麦をすする音が悲しげに響く。

鈴音「……バカップル? ちょっとどう言うことよ」

 気になるワードをキャッチしたのは、鈴音だけではなかった。
 今朝の岡部教育担当者は箒である。

 岡部の発言から導き出される答えは──。
 


499 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:31:23.19HlOwBM/To (26/43)


シャル「うん。何か今気になる台詞がオカリンから出たね?」

セシリア「私も、何かが引っかかりましたわ」

ラウラ「この学園で男は2人しかいない。倫太郎と、一夏だ。つまり……」

鈴音「どういうことよ……」

 最初から答えが出ている問題に対して遠回りすることで、標的である一夏を攻めている。
 そしらぬ顔できつねうどんをすすっていた一夏がむせた。

一夏「ごふっ! ごふぉっ……」

箒「だっ、大丈夫か? 七味を入れすぎたんじゃないか?」

 ハンカチを取り出し甲斐甲斐しく世話を焼く箒。
 傍目から見ても距離が縮まっているように見える。
 


500 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:31:49.85HlOwBM/To (27/43)


シャル「んー、白々しいなぁ」

セシリア「全くですわ」

ラウラ「正直に白状しろ」

鈴音「言いなさいよ、2時間も何してたのよ」

紅莉栖「(またこのパターンですね解ります。一夏って学習能力無いのかしら……)」

 我関せずとそっぽを向く。
 コーンスープの出来が驚くほど高いことに驚いていた。

一夏「ちょ、何で皆怒ってるんだよ」

鈴音「良いから言いなさいよ、早く言いなさいよ」

セシリア「軽蔑しますわ……」

シャル「オカリンを放置して、2時間もなにしてたのかな?」

ラウラ「さぁ言え!」

 語気強く言い寄る。
 どうしても一夏の口から白状させたい乙女達。 
 


501 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:32:19.65HlOwBM/To (28/43)


一夏「箒も黙ってないで何か言ってくれよ!」

箒「んんっ。岡部が柔軟している間に、ジョギングに行っただけだ……」

 パクパクと焼鮭定食を食べながら箒が答えた。
 塩梅が良く、ご飯が進む定番の一品である。

鈴音「へー朝から2時間もねー……」

一夏「箒がトラックを周回する毎に“もう1周だ”なんて言い続けてたからな……ほんと、地獄だったよ」

 良く見れば一夏の顔には疲弊が見て取れた。
 本当に体力の限界まで走らされていたことがわかる。

シャル「へー、箒も朝から頑張ったんだねぇ」

セシリア「精が出てますこと……」

ラウラ「それで、のこのこと付いて行き2時間も一緒に走り続けていたのか」

 けれど、そんなことは関係ないとばかりに鋭い視線を突き刺す。
 “2人きり”で2時間もジョギング。これはデートにも匹敵する羨ましい情景だった。
 


502 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:32:53.80HlOwBM/To (29/43)


一夏「お、おう。凶真には悪い事したって思ってるよ……」

箒「そう……だな。確かに、自分達の鍛錬を優先するあまり放置してしまった。岡部、すまない」

 2人揃って頭を下げる。
 箒自身、浮かれてしまって申し訳無いと心の底から思っていた。

岡部「2時間走り続けさせられるよりはマシだろう。俺は気にしていない」

 正直な感想。
 2時間も走らされては初日で潰されてしまう。

 それが回避出来たと思えば御の字と言えた。

紅莉栖「2時間一緒に走れば良かったのに」

岡部「普通の人間は2時間も走れるように出来ていない」

 紅莉栖の野次にピシャリと突っ込みを入れる。
 しかし、この突っ込みが良くなかったと思い至るのは数秒後であった。
 


503 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:33:24.69HlOwBM/To (30/43)


箒「む。岡部は2時間走り続けることが出来ないのか?」

岡部「何を寝ぼけた事を……普通の人間が2時間も走りつ……」

 気付いた時にはすでに遅かった。

箒「そうか。ならば午後の鍛錬はマラソンにしよう。良い機会だ。
  一夏、我々もこれを機にさらに鍛えなおすぞ。長距離マラソンだ」

一夏「えっ……あっ、いや。箒さん? 剣術とか教えた方が良いんじゃないのかな?」

 これにはさすがの一夏も動揺を隠せない。
 普段から鍛えているとは言え、早朝からあれだけの時間走った後で午後も。

 と考えるのは辛い。
 そんな思考を読み取ったのか、周囲の女子連中の瞳がイヤらしく輝いた。
 


504 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:33:51.60HlOwBM/To (31/43)


鈴音「へー良かったわね、一夏。あんたマラソン好きだったわよね?」

セシリア「確か、フルマラソンに挑戦するのが夢だとも仰ってたような?」

シャル「そうそう、2時間も箒と走り続けちゃう位にね?」

ラウラ「夢が叶って良かったな、一夏」

 流れるように決まっていくスケジュール。
 この学園に来てからと言うもの、岡部に“選択”と“自由”の二文字はなかった。

紅莉栖「(凄まじい流れね……岡部、ドンマイ)」

一夏「ちょ、俺はそんなことは一言も──」

箒「そうか! 一夏はランニングが好きか! そうか、そうか。
  うむ、私も……嫌いじゃないぞ? ランニングは良いな、うん」

 一人で盛り上がる箒と嫉妬の炎に焼かれた4人娘に天罰を与えられた一夏。
 そのとばっちりを食らうはめになった岡部は溜息を吐き、食事を終了した。

 紅莉栖はトーストとスープを飲み終わり食後のカフェラテを優雅に楽しんでいた。

紅莉栖「(巻き込まれちゃ、たまったもんじゃないからね)」

箒「ふふっ。放課後も鍛えてやるからな!」

 輝く箒の瞳。
 標的とされた一夏……の隣に居る岡部は不憫としか投げかける言葉が存在しなかった。
 


505 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:34:17.53HlOwBM/To (32/43)



……。
…………。
……………… 

 


506 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:34:52.23HlOwBM/To (33/43)



 ──ハァ。ハァッ。

 喉が焼けるように熱い、痛い。

 汗が滴り、目に入る。視界すら歪んでいく。

 ──ハッハッ。ウッ……。

 内臓が全て口から出てしまいそうだ。

 気持ち悪い。

 一体、俺はなにを……。

 足がやたらに重い。両腕を支える力が出ない。

 自分の身体が自分の思い通りに動かない。

 ──かべっ? かべー?

 耳の奥が痛い。もう、なにも聞こえない。

 ああ、これだけ走ったのはいつぶりだろう。

 ──まっ! まっ!

 あれ……? 歪んでいた景色が反転する。

 


507 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:35:18.74HlOwBM/To (34/43)


 
 ──。

 ────。

 ──────。
 
 


508 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:35:45.06HlOwBM/To (35/43)

 

 気付いた時、岡部は自室の天井を見上げる形でベッドに寝転んでいた。
 身体中の筋肉と言う筋肉が悲鳴をあげている。

 動くたびに激痛が走り、関節が軋んだ。

岡部「ぐぉぉぉっ……! なん、だ、この痛み……は」

紅莉栖「あ、岡部起きた」

一夏「お、気分はどうだ?」

 首だけを動かし現状を確認する。場所は寮の自室。
 部屋は一夏と紅莉栖がいる。

岡部「……最高に最悪だ」

紅莉栖「それは何より」

 ベッドの横では紅莉栖が分厚い参考書を読んでいた。
 


509 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:36:11.55HlOwBM/To (36/43)

 
岡部「何故、助手がここに」

紅莉栖「マラソンの最中にぶっ倒れるから付き添ってやったんだろうが」

一夏「俺も付き添ってやりたかったんだけど、完走するまで許してくれなくってさ。紅莉栖に頼んだんだよ」

 そう言った一夏の顔は疲れきっていた。
 一体何時間走らされたのか、想像するだけで吐き気を催す。

岡部「そうか……」

紅莉栖「感謝しろよ、まったく」

岡部「いぎっ……全身が痛い」

 全身が激痛と言う鎧に包まれているようで、満足に寝返りも打てない。
 これだけの筋肉痛を発祥したのは記憶を遡るのも難しかった。

楯無「そんな時はマッサージよ♪」

岡部「……何故貴様が居る。どこから出てきた」

 先ほどまでは確かにいなかった。
 部屋を見回した時、岡部の視界には一夏と紅莉栖しかいなかったはずである。
 


510 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:36:37.72HlOwBM/To (37/43)


楯無「あん。あんまり邪険にすると拗ねちゃうわよ?」

一夏「お願いですから、存在消して近寄らないで下さい。心臓に悪いです」

 答えを用意してくれたのは一夏だった。
 楯無はこうして気配を消して人の輪に入る癖がある。

楯無「心臓に悪いおねーさん。何かえっちな響きだと思わない?」

一夏「思いません」

 きっぱりと否定しておく。
 ここで肯定やうやむやな態度を取ると後々に必ずよくないことがある。

 はぁ、と溜息を付いて一夏が続けた。

一夏「あの、凶真も疲れてるみたいなんでこれから遊ぶのはちょっと……」

楯無「遊ぶって失礼ね、一夏くんは。おねーさんは岡部君の身体をリフレッシュさせに来たのに」

紅莉栖「カカカッ、身体をりふれっす!?」

 この言葉に一番の動揺を見せたのは紅莉栖であった。
 天才少女は脳の回転の速さ故、稀にあらぬ方向へ物事を考えてしまう癖がある。
 


511 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:37:04.27HlOwBM/To (38/43)


楯無「うふ。クリちゃんのえっち」

紅莉栖「~~っ!! ちがっ、ちが!」

 顔を真っ赤にして首を横に振るう。
 楯無の言葉に反応してしまった自身の脳が恨めしかった。

楯無「一夏くん、倫ちゃんにマッサージしてあげて頂戴」

一夏「マッサージですか? 良いですけど……」

楯無「筋肉のこりを徹底的にほぐしてね? それとこの薬を」

 楯無が一夏に薬を手渡す。
 どうやら軟膏のようで、肌に直接塗って浸透させる類の物らしい。
 


512 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:37:58.90HlOwBM/To (39/43)


一夏「これは……?」

楯無「特別に調合した、筋肉痛を取るお薬よ。
   それをマッサージしながら倫ちゃんの肉体に余すことなく塗りたくれば、明日にはスッと痛みなんて消えちゃうんだから♪」

一夏「へぇ、楯無さんが言うならかなり効果ありそうだな。よっし凶真。塗るぜ?」

 薬を受け取り一夏が笑う。
 こう言った時の楯無は、本当の意味で頼りになるお姉さんだと一夏は認識している。

岡部「本当に大丈夫なのか? 怪しい薬では……」

楯無「ほらほら、おねーさんの言うことは信じる。会長の命令は聞く。これ常識だからね?」

紅莉栖「随分狭い常識であられる……」

 冷静を取り戻した紅莉栖が突っ込む。
 しかし楯無は笑顔のままマッサージの施術命令を下した。
 


513 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:38:28.60HlOwBM/To (40/43)


楯無「さぁぁ、一夏くん! 倫ちゃんの衣服をひっぺがしてちょーだいっ!」

一夏「うっす。凶真、脱がせるからな」

岡部「う、うむ……」

 筋肉痛で動きの取れない岡部の衣服を剥いで行く一夏。
 その情景を目にした紅莉栖は、自身の脈拍が上昇したことに気付いていた。

紅莉栖「(え、なんだろう……この気持ち)」

楯無「(クリちゃんは、きっと言葉では言い表せない“ときめき”みたいなものを感じてくれたと思う。
    殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい。そう思って私はお薬を持ってきました)」

 紅莉栖にしか聞こえない音量で耳打ちをする。
 両手で顔を隠した紅莉栖であったが、指の隙間からしっかりとその光景を見つめていた。
 


514 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:38:54.92HlOwBM/To (41/43)


楯無「(うーん。これなら生徒会で催し物として出せるレベルね)」

 男子成分が欠落しているIS学園。
 たった2人の男子が半裸で絡み合っているのだから、女子の反応は想像するまでもない。

一夏「どうだ、凶真。気持ち良いか?」

 うつ伏せのまま、薬を浸透させるために強く揉み込む。
 女子の身体と違って岡部の身体はゴツゴツとしたもので、自然と腕に力が入る。

岡部「あ、あぁ……なんだかスーッとしてきた。これは、良い薬なのかもしれん。
   感謝せねばな……。それにしても、ワンサマーはマッサージが上手いな……」

一夏「楯無さんはあれでかなり良い人だからさ、きっとコレも良い薬だよ。
   マッサージは……うん、色々あって慣れててさ」

 ぐっぐっ、と岡部の身体のはりを確かめながら入念にほぐしていく。
 岡部の表情は蕩けていて、何時の間にか眠ってしまった。
 


515 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:39:21.65HlOwBM/To (42/43)


岡部「……ぐぅ」

一夏「寝ちまった。よっぽど疲れてたんだな……」

楯無「よーーーっぽど、気持ちよかったのね♪」

 岡部はそのまま深い眠りに落ち、起きる気配を見せなかった。
 
紅莉栖「……」

楯無「クリちゃん」

紅莉栖「はい」

楯無「鼻血でてる」

紅莉栖「……はい」

 その後、一夏による岡部へのオイルマッサージ動画は学園内で高額、または重大な取引への切り札として用いられることになる。
 提供者は更織楯無だが、高度な画像処置(高画質化)を紅莉栖が施した事を知る者は居なかった。
 


516 ◆3R1.cwV0LI2012/09/30(日) 13:40:39.57HlOwBM/To (43/43)

おわーり。
ありがとうございました。


誤字脱字等のご指摘ありがとうございます。
SS速報で修正を施すことは出来ませんが、pixivの方で指摘された部分を修正しています。
 


517VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/09/30(日) 17:22:22.375gpgsUMHo (1/1)

ダメだこの助手、早くなんとかしないと


518VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/09/30(日) 18:28:51.89cuT3KReko (2/2)

おつです

制服絵の回答ありがとうございますm(__)m
初見ではないのでさっそく見てきます


519 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:25:32.30G4MJ47cHo (1/42)

投稿します。


520 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:26:46.32G4MJ47cHo (2/42)

>>515  つづき。


 不快だ。
 頬を伝う汗も、服に染み込み肌に密着する服も。

 なにもかもが不快だ。

「くそっ。2人とも涼しい顔で走りおって……」

 走り始めて30分ほどが経過していた。
 最初は並走してくれていた2人も、余りにペースが違うので先に行って貰っている。

 既に周回遅れにもされていた。

「ハァ、ハァ……」

 くそっ。喉が渇く。
 昭和の運動部じゃないんだ、水分をこまめに摂取しないとどうなっても知らんぞ。
 


521 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:27:27.04G4MJ47cHo (3/42)


「あー……」

 腹が……痛い。
 走れば走るほど痛い。

 限界が近づいてるのが自分でもわかる。
 2人は未だに涼しい顔をして……いや、ワンサマーも辛そうだ。

「ぜひっ、ぜひっ……」

 前が見れない。
 視界に入るのは、地面と自身の両足だけ。

 つらい、くるしい、だめだ。
 足が動かな──。
 


522 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:27:54.70G4MJ47cHo (4/42)

 
岡部「──ッッ!!」

 深夜3時。
 ベッドから跳ね起きるように、岡部倫太郎は目を覚ました。
 ゴクッ、と喉が鳴る。

岡部「……あぁ、そうか。マラソンをして……ワンサマーにマッサージをして貰っている最中に寝てしまったのか」

 視線を隣のベッドへ見遣ると、ルームメイトである織斑一夏がスースーと寝息を立てている。
 岡部は再び身体をベッドに寝かせた。

岡部「……身体が痛くない。マッサージと薬の効果だろうか」

 即効性を見に染みて実感する。
 マッサージをしてくれた一夏と、薬をくれた楯無に感謝の気持ちが募った。
 


523 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:28:43.84G4MJ47cHo (5/42)


岡部「……明日、いや……後数時間後か。今日は一体何をさせられるのか……」

 不安と恐怖の中、岡部は再び眠りについた。
 この日、朝の5時になっても部屋のノックが鳴る事は無かった。

一夏「凶真、凶真」

岡部「うぅむ……ッッ! 何だ! どうした! 走るのか!?」

 深い眠りから一気に覚醒する。
 一夏に起こされてた岡部は、過剰に反応して飛び起きた。
 


524 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:29:10.21G4MJ47cHo (6/42)


一夏「ははは、違うよ。朝飯食いに行こうぜ」

岡部「……鍛錬ではないのか?」

一夏「うーん、今日は誰も起こしに来なかったな。それより、身体の調子はどうだ?」

岡部「う、うむ。お陰で筋肉痛は殆ど無い。マッサージのお陰だろうな、感謝する」

 体を伸ばして痛みを確かめるが、どこにも痛みは見当たらない。
 ついでに屈伸運動をしてみると明らかに身体が柔らかくなっているのが実感できた。

岡部「(まだまだ一般人以下……だがな)」

 たった一日。けれどその一日は確実に岡部の身に付いていた。

一夏「そっか、なら良かった。着替えて食堂に行こう」

 頷き寝巻きから制服へと着替えを済ませる。
 IS学園の制服に袖を通すのも次第に慣れてきていた。
 


525 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:29:43.84G4MJ47cHo (7/42)



……。
…………。
……………… 

 


526 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:30:12.93G4MJ47cHo (8/42)



 ─食堂─


 食堂へ到着すると自然に何時もの面子が集まった。
 「専用機持ちばかりずるい」と言う他の女子達の痛々しい視線は全て無視する。

 この視線に構っていたらキリが無い。
 学園に男子は2人しか居ない。であれば、誰も彼もが2人に興味を持つのが自然。

 けれど、誰も彼もが2人に接触出来る訳ではない。
 専用機持ちである彼らへ容易に話しかけられる度胸も、権利も、一般の女子生徒は持ち合わせていなかった。

一夏「そう言えば今日は誰が凶真の訓練をするんだ?」

 一夏の朝食は、たぬき蕎麦だった。
 昨日、岡部が食べているのを見てそれを食べたくなり、お稲荷さんとのセットで注文している。
 
 箒が作ったお稲荷さん程ではないが、食堂のお稲荷さんも一夏のお気に入りである。
 甘いタレがお揚げに染みていて食が進む一品だった。
 


527 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:30:40.01G4MJ47cHo (9/42)


鈴音「私よ」

 鈴音が中華風のお粥を食べながらそう答えた。

鈴音「本当は朝からやりたかったんだけど、生徒会長から今朝は簡便してあげてって言われてね」

 と、言いつつも鈴音は朝から特訓をするつもりは最初からなかった。
 岡部がランニング中に倒れた事は耳にしている。

 であれば、さらに肉体を虐めるよりも休養を重視した方が効率が良い。
 そう判断していた。

一夏「だから来なかったのか、楯無さんも良いところあるよなー」

岡部「正直、助かったな……」

 食欲が沸かないのか、岡部は野菜サンドを少しだけ齧って手を止めていた。
 


528 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:31:08.79G4MJ47cHo (10/42)


箒「朝はしっかり食べないと、もたないぞ」

 そう言った箒は朝定食、大盛りご飯にアジの開き。お味噌汁にお新香と海苔のついたオーソドックスなものだった。
 見るからに日本の朝食である。

 そのボリュームは見るだけで岡部の食欲を喪失させていた。

ラウラ「食事は全ての基本だ。お前はただでさえ線が細い、もっと食え」

シャル「まぁまぁ、慣れない運動で疲れちゃってるんだよ。はい、オカリン。暖かいミルクだよ、せめて飲み物だけでもね?」

 シャルロットはミートスパゲティを巻くフォークの動きを止め、ぬるめのホットミルクを岡部に差し出した。

岡部「あ、あぁ……済まない」

ラウラ「シャルロットは誰にでも甘すぎる」

 ザグッ! とフォークをシュニッツェルに突き刺しラウラが言った。
 岡部は「朝から揚げ物とは、胃が痛む光景だな」と目を伏せる。
 


529 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:31:47.26G4MJ47cHo (11/42)


セシリア「聞きましたわよ。昨日、ランニング中に倒れたんですって?」 

紅莉栖「もやしっ子ですから……」

 セシリアはクリームシチューを。
 紅理栖は朝からラーメンを食べていた。

一夏「凶真。無理にでも食っておいた方が良いぜ。今日は千冬姉のIS実技授業があるからさ」

岡部「……そう、だな」

 野菜サンドを無理やり口に詰め込み、ミルクで流し込む。
 美味くも何ともなく、栄養補給をするためだけの、何とも救われない味気ない食事だった。

ラウラ「倫太郎」

 ドン。と、大きめの缶をテーブルの上に置いた。
 表記には“プロテイン”と書いてある。
 


530 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:32:14.86G4MJ47cHo (12/42)


ラウラ「これからは、コレを毎日飲め」

一夏「これって、プロテインか?」

ラウラ「あぁそうだ。一夏は得に必要無いがな、このもやし男には必要だろう」

岡部「なぜそこまでしてくれるんだ……?」

 プロテインとは言え無料ではない。
 出会ったばかりの人間にそこまで義理立てをする理由。

 それが思い浮かばなかった。

ラウラ「決まっている。少しでも強化された体で私の番に回ってこなくてはな」


 ──死んでしまうだろう。


 ドイツの冷氷、ラウラ・ボーデヴィッヒの目は本気だった。
 


531 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:32:41.33G4MJ47cHo (13/42)


ラウラ「私も教官のように、新兵を育てられる人間になりたいと常々思っていたところだ。
    一夏は最初から身体が出来ていたからな。倫太郎、貴様は手を焼かせてくれそうで何よりだ」

 基本的にラウラは冗談を吐かない。
 全て本音だった。

一夏「は、ははは……良かったな、凶真」

紅莉栖「身体を鍛える鍛錬に耐える、死なない体を作る為に、鍛えるのか。鶏が先か卵が先かってヤツね」

 ふうむ、と考え込む紅莉栖。
 岡部からしたら全くもって面白くない議題である。 

岡部「一瞬でも感謝しそうになった、自分のなんと愚かしい事か……」

 そう言いながらも残ったミルクにプロテインパウダーを混ぜいれソレを飲み干した。
 無理やりヨーグルト味を付けられたそれは美味いはずがない。
 


532 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:33:08.06G4MJ47cHo (14/42)


岡部「鬼軍曹殿に目を着けられては堪らんからな……」

ラウラ「ふん。素直な新兵(ルーキー)は嫌いではない」

 ニヤリと笑うラウラ。
 岡部もそれに答え、弱々しくも笑顔を見せた。

一夏「凶真とラウラもすっかり仲良くなったみたいだな」

紅莉栖「(やっぱり一夏ってどっか抜けてるんじゃないかしら……)」

 そんな感想を持ったが、口にしないのが華だろう黙って食事を進める。
 今日も賑やかな朝食だった。
 


533 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:33:33.73G4MJ47cHo (15/42)



……。
…………。
……………… 

 


534 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:33:59.99G4MJ47cHo (16/42)



 ─第3アリーナ─


千冬「本日は機体制御の訓練をする。今年中には回避運動と射撃運動を同時に出来るようになれ。
   ボーディヴィッヒ、見本を見せろ。空中で逆さになり一旦完全停止。その後、その体勢のまま急上昇及び急降下」

ラウラ「了解」

 千冬の命令に短く応答する。
 次の瞬間には、右腿の黒いレッグバンドが光りIS“シュヴァルツェア・レーゲン”を展開していた。

紅莉栖「あれが、ドイツの第3世代型か」

千冬「こと機体制御に置いてはお粗末な者が多い。
   コレが上手くならずにIS操縦が上達するとは思うな。ボーデヴィッヒ、やれ」

 こくん、と頷きラウラの駆る“シュヴァルツェア・レーゲン”が飛翔した。
 地上3m付近で一時停止、そのまま180℃機体を回転させ逆さま状態に。
 


535 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:34:26.04G4MJ47cHo (17/42)


千冬「そのままその状態を維持。ISでの戦闘は360℃全方位で行われる。地上のみが自分の下にあると思うな」

 千冬のレクチャーが続く。

千冬「空中での静止すらままならぬ者も居る。逆さ状態での静止は勿論それ以上に高度な機体制御を強いられるから良く見て参考にしろ」

 全生徒の視線がラウラに集まる。
 その視線を感じ取ってか、少しだけラウラの両頬が赤く染まった。

千冬「5秒後にその体勢のまま急上昇。──5・4・3・2・1……飛べ」

 千冬のカウントダウンと同時に一気に上空へと飛翔する。
 機体は少々のぶれを生じさせながらも、その体勢のまま急上昇した。

 生徒達が「おー」と声を漏らす。
 1年生にしてこの機体制御はやはり図抜けていた。
 


536 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:34:55.37G4MJ47cHo (18/42)


千冬「よし、そのまま今度は急降下。地上30センチまで」

ラウラ『了解』

 一気に加速し急降下する。
 猛スピードで黒い点のようだった“シュヴァルツェア・レーゲン”が地面へと迫り寄った。

 地上すれすれの30センチ付近で停止する。
 風圧で砂埃が大量に舞った。

千冬「よし、流石だボーデヴィッヒ。問題ない」

ラウラ「ありがとうございます」

千冬「これより実地に入る。まずは逆さ状態での姿勢維持を5分出来るようにしろ」

 千冬の掛け声と共に生徒が各々に実地を開始した。
 多数の生徒が専用機持ちである者へアドバイスを求めに走る。

 特に人気だったのは……。
 


537 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:35:21.50G4MJ47cHo (19/42)


女生徒「織斑君! お願いします!」

女生徒「第一印象から決めてました!」

女生徒「優しく、時には厳しく教えて下さい!」

 当然のように一夏の元へと女子が集まった。
 専用機を持たない女子からすれば、この時こそが織斑一夏と接触できる唯一のチャンスと言える。

一夏「参ったな……凶真を見てやりたかったんだけど……」

セシリア「その心配なら必要なさそうですわ」

シャル「……ちょっと、びっくりしちゃった」

 心配をする一夏の横へセシリアとシャルロットが近づく。
 あっちを見て、と視線を移させた。
 


538 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:35:54.51G4MJ47cHo (20/42)


女生徒「篠ノ之さん、これってどういう感覚でやれば良いんだろ?」

箒「あぁ、それは──」

女生徒「ラウラちゃん、さっき凄かったねー」

ラウラ「あっ、あの程度軍人であればどうと言うことは──」

 セシリアとシャルロットの視線の先。
 箒とラウラが多数の女生徒にアドバイスをしてるさらに奥。

 アリーナの端の方で紅莉栖の見守る中、機体制御を行っている“石鍵”の姿があった。

一夏「えっ、マジかよ……」

シャル「完璧だよ。逆さ状態で完全に静止してる」

セシリア「一体どう言うことですの?」

 専用機持ちの目からしても、岡部の機体制御は問題無い。
 それどころか完璧と言えるほど綺麗に空中停止していた。
 


539 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:36:22.25G4MJ47cHo (21/42)


紅莉栖『ちょっと、なんでそんな簡単に出来るのよ? 結構難しいはずなんだけど』

岡部『その事なんだがクリスティーナよ。俺が読んだ参考書と操作が全く違うのだ』

紅莉栖『どう言うこと? あっ、ちょっと待って、オープンチャネルは良く無いかも。し、OK. 何が違うって?』

 プライベートチャネルに切り替え、紅莉栖がコンソールから話しかけた。

岡部『機体制御……マニュアル制御だとかオート制御だとかそう言ったものが無い。動きたいように、動く』

 ずっと疑問に思っていたことを口にする。
 初期起動の際は戦闘だったため、動けば良いと思いそのまま動かしていた。

 けれど、今になってその疑問は大きく膨らみ首を傾げる事態を作っている。
 


540 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:36:48.79G4MJ47cHo (22/42)

 
紅莉栖『はぁ……?』

岡部『はぁ……? ではない! まるで自分の身体のように動かす事が出来る』

紅莉栖『ちょっとちょっと、ちょっと待ってね。えーっと……』

 紅理栖は頭を抱えた。
 つまり“石鍵”は岡部と完全に同期していて、操縦と言うよりも一体化してる。

 考えられる要因はそれしかない。

紅莉栖『つまり、岡部には難しい制御動作操縦と言う概念が無いってこと?』

岡部『そうなるな……イメージ通りに機体が動く。
   ただこの間、ワンサマーと戦った時もそうなのだが俺自身の反応がハイパーセンサーで感知する世界に付いていけない』

紅莉栖『それは仕方が無い。岡部自身のスペックなんてそんなもんよ』

岡部『くっ、はっきり言ってくれる……』

紅莉栖『事実だからな。うんと、一応、そのまま急上昇急下降やってみてよ』

岡部『了解した、やってみよう』

 そう答えた直後“石鍵”は一切のブレを見せず急上昇を行った。
 ラウラですら急上昇の際は多少のブレを見せたと言うのに、それが見受けられない。
 


541 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:37:15.43G4MJ47cHo (23/42)


紅莉栖『マジか……」

 そして急降下。
 “石鍵”は地面スレスレの3センチで完全停止した。

 風圧や衝撃も一切発生せず、完璧な機体制御を紅莉栖の眼前で容易に行った。

紅莉栖『(凄い……)』

 思わず声が漏れそうになる。
 岡部が行った技術は代表候補生を凌ぐ、国家代表クラスに匹敵するものだった。

岡部『そ……ろそろ、姿勢を戻しても良いだろうか。視界が上下逆で気持ち……悪い……』

紅莉栖『なんという……』

 なんというスペックの無駄遣い。と、紅莉栖は続ける。
 岡部の三半規管は視界の切り替えに弱く、直ぐに気分が悪化した。
 


542 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:37:41.78G4MJ47cHo (24/42)


岡部『お……うぷ……』

紅莉栖『操縦者の視界は常にクリアになってるはずなんだけど……。
    クリアになってても、岡部自身の三半規管の弱さとはなんら関係無いから……なんと言う宝の持ち腐れ』

 そんな光景を遠目で千冬が眺めていた。

千冬「(異常なまでの機体制御だな……ISの性能なのか、岡部自身によるものなのか……)」

 完全に“石鍵”の性能によるものだが、端から見れば岡部の操縦術が長けているように見える。
 こうして勘違いする人間は連鎖的に増えていった。

女生徒「ねぇ見てた!? 今の岡部君見てた!?」

女生徒「何あれ凄いよ!! ビタッ! って、空中でビタッ! って!」

女生徒「私、織斑派から岡部派に行くわ」

 このパフォーマンスで一気に女子の心を鷲掴みにする。
 アリーナの端で細々とやっていたとは言え、そのインパクトは絶大だった。
 


543 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:38:17.02G4MJ47cHo (25/42)


一夏「凄いな……」

シャル「うん。僕やラウラより、機体制御の腕は上だろうね」

 言い切るシャルロット。
 自身ですら、あそこまで綺麗な空中での急停止は行えないと断言できる。

セシリア「やはり、侮れませんわね……」

箒「一夏、どういう事だ」

ラウラ「何があった?」

 騒ぎを聞きつけ、箒とラウラが三人の元へ駆け寄ってきた。

一夏「凶真の機体制御が半端じゃないんだ」
 


544 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:38:44.12G4MJ47cHo (26/42)


シャル「ラウラ、僕達よりも上手いよ」

ラウラ「なに……?」

箒「機体制御なぞ、簡単に出来るものじゃ……」

セシリア「それが、出来ているんですの」

 おろおろと嘔吐感を催す岡部に対し、その評価は望まぬ方向へぐんぐんと伸びていく。
 この日、織斑一夏ファン倶楽部から岡部倫太郎ファン倶楽部へと鞍替えする者が多数出た。

 非公式ながらもこの2つのファン倶楽部には、かなりの女生徒が参加している。
 ある女性徒達曰く、

女生徒「一夏君の周りには専用機持ちが居て競争率ヤバイ。けど、岡部君は牧瀬さんだけでしょう? 行ける! 若さで勝負!」

女生徒「紅莉栖さんは美人だけど、若さなら負けないわ! あと胸の大きさも!」

女生徒「身長何気に高いし……カッコイイと思う!」

 こうして一夏同様に、岡部もこの学園のアイドルとして着実に名前が馳せて行くことになる。
 その日の昼食は少しばかり大変だった。

 岡部は元より少しばかりの食欲不振になっていたが、授業中の機体制御で完全に酔っていた。
 食事など喉が通る訳がない。

 お茶だけで済まそうとしていると……。
 


545 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:39:10.88G4MJ47cHo (27/42)


女生徒「ちょっと! 一夏君だけじゃなくて、岡部君まで独占するの!?」

 見慣れない顔の女生徒の声が食堂前で響いた。

一夏「えっと、ごめん。誰かな……」

女生徒「3組! どうせ名前なんて知らないよね……そうだよね……」

女生徒「ちょっと何弱気になってるのよ!」

女生徒「頑張らないと、ここで頑張らないと……」

 名前も知らない女子が大声をあげている。
 一夏はまず状況を把握しようとして名前を聞いたが、それが効果的だった。

 名前すら知られていない事実に1人、撃沈する。 
 


546 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:39:37.48G4MJ47cHo (28/42)


ラウラ「何を詰まっているんだ。さっさと配給を受け取りに行くぞ」

 後ろからひょっこりとラウラが顔を出す。
 一夏の手を握って食堂へ連れて行こうとしたが、

女生徒「専用機持ちはしゃーらっぷ!」

女生徒「今日こそは、今日こそは一緒にお食事ぃぃぃ」

女生徒「1組ばっかり……ずるいです……」

 さらなる増援が道を阻む。
 食堂入り口はちょっとした団体様の集会となっていた。

シャル「あはは、そういう事か……」

セシリア「同じクラスの者同士で食事するのは当たり前のことですわ」

箒「あまり騒ぎすぎると織斑先生が来てしまうぞ」

女生徒「うぐ……!」

 箒の一言で女生徒がたじろぐ。
 この学園の生徒で織斑千冬を恐れない人間は居なかった。
 


547 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:40:03.93G4MJ47cHo (29/42)


ラウラ「教官が来る前に騒ぎを辞めろ。一夏は我々と食事をするのだ」

 止めの一言だった。

女生徒「くぅ……なら、岡部君! 岡部君、一緒にご飯食べよ!?」

女生徒「良くやった! 良く言った!!」

女生徒「食べ……よ……?」

紅莉栖「(来た……遂に、来た。岡部に若い女の手がついに……)」

 紅莉栖の顔が一気に青ざめる。
 ここは押しも押されぬ正真正銘の高校なのだ。

 男であれば誰もが興味を持つ最強のカード“女子高生”と言うレッテルを誰しもが装備している。
 紅莉栖の不安は転入前から抱いていたものだった。
 


548 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:40:33.42G4MJ47cHo (30/42)


岡部「悪いが、食欲が無い。俺がここに来たのはただの付き合いだ。他を当ってくれ」

紅莉栖「(ほっ……)」

 胸を撫で下ろす。
 ちらりと岡部の横顔を確認したが、女子高生に鼻を伸ばす素振りは一切見て取れなかった。

女生徒「うきぃー!」

女生徒「やはりダメなのかー!!」

女生徒「ぐす……ん……」

 完全敗北した女生徒達は食堂の奥へと去って行った。
 こうして、貴重な男子2人は専用機持ちの輪へと固定されていく。
 


549 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:41:13.16G4MJ47cHo (31/42)


一夏「なんだったんだ……?」

岡部「さぁな……俺は席を取っておく。お前達は食事を貰いに行くと良い」

紅莉栖「(Yes! 一夏もだけど、岡部の空気の読めなさも相当なのよ!!)」

 ニヤリと邪悪な笑みを浮かべる紅莉栖。
 不安ではあったが、想定通りの行動を岡部は取った。

ラウラ「おい。本当に食べないのか?」

シャル「今朝もあまり食べなかったよ……?」

岡部「飲み物だけで十分だ。今無理やり食べても戻してしまう可能性があるしな」

 ISでの空中制御。
 それは岡部の三半規管に著しいダメージを与えていた。
 


550 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:41:39.63G4MJ47cHo (32/42)


一夏「そっか、じゃぁ仕方ないな」

セシリア「席の確保、お願いいたしますわね?」

岡部「あぁ」

 そう言うと岡部は自販機で“ドクトルペッパー”を2本買って席を確保した。
 この学園では食堂の端にある自販機でしか“ドクトルペッパー”が手に入らない。

 その為、飲みたくなったら食堂へ来て買うしかない。
 学園中を探してみたがここにある一機しか販売していないので、不便であった。
 


551 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:42:05.95G4MJ47cHo (33/42)


一夏「お待たせ、あー腹減った」

 そう言った一夏のトレイにはチキン南蛮。箒も一夏と同じもの。
 セシリアはビーフシチューとバケット。シャルロットはカルボナーラとデザートのプリン。

 ラウラはソーセージとフライドポテトの盛り合わせ、それにサラダ。
 途中で合流したのか、鈴音は回鍋肉定食をトレイに乗せている。

 どれもコレも美味しそうではあるが、今の岡部にはどれも重たく見えて食べる気は起きなかった。
 未だに酔いが残っている。
 


552 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:42:47.34G4MJ47cHo (34/42)


一夏「紅莉栖は……牛丼か!」

紅莉栖「えぇ、前は良く食べてたんだけどココへ来てから食べてないなーって」

シャル「ぎうどん?」

セシリア「なんですの?」

ラウラ「牛が乗っているのか? そうは見えないが」

鈴音「うそ、あんたら知らないの?」

一夏「外国に牛丼って無かったっけかな?
   ええと、薄く切った牛肉を玉ねぎと一緒に甘辛く味付けしたタレで煮込んだり、焼いたりしてそれをご飯の上にどん」

箒「好みで、生卵を入れることもあるな」

シャル「へぇ、美味しそうだね」

セシリア「少し野蛮な感じがいたしますが……」

ラウラ「なるほど、それがDON物と言うやつだな」

 紅莉栖のトレイに視線が集まる。
 甘めの香りが食欲をそそる、学園特性の牛丼だった。
 


553 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:43:22.42G4MJ47cHo (35/42)


岡部「助手。ドクペを買っておいた、飲むだろ」

紅莉栖「ありがと、これも最近飲んでなかったわね」

 プシッ。と言う心地良いプルタブの音が響き、二人は缶を傾ける。
 良く冷えたドクトルペッパーがシュワシュワと喉を通るのは快感だった。

岡部「やはり、知的飲料は一味違うと言うものだな? 助手よ」

 満足気な表情を浮かべる。
 岡部にとってドクトルペッパーはソウルフードと言って良い物だった。
 


554 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:43:52.58G4MJ47cHo (36/42)

 
紅莉栖「久々だけど美味しいわね」

一夏「えっ、2人が飲んでるそれって……」

箒「……ドクトルペッパーか?」

セシリア「それを好んで飲む方が居るだなんて……」

鈴音「マジで?」

シャル「あ、アハハ……」

ラウラ「なんだその飲料水は?」

 岡部と紅莉栖を除く全員が怪訝な表情を浮かべる。
 ドクトルペッパーは人を選ぶ不思議な風味がする飲料のため、好んで飲む人間を変人扱いする人が多かった。
 


555 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:44:19.21G4MJ47cHo (37/42)


一夏「あー、ラウラ。止して置いた方が良い。多分……全部飲めない……」

 興味津々と言った顔を見せるラウラに対して一夏が抑制した。

紅莉栖「ここでもドクペは異端か。ラウラ、一口飲んでみる?」

岡部「うむ。味のわかる者であれば、この至高の飲料水の魅力が解るだろう」

 一夏に止められて一瞬迷ったラウラだったが、興味には勝てずちびりと一口だけ口をつけた。

ラウラ「うぐっ……! な、んだこの風味と味は……」

 途端に顔を歪める。
 「美味しい」の表情とは正反対のものだった。
 


556 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:44:46.55G4MJ47cHo (38/42)


鈴音「言わんこっちゃない……」

紅莉栖「……どう?」

ラウラ「不味い……なんだか、気分が落ちてしまうそんな感じの味だ」

 ラウラの声が明らかにトーンダウンしている。
 ドクトルペッパーの味も風味も味覚にあわないようだった。

岡部「貴様も所詮、その程度だったと言う事か……」

シャル「えっと、オカリンも紅莉栖も……ドクペが美味しいって思うの?」

岡部「当然だ」

紅莉栖「え、えぇ。……まぁ」

 即答する岡部と、ばつの悪い表情を作る紅莉栖。 
 


557 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:45:12.62G4MJ47cHo (39/42)


セシリア「お2人とも、少し……その、味覚がどうかしてるんじゃなくて?」

ラウラ「無駄に甘ったるくて、変な匂いだ……なんだ、この味は」

岡部「ふん。なんとでも言うが良い。知的飲料の味は知的な者にしか解らんのだ」

 そう言って岡部はドクトルペッパーを飲み干す。
 それを見ていた皆は“わぁ……”と少し引いた目で岡部を見つめるしか出来なかった。

紅莉栖「(うぅ、何かいたたまれない……)」

一夏「でも、紅莉栖も好きなんだよな……俺も小さい頃に飲んでダメだったから、今度チャレンジしてみようかな」

 ぽつり、と一夏が言葉をこぼす。
 一夏にとっては大した意味を持つ言葉ではなかったが、周りに居る女子からすれば問題発言だった。
 


558 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:45:38.61G4MJ47cHo (40/42)


箒「な」

セシリア「え」

鈴音「ん?」

シャル「……」

ラウラ「どう言う意味だ?」

一夏「ん? いやー、2人とも美味いって言って飲んでるからさ。もしかしたら俺も美味いって感じるかもしれないし」

 一夏は気付いていなかった。
 自身が強調した人物が“紅莉栖”であったことを。

 もちろんこの男が意識してその台詞を吐いていないことを、理解していない5人娘ではない。
 むしろ、無意識の内にそう言った言葉回しをした一夏に腹が立ったのだ。
 


559 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:46:05.79G4MJ47cHo (41/42)


箒「ご馳走様。私は先に行く」

一夏「えっ、おい箒どうし」

セシリア「私もお先に失礼させて頂きますわ」

鈴音「はいご馳走様ー」

シャル「先、行くね?」

一夏「え? ちょっ、どうしたんだよ急に」

ラウラ「シャルロット、私も一緒に出る」

一夏「ラウラまで」

ラウラ「お前は紅理栖と一緒にドクトルなんちゃらでも飲んでいるが良い」

一夏「え?」

ラウラ「ふんっ」

 こうして5人娘は、一夏と紅莉栖、岡部を残し食堂を後にした。
 食堂を去る足音には怒気が孕んでいる。

岡部「(全く、ハーレムと言うのも考え物だな。今度ダルにハーレムの実態を教えてやろう)」

紅莉栖「(大変ね、一夏も、あの子達も)」

一夏「一体なんだってんだ……?」

 なぜ皆が怒っているのか首を傾げる一夏。
 その理由を察することが出来る男ではない。

 この後、一夏もドクトルペッパーを買って飲んでみたがやはり美味しくは感じられず、岡部に処理してもらう形になった。

 


560 ◆3R1.cwV0LI2012/10/01(月) 16:49:25.32G4MJ47cHo (42/42)

おわーり。
ありがとうございました。


561VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/01(月) 19:51:57.51y2O2quDJo (1/1)

乙!ドクペは欠かせないな

意外と千冬姉ぇはドクペ好きそう


562VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/01(月) 20:03:55.15oFmu1/5Yo (1/1)

ドクペの自販機があるからにはこの学園にもドクペ愛好家がいるはず


563VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/01(月) 20:19:06.62S+OEel3IO (1/1)

のほほんさんとか味とかよく分からずに飲んでそう


564VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/02(火) 07:08:03.40MVRj7rKDO (1/2)

楯無さん辺りなんか飲んでそうだな
簪は隠れて飲んでたりしそう
今回も前見たく安価で選択肢選んだりするの?


565 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:13:53.38DUvH/l5Bo (1/54)

投稿します。


566 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:15:19.19DUvH/l5Bo (2/54)

>>559  つづき。


 ─岡部改造訓練 2日目─


 二日目の担当者は中国代表候補生、凰 鈴音だった。
 全ての授業が終えた後、一夏と岡部の部屋に3人が集合する。

岡部「で、一体何をすると言うのだ大陸娘よ」

 岡部の声に覇気が感じられない。
 これから行われる訓練を想像して良い気分のはずがなかった。

鈴音「誰が体力娘よ!」

岡部「盛大な聞き間違いだ。大陸娘」

鈴音「あーもう、体力でも大陸でも無いっつーの!」

一夏「まぁ落ち着けよ鈴。そう言えば紅莉栖は来ないのか?」

 何気なく紅莉栖の名前を出す。
 他意はなかった。

 一夏の中で岡部にイコールで紅莉栖。
 その方程式が出来上がっている。
 


567 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:15:51.34DUvH/l5Bo (3/54)


鈴音「(また紅莉栖!?)」

 しかし、そんなことを知る由も無い鈴音の気分は重たいものだった。
 最近は一夏ときたら紅莉栖のことを気にしてばかりいるように見える。

 特に鈴音はクラスが違うため、他の面々よりも一夏と接する時間が少ない。
 心配もひとしおだった。

岡部「うむ。助手は私用でな」

一夏「そっか。昨日のマラソンも付き添ってたから来るのかと思ってたよ」

 何気ない一夏の一言が鈴音の胸に突き刺さる。

鈴音「なによ……紅莉栖紅莉栖って……一夏の馬鹿」

一夏「ん? 何か言ったか?」

 ポツリと本音をこぼす。
 けれど一夏の耳はそれをとらえることはなかった。
 


568 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:16:19.25DUvH/l5Bo (4/54)


鈴音「別に! 何でも無いわよ!」

岡部「──で、そのボールは一体何だ?」

 小さく溜息を吐き岡部が口を挟む。
 これ以上このやり取りをしても、鈴音が疲れるだけだろうと察知していた。

 それほどまでに織斑一夏と言う人物は鈍い。

鈴音「あっ、えと……」

 ヒートアップしそうになったところでブレーキをかけられた鈴音。
 一瞬言葉を見失う。

岡部「お前が持ってきたそのボールだ」 

 岡部は鈴音のもって来た三つのボールを指差した。
 数年前に流行った“バランスボール”と言う代物である。
 


569 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:16:47.67DUvH/l5Bo (5/54)


鈴音「えっと……今日はバランスを鍛えてやろうと思ってね。アンタってば基礎が全く無いっぽいからまずそこから」

 沸騰しそうになった思考を瞬時に切り替える。
 鈴音と言う少女は沸点こそ低いが、切り替えも早かった。

一夏「バランス感覚かぁ」

岡部「ふむ……走ったり殴られたり蹴られたりするよりはかなり常識的だな」

 痛い。苦しいを考えていた岡部からすればこれは僥倖と言えた。
 
鈴音「体幹を鍛えるの。あらゆる肉体動作の基礎に繋がるからかなり大事よ」

 そう言うと鈴はバランスボールに深く腰を落す。
 ゆらゆらと揺れていたのは乗り始めの数秒、すぐにボールの動きは安定した。

鈴音「まずは、座って5分。そして……よっと!」

一夏「おぉ……!!」

 鈴音は涼しい顔をして、バランスボールの上に立ち上がった。
 ぶにぶにと軽く浮き沈みをするボールの上で、器用にバランスを取っている。
 


570 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:17:13.85DUvH/l5Bo (6/54)


岡部「まさに、中国雑技だな」

一夏「すげぇ! 鈴ってそんなことも出来るんだな!」

鈴音「と、とーぜんでしょ! 中国代表候補生だったらコレくらい出来て当たり前よっ!」

 そう言い放つと、トランポリンの要領で一旦深く沈みその反動で軽くジャンプ。
 そのまま床に着地した。

 伊達に代表候補生を名乗ってはいない。
 ISに関する知識は当然のこと、肉体訓練も入念に行っている。

鈴音「っと、まぁこんなもん。一日でここまでやるのは難しいだろうけどね、これなら部屋で出来るし良いんじゃない?」

 岡部とはクラスも違うので、接した時間は短い。
 けれど、その短い接触の中でも岡部の性格は掴めていた。

 基本的にこの男は“運動”と言う項目が嫌いなのだと。
 であれば、室内での訓練が効果的に取り込めるだろうと判断し、この運動を提案していた。
 


571 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:17:41.21DUvH/l5Bo (7/54)

 
岡部「うむ。激しい運動より、こう言ったものの方が俺の性に合ってそうだな」

 予想通りの反応を取る岡部。
 鈴音は小さく頬笑み、その八重歯をちらつかせた。

一夏「へへっ、ちょっと面白そうだし頑張ろうぜ凶真」

鈴音「よっし! じゃぁ私がタイム計るから、2人ともボールの上に乗って」

一夏「おう!」

岡部「よ……む、中々難しいな……」

 ボールの上に乗り込む岡部。
 バランスを取る前の段階から既に激しく揺れている。

鈴音「いい? じゃぁ手を離して。そのまま5分──」

岡部「ぬぁっ!?」

 手を離した瞬間、岡部は身体は重力に引っ張られるように後方へと倒れた。
 後頭部を打ち付ける鈍い音が部屋に響く。
 


572 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:18:09.95DUvH/l5Bo (8/54)


鈴音「……アンタ、遊んでるの?」

岡部「……あがが」

一夏「でっでもこれ案外難しいぞ……!」

 岡部が後頭部を抑える横で、一夏が両手を広げて賢明にバランスを取り続ける。
 その姿はヤジロベエのようだった。

鈴音「一夏も思ったより、バランス感覚無いわね……」

一夏「あんまり話しかけないで、くれ……くっ!」

 ゆらゆらと揺れるボール。
 それを見て鈴音の八重歯がキラリと鈍く光った。

鈴音「第二段階。このテニスボールを投げるから、腰による微妙な体位の調整で避けなさい」

 明らかなる無茶ぶり。
 今の一夏に要求する動きを行う技量はない。
 


573 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:18:37.03DUvH/l5Bo (9/54)


一夏「はァ!? ちょっ、ちょっと待て! 無理だ!」

鈴音「無理じゃないわよ。こうーくいって腰を動かす感じで最小限の動きをとれば良いだけだから」

 腰を捻りお手本を見せる。
 それを見て習得できるのであれば苦労はいらない。

一夏「いっ、いやだから──」

 聞く耳持たず。
 行くわよー。と問答無用でテニスボールを投げる鈴音。

 ソレは確かに、完璧なバランスを取り最小の動きをすれば避けれる程度のものだったが、今の一夏にソレをどうこうする術はなかった。

一夏「わっ! わっ!」

 ぽこん。
 ボールが一夏の身体にヒットする。

一夏「──なァ!?」

 どすん。と身体が床と接触する。
 あえなく、岡部と同様に一夏も5分と持たずバランスボールから落ちてしまった。
 


574 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:19:05.27DUvH/l5Bo (10/54)


鈴音「アンタ等、本当にダメダメね……」

 やれやれと言ったポーズを取る。
 鈴音からしたら一夏はもう少しは出来ると思っていた。

岡部「日本人は幼少時から、雑技団に入るような訓練はしていないのだ」

鈴音「あたしだってしてないわよ!」

一夏「くっそー……思ったより難しいなコレ。ってか、鈴! 最後のはちょっと無茶だろう」

鈴音「そんなこと無いわよ、最終的にあれ位できないと不安定なボールの上に立つこと何て出来やしないし。
   さ、無駄話はお仕舞い。続けるわよ」

 鈴音が仕切り直し、バランスボールでの特訓が始まった。
 岡部は何度もバランスを崩し、ボールの上から転落。

 一夏も岡部ほどではないが、ボールの上で5分間その体勢を維持することは中々出来なかった。
 


575 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:19:31.36DUvH/l5Bo (11/54)


鈴音「うーん……結構軽いトレーニングのつもりで来たんだけどなぁ」

 ボールに腰を落し、まるで椅子のように座る鈴音は悪戦苦闘を繰り広げる2人を見つめていた。

鈴音「(岡部は論外ね。本当に機体制御が上手いのかしら? 少なからずバランス感覚も必要なんだけど……)」

 現場を見ていない鈴音は内心で首を傾げる。
 ずでん、ずでん。と、ボールから振り落とされる岡部の様子を見て鈴音は半信半疑になっていた。

 その横で、一夏もずでんと床に寝転んでいる。

鈴音「(あーもう、一夏の馬鹿。そこで力むからいけないんだってば!)」

岡部「結構……疲れるものだな」

一夏「だな……鈴はなんで涼しい顔して座ってられるんだ?」

鈴音「バランスが良いからに決まってるでしょ。ってか、他の代表候補生の皆もコレくらいきっと出来るわよ」

一夏「出来ないのは俺と凶真だけか……」

岡部「ワンサマーは俺よりマシだ。そう落ち込むこともあるまい」

 出来ないことを気にし、声のトーンを落す一夏。
 すかさず岡部がフォローを入れた。
 


576 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:19:59.96DUvH/l5Bo (12/54)


鈴音「岡部は少しくらい落ち込みなさいよ!」

 乗っては落ちる。
 そんなやり取りをしながら、2時間後には一夏……それに少し遅れて岡部もボールの上で5分間体位を維持出来るようになっていた。

鈴音「時間掛かり過ぎ」

岡部「達成できただけマシだと思え……」

 岡部の身体は何度も何度も床に体を叩き付けられたせいで、打ち身だらけになっていた。
 その結果、余計な力が取れ5分間のバランス維持を達成出来たのだから皮肉である。

一夏「いやー、なんとか出来るもんだな」

 飲み込みが早いのか、一夏は乗り初めと比べると別人のようにバランスを取れるようになっていた。
 余計な力みが抜け綺麗にボールの上でバランスを取っている。

鈴音「何で教えてもらってる岡部が一番偉そうなのか謎だけど……次のトレーニング行くわよ」

一夏「まだやるのか? そろそろ食堂行かないと間に合わないけど」

 チラリと時計に目を配る。
 時刻は19時を過ぎていた。
 


577 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:20:27.02DUvH/l5Bo (13/54)


鈴音「ん。そうね……じゃぁ、見本だけ見せるわ。そしたら晩御飯を食べに行きましょう」

 そう言って鈴音はバランスボールを持ち2人の前に立つ。
 このトレーニングの仕上げにと用意していた運動だった。

鈴音「膝立てバランス。座るだけよりかなり難易度は高いから目標は30……や、1分」

 2人の前で実技を見せながら説明を始める。
 ボールの上に膝をつき、そのまま両足を浮かして手でバランスを取りながらキープする。

 説明はとても簡単で、見ている分にも簡単だったが今しがたバランスボールの難しさを体験した2人である。
 鈴音が事も何気にこなしている動作がどれだけ難しいものか容易に想像が付いた。

鈴音「こんなもんね。食事の後もやるわよ」

 鈴音にとっては当たり前の台詞だが、岡部にとっては意識が遠のくに値する発言だった。

岡部「昨日は筋肉痛。今日は打ち身か……」

 鈴音の思いやりにより、怪我や疲労の少ないこのトレーニングが選択された。
 けれど、結果は見てのとおり打ち身だらけである。

一夏「凶真、頑張ろうな」

 一夏の励ましに何と無しの悲しさを覚えた。
 


578 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:20:53.67DUvH/l5Bo (14/54)



……。
…………。
……………… 

 


579 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:21:20.06DUvH/l5Bo (15/54)



 ─食堂─


 利用時間もあまり無いせいか食堂に残っている人間は少なかった。 
 一夏と鈴音が食事を乗せたトレイを、岡部がジュースの缶を持って席に着こうとすると珍しい人物と出会う。

山田「あら、織斑君に岡部君。それに2組の凰さん」

一夏「あ、先生」

山田「こんばんわ。随分と遅めの夕食ですね?」

一夏「ちょっとトレーニングをしていて……」

 1年1組の副担任である山田真耶。
 その後ろで、トレイを持つ実姉に向けての言葉だった。

千冬「何を怯えている。まだ食堂の利用時間は終わっていない、文句など無い」

 その言葉は生徒に向けて放つ教師の声色。
 実弟に話しかける姉の優しさなど微塵も感じられない。
 


580 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:21:46.10DUvH/l5Bo (16/54)


一夏「千冬ね……織斑先生達も今から食事ですか?」

 言いかけて修正する。
 人が少ないとは言え、学校内で“姉”と呼べば容赦ない鉄拳が飛来することを寸でのところで思い出した。

千冬「あぁ。教師と言うのも何かと忙しい、食事が取れるのは大抵この時間だ。
   それにしても岡部……随分とボロボロだが、組み手でもしていたのか?」

 衣服は調っておらず、顔面、それに露出している肌の所々に痣が見えた。

岡部「ティーチャー……その事には触れないでくれ」

 思い出したくも無い。岡部の言葉にはそう言ったニュアンスが含まれている。

鈴音「ちょっとバランスボールで体幹を鍛えてまして……」

山田「? バランスボールでそこまでボロボロになったんですか?」

 横から鈴音が説明を口にする。
 真耶の目から見ても、岡部の姿はボロボロだった。
 


581 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:22:16.55DUvH/l5Bo (17/54)


一夏「あーっと、バランスボール苦手だった見たいで……」

千冬「全てバランスボールで負った怪我か?」

岡部「答える義務は無い……」

千冬「……くっ」

 息の噴出す声が漏れた。

千冬「くっ、ぷっ……ははは! バランスボールで怪我をする者が居ようとはな……くっ、ははっ」

 千冬のツボを刺激したのか、ひとしきり笑い目尻の涙を拭う。
 それとは逆に、回りは軽く引いていた。そんなに笑うことか、と。

 そして鬼教師である千冬の爆笑である。
 その顔を見た真耶と鈴音はさらに驚いた表情を見せている。
 


582 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:22:55.78DUvH/l5Bo (18/54)


千冬「まったく、あまり笑わせるな」

一夏「は、はは……」

山田「あはは……あっ、そうだ。良かったら皆さんでご飯ご一緒しませんか? ね、織斑先生?」

千冬「む。教師が生徒と一緒に食事と言うのも……と言っても他に利用者は0か。たまには……良いだろう」

 食堂を見渡す。
 利用時間ギリギリと言うこともあり、他に利用している生徒の姿は見受けられない。

山田「ね? 織斑君♪」

一夏「はぁ、俺は全く構いませんけど。なぁ?」

鈴音「えっ、あたし? 構わないけど……」

岡部「問題ない。元より俺は食欲が無いから水分だけだがな」

 そう言った岡部の手には“ドクトルペッパー”が握られていた。
 


583 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:23:22.07DUvH/l5Bo (19/54)


鈴音「げっ……あんたまたそれ?」

岡部「至高の知的飲料だ。これを飲めば食事など最低限で事足りる」

 ドクトルペッパーは決して低カロリーな飲料ではない。
 充分な糖分を含んでいる。

一夏「まっ、何はともあれ時間も無いしさっさと食べちゃおうぜ。いただきます!」

鈴音「いただきます」 

千冬「いただきます」

山田「いただきまーす」

岡部「……」

 いただきます。の号令代わりにプルタブが声をあげる。
 プシュッ、と言う音が響いた。

 一夏は夜と言うこともあり、軽く鮭の切り身が乗ったお茶漬けを。
 鈴と山田は野菜炒め定食。

 千冬は焼肉定食と言った具合のメニューを各々に食べ始める。
 


584 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:23:48.81DUvH/l5Bo (20/54)


千冬「岡部は食事を取らないのか」

 豪快に盛られた肉の山を処理しつつ千冬が訪ねた。
 岡部は一人、固形物を取らずにドクトルペッパーをかたむけている。

岡部「食欲が無いものでね……特に今は体が痛む……」

 今もなお、訓練で負った名誉の負傷が体に痛みを送っている。
 とても食事を取る気分にはなれなかった。

山田「岡部君が最近、専用機持ちの子らにしごかれてるってクラスで評判ですよー」

鈴音「最近と言っても今日で2日目なんですけどね」

千冬「なんだ、たった2日で胃をやられたのか。根性の無いヤツめ」

一夏「凶真は元々科学者だったんだから仕方ないって……ですよ」

千冬「科学……あぁ、元々は東京電機大学に在籍していたんだったな」

 喋っている間にもみるみる肉の山が消えていく。
 にも関わらず、口に含みながら会話をしている訳ではなくマナーとしても無作法なところが無かった。
 


585 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:24:18.91DUvH/l5Bo (21/54)


岡部「あぁ……今年の頭に卒業したはずの高校に一年生からやり直しと言う訳だ……」

 IS学園に転入してまだ数日だと言うのに岡部は疲弊していた。
 目まぐるしく変わった環境、触れたことすらなかったISの知識、その授業に実技と気の休まるところが無かった。

 それに加えて昨日からのトレーニングである。
 千冬の目から見ても、岡部は疲れていた。

千冬「それもこれも、お前がISの適性を持っていたからだな。“望んでここにいるわけではない”そう思っているのだろう。
   だが違う。望む望まざるに関わらず、人は集団の中で生きていかねばならない」

一夏「……」

 千冬の言葉に一夏は懐かしいものを感じた。
 これはIS学園入学当初に、教師である千冬から一夏が受けた初めての説教と言えるべき台詞である。
 


586 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:24:53.70DUvH/l5Bo (22/54)


千冬「目まぐるしく世界が一転したのなら、それに慣れるしかない。
   慣れろ。それが集団で生きるためのコツだ」

 それだけ言うと千冬は再び食事に戻った。

岡部「言われずとも……わかっている……」

 集団に混ざり生きることの難しさを知っている岡部はそう答えるしかなかった。

岡部「自慢じゃないが、俺は友達が少なかったからな。
   集団生活とやらのコツを掴むのに時間がいる。今はそれの準備期間と言ったところだ」

千冬「ふん。抜かせ」

 2人の会話に3人がきょとんとする。
 


587 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:25:20.02DUvH/l5Bo (23/54)


山田「一体何の話でしょう?」

一夏「さぁ……途中までは何となくわかってたんですけど」

鈴音「さっぱりだわ」

 岡部にはわかっていた。
 疲弊している自分に対する、教師・織斑千冬なりの激励であることを。

山田「ふう、ご馳走様でした」

千冬「ご馳走様でした」

 先に食事を終わらせたのは教師2人だった。
 食事を終わらせ、2人はゆるりとする間も無く食堂を後にする。

山田「まだお仕事が残っているので、また明日。おやすみなさい♪」

千冬「もう利用時間も終わる。あまり長居するなよ」

 残った3人も長居する事は無く、食べ終わると直ぐ様2人の部屋に直行した。
 


588 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:25:46.58DUvH/l5Bo (24/54)



……。
…………。
……………… 

 


589 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:26:12.91DUvH/l5Bo (25/54)



 ─自室─


 食事を済ませ、再び自室へ戻りトレーニングを再開する。
 岡部が大きくバランスを崩したのは、再開直後のことだった。

 今までに無い快音が部屋に響く。
 膝立てバランスは想像以上に難しく、岡部は顔面を床に思い切りめり込ませていた。

岡部「……」

一夏「きょ……凶真?」

鈴音「あちゃぁ……かなり良い音したわね?」
 


590 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:26:43.18DUvH/l5Bo (26/54)



 ──。

 ────。

 ──────。

 


591 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:27:09.25DUvH/l5Bo (27/54)


岡部「……──床が! 床が迫ってくるァ!!」

 身を起こすと、そこはベッドだった。
 足元の方に紅莉栖がベッドに腰を落し分厚い専門書を読んでいる。

 昨夜も同じような光景を目に入れた気がすると岡部は思い返した。
 違いと言えば、紅莉栖の持っていた参考書が専門書に読んでいる本が変わったことだろうか。
 
 岡部が意識を取り戻したことに気付き、パタンと専門書を閉じ岡部に視線を送る。

紅莉栖「鳳凰院凶真さんはまた気絶されてたのでありますか」

一夏「おっ、凶真起きたか。鈴なら帰ったぜ」

 一夏がバランスボールに座りながら答えた。
 


592 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:27:35.75DUvH/l5Bo (28/54)


紅莉栖「全く、バランスボールで気絶とか恥しすぎるだろjk」

岡部「……そうか、顔面からいって」

一夏「凄い音がしたから、驚いたよ。それと、鈴がバランスボール置いていってくれたから暇な時にやる癖付けろってさ」

岡部「わかった。大陸娘に感謝せねばな……」

 少しばかり、不甲斐なさを感じ目を伏せる。
 それを見た紅莉栖が話題を変えるようにひっそりと耳打ちをした。

紅莉栖「パッチ完成。明日朝6時、第1アリーナ整備室に」

岡部「……!」

紅莉栖「さーって、私も帰って寝ますかね。セシリアにまたどやされちゃう」

 呟きすぐさま踵を返す。
 用件はそれだけだった。
 


593 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:28:03.22DUvH/l5Bo (29/54)


一夏「ははっ、それもそうだ。おやすみ紅莉栖」

紅莉栖「おやすみ一夏」

 一夏は紅莉栖を見送り、ドアを閉める。
 岡部はベッドの上から視線を送るだけだった。

一夏「いやー、紅莉栖って本当に良いやつだよな。岡部が目覚めるまで待ってたんだぜ?」

岡部「あ、あぁ……何せ俺の助手だからな」

一夏「はははっ。またそれか、面白いヤツらだな本当に」

岡部「俺には他にも人質が居るのだぞ、ワンサマー」

一夏「人質……!? って、え? どういう意味だ?」

 言葉の意味がわからずクエスチョンマークを広げる。
 “人質”と言う言葉に良いイメージを持つはずがなかった。
 


594 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:28:30.08DUvH/l5Bo (30/54)


岡部「言葉の通りの意味だ、マッドサイエンティストなるもの助手や人質の1人や2人居て当然なのだ」

一夏「な、何かわからないけどすげぇな……やっぱり」

 まゆりや他のラボメンとはまた違った一夏の素直な反応。
 岡部はこのやり取りが気に入りつつあった。


千冬『慣れろ。集団生活で生きるためのコツだ』


岡部「(ティーチャー。貴様の弟のお陰で、なんとかやっていけそうだよ……)」

 ずきんずきんと体中に響く痛みが無ければ、ワンサマーに言葉として告げてやっても良かったのだがな。

 と心の中で悪態を付きながら、織斑姉弟に密かな感謝を告げた。

 


595 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:29:31.55DUvH/l5Bo (31/54)



 ──。

 ────。

 ──────。

 
 


596 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:29:57.87DUvH/l5Bo (32/54)


 すうすうと気持ち良さそうな寝息を立てている一夏を尻目に、珍しく岡部が早起きをしていた。

岡部「……よし」

 音を殺して部屋を出る。
 目的は第1アリーナ整備室だった。

岡部「さすがにこの時間は人がいないな……」

 廊下に人の気配はなかった。
 男子が極端に少ないこの学園では、廊下を歩くだけで注目を集めてしまう。

 この時間帯での行動は面倒が無くて良かった。
 


597 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:30:26.58DUvH/l5Bo (33/54)


 
 ─第1アリーナ整備室─


 IS整備室。各アリーナに隣接される形でその部屋は存在する。
 本来2年生から始まる“整備科”のための施設であるが、生徒であれば誰でも使えるとあって利用する者も多い。
 
 早朝6時。人気は無く第1アリーナ整備室には2人の人間しか居なかった。

紅莉栖「今日は土曜日で学校も無いし、その内に人も集まるわ。パッパとやっちゃいましょ。そこに立ってて」

岡部「うむ」

 待ち合わせ時間丁度に現れた紅莉栖。
 目的は昨夜に耳打ちした内容だった。

紅莉栖「……良しっと」

 空中投影ディスプレイを見つめながらメカニカル・キーボードを高速で叩く。
 必要なツールを全て起動した。 
 


598 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:30:52.61DUvH/l5Bo (34/54)

 
紅莉栖「同時にフィジカル・データとか諸々もやっちゃうからね」

岡部「全て任せる」

紅莉栖「ん。任された」

 ピッピ、と左手でキーボードを弾くと岡部の足元からリング状のスキャナーが垂直に浮き上がり、
 ゆっくりと岡部の全身に緑色のレーザーを当てていく。

紅莉栖「本来なら検査室の機材でやる内容なんだけど、少し弄ったらこっちの機材でも出来ちゃった」

 左手でスキャンの打ち込みをこなしつつ、右手は違うデータを入力している。
 同時に違う打ち込み作業を行いながらお喋りに興じる余裕を見せる紅莉栖に、岡部は改めてゾっとした何かを感じた。
 


599 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:31:19.51DUvH/l5Bo (35/54)


岡部「と言うか、勝手に備品である機材を弄って良いのか?」

紅莉栖「無問題、無問題。後でちゃんと直しとくから。
    ってか出来るなら一緒にやっちゃった方が時間のロスも少なくて良いと思うんだけどね」

岡部「学校側にも何かしらの理由があるのだろう」

紅莉栖「はいはいっと、無駄話してる間にフィジカル・スキャンは終り。
    次はパッチのインストール始めるわよ。“石鍵”を展開して」

岡部「わかった」

紅莉栖「(展開速度が速い……)」

 岡部の展開速度は凄まじく速かった。
 3日前に初めてISを展開した人間とは思えない程に。
 


600 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:31:51.33DUvH/l5Bo (36/54)


紅莉栖「じゃ、始めるわよ」

 カチャカチャ、ターンッ。響かせるようにエンターキーを叩く。
 パッチのインストールが始まった。

 “石鍵”による、エネルギー供給カットプログラムを操縦者である岡部の判断でカットするためのパッチ。
 万が一、エネルギーカットが必要な場面が来る可能性を考えて簡単にオン・オフが出来るようにもされていた。

紅莉栖「5分位でインストールが終わるからじっとしてなさいよ」

岡部「う、うむ」

 岡部を待機させたまま、空中投影ディスプレイに目を移す。
 先ほど採取したパーソナル・データ。

 身体能力の低さは相変わらずだが、問題なのは“IS適性値”。
 紅莉栖がラボで実験した時に出たデータでは適性値“B”。

 そして入学時に出た適性値は“C”の値。
 ラボで使った機材は簡易式という事もあり、数値に誤差が出るのも頷けた。

 しかし、現在ディスプレイに映る最新のパーソナル・データ。
 そこに表示されているのは“IS適性値 S ”の文字だった。
 


601 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:32:45.27DUvH/l5Bo (37/54)


紅莉栖「(どういう事よ……適性値Sって、世界に数人しか居ないわよ。
     って言うか、短期間で適性値がコロコロ変わることなんてありえないし……)」
 
 この情報をどうするべきか。
 本来ならば“石鍵”にデータを送るべきであるが、その場合データは簡単に閲覧出来るようになってしまう。

紅莉栖「(……“適性値 S ”なんてバグに決まってるわね。フィジカル・データだけ更新しておきましょう)」

 最新の“IS適性値”は更新せず、フィジカル・データだけを“石鍵”に転送した。

 機器のバグ。そんなことは確率的に怪しいことはわかっている。
 けれど紅莉栖はその思いを閉じ込め、データの削除を行った。

岡部「む、インストールが終わったようだぞ」

紅莉栖「OK. そのままアリーナに行くわよ。ちゃんと作動するかの実験をする」

岡部「ふっ。実験大好きっ娘め」

 紅莉栖の実験好きはジャンル問わずなんだなと、フルフェイス装甲の中で岡部が微笑んだ。 
 


602 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:33:11.91DUvH/l5Bo (38/54)



……。
…………。
……………… 

 


603 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:33:38.19DUvH/l5Bo (39/54)



 ─第1アリーナ─


 朝7時前と言うこともあり、整備室同様アリーナにも2人以外の人間は居なかった。
 アリーナ中央に“石鍵”。

 そして控え室に紅莉栖が居た。

紅莉栖『準備は良い?』

岡部『大丈夫だ』

 プライベートチャネルで短めに用件を済ますと、カウントダウンに入った。
 


604 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:34:04.16DUvH/l5Bo (40/54)


紅莉栖『実弾発射5秒前、4・3・2・1……ファイア!』

 カウントダウンと共に事前に固定してあった、アサルトカノン-ガルム-が銃身を熱くした。
 遠隔操作によりトリガーが引かれた弾丸は“石鍵”に向け容赦なく降り注ぐ。

 銃弾の直撃音が鳴り響く。
 決して心地の良い音ではなかった。
 
 通常であれば、シールドバリア及び絶対防御により遮断された攻撃でもその衝撃まで完全に分散させることは出来ず、
 操縦者である人間に少なからずダメージが渡る。

 しかし“石鍵”の装甲は分厚く、一切の衝撃を搭乗者である岡部に与えることは無かった。

紅莉栖『ぷぅ……実験成功ね』

 “石鍵”のシールドエネルギー残量がディスプレイに映し出される。
  エネルギー残量の数値が極端に減っていた。
 


605 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:34:31.85DUvH/l5Bo (41/54)


岡部『うむ。どうやら、直撃を食らってもエネルギー供給はそのままのようだな。さすがは助手だ』

紅莉栖『私が作ったパッチなのだから、当然と言えば当然な訳だが』

 憎まれ口を叩く紅莉栖ではあったが、その表情は安堵したような嬉しそうな表情を作っていた。
 無論、その表情を岡部に見せるつもりは毛頭無く、声がうわずらないようにも隠している。

紅莉栖『折角だから、武器の調整もしましょう。未だに展開していないのもあるでしょう?』

岡部『あぁ。“モアッド・スネーク”の展開をまだした事が無かったな。何となくの想像は付くが……』

紅莉栖『同意。ってか多分、同じような想像してるはずよね』

岡部『うむ……』

 未来ガジェット4号機“モアッド・スネーク”を2人は思い浮かべる。
 大量の水を多数の電熱コイルで沸騰させ、多量の蒸気を噴出させる超瞬間加湿器であるそれは形状こそ“クレイモア地雷”の形をしている。

 おそらく“石鍵”に搭載されている武装も“クレイモア地雷”の形をした加湿装置的な何かであろう。
 2人はそう思っていた。
 


606 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:34:57.65DUvH/l5Bo (42/54)


岡部『……では“モアッド・スネーク”展開する』

 光の粒子が形となり、武装が展開されていく。 

岡部『これは……』

紅莉栖『想像してたのと、ちょっと違……いやねーよ』

 歓喜の声でも落胆を現す声でもない。
 なんとも言いがたい紅莉栖の突っ込みが“モアッド・スネーク”の形容を表していた。
 


607 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:35:24.43DUvH/l5Bo (43/54)

 

……。
…………。
………………。

 


608 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:35:51.27DUvH/l5Bo (44/54)



 ─食堂─


 実験を終える頃には丁度朝食時になっていた。
 2人が並んでアリーナから食堂へ向かうと、入り口で一夏とシャルロットの2人組みに出くわす。

シャル「あっ、オカリンに紅莉栖。おはよー」

紅莉栖「モーニン。2人で朝食?」

一夏「あぁ。シャルに誘われてさ。朝起きたら凶真が居なかったから驚いたよ」

岡部「助手と少しばかり、早朝会議があってな」

一夏「そっか。これから2人で朝飯にするんだけど2人もだろ? 一緒に食おうぜ」

 予想通りの展開と、シャルロットが小さく溜息を吐く。
 こうなると予想しつつも、頑張るしかないんだよなぁと心の中で自身に喝を入れた。
 


609 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 09:36:17.60DUvH/l5Bo (45/54)


紅莉栖「えっ、えーっと……」

 チラリと目線をシャルットに配る。
 シャルロットは紅莉栖にわかるよう、ジェスチャーで良いよと答えた。

シャル「一夏のばか……」

 そう小さく呟いた声を聞いた者は居なかった。

一夏「そう言えば、凶真と紅莉栖が学校へ来て初めての土曜日だな。どうするんだ?」

 トレイに食事を乗せて着席する。
 一夏の朝食は牛丼。

 昨日、紅莉栖が食べているのを見て久々に食べたいと思いチョイスしていた。
 ちなみにシャルロットも同じで牛丼を箸でちまちまと、それでいて上品に口に運んでいる。
 


610 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:37:32.74DUvH/l5Bo (46/54)


岡部「む……考えていなかったな」

 岡部の朝食は何時も通りのドクトルペッパー。
 それに加えて、コッペパンと貧相な物だった。

 未だに昨日のバランスボールで作った痣が痛く、食事を取る気分になれなかった。

紅莉栖「ラボにでも行く? まゆりにも会って無いし」

 ラーメンをマイフォークでつるつると食べながら紅莉栖が提案する。
 一夏はそれを見て、なんでフォークなのだろうと首を傾げていた。

 そして朝からラーメンかと思い、苦笑もしている。
 


611 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:37:59.55DUvH/l5Bo (47/54)


岡部「そうだな。ラボの管理をするのも創設者であり、No.001であるこの俺の役目だ。
   ラボの方に足を伸ばすか」

シャル「らぼ……?」

一夏「って何だ?」

 聞き慣れない単語に2人が頭を傾げる。 

紅莉栖「あーっと、そうね。コイツが作ったサークルみたいなものよ」

岡部「サークルではない! 未来ガジェット研究所っだ!」

シャル「何か、研究してるの?」

一夏「ん! 前に何か聞いたことある気がするな」

楯無「んー、でも残念。倫ちゃんは今日もとっても忙しいのでした」

 何時の間にか、一つ空いていた席に更織 楯無が着席していた。
 違和感なく自然に会話に参加している。
 


612 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:38:28.71DUvH/l5Bo (48/54)


一夏「楯無さん……何時の間に」

楯無「今の間に♪」

 そう言う楯無の手には、サンドウィッチとミルクが持たれている。

岡部「おい、ノーガード。今の台詞はどう言う意味だ」

シャル「のーがーど?」

一夏「ノーガード?」

楯無「……?」

 コホン。紅莉栖が咳払いをする。
 説明が必要だと感じて口を開く。
 


613 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:39:02.03DUvH/l5Bo (49/54)


紅莉栖「多分、たてなし。だからノーガードなのかと……」

シャル「あー……あぁ……」

一夏「……なるほど! ははっ、上手いな凶真」

 1人笑う一夏。
 やはり、どこか他人と笑いのツボが違っていた。

楯無「うーん。そんなあだ名を付けられたのは初めてだなぁ。でも楯無って呼んで? もしくはたっちゃん」

岡部「名前などどうでも良い。それより、さっきの台詞──」

楯無「やん。名前で呼んでくれなきゃ、おねーさんは答えません」

 岡部の言葉を遮る。
 要求を飲まない限り、答えないと態度で表明していた。
 


614 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:39:27.87DUvH/l5Bo (50/54)


紅莉栖「(無理無理。コイツが名前をちゃんと呼ぶなんてレアケースはそうそう起こりません。本当に──)」

岡部「楯無、どう意味だ」

楯無「あん。学内で呼び捨てって新鮮でちょっとドキッとしちゃった♪」

紅莉栖「(──ありがとうございました……)」

岡部「良いから、答えろ」

 少しばかりの苛立ちを含んで岡部が問いただす。

 その横で紅莉栖がテンションを落しながら、ラーメンを食べる作業が再開されていた。
 もう紅莉栖の耳に、会話は届いていない。
 


615 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:39:56.29DUvH/l5Bo (51/54)


紅莉栖「(いきなり呼び捨てっていきなり呼び捨てって……)」

楯無「だから、倫ちゃんは今日おねーさんと特訓。遊んでる暇なんて無いわよ?」

一夏「今日って、楯無さんの番だったんですか? と言うか、学校休みの日まで?」

楯無「もっちろん。と言うか、土日はおねーさんが貰いました」

 サンドウィッチをパクパクと食べながら満面の笑みを浮かべる。
 それは岡部からしたら死刑宣告に近しいものだった。

シャル「ん。つまり、今日明日は楯無会長がオカリンを指導するんですか?」

楯無「そう言うことね。シャルロットちゃんにも手伝ってもらうかもしれないから、その時はよろしくね」

シャル「あ、はい。僕でよかったら……」

岡部「お、おい何を勝手に……く、クリスティーナ? 俺達は今日ラボへ……なぁ?」

 一縷の希望を託し、隣の紅莉栖に話しを振る。
 しかし、期待していた返答は来なかった。
 


616 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:40:23.04DUvH/l5Bo (52/54)


紅莉栖「知らない。私は今日ラボへ行くけど、あんたは勝手に頑張りなさいよ」

 そう冷たく言い放って食事に戻ってしまった。

岡部「クリスティーナ……さん? 何か、怒ってらっしゃいます?」

紅莉栖「ティーナでは無いと言っておろうが。わからないなら良い。黙って食べなさいよ」

岡部「ぁ……ぉ……」

 明らかに何時もの突っ込みよりも冷たい態度。
 岡部は何が原因でそうなったのかもわからず、うろたえることしか出来ない。
 


617 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:40:50.96DUvH/l5Bo (53/54)


シャル「(紅莉栖も大変だなー)」

 状況を理解したシャルロットが目を細めた。
 どこも同じようなものなんだね、と妙に納得している。

一夏「(ん? 紅莉栖は何かに怒っているのか?)」

楯無「んふふ、許可も降りたことだし……朝食が済んだらさっそく特訓を始めるわよ。
   この土日で使い物にならない倫ちゃんのナマクラをおねーさんが鍛えなおしてあげる」

 その言葉で胃がズキンと痛む。
 裁判官は死刑執行を言い渡した。

紅莉栖「…………」

 けれど、弁護は発生せず弁護人はラーメンを啜っている。
  久々にラボへ帰れると思い、内心高まっていたテンションは一気に下がり、岡部の食欲はさらに減退した。
 


618 ◆3R1.cwV0LI2012/10/02(火) 10:41:57.29DUvH/l5Bo (54/54)

おわーり。
ありがとうございました。


安価は今のところ考えておりません。
二択だったので、前回通りか、逆にするか。
そのどちからになると思います。


619VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/02(火) 10:59:31.108bfyIVWIO (1/1)

逆の方が見たいな


620VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/02(火) 13:02:02.04MVRj7rKDO (2/2)

逆だとどうなるのか確かに気になる
>1乙


621VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/02(火) 20:11:01.35KXZ+jM+z0 (1/1)

前回見てないからどんなのかわかんない…


622VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank)2012/10/02(火) 22:20:55.74Xr9P9rvBo (1/1)

バッドエンドとハッピーエンドの順番の事でしょ


623VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長崎県)2012/10/02(火) 22:26:37.97+MMoz2b6o (1/1)

たしか新ガジェット登場のとこにも二択あったよな
攻撃を避ける時にどうするか、みたいなのでちょっとだけ味付けが変わるとかなんとか


624VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank)2012/10/02(火) 22:26:48.62sDXLVSy00 (1/1)

ああ、あの尻切れで終わったやつか


625VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank)2012/10/03(水) 22:07:54.18abcA0fN8o (1/1)

尻切れ?最後駆け足だったかもしれないけどちゃんと完結したやん


626VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank)2012/10/04(木) 00:19:19.34G/dd+DiQ0 (1/1)

使い物にならない倫ちゃんのナマクラ(意味深)


627VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/04(木) 03:15:16.95pePFGEREo (1/2)

絶 倫


628 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:42:38.15YanLtjWJo (1/76)

投稿します。


629 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:43:36.22YanLtjWJo (2/76)

>>617  つづき。




……。
…………。
……………… 


─秋葉原・未来ガジェット研究所─


 時刻は昼前11時過ぎ。
 トントンと、階段を登る音が静かに響く。

紅莉栖「ハロー」

 鍵は開いていた。
 何時ものようにドアノブを捻り、牧瀬紅莉栖が未来ガジェット研究所の扉を開く。

ダル「ちょっ、牧瀬氏じゃん!」

 椅子に座りPCを弄っていた“橋田 至”が振り返る。
 そのディスプレイには、ダルが好んで遊ぶR指定のPCゲームではなく、IS関係のものが表示されていた。
 


630 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:44:03.64YanLtjWJo (3/76)


まゆり「紅莉栖ちゃんだぁ! トゥットゥルー♪ お久しぶりなのです」

 ソファーに腰掛け、イベント用のコスプレ衣装を縫っていた“椎名 まゆり”も紅莉栖に視線を向けた。
 満面の笑みを浮かべている。

紅莉栖「ハァイ。時間できたから来ちゃった。お邪魔して良い?」

まゆり「当り前だよー! ほら、こっちこっちー」

 ぽんぽんとソファーの隣を叩いてまゆりが、おいでおいでをする。

紅莉栖「ありがと、まゆり」

ダル「っつか、一週間ぶり? たった一週間でも久々な気がするから不思議だお」

 それほど紅莉栖はこのラボに馴染んでいた。
 たった一週間、ラボを離れていただけで久々だと感じてしまう。
 


631 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:44:30.16YanLtjWJo (4/76)


まゆり「そうだねぇ、えっへっへぇ」

ダル「ほんで、オカリンは?」

紅莉栖「あー……岡部は忙しいみたいで来れないの」

 バツの悪い表情を浮かべる。
 楯無のことをなんの躊躇いも無く名前で呼んだ岡部。

 少しばかり気分が悪くなり、擁護をせずに学園を飛び出してきてしまった。

まゆり「そっかぁ……久々にオカリンの顔見たかったんだけどなぁ」

ダル「んまー、仕方ないっちゃ仕方ないっしょ。IS関係が大変だろうしさ。
   この一週間でオカリン関係のニュースやりすぎワロタ状態だったし」

 近頃、お茶の間を賑わせるニュースと言えば“岡部 倫太郎”ばかりだった。
 なんと言っても至上2人目、それも日本人での男性IS適性者となればメディアの反応も当然と言える。
 


632 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:44:59.94YanLtjWJo (5/76)


紅莉栖「そうね……色々と苦労しているわ。主にフィジカル面でだけど」

まゆり「ふぃ、ふぃじかー?」

紅莉栖「フィジカル。簡単に言うともやしっ子体型のアイツは今、強制的に肉体改造を受けてるわけ」

ダル「つまり、筋トレ三昧? うわー……デブには想像しただけで食欲が無くなる話題」

 ダルの脳裏に浮かぶトレーニングを行う岡部。
 想像しただけで疲れそうになってしまった。

まゆり「えっと、オカリンがまっちょりんになるってことかな?」

紅莉栖「想像したくないけど、そうね」

まゆり「そっかー。やっぱり大変なんだねぇ……でも、まゆしぃはちょっと寂しいかな。
    それに、オカリンの体が心配なのです……」

紅莉栖「まゆり……」

ダル「まゆ氏……」

 まゆりの一言でラボの空気が少しだけ寂しいものに変わった。
 やはり、未来ガジェット研究所は岡部がいてこそだと誰もが理解している。
 


633 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:45:32.36YanLtjWJo (6/76)

 
まゆり「っん! 紅莉栖ちゃんは今日お休みなんだよね?」

 少しだけ俯いていたまゆりは、一瞬にして顔を輝かせる。
 その表情には先ほどまでの寂しさは纏っていなかった。

紅莉栖「え、えぇ」

まゆり「ならなら、今日は一緒に遊ぼうよー。ね! ダル君もそれが良いと思うよね!」

ダル「おぉぉ……まぁ、ボクは牧瀬氏にISについて色々聞きたいこともあったし、賛成だお」

まゆり「ね! 紅莉栖ちゃんっ」

紅莉栖「……そうね、と言うか今日は一日中ラボに居るつもりだった、し……」

 はにかみながら紅莉栖が答える。
 同年代の友達が殆どと言って良いほど居なかった紅莉栖にとって、まゆりの素直な誘いは嬉しいものがあった。
 


634 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:46:03.92YanLtjWJo (7/76)


ダル「そうと決まればまずはご飯にしようず。ピザを注文しようと思う訳だが」

 カサカサとピザ屋のチラシを広げはじめる。
 どうせ注文する種類は決まっているのにと、紅莉栖は内心笑っていた。

まゆり「まゆしぃは、ジューシーからあげなんばーわーん!」

紅莉栖「ピザか、良いわね。最近ジャンクジャンクしたのを食べてなかったから、そう言うのちょっと食べたかったりして。
    学食って美味しいんだけど、全部クオリティが高くてなんか違うのよ」

まゆり「せっかくだから、ルカ君も呼ぼうよー!」

ダル「ならばフェイリスたんにも是非お声をかけて頂きたいお!」

紅莉栖「(楽しいな、この空気……岡部の馬鹿も無視して来ればよかったのに……)」

 表面ではそう思いつつも、紅莉栖は無理やり岡部をここへ連れて来ることは出来なかった。

 その後、更織楯無に説明された事情。

 今頃、岡部もさらに詳しく楯無から説明を受けているだろう。

 名称だけは紅莉栖も耳にしたことがあった。

 ──“亡国機業-ファントム・タスク-”について。
 


635 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:46:46.78YanLtjWJo (8/76)



……。
…………。
……………… 

 


636 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:47:21.19YanLtjWJo (9/76)



 ─IS学園・自室─


 秋葉原へ足を向けた紅莉栖を見送り、一行は一夏と岡部の部屋へ集まっていた。
 議題はもちろん“亡国機業”について。

岡部「亡国企業-ファントム・タスク-……」

 聞きなれない単語を耳にした岡部が繰り返す。

楯無「そう。覚えておいてね」

一夏「……」

 “亡国企業-ファントム・タスク-”

 古くは50年以上前から活動している、第2次大戦中に生まれた組織。
 国家によらず、思想を持たず、信仰は無く、民族にも還らない。ゆえに目的は不明。

 存在理由も不確かで、その規模もわからない。
 わかっているのは、組織は大きく分けて運営方針を決める幹部会と、スペシャリスト揃いの実働部隊の2つが存在すること。
 
 そして近年、その主な標的はISであること。
 楯無の説明はそういったものだった。
 


637 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:48:13.05YanLtjWJo (10/76)


楯無「この情報も何処までが本当なのか、眉唾なんだけどね」

岡部「それが……俺と何の関係がある」

 当然の疑問を口にした。
 一瞬だけ“ラウンダー”の影がちらついたが、意識を振り切る。

 確かに得たいの知れない集団ではあった。
 けれど、楯無の説明から受けるニュアンスとは違うと岡部は判断している。

楯無「直接の関係は勿論無いわ。でもね、ここに居る一夏くんの“白式”同様に貴方の“石鍵”も貴重なISなの。
   口惜しいことに、今まで何回か学園内外で襲撃を受けてる訳」

岡部「襲撃……?」

一夏「あぁ。俺の“白式”を奪いにな」

楯無「亡国企業の目的は不明。ただ、ISを集めてる事は確かだし手段を厭わないのも確かなの」

一夏「俺も何度も襲われた」

岡部「……」

 襲撃。
 そう何度も聞きたい単語ではない。

 過去に受けてきた類似の思い出が嫌でも記憶にチラつく。
 


638 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:48:39.61YanLtjWJo (11/76)


楯無「自分で撃退しなさい。だなんて言わないわ、ただ死なない程度には動けるようになって貰わないとってことよ。
   倫ちゃんに死なれちゃったら、おねーさんも生徒会長としてちょっと困っちゃうし」

一夏「凶真も何時、俺のように襲われるかわからないから。って事ですか?」

楯無「そーゆーこと」

 一夏が入れた紅茶を飲みながら答える。
 誕生日にセシリアがくれた一級茶葉を使用しているので、優雅な香りが部屋に立ち込めていた。

岡部「……事情はわかった。だがしかし、俺は今日ラボへ行かねばならん」

楯無「紅莉栖ちゃんが行っちゃったから?」

岡部「だっ断じて違う! お、俺はラボの長としてだな、定期的に様子を見に行かねばだな……」

楯無「んー、どうしても行きたい?」

岡部「これは義務だ。義務を放棄する訳にはいかない」

 楯無しは、うーん。と考えるポーズをとる。
 岡部を行かせる気は毛頭無いが、どのようにして諦めさせるか考えていた。
 


639 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:49:07.23YanLtjWJo (12/76)


楯無「じゃぁ、勝負しましょう。私が負ければ今日も明日もお休み。どう?」

岡部「……良かろう」

 しばしの間を持ち、了承の言葉を放った。
 ここで言い合いをしても楯無は折れないことはわかっている。

一夏「……あっ」

 一夏は気付いた。
 一昔前にこれとまるで同じやりとりを楯無としたことを。

 にこりと笑った楯無は勿論、“罠に掛かった”という表情をしていた。

 やっちまったな、凶真。
 一夏は自分と同じ運命を辿るであろうルームメイトに対して、そう思うことしかできなかった。
 


640 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:49:37.72YanLtjWJo (13/76)



……。
…………。
……………… 

 


641 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:50:03.78YanLtjWJo (14/76)

 
 時間が惜しいとすぐさま場所を移動した。
 移動先は畳み道場。

 休日の行方を担う決戦場である。


 ─畳道場─


岡部「……これは?」

楯無「うん。袴ね」

 岡部と楯無は休日稽古をしていた柔道部員を退け、中央で向かい合っていた。
 両者とも白胴着に紺袴という日本古来からの武芸者スタイル。

 隅に追いやられていた柔道部員は、会長である楯無と岡部の袴姿に黄色い声を上げている。
 同じように袴姿の一夏には既に何人かが取り囲み、写真撮影へと発展していた。
 


642 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:50:30.35YanLtjWJo (15/76)

 
岡部「俺が聞いているのは格好の問題ではない」

楯無「あら、思ったより似合ってるわよ?」

岡部「ちっがぁう! 俺が言ってるのはそう言うことではない!
   さっさと済まして、ラボに行きたいというのに何故こんな面倒な着替えや場所をあつらえているんだ!」

楯無「の割りには、ひょいひょい付いて来て着がえてるじゃない♪」

岡部「そもそもだ……なぜ戦う事になっている……」

 ぎりりっ、と歯軋りが聞こえてきそうな形相で楯無を睨む。
 勝負は了承したが、勝負内容が戦闘とは一言も聞いていない。
 


643 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:50:57.93YanLtjWJo (16/76)


楯無「あん。睨んじゃヤ」

一夏「凶真……話が通じる相手じゃないから……」

 写真撮影が終り、隅の方で正座をして観戦をしている一夏が声をかける。
 そんな一夏に、あんまりな言い方ね。と楯無が小さく反応した。

 取り巻きの女子も、行儀良く一夏を中心に横一列に正座をして観戦している。
 ジャンケンで勝った順に一夏の隣に座れるシステムらしい。
 
楯無「さ、倫ちゃん。喚いてる時間があるなら早くかかって来なさいな。
   ルールはさっき説明した通り。倫ちゃんは参ったすれば、負け。私を床に倒せば倫ちゃんの勝ち」

 あまりにも岡部に有利な条件。
 いくら体力の無い岡部とは言え、負ける気がしなかった。

 何度倒されても自分が参ったを言わなければ負けることはない。
 ラウンダー相手に立ち回った経験を活かせば、女1人床に伏せることは容易い。

 そう考えていた。
 


644 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:51:24.69YanLtjWJo (17/76)


岡部「自分勝手な女だ。後悔しろ、マッドサイエンティストを怒らせたことをな!」

楯無「まー、怖い。おねーさん身の危険感じちゃう。一夏くん、いざとなったら助けてね?」

一夏「はいはい。助けますよ(凶真をですがね)」

岡部「さっさと終わらせるぞ。悪いが俺は格闘技の型など知らんからな、我流でイかせて貰おう!」

 大股を広げ、両手を大きく広げる岡部。
 その独特の構えは──。

一夏「なんて……隙だらけなんだ」

 どこからどう見ても隙しか見当たらない。
 愛読している漫画のキャラクター。その型のモノマネをしているだけだった。
 


645 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:51:51.70YanLtjWJo (18/76)


岡部「さっさと終わらせてやる……」

 岡部の作戦は単純だった。
 体格差にものを言わせて、転ばせる。

岡部「(楯無がどれだけ強いかはわからん。が、チャンスはいくらでもある……。
    今が11時。遅くとも12時には終わらせて、14時にはラボに付いていたい)」

楯無「じゃぁ──行くわよ?」

 余裕のある澄んだ声が道場に響いた。
 


646 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:52:22.29YanLtjWJo (19/76)



……。
…………。
……………… 

 


647 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:53:06.33YanLtjWJo (20/76)


 
 ─未来ガジェット研究所─


るか「でも──岡部さん凄いです、男性なのにISを起動してしまうなんて」

 ピザを両手で持ちながら“漆原 るか”が話題を変えた。
 その容姿は美少女にしか見えないが、男である。

 服装も華奢なボディラインが見て取れるようなものであり、蠱惑的なものだった。

フェイリス「さすが凶真だニャ……内なるマナを開放し、ISを呼び覚ましただニャんて……。
      深淵の者との戦いが近いと言うことなのかニャ……!」

 フェイリス・ニャンニャン。“秋葉 留未穂”が何時も通りの口調で答えた。
 ラボは2人を加え、5人のラボメンで昼食を取っている。
 


648 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:53:40.02YanLtjWJo (21/76)


ダル「……キタ」

 ボソリと、ダルが呟く。
 その拳はぎゅぅっ、と強く握られている。

紅莉栖「橋田……どした?」

ダル「ボクの時代がキィタァァア!! まさに、ハーレム!!」

 座っていた巨漢の男が立ち上がり、叫ぶ。
 ジューシーからあげNo.1を摘まんでいたまゆりが、柔らかい口調でそれに返した。

まゆり「でも、るか君も男の子だからちょっと違うよ?」

紅莉栖「男女比2:3でハーレムと言うにはちょっとね。つか、なんて話題だ」

 呆れた声で紅莉栖が口を挟む。
 


649 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:54:09.07YanLtjWJo (22/76)


フェイリス「チッチッチ。ダルニャンを甘くて見てはいけないのニャ!
      るかニャンもきっちりカウント、むしろ“男の娘”属性として脳内で猛威を振るってるはずだニャッ」

るか「えっえっ……あの、僕……」

 途端に挙動不審になり、ダルに怯えた視線を向ける。
 なぜか胸部と下半身を手で覆って隠していた。

ダル「今まさにボクの時代だお!」

 興奮し、ソファーから立ち上がる。
 と同時に、重く、鈍い音がダルの頭部から響いた。
 


650 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:54:40.74YanLtjWJo (23/76)


ダル「お、おお……」

紅莉栖「けっこー重くて硬いのよね、この本。橋田、もう一発いく?」

ダル「ニ、ニライカナイが一瞬見えた訳だが……」

紅莉栖「正座する?」

 恨みがましく痛みを主張するが、紅莉栖の一睨みで態度を改める。
  
ダル「正直興奮してた。反省も後悔もしてないが、今は落ち着いてるお……」

紅莉栖「まったく。相も変わらずHENTAIなんだからな」

フェイリス「ダルニャンにHENTAIは褒め言葉になっちゃうニャ」

ダル「まさしく、ご褒美」

 フェイリスの合いの手にキリッとした反応を見せる。
 が、横目で紅莉栖が睨むと直ぐに萎縮してしまった。
 


651 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:55:19.62YanLtjWJo (24/76)


ダル「あ、牧瀬氏牧瀬氏……」 

紅莉栖「なぁに? 変態さん」

ダル「言葉に棘があるぜェ……じゃなくって、凄いことが発覚したんだお」

 態度を改めて話題を振った。
 これ以上ふざけて、分厚い参考書を頭部にめり込ませたいとはダルも思っていない。

紅莉栖「凄いこと?」

まゆり「あっ! そうそう、ちょっと驚いちゃったよねぇ」

るか「はい。僕も驚きました……」

 紅莉栖以外のラボ面が訳知り顔で話し始める。
 


652 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:55:47.41YanLtjWJo (25/76)


紅莉栖「ちょっとちょっと、話し進めないでよ。何が凄いの?」

ダル「フェイリスたんの“IS適性値”」

紅莉栖「? それがどうしたの?」

 首を傾げる。
 岡部や一夏と違って、女性であれば“IS適性”があってもなんら不思議はない。

まゆり「それがね、えへへぇ」

 なぜか、まゆりが自慢顔を作る。
 まるで自身のことを語るような笑みだった。
 


653 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:56:22.09YanLtjWJo (26/76)


るか「“適性値:A”なんです」

紅莉栖「へぇ、そうなの……A!?」

 IS適性値。

 それはC~Sまでランク付けがされていて、大部分の女性がCに位置づけられている。
 適性値は訓練により、向上していくものだが、生まれ持った素質によるものが大きい。

 適性値Sランクは世界で数人しか確認されておらず、世界最強の一角として認知されている。
 適性値Aランクは各国の代表選手、及び代表候補生クラスになる素質、または技能を持っているとされていた。

紅莉栖「ちょ、AランクだったらIS学園に余裕で入学出来るわよ?
    と言うか……日本政府がAランクの娘を学園に入れさせないとかありえない」

フェイリス「ニャハハ……実は政府から何度も入れーってオファーが来てたのニャ」

ダル「フェイリスたんマジぱねぇっす」

 興奮気味にダルが声を荒げる。
 適性値Aと言うのはそれほど凄いことだった。
 


654 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:56:59.68YanLtjWJo (27/76)


フェイリス「ISは確かに凄いニャ。だけども、フェイリスは皆のメイドでありたかったのニャ。
      ISに乗って世界に羽ばたくよりも、もっともーっと大事なことがフェイリスにはあったから……華麗に断った訳だニャ!」

ダル「そこにシビれる!あこがれるゥ!」

まゆり「えへへぇ、さすがフェリスちゃん。カッコイイなぁ」

るか「普通なら断りきれないですし、待遇面から言っても確実にIS学園に入学した方が良いですもんね」

ダル「一生付いて行くと決めたお!」

 フェイリスはISに関連する全てのオファーを断った。

 IS操縦者になる道よりも、この秋葉原でメイドとして、秋葉留未穂として都市開発に携わっていく。
 そう決めていたのだから日本政府が幾ら説得しようとも、猫の耳に念仏であった。
 


655 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:57:31.17YanLtjWJo (28/76)


フェイリス「でも、こんなことになるなら入ってても良かったかニャ?」

紅莉栖「こんなこと?」

フェイリス「決まってるニャ! 凶真がIS操縦者として学園に入ったのなら、きっと今より面白い学園生活が送れたはずだニャ!」

まゆり「オカリンと学生生活かぁ~」

るか「確かに。楽しそうですね……」

ダル「牧瀬氏は実際送っている訳ですが……」

紅莉栖「ぐ……」

 3人の視線が紅莉栖に集まる。
 


656 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:58:00.24YanLtjWJo (29/76)


フェイリス「さー、くーニャン! 洗いざらい話してもらうニャ~!」

紅莉栖「は、話すって何を……」

まゆり「んーとぉ、どんな学園生活を送ってるのかなぁ? まゆしぃもちょっと気になるのです」

紅莉栖「ま、まゆりまで……」

るか「やっぱり気になりますよね……そ、その女の子も沢山居ますし」

紅莉栖「漆原さんまで!?」

ダル「特に、世界各国の美少女について詳しく説明キボンヌ!」

紅莉栖「なにこの展開……」

フェイリス「くーニャン以外で、凶真が一番仲の良い子は誰だニャ?」

 しばし考える。
 岡部が今現在、一番親しくしている存在。

 紅莉栖当人を除いた場合、該当する人物は1人しかいなかった。
 


657 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:58:26.72YanLtjWJo (30/76)


紅莉栖「えっと……一夏かな」
 
ダル「イチカ? どこの国の女子?」

 国際色豊かなIS学園である。
 外国人の名前と勘違いしても無理はなかった。

紅莉栖「男だ」

まゆり「おー、あの有名なおりなんとか君!」

ダル「さすがオカリン……ヘタレっぷりをあちらでも発揮していると見た」

 一門一答が続いていく。
 周りから出される質問の殆どの答えが“一夏”だったのは言うまでも無い。

 この一門一答は4人が飽きるまで行われた。
 


658 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:59:06.92YanLtjWJo (31/76)



……。
…………。
……………… 

 


659 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 03:59:33.76YanLtjWJo (32/76)


 
 ─畳道場─


 ラボで紅莉栖が尋問を受ける最中、岡部はジリジリと距離を縮めていた。
 楯無は相変わらず余裕な笑みを浮かべている。

楯無「倫ちゃん、一つ聞いて良い?」

岡部「何だ? 命乞いか? ククク……本来ならば許しはしないが、今は時間が無い。特別に──」

楯無「その格好はなぁに?」

 岡部の口上などは全て無視して楯無が尋ねた。
 両腕を万歳のように広げ、掌も広げ、まるで威嚇でもするかのような構え。

 あらゆる格闘技を納めている楯無であっても、見た事が無い型。
 どう見ても隙だらけの型ではあったが、岡部の自信に満ちた表情に興味が沸いた。
 


660 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:00:02.89YanLtjWJo (33/76)


岡部「……っふ。知らんのか。この構えは地上最強の生物。その者の“流法”(モード)だ」

楯無「地上最強……? モード?」

岡部「その他にも“光”の流法。“風”の流法。“熱”の流法、と俺は全てを納めている。
   どうだ、降参するなら今のう──」

楯無「なんだかわからないけど……面白そうね♪」

岡部「お、おもしろ?」

楯無「じゃぁ──行くわよ?」

 仕切りなおし、楯無が動く。
 岡部が無意識に行った生理的な“まばたき”を終えた次の瞬間、

 対面に立っていた楯無は大きく両手を広げている岡部の懐に入っていた。
 


661 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:00:28.52YanLtjWJo (34/76)


岡部「な──に?」

楯無「あら? 迎撃しないのね?」

 両手を広げたままの岡部は動くことが出来なかった。
 本能が危険信号を脳に告げる。

 “この位置は不味い”

楯無「ボディーが、がら空きよ!」

 双掌打が岡部の腹部に叩き込まれた。
 ガードなど出来様はずもなく、完全に攻撃が決まる。

 楯無の細く、華奢な腕から放れた打撃は関節を固定することにより大幅に攻撃力が上がっていた。
 


662 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:00:54.59YanLtjWJo (35/76)


岡部「くけっ……!」

 衝撃が全身に渡る。
 肺に攻撃を受けた訳でもないのに、全ての酸素が肺外へ放たれ呼吸が一時的に麻痺する。

 バランスは崩れ、足はよぼつき、気付けば視界は天井を見上げていた。

楯無「あらぁ……思った以上に……」

一夏「(何にも言えねぇ……)」

女子生徒「え、もしかして岡部君って弱い?」

女子生徒「ちょっと幻滅って言うか……」

女子生徒「でも相手は更織会長だし……」

 遠慮無用の女生徒の会話に一夏の耳が痛くなる。

 ここ2日間で岡部の体力のなさは把握していた。
 そんな岡部が楯無と戦えるはずが無いのを、一夏はわかっていたからだ。
 


663 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:01:20.91YanLtjWJo (36/76)


楯無「えっと、大丈夫……?」

 双掌打のクリーンヒットを受けた岡部はひくひくと手足を痙攣させながらひっくり返っていた。
 一向に立ち上がろうとしない岡部を心配して、覗き込むように楯無が近づいた時──。

岡部「ぶぁーかめっ!!」

 見かけによらず、長く伸びた足を楯無の両足に絡め、蟹バサミを決める。
 ガッチリと楯無の両足を挟む。

 後は簡単だった。思い切り体を捻りその勢いで床に叩き伏せる。

岡部「これで終りだ!!」

楯無「うーん、頑張りは認めるけど30点」

 冷静な声が響く。
 その顔は見えなくとも、うっすらと笑みを浮かべているとわかる口調だった。

 岡部の勢いは止まらない。
 そのままゴロゴロと畳道場を1人で転げまわった。
 


664 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:01:47.20YanLtjWJo (37/76)


楯無「ホールドが甘い。あんなにユルユルじゃぁ簡単に抜けれちゃうわよ?」

 ガッチリと挟んだはずの足だったが、所々にあったわずかな隙間。
 僅かでも隙間があるのなら、体位をずらせば空間は広がる。

 広がれば後は簡単。
 岡部が転がり始める前にジャンプをすれば良い。

 子供だましな縄抜けだった。

岡部「くっ……」

 ずきん。と腹部が疼く。
 痛みを無視して行った決死の攻撃。それが外れたことで忘れかけていたものがぶり返した。
 


665 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:02:14.15YanLtjWJo (38/76)


楯無「それにしても、死んだふり? 結構ベタな手を使うのね」

 くすくすと愉快そうに笑う楯無。
 それに引き換え、岡部は一撃貰っただけで全身から嫌な汗が吹き出ていた。

岡部「貴様……空手かなにかやっているな……」

 岡部から見ても楯無の動きは素人のものではない。
 けれど、その発言は突拍子も無く楯無を笑わせるには充分なものだった。

楯無「空手って……ふふっ、ぷぷぷっ……あははっ」

一夏「……」

 完全に的外れな発言だった。
 古今東西あらゆる格闘技をマスターしている楯無を相手どり、空手の一言。
 


666 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:02:40.17YanLtjWJo (39/76)


 一夏は「わかってなかったんだな」と溜息を吐くしかない。

岡部「(この女……もしかして、凄く強いのか……?)」

一夏「(凶真が怪我しないように祈るしかないな……)」

楯無「さてさて、倫ちゃん。降参する?」

 ひとしきり笑ったあと。ニパッ、と笑顔を見せる。
 岡部は睨みつけることによって降参を拒否する意思表示をした。

岡部「(思ったよりダメージが大きい……。芯に響くような痛みだ……)」

楯無「んー♪ 良い顔するじゃない。そう言う顔する男の子、おねーさんは好きよ?」

 だからお前は俺より年下ではないか!
 そう突っ込みを入れたくはある岡部だが、その余裕が無かった。
 


667 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:04:04.42YanLtjWJo (40/76)


岡部「(大丈夫だ。降参さえしなければ終わらない……勝機は必ずある。俺は絶対にラボへ行く……)」

楯無「さー、ガシガシ行くわよー」

 そこからは一方的だった。
 ぽん、ぽん、ぽんと肝臓、みぞおち、心臓に軽く掌打を入れる。

 寸分違わぬ精密打撃により、攻撃力は低くとも威力は絶大だった。

楯無「最後のは最近読んだ漫画にあった技なの。ハートブレイクショット♪」

 正確に心臓部へ放たれた打撃。
 それは岡部の時間を奪う一撃だった。
 


668 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:04:44.55YanLtjWJo (41/76)


岡部「くっ……かはっ……」

 全てが急所への打撃。
 岡部の膝が崩れ落ちる。

岡部「(息が……)」

 呼吸が詰まる。
 視界が落ちそうな、世界が暗くなる感覚。

岡部「ぬぐぅ……っっ」

 思い切り歯を食いしばり、意識が弛まぬように気を入れた。
 一度でも折れれば立ち上がれなくなる。

 岡部は本能でそれを覚えていた。
 


669 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:05:36.36YanLtjWJo (42/76)


楯無「あら……」

一夏「倒れ……ない」

 完全に倒れると思っていた一夏は駆けつけるために、肩膝立ちの姿勢になっていた。
 持ちこたえた岡部に驚嘆する。

楯無「ふむ。痛みには強いのかしらね?」

岡部「ぁぁ……、痛み……には、多少…………慣れてい、てな」

 振り絞るように声を出す。
 声を出して、意識が飛ばないようにとの抵抗だった。
 


670 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:06:14.41YanLtjWJo (43/76)


楯無「あはっ♪ 良いわね、倫ちゃん。男の子はそうでなくっちゃ」

 愉快な声をあげる。
 事実、楯無は楽しんでいた。  

 一夏は捨て身の攻撃でもって、意志を示した。
 岡部は耐えることにより、諦めることを拒否している。

 そんな男達の姿が懸命でいじらしく、とても良い物に思えたからだった。

岡部「まだ、勝負は終わらない。終わらせない……」

 ゆらり、と岡部が動く。
 策など無かった。
 


671 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:06:41.94YanLtjWJo (44/76)


岡部「(殴りたくば、殴れ)」

 相手が攻撃をした時、必ず体は腕の届く距離に居る。
 痛みなど無視をして力ずく……体当たりでもなんでも良い。

 一度転ばせてしまえばそれで終り。
 はったりが利く相手でも、急拵えの攻撃も届かない。

 岡部には最初から自爆特攻しか選択肢が無かった。

楯無「(うーん、結構有効打入れたと思ったんだけどなぁ……これ以上やると怪我させちゃうかも)」

一夏「(凶真のやつ大丈夫か? いざとなったら、本当に止めに入らないとな……)」

 2人の心配を他所に岡部は動く。
 ゆっくりと、小用を片付けに行くように敵わない相手へ歩を進める。

 一夏は腰を上げ、何時でも飛び出せる準備をしていた。
 試合を止める訳ではない。

 岡部が何時倒れても、その時支えられるようするために。
 


672 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:07:14.73YanLtjWJo (45/76)


楯無「(すぐへばると思ったんだけど……意識を奪った方が良さそうね)」

 楯無にしても、岡部を痛めつけることが目的ではなかった。
 現状で岡部の身体能力をこの目と身で確かめる。

 この試合は単なる余興として考えていただけだった。

楯無「(そんなにラボに行きたかったのかしら。ちょっと妬けちゃうかな、なんてね)」

岡部「どうした、ノーガード……来ないなら、こちらから──」

楯無「やん。ノーガードは嫌って言ったでしょ? それにノーガードなのは倫ちゃんじゃない」

 そう言い放ち、楯無が躍動する。
 身長差のある岡部に対し、確実に意識を刈り取るため、顎を狙った攻撃。

 クリーンヒットさせては岡部の顎が砕けてしまう。
 当てる打撃ではなく、掠める打撃。

 前屈みになり、体を回す。
 


673 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:08:11.98YanLtjWJo (46/76)


一夏「(カポエラキック!)」

 下段から上段へ飛んでくる背面回し蹴り。
 目測を誤れば確実に顎を砕くそれを、正確に掠めるよう楯無は放った。

楯無「ハッ!」

 ッチ。とマッチをするような音が鳴った。
 目論見通りの攻撃が当り、岡部は脳震盪を起こす。

岡部「うごっ……?」

 肉体的なダメージではなく、脳を揺さぶる攻撃。
 耐える耐えないの問題ではなく、立っていられない。

 人間の脳は衝撃に強く出来ていない。
 前方へ崩れこむように、倒れる岡部。

 一夏は駆け出していた。
 


674 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:08:46.89YanLtjWJo (47/76)


一夏「凶真!」

 岡部の体を支えようとした、その瞬間。
 けれど岡部の膝は完全に崩れ落ちなかった。

楯無「……」

岡部「っぐ……脳震盪、か……」

一夏「えっ、凶真? 意識、あるのか?」

岡部「言った、はず……だ。慣れてい、ると」

 脳へのダメージ。
 揺れる世界。

 それは、リーディング・シュタイナーを発動したそれと少しだけ感覚が似ていた。
 その少しだけ。ほんのちょっとの似た感覚が、岡部の意識を現在に繋ぐ要因になる。

楯無「一夏くん。戻って」

一夏「あ……はい」

 降参をしていない以上、一夏が試合を中断して良い理由などどこにも無かった。

楯無「ちょっと痛いかもしれないけれど、3時のおやつには起こしてあげるから」

 冷たく。けれど柔和な口調を岡部は最後、耳にした。
 


675 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:09:17.73YanLtjWJo (48/76)



 ──。

 ────。

 ──────。
 
 


676 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:09:51.27YanLtjWJo (49/76)

 

 待ってくれ……。
 置いて──行かないでくれ。

「まゆしぃがオカリンを置いていくわけ無いのです」

 まゆり、良かった。
 ここは何だか良くわからなくて……まゆり?

「ボク達がオカリンを置いていくわけないっつーの」

 ダル、無事か?
 一体何が起きて……。

「──岡部。アンタが私達を置いていったんでしょ?」

 後頭部に当る柔らかな感触と共に、意識を取り戻していく。
 陽光が目に入り、視界が悪い。
 


677 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:10:38.45YanLtjWJo (50/76)


岡部「む……」

シャル「あ、オカリン起きたみたいだよ」

一夏「大丈夫か?」

岡部「まゆ……り?」

 光を遮るように、顔を覗いたのは一夏だった。
 顔を傾ける。

 柔らかく、熱を持った枕。
 気付くと岡部はシャルロットに膝枕をされていた。

シャル「ん? まゆり?」

岡部「なぜ、こんなことに……」

 当然、膝枕についての問いかけだった。
 前後の記憶が思い出せない。
 


678 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:11:08.26YanLtjWJo (51/76)


楯無「気絶した男子を介抱するのは、乙女の役目なのよ?」

 ひょいと、楯無が顔を出す。

シャル「もー。だったら楯無会長がしてあげれば良かったんじゃ……」

楯無「あら、だっておねーさんの膝は一夏くん専用だもの♪」

 軽く流した楯無だったが、シャルにとっては聞き捨てなら無い台詞だった。
 楯無に向けていた視線をくるりと一夏へと向ける。そこに笑顔はない。

シャル「一夏。どういうこと?」

一夏「いっ! いやっ、違うんだ。シャル……? 何で怒ってるんだ?」

シャル「知らない!」

 僕だって一夏のことを膝枕したかったよ。と呟く。
 勿論、一夏の耳には届かない微かな訴え。

 その訴えは岡部の耳には届いていた。
 


679 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:11:40.92YanLtjWJo (52/76)

 
岡部「何だかわからないが、迷惑をかけたようだな。すまない」

 好いた男の前で、このようなことをさせて申し訳ない。
 岡部はこの手の感覚にはかなり鈍い男であったが、一夏を取り巻く環境については嫌でも気がついていた。
 
シャル「あっ、えーっと。どういたしまして……」

 シャルが赤面して俯く。
 小さく漏らした声を聞かれたことに恥しさを覚えた。

岡部「俺は、失神したのか」

楯無「うん」

岡部「ルール上、降参さえしなければ負けではない。そうだったな?」

楯無「えぇ、そうね」

一夏「凶真……」

 一夏は心配だった。
 また、岡部が楯無に勝負を挑むのかと。

 力量の差は歴然。
 楯無が手加減をしているとは言え、続ければいずれ怪我をするだろう。
 


680 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:12:10.46YanLtjWJo (53/76)


楯無「……どうする?」

 しばしの間が空く。
 目を瞑り、悔しげに岡部が口を開いた。 

岡部「……悔しいが、床に倒すことも至難らしい」

シャル「IS学園生徒会長は学園最強たれ。楯無会長に勝つのはちょっと難しいよ……」

一夏「俺も最初の頃にボコボコにされたっけなぁ」

 しみじみと思い返す。
 あの時、一夏は岡部同様に一撃位は……と思っていた。
 


681 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:12:37.65YanLtjWJo (54/76)


楯無「あら失礼ね。ちゃーんと手心加えてあげたでしょう? それに私のおっぱ──」

一夏「──んなぁ! 凶真!! さすがに、ちょっとコレを続けるのは良くないと思うんだ」

 一夏が大声で無理やり話題を元に戻した。
 楯無はチェッと小さく、けれど笑顔で後輩の可愛い狼狽振りを楽しんでいた。

岡部「ワンサマーには心配をかけっぱなしだな……わかった」


 ──俺の、負けだ。


 敗北を認めた。
 その場に居た面々が胸を撫で下ろす。
 


682 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:13:16.61YanLtjWJo (55/76)


楯無「ん。素直でよろしい。ダメージの方はどう? なるべく残らないように打ったつもりなんだけど……」

岡部「未だに頭が少しぼやけるが……体は驚くほど痛みが無い」

一夏「あぁ、あれ凄かったなー……ええっと、デンプシー?」

楯無「デンプシーロール♪」

 楯無はくるくると指で“∞”を描きながら答えた。
 左右への高速体重移動。そこから∞の字を描くように頭を振りフックを叩き込む。

 楯無はその全てを岡部の顎先を掠めるように当てている。
 常人では考えられない技術であった。
 


683 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:13:42.93YanLtjWJo (56/76)


一夏「ははっ、本当になんでもありだなこの人」

シャル「僕が来たときには、オカリン完全に伸びてたからね」

楯無「はい、倫ちゃん」

 ぬるめのスポーツドリンクを差し出す。
 健康を考えると、キンキンに冷えた飲み物よりもこの位のものが適温であった。

 岡部の体調を配慮しての、ささやかな気配り。

岡部「これは?」

楯無「水分補給。それを飲んだら練習再開! 今日はみっちりやるわよ。特に一夏くん!」

一夏「えっ、俺ですか?」

 矛先を向けられ目を丸くする。
 なぜ自分の名前を呼ばれたのか理解できなかった。
 


684 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:14:23.16YanLtjWJo (57/76)


楯無「そ。今日は久々におねーさんが手取り足取り指導してあげる☆」

 その為に、一夏も袴へと着替えさせられていた。
 
一夏「えぇっ、ええっと……そうすると凶真は……?」

楯無「それは勿論、シャルロットちゃんが居るじゃない」

シャル「ふぇ?」

楯無「CQCの心得あるでしょ?」

シャル「まぁ……少しは」

 CQC(Close Quarters Combat)-近接格闘-
 代表候補生であるシャルロットも大抵の格闘技は納めていた。
 


685 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:14:56.13YanLtjWJo (58/76)


楯無「こほん。男の子2人とも良い? 良く聞いて」

 へらへらとしたムードが一転。
 ぴりりとしたものに変わった。

楯無「きっと“亡国機業”は今まで以上に、活動を活発にしてくるでしょう。
   一夏くんは元より、倫ちゃん。貴方も確実にターゲットに入ってくる」

 身の危険を警告する話題に2人の息が詰まった。
 楯無の声色にふざけたものが含まれていない。

楯無「勿論、生徒会長として。この学園の長として相手の好き勝手はさせやしない。
   けれどね? 私の体も1つしかないの」

 残念だけどね、と軽く付け足す。
 その顔は少女のようにあどけなく、淑女のように上品なものだった。
 


686 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:15:23.74YanLtjWJo (59/76)


楯無「一夏くんは経験済みだよね? “ISが呼び出せない”状況を。」

一夏「……っ」

 思い出す、学園祭の出来事を。

 あるはずの無い兵器“剥離剤”(リムーバー)を使われ、一時的にとは言え“白式”を奪われた苦い記憶。
 あの時、一夏はなす術なく暴行を受ける事しか出来なかった。

楯無「勘違いしないでね? 生身でISに挑んで欲しい訳じゃないの。
   ううん。そんなことは絶対にしてはだめ。私の言う体を鍛えるって言うのは、生存率を高めて欲しいということ」

 それを頭に入れておいてね。
 この言葉で楯無は話題を切った。

楯無「さ、て!」

 両手を叩き、場の空気を入れ替える。
 


687 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:16:09.80YanLtjWJo (60/76)


楯無「倫ちゃんの方はシャルロットちゃんに任せるわね?
   一夏くんはそうね……晩御飯の時間までにおねーさんから一本取れなかったらくすぐり10分の刑!」

一夏「無茶な……」

楯無「さー、始めるわよー♪」

 わきわきと指を動かしながら、一夏に詰め寄る楯無。

一夏「ちょっと! どう考えてもいきなりくすぐる気満々じゃないですか!!」

楯無「おねーさん知らなーい。えーい!」

 声を弾ませて一夏へと飛び込む。
 愉しそうな楯無の声と、悲惨な一夏の叫び声が午後の学園に響いた。
 


688 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:16:42.38YanLtjWJo (61/76)


シャル「えっと……ど、どうしよう?」

岡部「と聞かれてもな……俺には何をすれば良いのかすらさっぱりだ」

シャル「だよね……えーっと“生存率”を高めるために。かぁ……」

 ぶつぶつと楯無の言葉を反芻し意味を確かめるシャルロット。
 そんなシャルロットを見ていた岡部が不意に言葉を漏らした。

岡部「なんだ。その……悪かったな」

シャル「で、だから──……えっ? ごめん、聞いてなかった」

岡部「あーいや。ヂュノアからしたら、ワンサマーと組み手をしたかったろう。と思ってだな……」

シャル「ええぇっ!? えっ、えっー!?」

 一瞬にして透き通るように白い肌が赤く染まる。
 確かにそんな事を思ってもいたが、まさかそれを指摘されるとは露とも思っていなかった。
 


689 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:17:12.35YanLtjWJo (62/76)


シャル「(えっ!? えっ!? なんで、どうして? 何で知ってるの!?)」

 脳内で小さいシャルロット達が円卓を囲み会議を始める。
 あーでもない、こーでもないと言い合いをするも結果はまるで出てこない。

シャル「なっ、なんでそー思うの、かな……?」

岡部「何でも何も、ワンサマーを好いているの──ぉぉ!?」

 全てを言い終える前に、岡部の重心はシャルロットの前足により崩され後方に倒れた。
 すかさず、後頭部を打ち付けぬよう白く滑らかな掌が畳との間に割って入る。

 もう片方の手は岡部の口を完全に塞いでいた。
 迅速に相手の言動を封じ込めると同時に、ダメージを与えないケアまで行っている。
 


690 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:17:55.06YanLtjWJo (63/76)


シャル「なななな、何を言ってるノカナー? あはは」

 引きつった笑い声が岡部に届く。
 恋する乙女の秘密は、口にしてはいけない。

 例え、それがどんなに周知の事実であろうとも。
 
岡部「……」

 こくこくと、岡部が頷きアイコンタクトを送る。
 わかった。俺の勘違いだったようだ、と。

シャル「んんっ! もうっ、オカリンったら急に変なこと言い出さないでよね」

岡部「悪かった……」

 内心、今の動きの早さに動揺を隠し切れなかった。
 なんだこの学園の女生徒は。皆が皆、あのような動きを涼しい顔でこなすのかと。
 


691 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:18:29.49YanLtjWJo (64/76)


シャル「でも。今ので何となくの課題が見えたね?」

岡部「?」

シャル「防御、回避に重点を置こう」

岡部「それと今のやりとりの何が関係するんだ?」

シャル「あの程度の足払いを避けれないようじゃダメってこと」

岡部「……なるほどな」

 あの全てを刈り取るような足払いを、あの程度扱い。
 自らがその攻撃を華麗に回避する様を岡部は想像出来なかった。
 


692 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:19:00.77YanLtjWJo (65/76)


シャル「じゃぁ僕が軽く攻撃していくから、オカリンはそれを避けてね。
    思い切りは打たないけど、当ると痛いと思うからちゃんと避けないとダメだよ?」

 全てにおいて気遣いを感じさせるシャルロットの言葉。
 何と無しに、優しさの方向がまゆりと似てる気がして岡部は嬉しくなった。

 無論、まゆりがここまで気の利く娘だと言うわけではなく雰囲気的なものだった。

岡部「よろしく頼む」

シャル「うん。じゃぁ行くよー」

 風を切る音が聞こえた。

岡部「え?」

 回避行動を取ると言う思考フェイズを無視して攻撃が届く。  
 


693 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:19:46.97YanLtjWJo (66/76)


シャル「え?」

 軽く放った、左のジャブが岡部の鼻っ面を叩いた。
 ツーっ、と鼻血が滴る。

シャル「わっわっ!」

岡部「鼻血……か」

シャル「ご、ごめんね!? 当るとは思わなくって……」

 それもそのはずで、シャルロットは岡部と楯無のやり取りを観戦していない。
 彼女の中で、岡部は最低でも一夏程度のフィジカルを持っていると勘違いしていた。

 恋する乙女の補正により、両者が戦えば一夏が勝利することは揺るがないが。
 


694 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:20:33.87YanLtjWJo (67/76)


岡部「いや、痛みはさほど無い……」

シャル「ティッシュ、ティッシュ。あった! はい、これ使って!」

 ティッシュを差し出された岡部はそれで鼻血を拭った。
 ぼーっとどうでも良い事が脳裏に浮かぶ。

 大人しそうなシャルロットですらこのレベルの攻撃をさらりと繰り出す。
 秋葉原で絡んできたチンピラがいやに可愛く思えてくる。

シャル「大丈夫……?」

 心配そうに顔を覗いてくる。
 その顔は均整がしっかりととれていて、肌も白く金髪がイヤらしく無い。

 ダルがラボでよくプレイしていたゲームなどに出てくる、西洋の美少女そのままだった。
 


695 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:21:07.67YanLtjWJo (68/76)


岡部「だ、大丈夫だ。問題ない」

シャル「ほんと?」

 19回目の誕生日を既に迎えている岡部にとって、高校1年生など年下も良い所で異性として意識すること自体、
 何か後ろめたいものを感じ顔を逸らしてしまう。

岡部「中断して済まなかった、さぁ続きをやろう」

シャル「本当にもう大丈夫? オカリンが良いって言うなら良いけど……」

岡部「うむ。あちらで、ワンサマーも頑張っている」

 道場中央に視線を向ける。

一夏「ぎゃあああああああああああああああああ」

 一夏が断末魔を挙げながら楯無に関節を決められていた。
 密着した体から感じる温もり、関節が逆に向けられる痛み。

 天国と地獄を現在進行形で味わっている。
 


696 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:21:33.68YanLtjWJo (69/76)


シャル「そう……だね、あはは……」

岡部「俺の反射神経、運動力の低さは異常だ。根を上げずに付いて来れるか?」

シャル「ぷぷっ、何それ。面白いねオカリンって」

 顔面へ迫る左右の突き。
 忘れた頃にやってくる足払い。

 シャルロットの教官としての腕前は楯無の期待した以上のもので、岡部の実力を与して抑えられている。
 段々と避けられるようになる攻撃。

 避けれないと判断すれば、腕や足で防ぐ。
 夕暮れになるころには、それなりの動きが見に付いていた。

 1日でどうこうなるものではなく、あくまでそれなりにではあるが大した成果と言える訓練だった。
 


697 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:22:00.76YanLtjWJo (70/76)


岡部「はぁ、ふぅ。ふぅ、はぁ」

 途切れ途切れになる呼吸。
 17時を回る頃には岡部の体力は底を付きかけていた。

シャル「うーん、結構頑張ったかな?」

 防御行動だけの岡部とは違い、力加減や動き方を指導していたシャルロットは倍以上の運動量だがケロりとしている。
 特に息の乱れも無く、汗も少量しかかいていなかった。

楯無「はーい、お疲れさまー」

一夏「痛ててて……」

 陽気な楯無と、ぼろぼろの一夏が2人のもとへと戻ってきた。
 


698 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:22:26.72YanLtjWJo (71/76)


シャル「お疲れさまです。会長ご機嫌ですね? 何か良いことでも?」

楯無「一夏くんがおねーさんにマッサージしてくれるんですって♪」

シャル「へ、ぇ」

 ピシリ。と音が聞こえてきそうなほど、シャルロットの表情が固まった。

一夏「……えっと、シャルロットさん?」

シャル「なに、織斑くん?」

一夏「(怒ってる。なんでかサッパリ解らないけど、シャルのやつ怒ってるよな?)」

 シャルロットは怒る時、箒や鈴音のように直情的な行動を取ったりはしない。
 静かに怒る。

 一夏にとってはそれがなによりも恐ろしかった。
 


699 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:22:52.83YanLtjWJo (72/76)


楯無「おねーさんから一本も取れなかった罰に、くすぎりの刑を予定してたんだけどね?
   マッサージで簡便してくれって言うの」

シャル「へぇ。そうなんですか」

 感情を感じさせない喋り口調。
 シャルロットが怒った時に見せる特徴の一つだった。

一夏「(うぐっ、シャルの目が笑ってない……まずい)」

一夏「あの──さ、シャル」

シャル「……」

一夏「シャルも今日は疲れたろ? 良かったらマッサージしてやろうか……なんて、イヤいらないよな、そんなもん」

シャル「──え?」

一夏「ごめんな、変なこと言っ──」

シャル「いっ、今なんていったの!?」

 聞き返すシャルロット。
 その声はとても大きく、岡部が肩をすくましている。

 楯無は、くすくすと笑っていた。
 


700 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:23:29.63YanLtjWJo (73/76)


一夏「えっと、ごめんな?」

シャル「じゃなくって! その、マッサー……ジ、してくれるの……?」

 頬が朱に染まり、上目遣いで一夏を見つめる。

一夏「ん? あぁ、まぁシャルが疲れてたらなんだけど」

シャル「う、うん! 僕今日すっごく疲れちゃって、や、やー助かっちゃうなー?」

 わざとらしい声をあげる。
 どうみても棒読みなそれに一夏は気付かない。

一夏「そうか、なら後で俺達の部屋に来てくれよ。マッサージするからさ」

シャル「うん! や、約束だよ?」

 そう言って、シャルロットは小指を一夏に差し出す。
 げんまんの約束をする際のおねだりだった。
 


701 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:23:57.10YanLtjWJo (74/76)


一夏「ん? 指切りするほどのことじゃ──」

シャル「や、約束だからね!」

一夏「お、おう」

シャル「指切りげんまん、ウソついたらクラスター爆弾のーますっ♪」

 毎度おなじみの決まり文句をつける。
 先ほどまで膨れっ面だった、シャルの顔はもうご機嫌そのものだった。

シャル「指切った♪」

一夏「おう」

シャル「えへへ」

 その様子を見ていた、岡部がポツリと呟く。
 


702 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:24:35.56YanLtjWJo (75/76)


岡部「これが10代女子というものか……」

楯無「あら、倫ちゃん。私もシャルロットちゃんと1歳しか違わないんだけど?」

岡部「そうか……」

 そうは見えないな。

 言いかけて飲み込む。
 ろくな事にはならないと容易に想像がついたからだった。

楯無「倫ちゃん。食事の前に10キロマラソンね?」

岡部「……なっ!?」

 決して口に出した訳ではない。
 まるで思考を読み取られたのではないかと錯覚する。

楯無「これは意地悪じゃないの。本当に。
   自分の体力の無さ覚えてる? これからは毎日朝晩10キロマラソン。生徒会長命令だからね♪」

岡部「……」

 ぐうの音も出ない。
 岡部にとっての本当の地獄はここからだった。
 


703 ◆3R1.cwV0LI2012/10/04(木) 04:25:11.29YanLtjWJo (76/76)

おわーり。
ありがとうございました。


704VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/04(木) 04:28:32.77pePFGEREo (2/2)




705VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/04(木) 17:35:25.06SHTc43XTo (1/1)

乙!

前作もリアルで追いかけてたけど相変わらず面白いわ


706 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:30:43.51GYoJEvqSo (1/72)

投稿します。


707 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:31:15.78GYoJEvqSo (2/72)

>>702  つづき。




……。
…………。
……………… 

 
 


708 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:32:07.34GYoJEvqSo (3/72)



 牧瀬紅莉栖はラボで楽しい時間を過ごし上機嫌だった。
 IS学園に付く頃には夕飯時を過ぎていたが、牛丼さんぽにて早めの夕食を済ませていたのでさほど問題でも無い。

 門を潜り、学園内へ。

紅莉栖「(今日は楽しかったな。後で岡部に嫌がらせ半分で話しをしてやろう)」

 なんてことを考えながら歩いていると、体育アリーナでランニングをしている人影が目に入った。
 遠目で見た限りでも酷くよたついており、いつ倒れても不思議ではない。

紅莉栖「休日だって言うのに熱心な子も居るのね。岡部も見習って──」

 ふらふらと走り続けている影の身長は高く、紅莉栖の良く知る人間に似ていた。

紅莉栖「……お、かべ?」

岡部「ぜひっ、ぜひっ……はっはっー……」

 首と両手はだらしなく垂れ下がり、もはや前を見て走っていない。
 肌寒い季節になってきたと言うのに、大量の汗をかいていることから相等な時間を走っているのだろう。
 


709 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:32:38.35GYoJEvqSo (4/72)


紅莉栖「ちょっと、大丈夫なのアイツ……」

岡部「あっ、あっ……ひっは、ひっはっ──」

紅莉栖「あっ」

 足がほつれて、前のめりに倒れこむ。
 良く目を凝らすと、岡部の服装は土埃で大分汚れていた。

 何度も倒れたのだろうと容易に想像がつく。

岡部「あー……はぁ、もう、無……理だ」

紅莉栖「ギブアップですか? 鳳凰院凶真さん?」

 後方から声がかかる。
 この学園で岡部にとって最も馴染みの深い声だった。
 


710 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:33:13.30GYoJEvqSo (5/72)


岡部「助手か……」

紅莉栖「うむ。ただいま帰った」

岡部「ラボの様子はどうだった」

紅莉栖「第一声がそれか。いいから、立ちなさいよ。ん」

 そう言って、手を差し出す。
 岡部は一瞬躊躇ったが大人しく手を借り、立ち上がった。

 シェイクハンドすら拒んでいた時とは比べ物にならないなと、自嘲気味に口元が歪んだ。

岡部「すまんな」

紅莉栖「どんだけ走ってるの?」

岡部「トラック1週が1キロだそうだ。今8週目……あと2週だ」

紅莉栖「10キロマラソンか。平均的な成人男性だと1時間位かかると言われてるわね」

岡部「いちっ!?」

紅莉栖「ん? ……アンタ、今何時間走ってる?」

 ちらりと岡部が時計を流し見た。
 走り始めてから2時間が経過しようとしている。
 


711 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:33:49.37GYoJEvqSo (6/72)


岡部「……ランニングの前にもそれは酷い拷問を受けていてだな」

紅莉栖「はいはい、言い訳乙! 見ててやるから、残りの2週してきちゃいなさいよ」

岡部「み、見られていると本来の力がだな!」

紅莉栖「いーから、さっさと行く!」

岡部「くっ……覚えていろよ助手……」

 岡部は再び重い足を前に出し、走り始める。
 紅莉栖と会うまでより足の重さが軽くなっていたが、その理由はわからなかった。

紅莉栖「よいしょっと……」

 階段に腰をかけて、走り続ける岡部を見つめる。
 ひたすらに走り続ける岡部を見るのは悪い気がしなかった。
 


712 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:34:23.40GYoJEvqSo (7/72)


紅莉栖「そうだ、飲み物を買っておいてやるか」

 残り二週。

 今の岡部の体力を考えるならそう簡単に走破はしないだろう。
 紅莉栖はさっさと食堂へ向かい、ドクトルペッパーを2本購入した。

岡部「ぜひっ、ぜひっ……おわっ、終わった……」

紅莉栖「はいお疲れ様」

岡部「かっ、軽く言う、なっ……並みのお疲れじゃないぞ……まったく……」

 ぜひぜひと呼吸を乱しながら反論をするが紅莉栖は聞き入れない。

紅莉栖「ドクペ買っておいたわよ」

岡部「はぁはぁ、気が利くではない──」

 ドクトルペッパーを受け取ろうと手を差し出したが、岡部にとってとんでもない情景が目に映った。
 シャカシャカシャカと缶を振り始める紅莉栖。
 
 炭酸飲料であるドクトルペッパーをシェイクし始めたのだ。
 


713 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:34:57.02GYoJEvqSo (8/72)


岡部「なっ、なっ、何──を」

紅莉栖「ん? なにって、炭酸を抜いてるのよ」

 プルタブを空けると、炭酸が気化しその勢いで中身が少しばかり零れた。

紅莉栖「ちょっと濡れちゃった。ま、良いか。はい、岡部」

岡部「い、嫌がらせか……?」

紅莉栖「? 何を言ってる。運動直後に炭酸バッチリのドクペなんて体に良いわけ無いでしょ。
    スポーツドリンクを素直に飲めば良い話しだが、こっちの方が良いでしょ? ほら、飲みなさいよ」

岡部「ぐぬぬ……炭酸抜きコーラではなくドクペとは……」

紅莉栖「後はこの後に、おじやとバナナを食べれば完璧ね。付け合せは梅干で良い?」

岡部「それは結構だ」

 軽口を叩きあっていたが、紅莉栖の心遣いは岡部の心に温かいものを落す。
 日が翳っていたお陰で、頬の肉が僅かに緩んだことがばれずに済んだと内心ホッとした岡部であった。

 ぐい、と気の抜けたドクトルペッパーを飲み干す。
 紅莉栖は自分の分をチビチビとあおっていた。
 


714 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:35:28.78GYoJEvqSo (9/72)


紅莉栖「どうすんの? シャワー浴びて食堂?」

岡部「む……相変わらず食欲が無いんだが」

紅莉栖「これはますます、おじや。それにバナナを……」

岡部「何時まで同じネタを繰り返すのだ天丼娘よ」

紅莉栖「む。まゆりがお土産にバナナをくれたのよ」

 スーパーの袋に包まれたバナナを岡部に見せる。
 バナナが2房入っていた。
 


715 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:35:54.92GYoJEvqSo (10/72)


岡部「そうか……まゆりが。ならば夕食はバナナにするとしよう」

紅莉栖「牛乳とバナナ、後はラウラに貰ったプロテインをシェイクすれば栄養的には完璧ね」

岡部「そうだな、プロテインだな……」

 ラウラから飲んでおけと、半ば強制的に手渡されたプロテイン。
 毎日それを牛乳や豆乳に溶かして飲んでいた。

 味もそこまで悪くないし、腹持ちも良い。
 今の岡部にとっては理想的な栄養素を全て取れる大変優れたものである。

 食欲が出ないため、尚のことだった。

岡部「俺は今から恐ろしい。眼帯娘は俺に一体何をする気なのだ……」

紅莉栖「考えすぎよ。岡部の身体を思ってのことでしょ」

岡部「そう、だな。飲まないとな……」
 


716 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:36:21.35GYoJEvqSo (11/72)



……。
…………。
……………… 

 


717 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:36:49.64GYoJEvqSo (12/72)



 ─自室─


楯無「んー気持ち良かった♪」

一夏「それはどうも」

 一夏のベッドの上で寝転んでいた楯無が大きく背筋を伸ばした。

一夏「さ、次はシャルだな。ここに寝てくれ」

シャル「う……うん」

 シャルロットは下に深く俯いている。
 楯無がマッサージを受けている姿を見て、次は自分の番だと想像している内にみるみると頬が紅く染まってしまっていた。

シャル「(よ、よよよよし! 次は僕の番だ……)」

 ギクシャクと、同じ側の手足が同時に出てしまう。
 誰の目から見ても緊張のしすぎだった。
 


718 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:37:17.20GYoJEvqSo (13/72)


楯無「(ナンバ歩き……)」

一夏「よっと、じゃぁ足から行くからな?」

シャル「おおお、お願いしまう!」

一夏「力抜けよー」

 ぐっぐっ、と足の裏からの指圧が始まった。
 慣れた手つきで体をほぐしていく。

シャル「(はうー気持ち良い……一夏の手って暖かくて大きくて……」

一夏「(さすがシャルだ。全体的に引き締まって……いかんいかん! 集中。集中)」

楯無「うふふ。後はお若い2人に任せておねーさんは帰るわね。
   それと一夏くん。良かったらまた倫ちゃんのマッサージもお願い。
   きっと足がパンパンになってるはずだから……」

 今頃、岡部はヒィヒィ言いながらマラソンを行っている。
 帰って来る頃には昼間の運動も合わせて疲労困憊は必然だった。 
 


719 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:37:45.76GYoJEvqSo (14/72)


一夏「あ、はい。薬もまだ残ってるから大丈夫です」

楯無「ん。今日はお疲れ様。一夏くんも早く寝るのよ? おやすみ」

 そう言って楯無は部屋を出て行く。
 シャルロットと一夏が2人きりになった。

一夏「凶真頑張ってたもんな、帰ったらきっちり筋肉ほぐしてやらないと」

シャル「(わわわっ! 一夏と2人っきりになっちゃった!!)」

一夏「そう言えば、シャル」

シャル「は、はひ!?」

 緊張と嬉しさの中でつい声が上ずってしまった。
 一夏に自分の動揺がバレたかと思い、さらに頬が紅く染まる。
 


720 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:38:23.78GYoJEvqSo (15/72)


一夏「凶真はどうだった?」

 半分期待していたシャルロットだったが、一夏の口調は何時も通りの唐変木っぷりだった。

シャル「あー、うん。えっと……」

 全く関係無い想像をしていたので回答に詰まる。
 “高速切替”(ラピッド・スイッチ)よろしく、瞬時に脳内を切り替えた。

シャル「一夏ほどではないけど、筋は良いと思うよ。運動音痴って訳じゃなくて、今まで運動をしてこなかったんだろうね」

一夏「そっか、シャルが言うなら間違いないな」

シャル「えへへ……あっ、一夏……そこ、気持ち良い……」

一夏「ん? ここか?」

 肩甲骨を指圧する指に力が入る。
 どうやらその部分がこっていたらしく、シャルは何ともだらしのない声をあげる。
 


721 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:38:56.23GYoJEvqSo (16/72)


シャル「はぅー……きもひーぃ……」

 ──ガチャリ。

 唐突に開かれる扉。

 岡部が入室したと同時に、聞こえてくるシャルロットの嬌声らしきもの。
 誤解するには充分な要素が揃っていた。
 
岡部「……」

シャル「……」

 岡部とシャルロットの目線が交差する。

シャル「あの、あのっ、えっと……」

岡部「部屋を間違えたようだ」

紅莉栖「ちょっと、どうしたのよ?」

 岡部の後ろから紅莉栖の声も聞こえてくる。
 シャルロットの顔は最早ゆでタコのように真っ赤だった。
 


722 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:39:24.18GYoJEvqSo (17/72)


一夏「お、凶真おかえり! おつかれ!」

シャル「はうー……」

 もう逃げられない。
 そう確信したシャルロットはその火照った顔を枕へと押し付けた。

岡部「あ、あぁ……ランニングが今終わってな……」

紅莉栖「お邪魔しまー……」

 一夏は気にせず、背中を指圧している。
 ゆでタコになったシャルロットは枕に顔をうずめて、うーうーと呻いていた。

紅莉栖「……つまり、どういうことだってばよ」

岡部「俺に聞くな……」

一夏「ん? あぁ、シャルにマッサージしてやってるんだよ」

岡部「そうか、マッサージだったか……」

紅莉栖「中々衝撃的な絵ね……」

 一夏はなんとも思ってないのだろうが、端から見たらいかがわしく見える光景。
 2人はシャルロットの心境を推して測った。
 


723 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:39:53.73GYoJEvqSo (18/72)


一夏「あとちょっとで終わるからさ。そしたら次は凶真もマッサージしてやるから」

紅莉栖「(何て良い子なの……女子の身体を揉んでいると言うのに、すでに岡部の身体を考えているなんて)」 

岡部「……お言葉に甘えるとしよう。情けない事に足が棒のようだ」

 年下のルームメイトに何度もマッサージをさせると言うのは、岡部なりの何かが抵抗していたがそれ以上に身体は疲弊している。
 岡部は素直に一夏の提案を受け入れた。

一夏「それじゃ、先にシャワー浴びてこいよ」

岡部「うむ。そうするとしよう。」

紅莉栖「(なんて会話なのかしら……)」

 1人顔がニヤける紅莉栖。
 その表情を見た者は幸いにもいなかった。

 岡部はよたよたと足を引きずりながらシャワールームへと入っていく。
 それを見届けた紅莉栖は、袋からバナナを取り出した。
 


724 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:40:22.60GYoJEvqSo (19/72)


紅莉栖「っと、私は夕飯の用意をしておきますか」

一夏「夕飯?」

紅莉栖「食欲無いって言うから、プロテインバナナシェイクを作ってやろうと思ってね」

一夏「へぇ、そいつは美味そうだな」

紅莉栖「一夏も飲む?」

一夏「作ってくれるのか? ありがたい」

紅莉栖「任された。っと、食材がちょっと足りないわね……時間ギリギリか。
    ちょっと購買へ行って買って、そのまま調理室で作ってくるわね」

一夏「おう、いってらっしゃい」

紅莉栖「いってきます」

 バナナとプロテインを持ち、紅莉栖が部屋を飛び出していく。
 その一夏の下で顔を真っ赤にしていたシャルロットが起き上がった。
 


725 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:40:49.27GYoJEvqSo (20/72)


一夏「お、どうした? もう良いのか?」

シャル「う、うん……ありがと」

 情けない声を一夏以外の人間に聞かれてシャルロットは心底恥しさを感じていた。
 顔は未だにゆでタコ状態である。

シャル「(あぅ……オカリンと、それに紅莉栖にも聞かれたよね? 恥しいなぁ……)」

一夏「疲れは取れたか?」

シャル「うん、おかげさまで。あっ、あの……今日は帰るね。一夏、マッサージありがとう」

一夏「ん。どういたしまして、またな」

 シャルは俯き、顔を隠しながら部屋を出て行った。
 廊下ですれ違った女生徒が、顔を真っ赤に染め、早歩きで一夏の部屋から出て行く様を勘違いしたのは言うまでもない。
 


726 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:41:15.70GYoJEvqSo (21/72)


一夏「プロテインバナナシェイクか……美味そうだな」

 暫く待っていると、紅莉栖が帰ってくる前に岡部がシャワールームからガシガシと頭を拭きながらベッドに腰を下ろした。

岡部「ふう……む、ヂュノアと助手はもう帰ったのか?」

一夏「シャルはもう帰ったよ。紅莉栖はバナナプロテインシェイクを作りに行ったぜ」

岡部「そうか、作りに……つく!?」

 語尾が跳ね上がる。
 風呂上りだと言うのに、嫌な汗が浮かび上がる。

一夏「ん? どうかしたか?」

岡部「わ、ワンサマー。助手は何と言って出て行った?」

一夏「え? ええっと……食材が足りないから、購買で買って調理室で作ってくるって」

岡部「……」

 岡部は頭を抱える。
 顔面はみるみると蒼白になり、心なしか震えが見えた。
 


727 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:41:42.71GYoJEvqSo (22/72)


一夏「凶真……?」

岡部「いや、なんでもない。恐らく牛乳を買いに行ったんだろうな、うむ」

一夏「牛乳でバナナシェイク作ったら美味いもんなぁ」

岡部「あぁ、牛乳とバナナで作って不味いドリンクなど出来る訳が無いからな」

 岡部は笑顔を取り繕った。
 おそらく、この学園に来て初めて作ったであろう笑顔は引きつっていた。

一夏「楽しみだなぁ」

 一夏のこの一言が、どんな言葉よりも岡部の胸に深く突き刺さった。

岡部「そうとも、助手は牛乳を買いに行ったのだ……」

 近頃はプロテインを飲む習慣が出来ているため、冷蔵庫には牛乳が常備されている。
 そのことを思い出したくも無い岡部であった。
 


728 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:42:08.94GYoJEvqSo (23/72)



……。
…………。
……………… 

 


729 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:42:38.62GYoJEvqSo (24/72)


 紅莉栖「~~♪」

 鼻歌交じりに廊下を闊歩する紅莉栖。
 傍目から見ても気分は上々のようだ。

紅莉栖「(調理と言うには、物足りないけれど……久しぶりね。岡部のやつ喜ぶと良いな……)」

 ふふふっ。と笑みを浮かべながら購買へと足を向ける。
 廊下の角を曲がると見知った顔と目が合った。

セシリア「あら、紅莉栖さん?」

紅莉栖「セシリア」

 クラスメイトであり、ルームメイトであるセシリアと出くわした。
 岡部を除けばルームメイトであるため、実は一番話をしている人物でもある。
 


730 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:43:04.62GYoJEvqSo (25/72)


セシリア「こんな時間にいかがいたしましたの?」

紅莉栖「ちょっとね。岡部と……ついでに一夏にバナナシェイクをご馳走してあげようかと思って」

セシリア「まぁ……一夏さんにも?」

 “一夏”。
 このワードが出たら黙ってはいられない。

 次にセシリアがなんと言いだすか、想像するのは容易いことだった。

紅莉栖「岡部が食欲無いからなんだけど、そう話したら飲みたいって言ってきてね」

セシリア「それでしたら! 私もお手伝いいたしますわ!」

紅莉栖「そう言えば、セシリア“も”料理が得意って言ってたわね」

 同室である2人は稀に料理の話しで盛り上がることがあった。
 お互いに腕自慢であったため、良い機会だと言わんばかりに話しが進む。
 


731 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:43:33.12GYoJEvqSo (26/72)


セシリア「えぇ! これでも少しは腕に自信がありましてよ?」

紅莉栖「……そうね、じゃぁ一緒に購買へ行って買い物をしてから調理室に行きましょう」

セシリア「久々に腕がなりますわ。一夏さんの喜ぶ顔が目に浮かびますわね♪」

 こうして2人は仲良く料理の話しをしながら購買部へと向かった。
 紅莉栖の得意料理は“アップルパイ”であり、セシリアの得意料理は“卵サンド”など他愛も無い料理話しに華を咲かせる。

紅莉栖「──でも、卵サンドが得意ってなんだか珍しいわね」

セシリア「いいえ、紅莉栖さん。素材の味を殺さずに引き立てなければいけない卵料理は得てして難しいものなのですわ」

紅莉栖「なるほど……勉強になるわね」

 2人の購買への足取りは実に軽いものであった。
 


732 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:43:58.95GYoJEvqSo (27/72)



 ─購買部─


セシリア「それで……一体何を揃えるおつもりですの?」

紅莉栖「んー、基本はプロテインとバナナと牛乳。後は、肉体疲労を回復させるためにその条件を満たす食材を隠し味に」

セシリア「なる……ほど、では私も見繕ってみますわね」

紅莉栖「うん。別々の効能があっても面白いし、そうしましょう……っと、あった。梅干」

セシリア「疲労回復……といえば、やはりトマトですわ」

 それぞれの思惑を孕みながら買い物は10分程で終了した。
 野菜、果物、肉類等々……およそドリンクとは無縁と思える食材が袋に詰められていく。
 


733 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:44:24.85GYoJEvqSo (28/72)


紅莉栖「さっ、後は調理するだけね。今頃、岡部が一夏にマッサージを受けてる頃合だし作って完成して丁度良い時間ね」

セシリア「参りましょう」

 2人の後姿は勇壮に見えるほどに気合が入っていた。


……。
…………。
……………… 


 


734 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:44:57.45GYoJEvqSo (29/72)



 ─調理室─


 調理室に足を踏み入れた2人はさっそく調理に取り掛かった。
 お互いに必要とされる調理器具を用意していく。

紅莉栖「フライパンはどこにあるのかしら」

セシリア「紅莉栖さんはスチームコンベクションをお使いになられますかしら?」

紅莉栖「大丈夫よ。今回はそれほど手間のかかるものじゃないから、フライパンとミキサーがあれば」

セシリア「でしたら、私1人で使わせて頂きますわ」

紅莉栖「OK」

 紅莉栖は熱したフライパンにオリーブオイルを垂らすと、種を取った梅干を炒め始める。
 負けじとセシリアも何故かスチームコンベクションにトマトを放り込んだ。
 


735 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:45:34.19GYoJEvqSo (30/72)


紅莉栖「豚肉には高い疲労回復効果がある。そして梅干の酸味は食欲を引き出す……と」

セシリア「やはり、赤い色をしていた方が良いんですわよね……」

 お互いに自分の世界へ入り込み、ぶつぶつと声を出しながら調理していく。
 熱された梅干の香り。

 セシリアの使う赤い調味料達が放つ酸味や辛味の混じった香り。
 その他の匂いが調理室に充満していく。

紅莉栖「後は、これを混ぜて……あっ、ゴマも入れなくっちゃ」

セシリア「裏ごししたこれらを混ぜて……」

 ほぼ同時に2人が最後の仕上げ。
 ミキサーでのシェイク作業に入った。
 


736 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:46:01.47GYoJEvqSo (31/72)


紅莉栖「セシリアのは……随分と赤いわね?」

セシリア「紅莉栖さんのは、少し茶味がかってますわね?」

紅莉栖「結果的に茶色が強くなってしまったけど、効果はばっちりのはずよ。
    健康面を考えて大豆等の植物性たんぱく質も入れたしね」

セシリア「うふふっ。御ふた方の喜ぶ顔が今から楽しみですわね♪」

 翌日、この調理室から異臭騒ぎが広がりしばらくのあいだ使用禁止となる。
 調理場から検出された食材からも、この異臭の原因となる物質は発見されず、理由はわからず仕舞いとなった。

 


737 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:46:37.90GYoJEvqSo (32/72)


 
……。
…………。
……………… 

 


738 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:47:04.08GYoJEvqSo (33/72)



 ─自室─


一夏「よっと……こんなもんか」

 ふう、と一息ついて腕の動きを止める。
 足裏から始まったマッサージは、すでに首筋まで終わっていた。

岡部「助かった。だいぶ身体が楽になった……」

一夏「楯無さんがくれた薬の効果だろうな。すげー効きそうだもん」

 軟膏でべたべたになった手を洗いながら一夏が答える。
 薬の効果は勿論だが、それを手で浸透させる作業。

 マッサージが一番効果を上げていることを岡部はわかっていた。
 


739 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:47:33.60GYoJEvqSo (34/72)


岡部「(この男に礼を言っても、暖簾に腕押しのようだな……)」

 ありがとう“一夏”。
 と心の中で岡部は礼を言った。

一夏「それにしても、遅いな」

岡部「……」

 この一言で、マッサージの心地良さに浸っていた岡部の表情が固まる。

一夏「プロテインバナナシェイク……だよな? ミキサーに入れるだけなのに、もう30分近くたつぜ?」

岡部「お、女には色々とあるのだろう……うむ」

一夏「?」

 岡部の戸惑いを理解出来ない一夏は首を傾げることしか出来なかった。

 ──コンコン。

 控えめなノック音に2人が振り返る。
 一夏は笑顔で、岡部はドアから顔を背けていた。
 


740 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:48:05.12GYoJEvqSo (35/72)


紅莉栖「ハァイ。少し、時間がかかっちゃった」

 出迎える一夏。
 紅莉栖の後ろに見知った顔が見受けられた。

一夏「おかえり、紅莉栖。って、セシリアも一緒じゃないか。どうしたんだ?」

セシリア「偶然にも紅莉栖さんと居合わせまして、お手伝い致しましたの」

一夏「……セシリアも作ったのか?」

 ゴクリ。喉が鳴る。
 一瞬にして笑顔が引きつったものに変貌した。

セシリア「えぇ! このセシリア・オルコットが一夏さんの為に特製のプロテインジュースをこさえて差し上げましたのよ!」

一夏「……」

紅莉栖「セシリアって料理上手なのよね、参考になるお話を沢山聞いちゃった」

セシリア「うふふ。紅莉栖さんこそ、博識でいらっしゃってタメになりましたわ」

岡部「……」

 紅莉栖とセシリアはニコニコと顔を向けながら笑みを浮かべた。
 言葉を失う男子2人。
 


741 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:48:43.81GYoJEvqSo (36/72)


一夏「えっと……俺の分は紅莉栖が?」

紅莉栖「もう。女子の話しはちゃんと聞いてなきゃダメよ一夏。貴方の分はセシリアが作ってくれたわ」

岡部「では、俺の分は……」

セシリア「もちろん、紅莉栖さんですわ」

 そう言うと二人はドン。とテーブルに2つの透明なタンブラーを置いた。

 片方は茶色の濁った液体。
 もう片一方は真紅に染まった血の色のような液体だった。

セシリア「さ、一夏さん。赤い方が私のですわ」

紅莉栖「岡部、茶色の方が私の。そ、その……栄養とかちゃんと考えたから……身体に良いと、思う……」

 ゴクリ。
 生唾を飲み込む音が、2人の喉元から響いた。
 


742 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:49:09.72GYoJEvqSo (37/72)


岡部「……ッッ!!」

一夏「……ッッ!!」

 空を切り裂く音が響く。 
 もの凄い勢いで、部屋の主達が行動を同時に開始した。

紅莉栖「あ!」

セシリア「え!」

 交差する2人の右腕。

 岡部の手元には赤い液体の入ったタンブラーが。
 一夏の手元には茶色い液体のタンブラーがそれぞれ握られている。
 


743 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:49:36.45GYoJEvqSo (38/72)


岡部「フゥーハハハ! Ms.シャァーロックよ。真紅の液体はこの鳳凰院凶真にこそ相応しい!!」

一夏「いやぁー! さっきトマトジュース的なの飲んじゃったからさ、ちょっとこっち飲んでみたいかなーって!!」

 保身。
 お互いがお互いに、自分の事しか考えずに取った醜い行動。 

岡部「(すまん、ワンサマー。貴様には礼を言っても言い切れない程の恩と、友情を感じている。
    感じてはいるが……これは──)」

一夏「(わりぃ、凶真。疲れてるってことは知ってる。大事な仲間だとも思っているぜ。
    だけど、だけど……これは──)」


 「「((これは、絶対に譲れない!! それだけは飲めない!!)」」


 シンクロする思い。
 短期間ではあったが、2人には確かな友情が芽生えていた。
 


744 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:50:16.81GYoJEvqSo (39/72)


紅莉栖「ちょっと、おか──」

セシリア「お待ち下さい、いち──」

 2人の調理者が何かを訴えかける前に漢達はタンブラーを傾けた。
 まるで、壮年の男が一気にビールを喉に流し込むような。

 そんな爽快な飲みっぷりを披露する漢2人。

岡部「ぶはぁっっ!!!!」

一夏「おえっぇえ!!!!」

 赤い噴水と、汚濁した滝が流れた。

紅莉栖「ふぁっ!?」

セシリア「きゃっ!?」

 その光景に驚き、慌てふためく2人の女子。
 一体何が起きたかわからず、ただただその情景を見ることしかできなかった。
 


745 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:51:07.55GYoJEvqSo (40/72)


岡部「な゛ん゛っだごれ゛ば! 辛い゛……痛い゛、ずっぱい……舌ががが、喉が、食道がっが、胃がっ……」

 喉を押さえのたうち回る岡部。
 目は充血し、顔もみるみると真っ赤に染まっていく。

 身体は痙攣を起こし始めた。

一夏「おぇぇぇえぇ……おろろ……ぶぶぶぷっ……おぅ、む、無理だ……ごぁっ……」

 びしゃびしゃと、飲み干したはずの液体が逆流いていく。
 胃が飲み込んだ異物を“毒”だと判断し、強制的に吐き出させる生理現象。

 部屋が汚れるとはわかっていても、止めることは出来ない。

紅莉栖「えっえっ?」

セシリア「いったい、なにが……」

 のたうち回る男と、嘔吐をし続ける男。
 異様な光景が女子の目に映る。
 


746 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:51:38.84GYoJEvqSo (41/72)


岡部「く、ぐり゛ず……い、いっだい何を……何を作った……」

一夏「せしり……うぷっ、な、何を凶真の方に、にに、いれ……うぷ」

紅莉栖「え、えっと……プロテインとバナナと牛乳だけじゃ味気ないと思って……」

 梅干、豚ばら肉、納豆。
 何故か梅干と豚肉を炒め、納豆は刻んでヒキ割りにしてからミキサーにかけたのだと言う。

岡部「なぜ……ぞんんがごどお」

紅莉栖「梅干は最近、岡部が食欲無いって言うから……。それに豚肉には、疲労回復効果があるのよ!
    納豆にもちゃんと理由があってだな……大豆イソフラボンは──」

岡部「も、もーいひ……わんはまー、ふまん……」

 これ以上聞きたくなかった。
 聞いただけで吐き気を催してくる。
 


747 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:52:10.45GYoJEvqSo (42/72)


一夏「せしり……はわっ。なにをしたんだ……」

 絶えず襲ってくる嘔吐感と戦いながら一夏は問い掛ける。
 自身の口から匂ってくるそれは腐臭以外の何物でもない。

セシリア「え。わ、わたくしも同じですわ」

 初期材料に加えたのは、何故かスチコンで焼いたトマトと赤ワイン。それに調味料。

セシリア「すこしばかり赤みが足りなかったのでタバスコや、ハバネロビネガーなどを足しましたが……」

一夏「はばね゛……うぷっ、凶真、ごべ……おろろ」

 困惑する女子。
 痙攣する男子。

紅莉栖「ど、どうしたの?」

セシリア「一体何が起こりましたの?」

 理由がわからないとばかりに問い詰める。
 が、もはや問いに対する回答を行うだけの力は2人には無かった。
 


748 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:52:38.98GYoJEvqSo (43/72)


岡部「すはないは……」

一夏「きょうっ! ……うっ、は帰ってくれないか……」

 言葉を投げかけられない。
 岡部は咽頭が焼け爛れ、一夏は嘔吐感でまともに話すことも出来なかった。

セシリア「ですけど、2人とも体調が悪いようですし帰るだなんて……」

紅莉栖「ほっ、放って置けるわけ無いじゃない」

岡部「たほむ、帰ってくれ……」

一夏「おねがっ……がいだ……」

 何度か同じようなやり取りを繰り返したが、2人の必死さが伝わり紅莉栖とセシリアは部屋を退散した。
 せめて、部屋の掃除だけでもと言い出したがそれすらも拒まれた。

 女子が帰り、嘔吐物により酸味やら臭みやらが充満した部屋に男2人が残った。
 


749 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:53:05.55GYoJEvqSo (44/72)


岡部「わんはまー……」

一夏「凶……っ魔……」

 すまなかった。
 ごめんな。

 2人が謝罪の言葉を出したのは同時だった。
 
 ヨーグルト風味のプロテインとバナナと牛乳。
 どうしたら、これらを合わせた飲料があぁなってしまうのだろう。

 岡部と一夏はぐるぐると混濁した意識の中でそれを考え、何時の間にか意識を失っていた。
 20時前だと言うのにこうして休日であるはずの、土曜の夜は更けて行った。
 


750 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 03:53:32.34GYoJEvqSo (45/72)

おわーり。
ありがとうございました。


751VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/05(金) 09:13:43.11oJLs4fnTo (1/1)

おつおつ!
やっとスレの存在に気付いたよ
前のも読んでたから楽しみにしてる


752VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(青森県)2012/10/05(金) 20:35:05.236ZMySjGAo (1/2)

やっと追いついた
期待


753VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(青森県)2012/10/05(金) 20:35:56.086ZMySjGAo (2/2)

やっと追いついた
期待


754VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank)2012/10/05(金) 21:48:24.67LbCGUZLao (1/1)

さげような


755 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:10:13.97GYoJEvqSo (46/72)

投稿します。


756 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:10:40.56GYoJEvqSo (47/72)

>>749  つづき。



 ──。

 ────。

 ──────。

 


757 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:12:21.88GYoJEvqSo (48/72)

 
 朝日が顔を射し、その眩しさによってまどろみつつも意識が覚めていく。
 冬も間近とあって肌寒く、布団を頭まで被りなおした。

 寝返りを打つと、何か暖かく柔らかいものが手に収まる。
 ふにゅふにゅと感触を確かめると、とても気持ちの良い弾力が手から伝わってきた。

「んんっ……」

 聞きなれた声が布団から漏れる。
 この声は……。

一夏「……っっ!!!」

 一夏の脳は一気に覚醒した。
 ベッドから飛び起きて、布団からはい出る。
 


758 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:12:48.66GYoJEvqSo (49/72)


ラウラ「どうした……?」

一夏「ラウラ……お前、また」

ラウラ「夫婦が同じ布団で寝るのは当然のことだろう?
    それに一夏も……今日は、その……触ってきたではないか……」

 ラウラが頬を染めて俯く。
 恥じらいを含む顔は、どこか嬉しさも帯びていた。

一夏「(触った? どこを? やべぇ、半分寝てて良くわからない……)」 

 以前からラウラは一夏のベッドに潜り込む習性がある。
 昔は全裸だったが、今は一夏の懇願のもとパジャマ姿……動物をあしらった可愛いものを着込んでいるのが唯一の救いだった。
 


759 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:13:22.42GYoJEvqSo (50/72)


一夏「凶真が来てから潜入してくることも無かったし、驚かせるなよ……」

ラウラ「倫太郎が邪魔だと言うのなら、今すぐ始末するが」

 その声は本気で冗談を言っているようには思えない。
 
一夏「そういう意味じゃない!」

岡部「……」

 この騒ぎの中、寝ていられるほど岡部は豪胆な男ではない。
 暫く前から2人のやりとりを、やれやれと眺めていた。

 この当り、一夏を取り巻く女性関係に付いては岡部も学習してきている。
 


760 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:15:20.48GYoJEvqSo (51/72)


ラウラ「しかし驚いたぞ。部屋に入ってきたら汚物だらけだったからな」

一夏「あっ……」

岡部「(そう言えば、そのまま眠ってしまったな……)」

 思えば、一夏はもちろん岡部も床で意識を失っている。
 にも関わらず、意識が戻ったとき2人はベッドの上に身をおいていた。

 状況から察するにラウラが移してくれたことがわかった。

ラウラ「全く、だらしのない嫁だ。私が全て片付けておいたが、文句はあるまいな」

一夏「えっ、マジで? ラウラが掃除してくれたのか?」

ラウラ「掃除など容易いことだ。嫁の寝室が汚れていては、夫として恥だからな」

岡部「ほう……」

 キョロキョロと室内を見回すが、岡部や一夏が噴出した液体はどこにも見当たらない。
 2人が眠って(意識を失って)いる間に綺麗にしたようだ。
 


761 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:15:50.38GYoJEvqSo (52/72)


一夏「えっと、サンキューな……」

ラウラ「べ、別に私がしたいからそうしたまでだ」

 ほんのりと頬を染めたラウラはそのままベッドを抜け出し、とてとてと可愛い足取りで冷蔵庫へと向かった。
 何かを取り出し、一夏と岡部に手渡す。

 透明なタンブラーに入った乳白色の液体だった。

一夏「これは……?」

岡部「一体……?」

ラウラ「冷蔵庫に、牛乳とバナナがあったから勝手に使わせてもらった。プロテインを混ぜてシェイクしたものだ。
    朝食とは別に栄養補給をしておけ」

 プロテインジュース。
 昨日の悪夢が2人の脳へとフラッシュバックする。

 痛み。辛さ、酸味。
 異臭放つ毒物。

 身体が、脳が拒否をする飲料と呼べぬ汚濁した水分。
 
 岡部は痛みを。
 一夏は嗅覚がその異臭を言語と共に思い出させる。
 


762 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:16:19.47GYoJEvqSo (53/72)


ラウラ「どうした? 早く飲め。起き抜けは水分が不足しがちだ」

 毒も入れてはいないぞ、と付けたすラウラを横目に岡部と一夏がアイコンタクトを送りあう。

 どうする? どうしよう?
 答えはでない。

岡部「(しかし……)」

一夏「(匂いは……)」

 タンブラーから漂ってくる香りは、バナナの成熟した甘みだった。
 顔を近づけてみても、目に染みないし嘔吐感も襲ってこない。

 2人は意を決して一口分を含む。
 ごくん。失敗を経験して一気に飲み干す愚は犯さない。少しだけ口に含んで飲み込んだ。
 


763 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:16:45.26GYoJEvqSo (54/72)


岡部「……これは」

一夏「……美味い」

ラウラ「当然だ。そんな物を不味く作れるはずが無いだろう」

 ごくごくと、プロテインジュースを飲み込む2人。
 バナナと牛乳、そしてプロテインが混ざったその液体は優しく、痛んだ2人の胃袋に心地よさをもたらした。

岡部「ふう……こんなにも美味い物だったとはな」

一夏「あぁ、何か……美味くって涙が出てきそうだよ……」

ラウラ「お、大袈裟だぞお前達……」

岡部「眼帯娘は料理の腕が達ようだな」

一夏「俺も知らなかった。ラウラってかなり料理上手だったんだな!」

ラウラ「なっ……なっ……」

 予期せぬリアクションを取られ困惑する。
 ただ材料をミキサーにかけただけの物を大絶賛されたのだから当然だった。
 


764 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:17:11.82GYoJEvqSo (55/72)


ラウラ「そそ、そんなに褒めても今日の訓練に手加減はしないからな!」

 パジャマの帽子を深く被り、顔を隠したラウラは威勢よくそう言い放つ。

一夏「あれ、今日ってラウラの番だったのか? 確か、楯無さんだったような……」

ラウラ「変わってもらった。クラス内対抗戦は明後日。まる1日訓練出来る日は今日だけだからな」

岡部「……プロテインジュースの美味さで忘れていた。そうか、今日がその日になるのか」

 岡部が最も恐れていた、軍人であるラウラの訓練。
 丸一日使って行われると聞いた岡部のテンションはジュースで上がったソレを一気にローギアまで叩き込む。

ラウラ「とっ、兎に角だ! わ、私は着がえてくるから2人とも着替えとストレッチを済ませておけ。以上!」

 用件を言うと、すたすたとドアを開けてラウラは出て行った。
 


765 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:17:38.14GYoJEvqSo (56/72)


ラウラ「(りょ、料理上手だと……?)」

 帽子を被り俯きながら廊下を歩くラウラの顔は真っ赤に染まっている。
 料理上手である一夏に、料理(とは言えない代物だが)を褒められたのだ。嬉しくない訳が無い。

ラウラ「(もう2時間早く起こすつもりだったのに、一夏のヤツが身体を触ってくるから寝坊させてしまうし……)」

 ぶつぶつと文句を言いつつもラウラの口元は嬉しそうに歪んでいる。
 両手は両肩を抱くようにくねくねしていた。

ラウラ「(もしや、あれがプロポーズ!? 後でクラリッサに報告しなくては)」

 廊下を歩くラウラの足は実に軽やかで、動物パジャマを纏ったその姿は見るものを幸せな気分にさせた。
 


766 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:18:04.71GYoJEvqSo (57/72)



……。
…………。
……………… 

 


767 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:18:31.05GYoJEvqSo (58/72)

 
ラウラ「ストレッチは済ませてあるな!?」

 ランニングトラックの前で威勢の良い声が響いた。
 何時もより発声にハリがあり、やる気が見るからに伝わってくる。

岡部「あぁ……」

一夏「おう」

 ラウラはIS学園指定の制服を軍服のようにキッチリと着こなしていた。
 右手には鞭を握っている。

ラウラ「今日一日は私のことを“教官”と呼ぶように!」

 パシン! と、鞭を手の中で踊らせた。
 


768 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:18:56.84GYoJEvqSo (59/72)


岡部「……」

一夏「ははっ、気合入ってるなー」

ラウラ「現在、時刻はマル・ロク・サン・マル。
    これより、マル・ナナ・サン・マルまでマラソンを執り行う!」

岡部「またマラソンか……」

一夏「基本だからなぁ」

ラウラ「私語は慎め!」

 パシン! 鞭が空中を叩く良い音がした。
 


769 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:19:22.94GYoJEvqSo (60/72)


ラウラ「マラソンが終り次第、食堂で朝食を取る。以上、走れ!」

 合図と共に、岡部と一夏は駆け出した。
 一時間マラソンの開始である。

 フフン、と得意げな息が聞こえてきそうな表情でラウラは頷いた。
 どこか満足気な笑みを浮かべながら、走る二人の新兵(ルーキー)を見遣る。
  
ラウラ「(ふふ……教官と言うのも難しいものだな)」

 賢明に走る2人を眺め笑顔がこぼれた。
 まるで自身が千冬になったような気分を味わっている。

岡部「ふぅふぅ……」

 同時にスタートしたはずだが、既に一夏とは大分差が離れていた。

岡部「(ワンサマーは流石に速いな……しかし……)」

 思ったよりも身体が軽い。
 訓練初日、篠ノ之 箒に走らされた時を思い出すと変化に気付く。
 


770 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:19:51.65GYoJEvqSo (61/72)


岡部「(身体が、呼吸が軽い……たった一週間程度で変わるものなのか……)」

 良質なたんぱく質と、無茶なトレーニング。
 一夏のマッサージと、楯無の薬。

 岡部の身体は強制的に急ピッチで仕上がってきていた。
 とは言っても、今まで身体を使ってこなかったのだからそのツケが少し支払われた程度である。

 それでも、岡部倫太郎にとっては劇的な変化だった。

岡部「ふぅふぅ……」

 一歩一歩、無心で足を前に繰り出す作業に没頭する。
 1時間マラソンは、岡部の体感であっという間に過ぎていた。
 


771 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:20:17.94GYoJEvqSo (62/72)


一夏「お疲れ!」

岡部「ふぅふぅ……速いな、ワンサマーは」

一夏「一応、トレーニングはしてたからな」

ラウラ「ご苦労。距離的には物足りないが、準備運動には丁度良いだろう」

 2人が走っている間に、どこからかこさえて来た深緑のベレー帽を深く被っているラウラが取り仕切る。
 ラウラの満足気な表情に男2人も苦笑いを浮かべた。

ラウラ「食堂へ行く。付いて来い!」

岡部「Sir, yes, sir.」

一夏「サー・イエッサー!」

 ラウラの乗りに合わせる2人もどことなく愉しい気分になった。
 


772 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:20:52.39GYoJEvqSo (63/72)



……。
…………。
……………… 

 


773 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:21:22.91GYoJEvqSo (64/72)

 
 ─食堂─


ラウラ「特に制限するつもりはない。だが、倫太郎。貴様は肉類を食べるのであれば鶏肉にしろ」

岡部「上官殿。食欲が無いんだが……」

ラウラ「む……無理やりにでも胃に詰め込め。と言いたいが、それだと後の訓練に差し支えが生じるな。
    先ほど振舞ってやったプロテインジュースを作ってやる。少し待っていろ」

岡部「感謝する」

一夏「あっ、ラウラ!」

ラウラ「ん?」

一夏「俺のもお願いして良いかな? あれ、美味かったんだよなぁ」

ラウラ「うっ……まっ、まぁ一夏が求めるのであれば、勿論作ってやる。待っていろ!」

 口調とは裏腹に可愛らしくとてとてと購買へ駆けるラウラ。
 鬼軍曹と言うよりも、やはり兎と表現する方が似合っていた。
 


774 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:22:29.98GYoJEvqSo (65/72)

 
一夏「さて、俺はジュースだけじゃ物足りないから定食を買ってくるよ」

岡部「わかった。席で待っていよう」

 日曜の食堂は平日時よりも空いていた。
 利用客の殆どが、部活動の朝練習を終えた生徒である。

 岡部がぼーっと1人で席に座っていると、ふりふりと横に動くポニーテールが目に入った。
 篠ノ之 箒である。

 箒は岡部には目もくれず、一夏の後ろをひょこひょこと気付いて貰いたそうに歩いていた。

岡部「(全く、この年頃の女は皆そんなものなのか……)」

 ようやく一夏に気付いて貰えた箒は、咳払いをしながら一緒に朝食を取らないか。
 と誘っているようだった。

 もちろん一夏という男は笑顔で了承している。
 遠目から見てもやり取りが一目瞭然だ。
 


775 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:22:58.42GYoJEvqSo (66/72)


岡部「(気の良い男だ……)」

 トレイを受け取った2人は仲良く足並みをそろえて、岡部の居るテーブルへと着席した。

箒「おはよう」

岡部「あぁ、おはよう」

 箒は礼儀にうるさい。
 以前、岡部がおはようの挨拶に対して“うむ”と答えたら竹刀で叩かれ説教をされた過去があった。

箒「私も相席させて貰うが、構わないか?」

岡部「構わんよ」

一夏「よっし、では頂きます! 寒ブリなだけあって美味そうだな」

箒「佐渡産の寒ブリらしいな。実に油が乗っている」

 寒ブリの照り焼き定食は、香ばしいく実に美味しそうであった。
 岡部も本来ならそれを食べたかったが、どうにもまだ胃の調子が芳しくない。
 
 肉体的な疲労感は慣れてきたのか薄れてきたが、おそらく昨夜の刺激物が胃に過分なダメージを与えているのだろう。
 未だにずきずきと少しながら痛みを感じている。
 


776 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:23:37.94GYoJEvqSo (67/72)


箒「今日は、誰の指導を受けているんだ?」

一夏「ラウラだよ。かなり張り切っててさ、今日一日大変そうだ」

岡部「……」

 食事をして間もなくすると、ラウラが2つのタンブラーを持って食堂へ戻ってきた。

ラウラ「倫太郎。プロテインジュースだ」

 ドン、とテーブルへ豪快にタンブラーを置く。
 今朝と同様にバナナの香りがするプロテインジュースだった。

ラウラ「それから一夏の分は、こっちだ……」

 僅かに目を逸らしながら一夏にタンブラーを直接手渡した。
 中身は岡部のソレと少し違い、ほんのりと赤みを帯びている。
 


777 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:24:55.23GYoJEvqSo (68/72)


一夏「ん? ちょっとコレ、色違わないか?」

岡部「赤い……な……」

 昨夜を思い出す。
 赤はイコールで痛みと言う認識へ変わっていた。

ラウラ「い、苺が売っていてな。朝と同じ味だと飽きてしまうと思って……その、かえてみたんだ」

一夏「苺かぁ! 美味そうだ、ありがとう。ラウラ」

ラウラ「うむ……喜んでくれたなら、それでいい」

箒「んんっ!」

 やり取りに置いていかれた箒が咳払いをした。

箒「朝? どういうことだ?」

一夏「えーっと……」

 思い出す朝の光景。

 以前にもラウラとの同衾が箒に知れた時は酷い目にあった。
 同衾と言っても、本当にただ同じ寝具で寝ていただけなのだが。
 


778 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:25:27.49GYoJEvqSo (69/72)


岡部「眼帯娘が朝食前。ランニングをする前にプロテインジュースを振舞ってくれてな」

 言葉に詰まる一夏に変わり岡部が答えた。
 一緒のベッドで眠っていた、などと答えれば食堂はたちまち戦場へと変わってしまうだろう。

一夏「そう! そーなんだよ、あはは」

箒「ほう……」

ラウラ「一夏に気に入って貰えて何よりだ。これからも朝一番に作ってやろう」

一夏「……へ?」

ラウラ「む……嫌、だったか?」

一夏「いや、そんなことは……」

 そんなことは無い。

 だが、布団に潜り込まれては毎朝心臓に悪い。
 一夏は返答を渋ってしまった。
 


779VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/05(金) 23:25:53.25EhVq+kGIO (1/1)

久々にSS速報覗いて見たらまさかHDリマスター的なのが出てるとは………

大筋は覚えてるけど細かいのはアレだから楽しみに舞ってる
そしてまたあの絵師様が降臨されんことを…………


780 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:26:09.85GYoJEvqSo (70/72)


箒「んん! プロテインジュース程度であれば、私に作れないことも無いが……」

一夏「え?」

箒「組み合わせの良い果物も知っている。うむ、作ってやろう」

ラウラ「結構だ。一夏は私のプロテインジュースを気に入っているからな」

 箒とラウラの眼光が鋭くなる。
 そして、その火花の散るような視線は最終的に何時も一夏へと向けられるのだ。

箒「どうなんだ一夏!」

ラウラ「私のプロテインジュースが良いんだろう!?」

一夏「えっ、えっと、その……」

 両手を小さく挙げて、2人を納めようとするが全く効果を示さない。
 チラリと岡部に手助けを求めるが、こと一夏を取り囲む女性関係には岡部も巻き込まれたく無いのかそ知らぬ顔でジュースを飲んでいた。
 


781 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:26:55.67GYoJEvqSo (71/72)


一夏「(うぅ、凶真ぁ……)」

岡部「(助け舟もここまでだ。これ以上は俺の船も沈みかねんからな……)」

ラウラ「どうなんだ!」

箒「一夏!」

 この後、お決まりのように他の専用機持ちも自然と集合し、誰が一夏に毎朝プロテインジュースを作るかで討論になった。
 そしてその騒動を収めた人物。

 それは、織斑一夏の実姉である織斑千冬だった。

千冬「静かにしろ馬鹿者! 飯くらい静かに食えないのか、まったく……」

一夏「(助かった……)」

 騒々しい何時も通りの朝食が終り、長い長い日曜日が幕を開けた。
 


782 ◆3R1.cwV0LI2012/10/05(金) 23:27:37.98GYoJEvqSo (72/72)

おわーり。
ありがとうございました。
 


783VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/05(金) 23:30:27.33Z8gZkvNno (1/1)

乙!


784VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/06(土) 01:08:48.87YXLC4Dspo (1/1)

おつおつ


785VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(青森県) [!ninja] 2012/10/07(日) 10:47:04.73TIm/cPP9o (1/1)

期待しておる


786 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:40:41.67DoipWcxRo (1/39)

投稿します。


787 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:41:17.27DoipWcxRo (2/39)

>>782  つづき。




……。
…………。
………………。 

 


788 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:41:45.86DoipWcxRo (3/39)


 食堂での食事を済まし、一行は体育館へと集まっていた。
 ラウラだけではなく何時もの面々が顔を揃えている。

一夏「……で、結局皆付いて来た訳か」

箒「お、岡部がどの程度動けるようになったか見ておかないとな!」

セシリア「私の番はまだだと言うのに、会長は明日も見ると仰っているんですのよ?
     まったく……それでは私の見る時間が無いということになりますわ!」

鈴音「そう言えば、1組のクラス対抗戦は明後日だっけ?」

シャル「うん。そろそろISの調整もしっかりしないとね」

岡部「……」

 一気に姦しくなる空気に岡部は肩を落していた。
 この面子が嫌いな訳でも苦手な訳でもないが、10代半ばの女子力とでも言うのか、
 それらについて行くには大変体力が削られることを学んでいた。

 騒がず、慌てず、静かに嵐が過ぎ去るのを待つ。
 岡部は既に対処法を確立している。
 


789 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:42:15.40DoipWcxRo (4/39)


ラウラ「静かに!」

 ベレー帽を被りなおし、鞭を握るラウラが場を納めた。

ラウラ「ふん。一気に増えたか……まぁ良い。貴様等ひよこ供を調教する良い機会だ!
    その口から垂れる、うんうんの前と後にサーを付けろ!」

 ラウラはラウラで、訓練となると少々トリップしているのか興奮気味である。
 常にドヤ顔で、ほんのりと頬を染めていた。

 気分は“織斑教官”そのものと言える。

ラウラ「さて、早朝はマラソンをしてもらったがお次はどうするか……。
    本来は山へ行きたいところだが、それは出来ん」

 ぺたぺたと、体育館を右往左往しながら考える素振りを見せる。
 


790 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:42:45.33DoipWcxRo (5/39)

 
ラウラ「筋肉トレーニング……」

岡部「Nein,(いいえ)お言葉だが、上官どの。初日であればそれも頷けるが、2日後に本番が迫っている。
   マッサージと薬で筋肉の張りは無いと言えるが、今日それを重点的にするのは危険だ」

 岡部がラウラに意見する。
 本来なら兵隊が上官に指図することなどありえないが、ラウラもそこまでは本格的な思考へはスイッチしていなかった。

ラウラ「では、引き続きランニングを……」

岡部「Nein, 悪くは無いが、この人数でランニングするのも効率が良いとは思えない」

ラウラ「……むう」

一夏「じゃぁ、また軽く組み手とかで良いんじゃないか?
    ISでの実戦も近いんだし、対人はやっておいて損は無いと思うぜ」

ラウラ「Ja!(それだ) 採用!」

岡部「うむ」

 ラウラも張り切っていたのは良いが、実際は空回り気味でメニューを特に考えていなかった。
 軍の飛行機を利用して、山へ行こうとしたが事前申請で千冬に却下されてからと言うもの煮詰まっていたのだ。
 


791 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:43:11.81DoipWcxRo (6/39)


箒「素手での組み手か……これは良い稽古になるな」

セシリア「接近戦は得意ではありませんが……良いでしょう、イギリス代表候補生の力を見せて差し上げます」

鈴音「上等よ、ふふん。負ける気がしないわね」

シャル「あはは、まただね」

一夏「と……なるとラウラ、畳道場へ移動した方が良いよな?」

ラウラ「そうだな。よし、全員移動するぞ。付いて来い!」

 サー・イエス・サー!!

 実際、気の良い連中である。
 全員が全員、ラウラのご所望通りの返答を返した。
 


792 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:43:38.75DoipWcxRo (7/39)



……。
…………。
………………。

 


793 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:44:09.83DoipWcxRo (8/39)


 体育館から畳み道場へ移動する。
 ラウラを先頭に規則正しく並ぶ姿は行軍と言うよりも、遠足に見えた。

ラウラ「よし、それでは2人組みを作れ!!」

 この一言で女子連中の瞳の色が変わった。
 元より見えていた結果が広がる。

箒「よ、よし一夏! 幼馴染のよしみだ。私と組め」

鈴音「はぁ!? 幼馴染だったら私もでしょ! 一夏、私と組みなさいよ!!」

セシリア「お待ちになって下さいな。一夏さんは私と組むのですよ。ねぇ一夏さん?」

シャル「えっと……良かったら、僕と組み合いしない……?」

一夏「えっと……」

 教官であるラウラを除いて、男2名。女4名。必然であった。
 あぶれる岡部。
 


794 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:44:37.02DoipWcxRo (9/39)


岡部「(ふふ……こんなところで「2人組み作ってー」の罠にかかるとは……な……)」

ラウラ「まっ、待て! 一夏は私と組む!!」

一夏「えっ」

 この一言でまたしても空気が変わる。
 矛先が一点に集中した。

箒「教官の手を煩わせる必要は無い。大丈夫だ、私が責任持って受け持とう」

セシリア「そうですわよ。教官様は上座に座って大人しくしていらっしゃれば良いのですわ」

鈴音「あんたは今日、先生役なんでしょ? 引っ込んでなさいよ」

シャル「それに、7人になっちゃうと1人あぶれちゃうしね……?」

 4人の総口撃を浴びるラウラ。
 あうぅ……と唸ることしか出来なかった。
 


795 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:45:03.07DoipWcxRo (10/39)


一夏「あのさ、悪いんだけど俺は凶真と組むよ。
   やっぱり取っ組み合うなら男同士の方が何かと、その……密着とかするしさ!」

岡部「(必死だな、ワンサマー……)」

 岡部は口を挟まない。
 ここで声を上げれば、途端に口撃の矢印が自分に剥くだろうとわかっている。

箒「わっ、私は別に構わんのだがな。武士たるもの、接近戦での肌の密着を恐れる訳にはいかないしな」

セシリア「私もですわ! そんな理由で引いてなどいられませんっ」

鈴音「なにカマトトぶってんのよ! そんなもんを気にしてちゃ代表候補生なんてやってられないっつの!」

シャル「僕は、一夏となら……その、大丈夫だよ?」

 何を言っても収まる気配の無いガールズ。
 最近は一夏が岡部にべったりと言うこともあり、それぞれがそれなりにフラストレーションを抱えていた。

 パシッ。と言う鞭のしなる音が鳴った。
 


796 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:45:29.66DoipWcxRo (11/39)


ラウラ「静かに!」

 右手に握っていた、鞭を思い切りしならせてもう一度叩く。
 音速を超える音が畳道場を響かせる。

ラウラ「一夏は倫太郎とペアを。箒はシャルロットと。セシリアは鈴音とだ。以上、わかれ!!」

 不満の声が大多数だったが、教官命令という事で押し通す。
 ラウラも全ての組み手を見て回るということで、一同が納得した。

箒「ま、まぁ……仕方なかろう」

シャル「だね、宜しく」

セシリア「まったく、何で私が鈴さんと……」

鈴音「ぶつくさ言わないの、私だって一夏と組みたかったんだから……」

 最初は文句も多かった4名だが、組み手が開始されると同時に顔つきが変わった。
 それぞれが代表候補生と言う自覚。強さに対しての探究心。

 それらは、10代半ばにして大人顔向けのものを持っている本物の人間達だった。
 


797 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:45:55.96DoipWcxRo (12/39)


一夏「ふう、何とか落ち着いたな……」

岡部「姦しいとは、あぁ言った状況をさすのだろうな」

ラウラ「さぁ貴様等も見てばかりいないで、組み手を開始しろ」

 4名のハイレベルな組み手を観戦しながらお喋りに興じていた2人を注意するラウラ。
 監視役としても充分に気合が入っている。

一夏「オッケー。えっと、凶真……ルールはどうする?」

岡部「む……ルールと言われてもな……」

 IS学園に入るまでは武道、と言うよりも体を動かすことすらなかった。
 なにからすれば良いのか、なにをすれば良いのかすらわからない。
 


798 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:46:25.94DoipWcxRo (13/39)


一夏「っと、そうだよな。ええっと……この間、シャルとやった時はどんな感じに?」

岡部「あれは、ヂュノアが俺に攻撃を仕掛けてくるからそれを回避と防御をする。そのような内容だった」

一夏「よし、じゃぁ今日もそれでいこう。でだ、凶真。今日はそれプラス、反撃が出来るようだったら俺に反撃してくれ」

岡部「む……隙を見て殴りかかれと?」

一夏「そういうこと。よし、行くぜ!」

 ラウラ教官指導のもと、専用機持ちによる組み手が始まった。
 時刻は午前9時。

 朝食を取ってからまもなくの、午前の部が開始された。
 


799 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:46:52.27DoipWcxRo (14/39)



 ──。

 ────。

 ──────。
 


800 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:47:18.65DoipWcxRo (15/39)


 ぴよぴよ。
 まさに擬音が字の如く、岡部の脳天には幾つかのヒヨコたちが戯れている。

 ラウラと組み手をしていた岡部が天井を見つめる形で、大の字にのびていた。

一夏「今、凄い音がしたけど……」

箒「むう……」

セシリア「これは……」

鈴音「ちょっと……」

シャル「ラウラ……」

ラウラ「ちっ、違う! 私はただ手刀を放っただけだ!」

 組み手をしていた一行が一斉に振り向く。
 皆から向けられる非難の目に、ラウラが珍しく感情を露に慌て出した。
 


801 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:47:45.49DoipWcxRo (16/39)


ラウラ「大体だ! り、倫太郎は隙が多すぎる。避けられることを前提で放った手刀が直撃するなどありえん」

シャル「えっと、ラウラ。どう言う状況でそうなったの?」

ラウラ「ん? 状況か。あれはヤツが私に向かって生意気にも右の拳を振り抜いて来た瞬間の出来事だ」

鈴音「ただの右ストレートじゃない……」

セシリア「背丈の差を考えますと、チョッピング(振り下ろし)ですわね」

ラウラ「普通に避けられるレベルだったが、教官としての実力を軽く示すべきだと瞬時に判断した。
    放たれた右腕に飛び乗り、手刀を振り下ろしただけだ」

 軽く言ってのける。
 人間が行える動作の範疇を超えていた。
 


802 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:48:20.01DoipWcxRo (17/39)


シャル「ラウラ。そんな芸当の出来る人間は中々いないよ……」

箒「ましてや、岡部が避けられる道理が無かろう」

一夏「はぁ……」

ラウラ「なっ、なんだ貴様等! 上官に対してその目は!」

 珍しく。
 と言うよりも、何時ものメンバー全員からこのような眼差しを受けた経験が無かったラウラは狼狽する。

 ラウラの放った手刀は角度タイミング共に申し分無く、岡部の意識を断ち切った。
 当然ラウラにその気は無く、想定していた相手──“一夏”であれば充分に対処出来ると踏んでいた。

 一夏は岡部ほど長身ではなかったが、仮想一夏の相手として背丈は申し分の無いモルモットといえる。
 次は一夏とラウラが組み手をする番だったので、若干舞い上がってしまったためのミステイクとも言えた。
 


803 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:48:49.60DoipWcxRo (18/39)



 ──。

 ────。

 ──────。
 
 


804 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:49:38.33DoipWcxRo (19/39)


鈴音「なーんか、納得いかないのよね」

 セシリアと寸止め組み手を行いながら、横目で一夏と岡部の組み手を見やる鈴音が呟いた。

セシリア「鈴さん? どうしましたの?」

鈴音「せーっかく、こんなに集まってるんだからさぁ……」

 細く伸びた足をセシリアの即頭部へゆっくりと、伸ばす。
 セシリアも避ける動作をせず、足にクロスさせるよう鈴音の頭部へ向けて足を伸ばした。

 ──ピタリ。
 被弾スレスレで2人の動作が止まる。

鈴音「あたし達も一夏と組み手するべきじゃない?」

 ぐらり。
 完璧なバランスで片足立ちしていたセシリアのバランスが少しだけ揺らいだ。
 


805 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:50:16.70DoipWcxRo (20/39)


セシリア「……」

鈴音「ラウラに直訴してみようかしら……」

 セシリアにとっても魅力的な提案だった。
 一夏が男である岡部と組み手しているのは面白くは無いが、他の女子と組まれるよりはマシ。
 そう思っていた。

 が、自分も組めるとなれば話しは別である。
 例え一時でも他の女子と組もうが、自分と組めば一夏は魅力に気付いてくれる。

 どこから沸いてくるのか、そう言った自信。気持ちがセシリアには──。

 ──一夏を取り囲む女子達は少なからず内包していた。

セシリア「た、確かに。折角の休日だと言いますのにこれではあまりにも……」

鈴音「そういうこと」

 足を引っ込めたのは2人同時だった。
 直立不動になった中・英の代表候補生が息を合わせて深く頷く。
 


806 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:50:44.46DoipWcxRo (21/39)


鈴音「と、なれば……」

セシリア「えぇ。まずは味方を……」

 視線の先にはフランス代表候補生。
 シャルロット・デュノアその人物だった。

箒「せいっっ!!」

 箒が強く握り締めた右拳をシャルロットの腹部に目掛けて振り抜いた。
 間合いを一気に詰め、深く踏み込んだその攻撃は通常であれば確実に命中している。

シャル「うん。箒は思い切りが良いね」

 パシン。と綺麗な音が箒の右腕を左側、体の外側から響いた。
 箒の踏み込んだ分だけ、シャルロットは下がり呼吸を合わせて攻撃を弾く。

 竹刀を持たないとは言え箒は強い。
 しかし、ラウラ程では無いにしろCQCを修めているシャルロットは純粋に強かった。
 


807 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:51:11.02DoipWcxRo (22/39)


シャル「(性格が攻撃に表れてる。純粋にまっすぐで、だけど読まれやすい)」

箒「(くっ! なぜ当らん……!!)」

 箒の要望で、寸止めではなく顔面と急所以外への攻撃を有効にした本格的な組み手になっている。
 攻撃箇所が限定されている時点で、勝敗は決まっていた。

 体を半身にして、当る箇所をさらに限定。
 自らは攻撃をせず、ただただ相手の攻撃を捌き、避ける。

箒「(シャルロットの体が、近くて遠い……)」

 剣の道一本と信じ、今まで鍛錬を重ねてきた。
 刀が折れたときを想定しての、素手の古武術もそれなりに鍛錬を積んで来た。

箒「(少々、刀の方に気を入れすぎていたか……)」

 実戦組み手で思い知らされる力量の差。
 これが、代表候補生。

 刀を持てば箒も負ける気はしないが、素手では当てることすら困難である。
 


808 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:51:37.41DoipWcxRo (23/39)


箒「(これが、代表候補生か)」

 “紅椿”を手に入れ“単一仕様能力”も自由に発動出来るようになった箒は、少なからず驕っていた。
 この組み手は良い意味で箒にとっての、精神的な成長に役立つものになっていた。

シャル「──ふぅ。ちょっと休もうか?」

箒「いや! 時間が勿体無い、まだ頼む」

シャル「んー、でもね? 何か、あっちから視線が……あはは」

 シャルロットが指差す方に視線を移すと、ねっとりとした熱い眼差しを自分らに送る2人組みがいた。
 セシリアと、鈴音だ。

箒「ん……? どうしたんだ、あの2人は。なにやら此方を見ているようだが」

シャル「うん。何か用事でもあるのかな……」

 視線に気付いたシャルロットと箒の元へ、セシリアと鈴音ペアが近づいてきた。
 なにやらイヤらしい笑みを浮かべている。
 


809 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:52:04.37DoipWcxRo (24/39)


セシリア「御機嫌よう。調子はどうかしら?」

シャル「はい? えーっと、うん。普通に良いと思うけど……」

鈴音「そーなのー、それは良いことねー」

箒「? 2人ともどうした。不自然だが……」

 コホン。喉の調子を整えるようにセシリアが咳払いをした。

セシリア「えー、シャルロットさん? 少しご相談がありまして」

鈴音「そうなのよ。ちょっと話したいことがね?」

シャル「ん? 僕に?」

箒「今は練習中だ。出来れば後に……」

鈴音「箒。アンタにとっても悪い話じゃないのよ」

箒「む?」
 


810 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:52:30.56DoipWcxRo (25/39)



 ──あれあれ、これこれで。


シャル「えっ……」

箒「むう……」

鈴音「ね? そっちの方が、実際効率良いでしょ?」

セシリア「色々な方と実戦を踏むほうが、経験値も上がると思いますの」

シャル「う、うん……」

箒「し、しかしだな」

鈴音「箒だって、一夏と組み手したいでしょ? あいつがどの程度出来るかやりたいでしょ?」

箒「うっ……」

 セシリア・鈴音ペアのチームワークは完璧だった。
 各人獲物が同じなのだから、釣られる餌も同じである。

 シャルロットと箒を陥落させるのはとても簡単だった。
 


811 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:52:58.56DoipWcxRo (26/39)


シャル「そ、そうだね。その方が、ためになるよね」

箒「うむ……そうだな、うむ」

 これで4人。
 シャルロットを仲間に出来た。

 ラウラはシャルロットに弱い。
 これは1年1組の共通認識で、暴れん坊のラウラの手綱をシャルロットが操る構図が完成していた。

鈴音「さー、ラウラ教官に直訴するわよ!」

セシリア「シャルロットさん、お願い致しますわよ?」

シャル「やっぱり、僕なんだね……」

箒「適任だな」
 


812 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:53:24.34DoipWcxRo (27/39)



 ──。

 ────。

 ──────。
 
 


813 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:53:51.18DoipWcxRo (28/39)


ラウラ「……」

 次はやっとラウラと一夏の組む番だった。
 最近はスキンシップが少なくなってきたと感じていたラウラは、とても楽しみにしている。

 やはり寝技を重点的に教えてやるべきか。
 一夏は寝技となると、急に動きが鈍くなるからなと心の中で思いつつ岡部との組み手を流していた。

ラウラ「(それが、こんなことになるなんて……)」

一夏「組み手は、一旦中止かな」

シャル「そうだね。オカリンを休ませないと……」

鈴音「ちょうどお昼時だし良いんじゃない?」

セシリア「賛成ですわ」

箒「うむ。実のある訓練だった」

 ラウラ以外は全て一夏と組み手を終えた後で、満場一致で可決する。
 たらたらと冷たい汗が、ラウラの顔から、背中かから流れていく。
 


814 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:54:18.13DoipWcxRo (29/39)


ラウラ「まっ、待て! まだ組んでない組が1組ずつあるはずだ!」

一夏「そうだけど、凶真が伸びてちゃ無理だろう」

セシリア「結局どなたか1人あぶれてしまいますわね」

ラウラ「し、しかしだな……」

箒「さっさと岡部を部屋に連れて行った方が良いんじゃないのか?」

シャル「どうせだったら、セシリアの部屋が良いんじゃない?」

鈴音「そうね、岡部は紅莉栖に任せて私達はご飯に行きましょうよ」

ラウラ「あうあう……」

 何も言えない。
 何を言っても通らない。

 ラウラはぎゅっと目を瞑り、これで午前の部は終了とする。とだけ小さく呟いた。
 


815 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:54:44.49DoipWcxRo (30/39)



……。
…………。
………………。
 
 


816 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:55:11.10DoipWcxRo (31/39)


紅莉栖「うーん……」

 液晶投影ディスプレイと睨めっこをしながら、紅莉栖が呻く。
 勿論見ているデータは“石鍵”の物だ。

紅莉栖「明らかにスラスター出力が低い……機能していない……」

 殆どがセシリアの私物で埋まる部屋で、1人データと睨めっこを続けていた。

紅莉栖「両肩に翼型のスラスターがあるのに、機能しないってどういうことよ」

 データ上には《 LOCK 》の文字が浮かび上がる。
 外部からの干渉に一切反応することはなく、その鍵を外すことも出来ない。

紅莉栖「スラスターにロック? ってか、供給するエネルギーが無いんじゃどうしようも……あぁもう!」

 机に突っ伏して時計の針を目で追った。
 時刻はもうすぐ12時になろうとしている。
 


817 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:55:37.04DoipWcxRo (32/39)


紅莉栖「お腹すいたな……食堂行く──」

 食堂に足を伸ばそうと立ち上がったとき、ノックの音が響いた。

紅莉栖「っと、お客さん? はいはいっと」

一夏「よっ、紅莉栖」

紅莉栖「一夏……と、ソレは?」

 一夏と、箒に抱えられた大きな荷物。
 失神した岡部がソコには居た。

ラウラ「訓練中の事故だ。大したことは無い」

紅莉栖「って、え!? 事故……!?」

 事故と言う単語に反応する。

シャル「あー、大丈夫だよ。ラウラがちょっと、はしゃいじゃっただけだから」

 シャルロットの言葉に、ラウラは少しだけ頬を膨らました。
 フン。と可愛く悪態を付くだけついて視線を外す。
 


818 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:56:06.46DoipWcxRo (33/39)


鈴音「そういうこと」

一夏「無理やり起こすのも可哀想だし、保健室に行くほどでも無いしで」

箒「この部屋にと決まったんだが」

セシリア「よろしいかしら?」

紅莉栖「うん、まぁ……異論は無いが……」

 大きな事故ではないと聞いて胸を撫で下ろす。

一夏「良かった。えっと、じゃぁ紅莉栖のベッド……は、勿論コッチだよな」

 ドーンと佇む、豪華なセシリア用のベッドを見てから確信する。
 こんなベッドを学園に持ち込んでいるのはただ一人だけだと思いたい。

紅莉栖「うん。適当に寝転ばせておけば起きるでしょ」

鈴音「これで大丈夫ね? さっ、食堂に行きましょ!」

セシリア「ささ、一夏さん。勿論エスコートして下さるんでしょ?」

 鈴音が一夏の左腕。
 セシリアが右腕に絡みつくようにしがみ付いた。
 


819 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:56:32.94DoipWcxRo (34/39)


箒「な、何をしている!!」

シャル「そんなぁ、ずるいよ一夏ぁ」

ラウラ「貴様……私とは組み手もしなかったくせに……」

 恨みがましい声と視線が一夏に向けられる。
 一番鋭く睨んでいたのはラウラだった。

一夏「わっわっ、ちょっと待てって! 凶真も寝てるんだし、あぁもう……ごめんな、紅莉栖」

紅莉栖「気にしないで一夏。私は岡部が起きたら一緒に食堂へ行くから」

 何時も通り、一夏が嵐を纏いながら食堂へと向かっていった。
 この光景を見ても特に何も思わなくなった当り、私も慣れて来たんだろうかと紅莉栖も笑った。

紅莉栖「ふぅ」

 ギシッ、とベッドに腰を下ろし意識を失っている岡部の顔を見つめる。

紅莉栖「鳳凰院凶真さんはまた気絶されてたのでありますか……」

 言葉に棘は無く、語尾には優しさが感じられるほどだった。
 ふと手が伸び、岡部の髪をかき上げる。

紅莉栖「頑張っちゃってまぁ……ヒゲも伸びてきてるぞー、おかべー……おーい」

 小声で呼びかけるも岡部は反応を返しはしない。
 段々と紅莉栖の頬が紅潮していく。

紅莉栖「だ、誰も居ない」

 キョロキョロと辺りを見回すもここは自室。
 同室のセシリアはたった今、一夏達と食堂へ行ったので当分帰っては来ないだろう。
 


820 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:56:58.74DoipWcxRo (35/39)


紅莉栖「お、おきろー……」

 すうすう、と気持ち良さそうに寝息を立てる岡部の耳元で囁く。
 
 ──ドキドキ。

 心臓の音が、大きくなっていく。
 顔面は完全に赤くなり、目元が潤む。

 ──ドキドキ。

 個室で、しかも自室での2人きりと言う環境に紅莉栖の心臓は跳ね回っていた。
 こんなにも岡部の顔を凝視したのは何時ぶりだったのかと、思いを馳せる。

 段々と顔が近づく。

紅莉栖「……」

 唇と唇が重なりそうになった。
 その時……。

岡部「ん……っ」

 ガタタッ。
 まどろむ岡部の耳に騒音が届いた。
 


821 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:57:25.33DoipWcxRo (36/39)


岡部「ん……?」

紅莉栖「岡部? オハヨウ。アンタまた気絶したらしいわよ!」

 一瞬でベッドから椅子へと飛び退いた紅莉栖。
 もちろん、寝起きの岡部には何が起きたかわからない。

岡部「助手……? んん……」

 ズキン、と頭が痛む。
 徐々に思考がクリアになっていき、自分が今どこに居るのかを把握した。

岡部「この部屋は、助手の部屋か。調度品がなにやら凄まじいことになっているが」

紅莉栖「それらは全部セシリアのだ。私のは殆ど無いわよ」

岡部「そうか……」

紅莉栖「っち、タイミング悪すぎだろうが……これだから童貞は……」

 ぶつくさと呟く。
 もうちょっとで唇と唇が重なっていた。
 


822 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:57:53.23DoipWcxRo (37/39)


岡部「何を1人でぶつぶつと言っているんだ?」

紅莉栖「なんでもない! あー、そう言えばお腹すいてるんだった。
    岡部、食堂行くわよ」

岡部「ん……今、何時だ?」

紅莉栖「昼の12時30。ここに運ばれて10分もしないで目覚めたわよ」

岡部「そうか、また気絶してしまったようだ」

 くくっ、と自嘲気味に笑う。
 ここへ来て何度目の失神だと。

紅莉栖「代表候補生相手にしてるんだから、当然と言えば当然の結果じゃない?」

岡部「……」

 そうして失神する度に、紅莉栖に慰められる。
 これもパターンだなと内心で笑っていた。
 


823 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:58:42.65DoipWcxRo (38/39)


紅莉栖「そんなことより、私はお腹がすいてる訳だが?」

岡部「もう昼か……そう言えば俺も、腹が減ったな……」

 何時ぶりだろうか。
 岡部が食欲をあらわにしたのは。

紅莉栖「へぇ、てっきりまた食欲が無いだとか、胃が痛いだとか言うのかと思ったら」

岡部「全くだ。依然として胃は痛いし、食いたくも無いはずなんだが……腹が減った」

 紅莉栖のベッドで大の字に寝転がりながら、岡部は答えた。

紅莉栖「ふむん。宜しい、では今日は私が学食の牛丼をおごってやろう」

岡部「卵に、それとドクペも付けてくれ」

紅莉栖「む……。いきなり現金なやつね」

 けれど、紅莉栖の顔は笑っていた。

紅莉栖「きっと一夏達のことだから、まだ食べ終わって無いでしょう。さっ、行きましょう」

 すっ、と手を差し出す。
 岡部は一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇った後にしっかりとその手を掴んで起き上がった。
 


824 ◆3R1.cwV0LI2012/10/07(日) 13:59:18.02DoipWcxRo (39/39)

おわーり。
ありがとうございました。


825VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(茨城県)2012/10/07(日) 14:23:37.97uGDg1McZo (1/1)




826VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/07(日) 15:08:28.87hXbZnbcjo (1/1)

ヂュノアってわざと?


827VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/07(日) 19:34:16.415OfU8ABJo (1/1)

岡部のはな

乙!


828VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank)2012/10/07(日) 20:27:13.51zj6ZqRgEo (1/1)

前と同じ?



829VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福井県)2012/10/08(月) 22:39:48.13jCuH8o9go (1/1)

懐かしやつが復活してる!って思ったら完結したのか

乙乙


830 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:47:31.11zLD6wvY4o (1/37)

投稿します。


831 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:48:09.91zLD6wvY4o (2/37)

>>825  つづき。




……。
…………。
………………。


セシリア「──と言うことで。午後の部はわたくし、セシリア・オルコットがお時間を頂戴致しますわ!」

 バン! と机を叩き、セシリアが高らかに宣言する。
 遅れて食堂へやって来た岡部と紅莉栖はキョトンとするばかりだった。

岡部「なにが、と言う訳なのだ。Ms.シャーロック」

 牛丼を食べながら岡部が答える。
 “牛丼さんぽ”の物とは少し違い、肉その物が良いらしくとても柔らかく上品な味だった。

 倍率、数万倍と言われるIS学園の食堂は素材の質が良い。

セシリア「倫太郎さん? 前々から思っていたのですけれど……わたくしの名前は、セシリア・オルコットですのよ?」

鈴音「そーよ、私も思ってた。アンタ人の名前間違えすぎじゃない?」

紅莉栖「(今更です。本当にありがとうございました)」

 我関せずとばかりに、紅莉栖も牛丼を食べ進める。

箒「私も、時々だが間違えられてる気がするな」

シャル「僕もなんだよね……オカリン、1人ずつちょっと名前を呼んでみてくれるかな?」

岡部「急にどうしたと言うのだ、そんな面倒なことは──」

鈴音「良いから言いなさいよ」

 ピシャリと鈴音が言葉を遮る。
 どうも、ガールズ達は名前を間違って呼ばれていることに違和感を覚えていたようだった。
 


832 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:48:40.69zLD6wvY4o (3/37)


岡部「……“しのののの”に“シャーロック”。“大陸娘”に“ヂュノア”それに“眼帯娘”」

 1人ずつ目を見て、堂々と名前を間違える岡部。
 否、間違えている訳ではない。

 本名を呼ぶ気が毛頭なかった。

箒「のが一つ多いような気がするんだが……」

岡部「そんなことは、ない」

箒「そっ、そうか……なら良い」

 断言する岡部に押される箒。
 釈然とせずも納得するよりなかった。

セシリア「ですから、シャーロックとは一体なんですの!?」

岡部「シャーロックはシャーロックだ。そんな事も知らんのか?」

セシリア「知っているとか知らないとか、そう言う意味ではありませんの!」

 軽くあしらう。
 すでに岡部の中でセシリアはシャーロックと言う名で確定している。
 


833 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:49:18.30zLD6wvY4o (4/37)


鈴音「大陸娘ってなによ! 良いから名前で呼びなさいってば!!」

岡部「わかれば良いだろう。貴様の祖国は中国だ、何も間違った事は言っていないではないか」

鈴音「確かに中国だけど……って、それとコレとは関係無いでしょうが!」

 話題を逸らし、言い合いを終了させる。
 なにも間違ったことは言っていない、と主張を曲げる気はない。

シャル「えっと、僕のは発音がちょっと違うかな? “ぢゅ”じゃなくて、日本語で“でゅ”で良いんだよ」

岡部「はっはっは、ついついフランス訛りが出てしまったようだな。気にするな、ヂュノアよ」

シャル「フランス語でもその発音じゃないんだけどなぁ……」

 あたかもフランス語が語れるような言い分を通す。
 もちろん、岡部が操れる言語は日本語のみである。 

一夏「それでもって、ラウラは眼帯娘か……」

 ラウラはと言うと、何故か放心状態のようで元気が無かった。
 岡部の付けた眼帯娘のあだ名を呼ばれても静かにココアを舐めている。
 


834 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:49:44.66zLD6wvY4o (5/37)


ラウラ「……」

岡部「気にするな。眼帯はチャームポイント……その道の人間からすればお洒落アイテムとも呼べる代物だ」

 まさに暖簾に腕押し。
 ガールズ達の意見は全て、岡部の良くわからない理論によって突っぱねられるしかなかった。

岡部「──で、午後の云々と言うのは一体?」

 そして気になっていた話題に舵を戻す。
 岡部にとって教官が誰になるかは文字通り死活問題だった。

セシリア「そうでしたわ。名前の件はいずれ決着をつけるとして……」

紅莉栖「(無理だと思います)」

セシリア「午後の訓練はラウラさんに引継ぎまして、このわたくしが面倒を見させて頂きますわ」

岡部「そうなのか? 眼帯娘よ」

 意外な展開と言えた。
 一番張り切っていたラウラが、午前中だけの訓練で時間をセシリアに渡すなど思いも寄らない。
 


835 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:50:10.60zLD6wvY4o (6/37)


ラウラ「……あぁ」

 食後のホットココアをちろちろ飲みながら頷く。
 その顔はどこか覇気が無く、元気が無い。

ラウラ「(私だけ一夏と組み手が出来なかった、私だけ一夏と組み手が──)」

 岡部と紅莉栖が合流する前。
 食事の席の話しは専ら、一夏との組み手だった。

 その話しに自分だけ入れず、ラウラはどんどんと覇気が無くなっていった。

岡部「わかった。午後はシャーロックに任せるとしよう」

鈴音「んで、何するのよ?」

セシリア「そのことなんですけれど……午後は私と、紅莉栖さんのお部屋で行います。
     ですので、参加者は4名のみ。倫太郎さんと一夏さん。私と紅莉栖さんで行いますわ」

 きっぱりと言い切るセシリア。
 もちろん黙って頷く面々ではない。
 


836 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:51:07.55zLD6wvY4o (7/37)


箒「どう言うことだ?」

鈴音「どう言うことよ?」

シャル「つまり、僕達は……?」

ラウラ「(一夏と組み手が──)」

一夏「はは……」

岡部「……」

紅莉栖「……」

 また面倒そうなことに、と岡部・紅莉栖は同じような目線で年下の女子達を見つめる。
 そして一夏も何時も通り、乾いた笑いをこぼすことしか出来なかった。

セシリア「一夏さん。そして、ついでに倫太郎さん改造コーディネイトを致します!」

岡部「コーディ……」

紅莉栖「ネイト……?」

 その場に居たセシリアとラウラ以外の人間が首を傾げた。
 特訓ではなく、コーディネイト? と。 
 


837 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:51:47.70zLD6wvY4o (8/37)


 岡部にコーディネイトを施す。
 そう高らかに宣言したセシリアは、言葉通りの事を実行しようとしていた。

セシリア「前々から気になっていたんですの。倫太郎さんのその風貌」

 半ば強制的に、セシリアの化粧台に備え付けられた椅子に着席させられている岡部。
 美容院などで掛けられる前掛けのような物まで掛けられ、鏡に映る自分の顔は冷や汗をかいていた。

岡部「な、何をする気なのだ……助手よ、どう言うことだコレは!」

 鏡越し。斜め後ろに一夏と隣並びで立っていた紅莉栖へとSOSの意味を含めて訪ねた。
 しかし、紅莉栖はさぁねと答えるだけで要領を得た回答は貰えない。

 紅莉栖もセシリアの意図を測りかねていた。

セシリア「そもそも、ISと言うのは──」


 ──割愛。


 要するに、セシリアからするとIS操縦者たるもの最低限身嗜みはキチっとせねばならない。
 そう言うことであった。
 


838 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:52:17.48zLD6wvY4o (9/37)


セシリア「──と、言う訳ですわ。御分かりになりまして?」

岡部「(な、長い……)」

一夏「(セシリアって以外と、こういうところキッチリしてるんだよなぁ)」

紅莉栖「(英国貴族だからなのかしら……)」

 延々と続く講釈に誰も口を挟めないでいる。
 下手に刺激してしまったらそこからさらに話しが広がると容易に想像できた。

セシリア「倫太郎さん? 聞いていますの? それとももう一度ご説明を──」

岡部「いーっや! わかった。なるほど、そう言う訳か。うむ」

 10分以上も長々と講釈を聞かされたとあって、もう一度それを聞くのは御免だった。
 岡部にとっても、後ろで待機している紅莉栖や一夏にとっても。

紅莉栖「(って、何で私まで立って話し聞いてるんだろ。
     別に鏡越しに岡部の顔なんて見ていたい訳じゃないんだから、ベッドに座って待ってれば──)」

 意味の無い立ち見をしている現状に気付き、紅莉栖が化粧台に背を向ける。
 


839 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:52:46.64zLD6wvY4o (10/37)


セシリア「ですから、まずはその無精髭を処理させて頂きますわ。
     それから、その中途半端に整えたおつもりの髪もきっちり仕上げてさしあげます」 

 ──くるり反転。180度。

 まるで、その場でターンをしたように紅莉栖は改めて化粧台へ。
 鏡越しの岡部に視線を戻した。

一夏「く、紅莉栖……? なんで、ターンをしたんだ?」

 意味不明な紅莉栖の行動を見て一夏が顔を引きつらせる。

紅莉栖「気分よ。気にしないで」

一夏「お、おう」

岡部「ちょっと待て、髭まで剃るのか?」

セシリア「当然です。そのような無精髭がこのIS学園で許される道理などありはしませんわ」

 神妙にしろ、と言わんばかりの圧力を岡部にかけ続けるセシリア。
 岡部はこのような時、このような態度を取る女性に対して何を言っても無駄であることをラボで、さらにはIS学園で学んでいた。
 


840 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:53:14.23zLD6wvY4o (11/37)


岡部「(鳳凰院モードでも……無駄だろうな……)」

 強気。逆切れ。キャラチェンジ。
 どれを行ってもこの状況から回避出来るとは思えない。

セシリア「それでは、暫く目を瞑っていて下さいな。この高性能電動シェーバーで根こそぎ綺麗にしてさしあげます」

一夏「ん? それって男性用のだよな? なんでセシリアがそんな物持っているんだ?」

セシリア「そ! そそ、それは……その、何時の日かい、いち……どなたかにしてさしあげようかと……」

 ごにょごにょと、言葉尻が小さくなっていくセシリア。
 例の如くその真意は思い人である、一夏本人にだけは届かなかった。

一夏「紅莉栖、どういう意味だ?」

紅莉栖「今、全部説明していた訳だが」

一夏「?」

 首を傾げる。
 さっぱり理解出来ない一夏であった。
 


841 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:53:46.73zLD6wvY4o (12/37)


セシリア「(一夏さんときたら、無駄毛一本見当たらないんですから使う機会など今まで一度たりとも巡っては来ませんでしたが……。
      丁度良い実験体が居たのですから、使わない手はありませんわ!)」 

岡部「(とでも考えているのだろうな……)」

紅莉栖「(とでも考えているのでしょうね)」

 丸見えの思考。
 岡部と紅莉栖からすれば、セシリアの考えはお見通しであった。

一夏「?」

セシリア「それでは、剃りますわよ?」

岡部「高性能シェーバーだ。不安は無いが、それでも慎重に頼む」

セシリア「心得ました」

 ガリガリと、電動シェーバーが髭を毛根から断つ独特の音を響かせながら、岡部の肌を露出させていく。
 高性能と言うだけあって、肌には傷が付かず尚且つ毛根から剃り落とす業物である。

 大した量を蓄えていた訳でも無かったので髭剃りは2.3分程度で全てが終わった。
 


842 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:54:16.09zLD6wvY4o (13/37)


セシリア「ふう……出来ましたわ。結構神経を使うものですのね」

一夏「おお、ちょっとした違いだけど随分スッキリした感じがするな」

岡部「うむ……何となく、心許ない感じがするが……」

紅莉栖「……」

 コトン、と電動シェーバーを置いたセシリアの手には既に別の容器が握られている。
 先ほどまでは無かった霧吹きや、ドライヤーまで何時の間にかそこには用意されていた。

岡部「……それは?」

セシリア「ワックスですわ」

 シュッシュ、と霧吹きを岡部の頭髪にかけ、水分を馴染ませた。
 容器から、乳白色の粘質を掬い手に馴染ませる。

 本人は全く気にしていなかったが、その姿はどこか妖艶さを含み一夏は自然と頬を赤らめていた。

岡部「出来るのか……?」

セシリア「代表候補生として、モデル業もやっておりますの。
     もちろん専属のヘアメイクも付いておりますが、学園生活でのヘアメイクは全て自身でやっておりますのよ?」

 殿方程度の髪を弄るなど造作もございませんわ。そう付け加えると、頬を歪めながらセシリアが笑った。
 もちろん、この男性用ワックスも何時の日か一夏の髪を弄るために用意したものである。
 


843 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:54:41.98zLD6wvY4o (14/37)


岡部「その、いきなり変わりすぎてもアレなのでな。その……」

セシリア「心得ておりますわ。今のかたちのまま、綺麗にまとめるだけにいたします」

岡部「そうしてくれ……」

セシリア「(この流れのまま、次は一夏さんの番ですわよ? さぁ、お掛けになって?)」


一夏『セシリアの指使いって上手いな。どうせなら毎日やって貰いたい、なんてな』

セシリア『一夏さんが望むのであれば、別に私は毎日して差し上げてもよろしくってよ?』

一夏『本当か!? なら頼むよ。変わりと言っちゃなんだが、俺も毎日セシリアの──』


一夏「──セシリア?」

セシリア「はい!?」

一夏「手が止まってるけど、どうかしたか?」

セシリア「え? ……え?」

 白昼夢。
 もとい、妄想。
 


844 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:55:09.32zLD6wvY4o (15/37)


岡部「何か問題でもあったか……?」

セシリア「い、いえ。(私としたことが、また妄想など……)」

紅莉栖「……」

 それからは妄想を無くし、集中して髪型作りに専念する。
 他人の髪型とは言え、お洒落にかけては一家言を持つセシリアにとって中途半端な仕事は許せなかった。

セシリア「さっ、出来ましたわ。前掛けをとって下さいな」

岡部「あぁ」

セシリア「背筋は伸ばす。猫背にはならない。顎は引く。倫太郎さんは折角上背があるのですから、シャンとしてほうが宜しくてよ?」

岡部「こ……こうか?」

セシリア「……え、えぇ。いいと……おも、います……わ」

 それまでしたり顔だったセシリアの顔が固まる。
 予想以上の姿がそこにはあった。

 無造作に蓄えた無精髭が無い。
 髪型は前髪だけを適度に上げ、両サイドを垂らすように流す。

 明後日の方向に飛び出した髪の毛も全て、流れるように違和感無く“髪型”として見立てられている。
 元々、顔の形が悪いほうではない岡部である。

 無精髭と、適当に掻き揚げただけの髪型。
 上背はあるのに猫背気味の姿勢。

 マイナスポイントを重ねすぎて気付きにくいが、このようにシャンとまとめれば俗に言う──。

 “イケメン”がソコに立っていた。
 


845 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:55:36.24zLD6wvY4o (16/37)


セシリア「(コレは……想像以上に……)」

 いくら背伸びをしても、未だ15歳の少女である。
 セシリアからすれば岡部は充分すぎるほど大人であり、姿だけで言えば魅力的な男性に見えた。

 勿論、この場に居るもう一人の少女にとっても……。

一夏「おお! カッコ良いな、凶真!!」

紅莉栖「…………」

セシリア「(私としたことが、一夏さんと言う者がありながら一瞬でも見とれてしまいましたわ……。
      ですが、これならバッチリ当初の目的通り。
      一夏さん派の女子を倫太郎さん派に大量輸出できますわね……!)」

 キラーンとセシリアの瞳が光る。
 恋する乙女のにとって、幾ら魅力的な男性と言えど自分が恋した男性以外は全て関係無いその他の男。

 自らの恋に利用出来るのなら、利用して然るべきなのである。

岡部「た、大して変わりは無いだろう、なぁ助手──」

 ツカツカと、靴の底が鳴る。
 部屋の中。距離にして数歩。

 紅莉栖は一直線に岡部の前に立ち、そして──。
 


846 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:56:04.17zLD6wvY4o (17/37)


紅莉栖「…………ッッ!!」

 頭部へその指先を突き入れた。
 綺麗に整われた岡部の頭髪を両手で掻き毟り、何時もの無造作なんちゃってオールバックへと元に戻す。

岡部「なっ……!?」

一夏「えぇ!?」

セシリア「……はい?」

紅莉栖「調子のんな! 岡部がカッコ付けたって、馬子にも衣装で良い気味よ! 茶が臍で沸くわね!」

 ここにもまた1人、恋する乙女。
 しかし、この学園の女子達と違い随分と素直になれない女の子。

 その女の子の心を掻き毟るに充分な破壊力を、セシリアは造型してしまった。
 普段の牧瀬紅莉栖なら考えられない行動である。

 時間に囚われ幾日も紅莉栖と過ごした岡部ですら、初めて目にした奇なる行動。
 この空間において、彼女がとった行動を理解出来る人間は岡部を含めて誰も居なかった。

 勿論、彼女自身でも。
 


847 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:56:30.65zLD6wvY4o (18/37)


紅莉栖「(しまったぁぁぁあ!! 私ってば、なんて行動を……お、落ち着くのよ。そ、素数を……)」

 一瞬の静寂。
 それを打ち破ったのは他でもない、岡部だった。

岡部「ふ、ふ……」

一夏「えっと、あー……凶真?」

岡部「フゥーハハハハ! なるほどな、そう言うことか助手よ」

セシリア「???」

一夏「???」

 もはや、置いてけぼりの一夏とセシリア。
 頭の上にはクエスチョンマークを浮かべるばかりである。

岡部「やはり、このメァッドサイエンティスの鳳凰院凶真にはこの髪型こそが似合う。そうであろう……?」

紅莉栖「あっ、あの……えぁっと……つまり、その通りでだな……」

岡部「気にするな、じょしゅーぅ。統率の取れた髪型など、この俺には似合わない。わかっていた事だフゥーハハハハ!!」

 一切話しについていけない、一夏とセシリア。
 奇怪な行動を取り、顔を赤らめ明らかに動揺する紅莉栖。

 状況を打破する策が見つからず、鳳凰院凶真に逃げた岡部。
 三者三様の有様を作り、無駄に時間だけが過ぎて行く。
 


848 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:56:57.01zLD6wvY4o (19/37)


セシリア「でっ、では!」

 沈黙を打ち破ったのはセシリアだった。
 その声には決心に似たようなものが含まれている。

セシリア「お次は、いい、い……一夏さん! 貴方ですわ!」

一夏「……えっ!?」

 ありったけの勇気を振り絞り、一夏を指差す。
 まさか矛先が自分に向けられるとは思っても見なかったのか、一夏の顔は見る見る内に青ざめていった。
 


849 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:57:22.77zLD6wvY4o (20/37)



 ──。

 ────。

 ──────。
 
 


850 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:57:48.82zLD6wvY4o (21/37)


セシリア「~~♪ ~~♪」

一夏「……」

 上機嫌なセシリアの奏でる鼻歌。
 ヴァイオリンを嗜んでいるだけあって、鼻歌だと言うのに音程は正確でとても心地の良いものだった。

セシリア「(はぁ、幸せですわぁ)」

 半ば強引に化粧台へ座らせたあと始まった一夏のヘアチェンジ。
 ヘアメイク担当は勿論、セシリア・オルコット。

セシリア「無造作ヘアーも似合いますが……先ほどの倫太郎さんのように前髪をかき上げるのも様になりますわね♪」

 わしゃわしゃと髪をいじくり、数分毎に髪型を換えていく。
 着せ替え人形よろしく、なすがままの一夏の顔には疲弊が溜まっていた。

一夏「(コレは一体何時間続くんだ?)」

セシリア「オールバックも似合いますわね……ねぇ、紅莉栖さん?」

紅莉栖「はいはい……」

 呼ばれて億劫な声を出しながら答えたのは、名前を呼ばれた当人。
 その手にはセシリアに渡されたデジカメが握られていた。
 


851 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:58:15.24zLD6wvY4o (22/37)


セシリア「次はこの髪型でお願いいたしますわね」

紅莉栖「セイ、チーズ」

 やる気の無いカメラマンがシャッターを切る。
 このように、セシリアが気に入った髪形が出来たらツーショット撮影。

 ツーショットと言うのは説明するまでも無く、一夏とセシリアである。
 毎度毎度、腕を絡めて実に親密そうに。
 
一夏「(うぅ、胸が当ってるんだよなぁ……)」

セシリア「(少々あざといかもしれませんが、何時ものメンバーが居ない今こそスキンシップを深めるチャンスですわ!)」

岡部「………………」

 岡部はと言うと、午前中の疲れや今までの疲れがドっと出たのか撮影に飽きて、何時の間にか紅莉栖のベッドで横になっていた。
 紅莉栖が文句を言おうとする前に、岡部はそのまま寝てしまっている。

紅莉栖「(もう……。私のベッドだぞ……)」

 ゴクリ、と喉が鳴ったのは紅莉栖。
 


852 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:58:41.26zLD6wvY4o (23/37)


紅莉栖「(べ、別に……!)」

 何か、言い訳を心の中の自分に言おうとしたが直前でそれを辞めた。
 内心とはいえ、それを考えてしまったら今夜は眠れなくなる、そう思ったからだった。

紅莉栖「ねぇ、セシリア。何時まで続けるの? 結構、写真もたまってきたわよ」

一夏「そうだぞ、セシリア。俺も疲れてきちまった」

セシリア「そ、そうですわね……思えばかなりの時間をヘアメイクにつぎ込んでしまいましたわ」

 チラリと時計を見ると、17時を過ぎていた。
 腹の虫が夕飯を所望する時間である。

セシリア「では次の工程に──」

一夏「まだあるのかよ!?」

セシリア「当然ですわ。身嗜み……衣類やアクセサリーあとは香水で匂いなども……」

一夏「そこまでするのか……?」

セシリア「全てこのセシリア・オルコットに任せて頂ければ大丈夫ですわ♪」

紅莉栖「(……ココまでね)」

 カチカチとデジカメから画像を自分の携帯に移植。
 その画像を添付してメールを送信。
 


853 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:59:07.90zLD6wvY4o (24/37)


セシリア「香水は私のとお揃いで、レリアルのナンバーシックスを──」

 ──コンコン! ガチャ。

 少しばかり強めのノックが響いた後、部屋の主達が扉を開く前に来客が部屋へと押し入った。
 その数、4人。

箒「セシリア! どういうことだ!」

鈴音「ちょっと! 説明しなさいよ説明!」

シャル「ずるいよ、抜け駆けだよ!」

ラウラ「私が一夏の写真を手に入れるのにどれほど苦労したか……!」

セシリア「な、なぜ皆さんがこちらに……!?」

 4人がセシリアに差し出したのは携帯の画面。
 そこには嬉しそうに一夏と腕を組む、セシリアの笑顔があった。

 ラウラなどご丁寧に、一夏の顔部分だけを抜き取り編集して既に受付画面にまで使用されている。

セシリア「これは……くっ、紅莉栖さん!!」

紅莉栖「ごめんね、セシリア。実はそこの4人に最初から釘をさされていてね……」

 食堂での別れ際、紅莉栖だけ4人の専用機持ちに呼び出され何かあったら直ぐに呼べと念を押されていた。
 何かあったらとは勿論、セシリアの一夏に対する抜け駆け行為である。
 


854 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 03:59:34.16zLD6wvY4o (25/37)


セシリア「スパイ……! 卑怯ですわ!」

箒「卑怯なのはどっちだ!」

鈴音「英国淑女が聞いて呆れるわよ!」

シャル「セシリア、ずるいよ! 僕も一夏とその……ツーショット……」

ラウラ「一夏。用件はわかっているな?」

 ずい、と最後にラウラの声が重く響いた。
 キョロキョロと落ち着き無く視線を泳がせていた一夏がビクン、と反応する。

一夏「えっと……ラウラ?」

ラウラ「本来ならば、この時間は私による特訓が行われる予定だった。
    が、やんごとなき事情により時間をセシリアに譲り今に至る訳だが……」

鈴音「あんた達、いま何してたのよ」

一夏「えっと……」

 視線をセシリアと紅莉栖へ交互に向けて助けを求める一夏。
 しかしセシリアはわなわなと震えるだけで、紅莉栖は知らん顔。

 実際、一夏は巻き込まれただけなのだが決まって毎回割りを食うのは一夏である。
 そうなる理由を本人がわからないのが一番の問題だが、わからないのだから仕方が無い。
 


855 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:00:08.48zLD6wvY4o (26/37)


箒「一夏」

鈴音「わかってるわよね?」

シャル「僕達とも」

ラウラ「ツーショット写真を撮ってもらおう。カメラマンは勿論……」

 「「「「セシリアで」」」」

 4人の声が重なった。
 セシリアは渋々デジカメを紅莉栖から受け取るしかなく、天にも昇る最高の気分は何時しか最低なものになっていた。

一夏「俺に拒否権は……」

箒「ある訳がなかろう」

鈴音「それとも何? セシリアだけ特別なの?」

シャル「一夏。それは贔屓だよ」

ラウラ「嫁のくせに、夫をないがしろにするつもりか?」

一夏「うぅ……」

 唐変木・オブ・唐変木ズである一夏にはこうなる理由が理解出来ない。
 理解出来ないが、付き合うしかない。

 ここからは、あーでも無いこーでも無いと姦しくポーズの指定。そして撮影。
 鈴音がくっ付き過ぎだとか、箒が腕に胸を当てすぎだとかと騒ぎ立てながら撮影会が進行され、


 全ての撮影が終わるころには、19時を回っていた。

 


856 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:00:35.25zLD6wvY4o (27/37)


一夏「つ、疲れた……」

岡部「………………」

 紅莉栖のベッドでは、未だに岡部が寝息を立てている。

紅莉栖「この騒音の中で良く眠り続けられるわね」

ラウラ「疲労が溜まっていたのだろう。ふん、丁度良い休息になったわけだな」

 そう言いながらラウラはツーショット写真が納まった、自らの携帯電話を大事そうに抱えている。
 他の4人も同様。

 表情には出さないでいるが口角がほんの少し緩んでいるあたり、幸せそうな顔を作っていた。
 


857 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:01:01.29zLD6wvY4o (28/37)



……。
…………。
………………。

 


858 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:01:31.88zLD6wvY4o (29/37)

 
 ─とある布団の中─


 携帯電話から流れるヒーロー物のアニメ。
 小さな空中投影ディスプレイからは快活なヒーローが飛び出し、悪を蹴散らしていた。

簪「最近、いっ……いちかに会って……ないな……」

 ぽつりと、布団の中で誰に言うでもなく呟いたのは1年4組に在籍する“楯無 簪”であった。
 “全学年合同マッチ”が終わってからというもの、1組と4組。

 クラスの壁が厚く立ちはだかり、以前より一夏と会う機会が減っていた。 
 何度かは偶然を装い、食堂で待ち伏せなどをしてみたが何時も1組(それと2組の鈴音)の専用機持ちが彼を取り囲んでいる。

 簪がその状況で一夏に話しかけられる訳も無く、結局はパンを買い教室で齧る毎日。
 そして止めは岡部倫太郎の登場である。

 これにより、さらに一夏に近寄る機会が激減してしまった。

簪「声……聞きたいなぁ……」

 携帯から聞こえてくるヒーローの声はもう簪に届いていない。
 その音声がすべて一夏のソレに脳内変換されて耳に流れる。

簪「明日、声……挨拶だけでも……してみよう……かな」

 そう決意しただけで、顔が真っ赤な夕日のように染まる。
 布団の中で控えめな胸に手を当てると、自分でも驚くほどに強く脈を打っていた。
 


859 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:02:09.48zLD6wvY4o (30/37)



……。
…………。
………………。
 


860 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:02:36.14zLD6wvY4o (31/37)


 冬の朝は遅い。
 朝4時を越え、なお月が空に浮いている。

岡部「……」

 岡部は全身の筋肉と関節を丁寧に伸ばし、柔軟体操を行っていた。

岡部「変わるものだな……」

 前屈姿勢をとりながら、ぽつりと呟く。
 この1週間で、ガチガチだった岡部の体は一般人程度には柔らかくなっていた。

岡部「さて……」

 隣のベッドでは未だにルームメイトである織斑一夏が寝息を立てている。
 1人体育着に着替え、柔軟体操を終えた岡部は朝のランニングをしに行こうとしていた。

岡部「(昨日は眠りすぎてしまったな……こんな時間に起きるとは……)」

 そろそろと音を消し、ドアへ向かう。
 カチャリ。静かに開錠して廊下を出ると視線の下に何かが居た。
 


861 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:03:20.60zLD6wvY4o (32/37)


簪「……」

岡部「……」

 一瞬、何が起きたのかと絶句する。
 時刻は午前4時20分過ぎ。

 視線を落すとそこには、眼鏡をかけた少女が立っていた。
 喉まで出かかった驚きの声を何とか飲み込み、岡部はもう一度時間を確認した。

岡部「(午前4時……午後4時の間違いではない、な……)」

簪「…………」

岡部「(何だこの娘は……起きて、いるのか?)」

 岡部は目の前の少女に不思議なものを感じた。。
 この髪の色も、顔の造型も何処かで見た気がする、と。

簪「あっ、あ……の……」

岡部「ふぁっ……あっ、あぁ」

 素っ頓狂な声を上げたが、何とか取り繕う。
 押し黙って俯いていた少女がいきなり声を出せば、それも当然だった。
 


862 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:04:07.77zLD6wvY4o (33/37)


岡部「(どこかで見たことがある顔なのだが……クラスに居た……気が……わからん)」

簪「こんばっ……あっ……おは、おはよう……ござい、ま……す」

岡部「う、うむ」

 開口一番、挨拶が岡部へと飛来する。

岡部「あー……もしかするとワンサマーに何か用事か?」

簪「わん……さまー?」

 岡部の問いに首を傾げる少女。
 この学園において一夏のことを“ワンサマー”と常用で呼ぶ人間は岡部倫太郎しか存在しない。

 1年1組では“ワンサマー”=“織斑一夏”が定着しつつあるが、4組に在籍している簪が知る由も無かった。

岡部「織斑一夏に、何か用事か?」

 言いなおす。
 すると少女の顔は一変した。
 


863 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:04:34.25zLD6wvY4o (34/37)


簪「……っ」

 ぼっ。
 着火音が聞こえて来そうな程の勢いで、顔を赤らめる簪。

 実際、一夏に会いに来たのだがそれを他人に指摘されると自分の大胆な行動が途端に恥しくなった。
 口をつぐんで黙ってしまう。

岡部「(参ったな……萌郁以上のだんまりキャラとは)」

簪「ぅぅ……(は、恥しい。ど、どうしよう……)」

 ふぅ。と大きめの息を吐いて岡部が言葉を切り出す。

岡部「織斑一夏とは知り合い……友達なのだな?」

 その言葉を耳にして、簪が数ミリだが首を立てに動かす。
 今の簪に出来る精一杯の、肯定を意味する意思表示だった。
 


864 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:05:00.24zLD6wvY4o (35/37)


岡部「ならば、問題無い。俺はこれから出かけてくるが戸締りはしないでおこう」

簪「……」

岡部「まだ早朝という事もあり、ルームメイトは眠っているがな」

簪「……」

岡部「廊下は寒い。勝手にお湯でも沸かして何かしら飲むと良い」

 岡部はそう言い終えると、見知らぬ少女に背を向け廊下を歩いて行った。
 10代女子の行動力とは恐ろしいものだな。と、思いながら背後に感じる視線を無視する。
 
岡部「(マッドサイエンティストも丸くなったものだ……)」

簪「ぁ……」

 ありがとう。
 そう言う間もなく、その男は廊下の向こうへと消えてしまった。

 開き放たれているドア。
 計らずとも一夏のルームメイトである、岡部倫太郎に入室許可を貰ってしまった。

 嬉しさと、困惑で簪の胸の内はいっぱいだった。
 どうやって会おう。どうしたら会えるだろう。

 一夏に会いたい。
 他の子と話す前に、会わないとダメ。

 そんな事を思っていたらこんな時間にドアの前まで来てしまった。
 


865 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:05:27.07zLD6wvY4o (36/37)


簪「(あ……、部屋が寒くなっちゃう……)」

 一夏はまだ眠っている。
 岡部倫太郎はそう言っていた。

 時間を考えれば当たり前のことだが、普段の秀才ぶりは何処へやら。
 恋する暴走乙女になりつつある簪にそこまでの思考回路は働かない。

簪「(し、締めないと……)」

 部屋へ入り扉を閉める。
 玄関先は寒気が入り込み、少し寒くなっていたが部屋の中程はじんわりと暖かかった。

簪「入っちゃった……」

 思わず、感想が声から漏れる。

一夏「うぅん……」

 簪の声に反応してなのか、それとも単なる偶然か。
 一夏が寝返りと共に微かに声をあげた。

簪「……っ!」

 声を出していた事に気付き、大慌てて自分の口を手で押さえる。
 幸いにも、ただの寝返りだったようで一夏の意識は目覚めていない。

簪「(い、一夏……久しぶり……)」

 眠っている一夏の顔をみて、簪の顔がほころぶ。
 何日……何週間ぶりだろうか。

簪「……」

 ちょこんと、ベッド脇の椅子に座り一夏の顔を眺める。
 会話も無い眠っている人間の顔を見るだけの行為が、簪にとってはとても幸せなことだった。

 時刻は午前4時30分。
 冬の空には満月が未だに顔を覗かせていた。
 


866 ◆3R1.cwV0LI2012/10/13(土) 04:05:57.01zLD6wvY4o (37/37)

おわーり。
ありがとうございました。


867VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋)2012/10/13(土) 11:24:56.091OyuMmZ0o (1/1)

待ってたぜ


868VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(中部地方)2012/10/13(土) 15:16:48.31HNEiPVXto (1/1)

おお、リマスター版が来てたのか
wktk

結構前に誤植があったが脳内補完しておいた


869VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/13(土) 22:06:56.939f1uS09DO (1/1)

誤植はしゃあないべ、基本読み返しても気付かないことはあるさ
むしろ誤植は愛嬌と思う
>1乙


870VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/15(月) 15:00:29.91v8pYw3muo (1/1)

誤植はどんな媒体にもあるからな
ひとまず乙!
ゲルバナを進呈しよう


871VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/16(火) 00:51:56.87cej9IhkDO (1/1)

>>870
お前っ!自分のバナナを犠牲にしたのか!?>1にプレゼントするために!


872 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:44:44.09s0E0Sez+o (1/45)

投稿します。


873 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:45:11.77s0E0Sez+o (2/45)

>>865  つづき。




……。
…………。
………………。
 
 


874 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:45:37.45s0E0Sez+o (3/45)

 

 タッタッタ、と規則正しい音がトラックから空に響いていた。
 周囲に人影は無く、たった1つの影が白い息を弾ませている。

岡部「……」

 岡部が走り始めて、1時間程が経過していた。
 息が白むほど外気は冷え込んでいるが、額には玉のような汗が浮いていた。

岡部「……ふぅ」

 徐々にスピードを落とし立ち止まる。
 その場で屈伸運動や、前屈などをして体の筋を伸ばす。

岡部「(1週間前までは、疲れると言うより体の節々が痛くて走れなくなったものだが……)」

 今ではソレが無くなっていた。
 1週間の間に積まれた運動は確実に、岡部の身に付いている。

 楯無の妙薬と、一夏のマッサージ。
 各国代表候補生のスパルタ(?)訓練は無駄ではなかった。

岡部「5時30分。あと30分ほど、軽く流してから帰るとするか……」

 タッタッタ。
 規則正しい音が、空へと響いていた。
 


875 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:46:16.73s0E0Sez+o (4/45)



……。
…………。
……………… 

 


876 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:46:43.24s0E0Sez+o (5/45)


 一夏を起こしてはいけないと、岡部はロッカールームでシャワーを浴びてきていた。
 勿論、出掛けに出会った少女がまだ部屋に居る可能性を考えてというのもある。

岡部「ふむ……」

 ミニタオルで頭をガシガシと拭きながら周囲を見る。
 少女の姿はなく、湯沸し機等も使われた形跡が無い。

岡部「結局、すぐ帰ったと言う訳か」

 ベッドに腰をかけて、頭を拭いていると後ろから電子音が聞こえた。

 ──ピピピ! ピピピ!

 シャルロットからプレゼントされた、多機能腕時計が正常に機能され装着者を寝覚めさせようと音を鳴らしている。

岡部「ワンサマーのアラームか。6時10分とは随分と早起きだな」

一夏「んんっ……ふぁーぁ、朝か」

 アラームを止めて目を擦りながら周囲を見渡すと、ルームメイトである岡部の姿が一夏の目に映った。

一夏「おっ、凶真。何だ今日は早いじゃないか。おはよう」

岡部「あぁ。昨夜は随分と早く寝付いてしまったからな」

一夏「はははっ、昨日は大変だったよ……」

 ガールズに付きあわされ、ツーショット写真を沢山取らされたことを思い出す。
 寝覚めたばかりだと言うのに疲労を感じてしまう。
 


877 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:47:37.04s0E0Sez+o (6/45)


岡部「くくくっ、難儀なことだな」

一夏「全くだよ」

岡部「コーヒーでも飲むか? 淹れるぞ」

一夏「サンキュ。頼むよ」

岡部「砂糖とミルクはどうする?」

一夏「えっと……どっちも頼む」

岡部「了解した。ほれ」

一夏「サンキュ……って、凶真はブラックか? やっぱ大人だなー」

岡部「我が仇敵であるフェイリスが居たのならば、或いは乳白色に染められていたやも知れんがな……」

 懐かしい顔を思い出しながら、褐色の液体を喉に流す。
 熱く苦いソレは、じんわりと体に染み渡り心地よい気分を岡部に与えた。
 


878 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:48:19.69s0E0Sez+o (7/45)


一夏「フェイリス……? って凶真の友達か?」

 聞きなれない単語を耳にし、コーヒーを傾けながら一夏が聞いた。

岡部「うむ。ラボメンである」

一夏「そっか、何時か俺も……ラボ? ってヤツに行ってみたいもんだな」

 “フェイリス”と言う日本人には馴染まない名称に一夏は意を止めない。
 海外勢が多いIS学園に身を置いてからと言うもの、名前に対する認識も変わっていた。

岡部「歓迎しよう。ワンサマー、貴様であればその資格は充分にある」

一夏「本当か!? へへっ、何か嬉しいなそれ……」

 一夏は笑顔をほころばせた。
 本当に嬉しそうに笑うので、岡部も何故かくすぐったくなって頬が緩んでしまう。

岡部「あぁ。俺の仲間を、何時か紹介しよう」

 月曜日の朝。
 クラス内対抗戦を控えた前日は、実に爽やかな気分を2人にもたらした。
 


879 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:49:02.50s0E0Sez+o (8/45)



……。
…………。
………………。

 


880 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:49:33.18s0E0Sez+o (9/45)


 
─第1アリーナ─


千冬「全員、揃ったな!」

 第1アリーナに織斑千冬の声が響いた。
 良く通る声は、生徒1人1人に緊張感を与える。

千冬「明日はクラス内対抗戦だ。最低でも1人1試合。専用機持ちは専用機持ち同士。
   そうでない者も、訓練機を用いて試合を行う」

真耶「1組は専用機持ちが、丁度6名居ます。
   組み合わせは織斑先生が行うので指示に従ってください。
   訓練機の方々もこちらで組み合わせを提示します」

 担任である千冬と、副担任の真耶が明日の説明をする。
 本日は全日、明日の対抗戦のための準備……ISの調整時間へと当てられていた。

ラウラ「教か……織斑先生」

 言いかけて訂正する。
 教官ではなく、先生だと拳で持って何度も注意されていた。
 


881 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:50:34.29s0E0Sez+o (10/45)


千冬「なんだ、ボーデヴィッヒ」

ラウラ「対戦の組み合わせは決定しているのですか?」

千冬「無論だ。だが、発表は明日直前とする」

真耶「理由は、対戦相手がわかっているとそれに応じて装備を変更出来るから……という訳です」

セシリア「なるほど……」

シャル「誰と当るかわからないから、前もっての準備は難しいってことだね」

千冬「本日中に、明日使用するISのパッケージやその他装備を確定して貰う。
   当日、変更出来ないから充分に考えろよ」

箒「ふむ……」

一夏「俺や箒、それに凶真はどのみちパッケージ変えられないし意味無いな」

岡部「全くだ」

 一夏の“白式”。箒の“紅椿”。岡部の“石鍵”。
 この3機は装備の互換性が乏しい。或いは出来ないため、相手によって装備を変更すると言った戦略が立てられない。
 


882 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:51:01.93s0E0Sez+o (11/45)


紅莉栖「軽く言ってるけど、結構大変よ? 今日中に、全ての調整を完了。
     敵対するISがわからないから、全てに対応出来るようにしないとだし……」

シャル「うん。時間もあまりないしね」

セシリア「何方と戦うか……それが問題ですわ」

ラウラ「誰と当ろうが、粉砕するのみだ」

箒「あぁ。負ける訳にはいかない」

 ガールズは一度視線を合わし、その矛先を一夏へとスライドさせる。

一夏「えっ、なに?」

 当人は向けられた視線の意味を把握出来ず首を傾げ──。

一夏「明日は誰と当っても全力で戦おうな!」

箒「(お前と言うヤツは……)」

セシリア「(一夏さんは誰と戦いたいんですの!?)」

シャル「(やっぱりオカリンと戦いたいのかなぁ……)」

ラウラ「(私と戦いたくて仕方が無いようだな、一夏は)」

 そんな様子を、呆れたような、微笑ましいものを見るような目線で見つめる岡部と紅莉栖。
 そして岡部がポツリと呟く。
 


883 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:51:30.44s0E0Sez+o (12/45)


岡部「しかし……俺はまともに戦えるのだろうか」

紅莉栖「前日に弱気になるなよ……大丈夫。私が付いてるんだから」

 控えめな胸をそり、自慢げに顔を上げる紅莉栖。

紅莉栖「整備室に篭るわよ。弄るところなんて殆ど無いけど、調整出来るところは徹底的に調整する」

岡部「っふ……相変わらず頼もしいな。俺の助手は」

紅莉栖「助手じゃないと言っとろー……」

 そこまで言いかけて、言葉が詰まる。
 しばらく思案して──。
 


884 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:51:57.09s0E0Sez+o (13/45)


紅莉栖「最近、本当にあんたの助手みたいな感じがしてきている訳だが……」

 ジト目の上目遣いで岡部を睨む。
 その顔は、苦々しいような恥しいような意図の掴みにくいものだった。

岡部「ッフ! ようやく自覚してきたか。貴様はとうの昔に俺の助手よクリスティーナ!」

紅莉栖「ティーナ付けんな! あーもう、面倒臭い! ほらっ、もう行くわよ!」

 ズンズンと整備室に1人歩いて行く紅莉栖。
 岡部もソレを追うようにして、付いて行った。

岡部「こら! 助手が俺を置いて行ってどうする!」

紅莉栖「助手じゃないと言っとろーが!」

 紅莉栖の語感には、楽しげなそれが浮かんでいた。
 


885 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:52:23.43s0E0Sez+o (14/45)



……。
…………。
………………。

 


886 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:52:50.88s0E0Sez+o (15/45)



 ─第1アリーナ整備室─


 岡部は自身の専用IS“石鍵”を展開して、各種様々なケーブルに繋がれていた。

岡部「……」

 紅莉栖が高速で叩くキーボードの音がカタカタと部屋を鳴らしている。

紅莉栖「ふむん……問題はやはり、エネルギーね」

岡部「なんの、だ?」

紅莉栖「攻撃に割くエネルギーよ。よっと」

 紅莉栖の前にあった投影ディスプレイを、ついと指でずらし岡部の前にスライドさせる。
 画面は“石鍵”のエネルギー配分だった。
 


887 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:53:20.35s0E0Sez+o (16/45)


紅莉栖「スラスターの出力とかは、こっちで弄れないみたいなのよね。やっぱり」

岡部「……それは、かなり問題があるんじゃないか?」

紅莉栖「大問題よ」

 さらりと肯定する。

岡部「……」

紅莉栖「まぁ、無理なものは無理と置いておいて。問題はここ」

 トントン、と空中に映し出された映像を裏側から叩いてピックアップする。
 そこにはメインウェポンへのエネルギー配分が記されていた。

紅莉栖「あんたの武器。例えば“ビット粒子砲”だけど……現段階でいくらか出力をいじれるみたいなの」

岡部「あの豆鉄砲が進化するということか?」

紅莉栖「そ。だけど、連射速度が速すぎて、出力を上げたら一瞬でエネルギーが尽きるって感じ」

岡部「やはり、意味が無いではないか……」

紅莉栖「なのよね。つまり、初期設定が一番まともってこと」

岡部「……」

 言葉が詰まる。
 紅莉栖の説明を受けていると、どう足掻いても絶望しか感じられない。
 


888 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:54:37.02s0E0Sez+o (17/45)


紅莉栖「次に“サイリウムセーバー”」

岡部「む。待て、助手よ。“サイリウムセーバー”は物理刀剣だ。エネルギー問題は関係無いはずだが?」

紅莉栖「それがあるみたい。剣へのエネルギー供給が可能なのよ」

岡部「エネルギー供給……?」

紅莉栖「えっと、一夏の“雪片弐型”。あれは普段、物理刀剣だけど、第4世代技術である展開装甲により可変し、エネルギー状の刃が出る。
    “サイリウムセーバー”はエネルギーで剣をコーティングするって感じね」

岡部「つまり、攻撃力があがると言うことか?」

紅莉栖「端的に言えば、そうね。
    例え物理シールドで防がれても、エネルギーダメージ。エネルギーシールドで防がれても物理ダメージが通る」

岡部「おおお……つ、ついにソレらしくなって来たでは無いか!」

紅莉栖「興奮するな。話しはまだ終わっとらん」

 興奮する岡部を抑え、液晶一杯にエネルギー情報を表示させた。
 


889 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:55:07.42s0E0Sez+o (18/45)


岡部「?」

紅莉栖「余ってるエネルギーが無いのよ」

岡部「……つまり、使えないと言うことか?」

紅莉栖「他のメインウェポンへの供給を削れば可能。でも、消費が中々に大きいからエネルギーコーティングしても、持って30秒ってとこね」

岡部「つまり……“サイリウムセーバー”を強化したければ“ビット粒子砲”か、
   “モアッド・スネーク”に使用するエネルギーを割けということか?」

紅莉栖「ん。“モアッド・スネーク”は平気。エネルギー使ってないから」

岡部「では“ビット粒子砲”か……」

紅莉栖「そう言うことになるわね。でもそうすると、完全に物理豆鉄砲になるわ。
     物理シールドを多用するシャルロットなんかに当ったら、酷いことになりそう」

 ノーダメージでのパーフェクトゲームが予想される。
 紅莉栖はそう付け加えた。
 


890 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:55:43.57s0E0Sez+o (19/45)


岡部「むう……」

紅莉栖「その代わり、物理シールドが無い一夏と当れば剣術戦になるだろうから、メリットが多いわね」

岡部「むう……」

紅莉栖「どうする?」

岡部「そうだな……では──」


 ──……。


紅莉栖「ん。わかった、そうしておく」

岡部「頼む」

 注文を聞き終えた紅莉栖は、もの凄いスピードで設定を打ち込んでいく。
 


891 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:56:42.13s0E0Sez+o (20/45)


紅莉栖「──ねぇ、岡部」

 不意に口を開いたのは紅莉栖だった。

岡部「……なんだ?」

紅莉栖「勝てとは言わないけどさ、頑張んなさいよね」

岡部「……あぁ。任せろ」

紅莉栖「ん」

 会話はそれきりで、紅莉栖は設定の打ち込み。
 岡部は各種データを見る作業に没頭した。
 


892 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:57:23.36s0E0Sez+o (21/45)



……。
…………。
………………。

 


893 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:58:09.58s0E0Sez+o (22/45)


真耶「みんな、頑張ってますね」

千冬「……」

 アリーナでは生徒達が訓練機同士で模擬戦を行っていたり、専用機持ちである一夏達があーでもないこーでもないと話し合っていた。
 試合前日ともあり熱気が感じて取れる。

ラウラ「一夏。“瞬時加速”に頼る癖が付いている。早急に治した方が良い。
    私には通用しないぞ」

一夏「うっ……」

 図星を突かれ、顔が引きつる。
 “瞬時加速”は一夏にとって戦闘の定石でもあり、切り札でもあった。

シャル「“瞬時加速”は確かに強力だし、便利だけど直ぐにエネルギーが無くなっちゃうしね」

一夏「そう言えば、シャルも“瞬時加速”使えるのに滅多に使わないもんな」

シャル「切り札は出さない、見せない。だよ、一夏」

 コホン。
 わざとらしい咳払いをして、箒が口を挟んだ。
 


894 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:58:56.57s0E0Sez+o (23/45)


箒「ま、まぁ私の“紅椿”と一緒に居れば問題ないな。エネルギー問題は」

セシリア「ですが。今回は全くその話しは関係ありませんわね。むしろ“敵”になる可能性があるわけですし」

シャル「だね」

ラウラ「全く持って、関係無いな」

 してやったりと思っていた箒に対し、一斉掃射が返って来る。
 自分の利便性を説いたつもりが逆効果になってしまった。

箒「ぐぐ……」

一夏「はぁ。箒は良いよなぁ……」

箒「えっ」

セシリア「っ!?」

シャル「っ!?」

ラウラ「……っ!」

箒「えっ、っと……つまり、そ──それはどっ、どういういみでだ?」

一夏「え? だって“絢爛舞踏”があれば、二段階瞬時加速も使いたいほうだ──」

 ゴギン。鈍い音が脳に直接響く。
 箒の拳骨が一夏の頭頂部へと突き刺さった。
 


895 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 04:59:25.43s0E0Sez+o (24/45)


一夏「いっだぁぁあ!?」

箒「そんな……そんなことだろうと思ったわ!!」

セシリア「はぁ、最低ですわね」

シャル「うん。一夏らしいけど、最悪だね」

ラウラ「アイツも災難だったな」

箒「ふん!」

 すたすたとポニーテールを揺らしながら、その場を離れていく箒。
 頭をさすり、涙目になっている一夏はその後も残った女子達に責められるしかなかった。

千冬「馬鹿者が……」 

真耶「あ、あはは……」

 そんな光景を目にする教師が2人。
 


896 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:00:06.59s0E0Sez+o (25/45)


千冬「敵になる可能性を持つ者同士で、話し合ってどうする」

真耶「た、確かに」

千冬「教師への相談を禁止している訳ではないのだから、相談すれば良いものを。
   優秀な教師が揃っているというのに……」

真耶「あははっ、少しは頼って欲しいってことですね? 千冬おねぇ──」

 ケラケラと可愛い笑みを浮かべながら茶化した真耶は、全てを言い終わる前に表情が固まった。
 我ながら失言を吐いたと内心で冷や汗をかく。

真耶「えっと。あの、少し生徒の様子を……」

千冬「山田先生。丁度訓練機が2機空いてるようだ。生徒へのデモンストレーションとして少し慣らしましょうか」

真耶「えっ!? えっ!? で、でも、織斑先生がISを操縦するのはちょっと」

千冬「そうでした。それではパワーアシストが切れた状態で、如何にして戦うかを生徒に示しましょう」

 イヤに丁寧な口調で喋る千冬。
 真耶の身体は警笛を鳴らし続けている。

真耶「えっ! そっ、そんな無茶な……」

千冬「はっはっは、最近体重が気になると言っていたではないですか。さぁ、行きましょう」

真湯「あーーーうーーー」

 ジタバタと手足をバタつかせる真耶であったが、千冬はお構いなしに真耶を引きずって行く。
 この日、晴れて全身筋肉痛となった真耶は職員会議で一言も発声することが出来なかった。
 


897 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:00:35.68s0E0Sez+o (26/45)



……。
…………。
………………。 

 


898 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:01:06.06s0E0Sez+o (27/45)


鈴音「──で、どうなのよ。調子は」

 午前の授業が終わり、一同は食堂で顔を突き合わせていた。
 昼時とあって食堂は混雑しており良い匂いがあちこちから漂っている。

一夏「俺は上々だなー。皆と違って、イコライザ弄れないからやるのはエネルギー配分だけだったし」

箒「私もそうだ」

 鈴音は春巻きと中華春雨の定食セットを。
 一夏と箒は2人とも、冷奴と納豆、味噌汁と焼き海苔の和食セットを食べている。

鈴音「はぁ、良いなぁ。私も1組が良かった……」

シャル「鈴も居たら、かなり大変だったろうね。1クラスに専用機が7機……」

ラウラ「我が、シュヴァルツェ・ハーゼ部隊でも3機保有だ。その倍以上……戦争をやっても負けはしまい」

 シャルロットはスープカルボナーラスパゲティ。
 ラウラはマカロニサラダと、トーストを一枚注文し、既に食べ終えていた。
 


899 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:01:55.83s0E0Sez+o (28/45)


セシリア「実際、1クラスにここまで集まっているのは問題でしょうね」

 ミートローフを食べていたセシリアがスプーンを置く。

セシリア「いつ、クラスの力を均等にするため移動を命ぜられるか……」

箒「……」

シャル「……」

ラウラ「……」

 一夏と放れたくない。
 その気持ちが半分。

 もう半分は仲間とはぐれたく無い、その気持ちが彼女達の胸の中にはあった。

鈴音「(はいはい、私は最初からクラスが違いますけどネ)」

岡部「ふう……俺は失礼する。少し眠くてな」

 たぬき蕎麦を早々に食べ終えた岡部は1人立ち上がり、食堂を出て行ってしまった。
 


900 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:02:29.52s0E0Sez+o (29/45)


鈴音「ん? 何よ、あいつどうかしたの?」

紅莉栖「明日が対抗戦本番だし、アイツもアイツで少しは緊張してるのよ」

 1人、購買で買ったカップラーメンをマイフォークで食べていた紅莉栖がそっけなく答えた。

鈴音「ふうん……まっ、皆頑張ってよね」

一夏「あぁ!」

箒「うむ。誰が相手だろうと手は抜かん」

セシリア「当然ですわ」

シャル「楽しみだね」

ラウラ「私が負けるはずが無い」

 全員が全員、力のある回答を口にする。
 明日はついにクラス内対抗戦。

 久々の実演戦闘と言うのもあり、気合の色が何時ものとは違っていた。
 


901 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:02:59.27s0E0Sez+o (30/45)



……。
…………。
……………… 

 


902 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:03:27.23s0E0Sez+o (31/45)

 
岡部「……」

楯無「あら、おかえりー」

 ベッドの上で寝転びながら、漫画を読んでいたのは更織楯無だった。
 ドアを閉めて改札を見ると確かに“織斑・岡部”と書かれている。

 間違いなく自室だった。

岡部「出て行け」

楯無「やん。倫ちゃんってば酷いっ」

 はぁ、と溜息を1つ付いて椅子に腰を下ろす。
 そう言えばこいつの顔を見るのもなんだか久々だな、と岡部は思った。
 


903 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:03:53.55s0E0Sez+o (32/45)


岡部「(ん? 久々な気がするが、今朝会ったような……あぁ、違うな。疲れているのか、俺は)」

楯無「倫ちゃん、明日本番でしょ? 元気付けてあげようかなって」

岡部「いらん」

楯無「もー、いけずなんだから。緊張してるでしょ?」

岡部「……」

 図星だった。
 前日になって、緊張が止まらなくなっている。

 初戦。初めて一夏と対峙した時とは違う。
 今回のクラス内対抗戦は前もって準備が整った試合。

 まさしく、今回こそがデビュー戦になる。
 部活動などに入った事が無い岡部倫太郎にとって、このような緊張感は生まれて初めて味わう類のものだった。 
 


904 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:04:20.65s0E0Sez+o (33/45)


楯無「んふふー♪ 倫ちゃんってば可愛いんだから」

岡部「うっ、うるさい! この俺が緊張? フン、灰色の脳細胞を持つ俺が緊張などありえん」

楯無「手。震えてるよ?」

岡部「っ!?」

 指摘されて、瞬時に手を隠す。
 が……震えてなどいなかった。

楯無「あはっ♪」

岡部「……」

 無言で楯無を起立させ、ドアまで押していく岡部。
 大人気ないとはわかっていても、少しだけこの年上ぶった年下の楯無に苛立ちが積もっていた。

楯無「もう、怒らないでってば。じゃぁ、一言。一言だけ」

岡部「なんだ、聞いてやるからさっさと──」

楯無「良い? 道場で貴方が対峙したのは、IS学園最強であるこの私。更織楯無なの。
   ISを纏っていようが、いまいが、関係無い。
   私と比べれば、他の子達なんてみーんな、ひよこ。怖くないわよ」

 ふざけた色を消した、真面目な声だった。
 


905 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:04:50.03s0E0Sez+o (34/45)


岡部「……」

楯無「ふふっ♪」

 楯無は、握り拳を作りトンと岡部の胸にタッチする。

楯無「頑張れ、男の子。“AIC”は強敵よ」

 それだけ言うと、扇子を広げ楯無はすっと廊下へと踊り出ていた。
 扇子には-贔屓-と書かれている。

楯無「ばいばい。おやすみ♪」

岡部「あ、あぁ……」

 風のように立ち去る楯無。
 重かった両肩は軽くなっていた。

岡部「年下に励まされてばかりだな、俺は……」

 ベッドに寝転がり、明日の事を考える。
 緊張はもう無かった。
 


906 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:05:27.33s0E0Sez+o (35/45)


岡部「楯無は“AIC”と言っていたな……アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。
   つまり、俺の相手は……」

 ラウラ・ボーデヴィッヒ。
 搭乗IS“シュヴァルツェア・レーゲン”

 恐らく、IS学園1年生最強の女。

岡部「っふ。ならば、打ち砕いてみせよう。その眼帯ごとな! フゥーハハハハハ!!」

 織斑一夏が居ない、男部屋。
 1人きりになった岡部は久々に大声で、何時もの笑い声をあげた。
 


907 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:05:53.81s0E0Sez+o (36/45)



……。
…………。
………………。

 


908 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:06:39.96s0E0Sez+o (37/45)



 IS学園、1年寮廊下では2人の女性が顔を付き合わせていた。
 学園内で最も強い女と、最も恐い女。

 それがどちらに当てはまるかは定かではない。

千冬「感心しないな。生徒会長」

楯無「あら、千冬センセ」

千冬「織斑先生だ」

楯無「あん。良いじゃないですか」

千冬「なぜ、教えた?」

楯無「だって。まともな“戦い”が見たいじゃないですか」

 具体的な言葉は一切使われずに会話が進む。
 


909 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:07:09.02s0E0Sez+o (38/45)


千冬「……」

楯無「緊張状態で、しかも相手がラウラちゃん。秒殺されてもおかしくないですし」

千冬「ふん」

楯無「うふふ♪ 明日が楽しみですね……」

 会話を終了しすれ違う2人。
 やはり、注目の的は岡部倫太郎だった。
 


910 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:07:37.00s0E0Sez+o (39/45)



……。
…………。
……………… 
 
 


911 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:08:02.50s0E0Sez+o (40/45)


紅莉栖「そう言えば、一夏」

一夏「ん?」

 全員が食事を終え、各自がお茶やミルクなどの暖かい飲み物を飲みながら歓談していた。

紅莉栖「岡部が今朝、とっても早い時間に眼鏡をかけた女の子が一夏に会いに来たって言ってたけど……。
    どうしてあんな時間に?」

一夏「えっ?」

紅莉栖「岡部はそのまま、2時間近く走りに行って部屋には居なかったから何しに来たのかは知らないって」

 少しばかり気になっていたことを口にする。
 当事者である一夏より、回りにいた女子の方が強い関心を見せるのがやはり不思議だった。
 


912 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:08:30.98s0E0Sez+o (41/45)


箒「眼鏡……?」

セシリア「と、言いますと」

鈴音「あー、1人しか居ないわね」

シャル「とっても早い時間って、どういうことだろうね?」

ラウラ「ふむ。しかも2時間近く滞在か。意味がわからんな」

一夏「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は知らないぞ?」

 慌てふためく一夏。
 眼鏡を掛けた友人と言えば、2年生の黛 薫子。

 それに──。

一夏「簪……か?」

 更織 簪。
 その2名位しか一夏の友達には居なかった。
 


913 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:08:57.26s0E0Sez+o (42/45)


箒「ほ、ほう……」

セシリア「タッグを組んだ、あの方ですわよね」

鈴音「私達を総スルーして組んだ、あの子ねー」

シャル「日本の代表候補生だから、仲が良いのかな?」

ラウラ「さて、一夏……」

一夏「あっ、あの……だから、俺はそれ今初めて知った訳で……」

「「「「「説明しろ!!!」」」」」

一夏「ひぃっ」

 声が揃う。
 その迫力と声の大きさに一夏は身体をすくめた。

紅莉栖「……本当になんだったのかしら?」

 織斑千冬が注意に訪れるまで、一夏の叫び声が食堂に響き渡っていた。
 


914 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:09:23.54s0E0Sez+o (43/45)



……。
…………。
………………。 

 


915 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:09:52.42s0E0Sez+o (44/45)

 
 ─とある布団の中─


簪「(一夏の寝顔……可愛、いかった……な♪)」

 今朝方に一夏の寝顔を1時間程眺めて満足した簪が、にこにことしながら携帯ディスプレイを覗いている。
 そこに映っているのは、気持ち良さそうに眠っている一夏の寝顔。

簪「……♪」

 様々な思いを胸に、1年1組クラス内対抗戦前夜が幕を閉じた。
 
 


916 ◆3R1.cwV0LI2012/10/16(火) 05:26:14.44s0E0Sez+o (45/45)

おわーり。
ありがとうございました。


917VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(中部地方)2012/10/16(火) 15:16:46.70GqruMVSBo (1/1)

おつおつ

次も楽しみにしてるわ


918VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/16(火) 15:47:36.59YfZgkOdvo (1/1)

かれかれ


919VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/16(火) 19:36:27.82x4tGmjGEo (1/1)


そろそろ前回の最初の分岐か


920VIPにかわりましてNIPPERがお送りします2012/10/18(木) 08:00:33.26QINp2uvDO (1/1)

確か避けるか身体を捻るかみたいな選択肢だったよな
そろそろ次スレの準備だな


921 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:32:45.11Hp2Uke1jo (1/80)

投稿します。


922 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:33:54.94Hp2Uke1jo (2/80)

>>915  つづき。




……。
…………。
………………。 

 


923 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:34:21.03Hp2Uke1jo (3/80)



─第一アリーナ整備室─


 ディスプレイから発せられる光が、人影を2つ浮かび上がらせている。
 片方の影は長く、もう片方は小さめだった。

紅莉栖「調整データは昨日既に提出してあるから、弄れない」

岡部「うむ。後は戦略だな……」

 午前5時30分。
 殆どの生徒が未だ寝静まっている中、2人は本日行われるクラス内対抗戦の最終チェックを行っていた。

紅莉栖「それにしても……よりによって、ラウラか……」

岡部「あぁ」

 楯無から受けた言葉をそのまま紅莉栖へと報告していた。
 然るに、作戦会議だとこの時間から整備室へと篭っているが、

紅莉栖「詰んだ。これは詰んだ」

 ガッデム。と声を露に頭を抱える。
 紅莉栖が想定していた中で最悪の対戦相手だった。
 


924 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:34:57.87Hp2Uke1jo (4/80)


岡部「失礼なヤツめ、この俺を誰だと──」

紅莉栖「はいはい、ワロスワロス。ったく、シュヴァルツェ・ハーゼがどんだけガチな軍隊かわかってんの?」

岡部「……さぁな」

紅莉栖「通称、黒ウサギ隊。ドイツ軍の何でも屋。破壊工作から隠蔽工作まで何でもござれの特殊部隊よ」

岡部「……」

紅莉栖「ラウラはソコの部隊長。はぁ……最悪のカードね」

岡部「し、しかし──」

紅莉栖「──詰んではいるけれど、ただ負ける訳にはいかない。でしょ?」

岡部「う……うむ」

 ドカッ、と椅子に座りこみディスプレイと睨めっこを始める紅莉栖。
 流れている映像はラウラ・箒ペアと一夏・シャルロットペアが戦っている動画だった。
 


925 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:35:30.77Hp2Uke1jo (5/80)


紅莉栖「基本的には中・長距離。近距離では両手のプラズマ手刀を器用に操り、AICで攻撃を防いでいる……」

 何度も何度も、動画を再生してはぶつぶつと独り言を吐く紅莉栖。
 岡部に対戦相手を告知されてからというもの、ずっとコレである。

岡部「思ったのだが、これ以上武器を追加することは出来ないものか。
   そう、例えばMs.シャーロックの“ブルー・ティアーズ”のような兵器があれば──」

紅莉栖「ビット兵器のこと?」

岡部「うむ。それだ」

 “ブルー・ティアーズ”が装備する、ビット兵器を見たときに岡部は少なからず憧れを抱いていた。
 幼少の頃より親しんでいた、ロボットアニメに出てくる武器の代名詞的な物に酷似していたことが要因である。

岡部「俺にもあのような装備があれば──」

紅莉栖「ピーキーすぎて岡部にゃ無理よ」

岡部「ぴっ……」

紅莉栖「それに、一夏の“白式”よりも我侭なコアパーソナルなんだから。イコライザなんて無理でしょ、馬鹿」

岡部「ぐぬぬ……くっクリスティーナよ、その台詞を言いたかっただけでは無いのか」

紅莉栖「さんを付けろよ、デコ助野郎」

 そこまで台詞を言って、ニヤリと笑う紅莉栖。
 対照的に岡部は悔しそうな顔を作っている。
 


926 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:35:58.63Hp2Uke1jo (6/80)


紅莉栖「っと、冗談はここまでにして……。
    実際問題イコライザが付けられない“石鍵”からしたら、後付装備は無い物ねだり。
    ある装備で戦わなければならないわ」

岡部「あ、あぁ」

紅莉栖「ビット兵器にしたってそう。あれは物凄く集中力を使うの。
    例えるなら@ちゃんねるを見て、レスをしながらゲームをして、漫画を読んでメールを返信する。
    その全ての行動をちゃんと全て理解しながら同時進行するようなものなんだから」

 私は出来るが。と付け足す紅莉栖。
 岡部は苦々しい顔を作るしかできなかった。

岡部「俺が悪かった。無いものねだりはよしておこう」

紅莉栖「うむ。それが良い」

岡部「で、作戦だが──」

 ずっと考えていたものを告げる。
 勝てるかどうか、通用するかどうかはわからない。
 


927 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:36:29.13Hp2Uke1jo (7/80)


紅莉栖「うんうん……それって、かなりリスキーよ?」

岡部「しかし、それ以外に方法が思い浮かばない」

紅莉栖「あの調整が役に立つ訳ね」

岡部「あぁ……外せば、負けるだろう」

紅莉栖「……ん。わかった、本番時には私がオペやるから実況は任せておけ」

岡部「実況してどうする……」

 くくくっ、と小さく笑って岡部が続ける。
 


928 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:37:26.65Hp2Uke1jo (8/80)


岡部「では、サポートは頼んだぞ」

 本日、午前10時から開催される1年1組クラス内対抗戦。
 第1アリーナから第4アリーナまでを貸し切り、最大2日間かけて行われる。

 1年1組が終われば次は2組、3組と順々に行われ最終学年の最終クラスまでが終わるのにおよそ2週間から3週間かかる大掛かりなイベント。
 直接戦う訳ではないが、他のクラスや学年にも注目されているだけあって休み時間には見学にアリーナへ訪れる生徒も少なくない。

 そして、それが終われば本命のIS学園最大イベントが控えている。
 年末に向け、IS学園の行事は生徒達の熱と共に加速を増して行く。

 
 1年1組クラス内対抗戦が開始された。

 


929 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:37:53.13Hp2Uke1jo (9/80)



……。
…………。
………………。

 


930 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:38:31.07Hp2Uke1jo (10/80)



 ─第1アリーナ─


 どくん、どくんと張り裂けそうなほど心臓は高鳴り、鼓動を続ける。
 心拍数が上がっていくのが自身で理解できる。

岡部「……」

紅莉栖「さっ、本番ね」

 ピット内には岡部と紅莉栖の2人。
 観客席には初戦からあぶれた1組の人間がちらほらと居る程度だった。
 


931 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:38:57.77Hp2Uke1jo (11/80)



 今朝のホームルームで千冬から発表されたオーダー表は以下の通り。

 1年1組-専用機持ち初戦。

第1アリーナ ラウラ・ボーデヴィッヒ vs 岡部倫太郎

第2アリーナ シャルロット・デュノア vs 篠ノ之 箒

第3アリーナ 織斑一夏 vs セシリア・オルコット


 そして第4アリーナでは、訓練機同士による対戦となっていた。
 対戦表に目が行き、それぞれの思惑が交差する。
 


932 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:39:29.10Hp2Uke1jo (12/80)


 ◇
 
セシリア「やっとですわ……やっと、一夏さんと晴れの舞台で一騎打ちが出来ますわ」

 セシリア・オルコットは静かに燃えていた。

 実弾装備が無い“ブルー・ティアーズ”にとって、
 セカンドシフトを終え“零落白夜”のシールドを手に入れた“白式”には勝ち星を挙げることが出来なかった。

セシリア「“BT偏光制御射撃”-フレキシブル-を会得した私の力……ご覧に入れてさしげます」

 ばん。と指でかたどった鉄砲を、写真の向こうに居る織斑一夏に放つ。
 その顔は幼子のように、嬉しそうだった。
 


933 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:39:56.43Hp2Uke1jo (13/80)


 ◇

箒「シャルロットか……」

 箒の顔は冴えなかった。
 目当ての人物……織斑一夏と対戦出来なかったことだけではなく、対戦相手に理由があった。

 シャルロット・デュノア。
 1年1組の専用機持ちで唯一第2世代型IS使用者。
 
 にも拘らず、実力は折り紙付きで現状1年生の中ではラウラとの双璧を成していた。

箒「私は、負けない。負けたくない……!」

 自分に言い聞かせる。
 現行機種で最高のスペックを誇る“紅椿”に搭乗する以上、第2世代に負けるわけにはいかないと言う念が強かった。
 


934 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:40:26.74Hp2Uke1jo (14/80)


 ◇

シャル「ラウラはオカリンとかぁ。どう? 正直」

 2人はアリーナの待機室で言葉を交わしていた。
 お互いが戦闘相手でない以上、友達同士で牽制し会う必要も無い

ラウラ「さてな。私はシャルロットと当ると想定して準備してきた。
    それが倫太郎になろうと、一夏になろうとシャルロット以上に手を煩わされるとは思っていない」

シャル「あはは……光栄だけど、油断は禁物だよ?」

ラウラ「無論だ。シャルロットこそどうなんだ。相手は箒……第4世代だ」

シャル「うーん、マシンスペックだと正直勝てないよね。雲泥の差だよ」

ラウラ「……」

 けれども、シャルロットは不適な笑みを浮かべて話しを続ける。

シャル「でも、IS戦はスペックだけじゃないことを証明してくる」

ラウラ「うむ……」

シャル「じゃぁラウラも頑張ってね」

ラウラ「あぁ。互いにな」

 拳を作りあい、コツンと合わせるドイツ代表候補生と、フランス代表候補生。
 お互いに背を向け、自分の戦場へと歩んで行った。
 


935 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:40:52.59Hp2Uke1jo (15/80)


 ◇

一夏「……セシリアとか」

 控え室で柔軟体操をしながら、戦いをシミュレートする織斑一夏。
 考える事は“BT偏光制御射撃”-フレキシブル-をどう捌くか。

一夏「厄介な攻撃を身に付けやがって……」

 そう漏らすが、一夏の口角は上がっている。
 純粋に強くなったセシリアと公式に戦えることが嬉しかった。

 一夏にとって、セシリアと“ブルー・ティアーズ”は初IS戦の相手であり思い入れが深い相手である。
 こうして互いに成長した姿で再び相見えることに喜びを感じていた。

一夏「“ブルー・ティアーズ”相手にとって、不足は無いぜ……!!」

 織斑一夏の瞳が、明るく燃え上がった。
 


936 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:41:19.03Hp2Uke1jo (16/80)



……。
…………。
………………。

 


937 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:41:49.26Hp2Uke1jo (17/80)


 ─第1アリーナ─

 ブザーが鳴り響く。
 試合開始の合図だった。

岡部「……時間だ」

 ぐっ、と指に装着された指輪に力を込める。
 光の粒子が体を包み、一瞬の内に全身装甲のISを身に纏った。

紅莉栖『相変わらず、展開だけは速いわね』

 PICが作動し、体が浮遊する。
 パワーアシストの充足感が体中を巡り、力強さを感じた。

岡部『調子は万全だ。何時でもいける』

紅莉栖『ラウラの方もOKみたい。健闘を祈る。GOOD LUCK.』

 会話をプライベートチャネルに切り替え、会話を終了させた。

岡部『-インフィニット・ストラトス-、鳳凰院凶真……出る!』

 両足をカタパルトに装着する。
 


938 ◆3R1.cwV0LI2012/10/19(金) 04:42:18.00Hp2Uke1jo (18/80)


紅莉栖『5秒前。4.3.2.──発射!』

 一気に加速を促し、機体はアリーナへと躍り出た。
 “シュヴァルツェア・レーゲン”は既に、地表に降り立ち腕組をして待っている。

 その姿はまるで、黒い王のようだった。

岡部『“石鍵”……目標を駆逐する!』

紅莉栖「その台詞はもう固定なのね……」

 マイクに手をあて、遮るように紅莉栖が呟く。

紅莉栖『なんでも良いから、気張りなさいよ!』

 紅莉栖の声は暗いものではない。
 準備は整えた、作戦も用意した。

 後は、岡部の帰還を待つばかりである。